鳶尾航空ショーMB-120墜落事故とは1998年に羽等州鳶尾(とびお)空軍基地にて開催された『航空ショー』にて1939年に連邦空軍で計画されていたとされる
超大型輸送機MB-120『周楽』を飛行させている際にエンジンが発火してそのまま観客コーナーに衝突した事故。
超大型輸送機MB-120『周楽』を飛行させている際にエンジンが発火してそのまま観客コーナーに衝突した事故。
鳶尾航空ショーMB-120墜落事故 | |
事故現場 | 翠星連邦国羽等州鳶尾空軍基地 |
日付 | 1998年2月2日 |
機種 | MB-120『周楽』 |
運用者 | 翠星連邦空軍 |
原因 | 整備不良、設計ミス及び訓練不足 |
生存者(機内) | 4人(全員) |
死者 | 0人 |
生存者(地上) | 679人 |
死者 | 1人 |
概要
1998年2月2日、羽等州「鳶尾空軍基地」にて『鳶尾航空ショー』が開催されていた。
事件が発生したのは午後3時12分頃、連邦では定番の企画であった『再現飛行』が行われていた、再現飛行というのは当時は技術上実現不可能だった飛行機を復元させるという企画であった。事前投票で復元することが決められたのはMB-120『周楽』という輸送機。
『周楽』は1939年に連邦空軍が計画していた輸送機で12発エンジンを持つ超大型輸送機であった、当時は技術上の問題で中止になったがこの企画で当時の設計図を元に製造された。
当初は普通に上空をフライトしていたが10分後期待の尾翼が剥がれ落ちるという事態が発生、そしてエンジンが発火し周楽は火だるまと化した。
そのまま操縦士たちは機内にあるパラシュートで後部ハッチから脱出、無人状態となった輸送機はそのまま観客コーナーめがけて墜落、幸い危険を感じた観客たちが避難を始めていたため幸い死者は出なかったが逃げ遅れたスタッフ1人が爆発に巻き込まれ死亡。
原因
大まかな問題として二つある。
機体の設計ミス
この機体は当時の設計図を基に製作されていると思われていたが、
実際は既存の旅客機の胴体をそのまま利用し無理やり改造したものであった。
実際は既存の旅客機の胴体をそのまま利用し無理やり改造したものであった。
パイロットの訓練不足
厳密に言えば訓練不足ではなくそもそもこの機体で練習していなかったのだ、実はこの機体構造上2度目のフライトで「空中で壊れるのではないか?」と心配されていたのだ。
そのためパイロットは似た操縦席の造りを持つ機体でしか練習しておらずそのままぶっつけ本番でこの機体を操縦することとなっていた。
そのためパイロットは似た操縦席の造りを持つ機体でしか練習しておらずそのままぶっつけ本番でこの機体を操縦することとなっていた。
その後
この事故で空軍の杜撰な体制が国内外から批判され当時の空軍総司令官は辞任、裁判で操縦士は懲役8年、賠償金210万円(当時)副操縦士とその他関係者には懲役6年、賠償金140万円(当時)の支払いが課せられた。
この事故を受けて鳶尾航空ショーは2000年になるまで開催されなくなった。