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踊り狂う道化達/それでも生きていて欲しいから (前編)

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踊り狂う道化達/それでも生きていて欲しいから(前編) ◆guAWf4RW62


 辺り一面に広がる緑。
 深々と生い茂った木々の中を、全速力で駆け抜けてゆく人間が二人。
 否、その片割れは既に、人間と形容して良い状態かどうか怪しい。
 強固な殻に覆われた肩、紅いハサミへと変貌した両腕。
 恐怖に顔を歪ませる少年は、ザリガニ人間とでも表現すべき容姿だった。

「――――ハアっ、ひ、く、あ―――――」

 鮫氷新一は呼吸を荒ぶらせながら、全力で逃走を続けていた。
 走り始めてから、既に相当な時間が経過している。
 人外と化した今の身体を以ってしても、体力は確実に限界を迎えつつあった。
 しかしどれだけ肺が痛もうとも、足が軋もうとも、決して立ち止まる訳には行かない。
 ちらりと背後を眺め見る。


「…………」

 後ろから迫る一乃谷刀子は、先程から一つの言葉すらも発してはいない。
 溢れんばかりの怒りを瞳に湛えたまま、黙々とこちらに追い縋ってくる。
 全てを押し潰すようなその殺気は、周囲の気温が数度下がったかと勘違いさせられる程のもの。
 それだけで、捕まれば確実に助からないと理解出来た。
 だからこそ新一は懸命に走り続けていたのだが、限界は刻一刻と迫っている。

「く……は……っ、は、はぁ……」

 身体の節々が痛んで、徐々に新一の駆ける速度が落ちてくる。
 一時間近くにも及ぶ逃走劇は、新一の体力を根こそぎ奪い去っていた。
 流れた放送にすら耳を傾けず、只ひたすらに走り続けたが、その努力も無意味。
 いかに人外と化そうとも、普段碌に運動もしていなかった新一では、牛鬼の末裔たる刀子から逃げ切れる筈も無い。
 やがて刀子は新一を追い抜いて、その進路へと立ち塞がった。

「鬼ごっこは、終わりですね」
「ひっ…………待ってくれ! 違うんだ、殺すつもりなんて無かったんだ!
 レオを殺したって聞いて、ちょっと懲らしめてやろうと思っただけなんだよ!」

 新一は表情を恐怖と狼狽に染めながら、必死に言い訳を試みようとする。
 頬に殻の浮き出た人外が、必死に言葉を並べ立てる様は、とても醜く浅ましい。
 しかしそんな彼の言葉が聞こえていないかのように、刀子は絶対零度の怒りのみを瞳に宿していた。

「その気になれば、私は何時でも貴方に追い付く事が出来ました。
 今までそうしなかったのは、一体何故だと思いますか?」
「う…………えっ……? そんなの、知らねえよ……」

 突然の問い掛けに、新一は訳も分からず首を左右へと振る。
 瞬間、刀子の瞳に宿った殺気がより鋭さを増した。

「貴方に少しでも多くの苦しみを与える為です。
 長時間に渡る逃亡劇は怖かったでしょう? 辛かったでしょう?
 だけど、まだまだ足りません。兄様の味わった苦痛は、こんなものではないのですから」

 云い終えるや否や、刀子は手元の日本刀――古青江を縦に一閃した。
 舞い散る鮮血が、霧の如く宙へと広がる。
 ぼとり、と新一の左耳だったモノが地面へと落ちた。

「ひ、ぎあああぁぁあ!? 耳が、俺の耳がああぁぁぁああ!!!」

 頭の中に直接電流を流し込まれたかのような激痛に、新一が動物じみた叫びを上げる。
 その一撃だけで新一の心を折るには十分だったが、尚も刀子の怒りは収まらない。
 復讐鬼と化した少女は、何の躊躇も無く、それこそ目の前のゴミを払い除けるような調子で新一の腹部を蹴り上げた。

「兄様は道を改めて下さったのに――」
「ぐがっ、ぅ、ぉぇぇええ…………」

 黄色い胃液を吐き出しながら、苦しげに地面の上を転げ回る新一。
 しかし悠長に苦しんでいる暇すらも、今の彼には与えられない。
 悶絶している新一の視界に、自分を踏み潰そうとする靴底が映った。
 新一も懸命に回避を試みたものの、寝転がった姿勢では到底躱し切れない。

「兄様は必死に罪を償おうとしていたのに――」
「あごっ……!!」

 鈍い打撃音と共に、新一の鼻骨が無残にも砕け散る。
 止め処も無く鼻血が溢れ出して、グロテスクな人外の顔を赤く染め上げた。
 更に、大きく振り上げられる刀子の脚。

「貴方が全てを台無しにしてしまった!」
「や、止め――――うごあぁぁっ!!」

 必死の懇願も空しく、新一は思い切り胸部を蹴り上げられた。
 そのまま受け身を取る事すらままならず、背中から後方の木に衝突する。
 森の中に轟音が鳴り響いて、『緑色』の体液が飛散した。
 異形と化しつつある少年は、力無く地面へと尻餅を付いた。 

「その身体、その体液……どうやら貴方は只の人間では無いようですね。
 どちらかと云えば、私のような人妖に近い存在でしょうか?
 ですが、貴方が何者であろうとも関係ありません。兄様を殺した罪――万死に値します」

 刀子の握り締めた日本刀が、月光を反射して禍々しく光り輝く。
 冷たい風が森の中を吹き抜けて、周囲の木々がざわざわと葉擦れの音を奏で上げる。
 そこに一切の容赦は無く。
 刀子は天高く日本刀を振り上げて――


「……なんだ、よぉ」


 そんな呟きを、耳にした。
 刀子の動きがピタリと停止する。
 これまで怯えているだけだった新一が、憎悪の視線で刀子を睨み付けていた。

「…………お前達だって、俺からレオを奪った癖に……」

 紡がれたその言葉には、確かな怒りが籠められている。
 追い詰められた鼠は、猫が相手であろうとも只搾取されるだけでは無い。
 被害者でもあり加害者でもある少年は、積もりに積もった鬱憤を吐き出してゆく。 

「お前達が先にレオを殺したから悪いんじゃねえか! それなのに、俺だけを悪者扱いかよ!?
 良いよなあ、偽善者は? そうやって被害者面してれば、自分のやってる事を正当化出来るもんな!?」

 新一は我慢ならなかった。
 確かに自分は悪業を積み重ねてきたし、人を殺しもした。
 しかしそれも全ては、放送で対馬レオの名前が呼ばれたからこそ。
 にも関わらず自分だけが糾弾されるのは、決して許せる事では無い。

「――――っ」

 刀子は咄嗟に反論を行う事が出来なかった。
 兄――愁厳が、目の前の男から大切な存在を奪ったのは紛れもない事実。
 愁厳が殺されてしまったのは、あくまでも罪の報いを受けたに過ぎないのだ。

「なあ、返せよ……レオを返せよ! 俺だってこんな殺し合いはしたくないんだよ!
 俺を元の生活に帰らしてくれよぉ…………!」
「くっ…………」

 刀子は日本刀を振り下ろせない。
 この男と自分は何も変わらない、と思った。
 怒りに任せて兄の仇を殺そうとしている自分と、復讐を実行に移しただけの男。
 その両者の間には、一体どれだけの違いがあると云うのだろうか。
 それに、兄が死に際に遺した言葉。

――――『刀子。彼を、恨むなよ』

 兄自身も因果応報だと云っており、刀子が復讐する事など望んではいなかった。
 憎しみの連鎖を紡いでいく事など、決して望んではいなかった筈なのだ。
 そんな想いを踏み躙ってまで復讐するのは、兄に対する裏切り行為では無いのか。

「……命拾い、しましたね」
「え――――?」

 刀子は様々な感情の籠もった声を洩らしながら、古青江を鞘へと仕舞い込んだ。
 殺せない。
 此処でこの男を殺してしまえば、自分は最低最悪の妹になってしまう。
 この身がどれだけ憎悪に苛まれようとも、兄を裏切るような真似だけは絶対にする訳にいかない。
 刀子は己が激情を押さえ込んだまま、その場を離れようとして――――瞬間、側頭部に強烈な衝撃を受けた。

「……あぐ、がっ……!?」

 意識を刈り取られかねない程の、強烈極まりない一撃。
 刀子の身体は人形か何かのように弾き飛ばされて、地面に強く叩き付けられた。
 尚も身体の勢いは止まらず、生い茂る草の上を激しく横転する。
 刀子が苦痛に表情を歪めながらも何とか身体を起こすと、一人の少女の姿が目に入った。

「あらあら……。随分と派手に吹き飛びはりましたなあ。どんな時でも周囲への警戒を怠ったらあかんえ?」

 凛とした少女の声が森の闇を切り裂いて、刀子の鼓膜を震わせる。
 栗色の長髪、均整の取れた身体付き。
 確かな殺気を瞳に湛えたその少女は、名を藤乃静留という。

「遠くから様子を伺わせて貰ってましたけど……あんた、無抵抗の相手にやりたい放題でしたなあ……。
 助かる。ホンマ助かるわあ……だって――」

 静留は手にした鞭――殉逢(じゅんあい)を大きき後ろへと振りかぶる。
 刀子がよろよろとした動作で立ち上がった直後、殉逢は蛇のような動きで刀子へと襲い掛かった。

「あんたみたいな外道が相手なら、うちは容赦無く鬼に成れる」
「ぐっ…………!?」

 高速で一閃される鞭。
 刀子は刹那の反応で刀を構え、迫る一撃を弾き返したものの、先程受けたダメージは決して小さくない。
 その場に踏み止まったままでは衝撃を抑え切れずに、頼り無い足取りで二三歩後退した。
 ズキズキと痛む側頭部。
 刀子自身の意志とは無関係に膝が震え、視界は波のように揺れている。
 どうやら軽い脳震盪の状態に陥ってしまっているようだった。

「ふふ、えろう辛そうどすなあ。不意打ちとは我ながら卑怯な手やけど、文句は受け付けません。
 外道相手に手段を選ぶ必要なんて無いんやから」

 静かに燃える怒りの視線が、傷付いた刀子へと突き刺さる。
 その様子、その口振りから判断するに、静留は刀子が殺し合いに乗っていると勘違いしているようだった。
 刀子は困惑の表情を浮かべながらも、自らに掛けられた疑いを晴らそうとする。

「ちょ、ちょっと待って下さい……っ。貴女は勘違いを――」
「助けてくれ! こいつは殺し合いに乗っているんだ!」

 狙いすましたかのようなタイミングで、新一が刀子の言葉を遮った。
 それは刀子にとって、正しく寝耳に水の話。

「なっ……違います! 私は殺し合いをしようだなんて思っていません!」
「またそうやって人を騙そうとするのか? あれだけ一方的に人をボコった癖によ!」
「それは、貴方が兄様を殺したから……!」
「嘘だ! 証拠も無い癖に適当云ってんじゃねえ!
 さあ、そこのアンタ。どっちが嘘を吐いてるかなんて、見りゃ分かるだろ? 早く俺を助けてくれ!」

 新一は恥も外聞も関係無く、次々と出任せを並べ立てる。
 それは苦し紛れの言動に過ぎなかったが、ある程度の説得力はあるものだったかも知れない。
 容赦の無い暴行を加えていた刀子と、ただ嬲られるだけの新一では、どちらが信用されるかなど明らかだ。
 だがいかに道理が通っていようとも、既に新一の外見は怪物と化しつつある。
 加えて新一の嘘は、『相手が殺し合いに乗っていない』という前提の下でしか意味が無い。
 静留に歩み寄ろうとした新一だったが、その足元に殉逢が強く叩き付けられた。

「ひっ! な、何を……?」
「勘違いされたら困ります。うちはあんたを助けるつもりなんてあらへん。
 相手が誰であろうとも――殺すつもりなんやから。大体そんなナリで、信用して貰えると思ってはるの?」
「あ……、え、ぅ…………」

 向けられた殺意に顔面蒼白となりながら、新一は地面に尻餅を付いた。
 静留からすれば、刀子が殺し合いを肯定しているかどうかなど、さしたる問題では無い。
 新一が只の被害者であったとしても、静留のすべき事は何一つ変わらない。

「貴女は殺し合いに乗ったと云う事ですか」
「……そうどすな。私は殺し合いに乗っている」

 刀子の問い掛けに対して、静留は少し間を置いた後に頷いて見せた。
 他の参加者達を皆殺しにする――それが静留の行動方針だった。

「あんた達に一つだけ聞きたい事があります。なつきって子について、何か知りまへんか?」
「…………」

 刀子は刀を握り締めたまま、新一は顔を恐怖に染めたまま、それぞれ沈黙を守っている。
 それは、なつきについて何も知らないと云っているのと同意義だった。
 これで話は終わりだと云わんばかりに、静留は殉逢を大きく後ろへと振り被る。
 素早く一振りされた鞭は獰猛な蛇と化して、不規則な軌道で刀子に襲い掛かる。

「あづっ…………!」

 刀子は迫る一撃を何とか受け止めたものの、脳震盪に陥った今の状態では耐え切れない。
 叩き付けられた衝撃に、上体が後ろへと流される。
 刀子が態勢を整えるよりも早く、静留の第二撃が横凪ぎに放たれた。

「このっ――――」

 受け止めるのは厳しいと判断して、刀子は横に跳躍する事で逃れようとする。
 だが傷付いた身体では躱し切れず、左肩を強く打ち据えられた。
 強烈な衝撃と痛みに、刀子の動きが一瞬停止する。
 そしてその隙を見逃さずに、再度鞭が振るわれる。
 刀子が地面を蹴った直後、猛り狂う蛇が彼女の腹部を思い切り強打した。

「あがっ…………く」

 宙へと跳ね上げられる身体。
 だが刀子は、自ら後方に飛ぶ事で衝撃の大部分を逃している。
 牛鬼の少女は地面に降り立つや否や、静留に向かって疾走を開始した。
 静留が縦横無尽に振るう殉逢は、長さにして五メートルを超す鞭。
 自分から間合いを詰めていかねば、射程外から一方的に攻撃されてしまうだけなのだ。
 そうはさせじと放たれる殉逢の一撃が、刀子の前進を阻まんとする。
 標的となった刀子は、両手で強く日本刀を握り締めた。

「ハッ!」

 踏み込みと共に、全力で殉逢を弾き返そうとする刀子。
 傷付いた身体による一撃とは云え、牛鬼の膂力と十分な予備動作が合わされば、力負けはしない筈だった。
 しかしそこで静留が手首を返し、刀子の目が驚きに見開かれる。
 生じた捻りは鞭の先端にまで伝達されて、その軌道を大きく変化させていた。

 刀子は超人的な反応速度で剣戟を中断して、一も二も無く地面へと転がり込んだ。
 殉逢は刀子の頬を浅く掠めて、そのまま背後の木に深々とした罅を刻み込む。
 更に、再度引き戻された殉逢が、倒れ伏す刀子へと牙を剥く。
 刀子は跳ねるようにして飛び起きて、何とか殉逢の射程外から逃れていた。
 距離を置いた状態で睨み合う二人。

「……ふ……はあ…………はあ……っ」

 刀子は肩で息を整えながら、口の中に沸き上がる血を飲み込んだ。
 状況は芳しくない。
 最初に被った一撃で脳を揺らされ、その後の戦いで腹部にもダメージを受けてしまった。
 自分とて牛鬼の血を引く人妖であり、一乃谷流の使い手でもある。
 このまま敗北を喫するつもりは毛頭無いが、果たして何処まで凌げるか。
 不規則な軌道を描く鞭は、獲物を確実に弱めていく毒蛇のようなものだ。
 即死性は無いが、何度も受ければ戦闘不能に追い込まれてしまうだろう。
 目の前の女が強敵である事は、疑いようが無い。
 しかしなればこそ、勝負を決する前に聞いておかなければならない事が一つあった。

「何故、貴女はこのような事をなさるのですか?
 それだけの力があれば……違う道を選べたのではないですか?」


 十分な実力を有していながら、どうしてその力を正しい方向に使わないのか。
 それが、刀子にとって最大の疑問だった。
 静留が悪人だとは思えない。
 襲撃を仕掛けてきた時の静留は、確かに怒っていた。
 刀子が新一を痛め付ける様子を見て、憤慨していたのだ。
 そんな静留が、自分の命惜しさに殺人遊戯を肯定するとは、到底思えなかった。
 場に流れる静寂。
 静留は桃色の唇を動かして、静かに言葉を紡ぎ上げる。

「……守りたい子がいるんどす」

 それは躊躇いがちな、しかし確かな決意が籠められた声だった。
 蛇の少女は真っ直ぐな瞳で刀子を見据えながら、己が想いを解き放ってゆく。

「なつきは強がりで、人の言う事を聞かなくて、でも本当はとても優しくて。
 過酷な運命にも負けないで、歯を食い縛りながら懸命に生きていて。
 こんな所で死んで良い子やないんどす。うちはなつきを――誰よりも愛しいあの子を、死なせたくない」

 静留は心の底から、玖我なつきという少女に惹かれていた。
 その想いは同性であると云う壁すら乗り越えて、愛の領域にまで達している。
 静留は一人の人間として、確かになつきを愛しているのだ。
 だから――

「うちはなつきを守りたい。たとえこの手が血に汚れても、どれだけ罪の意識に苛まれても、なつきに生きていて欲しい。
 せやからあんた達も、他の参加者達も全員殺します。全てはなつきを守る為に」

 静留が語るその決意は、今に始まった事ではない。
 元の世界に於いても、静留はなつきの為だけに行動してきた。
 変わったのは、無差別に人を襲うかどうかという一点だけ。
 何としてでもなつきを守るという答えは、とうの昔に決まり切っていた。

「……そうですか」

 刀子は揺らぎの無い瞳で、真っ向から静留の決意を受け止める。
 静留の強固な意志を聞いた事で、自分自身の意志もまた固まった。
 ならば後は己が意志を貫き通すだけだが、その前に一つだけやっておかなければならない事がある。
 斜め後ろに視線を移すと、恐怖に表情を歪めたまま座り込んでいる新一の姿があった。

「確か、鮫氷新一さんと云いましたか。兄様を殺した事は、絶対に許せません。
 だけど、兄様は貴方の事を恨むなと云っていました」

 そこまで云うと、刀子は鞄の内一つを新一へと投げ渡した。
 新一はザリガニのハサミと化した腕で鞄を受け取って、訳も分からず困惑の声を洩らす。

「え……あっ……これは?」
「兄様を裏切る訳には行かないから――私は貴方を逃がします。その鞄には包丁や最低限の支給品が入っています。
 それだけあれば当座は凌げるでしょう。勝手に何処へなりとも消えて下さい」

 決して憎しみが消えた訳では無い。
 だが何時までもそれに固執し続けて、兄を裏切ってしまうという結末だけは避けなければならない。
 だからこそ少女は溢れんばかりの激情を抑え込んで、兄が遺した言葉に従ったのだ。
 新一は暫しの間呆然としていたが、やがて勢い良く立ち上がると、そのまま振り向きもせずに走り去って行った。


「……そっか、あんたは殺し合いに乗っていなかったんやな。
 せやけどそんな身体で残って、一体何をしはるつもりなんどすか?」

 静留は逃げる新一を一瞥すらせずに、ただ正面へのみ鋭い視線を送っている。
 蛇の少女が眺め見る先では、傷付いた刀子の姿。
 刀子の服は泥に塗れて、右側頭部からは血が滲み出ている。
 静留も決して五体満足とは云えないが、頭部と腹部を強打されたばかりの刀子は更にダメージが大きい筈。
 脳を揺らされた影響はこの短時間では消えないし、内臓への一撃は、真綿で締め付けるように今も刀子を苦しめているだろう。
 だと云うのに刀子は、一向に引く様子を見せなかった。
 人妖の少女は悠然と屹立したまま、己が胸の内を言葉へと変える。

「私の兄も嘗て貴女と同じ道を歩んでいました。私を生還させる為に、自らの心を殺してまで、罪無き人々をその手に掛けていました。
 だけど、それは間違っている。絶対に……絶対に、間違っている」

 刀子の兄、一乃谷愁厳もまた、静留と同じ類の動機で人殺しを行っていた。 
 妹である刀子を幸せにする為だけに、自ら修羅の道を歩んでいたのだ。
 それはとても強く、とても哀しい選択。
 その選択によって引き起こされた悲劇を、守られる側となった者の気持ちを、刀子は嫌という程味わっている。
 そんな刀子だからこそ、今の静留を認める訳にはいかない。

「だから――止めます。貴女がそんな理由で戦っていると云うのなら、私は絶対に引く訳にはいかない」

 兄の時のような悲劇を繰り返させぬ為、少女は鉄の意志を以って静留の眼前に立つ。
 そして強固な決意を持っているのは、静留もまた同じ。

「……あんたは強い人なんやね。でもな、うちだって引く訳にはいかへん。
 どんだけ誰かを傷付ける事になっても、その苦しみは、想い人を失う苦しみよりもなんぼかマシやから」

 語る静留の声にもまた、強固な決意が籠められている。
 なつきを守ると、誰よりも愛しいあの少女を守り抜くと決めた。
 ならば敵がどれだけ強い意志で向かってこようとも、己の道を変えるなど有り得ない。

「ここから先は、云わんでもええわな。お互いにやるべき事は、もう一つだけやさかいに」

 静留が殉逢を構えて、それに応ずるようにして刀子も日本刀を構えた。
 揺ぎ無い意志と意志、視線と視線が交錯する。

「私の名は、一乃谷刀子と云います。貴女は?」
「……うちは、藤乃静留や」

 闇に包まれつつある森の中。
 各々の得物を手に、二人の少女が正面から相対する。 


「「いざ――――尋常に、勝負」」


 ひゅうと、冷たい風が二人の間を吹き抜けた。 


190:HEROES 投下順 191:踊り狂う道化達/それでも生きていて欲しいから (中編)
時系列順
178:めぐり、巡る因果の果てで(子供編) 一乃谷刀子
鮫氷新一
167:know 藤乃静留

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