「――ペルソナァッ!」

鬱蒼と茂る木々の群れ、日も差さぬ暗闇の中。
思わず陰気に包まれそうなその空間に、一つの声が溌剌と響いた。
放たれた声の主は、見るからに体力が自慢という様子で常にステップを崩さぬ緑ジャージを着た茶髪の少女、里中千枝。

気合と共に高く振り上げられた彼女の右足は、美しい軌道を描いて宙に浮いたカードを捉える。
それを受けてパリンと割れるカードに伴うように、彼女の傍らに像が一つ浮かび上がった。
トモエと呼ばれるそれは、千枝の心の具現(ペルソナ)だ。

その手に持つ薙刀を縦横無尽に振り回したトモエは、主の激情に応えるように敵対者へと向かっていく。

「――ナイト!」

「キリッ!」

一方で、千枝と対峙する白いドレスに金髪の少女――ゼルダもまた、自身の使役する使い魔へと指示を投げる。
威勢よく返し主の願いを叶えんと飛び出したその魔物は、キリキザンと呼ばれるポケモンの一種だ。
その身を包む甲冑のような甲殻と頭から伸びる一陣の刃は、彼が戦闘に長けた存在である事をこれでもかと主張している。

ペルソナとポケモン、それぞれ異なる世界の異なる理の中で、しかしどちらも主の命に従い戦ってきたその力は、瞬間激突する。
トモエの薙刀とキリキザンの鋭利な刃。それぞれの得物がぶつかる甲高い金属音と共に周囲に発生したのは、あまりのエネルギー故に両者の間に収まりきらなかったインパクトの波だ。
木々が呻き、葉が吹きすさぶそれは、しかし歴戦の少女たちにとっては既に日常も同然の事。

無様に悲鳴を上げることもしないが、それでも予想以上のその威力は、相手の実力を推し量るには十分すぎるものだった。

「トモエッ!」

ギリギリと鍔迫り合いを繰り広げる自身の使い魔にいち早く声をかけたのは、より使役する戦いに慣れた千枝のもの。
主の意を汲み取って瞬時に退いたトモエはそのまま、手に持った薙刀を頭上に掲げ勢いよく振り下ろす。
脳天落としの名を持つその一撃は、千枝が長らく愛用してきた必殺の一撃だ。

こうした物理技は放つだけで自身の体力を大きく消耗するのが玉に瑕だが……この相手に全くのリスクなしでは勝利を掴めないと判断したうえでの行動であった。

「キリィッ!」

逃げられぬ、と判断したか。舌打ちにも聞こえる鳴き声と共にキリキザンはその一撃を自身の両手のみで受け止める決断を下した。
果たして瞬間、クロスされたその腕の上にトモエの薙刀の刃先が一寸の躊躇もなく到達するが、爆発音にも似た衝撃を伴って接触した彼らの攻防は、先ほどのような拮抗を見せず。
千枝の身を削って放たれたトモエの一撃は、何らの技を用いずただ受け止めただけのキリキザンの身体を、彼が立つ地面一帯ごと大きく沈ませた。

「キ……リ……!」

呻きながらも、キリキザンは萎えぬ“まけんき”で薙刀の先にあるトモエを睨みつける。
だがそれに、彼女は応えない。何ら変わらぬ無表情で以て、その薙刀をキリキザンに突き立てんとする。

「させないッ!」

だが瞬間響いたのは、意識外から届いた女の声だった。
思わずそちらを振り向いた千枝は、キリキザンを使役するゼルダが千枝自身に向けて放った三本の矢を視認する。
ただの矢程度、どれだけ勢いづいていてもトモエならば十分対処が可能だが、千枝には回避も撃墜も難しい。

「お願いッ!」

焦りと共に放たれた千枝の叫びに呼応して、一瞬のうちに千枝のもとへ戻ったトモエ。
横薙ぎに薙刀を振り、放たれた矢を全て撃ち落とすがゼルダの攻撃は止むことを知らない。
チラと視線を動かせば、動きは緩慢ながらも穴から這い上がろうとしているキリキザンが視界の端に映る。

「ナイト、魔物ではなくあの女性を狙ってください!恐らくは彼女が死ねば魔物も消えるはず!」

ゼルダの飛ばした指示に頷くキリキザンを見ながら、このままではまずい、と千枝は内心で歯噛みした。
恐らくはこの戦いの中で注意深く観察をすることで、ゼルダは自分とペルソナは一心同体、文字通りの運命共同体であることに気付いたのだろう。
だからこそキリキザンを助けるという名目の中で放ったのだろう矢を未だ途切れさせることなくこちらに向け放ち続けているのだ。

どうするべきだ、と思考を巡らせる。
後数秒ほどで自身はゼルダの攻撃を躱しながら、トモエでキリキザンの相手もしなくてはならないという状況に追い込まれるだろうことは容易に想像ができる。
ただの木製で狙いもそこまでの精度ではないゼルダの矢も、千枝にとっては一本一本が致命傷足り得るのだ。何としてでも躱さなければならない。

だがそうして自身の身を案じて逃げを打っているだけではペルソナに集中を注げず、待っているのはジリ貧からの敗北だ。
キリキザンを引き付ければ或いはゼルダからの矢は誤射を恐れ止むかもしれないが、それでもトモエを一瞬でも突破されれば自分の負けである。
そして、この場で負けてしまうということは、つまり――。

(――ッ)

脳裏に蘇るは、同郷の仲間であった巽完二の最期の瞬間。
呆気なく、抗いようもなく、彼はその命を奪われてしまった。
あんな風には、なりたくない。私は、こんなところで死にたくない。

死の恐怖に打ち震えた彼女はその全身に突き抜けるような悪寒を感じ……そして皮肉にもそれによって冴えた頭が、この状況を打破しうる戦法を閃いた。

「ペルソナッ!」

キレの衰えぬ後ろ回し蹴りで、彼女は勢いよくカードを蹴り飛ばした。
はじけ飛んだ金色のカードの破片が、ペルソナに次の行動を指し示す。
主の命を受け縦横無尽に薙刀を振り回したトモエの背後から、全てを凍てつかせるような冷気を纏った暴風が到来する。

ブフーラと呼ばれるその魔法は、その場に吹雪を呼び起こす超常のもの。
予想だにしていなかったその反撃方法に、ゼルダの矢は狙いを外し彼方へと飛んでいく。
だが、千枝の反撃はこれで終わったわけではなく。

彼女の放った吹雪は矢を飲み込んだ勢いそのまま、ゼルダの元へとその冷気を届けようとしていた。

「嘘、そんな、私……!」

勝利を確信しかけていたところに予想外の攻撃を受け、思わず立ち尽くすゼルダ。
何の有効な対処も出来ぬまま、その身体は吹雪に蹂躙――されない。
ブフーラがゼルダに到来するその直前、彼女が騎士と呼ぶ僕がその身を盾にして吹雪から彼女を庇っていたからだ。

「ナイト!」

呼ばれたキリキザンはしかし、振り返るどころか鳴き声をあげる余裕すらない。
それだけの傷を負ってなお主の盾になろうとするのは、それが自分の使命であると、ただそれだけのこと。
主が誰であれ情を介在させず忠実なる僕であろうとする彼の姿勢は、ある種ドライとさえ言える。

だがしかしゼルダは彼の姿に、自身のナイトに相応しいと感じるだけの気高い精神を見た。
そして同時に、彼にこんなところで倒れてほしくない、とも。

「お願い、負けないで……私のナイト!」

必死に手を合わせ、キリキザンの背に祈るゼルダ。
果たしてその願いは――届いた。

「キリィ!」

鳴き声と共に吹雪を蹴散らし飛び出すキリキザン。
その身にブフーラによるダメージがさほど見られないのは、はがねタイプである彼にこおりタイプの技は“いまひとつ”の相性でしかないからだ。
異なる世界の異なる理の中にあってなお、キリキザンの身体は吹雪を押しのけダメージを軽減したのである。

だがそんなポケモンの相性など、魔法を放った千枝は勿論キリキザンを使役するゼルダも知る由はない。
だからこそその場にいる誰もが、『ゼルダの願いが届いた』のだと、そう思ってしまうのも仕方のない話であった。

「キリッ!」

呆気にとられた千枝を置いて、トモエの目の前にまで肉薄したキリキザンの右腕が眩く光を放つ。
まずい、と千枝は咄嗟に防御態勢へ移行しようとするが……しかしもう既にキリキザンの攻撃は完了していた。

「キリキ……ザンッ!」

「きゃあ!」

横一文字に浮かび上がる斬撃の跡は、彼の持つ“つじぎり”の一撃が決まった証だ。
トモエへと放たれたその攻撃のダメージはそのまま千枝へとフィードバックし、ただならぬ衝撃と共に彼女を後方へと吹き飛ばす。
小さく悲鳴をあげた彼女の身体はそのまま背中から勢いよく木へ打ち付けられ、そのまま重力に伴って地に落ちた。

言うなればそれは、千枝にとってはどうしようもない確かな隙。
元の世界であればシャドウに追撃を許していただろうこの状況はしかし、こと仲間もいない今に関しては文字通り命取りであった。
そして当然ゼルダも、こんな絶好のチャンスを見逃しはしない。キリキザンへと指示を飛ばし、今度こそ千枝の息の根を止めようとする。

(嫌……!死にたくない……!)

刻一刻と迫るキリキザンの躊躇なき刃を前に、千枝はどうにか延命の余地はないかと思考を巡らせる。
回避……それは叶わない。全身に迸る痛みが、彼女の行動を阻害していた。
トモエでの防御……それも駄目だろう。薙刀で防御出来れば幾らかマシかも知れないが、それでも彼女へのダメージは自分へのダメージと同義なのだから。

では、どうしようもないのか?
そう考えて再び、先ほど命を奪われた完二の姿が瞼の裏を過った。
あんな風に死にたくない。この殺し合いが始まってから幾度となく考えたそのフレーズが、限界を迎えつつあった彼女を突き動かす。

抱いた恐怖を枷ではなく糧として、千枝は痛む体を押し勢いよく立ち上がった。
今までを忘れさせるようなその俊敏な動きにはキリキザンも目を見張ったが、しかしそれで今更攻撃をやめるはずもない。
刃を研ぎ澄まし迫る彼を前に、千枝は最後の力を振り絞りカードを蹴りつける。

「死んで、たまるかぁぁぁぁぁぁ!!!」

全身全霊を込めた絶叫と共に彼女がトモエへと命じたのは、今現在の彼女が持ちうる最強の切り札。
彼女に残った体力の全てを代償として放たれたその一撃の名は、ゴッドハンド。
まさしく神の鉄槌と呼ぶに相応しい黄金の巨大な拳骨は、技を放たんと構えていたキリキザンへと刹那の後に到達する。

「キリィ!」

だがキリキザンは、その攻撃を回避しようとはしない。
どころかまるでそれを待っていたとでも言わんばかりに、その身体を白銀に光り輝かせゴッドハンドを受け止めようとする。

「行っけぇぇぇぇぇぇ!!!!」

「キリキ……ザンッ!」

瞬間、千枝の全力を込めたゴッドハンドをその身一つで受け止めたキリキザンもまた、意地で最後の技を発動する。
彼がこの瞬間まで温存したその技の名前は、メタルバースト。
自身が最後に受けたダメージを、増幅して敵へと跳ね返すキリキザンの必殺技だ。

そして、彼が最後に受けたダメージは、もう“いまひとつ”のダメージしか与えられなかったブフーラではない。
ポケモンの技相性を無理矢理はめ込むのであればかくとうタイプの――つまりはがねとあくのタイプを持つキリキザンには“ばつぐん”の効果を持つ――ゴッドハンドの一撃であった。
勿論ただでさえ高い威力を持つゴッドハンドを4倍にも増して受け止めるのは、キリキザン本人にも多大なダメージを与えるが……その分だけ、メタルバーストの威力も上昇する。

意地と意地のぶつかり合い、どちらも一歩も引かぬ頂上決戦が、そこにはあった。
どちらも満身創痍故に、どちらも負けられぬ故に、そしてどちらも自身の技に絶対の自信を持つが故に。
どちらも限界を超えてもなお倒れることはなく、限界を超えたその激突は、周囲の木々を嘶かせ薙ぎ倒させる。

「ペルソナァァァァ!!」

「キリィィィィ!!」

そしてキリキザンの身体は遂に、トモエの金色の拳に負けぬほど、否それさえも覆い尽くすほど眩く輝きを放って――。
――深夜を照らしつくす光と共に、辺りは衝撃に包まれた。




夢を……見ていた。
あの子が私よりずっと先を歩く夢。
小さいころから友達で、ずっとずっと自分より可愛くて、いつもいつも自分より皆に期待されてた女の子。

成長すればあの子に並べるかなんて思っていても、自分よりあの子の方がずっと大人になるのが早くて。
気付けばどうしようもないくらい女の子としても人間としても、彼女との距離は広がっていった。
自分が男の子みたいに無邪気に遊んでいるうちに、あの子は慎ましい女性としての礼儀作法を身に着けていて。

自分が将来をどうしようかなんて考えてもいない時から、あの子は次期女将として未来を見つめて頑張っていて。
周りの男の子が可愛いって言うのも、いつもあの子ばっかりで。
それでも自分を一番の親友だって言ってくれるあの子の存在が、嬉しいはずなのにどうしても心苦しい瞬間があって。

だから、そんな息苦しさを覚える日々の中で突然飛び込んできた“彼”は、自分にとって特別なものだった。
初めて出会った、あの子をよく知らない、私とあの子を並べて比較しない男の子。
一緒にテレビの中に飛び込んで、変なクマのマスコットに出会って命を狙われかけて、一緒に街の異変を解決しようなんて言いあった存在。

だから私はきっと、彼に惹かれたんだと思う。
これが恋とかそういう感情で言い表すべきものなのかどうかは正直よくわかんないけど。少なくとも彼は私にとって凄く大切な存在だった。
これから先何が起こったって、その気持ちと感謝に変わりはないはずだとそう思ってはいるけれど。

けれど……結局彼もあの子を選んでしまったのは、どうしようもない事実だった。
色々あってあの子も一緒に力を得て戦う仲間になった後、彼とあの子は仲良くなって、自分の知らない間にお互いただ一人だけの“特別な関係”になっていた。
あの子が私に弾む声でそれを報告してくれた時、親友の恋愛が成就した事は確かに叫んでしまうほど嬉しかった。それは紛れもない事実だ。

だけれどもそれと同じくらいに、自分の手はもうあの子に永遠に届くことはないのだろうという寂しさを抱いたのも、同じくらい誤魔化しようのないくらいの事実だった。
別に彼にあの子じゃなく私を見てほしいだなんて言うつもりはない。っていうかあの子を泣かせるような男なんてこっちから願い下げだし、そもそも彼はそんな人じゃない。
でも、それでも。二人して一斉に私を置いていかなくてもいいじゃないかって、そう思ってしまうのも、どうしようもない事実だった。

前までは私の特等席だったあの子の隣は、今や彼に取られてしまった。
前までは私と一緒に過ごすこともあった彼の放課後の時間は、今やあの子が独占して付け入る余地なんてない。
当然だよね、分かってる。彼が彼氏だなんて素敵だよね、あの子が彼女だったら、ゾッコンになるって。

でも、私はどうなるの?
二人に置いていかれたら、私は一体自分の存在意義をどこに感じればいいの?
いじめられっ子を助ける正義のヒーロー?それ私じゃないと出来ないこと?わかんないよ、私は一体何なの?

楽しくてあっという間の日々の中、いつもと変わらない仲間たちと一緒に過ごしていても、どうしてもその考えは私の裏側にずっと付き纏ってきて。
いよいよ漠然とした不安が私の声を借りて叫びだしそうになったその時に、私はこの殺し合いに呼ばれてしまった。
言われたことやこの殺し合いの意義なんかは正直わかってないけれど、少なくともこんな所で死にたくはない。

こんなところで死んだら、あの子とちゃんとお別れも出来ない。死因を勝手に霧の仕業にされて私の存在を皆が忘れていくなんてなったら、そんなの耐えられない。
放送で私の名前が呼ばれても、誰も気付いてくれないかもしれない、すぐに忘れてしまうかもしれない。
そんなの嫌だ、私はここにいる。ちゃんと生きてる。他の誰でもない私として。

それに、まだ自分が何をしたいのか、何者なのかもよくわかっていないのに、終わるわけにいくもんか。
私には誰かを殺してまで叶えたい願いなんてないけれど、それでも何も残せないまま死んでしまうくらいなら。
――私は、誰かを殺してでも生き抜いて見せる。




「……うっ」

不意に視界に刺激を感じて、千枝は目を覚ました。
仰向けのまま何とか瞼をこじ開けて空を見てみれば、先ほどよりも空は幾分か赤らみを増していた。
戦いが始まった時間から考えればどうやら少なくとも1時間以上は眠っていたらしい。

のんびりしている場合じゃないかとぼんやりとする頭を振りながら体を起こした千枝は、次に自身の身体と周囲へと目を向ける。
響く全身の痛みはどうやら、気を失う直前あの赤いモンスターが放った技のダメージによるものらしい。
周囲の木々が薙ぎ倒され周囲半径5メートルほどがほとんど更地になっていることを考えると、なるほど彼は身体の小ささに似合わぬ攻撃力の持ち主だったようだと、改めて戦慄した。

――シャドウとの戦いの中でもなかなか目にしないような威力を前にして、彼女が生きていられたのは当たり所がよかったという幸運が一つ。
そしてもう一つは、彼女デイパックの中で眠っている一つのアイテムの効果によるものだった。
守りの護符と呼ばれるそれは、何ら知覚せずとも所有者の防御力を僅かながら向上させる効果を持つ。

千枝が元の世界で使ってきた装飾品と比べても低い効果しか持たぬそれであるが、しかし結果として今それがなければ彼女の命がどうなっていたとも知れないのだから、中々馬鹿に出来ぬ代物であった。

「――って、ぼーっとしてる場合じゃ無い!」

自身の安否や周囲の惨状に気をやっていた千枝であるが、ふと大事なことに気付き声を荒げた。
彼女が気にかけていることは一つ、先ほどまで戦っていた少女はどこにいるのか。
ともかく大慌てで周囲を見渡して、ほどなくして彼女は見つけた。

木の根元を枕代わりにして未だ眠り続ける白いドレスの少女の姿を。

「……こんな子まで、殺し合いに乗ってるんだ」

足を引きずりつつ何とか少女の目の前に立ってから、千枝の口から漏れたのは同情のような響きだった。
先ほどまで命の取り合いをしておいてなんだと言われるかもしれないが、一度寝てすっきりした頭で改めて見てみると、こんな少女と殺し合いをしていたというのが何だか嘘のようだ。
眠っているだけだというのに、そまるで王子を待ち続ける眠り姫のように可憐な彼女の姿を見ていると、今がどんな状況か忘れてしまいそうになる。

「でも、殺さなきゃいけないよね。そうじゃなきゃ、いつか私が殺されちゃうかもしれない……!」

しかしそんな甘い自分を切り捨てるように千枝の口から漏れたのは、やらねばやられるかもという原始的な生存への願望と、何より死への恐怖だった。
今回は確かに自分が相手の生殺与奪権を握っているかもしれない。
だがもしまた襲われたら?最初から自分を狙えばいいと分かっている彼女を相手にして、同じような勝利を掴める確信がどこにある?

浮かび上がる様々な疑問に対して、やるならば今だと心が囁く。
それに反対しようとする正義の味方であろうとする自分を、今の自分にとっては何より生き残ることが第一だと必死に抑え込む。
生きたいという心の声のままにデイパックへ手を突っ込んだ千枝が掴んだのは、鬼炎のドスと呼ばれる一本の短刀であった。

その刀身を隠していた鞘を地面に投げ捨てて、千枝は震える手でそれを逆手に構える。
震えを抑えようと両手で握りしめるが震えは止まらず、生理的な忌避感から込み上げて来る吐瀉物は何とか喉奥に押し戻す。
自分との内なる葛藤を繰り広げながらドスを頭上へ掲げた千枝は、そのままその刃の真下に無防備な身体を晒す少女を置き、その腕を振り下ろす為大きく息を吸い込んで。

「――ふざけんじゃねぇ!」

突如背後から響いた低い男の怒声に、思わず振り返った。




数十分前、A-5エリア、研究所付近にて。
得体のしれぬ存在複数体に襲われた錦山彰は、その身体を休め思考を深めるために海へ向け歩いていた。
勿論向かう先はB-5エリアへと繋がる橋なのだが、そこへ一直線に向かえば先ほどの鳥人間をはじめとして参加者とかち合う可能性が非常に高い。

どころか向こう側のエリアに殺し合いに乗った人物がいれば一本道で襲撃される可能性だって0とは言い切れないのだから、馬鹿真面目に真正面から行くのはハイリスクであった。
なれば一度橋を俯瞰で見られる場所から観察し、横断者などの様子を見たうえで渡ればいいだろうと、そう考え敢えて海沿いに移動するルートを取ったのだが。

「はっ、ツイてるぜ。まさか橋を渡る必要すらなくなるとはな」

そうして海沿いに移動を開始して早々に、止め木にロープで繋がれている一隻の水上バイクを発見した。
白を基調としてところどころに気品を感じさせる茶を織り交ぜたその船はJetmaxと言う逸品である。
一応周囲に警戒しつつ、恐らくは誰かの支給品ではなく現地に元から置かれていた品なのだろうと当たりをつけた錦山は、これ幸いとばかりにその船体へと乗り込んだ。

備え付けられていたキーを回してエンジンをかけ、大海原へと飛び出す。
Jetmaxの凄まじいスピードによって海が水しぶきをあげ幾らかスーツを汚すが、しかしそれに付随する不快感すらも猛スピードで風を切る快感の前には無に等しい。
それでも万が一海中ないしは地上からの攻撃で海に投げ出されれば死は間違いないと、常に視線を動かし警戒を欠かすことはない。

忙しなく視線を動かしつつ、しかし挙動は小心者のそれではなくあくまでも威圧感を持って組長の威厳を周囲へと示す。
誰が見ている訳でもないが、少なくとも自分は見ているのだ。地位に恥じない振る舞いをしなくては。
殺し合いにびくついて恐怖を抱くような小物では、いつまで立っても東城会の頂点になど立てはしない。

そんな風に考えて、錦山は思わず自分自身の思考そのものが馬鹿馬鹿しいと自嘲する。
自分が憧れた風間は、こんなチンケな事を考えたこともないだろう。そんな存在であれば自分は極道なんかを志してはいなかったはずだ。
自身の地位に相応しい所作を心がけてしまった時点で、自分は極道の頂点に相応しくないと自分自身で認めてしまっているようなものではないか。

そんな自嘲を抱いて、自分自身さえ信じられなくなった哀れな不信感の塊は、聞いている方が悲しくなるような乾いた笑い声を漏らした。

(お前は一度だってこんな苦しみ抱いたことねぇんだろうな、桐生)

ただ虚しいだけの笑いを経て、錦山の思考は自身と同じ風間という看板に憧れて極道になった男の事をほぼ反射的に思い出す。
同じ児童養護施設の出で、同じ親に育てられ、同じタイミングで盃を交わし極道の道へ進んだ、かつて兄弟と呼んだ男。
その経緯故に通常極道が兄弟分と認めた相手以上に見比べられ、その度に錦山は見下された。

桐生ならこんな半端なことはしなかった、桐生なら若い奴締めるくらいは訳なかった、桐生なら、桐生なら――。
そんな風に比べられその度に見下される経験の末、いつしか錦山自身も無意識のうちに桐生と自分を比較する癖がついてしまっていた。
その度に自己嫌悪に陥り自分を信じられなくなっていくのだが……しかし長年で根付いた習慣はそう簡単に消えるものではない。

きっとあいつは自分が地位に相応しい振る舞いが出来ているかなんて下らない悩みを考えたこともないのだろうし、恐らくこれから先考えることもないのだろう。
堂島の龍などという大袈裟な異名を付けられても彼は何も変わらなかったのだから、きっとその肩書きが桐生組組長になろうが東城会会長になろうが奴は何も変わるまい。
それこそが極道の看板というものなのだろうと思いこそするが、兄弟と呼んだ男にその風格が備わっている事を純粋に喜べる自分を、錦山は既に遠い過去に置いてきてしまった。

今や自分に残っているのは、変わらなければ生きられなかった自分への無理矢理な自己肯定感と、10年を経てもあの雨の日から何も変わっていなかった桐生への嫌悪感だけだ。
自分は全てを失い全てをただの踏み台として利用することで必死に生きてきたのに、刑務所の中にいただけの桐生はその芯の部分を何も変えないながらもそれでも確かな箔がついていたから。
それを察したのか、自分の組にいたはずのシンジも、風間組の柏木さんも、ずっと組のために頑張ってきた自分よりも帰ってきたばかりの桐生を持て囃し看板として持ち上げようとした。

まるでそれは、今までの10年間必死に足掻いてきたこと自体が無駄だったのだと、そう言われているようで。
だから錦山はもう桐生と兄弟ではいられなくなって、彼と兄弟の縁を絶った
これ以上彼と比べられ続け見下され続ける人生は、あまりに惨めだったから。

(だってのに結局自分で自分を桐生と比べてるんじゃ、救いようがねぇ)

深い溜息と共に、自身の中に募る苛立ちを吐き出す。
どうしようもなく混線する思考をはっきりさせたくて、少しでも桐生のことを忘れたくて、彼の身体はひたすらにニコチンを欲していた。
流石に両手を離して水上バイクの上で吸うわけにはいかないかと、錦山は適当な陸地を見つけそこに上陸する。

ロープで船を安定させることも忘れることなく久しぶりに地に足着いた錦山は、木々の中に身を隠しながら思い切りその肺に煙を吸い込んだ。
肺を満たし血管を駆け巡る快楽物質によって薄れていく苛立ちが、曇った思考を晴らしていく。
ようやく冷静な思考を取り戻した爽快感と共に息を吐き出した彼は、瞬間とある違和感に気付いた。

(……誰かいんのか?)

それは、深い森の中で動く何者かの気配。
微かに聞こえる音から察するに、息を潜めてこそいるが恐らくこちらに気付いているわけではあるまい。
逃げるべきかと考えて、寧ろ奇襲するべきではないかと冷静な自分がその声を制する。

そうだ、自分は無力な狩られる側の弱者ではない。寧ろ狩る側であり利用する側の強者なのだ。
自身を鼓舞しながら手元に拳銃を手繰り寄せた錦山は、なるべく音を立てぬよう気をつけながら気配の元へと足を進める。
そしてそれから目標を見つけるのに、さほどの時間は要しなかった。

何故ならすぐに彼は、まるでそこだけ切り取られたかのように半径5メートルほどの範囲の木々が薙ぎ倒された空間を見つけたのだから。

(これ、戦っててこうなったってのか?やっぱここに来てる奴はただもんじゃねぇらしいな……)

明らかに人智を越えた破壊の跡は流石の錦山と言えど戦慄を禁じ得なかったが、それで怯むほど錦山は伊達に修羅場を潜ってはいない。
油断なく周囲に気を配りこの惨状を生み出した張本人を探して、見つける。
魘されながらもその瞳を閉じ眠りこくる二人の少女の姿を。

(……マジかよ)

今度こそ、錦山は絶句する。
嶋野組の組長である嶋野太や桐生のような大男が全力で戦い合えばこれだけの被害がもたらされるというのも――それでも正直苦しいが――理解出来る。
だが実際には、恐らくこれだけの惨状を森に翳したのは年端もいかない大凡高校生ほどの女であるということは、錦山の常識からすればあまりに考えがたく。

思わず言葉を失った錦山はそのまま、この隙に得体の知れない彼女らを殺した方がいいのではないかと囁く自分の心の声を聞いて、しかしすぐに頭を横に振った。
極道を舐めたケジメをつけさせるというのならともかく、何の恨みもない堅気の寝込みを襲って殺すほど錦山は腐り切ってはいない。
少なくともここで彼女らを殺したところで自分の地位は上がらないのだし、どころか女子供相手にこうまで卑怯な真似をしたとあってはむしろ自分の格が下がろうというもの。

(まぁ、そうと決まれば奴らが起きる前にさっさと撤収するべきか)

思考を終え、触らぬ神に祟りなしと錦山は彼女らに無干渉のままその場を立ち去ることを決意する。
だが、息を潜めゆっくりと後方へ下がろうと立ち上がりかけたその瞬間に、状況は再び動き出していた。
小さく呻きながら、片方の緑ジャージの少女が起き上がったのである。

(クソ、面倒くせぇな)

聞こえぬように舌打ち一つ鳴らして、錦山は仕方なくその場に再び座り込む。
幸いにしてこちらへ向かってくる様子は一切見られないし、恐らくはそれだけの余裕もないらしかった。
であれば少しの間やり過ごせば勝手にどこかに行くだろうし、最悪また閃光玉を使えば安全に離脱することが出来るはずだ。

出来ればこんな被害をもたらせるような相手とタイマンでやりあいたくはないなと心中でごちた錦山を尻目に、緑ジャージは一人で大声をあげて周囲をキョロキョロと見渡していた。
どうやら気絶する前に戦っていた白いドレスの少女を探しているらしいそれは、殺し合いの殺伐とした空間の中ではあまりに慌ただしく悪目立ちしている。
誰かが気付いてこちらに向かってくるようなことにならなければいいが、と眉をしかめる錦山の事情は露ほども知ることなく、緑ジャージは覚束ない足取りで白ドレスのもとへ歩み寄っていった。

それに従って錦山と緑ジャージの距離も遠く離れ、離脱したとして気付かれ得ないだろうだけの距離を確保する。
さてそれでは後は逃げるだけだとその場に背を向けようとして、錦山の耳に一つの声が届いた。

「でも、殺さなきゃいけないよね。そうじゃなきゃ、いつか私が殺されちゃうかもしれない……!」

緑ジャージの漏らした声に、錦山の眉がピクリと動いた。
思いがけず彼女の動作を観察すれば、自身のデイパックからドスを取り出して、白ドレスの胸の真上で構えている。
震える手を押さえ、小さく嗚咽を漏らし、鼻を必死に啜りながら。

「……は?」

思わず漏れた声と共に自分の中に沸き上がった感情の波が何に起因するものなのか、錦山自身にもよくわからなかった。
悲しみとは違う。目の前で誰が誰を殺そうと今更錦山の凍った心は動くことなどないのだから。
少女の身を案ずる正義でもない。白ドレスの女に錦山は借りなどないし、殺し合いを打ち砕くなんて大言壮語を馬鹿真面目に信じるほど愚かでもないからだ。

だからそう……それを敢えて言語化するのであれば、それはただ純粋な怒りだった。
目の前で見知らぬ女が見知らぬ女を殺そうとしている。
ただそれだけのことがなぜだか無性に腹立たしくて、気付けば彼は思い切り立ち上がっていた。

「――ふざけんじゃねぇ!」




突如背後から聞こえてきた声に、千枝はほぼ反射的に向き直る。
茂みの中に隠れていたのだろう声の主はオールバックに高そうな白のスーツという、正直言って厳つくてあまり関わり合いになりたくないタイプだ。
だが、思わず顔を顰めてしまったのは男の風体だけが理由ではない。

今この状況が、自分にとって非常にまずいことを感覚的に察していたからだ。
ふざけるな、と怒鳴り込んできた男は恐らく、自分が白ドレスの女の子を殺そうとしたのを見ているはず。
であればきっと自分が殺し合いに乗っているのも分かったうえでそれを止めようとする人種なのだろうと、何となく推察できる。

相手がどんな能力を持っているのかは分からないが、この傷ついた体ではもう碌な戦闘も出来るまい。
というよりペルソナを呼べるだけの体力も既に怪しいのだから、男の手札次第では詰んだと言っても過言ではなかった。
だがそんな風に冷静な思考が自身の生の終わりを告げていても、千枝の本能は未だ貪欲に自身の生存を求めていて。

どうしようもなく泣き出したくなる気持ちを押して、それでも千枝は男へと向き直っていた。

「あんた一体――」

「――お前、その女殺そうとしたのか」

虚勢を張って何とか絞り出した千枝の声は、小さくしかし確かな威圧感を誇る男の声に遮られた。
その声に秘められた怒りや苛立ちの感情があまりにも重くて、千枝はそれに応じるしかなくなってしまう。

「……そうよ、殺さなきゃ逆に私が殺されちゃう。だから私は、生き残るためになら殺しだって――」

「お前、人を殺すってのがどういうことなのか分かってんのか……?」

びくり、と身体が自然に強張る。
先ほどよりも声のトーンも声量も下がっているというのに底冷えするような錯覚を覚えるのは、決して勘違いではあるまい。
思わず言葉を詰まらせて俯いた千枝を前にして、男は怒りに飲まれたようにわなわなとその肩を震わせる。

「殺さなきゃ殺されるだぁ……?人殺しなんかしなくても生きていけるようなガキが、生言ってんじゃねぇぞ……!」

ふつふつと紡がれる男の言葉は、しかしその実千枝に向けられていないようにも感じられて。
ただその気迫に飲まれて、彼女は一切の口をはさむことが出来ない。

「人を殺すってのはな……すげぇ怖ぇことなんだぞ!それ背負う覚悟もねぇ奴が、こっちの世界に中途半端に足突っ込もうとするんじゃねぇ!」

ビリビリと、空気が震える。
そして同時、千枝をいたわる気持ちなどない、ただ怒りをぶつける為だけの男の怒声を前に、彼女は思わずその場にへたり込んでしまう。
シャドウとの戦いだ心の闇だとごちゃごちゃ言っても、千枝は所詮田舎で育った世間知らずの一女子高生だ。

元々友人の死で不安定になった千枝の心に、大の大人が全力でぶつける負の感情はあまりに荷が重すぎた。
故にただ目の前の男が怖くて、自分がどうしたらいいのか分からなくて、千枝の感情が崩落しただその場で泣き出してしまうのも、無理はなかった。

(私だって人を殺す覚悟なんてないよ、ないに決まってるよ!でも、でも殺さなかったら、逆に私が――)

泣きじゃくりながら、声には出せないながらも心の中で千枝は男に対し必死に抗議する。
人を殺す覚悟など、ないに決まっている。元々そんな殺伐とした世界で生きてきた訳ではないのだから、それは当然ではないか。
だが、そんな風に駄々をこね周囲へ責任を転嫁しようとする自分がいる一方で、彼女は今男に吐かれた言葉にどこか正当性を感じているのも、確かだった。

(このままじゃ何もかも中途半端なまま……それは、確かにその通りだ。だったら私は、私は――)

溢れ出てくる涙が一旦の終わりを迎え、千枝は頬を伝う雫を必死に袖で拭いながら自分が次にどうするべきなのかを考える。
あんなことを言われた今となっては、今更白ドレスの少女を殺すことも出来はしない。
かといって一人では抱いたこの疑問に答えが出ないのも事実……となれば、些か突拍子もない答えではあるが、取るべき手段は一つしかないと、彼女は自分の中に結論づける。

(考えるな感じろ、だよね……!)

思案を終えた千枝は、真っ赤になった瞳にしかし再起の炎をたゆらせて勢いよく立ち上がる。
思い切りがいいのが自分の良いところなのだ。であれば悩んでいる時間など、もう無駄なだけではないかと。
いつの間にか姿を消した男を追って、千枝はその足を必死に動かし始めた。




(ガキ相手に何ムキになってんだ俺は……)

一方で、目の前で泣き出した少女に居心地の悪さを感じその場を後にした錦山は、一人自分の行いを恥じていた。
この10年間で人の生き死には山ほど見てきた。自分が誰かを殺すのは勿論、誰かが誰かを殺すのだって、数えきれないほど無感情に流してきたはずだった。
なのに、なぜ今更あんな小娘が見知らぬ女を殺そうとする程度のことにあそこまで腹が立ったのだろうか。

堅気が堅気を殺そうとしていたから?緑ジャージの女に殺しの覚悟が足りないから?
もし仮にそうだったとして、それを偉そうに説教できるほど自分は出来た人間ではないだろう。
極道が誰かを叱るだなんて笑い話もいいところだと、自分も心の中では分かっているはずなのに。

ただそれでも目の前で行われる凶行をどうしても止めたかった理由があるとすれば、彼女に過去の……あの雨の日の自分を重ねてしまったからかもしれない。
愛する女が襲われたと知って単身で組に乗り込んで、つい感情のままに一線を越えた、あの日の自分。
情けなく兄弟に泣きついて、妹のこともあるのだからと罪を被ってもらって泣きながら茫然自失の由美を連れ帰ったあの日のことを、嫌でも思い出したのかもしれない。

(チッ、なんでったって今更あんな昔のことを……!)

全ての過去を捨て振り切った今となっても尚あの日を思い出すたびに、錦山は甘ったれたかつての自分自身に反吐が出る思いを抱く。
自分で自分のケツも拭けない極道モドキだと言われても、何も返す言葉がないとさえ思う。
だから、そんな自分の過ちが目の前でもう一度繰り広げられるようにさえ思えて、錦山は緑ジャージの女にらしくなく怒りを露わにしたのかもしれなかった。

(クソ、だとしてもイカレてるぜ。あんなガキに必死になるなんて、ダセェッたらありゃしねぇ)

未だ聞こえてくる泣きじゃくる女の声にいい加減苛立ちが天井を突破しそうになった錦山は、早急にこの場から離れようとその足を速めた。
逃げだなんだと罵られようが、取りあえず距離さえ離せばこの苛立ちも収まるだろうと、そう考えて。
そうだ、取りあえず歩きながら煙草でも吸えば良い。そうすれば先ほどのように思考の靄も消えるだろう。

「待って!」

だがそうして懐から煙草の箱を取り出した瞬間に、背後から追いかけてきたらしい緑ジャージの少女に呼び止められた。一瞬奇襲かとも思ったが、その様子はない。
であれば今更何のようだと気怠げに振り返って、どうやらやはりもう戦意はないらしいことを確認してから、錦山は重い口を開いた。

「……何か用か」

「ねぇ、さっき言ってた『こっちの世界』って、やっぱあんたってヤクザ……なの?」

「……だったらなんだ」

溜息と共に吐かれた消極的な肯定の言葉を受けて、少女は数巡するように視線を泳がせて、辿々しい口調ながら何とか言葉を紡ごうとする。

「その、私、正直いきなりこんな事に巻き込まれてどうすればいいのかよく分かんなくて、そもそも死ぬとか殺すとか以前に、自分は何なのかとかも正直よく分かってなくてそれで――」

「――言いたいことがあるならさっさと言え。鬱陶しい」

「だ、だから――!」

あからさまに苛立ちを見せた錦山を前にして、少女は意を決したように一つ唾を飲み込んだ。

「私、あんたに付いていっても……いい?」

「あ?」

今度は、錦山が言葉を失う番だった。
今の流れでそうなるか普通?と思わず突っ込みたくなるような感情を抱いてしまったからか、彼の口から漏れた声には幾分困惑が混ざっている。
だがそんな錦山を見て何を勘違いしたか、少女はお願いしますと深く頭を下げこちらに懇願している。

(何考えてんだ、この女……)

率直に言って、錦山が抱いたのはそんな困惑だ。
極道としての自然な振る舞いとして堅気の人間と距離を置いてきた錦山にとって、こんな状況とは言え頭を下げて同行を求められるとは思っていなかった。
正直なところ面倒な上ガキを連れていると知れれば他の組員ないし東城会の人間に舐められる可能性もある故、躊躇なくその申し出を断るべき……なのだろうが。

(クソッ、よりによってなんでこんな時に、こんな奴に――)

目の前で必死に縋ろうとする少女の姿に20年前の、風間に必死で懇願し極道の道へ進むことの許しを得ようとした、かつての自分たちが重なって見えた。
より正確に言えば、自分よりもずっと風間のような極道になることに憧れ、雨に打たれ涙を流しながらずっと懇願し続けた桐生の方が、近いだろうか。
何度殴られても、何度怒鳴られても、一切曲げない意志でひたすら頭を下げ続けたあの日の桐生が目の前の少女と重なって見えて……錦山は遂に彼女へ背を向けた。

同時、背後で少女が息を呑む声が聞こえたが、構わないとばかりにそのまま置き去りにしようとして。
それからすぐに、深く、深く溜息をついた。

「……付いてきてぇなら勝手にしろ」

短く述べた許諾に対し、緑ジャージは小さく……されどどこか嬉しそうに頷く。
面倒な奴に関わってしまったと思いこそすれ、しかし少なくともこの同行にはメリットも多いとも錦山は感じていた。
少なくとも腕は立つようだし、単身で動いていないことで先ほどの鳥人間たちとの間にあったようないざこざも避けられる。

最悪鉄砲玉か肉壁代わりにすることも出来るのだから、理由こそ分からないものの同行者が出来るというのは無駄ではないはずだ。
少なくともそうした算段に基づく冷静な行動だったのだと自分に言い聞かせなければ、錦山は自分自身がどうにかなってしまいそうですらあった。

「ねぇ、あんたの名前何て言うの?私は里中千枝!」

そんな錦山の複雑な心情も露知らず、緑ジャージは聞いてもいないのに名乗りを上げる。
さっきまでのしおらしげな様子はどこへ行ったんだと思わなくもないが、ともかくそれを言ってもどうにもならないかと、観念したように錦山は一つ息を吐いた。

「……錦山彰」

「錦山さんかぁ、わかった」

確かめるように繰り返す緑ジャージ……千枝を横目で見やりながら、錦山はやっぱり付いてきてもいいなんて言うべきじゃなかったと頭を掻いた。


【B-4/森/一日目 黎明】

【里中千枝@ペルソナ4】
[状態]:ダメージ(大)、疲労(大)
[装備]:鬼炎のドス@龍が如く 極
[道具]:基本支給品、守りの護符@MONSTER HUNTER X、ランダム支給品(0~1個)
[思考・状況]
基本行動方針:殺さないと殺される、けど今の私じゃ、殺す覚悟もない……
1.取りあえずは錦山さんと一緒に行動してみる。
2.その最中で“自分らしさ”はどこにあるのか、探してみる
3.自分の存在意義を見つけるまでは、死にたくない
4.願いの内容はまだ決めていない


【錦山彰@龍が如く 極】
[状態]:健康
[装備]:マカロフ(残弾8発)@現実
[道具]:基本支給品、セブンスター@現実、閃光玉×2@MONSTER HUNTER X
[思考・状況]
基本行動方針:人を殺してでも生き残り、元の場所に帰る。
1.なんだってこんなガキと俺が一緒に……
2.取りあえずはこの場から離れることを優先に考える。
3.このまま徒歩で移動すべきか、Jetmaxで海上を行くべきか……




「おいグレイグ、そろそろ例のクレーターに着くぞ、気をつけておけよ」

「それはこっちの台詞だ」

互いに短く声をかけながら、グレイグとクロノは深い森の中を進んでいく。
彼らがこうして拠点とも言えるハイラル城から森へと駆り出してきたのは、城のすぐそこの森に一部分不自然な更地があるのに気付いたからだ。
むしろ何故それだけ近くてこれだけ発見が遅れたか、と言われればその理由はグレイグの負傷の手当が予想以上に手間取ったことにある。

最後こそクロノが協力したものの、そもそも城内のガーディアン全てを一手に引き受けて戦っていたグレイグの受けたダメージは、無視出来るほど甘くはなかった。
グレイグは平気だと手当を拒もうとしたが、英雄を目指すクロノにとって目の前の負傷者を野放しで放置することは到底出来ず。
とはいえクロノ自身回復魔法を使える訳でもなかったので、城中をかけずり回り使えそうな救急道具をかき集めようやくグレイグを治療し城の上階から周囲を見渡して……とそこでやっとすぐ近くの森の異変に気付いたのである。

(グレイグを手当してたことが無駄だったなんて思わないけど、もし誰か死んでたら、俺は――)

城から俯瞰で見ただけの感想ではあるが、その更地が作られてから1時間ほどが経っているようだった。
恐らくは自分たちがガーディアンに手間取っている間に戦闘が繰り広げられていたのだろうとは思うが、それを言い訳にして犠牲を享受出来るほど、クロノは大人ではなかった。
もしもこれだけの短時間で、誰かがこんなふざけた催しの犠牲になってしまっていたら。

そう考えるだけで、クロノの心は悔しさと殺人鬼へのどうしようもない黒い感情で押し潰されそうになる。

「大丈夫か」

だがそうして思わず胸を押さえたクロノに対し、彼を案ずる声が一つ。
ハッとして見上げれば、そこには足を進める速度は緩めないながらも確かにこちらを不安そうに見つめるグレイグの姿があった。

「……ふふっ」

「……?何故笑う」

「いや、ごめん。礼を言うよ、グレイグ」

「……?」

困惑するグレイグを瞳に映しながら、クロノは自分の中に沸いた負の感情を振り払う。
少なくとも自分はこの男の命を救い、今この瞬間共に殺し合いを打破する為協力しているのだ。
グレイグ自身の人柄が善良なことも勿論なのだろうが、それでも自身の命を投げだそうとしていた男がこうして自分を案じてくれているということに、クロノは無性に喜びを感じた。

そうだ、これから先どうなるかよりも、今目の前で救える命を一つ一つ救うこと。
それこそが自分のなりたい英雄になるために必要なことではないのかと、クロノは無駄な迷いが消えたような心地を感じていた。
どこかくすぐったいような心地を覚えたクロノはそのまま足を進めて、それからすぐに目当ての場所へ到達した。

「こりゃ酷いな……」

漏れた言葉は、その場の惨状に向けられたもの。
深く生い茂った森の木々はその一帯だけ全て薙ぎ倒され、それによって大きく開けてしまっている。
どれだけの力を放てばこんな大木が倒れるのだ、とその場に起きたのだろう戦闘の凄まじさを感じ取りながら、クロノは確かに今殺し合いを行っている参加者がいるということを理解した。

「――おい、クロノ!こっちだ!」

あんな得体の知れない存在の言葉に踊らされて、まんまと誰かを殺そうとする存在への言いしれぬ感情を何とか噛み砕いていたクロノの思考を呼び覚ましたのは、グレイグの焦燥を含んだ声だった。
まさか誰かの死体が、とどうしようもない不安と共に声の出所へと向かえば、そこにいたのは白いドレスを着た少女が仰向けに倒れ伏す姿。
まるで眠り姫のような可憐なその寝顔に、クロノはどうしても嫌な想像を膨らませてしまう。

だがそんな彼を前にして、グレイグはその右手の平を否定の意を込めて左右に緩く振った。

「安心しろ、生きてる。ちょっと疲れてるみたいだけどな」

グレイグの言葉を待っていたように、すぅすぅと小さく寝息を立てる少女。
取りあえずは命が失われていないということにほっと胸をなで下ろして、クロノはグレイグへと小さく頷いた。

「一旦、お城へ戻ろう。彼女を手当して、事情を聞かなきゃ」

「わかった」

クロノの意見に反対する理由もないと小さく肯定したグレイグは、そのまま少女をその大きな背中におぶる。
グレイグ自身の背はともかく硬い鎧は些か寝心地が悪そうだが、それも仕方あるまい。
少しの間辛抱してくれよと小さく少女へ向けて謝罪して、彼らは再び拠点である城へと歩き出していった。

――彼らは、知らない。
自分たちが救った少女が、とある願いの為殺し合いに乗った張本人だと言うことを。

――彼らは、知らない。
自分たちが拠点としたハイラル城が、彼女にとって産まれてから100年以上を過ごした我が家以上の場所であるということを。

――彼らは、知らない。
元よりハイラル城に配置されていたガーディアンの存在がなくなったことで、もし仮に目覚めた彼女と戦いになれば、地の利はより圧倒的にあちらにあるということを。

そして……少女、ゼルダが目覚めた時、彼女は何を思い彼らに何が起きるのか。
――それはまだ、誰も知らない。


【B-4/森/一日目 黎明】

【ゼルダ@ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド】
[状態]:ダメージ(中)、疲労(中)、気絶中、グレイグに背負われている
[装備]:オオワシの弓@ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド
[道具]:基本支給品、木の矢×5、雷の矢@ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド モンスターボール(キリキザン)@ポケットモンスター ブラック・ホワイト
[思考・状況]
基本行動方針: 殺し合いに優勝し、リンクを100年前の状態に戻す。
0.(気絶中)
1.今のリンクは、騎士として認めたくない。
2.最初の会場でダルケルと目が合った気がするけど、そんなはずは…。
【備考】
※キリキザンは今“ひんし”状態です。時間経過で回復するかは後続の書き手さんにお任せします。

【グレイグ@ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて】
[状態]: ダメージ(小)、ゼルダを背負っている
[装備]: グレートアックス@ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて 古代兵装・盾@ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド
[道具]: ランダム支給品(1~2個)
[思考・状況]
基本行動方針:主催者に抗う
1.元の世界の悲劇は俺のせいだ……。
2.この少女(ゼルダ)を城で手当しなくては。
※イレブンが過ぎ去りし時を求めて過去に戻り、取り残された世界からの参戦です。イレブンと別れて数ヶ月経過(マルティナの参戦と同時期)しています。
※元の世界の仲間が参加していることを知りません。


【クロノ@クロノ・トリガー】
[状態]: 健康
[装備]: 白の約定@NieR:Automata
[道具]: ランダム支給品(1~2個)
[思考・状況]
基本行動方針: 英雄として、殺し合いの世界の打破
1.少女(ゼルダ)を手当した後、目が覚めたら事情を聞く。
※ED No.01 "時の向こうへ"後からの参戦です。
※元の世界の仲間が参加していることを知りません。


【全体備考】
※Jetmax@Grand Theft Auto VがB-4エリアの森付近に止められています。また、同アイテムは支給品ではなく現地設置品でした。
※Jetmaxのような海上バイクが他にも設置されているかは後続の書き手さんにお任せします。



【Jetmax@Grand Theft Auto V】
値段が高い為限られた人の為にあるラグジュリアスボート。
ゲーム内最速のスピードと驚異的な加速力を誇るボートでもある。
基本的にボートは4人乗りだが、このボートは2人しか乗れないので注意。

【守りの護符@MONSTER HUNTER X】
防御力を上昇させる御守り。所持しているだけで、岩石のごとく皮膚が硬質化する。
防御力アップ効果は正直気持ち程度のものではあるが、持っているだけでいいので気付かない内に命を救われていることも。

【鬼炎のドス@龍が如く極】
嶋野の狂犬、真島吾朗が愛用するドス。
『このドスを生み出した刀匠は、業界において"決して彫ってはならないとされる鬼炎"を彫り込んで仕上げた後、自ら鍛えたこのドスでもって動機不明の自害を遂げた』という逸話がある。


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040:その男、龍が如く(前編) 時系列順 044:6つの『B』
041:奪う者たち、そして守る者たち(前編) 投下順 043:Bullet & Revolver
039:Danger Zone 錦山彰 061:初心に振り返って
038:Don't forget it is the Battle Royale 里村千枝
ゼルダ 050:時に囚われし者たち(前編)
026:二つの世界の対比列伝 クロノ
グレイグ

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最終更新:2021年01月17日 17:18