いまむら よしお
姉がビートルズのファンだったことから、音楽を意識するようになる。
中学時代に器楽部でギターを始め、フォークに触れる。
高校時代にはブラスバンドでサックスを始めたが、そこではクラシック寄りの楽曲を演奏していた。
大学時代は光ファイバーの研究をしていたほか、この時期にジャズに目覚めたという。
さらに20歳ごろから市民オーケストラに参加したが、編成上サックスの出番はあまりないために打楽器も始めた。
遅くとも1978年には
タイトーに入社。
1979年11月にリリースされた『ルナレスキュー』のコーヒーブレイク時の音楽がデビュー作にあたる。
またこの頃に、常時BGMが流れる史上初のゲームとなる『バルーンボンバー』(1980年3月リリース)も手掛けた。
なお、『
スペースインベーダー』のサウンドを手掛けた亀井道行氏とは「今ちゃん」「亀ちゃん」と呼び合う仲である。
1981年頃、
タイトー初のサウンド開発部門となる第5研究室が発足するにあたり、責任者となった。
任された理由は、今村氏以外に五線譜を読んだり書いたりできる人間が他にいなかったため(『
スペースインベーダー』で知られる西角友宏氏を除く)。
第5研究室の創設メンバーは下記の三名だった。
- 今村善雄
- 小野
- システム全般を担当
- 長期に渡りタイトーサウンドを支えたサウンドエディタ(SED)を開発
- 田中
今村氏は、小野氏と田中氏こそが同社のサウンドシステムを構築したとしており、のちのZUNTATAを語る上で忘れてはいけない二人としている。
上記の3人体制だったのは1年半ほどであったらしく、1983年には
八木下直人氏や
君島正氏、中途で
小倉久佳氏が入社。
今村氏は彼らの制作環境を強化する側になり、SJシステムで力不足となり始めていたAY-3-8910(PSG)からMSM5232への移行を提案。
YM2151(OPM)を使用するためにヤマハとの交渉も試みたが、営業的な問題があったらしく、採用タイトルは僅かとなっている。
ZUNTATAが発足した際には初代リーダーを務め、サウンドチームと会社との間を取り持った。
のちにネオジオにも搭載される音源チップであるYM2610(OPNB)は、今村氏がヤマハに希望した仕様を元に生産されたものである。
エンソニックが、カラオケ事業の関係でOTIS音源(のちにF3システムなどに搭載される)を提案しに来る頃までは、サウンドに在籍していたとのこと。
1990年ごろ 、西角氏の後任として引き抜かれ、コンシューマ部門の責任者に。
メガCD版『
ニンジャウォーリアーズ』や『
ナイトストライカー』などでプロデューサーを、家庭用『
パズルボブル2』などでディレクターを務めた。
2000年ごろには、サミー株式会社のAM開発本部 開発一部 部長として、『ギルティギア2 (仮称)』(のちの『
ギルティギアX』)の発表をしていた。
ZUNTATA25周年となる2012年にメッセージを寄せた際にはジョイテック株式会社の取締役とあり、少なくとも2016年まで 努めていたが、現在は離れている。
2020年のインタビューでは、オーケストラでの打楽器奏者を続けていると発言していた。
担当作品の一例
- ルナレスキュー (コーヒーブレイク時の音楽の作曲)
- バルーンボンバー
- アルペンスキー
- ワイルドウエスタン
- バーディキング (安田伸が作曲したテーマ曲のデータ化を含む)
- ジャングルキング
- エレベーターアクション
- ちゃっくんぽっぷ
- THE運動会 (小倉久佳と共作)
- 忍者ハヤテ (サウンドディレクター)
- 宇宙戦艦ヤマト (LDゲーム)(高橋栄吉、なかむら司らと共にサウンドエフェクター)
- タイムギャル (サウンドディレクター / 小倉久佳と共にメインテーマ演奏参加)
- バブルボブル (スペシャルサンクス)
- コンチネンタルサーカス (スペシャルサンクス)
- チェイスH.Q. (八木下直人、高橋栄吉らと共にサウンドデザイン)
- エンフォース (スペシャルサンクス)
代表的な曲
外部リンク
最終更新:2024年12月20日 23:35