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概要
4コマ=個
根本的な4コマの概念を考察する場合、構成や筋書きといった要素を削ぎ落としていくことにより、「枠が4個、別個としてある」状態が露わとなる。その「4」という個数に焦点をあてると、4コマが「あることがらを4つに分隔した状態」であると仮定することが出来る(それが枠線であるか否かに関わらず )。
純粋な4コマの枠の状態に対して考察する場合、ある図形や固形を「4つに分割した状態」と捉えることが出来る。また、再帰して旧来の4コマ漫画をみれば、ストーリーを「4つに分割した状態」とみなせる。
こうしたことから、4つに分割されている、もしくは4つに分割することが可能であることが自明である状態を表現出来ていれば、それは4コマである、と帰納させる。すると、4コマであることを明示するには、単に4個数の状態を表せればよいと判明するのである。ここに、4コマを広義とした場合の領域拡張がなされたのである。
展開
分割
約分、割り切り
4という整数に完全に割り切れ、如何にその内訳があれど、4に集約できる場合は4コマである、という考え。40コマ、400コマでも4コマである。小数点に行っても理論上は等分は可能であるが、大きな単位でみた場合の方が有意と認めやすいだろう。
面積派
視力が主張。ある場合に対して一定の総和を「4コマ分」であると基準を規定し、そこから加減のない場合は変わらず4コマであるとする考え。必ずしも4つに分かれていなくとも、総量が基準内であればよいとする。
総量を保持の上という但し書きはつくが、粘土のように増減させた場合に最終的に4個数にすることが出来れば、提示された段階で4個数への分割が見られずとも4コマである点が数理派といえる。
文字列
いとととは区切り4コマにおいて、3つの中点などによって分裂して、4要素に分かれている任意の文字列(例えば2つのミドルネームを持つ人名などが該当)について、画像でない文字情報であっても4コマとみなすことができると考えた。
他方、4文字数で構成された単語は一文字一文字を区別せずとも独立した状態が「4個」となるため、区切りがなくとも4コマといえる(例:藤岡弘、)
カテゴライズ
ある要素複数が属して括られる集合が合計4個ある場合、属する要素の個数が幾らであろうと4であるとする方程式的な発想の理論。4つの集合に属しているという面で、「配置派(4コマっぽく配置されていれば4コマであるとする考え)」もここに含有される。
ざく切り4コマ
区切り4コマでは、既存の分割物が4コマであることが注目され、示唆された。しかし、4要素に分割したものが4コマであるという考え方に立つ時、そもそも分割が有意でなくてもよいのであり、無作為な切り離しによって構成しても4コマであることには変わりない、とする気づきを指摘した。
数理派に関するいとととの原始的理論である「4つに割ったらなんでも4コマ」という思想に立ち返っている(後記)。
コマ派・4派
視力により提唱された批評において用いられた分類。2023年上半期、批評黎明期の見解であるため、主観的でやや狭義のきらいがあるが、現代4コマを4コマの分解運動であるとして細分に詳明したことへの評価は高い。
現代4コマにおける追求運動の対象を「コマ」という構造の要素、「4」という実存の概念といった二元に分類し、その中で、「コマ派」内ではコマという単位及び分割形の探求、「4派」内では4という数量への分割法のアプローチで細分されることを示唆した。
トランプはこの評について、形而下的要素を汲んだ場合でも、基底が4コマで決定してある以上は4への分割を避けることはならないので、結局本質的な探究は形而上的にならざるを得ないのではないかと懐疑的に批判している。
なお、数理派が扱う領域は、実存主義的領域における「4の状態の希求」である。
理論家の発言
4つに割ったらなんでも4コマだよ
—— いととと、2021年8月6日
4つに割ることができるなら8コマだろうが40コマだろうが4コマって言い張れる
—— トランプ、2021年8月6日