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少女たちの青春診療録 ◆EAUCq9p8Q.



☆玲


「ええっ!? 小籠包がバクバク美味しくて今日は緊急回鍋肉!?」

「はは、また盛大に聞き違えたな」

  アルミ製のキッチンカウンター越しに、ふわふわとした少女と快活な女性が言葉を交わす。
  少女は、喋った内容のなにがそんなに恐ろしかったのか、口元に手を当ててわなないている。
  その様子を見ながら、女性は豪快に笑ったあと、少女の聞き間違いを訂正した。

「小学校が爆発事故で、今日は緊急放校。つまり、今日はもう終わりってこと」

「終わり?」

「ああ。学校も終わり。玲には悪いけど、食堂も終わり。危ないからさっさと帰れってよ」

  玲と呼ばれた少女は、説明でも事態を把握できなかったらしく、少しの間ぽかんと口を開けて止まった。
  玲は、この食堂が好きだった。
  料理は全部美味しいし、食堂の調理師である女性も接しやすくて大好きだった。
  時々高校に遊びに来るときは決まってこの食堂を利用していた。
  今日も学校の様子を見るついでにここで食事をしようと考えていたのだが。
  よく見れば、いつも元気よく立ち込めている煙もない。人も少ない。いい匂いもしない。
  つまり、本当の本当に、今日ここで料理は作られないのだろう。
  残酷な世界の真理に気づいてしまった玲は、がっくりと項垂れ、声にならない声を上げた。

「もうだめだあ~……」

「まあ、気を落とすなよ。これ上げるからさ」

  落ち込んだ玲を見かねてか、調理師の女性はカウンター越しにタッパーを手渡した。
  >*肉じゃが を手に入れた。
  受け取った玲の手に、ぬくもりが伝わってくる。
  こっそりタッパーの蓋を開けてみると、とってもいい香りがあたり一面に広がった。

「今日の賄いの残り。俺が作ったのだから、金はいらねえよ。その代わり白ご飯はつかないけどな」

  玲が顔をあげると、女性はやはり笑っていた。でも、今度はとても優しい笑顔だった。
  玲もつられて笑い、大きくお辞儀をする。

「ありがとう、つばめさん!」

「じゃあな。変なもの食べて腹壊すなよ」

「うん! つばめさんも、おなか、気を付けてね!」

  つばめと呼ばれた女性は、手を振りながら食堂を後にする玲を見送った。




  食堂を出た後、玲はそのままふらふらと校舎のほうまで歩いてきていた。
  放校というのはどうやら本当らしく、校舎内はすでに人が居なかった。
  一人ぼっちで廊下を進んでいると、掃除道具の入っているロッカーがあった。
  こっそり隠れてみた。誰も通りかからないけど、なんだかすごくドキドキした。
  教室に忍び込んでみると、誰かが置いていった勉強道具があった。
  中身はちんぷんかんぷんだけど、椅子に座って机に教科書を広げて黒板を眺めていると、本当に高校生になれたような気がして、とても嬉しかった。
  思うままに、無人の高校を堪能していると、ふ、と遠くからかすかな人の声が聞こえてきた。
  声に導かれて窓際に寄り、校門に面した窓ガラスに触れる。
  心地いい冷たさが指先から伝わってくる。
  でも、目に入った光景は、全く心地良くなかった。
  皆、皆、家に帰っていた。
  皆が、高校に居る玲を置き去りにするみたいに、校舎から離れて行っていた。

「……」

  胸が苦しくなる。
  知らないはずの何かが、頭の奥で疼いている。
  振り返ると、さっきまではなんともなかった校舎の中がとても薄ら寒いものに思えた。
  二秒、三秒。少しだけ立ち止まり。

「……桃本、心配してるかな」

  誰にも聞こえないつぶやきが長い廊下で反響する。
  その反響すら、玲にはなんだか不気味に聞こえた。
  玲が立ち尽くしていると、無人の校舎にベルが鳴り響いた。

  その音を聞いた玲は、弾かれたように走りだした。
  何も居ないのに何かに追われるように。
  いや、『何も居ないこと』から逃げるように。
  来た道ではなく、皆が向かっている校門に向かって。

  しばらく、人の流れに乗って歩いてみた。
  耳をすませば爆発事故についても情報が聞こえてくる。
  『小学校の屋上が爆発した』。
  『小学校のグラウンドが爆発した』。
  少しすると『山の方でなにか大きなものが居た』なんてのも混ざり始めた。
  不思議な事もあるなあ、と思いながら、コンビニで買ったアメリカンドッグを食べながら道を歩く。
  別に行き先は考えていない。
  桃本の待つさいはて町への帰り道は、『ここにあるといいなあ』と思ったところにいつだってあった。
  だから、気が済むまで散歩して、その後で帰ろうと思った。
  あっちへぶらぶら歩き、そっちへふらふら歩き。
  時々コンビニで食べ物を買い食いしながら、街の中を文字通りぶらつく。
  数十分もそうしただろうか。
  もらった肉じゃがのタッパーがすっかり冷えきったことを知り、そろそろ帰るかと思って路地を曲がった時、玲はとても不思議な少女に出会った。

「どうしたの? お腹痛いの?」

  蹲っている少女に駆け寄り、声をかける。
  返事はない。
  大丈夫かと尋ねても、何かあったなら話を聞くと提案しても、少女は、ずっと蹲ったままだ。
  耳を澄ませば、くすんくすんとしゃくりあげるような嗚咽が聞こえる。
  よく見れば、小さな肩も震えている。
  そこでようやく、玲はその少女が、泣いているのだと気づけた。
  予想していなかった展開に、ややたじろぐ。
  道端で蹲って泣いている人を見るのは(少なくとも玲にとっては)生まれて初めての事だった。
  奇人四天王が居る、と桃本が言っていたが、彼女もまたその一人なのかもしれない。
  『土下座ウォーカー 立川』なんて名前ならば桃本にも負けない衝撃を与えられるだろう。

  そんなインパクト重点な出会いに少々面食らいながらも、やはり玲は少女に声をかけ続けた。
  玲が置いていけば、彼女はきっと、独りぼっちになってしまう。
  玲の中で、それは、なんとなく嫌な話だった。
  それに、一人ぼっちで泣くのはとても辛い。それだけは、なぜだかはっきりと分かった。
  できることはないかもしれないけど、側にいてあげたい。
  きっとそれは、見ず知らずの玲にだって出来ることのはずだから。
  声をかけてみた。背中をさすってみた。
  何をしても、少女はずっと泣いたままだった。

  どうしようもなくなって、少女の側に座り込む。
  体の動きに合わせて、玲のふわふわな髪が揺れる。蹲った少女の前でふわりと踊る。

「輝子さん―――?」

  その髪に、顔を上げるだけの何かを感じ取ったらしい。
  そこでようやく少女が顔を上げた。
  少女の顔は、涙で濡れていて、よく見れば土や砂利で汚れていて。
  でも、とても可愛らしい、地面に頭を突いて泣くのなんて似合わない、そんな顔だった。
  突然の展開に、お互い少し言葉を失う。
  数秒見つめ合い、先に口を開いたのは玲だった。

「……ごめんね、輝子ちゃんって子じゃないんだ」

「……すみません、友達に、似ている気がしたので。まったく、似てなんかないのに……」

  そう言って、少女は立ち上がり、服についた汚れを気にすることもなく、どこかに向かって歩き出した。
  玲は慌ててその少女を追い、追いながら、コンビニで買ったフライドチキンを差し出す。

「なんですか」

「美味しいよ」

「いりません」

「でも、美味しいよ」

「美味しかったら、なんなんですか」

「……美味しかったら、私は、嬉しい……かなあ」

「知りません。ついてこないでください」

  突き放すような言葉が、玲に向かって投げつけられる。
  言葉こそ穏やかなものだが、そこに込められている気持ちは、『拒絶』以外にない。
  それでも、玲は彼女の後を追い、彼女に対して食べ物を差し出し続けた。

「チキンが駄目なら、肉じゃがもあるよ。肉まん、フランクフルト、たこ焼き、唐揚げ、アメリカンドッグ……」

  玲はこういう時、なんと言えばいいのか知らなかった。
  人を励ます方法がわからなかった。

  頑張って、なんて無責任な言葉は言えない。少女はきっと、頑張って、頑張って、それでも駄目だったから泣いているのだから。
  元気を出して、なんて言えればいいんだけど、そんな言葉で本当に元気が出るなら彼女はこんなに傷ついていない。
  だからただ単純に自分がしたいこと、されたいこと、元気になれるだろうことをするしかなかった。
  そして、どんなことをやってでも、一人ぼっちの彼女を、一人ぼっちのままにはしたくなかった。

  少女を追い、数メートルもついて歩けば、ついに怒号が飛んできた。

「ついてこないでくださいって言ってるじゃないですか!」

「でも……」

「迷惑なんです! なんなんですか、さっきから!!」

  跳ね除けるように腕が振るわれ、差し出していたフライドポテトが道路に散らばる。
  少女はまた泣いていた。まだ泣いていた。
  可愛らしい顔を怒りで歪めて、真っ赤な目が玲を睨みつける。
  その気迫に、縮こまりそうになってしまうが、それでも、玲が引き下がることはなかった。

「でも……泣いてばっかりだと、悲しいよ」

「貴女には関係ないじゃないですか!」

  玲の反論とも言えない反論に、少女が声を荒げて食らいつく。
  そして、堰を切ったように少女の瞳から大粒の涙が溢れた。

「関係ないじゃないですか……なんで、一人にしてくれないんですか」

  ぼろぼろと音が立つくらい、真珠くらいに大きな涙が、少女の服に吸い込まれていく。
  ずっと涙を吸っていたであろう襟首は、すでにふやけてぐしゃぐしゃだ。
  大きな涙が頬をつたい、もう一粒、また一粒と襟首に落ちる。
  それを見るたび、なんだか、少女の心も涙を吸って、ふやけて崩れていくみたいで。
  玲は堪らなくなり、声を上げた。

「だって、だって! だって……関係ないなんて、ないよ」

  説明はできない。少女と玲にどんな関係があるかなんて、玲にも分からないのだから。
  それでも彼女を見過ごせない。
  心のどこかが、すっぽり抜け落ちている何かが、玲にとって大切な部分が、彼女を見捨てることを良しとしない。
  灰色の世界に囲まれて、一人で泣いている彼女を見捨てれば、玲はきっと後悔する。死にたくなるくらい後悔する。
  頭よりも心よりも深い場所が、玲にそう伝えていた。

  怒鳴る力をなくしてまた泣き出した少女の顔を、コンビニで貰った紙ナプキンで拭く。
  土汚れを丁寧に拭きとれば、やっぱり、少女は可愛かった。


  泣き崩れてしまった少女の涙を拭き、背を撫で、呼吸が整うまで側に寄っておく。
  すんすんと鼻をすする音だけが、ふたりきりの灰色の世界に水玉模様を飾っていった。
  だんだんと、音が消え、灰色の世界が帰ってくる。

「見苦しいところを見せちゃって、ごめんなさい」

「なにかあったの?」

「なんにもありません。貴女には関係のないことです」

  泣き終えた少女は、もう取り乱すようなことはなかったけれど、それでも可愛い顔には似合わない仏頂面のままだあった。
  なんにもなかったら泣かないよ、なんて切り出せる状況ではないというのは玲にもなんとなく理解できた。

「ボクは帰ります。よくわからないけど、ありがとうございました」

「あ、ま、待って!」

「……今度はなんですか」

「こ、こっち! こっちに来るといいことあるかもよ!」

「え、ちょっと……なにを」

  再び一人ぼっちになろうとした少女の手を強引に取り、歩き出す。
  玲ではあまり彼女の力になれなかったけど、桃本ならなにか力になってあげられるかもしれない。
  桃本のいる場所にたどり着くことを願いながら、近くの曲がり角を曲がる。
  曲がり角の先に願いどおりにあった標識を通り抜け、入り口をくぐる。
  入り口の先にあったのは、高校や路地よりも見慣れた景色。
  屋根の上に乗った人、河の中に住んでいる人、車もないのに交通整理している人、新作を推敲するアーティストたち。
  さいはて町、まんなか区の住宅街だ。


【???/さいはて町 住宅街/1日目 夕方】

【玲@ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:街で日常生活を楽しむ。聖杯戦争を終わらせたくない。
1.泣いている少女(幸子)をなんとかしたい。
2.とりあえず桃本に会いに行く。
[備考]
※聖杯戦争についてはある程度認識していますが、戦うつもりが殆どありません。というか、永遠に聖杯戦争が続いたまま生活が終わらなければいいとすら思っています。


輿水幸子@アイドルマスターシンデレラガールズ】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]
[所持金]中学生のお小遣い程度+5000円分の電子マネー
[思考・状況]
基本行動方針:―――
0.―――
[備考]
※ランサー(姫河小雪)、フェイト・テスタロッサ&ランサー綾波レイ)、
 キャスター(木原マサキ)、バーサーカー(チェーンソー男)を確認しました。ステータスは確認していません。
※商店街での戦闘痕を確認しました。戦闘を見ていたとされるNPCの人となりを聞きました。
※小梅と輝子に電話を入れました。
※『エノシマ』(大井)とメールで会う約束をしました。
 また、小梅と輝子に「安否の確認」「今日は少し体調がすぐれないので学校を休む」「きらりを見かけたら教えて欲しい」というメールを送りました。






  道路は血に濡れていた。
  周囲は傷跡でいっぱいだった。
  警察、救急、いろんな人が集まっていた。
  電信柱の側には小さな花束が添えられていた。
  呆然と立ち尽くしている間に、現場は、見違えるほど変わっていた。

  テレビ局の報道員が寄ってたかって現場を映し、カメラに向かってがなり立てる。
  『凶刃現る』。
  『夕闇を切り裂くチェーンソー』。
  『女学生を襲った悲劇』。
  文面こそ違えど、それぞれが誰かの死を、センセーショナルな言葉で飾ってはやし立てている。

  ここに何が居たのか、絵理も知っている。
  チェーンソー男が居た。
  そして、誰かを殺した。チェーンソー男が、誰かを。
  再び、世界に悲しみが刻まれてしまった。
  絵理はその予兆に気づいていながら、間に合うことができなかった。

「……」

  どん、と人の波に身体が押され、絵理はそこでようやく我を取り戻した。
  そして、自身の中に渦巻く感情をまとめ上げ、一つの決意に変える。

  もう、白坂小梅に頼ろうだなんて言っている場合ではない。
  聖杯戦争という催しについても、チェーンソー男の出現の変化についても関係ない。
  野放しには出来ない。これ以上被害者を出してはいけない。
  被害者が出てしまった以上、なんだかんだと言い逃れてはいられない。
  倒さなければならない。
  チェーンソー男を見つけることが出来るのは、絵理だけなのだから。




  いつもよりも早い帰宅を知らせる戸の音に答える人は誰もいない。
  家の中は、いつも通り空っぽだった。
  慣れてしまった閑散とした空気に少しだけ感傷を抱きそうになるが、頭を振って弱気な心をはじき出す。

  とりあえず、気を落ち着けるためにコーヒーメーカーのスイッチを入れて、コーヒーを沸かす間に準備を整える。
  ナイフの数を数え、刃の状態を確認し、ガーターに仕込む。
  ついでにタンスの奥にしまっておいた『あれ』を取り出す。

「使わせてもらうね、山本くん」

  ビニールに包まれたままの、冗談みたいな鎖帷子に袖を通す。
  なんだか重いし、脇が窮屈な感じだし、サイズは合ってない。
  歩けばかすかに音がなる。悪目立ちしそうだ。
  それに、相手の武器はぎゃんぎゃん唸りを上げて高速回転をするチェーンソーだ。
  もし真正面から切りつけられればこんなちゃちな市販の鎖帷子程度で防げるわけがないだろう。

  でも、いい。
  役に立たなくたっていい。
  重くたって、動きにくたって、構わない。
  こんな下らないものでも、大切な人がくれた宝物だ。
  あの日以来、他人がくれた唯一の誕生日プレゼント。絵理にとって、この世界に残された、唯一の形ある幸福だ。

  チェーンソー男と戦ってきてなんとなく分かっていたことがある。
  チェーンソー男は、絵理が落ち込めば落ち込むだけ強くなっていく。
  絵理のテストの成績が下がると強くなる。
  絵理に後ろめたいことがあると強くなる。
  そして、絵理が前向きになればなるだけ弱くなる。
  山本と一緒に居るようになってから……正確には、山本のことを絵理が意識するようになってから、チェーンソー男はその力を弱めていっていた。
  どういうわけかは知らないが、奴の強さは絵理の精神状態に左右されているらしい。
  それは、聖杯戦争やサーヴァントという白坂小梅が齎した情報よりも確かな、絵理自身がつかんだ情報だ。信憑性は高い。

  だったら新たに悲しみを刻ませてしまった今、チェーンソー男はどれくらい強くなっているだろうか。
  ひょっとしたら、絵理の身体能力では既に勝てないくらい強くなってしまっているかもしれない。
  チェーンソー男は強い。
  今までだって強くて、追い返すのが精一杯だった。
  その上さらに強くなった奴を倒すとなると、ただ戦うだけでは絶対に無理だろう。

  だから、身にまとう。
  絶望を押し隠すように。
  ちょっとの悲しみでは傷つかないように。
  そして、これ以上あいつに好き勝手させないように。
  雪崎絵理は、持ちうる限りの幸福で武装して、この世の果てで待ち受ける悲しみに立ち向かう。
  その幸福こそが、『鎖帷子』なのだ。冗談みたいな話だが。
  少し考え、制服の上に鎖帷子を着込み、その上からジャケットを羽織って見る。
  制服の下に着込もうかとも思ったが、鉄の輪が肌に当たる感覚がどうにも気持ち悪かったからやめにした。
  大切なのは着ているという事実だ。
  着たままの状態で少し体を動かしてみる。
  ちゃき、ちゃき、ちゃりん。
  動くたびに、鉄同士の擦れる音がする。なんだか本当に、馬鹿みたいだ。

  準備が終わってキッチンに戻れば、丁度コーヒーが出来上がっていた。
  コーヒーを飲み干し、マグカップを洗う。
  こんなこと、する意味があるかどうかはわからないけど。
  でも、もし帰ってこれなくなった時、最後に思い出すのが洗えていないマグカップのことだなんて結末は考えたくない。
  水を切り、食器用布巾で残った水を拭き取り、元あったように食器棚へと戻す。
  並んだマグカップはくすんで見えた。絵理を取り巻く世界は、あの日から止まったままだった。
  少しだけ弱ってしまった心に活を入れるように頬を叩き、心残りがないかを確認しなおし、大事なことをしていないと思いだした。
  靴を脱ぎ、ダイニングまで戻って手元にあった便箋に筆を走らせる。
  何を書こうか少しだけ迷ったけど、ありのままを書くことに決めた。

  突然の出来事で申し訳ないという謝罪から始まり。
  突然チェーンソー男のルーチンが切り替わったこと。そのせいで被害者が出てしまったということ。
  絵理はこれから、決着をつけるために戦いに行くということ。
  一緒に戦ってくれたのにそれなりに感謝していたということ。
  山本と一緒にすごした日々は、馬鹿らしくもあったけれどとても楽しかったということ。
  そして最後に、絵理の好きな相手についてで締め、筆を置く。


  手紙の内容を、会って話したり電話で伝えられたりしたらどれほど楽かはわからない。
  返事を聞ければ、チェーンソー男をもっと弱らせることだってできるかもしれない。
  でも、もし、絵理のありのままを伝え、山本にそのありのままを否定されてしまえば、絵理はそのまま悲しみに負けてしまうだろう。
  だから会わない。最後だからこそ、会わない。
  もし口で伝えたいなら、すべて終わった後でいい。

  靴を履き、家を出る。
  夜になれば山本が来るかもしれないから、鍵は閉めない。

「いってきます」

  空っぽの家に向けて声を掛け、背を向ける。
  以降、振り返ることはなかった。
  振り返ればきっと、幸せの中に別の感情が混ざってしまうから。
  家の中は、幸せなあの日の続きを待つように、あの日のままで。
  そして、ただひとつだけ、彼が読んでくれるかもしれない手紙を、あの日以降に積み上げられた恋という名の『幸福』を残して。

  絵理はまとわりつこうとする悲しみを振り払うように力を振り絞り。
  ただ、ただ、目的地に向けて駆けた。

  目的地はもう分かっている。
  今日何度も起こっているような突発的な出現とは違い、夜の日課の時のように。
  チェーンソー男が今夜現れる場所が、いつもどおり予め感覚でわかる。
  道なりに進んで。
  ふたつ目の信号を右。
  目についた路地に入って。
  真っ直ぐ進む。

「行き止まりです」

  程なく行き止まりに辿り着いた。
  しかし、絵理には分かる。
  チェーンソー男の現れる場所はこの『行き止まり』の先だ。
  直線で突っ切れればと思って最短コースで来たが、回り込む必要があるかもしれない。
  一応、側に居た不思議な生き物(工事現場のマスコットかなにかだろうか)に尋ねてみる。

「この先に、用があるんだけど」

「しょうがないにゃぁ……いいよ」

  標識のそばに浮いていたよくわからない生き物が道を譲れば、壁だったはずの場所はぽっかりと口を開けた。
  目の前には、変わらず商店街が広がっている。
  どういう原理かは分からない。
  でも、チェーンソー男なんてものが居るんだ。壁によく似た扉があってもおかしくない。

  扉を潜り抜けた先、血のように赤黒い夕焼けに染め上げられた商店街を駆け抜ける。
  向かう先は当然、奴が居ると感じている場所だ。
  夜の帳が降りれば、その場所にチェーンソー男は現れる。
  そして、その時、絵理はまた戦うのだ。
  悲しみを振りまくチェーンソー男と、青春を賭して。



  ちっぽけな幸福で着飾った死にたがりの青春が、決着に向けて走りだす。



【???/一日目 夕方/さいはて町 商店街】

【雪崎絵理@ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ】
[状態]魔力消費(?)、ショック(大)、決意
[令呪]残り三画
[装備]宝具『死にたがりの青春』 、ナイフ、鎖帷子
[道具]スマートフォン
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:チェーンソー男を倒す。
1.チェーンソー男との決着を。
[備考]
※チェーンソー男の出現に関する変化に気づきました。ただし、条件などについては気づいていません。
※『死にたがりの青春』による運動能力向上には気づいていますが装備していることは知りません。また、この装備によって魔力探知能力が向上していることも知りません。
白坂小梅&バーサーカージェノサイド)を確認しました。真名も聞いています。
※記憶を取り戻しておらず、自身がマスターであることも気づいていません。
※もしかしたらルーラーも気づいてないかもしれません。
※聖杯戦争のことは簡単に小梅から聞きました。詳しいルールなどは聞いてません。
※出典時期はチェーンソー男が弱体化したあと~山本の転校を聞く前です。



☆★☆☆☆★


  目と耳を塞いで朝日から逃れ。
  射した西日をカーテンで遮り。
  膝を抱えて俯こう。
  壁に体を預けよう。
  うつ伏せになって息苦しさを覚えよう。
  世界の誰にも見えぬ傷口を治すために。
  世界に向かってもう一度踏み出せるようになるために。

  最果ては、いつかの昔に立ち止まってしまった人のためにある。
  チェーンソーの刃は怖いけれど。
  世間は金にうるさいけれど。
  それでも、見守ってくれるその世界は。
  傷を治せる唯一の病院で。
  傷を増やさない唯一の殻で。
  傷と向き合える唯一の町だ。

  目の前で大切な誰かを失った少女。
  遥か昔に大切な誰かを失った少女。
  どこかで誰かを失ったままの少女。

  少女たちは最果てへと至る。
  これから先、いつか傷を癒やすために。
  尊い人を思いながら、千年の喪に服すために。


☆★☆☆☆★



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最終更新:2020年06月28日 00:25