1:

 ゴッサムシティと言う大都市は、ある意味で奇跡の都市と換言しても間違いはなかった。
国内外問わず、治安や住民層の悪さは音に聞こえ、特に労働格差など、ゴッサムシティと言う街の在り方を変えねば是正出来ない程に深刻なものだ。
この街を根城、或いは支社とするマフィアやギャング、ジャパニーズ・ヤクザなどと言った裏社会の組織やグループの数は数百を超え、
此処に構成員が寡数からなる弱小の組織やグループを含めると、最早警察や行政ですら統計不可能な数値になると言う。
ゴッサムに血が流れず、銃弾が一発も放たれない日などない。今日も何処かで、人知れず誰かが闇に葬られている。
この街で人が死ぬのに、表の住民も裏の住民も関係がない。誰でも等しく、死ぬ手筈は整えられてあるのだ。

 諸人は言う。ゴッサムは合衆国の中でも有数の超経済都市であると。経済規模だけで見れば、ニューヨークや東京、ロンドンに香港と言った世界都市にも比肩すると。
事実である。この街にはウェイン・エンタープライズを筆頭とした世界的にもメジャーな大企業が幾つも存在するし、最近では日本の医療福祉の超大手、
ユグドラシル・コーポレーションの誘致にも成功している。マンハッタンもかくやと思わせる程に建ち並ぶ高層ビルの数々は、この街の経済の隆盛の証だった。
夜になれば百万ドルどころか、百億ドルにも手が届かんばかりの夜景を演出するこの街は、今の四十から五十代の大人が子供の頃に夢見た、
近未来の大都市のモデルケースそのものだろう。……その一方で、この街には先述したような是正不可能なレベルにまで開いてしまった、
経済格差と言う問題が横たわっており、名のある企業に勤めるサラリーマンと低所得者の収入の差は、年々無慈悲に開いて行く。
低所得者は当然住む場所が限られ、ホームレスや浮浪者が横たわり、悪酔いした酔漢の吐いた吐瀉物が其処らに見られるスラムで生活する他なく、
生活も風化しかけた砂漠の只中の岩柱の様に不安定であるから、非合法かつイリーガルな商売に手を出す者も多い。麻薬の売買や売春である。
ゴッサムの治安や住民層の悪さは、この街を根城にする犯罪組織のせいばかりではない。広がり続ける経済格差、これに対して手を打てない行政、資本主義をストイックに追及し過ぎる企業もまた、この街の悪評を助長させるに足る原因であった。

 しかしそれでも、ゴッサムはあの悪名高い荒廃都市デトロイトの二の舞になる事がなかった。
その事は、現在進行形でこの街のGDPが向上中である事や、国外の名だたる企業の誘致が成功している事からも窺える。
街の惨状に嘆き出て行く者もいる一方で、出て行った人の数とほぼ同じ数の、外からやって来て定住する者も存在する。
この街の実態が広く知られていながら、何故この街に夢を託して足を踏み入れる者が多いのか。それは、誰にも解らない。
最も良い解釈は、この街には、人を惹きつけてやまない魔力めいたものが漂っているのだろう。思考停止極まりない考えだが、それが一番自然だった。
犯罪都市の悪名を轟かせて居ながら、確かな経済が息づき、荒廃と無人とが無縁の街。だからこそ、奇跡の都市なのであった。

 ゴッサムは最近になって、子供の教育と言う領域に力を入れ始めた。
今の時代を生きて行くのに相応しい、賢明な子女の教育に寄与したい。行政に携わる者の声明だった。実に、尤もらしい。
その教育に与れる人物に、低所得者やストリートチルドレンが含まれていない事を見ぬフリすれば、だが。
教育格差の問題はさておいて、その試みは現状成功していると言っても良かった。
犯罪都市と言う悪名を抱えて居ながら、ゴッサムのハイスクールやカレッジに入学を希望する海外の学生が、後を絶たない。
これらの教育機関自体が、優秀なのである。行く行くは、ハーバードやMIT、イェールと言った名門大学と肩を並べる日も近い。

 音もなく、一台の車が車道の脇に止まった。
自動車に対する関心が他国とは一線を画すアメリカは愚か、それ以外の国でも衆目の目線を一度に集めてしまいそうな、黒光りする漆黒の高級車。
メルセデス・ベンツのSクラスクーペである。スタイリッシュなエクステリア・インテリアデザインは若者の感性を魅了し、その値段は頭金が余程ない限りは手持ちの現金は当然の事、十年以上のローンを組まされる事などザラな程に高価なドイツ車だった。

 男女の目線が、ブラックダイヤの様に妖しく光り輝くベンツの車体に注がれる。
そんな沈黙なぞ知った事かと言わんばかりに、乗車していた者が後部席から外に出、歩道に佇立しながら道を歩く人々を一瞥する。殆どの者は年の若い学生であった。

 ――愚図ばかりか――

 尊大な態度と足ぶりで、車から出て来た者が闊歩する。その様子を見るや、ベンツは車から出て来た者から遠ざかって行く。学生達が、目を逸らす。
この二十一世紀に時代錯誤も甚だしい黒マントを羽織った、見事なブロンドのツインテールの少女だった。それに、若い。
周りの学生達の多くは二十歳にも満たない年齢であり、色恋沙汰や青春を謳歌出来る年齢だと言うのに、彼女は、彼らよりも若そうに見えるし、実際若かった。
しかして、赤縁の眼鏡の奥で光る碧眼は、青春を満喫するだけの学生には到底持ちえない、抜身の刀に似た鋭い光を湛えており、非常に威圧的だった。
そして極め付けが、彼女の胸中であった。彼女の――ゴッサム大学で教鞭を振う若き考古学の教授、ミュカレにとって、愚図と言う言葉は、この大学に通う全ての学生全ての教職員の事を指している。

 目線の先に、ゴッサム大学の正門と、その先に広がる本校舎と広大な敷地が広がっている。
多額の金を駆使して最新の設備を備え付け、学生や外来からの留学生を驚かせるような近未来的でスタイリッシュな建築様式を建築家に依頼し、
憩いの場としても活用してもらえるよう緑も学園内の敷地のあらゆる所に植え付けて。これ以上下らない場所など、果たしてあるのだろうか。
街のイメージを良くしようとブラッシュアップを欠かさず行い、学生から金を集める事に腐心し、教える事も真新しい事など何もない。
ミュカレにとってこの大学は、小賢しい豚が自らの餌を工面する為だけに建てた地獄としか映っていなかった。
それでも、この大学に通い何かを得ようとし、この大学で教鞭を振う事を生きがいとする教授もいると言うのだから驚きだ。これを、愚図と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。

 このような場所になど、本当の事を言えばミュカレは足を運ぶ事は愚か、大学の威容を目にする事もいやな程だった。
であるのに彼女がゴッサム大学にこうして赴く訳は、聖杯戦争の戦略上重要な事だと考えていたからだ。
一言で言えばミュカレは、迂闊に大学をサボタージュ出来ない。何故ならばミュカレは、有名人であるからだ。
ゴッサム大学と言うコミュニティの中で著名であると言うだけでも彼女にとっては致命的なのに、大学の外でも有名人であると言う事実が拙かった。
彼女の名が知れ渡っていると言うのは無理からぬ事だった。何せ二十歳にも満たない年齢で大学教授、その上考古学と言うメジャージャンルの権威の一人である、
と言うのだから名が知れていない訳がない。つまり、彼女が大学を休む――正当な理由であっても――、と言う事は少なくない影響を及ぼすのだ。
大学内に聖杯戦争の参加者が潜んでいないとも、限らない。大学を休んだ結果、足がついてしまう、と言うつまらない事態だけは避けたい。
今の所学内にサーヴァントの魔力や、魔力を有した生徒や教職員は確認出来ていないが、アサシンが気配遮断で潜んでいたら流石の彼女らもお手上げだ。
結局、参加者である事が露呈しない一番確実な方法は、聖杯戦争など知らないと言った顔で日常を送る事である。全く反吐が出る話だが、だ。

 正門をくぐり、大学の敷地内をミュカレは歩く。
耳を澄まさなくとも、彼女に対する愚痴が聞こえて来た。年下の癖に偉ぶっている、生意気である、可愛げがない、服装がおかしい、外見的特徴が多過ぎて逆に没個性だ等々。
陰口を叩くのならば声をもう少し絞れと言いたくなる。驚くべき事にこれらの愚痴は学生だけならばまだしも、
教職員も口にしているというのだから、ミュカレにしてみれば救いようがない。彼らの不満の原因の殆どは、彼女の年齢が原因であった。
若造が上の地位に立つ事を、ロートルや、その若造と同年代の世代が嫌うと言う事は、古今東西変わりない。異世界のゴッサムでも同じであるらしい。
若くしてゴッサム大学の教授の上に、考古学界の権威と言う、絵に描いたようなサクセスストーリーぶり。今時小説の登場人物の設定にするのも勇気がいる程の完璧さだ。
これで、嫉妬をするなと言う方が、考えてみれば無理な話なのかも知れない。

 ――つまらんものに囚われおって……――

 地上における、仮初の立場や経歴などと言ったものに執着するからこそ、自分がお前達の救済に乗り出さなくてはならなくなったのだと声を大にして言いたかった。
肉体とは魂を閉じ込める牢獄とは、洋の東西問わぬあらゆる宗教が説く所であるが、実際問題ミュカレから見てもその通りであった。
痛みを嫌がり、飢えに苦しみ、寒さや暑さに辟易し、疲労も無限に蓄積する。肉体とは彼女にとって、要らぬ苦しみだけを保証する邪魔な汚物に過ぎない。
これらの苦しみから逃れようと、より上位の快楽を求めようと、人は高い地位を求め、限られた地上の富を掻き集めようとする。
馬鹿げたサイクルだ。世界中の人間が、ヴァルハラや浄土、至高天(エンピレオ)や崑崙、エリュシオンにイデア界と言った言葉で比喩した世界。
即ち霊的世界に魂を昇華させると言う事以上の快楽など、果たして存在するものか。いや、ない。

 やはり、プネウマ計画は聖杯の奇跡を以て成就されなければならないようだ。
尤も、今更百人や千人、いや、地球上の全人類がミュカレに対してプネウマ計画に『否』を叩きつけようとも。彼女はこの計画を推し進めていただろうが。

「おやぁ、誰かと思えばミュカレ教授ではありませんか」

 聞き覚えのある声が、ミュカレの背後から聞こえてくる。
暗く、湿った、如何にも陰険そうで、人付き合いと言うものをあまりして来なかったであろう事が窺える、男の声だった。

「……気安く話しかけるな、サフィール教授」

 貴様になど興味がない、とでも言葉の最後に付け加えそうな程に、如何にも無関心そうな語調でミュカレが言った。

「……そんな態度を貫いているから、天与の才能の割に、大学で孤立するのではないのですかねぇ?」

 歩調を速め背後の男がミュカレと並んで歩く。
蓮華の花が咲き誇ったかのような特徴的なデザインの襟を持った上着を身に付けた、灰色の髪をした男。
サフィール・ワイヨン・ネイス。このNPCの名前である。機械工学を学んでいながら、遺伝学にも関心を示している事で有名な、科学者精神に溢れる教授だ。
著した論文を戯れ程度に目を通した事があったが、愚図の集まる大学の中ではまだマシな研究をしているようだった。
特に工学分野でありながら、クローンや遺伝子組み換えと言った分野については、其処らの理科系の学院生の遥か上を行く見識を持っている事は間違いなかった。この大学で研究をするよりは、この男はゲゼルシャフトの方が向いているだろう。

「我は孤立しているのではない、孤高の存在なのだ。友人もいない貴様と一緒にするな」

「ムキー!! 私だって孤高の存在なんですよこのお子ちゃまめ!!」

 ミュカレに強かに痛い所を突かれた為に、サフィールはムキになって怒り始めた。
彼女の事を子供扱いするサフィールであったが、この怒り方では、どちらが子供なのか解ったものではない。とても三十を過ぎた男の怒り方ではなかった。

 世間と言う下らぬ凡俗のフィルターから通してみた場合、間違いなくサフィールと言う男は優秀であったが、この男には何故か、友人がいなかった。
同じ教職員で良くつるむ姿も見た事がないし、学生から慕われていると言う噂も聞かない。
上位次元の存在が、地上の人間にこの男を好くな、と命令していると思わなければ理解に苦しむ程度には、友達が少ないのだ。
本人もその事は気にしているらしく、其処を突っ込まれると、ご覧の様な反応を取る。

 そんなサフィールが、何故かミュカレに突っ掛る理由は、色々ある。
他の者達が抱いている嫉妬や敵愾心も、ひょっとしたらあるかもしれないが、サフィールに言に曰く、ミュカレは自分に似ていると言う。
大学と言う目立つ場所でなければ不愉快さを紛らわす為に殺されていた事を、サフィールは知る由もない。要するに、親近感を抱いていると言うのだ
お前と一緒にするな、とミュカレは本人に何度も言っている。確かに彼女は学内でも私生活でも一人でいる事の方が多い人物だが、
それは単に彼女のコミュニケーション能力が低いと言う訳ではなく、聖杯戦争に際して他者との繋がりは最低限度のものに限らせておきたいと言う考えがあるからなのだ。
それを、協調性や同化性が今一育まれていない為に、集団から孤立していると思われるなど、心外にも程があると言うものだった。何も知らぬとは言え、つくづくサフィールと言う男は失礼極まる男だと、内心でミュカレが腹を立てている事を彼は知らない。

 特徴的な襟をした男と、黒マントを羽織る少女が並んで歩く。その様子は宛ら仮装行列か何かを思わせるだろう。
これが生徒であったのならば随分奇抜なファッション、若さゆえの誤った自己表現で片がつくかもしれないが、よりにもよって教授からしてこれである。
ゴッサム大学の理事会も、さぞや頭を痛めているに違いなかろう。……ただでさえ、学内で精力的に活動している者達についての問題も抱えていると言うのに。

「……最近はやけによく見るな」

 冷めた目で、ミュカレは前方を見つめている。十人以上の男女が広い通路の真ん中を陣取っていた。
この街の腐敗ぶり、ギャングやマフィアの横行、ゴッサム大学の理事会の金の汚さやスキャンダル等々。
リーダー格と思しき、頭にバンダナを巻き、サングラスをかけた髭面の男が、拡声器で上にあげた事を主張している。
バンダナの男の部下と思しき男女が、道行く学生にビラを配っている。サークルが開催する学内イベントの宣伝とは違うのは、一目見ても明らかだ。
彼らは皆、その腕に『黒い蝗を模した腕章』をつけていた。

「グラスホッパー、と言う奴ですか。最近はよくニュースになってますねぇ。私は興味はありませんが」

 その名前はミュカレも知っている。知らないでは済ませられなかった。目下警戒中のグループであるのだから。
悪徳と衆愚の街ゴッサムに突如として現れた、警察とは別の自警団、グラスホッパー。
今やゴッサムに住まう住民で、この一団の事を知らない人間は、ニュースペーパーをゴミ箱からあさる事も出来ない程衰弱した浮浪者かホームレス位のものだろう。
それ程までに、彼らは名が知れていた。新聞やテレビでその活躍を見る事もあったし、代表取締役の犬養なる男のインタビューも見た事がある。
目覚ましい活躍ぶりだし、版図を広げるその手腕も大したものであった。余程優れたブレーンが存在するのだろう。或いは犬養自身が優れているのか。
何れにせよ、グラスホッパーは魔法を使っているかのように、彼らは瞬く間にゴッサムシティにその名前を轟かせ、その注目を一身に浴びる存在なのだった。

 ――この大躍進ぶりを警戒しないようでは、聖杯戦争の参加者として生きて行く価値はまずないだろう。
明らかに異常である。並み居るマフィアやギャングの妨害にも屈さず、名声と地位を倍々ゲーム的に高めて行く。それ自体は褒められるべき事だろう。
そのペースが異常であった。普通であれば数年、どのような話術や演説を駆使しても数ヶ月は掛かる所を、犬養率いるグラスホッパーはものの数日で成し遂げた。
犬養が百年、いや千年に一度のカリスマを持った統率者であるからそれも已む無し、とはミュカレは考えなかった。
サーヴァントが噛んでいると、彼女は睨んでいる。どちらにしても、今後の活動の障害になり得るだろう事は、大いに想像が出来る連中だ。
聖杯戦争の参加者として、警戒をしない道理など、ないのだった。

「下らん連中だ。首魁の犬養ならばともかく、あそこで騒いでいる者達は、学生の身分でありながら学ぶ事を疎かにし、政体や権力者に反発する美しい自分に酔いしれているだけの愚か者だ」

「ほう、珍しく意見が合いましたね。その通り、学生運動などその人物にとって百害あって一利なし!! 騒ぐような連中は大抵の場合、その運動の根幹にある思想に全く理解を示さず、ただストレスを解消し、暴れたいだけのフリーライダーなのですよ」

 サフィール教授の場合は寧ろそう言った運動には誘われない可能性の方が高いだろうが、面倒なのでミュカレは黙っておいた。

 グラスホッパーの団員は、これを見るにミュカレの想像よりも遥かに多いとみて間違いはなかった。
聞いた所によるとゴッサム大学の学生の内何十人、事によっては百人にも上る規模の学生が、グラスホッパーの構成員であるらしい。
理事会はこのまま大学に対する抗議デモでもされたら、と言う懸念に頭を悩ませているが、ミュカレにとっての心配事は其処ではない。
学内に百人規模のグラスホッパーの構成員が潜伏している、と言う事が何を意味するのか? 
それは、犬養がその気になって命令を下せば、忽ち百人ものNPCによる諜報部隊が出来上がると言う事だ。
NPCの一人や二人、葬る事は造作もないが、葬り過ぎて表沙汰になる事態だけは避けたい。

「面倒な事をする愚図共だ」

 忌々しげに口にするミュカレ。目の前で拡声器を使って演説をしているバンダナの男を殺してやりたいくらいだった。
あの男の事は以前調べた事がある。この大学で結構な頻度で演説をし、しかも日本人であると言う所から、聖杯戦争の参加者かと疑っていた時期があったのだ。
実際には、ただのNPCであったのだが。あれは中村太郎と言う男で、ゴッサム大学に学籍はない。つまり外部からやって来て演説している迷惑者である。
大学の側が立ち退きを命じようにも出来ない訳は、あの男が犬養からそれなりの薫陶を受けた人物だからであり、学生からのウケも良いのだ。
つまり立ち退きを命令しようとすると、他の学生が煩く反発するのだ。柳腰にも程がある。

 ――対策を講じる必要があるか……――

 自らの活動拠点の一つである大学にまで此処まで根を張られているとなると、知らぬ存ぜぬではいられない。
ジェダを戻し次第、彼と何かしら話し合うテーブルを用意せねばならないだろう。殺意の籠った瞳で、熱の入った声で演説を続ける中村を睨みつけるミュカレ。

 忌々しいイナゴ共。黙示録に語られる、奈落の魔王の使い魔達。
何れその汚れた霊魂から澱を引き剥がし、汚穢のない純粋な魂を精錬させた後に、遥かな次元へと送り返してやろう。
斯様な事を思いながら、ミュカレはサフィール教授とは違う校舎が建っている方角へと向かい始めた。文系の校舎と理系の校舎は別なのである。
「では、また昼食の時にでも」、サフィール教授が別れ際にそんな事をミュカレに言い放って来た。昼も一緒に過ごす気でいるらしい。無論ミュカレには、そんなつもりはないのだが。





【MID TOWN RED HOOK/1日目 午前】

【ミュカレ@アカツキ電光戦記】
[状態]健康、平常
[令呪]残り三画
[装備]黒マント、カティが着ていた服
[道具]元帥杖(懐に忍ばせている)
[所持金]現金十万程と、クレジットカード
[思考・状況]
基本:聖杯戦争、負けるつもりはない
1. 煩わしい事だが、ゴッサム大学には足を運んでやる
2.サフィール教授には会いたくない
3.グラスホッパー……どう対策するか
[備考]
犬養舜二が聖杯戦争の参加者だろうとあたりをつけています。ひょっとしたら、他の参加者についてもおおよその目星はついているかもしれません






2:

 この世の九割九分九厘は、無駄な物で構成されている、とジェダは感じる事がある。
では残りの一厘の有益で、そして完全完璧な存在は誰か、と問われれば。自身、ジェダ・ドーマしかいないと、彼は答えるであろう。
それが、ジェダには悲しくて仕方がなかった。何故ならば、滅びに愛され美と永遠に見放されたこの世界を救えるのは、ジェダ・ドーマ以外にいないと言う事に等しいのであるから。

 世界は死にかけている。
元来人間や魔界の知的生命体を含めて、心のある生物と言うのは計り知れない力を持っているものなのだ。順当にその力を発揮できればだが。
今生では、その計り知れぬ強大な力を発揮出来る生物は誰一人として存在しないだろう。
何故ならば彼らは、終る事のない争いに明け暮れ、疲弊し、血を流し。僅かなる富の為に奪い合い、騙し合い、富を増やす手段を講じもしない。
結果、世界からは調和と美が滅され、代わりに、怠惰と死と荒廃とが溢れ、新風も闇を照らす光も生じぬ地獄となった。

 聡明なジェダには、現状の推移が容易に想像出来る。
調和の失せた世界から消え去るのは、何も美だけではない。未来すらもが消え失せてしまう。
未来の消えればその先には、確実な滅びしか待ち受けていない。これを防ぐには、魔界の住民や地上の住民を含めた、全ての魂を救済してやるしかない。
その救済とは、全ての魂との同化。何故、調和が消えねばならないのか。何故、皆は解り合えず争いばかり続けるのか。
それはどのような存在にも『差』と言うものが存在し、それを意識するからである。差を意識する事は、自身の増長を招き、妬みを生み、不満を沸き立たせる。
では、『全ての魂がジェダ・ドーマと言う存在に吸収され、全ての生物が彼一人に収斂された』としたら……?
それはジェダにとって理想的な世界だった。全ての生物が一つになれば、全ての魂が一つになれば。
争いなど起りようがない。全て一つであるのならば、調和は絶対に満たされる。それは究極の美のカタチであり、究極の救済のカタチなのだった。

 この途方もない理想を果たす為には、先ず自らの力を振い、聖杯戦争と言う下らぬ争いを勝ち進めねばならないようである。
マスターであるミュカレと言う女性は、今の時代でも珍しい、聡明で、自分に近しい理想の持ち主である。と言うのが、ジェダの評価だ。
つまり、掛け値なしに彼女は優秀な存在である。一個の知的生命体としても。そして、自らの上に立つに相応しいマスターとしても。
故に、聖杯戦争を勝ち残った暁には、彼女は真っ先に自分の祝福を受ける資格があると、ジェダは考えていた。
その祝福とは最早言うまでもない。ジェダ・ドーマとの同化に他ならない。苦しみも悩みも無い究極の理想郷(アルカディア)である、ジェダ・ドーマと言う一つの世界に、彼女は最初に招待されるに足る。

 衆愚の街ゴッサムの住民が、『ウェイン・タワー』と呼ぶ建造物の屋根に取り付けられた電波受信の為のアンテナに、器用にジェダは直立していた。
ジェダと言う人物が全体重をかけて乗っていると言うのに、アンテナは、折れない。まるでこの世の物理法則の外に、この男が君臨しているかのように。
この位置からだと、ミュカレが教鞭を振っていると言うゴッサム大学が良く見える。今頃は、出来の悪い学生を相手にその辣腕を振るっている事だろう。

 ミュカレの傍にジェダが霊体化して同伴しなくても、別段問題はなかった。
ジェダが彼女の元を離れ、ウェイン・タワーの天辺から街を見下ろすのには訳がある。
一つには、彼に街の地理を覚えさせると言う意味で。そしてもう一つが、街に変わった様子がないか、もっと言えば、サーヴァントが交戦していないかを確認させる為。
流石にアーチャーのサーヴァントの様な千里眼はジェダも持ち合わせていないが、それでもその視力は常人を遥かに凌駕する。監視塔の役割は、十分果たせる。
それにジェダは、マスターの潤沢な魔力量と、自らが持つ魂同化スキルの甲斐もあって、単独行動すら可能とするサーヴァントだ。
たとい彼女から数百m、事によっては数キロ離れて行動したとしても、現状では問題はなかった。
極め付けが、他を隔絶する念話範囲である。ミュカレ自身が特に優れた魔導の持ち主の為、魔術の基本的な素養が他を大きく引き離している。
ゴッサム大学から数百m以上離れた此処ウェイン・タワーにおいても、念話が可能である程と言えば、その凄まじさが知れよう。
此処に、ミュカレがジェダをゴッサムの監視に任命した訳があった。空を飛べ、単独行動も可能とし、念話のカバー範囲で異変をすぐに知らせる事が出来、
いざ戦闘になれば的確にミュカレの指示を仰ぐ事も可能なのだ。ジェダをゴッサムを監視する『目』の役割を言い渡したミュカレの判断は、見事なものであり、理にも叶っていた。

 ふと、ジェダは目線を眼下に広がるビル群から、遥か先に聳え立つ、巨大な銀色の塔に目をやった。
特徴的な形状をした高層建築であった。それでいて、構造力学的に見事なバランスを保てている。
さぞや名のある建築士に図面を引いて貰い、多額の金を払って建造して貰ったのだろう。初めてそのビルディングを見た時のジェダの印象は、一本の大樹であった。
何故か、と問われれば、そう見えたからとしか答えようがない。そして後にこのビルの名前を知った時、自分の抱いたイメージが正しかった事をジェダは知った。
ユグドラシルタワー。ゴッサムの住民はそう呼ぶらしい。ユグドラシル、北欧の神話に出てくる宇宙樹の名前であったか。
尤も、ユグドラシルの名前を冠する割には、あの建物は少々名前負けをしている感が否めないが。

 建物が高くなればなるほど、モラルが低下すると言うのがジェダの美意識だ。
あのユグドラシルタワーにしろ、今ジェダが佇立しているウェイン・タワーにしろ、自らの権勢を誇示しようとしているのかは解らないが、あまりにも高層建築が多すぎる。
どうにもこの街の住民はモラルと言うものが足りな過ぎる。これもまた、ジェダに言わせれば『差』の産物の一つだった。

 場を変えよう。ジェダはそんな事を考えた。一つの地点からだけの監視では、大局的に物を見渡せない。
定期的に高い所から高い所へと移動する必要がある。そう考えて、ジェダは霊体化を行い、背の翼を以て飛翔。
哲学的思考の世界に沈みながら、遥か下界の世界を見渡して空を飛ぶジェダ。
退屈そうに街の様子を眺めていたジェダが――目を見開き、一瞬で哲学の世界から現実の世界に引き戻された。眼下の事象を、信じる事が出来なかったのだ。

「……森だと?」

 静かにそう呟くジェダ。
人通りの少ない、どころか人っ子一人存在しないゴッサムの繁華街の裏路地に、それは生い茂っていた。
瀝青、コンクリート、ガラス、合金、プラスチック。自然の物など何一つとしてない、都市計画が許す範囲でしか緑が許されていないこの街で。
何故、あそこまで自然なままの緑があるのか。森と言うには、規模が小さいかも知れない。裏路地の一角にしかその緑はないのだから。
林と言う言葉を用いるのも、烏滸がましいだろう。だが確かにそれは、ジェダから見たら森であった。木が生えている、草も茂っている。――瑞々しい果樹すらも、見えるではないか。

【マスター】

 念話を以て、ジェダは、大学にいるであろうミュカレにコンタクトを取り始めた。 

【何があった】

【森だ】

【……何を言っている?】

 流石に言葉が足りなかったらしく、疑問気な言葉をミュカレは投げ掛けて来た。

【奇妙な物言いに聞こえるかもしれないが、街に森が茂っている】

【前から言おうと思っていたが、お前の言い回しは迂遠が過ぎるし、勿体ぶり過ぎなきらいがある。短く簡潔に言え】

【その通りの事を語っているよ。森と言うには規模が小さいが……明らかに、鬱蒼とした木々や草が生えている区画がある】

 向こうは黙りこくった。真剣に現況を語るジェダの口ぶりに、判断を迷っているのは言うまでもなかった。
その目で実際の状況を見れない為に、信じられないのは無理からぬ事だろう。実際の状況を目にしているジェダですら、今の事は信じる事が出来ずにいた。

【キャスターの陣地である可能性はあるか、セイヴァー?】

【見ない事には解らないな】

【ではその様子を確認して来い。危険を感じたら、退避しても構わん】

【解った】

 其処で念話を切り、ジェダは眼下の一点、即ち彼が森と呼んでいた地点へと急降下した。
人間達が伝説にしている所の、エリュシオンの野であろうか。ジェダはそんな事を考えていた。
しかし実態はそんな物ではない。その森の名こそ、ヘルヘイム。宇宙樹ユグドラシルの根に存在する、冥府の国、常世の世界。
もしもミュカレがその森の名前を聞いた時、彼女は苦言するだろう。なんと不吉な森である事か、と。





【MID TOWN WAYNE TOWER/1日目 午前】

【セイヴァー(ジェダ・ドーマ)@ヴァンパイアセイヴァー】
[状態]健康
[装備]万全
[道具]万全
[所持金]私には何の価値もない代物だ
[思考・状況]
基本:全ての魂の救済
1. この街には良識の欠片もない
2. あの森が非常に気になるな……
[備考]
※現在ミュカレの命令に基づき単独行動中です
※ヘルヘイムの森の存在に気づきました。念話でこれを、ミュカレに報告も済ませました
※ヘルヘイムの森に向かっています



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セイヴァー(ジェダ・ドーマ)

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最終更新:2016年04月15日 00:21