男は、空腹だった。
腹を満たすための金もない。帰る家もない。
纏っている衣服はみすぼらしく、みっともないことこの上ない。
男は、俗に言う浮浪者だった。犯罪が蔓延るこの都市で生き残れなかった者。
人間社会における生存競争の敗北者。
今までしぶとく生きてきたが、既に限界は背後まで迫っていた。
哀れな男―――NPCは、このゴッサムシティで塵のように何の価値もなく消えていく。
餓死という、あまりにも救われない最期で。
恐らく、男はそういう役割のNPCだったのだろう。
ゴッサムシティの裏の闇の演出のために、最初から此処で息絶えることを役割としたNPC。
故に、彼が此処で生き延びる術はなく。
変えようの無い死は、緩やかに訪れる。
まるで夢遊病患者のようにふらふらと歩むその足は―――ぴたりと、止まった。
息絶えたわけではない、力尽きたわけでもない。
ふと、何かが、男の瞳に映ったのだ。

「…あ、れは?」

コンクリートの壁に絡む蔦。細く、壁を這っている。
土すらないこの場所で何処から養分を吸っているのかは分からないが、確かにその蔦は成長していた。
それだけなら特に驚く点はない。
コンクリートを突き破り成長する植物など珍しくもないし、近年ではよく観測される。
男は、蔦に注目したのではない。
その蔦の先に。
―――たった一つだけ実っている、その果実である。
極彩色の皮を纏うその果実は、ぽつんと一つ寂しく実っている。
奇妙な外見の果実はとてもじゃないが人類が食すには躊躇するグロテスクな外見で。
餓死寸前のこの男でも、口にしようとはしないだろう。

「ああ、でも」

男は、ゆらゆらとおぼつかない足取りでその果実に歩を進める。
果実に向かって突き出した両腕は、母親を求める赤子のようだった。
そして。
優しい手使いで、果実をもぎ取る。

「なんて、美味しそうなんだ」

こんなに美味しそうならば。
食べてあげなきゃ、かわいそうじゃないか―――と。
男はゆっくりと口を開け、その果実を咀嚼する。








人の気配すらしないその路地裏に。
人ではない、何かが産声を上げた。









▲  △  ▲

多数の観客の瞳をを釘付けにするその舞。
激しくもしなやかなそれは、青年達の心に眠る強さを感じさせる。
街のステージの中央で踊る彼らの名は、ビートライダーズ―――『チームバロン』といった。
近年、リーダーが脱退したという彼らのダンスチームは新しいリーダーを選出し、今もなお踊り続けている。
それを、歌姫―――『シェリル・ノーム』は鑑賞していた。
先ほどこの世を去る魂に歌を響かせた彼女は、おもむろに街に出た。
赤の男を警戒した訳ではない。
ただ、歩いた先に―――人が湧く声と、何かのリズムが聞こえたからだ。
それが、このビートライダーズ『チームバロン』の公演だった。
シェリルは、歌姫である。
銀河に轟くその歌声は、あらゆる者を魅了する。
それはこの街、ゴッサムシティでも変わることはない。
彼女は変わることなく歌姫として佇み、その美声で民衆を魅了する。
その彼女から見れば―――彼らのダンスは、とても未熟だった。
一流とは程遠い。大した腕だが、プロから見れば完璧とは程遠いだろう。
だがしかし、彼らには情熱があった。
ダンスを楽しんでいた。
その心だけはプロに負けないどころか、上回っているかもしれない。
NPCといえど、そこには魂がある。
偽りの記憶に偽りの立場を押し付けられたとはいえ―――その輝きは、失われてはいなかった。

「いいわね」

故に、シェリルは純粋に賞賛した。
聖杯戦争なぞ関係ない。
彼女は、歌うために生きているのだ。
夜間―――18時からは、彼女自身のゴッサムライブが待ち受けている。
その前準備として、彼らの舞を瞳に焼き付けておくのもいいかもしれない。
そう考えたところで、

『マスター』

己がサーヴァントの声が、彼女を呼んだ。

「何?」
『ここを動くな』

その、一言。
それのみを発し、霊体化したままでランサーは遠ざかっていく。
返答すら、聞くつもりはないらしい。





▲  △  ▲




















「俺が怖いか?女」















『―――こわくないよ』














「―――そうか」













それは、最期の記憶。


▲  △  ▲

ランサーに捧げられた歌姫の歌。
結論から言えば、ランサーの心を揺るがすことはなかった。
彼の司る死の形は『虚無』。
何も生み出すことなく、何も無く。
あまりにも空洞で、その精神は恐ろしいほど空虚。
元より『何も無い』ものに歌を届けようと、虚しく響くだけ。
死にゆく死者に安らぎを与えたあの歌は、ランサーには届かなかった。
だと言うのに。下らないと吐き捨て、眼中の外に追いやることをしなかったのは、何故なのだろうか。
―――かつて刀を交えた黒の少年は、言った。
―――『てめえが人間に近づいてるのかもしれねえな』、と。
有り得ない。この身体は虚であり、十刃の第4だ。
しかし、消え去るその今際の際に、確かにあったのだ。
人間が容易く口にする『心』が。
マスターは『心は後から生まれるもの』と言った。
ならばあの時―――生まれた心は、何処にいった?
この腕を千切れば其処に在るのだろうか。
それとも。
この腕の中に、消えてしまったとでもいうのか。

(……)

沈黙。
ランサー自身が、思考を打ち切ったのだ。
無駄な思考は廃棄。
マスターである女が歌うとき、心が生まれると言うならばランサーはサーヴァントらしく外敵を排除するのみ。

(…?)

すると―――彼の『探査回路』が、そう遠くない場所に何かを感じ取った。
驚くほど微細な変化で、近くなければ見落としていたほどの微細な変化だが、この感覚は魔力だ。
少なくはあるが、NPCでは生成できない量の魔力を感じ取ったのだ。
サーヴァントではない―――敵マスターか、あるいは誘い出すための罠か。

「マスター」

そして。
思案したあとランサーは、一言。

「ここを動くな。何かあれば令呪で呼べ」

選んだのは、その変化の元を確認すること。
もし罠だったとしても捩じ伏せるのみ。
一人になったマスターが狙われたとしても、今はダンスチームの舞いを眺めに訪れた人間で少し混雑している。
令呪を使用する時間は稼げるだろう―――こんな太陽が昇っている人の目がある場所で戦闘を起こそうとする参加者がいるとは、考えづらいが。
霊体化を解かず、その場から消え去る。
破面の歩法、『響転』である。
そう遠くない距離ならば、数度行うだけで目的地へと最短距離で足を運ぶことができる。
ランサーが到着した地点は、そう離れていない路地裏だった。
先ほどの人通りのある地点から少し離れただけで、このような薄暗い裏路地へ出る。
実体化し、地面を踏みしめる。
法が届かない人間社会の裏の世界。
人間の暗黒面そのもののような行いが此処で行われていると思えば、反吐が出るような思いだった。
正義感からの怒りではなく、ただ醜いモノを見せられたことによる嫌悪感。
最も、ランサーにとっては塵ほどの価値もなく関係も無いものだったので、すぐに思考から切り捨てたが。

「お前か」

ランサーの目に入ったのは、路地裏の奥の奥。
フェンスのようなものに体を向け、蹲るようにして何かを貪っているその男。
衣服はみすぼらしく、痩せこけている外見からして、浮浪者だろうか。
恐らくこの男が先ほどの反応の発生源だろう。
ランサーが呼びかけても反応すらない。聴力が弱いのか、それともそれほど貪るのに夢中なのか。
どちらにしろ無用心なことこの上ない。

「あ…?」
「?」

男はちらりと此方を見る。
相変わらず反応は薄い。目も焦点が定まっておらず、宙を泳いでいる。
その唇は何かを貪り食った影響か、奇妙に湿っており。
その掌には極彩色の果実が―――

「…それは、」

何だ、と続けようとした。
あの極彩色の果実には、魔力が感じられる。
純正の、何にも染まっていない魔力とは程遠い、不気味な魔力が。
そしてランサーが思案するよりも先に、変化は訪れた。

「―――あ」

男の胸から、植物が生えたのだ。
しゅるしゅると、生えた植物が男を包み込む。
それはまるで、樹木に寄生し締め上げ枯らせてしまう『絞め殺しの木』と呼称される植物のように。
男を瞬く間に植物で締め上げ姿を覆い隠す。
そして。
その覆い隠してしまった植物の隙間から―――緑光が漏れた。

「貴様…」

そしてその植物を突き破り現れたのは、唸りを上げる白い昆虫のサナギのような姿の怪物。
視認した者に恐怖と嫌悪感を与える醜い姿。
その怪物―――名称を、インベスという。
それを見て、ランサーはぽつりと呟く。

「お前は、何者だ。
キャスターのサーヴァントの使い魔か。それとも」

虚のような存在か、と口には出さなかった。
誰が聞いているか分からないのだ。無用心にヒントを口に出すつもりはない。
しかしインベスは話を聞くどころか、その白く尖った爪を振り上げる。
強化された脚力からの爆発的な運動エネルギーは、ランサーとの距離を5秒とかからず接近した。
そしてその研いだ刃物のような爪でランサーの身体を袈裟気味に一閃する。
人間ならば上半身と下半身が泣き別れしてもおかしくない一撃をその身に喰らい―――ランサーは、無傷だった。

「誰がそのゴミようなモノを使っていいと言った?」

インベスの爪はランサーの身体を傷つけてすらおらず、その表面で止まっていた。
―――『鋼皮』。
破面のその異様なまでの防御力を秘めたその体面は、あらゆるモノの侵入をも許さない。
ゆっくりと衣嚢から右手を抜き、身体の表面で止まっているその爪を握り絞める。
左手は、未だ収めたままで抜く気配はない。

「お前に許されているのは『はい』か『いいえ』だ。
それ以外の選択肢は存在しない。これは質問じゃない。
これは『命令』だ」

グッと。ランサーが右手に力を込めると同時に、インベスの爪が砕け散る。
痛みに喚くインベスすら気にも留めず、そのまま右手で首を絞め持ち上げる。

「もう一度聞く。お前は使い魔か?」

返ってきたのは、ぎぎ、と力無く鳴くその声。
それに一切の感慨すら抱くことなく、ランサーはインベスを見つめる。
その瞳は、相変わらずの虚無だった。

「どうやら言葉が―――」

グッと。
もう一度リプレイのように首を掴んだ両手に込める。
虚弾も虚閃も必要ない。
この程度ならば片手で十分、ギロチンの役割を勤めることができる。

「―――通じんらしいな」

ぶちっと何かが千切れる音に数秒遅れ。
小さな爆発が、辺りを包む。
しばらく経って何事かとNPCがわらわらと集まってくるが―――その頃には、もうその場には人影すらなかったという。


▲  ○  ▲

「あら、戻ったのね」
『何かあったか』
「いえ、何も」

再開を果たした主従の会話は、あっさりとしたものだった。
それもそうだ。ランサーはもとより口を多く開く性格ではなかったし、シェリルにしても必要の無いことを延々と喋る人間でもない。
しかしこの時ばかりは、シェリルは会話に興じた。

「ねえ。貴方はあのダンスを見て何か思った?」
『何も』
「つれないわね」
『事実だ』

簡素にやり取りされるその会話は、すぐに終わりを迎えた。
ランサーが無駄話を好まないというのもあるが、それにしても簡素だった。
だが歌姫は気にも留めず言葉を続ける。

「…ほんと、此処が聖杯戦争と関係ない場だったのなら、ちょっと話でも聞いてみたいぐらいだったわ。
彼らが何故あんなにも楽しそうに踊るのか」

答えなんて、分かりきっている。
きっと彼らにとってのダンスは、シェリルにとっての歌と同じなのだろう。
だからこそ彼女はそのダンスに興味を持った。
機会があれば、バックダンサーでも頼みたいぐらいには。
―――しかし、この場は聖杯戦争。
恐らく彼らも、NPCだろう。
話せるのならば―――本来の魂を持った自分の意思を持った彼らと話がしてみたかった。

「…さて、行きましょう」

シェリルは未だ踊り続ける男たちに背を向けて、歩き出す。
その足取りは、明確に何処かを目指しているようだった。

『何処に行く』
「決まってるでしょ」

向かう場所など決まっている。
此処が聖杯戦争だろうと。犯罪都市ゴッサムであろうと。

「此処はあの子たちのステージだけど」

彼女は、歌うために生きているのだから。

「―――此処からは、私のライブステージよ」

【UPTOWN WEST VILLAGE/一日目 午前】


【シェリル・ノーム@劇場版マクロスF 恋離飛翼~サヨナラノツバサ~ 】
[状態]健康
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]豊潤
[思考・状況]
基本:命の限り、歌い続ける。
 1.夜間(18時)からのライブに準備。
 2.ビートライダーズへの興味。
[備考]
夜間(18時頃)から何処かでライブを行うらしい。
どれ位の規模で何処で行うかは、後続の書き手さんに任せます。


ウルキオラ・シファー@BLEACH】
[状態]健康
[装備]斬魄刀
[道具]なし
[思考・状況]
基本:「心」をもう一度知る。
 1.シェリル・ノームを守る。
 2.白い怪物(インベス)と極彩色の果実(ヘルヘイムの果実)を警戒。
[備考]
インベスとヘルヘイムの果実を視認しました。


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最終更新:2015年11月05日 21:27