感知した魔力を追尾した先で発見したのは、一体の白いサーヴァントであった。
聳え立つビル群の陰に立ち、右手に握った刀を振るう。
極彩色の小さな果実が、汁を飛び散らせながら崩れて消えゆくのを見つめる。
そのまま、十数秒に及んでじっと佇む。
おもむろに、白いサーヴァントがその肢体を揺らす。
身体の向きを少し動かし、ゆっくりと顔を上方へと向ける。
双眸がぎょろりと蠢く。
視線が、交錯する。
白いサーヴァントの姿は、一瞬のうちに消失している。
決して起こってはならない事態。観察など即刻中止。咄嗟に飛び退く。
奴は見つからない。補足出来ない。何処へ行った。
一瞬、魔力を感知する。二秒前よりも近くに。
すかさず奴のいるはずの方向へと向き直る。
辛うじて、白いサーヴァントの姿が小さく視界に映る。
奴の姿に重なるように現れた、幾つかの黒い光球を捉える。
迫る。
疾過ぎる。
もう躱せない。
黒一色に塗り尽くされる。
ぼん。
ぼん、ぼん。
◇ ◆ ◇
サーヴァントによって野に放たれた使い魔――観察するかのように動きを止めていた様子から、そう考えても問題無いだろう――をランサーが発見したのは、幾つかの要因が合わさってのことだった。
十刃随一とまではいかずとも、高精度には変わりない『探査回路』の能力を持っていたこと。
人間を怪物へと変容させる果実の存在を知り、より意識的に周囲への魔力感知を張り巡らせていたこと。
……ランサーには自覚の無いことだが、
シェリル・ノームの護衛に徹していたために奇しくも強大な魔力量を持つ他の外敵とすれ違わずに済んでいたこと。
これらの要因が生んだ結果、ランサーは使い魔自体が発する魔力の感知及び居所を補足し、間を置かず『響転』で接近、数発の『虚弾』による撃墜を済ませた。
それでも、あの僅かな時間でこちらの情報の一つ二つは発信源の人物に伝播した可能性も否定し切れない。鬱陶しい話である。
朝方にシェリルと合流した後、ランサーは正体不明の果実に関わる一件についての事後報告を済ませていた。
果実を貪った人間は言葉の通じない理性無き怪物に成り下がる、ランサーからその情報を聞かされたシェリルは、何を思ったのか暫くの間黙りこくった。その後シェリルがランサーに告げたのは、今後その果実を発見した場合は誰かに口にされるよりも前に処分せよ、という指示であった。
そのシェリルはと言えば、今は付近に建つスタジオハウスの屋内だ。日課のボイストレーニングを終えた後、その場で音楽情報誌の取材を受けるという話だと聞かされている。
当分シェリルがその場から移動する見込みが無いことから、また彼女の下を離れ感知した微弱な魔力の下へと向かった。そう離れていない場所にて例の果実を発見、シェリルの指示通りに切り伏せた。
例の果実とは別の魔力を感じ取ったのは、丁度そのタイミングであった。明確にこちらを注視する気配。何らかの目的で、こちらを観察している。
必ずしも害意を以て使い魔を使役していると断言出来ない以上、使い魔を無視する選択肢もあった。
それでも排除を選んだのは、使い魔の主が敵対者であるリスクを考えてのことだ。協調出来る相手がいるわけでもない状態で、ランサーの戦力、ただでさえ目立つシェリルがマスターであるという情報を一方的に握られるのは、不都合としか言えない。
故に。
「失せろ、雑兵が」
振り向きざまに、また『虚弾』を撃ち出す。一直線に向かった遠く先の地点で、魔力の気配が一塊分消滅するのを感じ取る。
近付いていた微かな魔力の持ち主は、先刻ランサーに潰された使い魔に替わる補充要員としてこちら側に移動した別の使い魔だったのだろう。どうせこのような手合いがすぐに来るだろうと予想していたため別段驚きはしない、ただ迎撃するのみ。
姑息な手段は通用させない。これでランサーへの接触を諦めるなら、所詮その程度の関係というだけの話。攻めてくるなら、戦う。味方を求めるなら、恐れず勝手に来ればいい。
ランサーにとっては無軌道に暴れ回る怪物よりも、大方キャスターだろうサーヴァントの知略に基づいて放たれた使い魔の方が脅威である。しかし、これはランサーの視点での話だ。
思い返すのは、先刻シェリルと交わした短い念話。果実を排除するべきと主張する彼女の声色は、確かに不快感を帯びていたように思う。なればこそ、シェリルはやはりサーヴァントの生み出す使い魔よりも怪物を作り出す果実の方が脅威であると語る予感がした。
理性を失い、音色を嗜むための感性すら既に消し去られただろう元人間。シェリルがそれに対して何を思ったかを考えれば、悲哀に分類されるものだろうと想像するのは難しくなかった。
存在そのものが死の具現とでも言うべき虚であるランサー自身は、死と悲哀を結びつけるような感性を持たない。それでも、人間の感情の一つとして存在するという知識は持っている。
ただ、知識としてだけ。
「……哀しい、か」
シェリルは、人間は、豊かな彩りを見せる「心」を持っている。発話で、歌で、感情を表現する能力を持っている。いずれもランサーには未だ欠落したままのものだ。
ならば、それが如何なる物であったとしても、触れてみるべきなのだろうか。シェリルと何かを共有するのは、もしかしたらランサーにとっては有意義となり得ることかもしれないのだ。たとえ、何の情動も得られないとしても。
取材が終わったら次は会場を移し、夜のライブに向けたリハーサルという話だ。シェリル・ノームの本領が発揮される時間の始まりである。
今はただ、その声を聞き届けるのみ。そのためにも、速やかにシェリルと合流するのみ。
◇ ◆ ◇
懐かしい。
自らを取り巻く環境について、シェリルは二つの理由でそんな感想を抱いていた。
一つは、ゴッサムシティという都市そのものに対して。選ばれた者達に許される華々しく甘美な感覚と、打ち捨てられた者達の追いやられる掃き溜め特有の苦痛が、ゴッサムという一つの枠組みの内側に存在している。人間社会が持つ光と闇の双方向のベクトル、その先の全てが詰め込まれたと言える街。
ストリートチルドレンに始まり銀河の妖精に至るまで、遠い宇宙のギャラクシー船団で過ごしたシェリルの半生がまるで一纏めにされて再現されているようだった。
もう一つは、シェリルが多くの時間を共に過ごす面々に対して。思い出すのはフロンティア船団を訪れたばかりの頃。グレイスとブレラと、シェリル。シェリルの人生の最後の転機を迎える直前の時間は、この三者の関係で成立していた。その関係にも似た状況の中に、今のシェリルの身は置かれている。
シェリル・ノームに該当するのは、当然シェリル自身。
ブレラ・スターンの場合は、ランサー。くすりとも笑わない無愛想なボディーガード。ランサーの振る舞いにブレラを想起したのは、彼と出会った翌日のことだった。
そしてグレイス・オコナーの場合は、左側の座席でハンドルを握っている妙齢の女性だ。彼女は、シェリルの所属する芸能事務所の代表にして専属マネージャーという役割を宛がわれたNPCである。大手の事務所を離れ、たった二人だけで独立開業した零細事務所が目覚ましい活躍を見せるのは彼女によるシェリルへのサポートあってのもの、らしい。
またゴッサムシティでは数少ない、非公表とされているシェリルの寿命の短さを把握している人物でもあった。
「――……リル、シェリル。聞いてるの?」
「何?」
「リハーサル入りまで時間を空けてあるから、ちゃんと休むようにって話よ。あと、本番の前も。寝られる時は寝ておきなさい。ただでさえ朝のフリータイムに外出を許可したんだから」
「いいわよ。今眠くないもの」
繰り返すが、彼女はシェリルと苦楽を共にしたグレイス・オコナーとは全くの別人だ。聖杯によって用意された、グレイス・オコナーの代替品である。
「まったく。体調管理もプロの仕事だったのに」
「わかってるわよ」
「…………本当は、夜中の外出だって反対なのよ。いくらこの街のことを見聞きしたいからって、治安の悪い環境の中に出すのは私だって気が気じゃないんだから」
「……気を付けるわ、グレイス」
たとえ、同じフルネームを持っていようとも。
同じ顔を向けられ、同じ声でこちらに語りかけてこようとも。
彼女のそれに限りなく近い、気遣いの込められた眼差しを注がれようとも。
『この』グレイスは、シェリルの知るグレイス・オコナーではない。何処か別の宇宙から連れられた他人であり、機械の詰まっていない生まれたままの肉体の持ち主だ。
シェリルの知るブレラ・スターンが、愛する妹を護り爆炎の中に消えたように。シェリルを愛したグレイス・オコナーは、歌のための晴れ舞台を託して斃れた。シェリルと共に生きた彼女達は、もう、どの銀河を探しても見つけられない。
「少しでも長く歌いたいなら、危ない真似はしないで頂戴」
グレイスがNPCでしかないから、伝えるわけにはいかなかった。
ただ無意味に呆けてグレイスの忠告を聞き流していたのではなく、サガラを名乗る男からの通達の方に意識を集中させていたのだという事実も。ビル群の上を駆けながら、周囲の敵味方の有無に注意を向けているランサーの存在も。
ランサーから、サガラから知らされた、そこかしこに蠢く脅威の存在も。
こうして沈黙する度、三人の関係は全くの別物なのだと、また気付かされる。
彼女に真に愛されるべき『シェリル』が自分では無い事実に、胸の内がちくりと痛む。
「あら、また346の曲。精力的ね」
シェリルの面持ちに気を遣ったのだろう、グレイスがまた別の話題を振る。情報収集は大事だからとシェリルが好んで車内に流している、ラジオ放送の話であるようだ。
――……IKA、Memories。反応が遅れつつも辛うじて聞き逃さずに済んだ幾つかの単語から察するに、とあるアーティストの曲が今からオンエアされるらしい。しかし集中力を散らしていたせいで、曲名は聞けたがアーティスト名を聞き損ねた。
艶めかしいDJの司会で送られる音楽番組、初めて触れるアーティストの曲。貴重な楽しみを阻害される大元の原因となったサガラに対して、この時シェリルは最も強い憤りを感じたのかもしれない。
「聴いたこと無い曲ね。新人?」
仕方が無いので、このアーティストが何者であるかはグレイスに尋ねる。グレイスが口にした346が何を指すかについては、既に知っている。
346プロダクション。シェリルにとって、ゴッサムシティで初めて知ることとなった名であった。米国ではなく、確か日本という東洋の島国における大手の芸能事務所だ。近頃になって米国内に支社を設け、事業展開を始めたという話だったはずである……この場合は、設定と述べる方が適切なのだろうか。
イントロも終わり、ヴァースが流れ始める。重なるように、グレイスの解説が続く。
「少し前に346が始めた企画の一環で組んだユニットだそうよ。日本の本社で進めている企画らしいからこっちじゃそこまで頻繁に触れる機会も無いし、実際この曲も私は初めて聴くけど」
「ふうん。でも、どうしてわざわざアメリカのラジオで流れるのかしら?」
「宣伝ってことでしょう。346のアメリカ進出の理由の一つが、アイドル事業の国外展開って聞いているわ。まずは日本でプロジェクトが実行中だとこうしてアピールして、それからこっちで人材発掘ってところじゃない?」
アイドル。本来の意味でのidolから発展し、日本という国で独自に確立した概念だ。
歌唱力は勿論だが、ビジュアルや愛嬌も含めたアーティストのキャラクター性そのものを主力とする、歌手の亜流となる活動スタイルという認識……で良かったはずだ。米国では皆無と言うほどではないにしても、日本と比較すれば定着しているとは言い難い売り出し方であり、それ故に346は開拓の余地を狙ったというところらしい。
だからと言って、歌の方をおろそかにしているなどということは無い。今ラジオから流れている二人組の歌声も、新人にしては中々悪くない歌唱力のように思える。宣伝の一歩目としては上々になるのだろう。
電波を介してシェリルが出会った彼女達は、今どのような活動をしているのだろうか。ハンドバッグから取り出したスマートフォンのブラウザ検索機能を立ち上げつつ、グレイスに尋ねる。
「グレイス。その企画って何ていう名前?」
「確か、シンデレラプロジェクトよ」
「シンデレラ……ふふっ」
聞いた途端、思わず含み笑いが漏れた。
面白い話もあるものね、と僅かに心を弾ませながら、346の公式サイトから目当てのページを見つけ、人差し指でタッチする。
米国向けに英語翻訳された、プロジェクトのコンセプトの説明文が表示される。PROJECT MEMBERSの文字列をタッチすると、画面いっぱいに少女達がずらりと並んだ。
UZUKI SHIMAMURA。ANASTASIA。RANKO KANZAKI。ANZU FUTABA。KIRARI MOROBOSHI。
十人十色の愛らしさを見せる、十人を超える少女達。その殆どが、シェリルよりも年下に見える。一人一人の顔写真をタッチすれば、ありありと綴られた各々のアイドル活動に懸けた思いの丈を読める。
シンデレラの寓話に則れば、夢へと駆け出したばかりの彼女達は皆、舞踏会に辿り着く前の段階だ。そして御伽話と違い、芸の道は血の滲むような苦痛に対しても能動的にならねばらない。
それ故に、彼女達の中の誰かがいつか煌びやかな花の舞台の上に立つ日が来たら、その姿はとても絢爛なのだろう、なんてことを考え、また気分が高揚する。
一流を見よと刷り込まれながら腕を磨き、今は自身が一流となったと自負するシェリルであるが、こうしてまだ芽吹いたばかりの才能に目を向けるのも今は良いものだと思っている。
「珍しいわね。あなたが新人に興味を持つなんて」
「だって、素敵な話じゃない」
聖杯に再現されたゴッサムシティの外側で生きるとされる彼女達が、果たして実際にシェリルと同じ地平の上、海の向こう側に存在しているのか観測する術は無い。もしかしたら、文字と画像だけの存在なのかもしれない。
それでも、少なくともシンデレラプロジェクトはきっと本当に何処かの銀河の、何処かの星で紡がれている物語なのだろうと信じていた。人に笑顔を与える、歌を楽しむ心の表現が、只の作り物で終わるわけがない。そう信じられるし、信じたい。
だから、アイドルに興味を示す自らの言動も無意味ではない。もし叶うならば、彼女達とも実際に出会い、心を通わせてみたかった。そう願う感情も、また。
「女の子がシンデレラになるのって、惹かれない?」
少女達の歩むかもしれない未来に思いを馳せ、シェリルは自らの感情を吐き出した。遠慮もせず、躊躇もせず、取り繕わず、グレイス・オコナーへと向けて。
星を掴む『シンデレラ』の物語に魅せられた人間の一人としての、正直な想いを。
「……まあ、少女趣味は誰にでもあるものね。そういう意味では、キャッチーなコンセプトと言えるでしょうね」
意見を聞き終えたグレイスは、ただの好奇心ゆえの発言と受け止めてふふふと笑っていた。
シェリルもまた、グレイスと同じように小さく笑った。「っ」と、グレイスの言葉に小さく息を呑んだ一瞬など、最初から存在していなかったかのように。
それきり会話は打ち切られ、二人はまたラジオから流れる音に耳を傾けた。暖房の良く効いた空気を、少女達の歌声だけが振るわせる。
奏でられる音楽が心地良いものであるとする感覚は、何者であっても、隣り合うのが誰でも分かち合えるものだ。その素晴らしさを知っているから、シェリルは歌を捨てられない。
ゆったりと、シェリルとグレイスはMemoriesを共有する。ハロー、グッバイ。そんなフレーズのすぐ後に曲のオンエアが終わってからも、余韻に浸るための時間が続いた。
シェリルがまたいつものように重苦しい声で咳き込む瞬間まで、続いた。
「やっぱり少しだけ寝ておくわ。浅い眠りにしかならないでしょうけど」
再び、シェリルは笑う。意識して形作った笑顔だった。
◇ ◆ ◇
『間違ってたらごめんなさい。でも、そんなシェリルさんが凄いって思ったんです』
『いつも強くて輝いているシェリルさんが、本当はさびしくて、かなしくて、ひとりぼっちで』
『でも、それに負けないように精一杯歌ってたんだって』
それは、夢の中でしか会えない彼女との記憶。
今はもう、遠い日の記憶。
◇ ◆ ◇
会場入りするより五分ほど前、「この機会だから話しておくわ」という前置きを挟んだグレイスが眠たげに眼を擦るシェリルに語った話だ。
昨日、事務所ごと346プロダクションに移籍しないかとの提案がグレイスに来たという。その相手というのが、本社から視察のためにはるばるゴッサムシティを訪れていた346プロの常務取締役であった。彼女は346プロの会長の親族で、ラストネームも美城というらしい。
24日に開催予定である大型ライブの会場の下見に行った際、偶然別の用事で美城もグレイスと同じ場所に来ていたそうだ。そして同業者同士の世間話へと流れ込む中で、スカウトの話になったとのことだ。
そもそも今の美城の管轄はアイドル部門であり、仮に346プロに入ったからと言って彼女と直接仕事上の関わりを持つわけではない。それにも関わらず「アーティスト部門なら346ではむしろアイドル部門より歴史が長い」と理由付けをしてまでシェリル達に食いついたのは、先月末に鑑賞したシェリルのバースデイライブに感銘を受けたためだという。
城の中、階段を昇った先の頂上に映える完成された輝き、別世界のような物語性。強かで煌びやかな在り方を見せるシェリル・ノームのような人間こそ、最高級の王冠(クローネ)を被るに相応しい。
そう語る美城の口調には、場を繋ぐための些細な冗談では終わらせられないような熱が籠っていたという。イメージに合致する組織からの十分なバックアップ体制を敷けるのは大いに利点となるはずだ、とグレイスに向けたアピールも含まれていた。
「一応聞くけど、興味ある?」
「やめとくわ。今更移籍とかする気も起きないし。第一、セルフプロデュースで売りたかったから独立したのに」
正式なオファーでもない以上、よくある出来事としてグレイスも自らの胸の内に留めたままにする気でいたようだ。実際に話をしたのは、シェリルが先程346プロに興味を示していたからというだけの理由でしかないと言っていた。
勿論、受ける理由が無かった。そんなものは、長期的にも短期的にも全く将来性の無いプランでしかない。
こんな話を聞く度に、シェリルは感じずにいられない。評価されたことへの誇らしさと、そのことに対するそっと胸を刺すような痛みを。
人々は、自らの注目する『シェリル』の本質を知らない。
「そうそう。美城さんも言っていたわ。あなたが儚げなイメージの曲を出したのが少し意外だったって」
シェリルの眼前には、橙色の淡い照明に照らされたホールが広がっている。
右に左にせわしなく動き回るスタッフ達、等間隔で並べられるのは純白のクロスを敷かれたテーブル。もうすぐ、シェフ渾身の色とりどりのディナーが上に乗せられることになる。
今夜のライブは、既にCDも発売済みである新曲をシェリルの生の歌声で披露する初めての場だ。折角ならドームに何万人も呼び込んでみたいところだったが、諸々の都合によりパーティー用のホールを借りてのディナーショー形式となった。
感傷的なイメージを与える曲調であるため、落ち着いた時間を提供できるという意味では合致した環境と言えなくも無いのかもしれない。プログラムの中に激しいパフォーマンスが含まれていないというのも、この身体には有情な方と言えるだろうか……もしかしたら、グレイスが今回のライブプランを了承したのはこの点にあるのかもしれない。
それでも、抽選で選ばれた数百人程度しか今夜の観客になれないのは惜しいと思った。この先何度でもライブを開催できる保証があるならば、今回縁の無かった者達がいることも気に病んだりしない。
しかし、今はもう状況が違うというのに。
観客に選ばれた者達は、今頃シェリルのライブを心待ちにしてくれていることだろう。今回の新曲が、遠からずシェリル・ノームの遺作として扱われることになると知らず。そして、その歌がシェリルではなく『シェリル』の歌だとも知らずに。
「私も、最後くらいもっと明るい歌を発表してほしかったと思うけど。言っても仕方無いわね」
シェリルが全ての記憶を取り戻してから、まだ一週間も経過していない。それにも関わらず、シェリルの音楽活動の過去だけは米国のゴッサムに確立されていた。トップアーティストとしての実績も、今日までに開催したとされる数々のライブも。そして、今回の新曲も。
作詞作曲に編曲、収録に宣伝、全て合わせればCDを一枚発売するという工程は一朝一夕で済むものでは無いのだ。シェリルが新曲をゴッサムシティに送り出せたのは、曲が既に完成形となって予め提示されていたからに過ぎない。
歌い方は、気付けばいつの間にか身体に染み着いている。それでも、シェリルが完全に自らの意識に基づいて生み出した歌とは言えないだろう。
これは『シェリル』に編み出された歌なのだから。
誰も知らない。知ることが出来ない。
ゴッサムシティで人気を博す『シェリル・ノーム』の正体は、ただの偶像。
シェリル・ノームの最後の歌は、『シェリル・ノーム』という役割の具現化。
それでも、『シェリル・ノーム』を只の偽物だとは言わない。
「シェリル、機材のセッティングが終わったそうよ」
「そう。じゃ行ってくるわね、グレイス」
『わたしは温もりなんてもう何もいらない、わたしはわたしを暖められるから』と。
そんなことを謳う、シェリルに与えられた『シェリルの歌』は当然シェリルの歌ったことの無い物だ。自分の口から誰かにサヨナラを言うための、泣いたりしないと強かに振る舞う歌。泣きたいけど泣かない、弱さを隠す強かさを演じるひとの歌。
皮肉だと思った。『シェリル』の姿が、痛ましい強がりが、そう在りたいと願う自らのイメージに重なっていたから。
共感を超えて、同期とでも言うべき感覚。
『シェリル』もまたシェリルの持つ、シェリルの演じる顔の一つだと理解してしまったから。
しかし、否、だからこそ。シェリルと『シェリル』は同一ではない。シェリルの内側には、『シェリル』の知らない経験が蓄積されている。
少女と肩を並べながらデュエットソングを歌う感覚。一人の異性への、命を燃やすほどの本気の恋。その果てに少しだけ肥大化した、人恋しさという名の感情。
これらを思い出した今、もう『シェリル』と同じようには歌えない。あらゆる感情に、『シェリル』以上の重みを込めて放たざるを得ないのだ。
だから、これから『シェリルの歌』を、今此処に居るシェリル・ノームの歌へと昇華する。人々の中の『シェリル』のイメージを、より情報量の多いシェリル・ノームへと塗り変える。敢えて『シェリルの歌』を歌うことが、シェリルなりの渾身の意趣返しだ。
(そういえば、ランサーにこの曲を聞かせるのも初めてよね。今はまだリハーサルだけど、あなたもしっかりと聞いていきなさい)
『……』
ギャラクシー船団だとかプロジェクト・フェアリーだとかV型感染症だとか、そんな小難しいバックボーンを説明する機会は無い。
しかし構わない。歌はもっと単純な楽しみであっても良いのだ。
明確でも、なんとなくでも良い。聞いて、何かを感じ取ってくれれば十分。
(ランサー?)
ああ、早く歌わなきゃ。
今はこの無感動を絵に描いた男の胸にも届くように歌って、夜になったら来てくれた沢山のオーディエンスの前で歌って、明日、明後日、そしてクリスマスイブの夜を迎えられたならば、
『また魔力を感知した』
ランサーは、ただ事実だけを告げた。
シェリルの足が、止まる。
『場所はまだ遠いが、例の使い魔や怪物よりは大きい気配だ。より強力な使い魔か……恐らくはサーヴァントだ』
淡々と、シェリルに現実を突き付ける。
聖杯戦争のセオリーとして向き合うべき、他の勢力が接近していると。歌のための未来を阻害し、この僅かな生命をも脅かす仇敵であるかもしれない何者かが、すぐ近くにいると。
突然足を止めたシェリルを怪訝に思うスタッフ達の声が、耳から通り抜けていく。
時間にすれば精々数秒ほど。しかし、実感としては随分と長く思い詰めたような気がした。
『どうする? 向こうも既にこちらに気付いているかもしれないが』
(ランサー、会ってきて。もし通達にあったような外道だったら倒してしまってもいい。そうでなかったら……あなたに任せるわ。出来れば穏便に越したことはないけど。大丈夫よ、私に何かあったら令呪で即刻呼び戻すから)
ランサーの声を遮ってでも、早急に方針を伝える。
念話であっても、その声は強かだ。
『そうか。ならば、ある程度はこちらの裁量でやらせてもらう』
(ええ。あと一つ、絶対帰ってきなさい。こんないい女に待ちぼうけさせるなんて、男の恥でしかない真似は許さないわよ)
『……』
最後の指示にはろくに答えないまま、ランサーはシェリルの下から消えた。
念話での指示で良かったと思う。攻めの姿勢を見せられたのも良し。
映画なんかだとお決まりのパターンである死への伏線を敢えて口にしたのも含めて、勝気な振る舞いを通せたのは成功だった。
「……私の歌の感想、あなたの口からまだちゃんと聞けてないのよ」
もしも自らの声で伝えていたら、それはきっと震えていた。
そんな弱みを、メロディに乗せない言葉で表現してしまうのは少しだけ癪だった。
「ごめんなさい、ちょっとした精神統一よ。すぐステージに上がるわ。リハーサルだからって聞き逃がさないでよね!」
声を張り上げるという行動が疲れるものだとは承知している。この身体には、毒だ、
ビートライダーズの少年達と違い、快活なだけではいられない。シンデレラプロジェクトの少女達と違い、未来はそう永くない。
それでも、止められないのだから仕方が無い。こういう疲れなら構わない。
歌う時、シェリルは彼ら彼女らと同じく自分に正直になれる。シェリルを聴いてくれる人がいたら、安心出来る。
だから舞台に立って、歌っているだけ。
こうして出会う人々に、声を届けているだけ。
私は今も強く輝けているでしょうかと、シェリルは今も問うている。
ランサーへ、数多の聴衆へ、そしてゴッサムシティへ。
早乙女アルトとランカ・リーが何処にもいない、この世界へ。
どうか私の声を聴いてと、シェリルは今も願っている。
◇ ◆ ◇
率直に言えば、シェリル・ノームはサーヴァントを従えるマスターとして決して優秀ではない。魔術師としての素養が皆無であるために、ランサーが自らの真価を発揮するのに伴う魔力消費にシェリルは対応しきれまい。
しかしそれだけならば、ゴッサムシティを舞台とする聖杯戦争では他者に大きく後れを取る要素であるとランサーは考えない。シェリル・ノームが意図せずしてマスターとなったように、同じく魔術師では無い者がマスターとなった事例がある可能性もあるためだ。
シェリルの抱える一番の欠点は、病。ただ快活に見せかけているだけで、実際は常人より衰弱している肉体だ。
ただ日常生活を営むだけならば大きな問題は無い……実際はそれだけでも問題があるのだろうが、一応は無いものとしておく。
しかし、ランサーに魔力を提供すればどうなるか。魔力の消費は、より簡単に言えば体力的な負担の発生だ。そして他の者より脆い肉体の持ち主であるシェリルには、その負担が重大な意味を持つ。それ故に、ランサーの戦闘行為はシェリルの生命維持という一点においてリスキーだ。
例の怪物や使い魔のような雑魚相手ならば、己の身体能力と、付け加えるとしても精々『響転』と『虚弾』だけで十分。ランサー自身の魔力だけ事足りる。
しかし中級上級のサーヴァントを相手にするならば話は別だ。『虚閃』の多用、『黒翼大魔』の解放、場合によっては『第二階層』や『超速再生』の必要も生じるだろう。
そのためのエネルギー源であることをシェリル一人に強いれば、彼女が文字通りに瀕死となるのは想像に難くない。言い換えれば、シェリルの生命に配慮するならばランサーは極力全力を出さずに戦わざるを得ない。
「何だろうな、この思考は」
己の耽る思考に、ふとランサーは奇異さを覚えた。
ランサーが聖杯戦争の舞台上に少しでも長く留まるためには、改めて優秀なマスターを持つのが最も手っ取り早い。幸いと言うべきかランサーには単独行動スキルが付与されており、仮にシェリルが命を落としたとしてもランサーは即刻消滅に至るわけではないのだから。
降りかかる火の粉を払うというお題目の下、シェリルをさっさと衰弱死させてしまうこともまた選択肢の一つなのだ。
この発想にランサーが至ったのは、たった今。こうして改めて考え直さなければ、ランサーはこの発想に至れなくなった。
間違いなく、シェリルのせいだ。
シェリル・ノームという人間に、彼女の歌に興味を持った。それは事実だ、認めよう。
不可思議なのは、ランサーの中でのシェリルの優先順位の高さだ。
考える、シェリルの何に引き付けられるのだ。歌が上手いだけの、特別な力の無い人間に、何故。
もっと明瞭な。言葉に出来る理由があるはずだ。
シェリル・ノームは、ゴッサムに生きる七桁を超える人間の中の一人に過ぎない。死が珍しくないこの街では、斃れゆく者達の中の一人であることすら――
「ひとり……なのか、あの女は」
甦るのは、かつてランサーと触れ合ったあの少女の言葉。
独りで死ぬのが恐ろしいかと問うたランサーに、誰かと「心」を一つにしているから怖くないと少女は答えた。
シェリルは今、あの少女と同じ言葉を口にしている。
しかし、二人の間には差異がある。
あの少女は少年に、仲間達に護られた。他者と力を合わせ、目前に迫る死の可能性に打ち勝った。
シェリルはどうだ。身体を蝕む病を治す術は無く、聖杯を掴み取れる見込みも無い。終へと向かうシェリルの運命は変わらず、最早何者にも救われることが無い。
そうか、と確信する。
シェリル・ノームは、あの少女が辿り着くかもしれなかった別の可能性。少年に護られず命を落とす少女、それは即ち、シェリル。
だから、ランサーは興味を持ったのだ。彼女の最期の声を聴くまでの間に、何がのこされるのか知りたいと。
ランサーは、一際強く大地を蹴った。
行き着く先に待つ者が敵か味方かは未知だ。それでも、敵でなければ理想的だろうと思う。魔力を行使する必要が無ければ、それに越したことは無い。
勿論、ランサーは敵意を向ける者が相手であっても怯えるつもりなど毛頭ない。十刃の第四として、己の槍を振るうのみ。
ただそのためにシェリルが死の危機に瀕するのは、些か不都合だ。ランサー自身が消滅させられるのも同様。恐ろしくなど無い、しかし癪だ。
しかし、この思考にも結局意味は無い。まだ見ぬ彼奴に出会う瞬間まで運命は分からない。
故に、ランサーはただ懸けるしか出来ない。
巡り会う者に立ち向かうしか出来ないし、立ち向かわねばならない。
シェリルの下に、帰らねばならない。
この数日間で、シェリルの喉で奏でられる歌声を何度も聞いた。
街角に流れる電子音声で、シェリルの新たな曲を何度か聞いた。
シェリルの喉で奏でられるシェリルの新たな曲は、まだ一度も聞いていない。
『何もこわくない、忘れはしない』と。
そんなことを謳う彼女に、聞かねばならない。今夜の舞台で、聖杯戦争という名の舞台で確かめねばならない。
女よ。
シェリル・ノームよ。
「お前は本当に――――本当に、こわくないのか」
問わなければ、ならない。
【UPTOWN BAY SIDE/一日目 午後】
【シェリル・ノーム@劇場版マクロスF 恋離飛翼~サヨナラノツバサ~ 】
[状態]余命僅か、今のところ病状は比較的落ち着いている
[令呪]残り三画
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]豊潤
[思考・状況]
基本:命の限り、歌い続ける。
1.夜間(18時)からのライブに準備。今はリハーサル中。
2.何かを楽しむ人々への興味(ビートライダーズ、シンデレラプロジェクト等)。
3.24日まで身体が保ってくれたら嬉しい。
[備考]
※21日の夜間(18時頃)にディナーショー形式のライブを開催します。開催場所はUPTOWN BAY SIDEに建設されたイベント用ホールです。
※22日以降の予定は後続の書き手さんにお任せします。少なくとも24日には大型ライブの開催予定があります。
【
ウルキオラ・シファー@BLEACH】
[状態]健康
[装備]斬魄刀
[道具]なし
[思考・状況]
基本:「心」をもう一度知る。
0.魔力の発信源へと向かう。
1.シェリル・ノームを守る。
2.白い怪物(インベス)と極彩色の果実(
ヘルヘイムの果実)、キャスター(
メディア)の使い魔を警戒。
[備考]
※インベスとヘルヘイムの果実、メディアの使い魔を視認しました。
※サーヴァント若しくはそれに類する大きさの魔力を付近に感知しました。正体は後続の書き手さんにお任せします。
[全体備考]
※【UPTOWN WEST VILLAGE】と【UPTOWN BAY SIDE】の間の範囲で活動していたメディアの使い魔の数体が、ウルキオラ・シファーに撃破されました。
最終更新:2016年04月25日 00:28