佐藤義則

1954年9月11日生まれ 北海道出身
1976年ドラフト1位で阪急ブレーブス(当時)に入団。

1977年に新人王に選出され、昭和最後の20勝投手でもあり
1986年に最優秀防御率のタイトルをあげる。
ブレーブス~オリックス~ブルーウェーブとひとすじで44歳まで現役を続ける。

引退後はそのまま古巣の投手コーチとなり2000年まで務める。
2001年に一時解説者となったが、2002年に阪神の投手コーチとなり井川慶を育て、04年まで在籍する。

05年より日本ハムの2軍投手コーチとなりダルビッシュを育て上げた男となった。
06年には1軍投手コーチとなりチームの日本一に貢献するも、ヒルマン政権から梨田政権へと移り変わる時の07年日本シリーズ終了後に契約終了となる。

08年の1年の解説者生活ののちに、09年楽天からお呼びがかかり投手コーチに。
13年にはヘッド格立ち場となり日本一に貢献したばかりでなく、楽天・田中将大という名ピッチャーを育てた。
14年に星野監督が辞任しデーブ大久保政権となったためか楽天コーチを解雇される。
しかし星野が次の就職先を探した結果、2015年よりソフトバンクホークスの投手コーチとなることになった。

エピソード

  • ハムとの契約終了時においてみつをを育て切れなかったのが心残りだったとか。
  • 楽天の投手コーチに就任した際にダル同様一場を覚醒させるのではないかと微妙に恐れられていたが、結局は一場は高田監督に拉致され、ヤクルトに行ってしまった。

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最終更新:2014年12月21日 13:40