ボビー・ケッペル

1982年6月11日生まれ。
本名はロバート・グリフィン・ケッペル(Robert Griffin "Bobby" Keppel )。
ミズーリ州セントルイス出身

2000年にドラフト会議でニューヨーク・メッツでドラフト1巡目(全体の36番目)で指名され、6シーズンマイナーで出場。
06年にカンザスシティ・ロイヤルズでプレー(メジャー)→07年コロラド・ロッキーズ(メジャー、3A)
→08年フロリダ・マーリンズ(3A)→09年ミネソタ・ツインズにてプレーする。

2010年1月にファイターズに加入。
公式戦初登板では1イニング投げただけで脇腹痛で降板。
しかし復帰後は驚異的な援護運でメキメキ頭角を現しローテ勝ち頭となる。
ゴロを打たせる投球スタイル。ハムの好守備との相性抜群。
一試合で17個もの内野ゴロを打たせたことも。

|          ゴロゴロゴロゴロケッペル!!
|r'⌒X⌒X⌒X⌒X⌒X⌒ヽ ⊂゙⌒゙、∩
|ヽ__乂__乂__乂__乂__乂__ノ  ⊂(。Д。)


また、驚異的な援護運の持ち主でもある。
2011年8月18日のロッテ戦では2回にグラスラ含め8失点、でもその後なんと味方が追いつき負けが消える。
打撃では10年6月7日の横浜戦ではタイムリーで自ら援護。(マイナーリーグでは2割2分打っていたらしい。)

12年シーズン2試合投げていたが痛めていた右肩の手術を行い、残りシーズンはリハビリに費やす。
13年シーズンの5月に2軍戦で復帰、7月14日に460日振りに1軍復帰登板、被弾されるも5回までいい内容(プラス援護あり)勝利を飾った。
しかし同年9月25日に球団から退団が発表される。お疲れ様でした。


エピソード

  • ネタスレでは分からないことを逐一調べる貪欲なキャラだったのに、いつの間にやら歌さん無き後のフリーダムキャラの座を確立している。
  • 高校時代日本にホームステイしていたこともある親日家で、お辞儀をはじめとした日本文化をリスペクトしている。
  • ダルビッシュも「ケッペルは謙虚」と絶賛。
  • 更には、娘が2人…おや、昨年まで同じような選手がいたような?
  • 年代的には菊地と同い年にも関わらず、帽子の下は2323というか年上の前選手会長もびっくりといった様相。(スキンヘッドなので若干判りづらいが)
  • 2011年震災後のチャリティーマッチでは自ら志願し感動のスピーチを披露。皆に感動を与える。
  • それどころか、ヒーローインタビューでカタコトの日本語を披露し、軽く笑いもとりだす・・・ネタスレのケッペさん化してないかおい?
  • 外国人選手として初めて2012年の選手会役員(肩書:特別アドバイザー)として選ばれる。
  • イベントで「けっぱるTシャツ」を販売したり、「プレイヤーズスペシャル」に外国人選手としてただ一人選ばれるなど、グッズ販売の点から見ても異色の馴染みっぷりを発揮。
  • 13年春季キャンプにおいてテスト中のアブさんがトレーニングシューズなのを見て自分のスパイクを貸してあげた。
  • 13年7月14日の復帰後初勝利時のボールは「一緒に復帰を目指していた佑ちゃんに渡して欲しい」と中垣トレーニングコーチに託した。
  • 退団が伝えられた際、ロッカーで号泣していたらしい(サタスポでの金村さん情報より)
  • ケッペルの退団が発表された日の試合後の栗山監督コメントで「自分が監督になる前からファイターズに貢献してくれて、けがをしたままチームを離れることは避けたかった。マウンドに上がれる状態にしてあげられたことが何よりで、ケッペルの野球人生がこれからも良きものになるよう祈っています」

ケッペルナマラケッパッタ。
アシタモカツゾ
オオゾラゾ~

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最終更新:2014年06月29日 03:24