公文克彦

1992年3月4日生まれ。高知県出身。
社会人を経て2012年にドラフト4位で巨人に指名される。

高知高時代の2年夏甲子園に出場も8回に逆転されて敗戦投手。秋よりエースとなり、翌年夏に甲子園に出場。
1回戦では2日連続ノーゲームのちに160球14を投げ14奪三振で完投も2回戦で敗退。
卒業後は大阪ガスに入団、2年目から公式戦に登板、3年目には都市対抗野球大会でパナソニックの補強選手として出場した。
巨人入団後、ルーキーイヤーの13年の9月25日に1軍初昇格、6回裏に登板して1つの三振を奪う。この年は3試合に出場。
16年は12試合に出場も、主に2軍が主戦場となる。
同年11月2日に大田と共に吉川石川慎との交換トレードでハム入りが発表された。

17年春季キャンプはアリゾナ組となる。オープン戦でも順調に成績を伸ばし、同年開幕メンバーに移籍後(もちろんプロ入り)初で選出、一度抹消になるも同年5月28日に再昇格、6月14日の対中日で11回に登板して12回に味方が得点をあげてくれ、プロ初勝利をあげ、この年は41試合に出場した。18年シーズンは開幕メンバーに選出も4月5日に一度抹消。4月20日に再昇格後はセットアッパーとして活躍して57試合に出場した。
19年シーズンは開幕メンバーからは漏れたものの、4月10日に昇格後はほぼフル回転で登板、同年8月29日の対西武にてデビューから連続試合無敗記録を165として日本記録を更新。
20年7月11日の対オリックスにてこの記録が183試合目で黒星がついてストップ、しかも自らのフィルダーチョイスでのことだった。21年8月12日に平沼木村文紀佐藤龍生とのトレードで西武へ移籍となった。

特徴

  • いわゆる左キラーを期待されるタイプで、極端にインステップするフォームからの球威あるボールが特徴。別段欠陥も見られなかったこともあり次代のリリーフ投手として巨人ファンの評価が高かった選手であるが、当時の2軍投手総合コーチに変則サイドに改造されてしまい低迷。
  • 移籍後の秋季キャンプでは元のスリークォーターに戻し開幕1軍を勝ち取ったものの、藤田(E)への頭部死球で危険球退場してしまい降格、現在は再調整中となっている。1軍通算20イニングで22三振5四球(2017年4月まで)と優秀な数値であるが、同時に4死球を記録しており、スライダーが外に抜けやすいようだ。

エピソード

  • 2013年シーズン終了後、社会人時代に入院した病院で知り合った5歳上の看護婦と結婚している。ある種のマニアの怒りを買ったかどうかは定かではない。

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最終更新:2021年08月12日 14:26