田中瑛斗

1999年7月31日生まれ 大分県出身
読み方は「たなか えいと」
2017年にドラフト3巡目指名。

小学生から軟式野球を始める(中学生まで)主に内野として起用。
柳ヶ浦高校に進学後は1年秋より控えでベンチ入りを果たし、2年春の県大会2回戦で初登板、初完封初勝利を収める。
2年秋よりエースナンバー1を獲得。秋の大会でベスト8まで勝ち上がりスカウトから注目される。
3年春では県の選手権でベスト4進出、これが最高成績となった(甲子園出場はなし)。

けがで出遅れたが18年5月22日のイースタン(対楽天)戦で7回に2番手で初登板、2アウト後に連続被弾とほろ苦いデビュー。
2年目の19年シーズンは主に先発中心として登板も1勝もできずに11敗を喫する。同年9月27日の最終戦に1軍昇格、対オリックスで2番手として2回から登板、2回を投げて犠牲フライとヒットで失点、そのまま負け投手となってしまった。
20年7月9日に右肘関節鏡視下手術を行ったことを発表(2か月後に投球再開)。その後はファーム中心での登板、21年シーズン終了後は一度は戦力外となるものの22年シーズンより育成契約を結ぶこととなった。
22年シーズンはファームからスタートも同年5月17日のイースタンでの対ヤクルトで6回より登板、復帰後初勝利をあげる。同年7月1日に支配下契約を勝ち取った。同年7月7日の対ロッテにてプロ入り初登板を果たし、ようやく初勝利をあげた(後述)。

エピソード

  • 184cm70kg、長身細身の149キロ右腕。
  • 父親はイチロー父の著書を読み感銘されると、転職して息子につきっきりで英才教育をしていた。
  • そのあまりの熱の入れような事がきっかけで母親と別居してしまう。
  • 17年ドラフト後の「お母さんありがとう」でも取り上げられていた。
  • お兄さんは美容師でオーナーである。
  • 同期で同級生とは「会ったことがないのでお話したい」。
  • 鎌ヶ谷の施設見学の時、記者撮影時にはその同級生の制服の襟を直してあげていた。
  • 山口俊(現メジャーリーガー)とは高校が同じであこがれの存在である。
  • 22年7月のプロ初勝利のボールはにはその同級生から受け取ったとヒロインで語った(そのボールは観戦に来ていた父親に渡したとの事)。

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最終更新:2022年07月16日 16:21