須永英輝

1985年10月28日生まれ 東京都出身 O型
03年ドラフト2巡目で入団する。
07年に結婚、09年には第一子が誕生。

一軍では好投するがなぜか無援護・後続リリーフの失点で勝てない、悲運の投手である。
07年6月2日の阪神戦では8-1の大差リード状態で、ダルビッシュの後を受け登板するが、金本にグランドスラムを浴び、皆を悲しみの底へ突き落とす。

09年オープン戦で好投し今年こそ!と期待され、3年ぶり先発もふくめ数回登板するがいまだ☆なしである。
10年シーズンオフ、紺田とともにジャイアンツへトレードされることが発表された。新天地でがんばれスナガガー!
と思われたが、12年に左ひじ内側側副靭帯再建手術を受け、13年も1軍での登板はなかった。
14年5月20日に1軍に久々に登録、23日の対ロッテ戦にて1347日振りの登板を果たすも、1/3回を3失点と打ちこまれ2軍降格。
15年6月10日に矢野と共に矢貫北篤との交換トレードで巨人から5年半振りに復帰。
同年8月28日に対ソフトバンク戦で久々1軍でのピッチングを果たす。
16年シーズンはけがに悩まされてこのシーズンは1度も昇格することなく同年10月1日に球団から戦力外通告、10月30日に引退して打撃投手へ就任(~17年)。
18年よりアカデミーグループへ異動となった。

伝説の「4番・DH須永」

07年6月14日の横浜戦。
取って取られての試合展開でどちらも決定打が打てず、延長につぐ延長。試合のテンポも悪く、選手も見ているファンも疲弊していた。
そんな中野手を使い切ってしまったヒルマン監督はウルトラCを繰り出す。須永をセギノールの代走として出したのだ。
疲れきっているセギノールを走らせるよりは、投手であるが若く、消耗していない須永の方が速いと思ったのだろうか。
嬉しそうにヘルメットを被って出てきた須永は、それまで死にかけていたハム専住人を蘇らせ、爆笑の渦に巻き込んだ。
この5時間53分の死闘は、ハム史上に残る一戦となった。

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最終更新:2018年01月05日 19:50