今川優馬

1997年1月25日生まれ 北海道出身
2020年にドラフト6巡目指名。

小学中学と軟式野球を経験。
高校に進学後は2年生秋よりベンチ入り、控えとして3年夏の甲子園に出場した(後述)。
大学進学後(後述)3年春よりベンチ入り。足首靭帯の大けがを負うもそれを克服して打率.353と結果を残す。
4年春のリーグ戦では.464、5本塁打で首位打者とベストナイン、特別賞を獲得、2季ぶりの優勝に貢献。
秋のリーグ戦でも.389に4本塁打とベストナインを受賞。
この年にプロ志望届を提出も指名漏れの憂き目にあう。
卒業後はJFE東日本に進み、1年目よりベンチ入り。春のスポニチ大会から5番レフトでスタメンとなり2戦目では本塁打を放つ。
以降スタメンに定着、都市対抗本線で創部以来の初優勝に貢献、若獅子賞も受賞する。
その後年間打率.330、4本塁打の実績を残し社会人ベストナイン(外野手部門)を受賞した。

21年春季キャンプは名護組スタート、同年2月7日の紅白戦にてコーセイから初打席初安打を放った。オープン戦では本拠地でヒットを放つも鎌ヶ谷スタート。同年4月16日に初1軍に昇格を果たしその日の対楽天で6番ライトでスタメン出場を果たした。同年の4月30日に再検査の結果、新型コロナ陽性と判定され隔離されていたが、同年5月10日に隔離期間が終了。同年8月1日の対中日ではエキシビジョンマッチながらも1軍での初ホームランを放った。その後は2軍の試合に出続け、同年9月12日に前日の試合で脳震盪を起こした近藤の代替指名選手として再び昇格、同日の対ソフトバンクにて早速スタメン、第1打席でレフトへ特大のホームランを放ちそのままお立ち台へ。
22年春季キャンプも前年と同じくBIG(名護)組スタートしてオープン戦で3ホームランを放つなど活躍、開幕メンバーにも選出された(後述)。同年4月27日の対オリックスにて社会人時代を過ごした東京ドームにて自身初のホームランを振宇組む猛打賞を、翌日の28日の対オリックスで2連連続のホームラン含む自身初の4安打を放った。

エピソード

  • 176cm84kg、強打を売り物とする右打ち外野手。
  • 家族は両親と妹と4人の弟
  • 小学生の時からのハムファン(後述)。移転初年度よりファンクラブにも入会するほどのファンであり、指名あいさつの際には会員継続の特典であるリュックとクッション+カードを贈られていた。
  • その為、ドラフトで指名された時は号泣していた。
  • 東海大四(当時)高時代の14年夏の甲子園2回戦にて山形中央と対戦した際いしちょくから代打でヒットを放つ。ちなみに1回戦では清水がいる九州国際大付と対戦していた。
  • 大学に進学後は家計に負担をかけないように奨学金を得て自転車通学、夜は焼肉店でアルバイトをしながら野球に打ち込んだ。
  • その大学時代にINTERNATIONAL POWER SHOWCASEに出場して大学生の部で11位タイとなった。
  • 入団会見前日に実家から野手の人数分のバットを取り寄せ、同期の野手達と素振りをやったりしていた。
  • 新人合同自主トレのフリーバッティング。サイレントKさん浦野さんなどが打撃投手を務めていてファン目線でしていた。
  • 知り合いに話を聞いて合同自主トレにてDEナイトリスナーになったとの事。
  • そのプレースタイルから鎌ヶ谷では「執念先輩」と呼ばれるようになった。
  • 22年3月25日の開幕戦(対ソフトバンク)ではペッパー師匠と共に開幕スタメンを勝ち取る。北海道生まれ北海道育ちの選手が開幕スタメンとなるのは球団史上初とのこと。
  • オフに姿勢を整えるトレーニングにて身長が2cm伸びて179cmとなったとの事。
  • 22年12月17日に球団へ自ら志願してON-DECでの1日店長となり、15分で40万円の売り上げに貢献した。
  • 23年オフに2歳年下の他校野球部でマネージャーをしていた一般女性と入籍、しかもファンクラブ会員同士。

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最終更新:2023年12月16日 16:39