『未来はオレらの手の中』



[登場人物]  コースケ堂下浩次





 青い空。──といっても澄んでいるわけではない。
ネイビーブルーの暗い夜道にて、オレはなにげなく小学校の校庭に入ってみた。
日常生活の普段では、男児がサッカーに戯れ、女児は花を摘みながらおしゃべりし、野良犬は児童皆の注目を浴びるこの校庭も今は無人。
通り過ぎるのは風のみで、普段は侵入を許されぬこの土地に踏み入ることはびみょーなスリルを感じる。


「……………………………」


そんな小学校にて、まるでシンボルマークが如く、入って早々鎮座する一つの遊具があった。
一本の錆びた鉄を、屈強な二本の青い鉄で挟み構成されるシンプルなその遊具。
その遊具の高さはオレの頭一つ…いや体一つほど上を行く標高があり、──なによりもこれが目について、オレは校庭に入ることを決意したのだ。


「…鉄棒かぁ………………………………」


先程パンを数個たいらげたこともあり、万事に備えて腹ごなしをしようと考えていたオレ。
そして、鉄棒の真下まで歩を進めたオレ。

鉄棒を使った運動といえば、前回り、後ろ回り、伸膝後ろ回り………と山のよーに選択肢はあるものだが。
とりあえず、オレは勢いよくジャンプすると、すかさず両の手で棒を握りしめる。
ぶら下がり状態の中、腕や広背筋・大円筋に力を込め、すーぅ…ふうーぅ……っと。
一定の呼吸のリズムを保ちつつ、顎が棒の高さに来るまで体を引き上げた。
腕の力を弱め、引き上げた体を下ろしまたぶら下がり状態に戻るとき。
肩の筋肉がキチキチ…ッとエキサイトの雄叫びをあげる……。


「いーち………」




────要は『懸垂』だ。





「にー………………」



 高校を卒業して数年が経つ。
卒業後、即大東京ビンボー生活を始めたオレにとって、高校卒業~今に至るまでのその年月は長いようで短く感じた。
高校時代──当時のオレはスポーツ部に励んでいたこともあり、全校生徒の中でも体力面は秀でている自信はあった。
それゆえ、数年経った現在ではどれだけ力が出せるものだろーか、と。
今オレは数年ぶりの体力テストで、自分の力を確かめている。

あの頃は懸垂三十回など余裕で熟せたものだが、ぐーたら生活を送っている今のオレたるや。
果たして、いかに………。 


「さーん……………っ」

  「しーー…………………っ」


……
………


    「きゅーー………………っ……」

     「じゅうっーー………っ…………」


…十回目の懸垂を終え、現状の体力は以下の通りとなる。
身体はやや保温を始め、心臓と肺がバクンッバクン……とうねりを見せ始める。
息も、荒い傾向に入り始めていた。
手に汗握る腕も全体的に重く、震えだしてくる。

だが、これでもまだ序の口。
オレ自身、十回が限度かなと高をくくっていたものだが、体力はまだまだ残量を示しており。
思いのほか、結構行けそうな気がしてきた。

よしっ。
休みを入れず、オレはまだまだ上腕筋を奮い立て、懸垂に臨んだ。


「じゅう~~っ……………………いーち」

 「じゅう~~~~っ…………にっ」



……
 割愛
………
…………


   「じゅう~~~~~~~……きゅうっ………………………っ」


    「に~~~~~~~~~~…………………じゅうっ…………」



 ──まだまだ体力は残量を示した、といったが、二十回台を超えてくるとなるとここからは根性での勝負となる。
この時点で腕は休みを求めてプルプルと、ゼリーのように震えだし、夏場なだけあって額には汗がジュワッ…と顔真っ赤。
肺なんかもう破裂する勢いで、全身の動脈がバクバクと流れるさまはうるさいくらいだ。
高鳴る心臓の音。良い表現をしてみると、生きてる実感を感じさせられる──そんな高鳴りぶり。

思い返せば、学生の頃もちょうど二十回目を超えたあたりで激しい疲労に襲われたもの。
となると、体力はさほど変わっていないということなのだろーか。
力仕事や大家から引き受けた雑用はこなす毎日とはいえ、普段寝てばかりだというのに、この体力維持ぶりは如何なる現象なのだろう。
自分の今の力っぷりに、虚を突かれた思いをした。


となると、だ。
目指すは数年前のオレが記録した三十回。
…いや、それをも超える大台中の大台へと、切り開いてみよーではないか。
過去のオレへ、未来のオレから自慢気に見せつけるかのよーに。


詩人・仲間庚のスローガンは『一球入魂』とのことだが、彼に倣ってオレも『一回入根性』。
休みを求める身体に鞭を入れ、再び休むことなくオレは懸垂を始めるのだった。




「にじゅう~~~~~~~~~~…………………いちっっ…………」

ホカホカの口臭が漏れ出る。──一方で、筋肉を震わせ身体を持ち上げた。



「に…じゅう~~~~~~~~…………………………にっ……………」

鼻息と共にかっ開かれる眼光。──一方で、筋肉を震わせ身体を持ち上げた。



「…にじゅう~~~~~~~~………………………………さんっ………」

力を込めようと引き締まっていく我が腹部と尻──一方で、まだまだ筋肉を震わせ身体を持ち上げた。
持ち上げ続けた。オレは、まだまだ。



最初は冷たい感触だった鉄棒も、この頃にはコタツのよーにポカポカしだしてくる。──握った箇所のみ。
掌が痛みを通り越してへしゃげた感覚だ。
これはアドレナリン…といったとこなのだろーか。二十回を超えると、手の痛覚がなくなってくる様子。──ならば、全身に取り付く疲労も取り払ってくれと言いたいところである。

もう、体力は限界突破寸前で、それはイコール気絶に結びつけられるといったところ。
正直、やめどきかな。と心の片隅で芽生えてきたのだが。
それでも、オレは懸垂をやめなかった。
やめたくないという気持ちがあった。

いま、何を考えてるの? ──と聞かれたら「ただ無心です」と答えるまでだ。
オレは二十四回目の懸垂成功を目指し、一人校庭。
拳に力を込め、ひたすらに身体を起こすことに打ち込んだ………。



「…にじゅう~~~~~~~~………………………………」


「やあっ!! はぁはぁ……!!! 中々やるっスね、おたく……っ!!!」




「─────…………………よんっ………」





やっとの思いで身体を持ち上げ、束の間の休息に突入しようとした時。
この時にやっと、オレは隣客がいることに気付いた。

…オレと同じく、鉄棒にぶら下がり汗水を垂らす────屈強な肉体の男が。




ざわっ…。




「俺…堂下浩次ってモンでして……っ!! 貴方の懸垂っぷりを見たら火がついちまって………!! はぁはぁ……、失礼ながらお隣失礼させてもらってるんスよ!!!」


頼んでもないどころか会話すら始めてないというのに、自己紹介と説明をしてくれたその男──堂下は、真っ黒なスーツ越しでも分かる圧倒的筋肉だった。
…まー、彼の筋肉はさほど興味は沸かないのだが。
オレが気になった男の身体的特徴といえば、真夏だとゆーのに全身黒ずくめの長袖と、同じくらい真っ黒なサングラスだ。

お世辞にも『普通』とはいえないその服装ではあるのだが、堂下という男は一体何者なのだろう。
葬式帰りなのか。わけがわからない。
映画のマトリックスまんまの姿格好にツッコミを入れたい欲がウズウズしてくる。


「…にじゅう~~~~~~~~………………………………」

「はぁはぁ……そうだっ……!!」


「─────…………………ごっ………」

「……ぐっ!!! はぁ…! はぁはぁ………。俺と懸垂勝負しませんか…………っ!!! 多くやった方が勝ち…でっ!!!」


奴のグイグイ迫る顔面のなんと暑苦しいことか。
ただでさえ全身が火照っているというのに、これじゃサウナにいるよーな気分だ。


それに、何故だがオレの動きに堂下もグイグイと懸垂を合わせてきている。


「…にじゅう~~~~~~~~………………………………」

グイッ


「おっ!! うっ、うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」

グイグイグイグイグイッ


「─────…………………ろくっっ………」

「ふはっ……!!!! はぁはぁはぁ…………っ! そうだ!! 負けたらプロテイン奢りにしましょう!! いいっスよね…っ!」


↑こーいった具合で、オレが一度懸垂する度に、ヤツは五、六回ほど高速で懸垂をしだすのだ。
まるで掘削機。もはや…ピストン…。
その勢いで凄まじく懸垂をする体力は、驚きと称賛に値するものだが、しかし何故にそんなことをしだすのか。
さっき「懸垂勝負だ」とヤツは言ったがハンデのつもりなのか、いやそれとも自分の力自慢を見せつけたいだけなのか。

…というか、そもそもにして見ず知らずのオレと何故こうも距離感が近いのか。


「……にじゅう~~~~~~~~………………………………」

グイッ


「!!! うおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああああっ!!!!!!」

グイグイグイグイグイグイグイグイグイグイ


「─────…………………しちっ」

「はぁ…はぁはぁ…………!! オレも…、T京ラグビー部主将の意地があるんでね………っ。絶対負けませんから!! ──ゴチになりますよ…! プロテイン……っ!!! はぁはぁ…」



…プロテインって。

……さっきも話したが、オレの懸垂キャリアハイは三十回である。
従って、終盤近くを迎えた今、ものすごい疲労と限界で体が歪みそうなのであるが。
謎の来訪者──堂下の勝手な提案でやめようにもやめられない事態となっている。
何故なら、この懸垂勝負で敗北したらオレはプロテインを奢らなくちゃならないのだ。
ビンボー人のオレが、プロテインを…だ………。
常日頃から思うんだが、プロテインってなんであんなに高いんだ。
量はそれなりとはいえ、たかが粉になぜ五千円近くも値段が張るのだろう。なんなんだ、その高価な粉は。覚せい剤かっ。


それを、一文無しのオレが何故…。
何故、買う羽目になっているとゆーのだ……。



「手が止まってますよ……!! もうそろそろやりましょうよっ!! 引き締まった体〈ボディ〉を想像して………っ。──さぁ!!!」


「…………………………っ」




絶対に負けられない………が、熱意は込められてない勝負事を唐突にするはめとなり。
オレは力ない腕を奮う中、負けた未来の自分を想像しどうすべきか自問し続けた。



「はぁ……。……にじゅう~~~~~~~~………………………………────」





………
……


『試合に勝ったが、勝負に負けた』────とゆー有名な名言があるが、オレは誰が発言したものなのかは知らない。


「はぁ………っ! はぁっ…! 嘘だろっ…………。はぁはぁ、この俺がっ………!!! はぁはぁ………」

「…………………ふぅー、ハァハァ」


とにかく、オレは懸垂我慢対決に勝利し、金銭問題はどうにか事なきを得たのだが。
…勝ったとはいえ、勝利の歓喜、喜びに光悦は一切とてない。

ただ得たのは立ち上がれないほどの強い疲労と腕の痺れのみだった。…あと、『事なき』の三つしか得ていない。
死ぬ気でやればなんでもできる、とは斎藤茂吉の詩集にもあったが、オレは今まさに死にかけ状態だ。


汗だけがどんどん流れ出て、それ以外は死体同然のオレ。
…とにかく勝った褒美のプロテイン奢りが待ち遠しい。
喉が水を欲してぐちゃぐちゃに暴れ狂っていた……。


「ぐっ………!! がぁっ……!!! ぐうっ!!!」

「…………え?」


「悔しい、悔しすぎんだろ……………っ!!! ぐうっ………!!」

「……………………」


しかし、待てども待てども堂下という男が差し出す液体は、『涙』のみ。
自身から排出するその涙はとても熱苦しく、その熱気で余計に汗が大量発生してしまう。
本来なら液体とは潤してくれる存在のはずだが、奴の出す涙は逆にオレをどんどん乾かし干からびさせてくる。


頼む、…早くプロテイン。
…というか水を……。


「悔しいけど……っ! 悔しいんだけどもよっ……………!! その倍くらい……、晴れやか…………!! 爽やかな気持ちの負けだっ…………!! 俺は…!!!!」

「………そ、そーすか。…はぁはぁ、とりあえず奢りの件は………」

「俺と名勝負に付き合ってくれてありがとう……!!! Congratulations……!!! Congratulations…!!」

「………はあ。ど、ども…………………」


悔しながらも勝者に褒め言葉を贈る奴は、まさしく人格者の鑑………──などとは決して言わないつもりだぞ。
コングラッチュレーションの言葉と共に、堂下は握手を求めて…というかヘロヘロのオレの手をがっちり握ってきたのだが。



「……あっ」



──その際、俺の手中に握られていたのは一冊の本。

どこから、いつ取り出したのか知らないが、どうやら奴から勝利の品を貰ったようだった。



「これ……!! 俺の尊敬する三嶋瞳先生の書いた本!! 必読本だからっ……!!!」


ん。なんだって。
三島由紀夫先生の本?


「良かったらキミにやるよ……っ!! 読んだら人生変わるから…!!! マジすげぇからさ………っ!!!」


説明不足でよく分からないが、とにかく彼が大切にしている本を貰ったらしかった。
…関係ないが、気が付けば敬語をやめて馴れ馴れしくタメ口になった堂下だけども、その心の変わりようはなにがきっかけだ…?


「いや…もう、ほんとすごい本だよっ……!! キミくらい凄いよ………!!! あっ、キミスポーツなにやってた? ラグビーとか興味はある?」


…とりあえず本の品定めに入りたいから、隣の熱血男はかなりの邪魔。
あまり言いたくないが、用が済んだのなら去ってほしい…が本音だった。


──…と、俺の軽い本心が伝わったのか。否か。



「んじゃっ……!! 俺まだまだ用事があるからこれで…………!!! いつかまた会ったら草ラグビーしようぜ!!! ──じゃあな…!!!!」


…いや多分伝わってはないだろう。偏見で悪いが、彼に人の心を察することなんてできるわけないだろうから。
堂下という男はやりたい事をして満足したのだろう、さっさと校庭から立ち去っていった。



「T京魂ッ…ファイア────────────っ!!!!!」



…と雄叫びをあげながら。

時計にして、三時十分での出来事だった……。




……てゆーか、『草ラグビー』ってなんだ……?





「……………………」






さて、校庭に一人取り残されたオレであるが。
疲れがそこそこに抜けたオレは堂下から貰った『私だから伝えたい ビジネスの極意』を拝読した。


ぺらっ、ぺらぺらぺら…


「………………」


うんっ。中々に面白い。
現代ビジネスの新しい改革、そして自身の体験を綴った分かりやすい表現で確かにヤツが気に入るのも納得な傑作だった。
スラスラと読みやすく、それでいて重厚感ある文章なのもいい。良い本だ。


ただ、一つ欠点があって。

──これはジャンルにして『ビジネス本』だ。
日頃貯金をなくなく崩しながらマイペースに生活するオレにとっては、非常に耳が痛くなる本だ。
あぁ、痛い。あまりにも痛すぎる。


「…………………………」





活字を一冊を読み終えたこと、
激しい運動の後であるということ、
数時間前パンを豪快に食したこと。


──この三点が絡み合いハーモニーを生んだ影響で、オレは尋常じゃない睡魔に襲われてしまった。
もう、抗うことすらできない。
目を覚ました時、花畑〈HEAVEN〉にいないことを願いつつ、オレは鉄棒の下であえなく力尽きていった。



「…ところで、三嶋瞳って…誰…………だろう………………」




 バタリッ





……
………
 ──お兄さん、大家さんの御親戚かなにか?

 ────…………いえ。単なるここの住民で。

 ──学生さん?

 ────…いえ。………一応、…社会人…で。

 ──…ふーーん。
………
……



【1日目/C3/渋谷高校校庭/AM.03:34】
【コースケ@大東京ビンボー生活マニュアル】
【状態】睡眠、疲労(大)
【装備】???
【道具】???
【思考】基本:【静観】
1:疲れたからオレは寝る…。
2:なんだったんだろう、あの男は。
3:チェンソーメイド(早坂)に警戒。



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最終更新:2025年03月26日 07:59