『サイダーガールと、ラーメンガールと……』








 青天、白い雲。
鉄柵の向こう、蝉の声が風を抜けて、生ぬるいプールサイドをなぞっていく。

『プール』が持つ魔力は、まことすさまじい。
ただそこに在るだけで、男女を問わず裸体に布一枚という大胆な姿へと誘い、その恥じらいを清涼のもとに免罪してしまう。
大胆なのはなにも人ばかりではない。
水もまた、肉感ある胸元や腰に絡みつき、いやらしく揺らめくのだから、まったくドスケベ極まりない。
しょせんは水中生物も羽虫も入っただけで死に至る塩素の海だというのに、なぜ人々はプールに飛び込んでしまうのだろうか。


波紋がまたひとつ。ふたつ。
太陽の光と重なり、ユラリユラリと広がっていく──。



「むひょひょ! うひょ~~~っ、たまんね~~~!!!」


 代々木公園/屋外プール。
──から少し離れた住宅街、木のてっぺんにて。
間の抜けた声を響かせる者が二匹。
ミンミンゼミと、新生古見様親衛隊のエース・殺人ニワトリである。

思い立ったが吉日とばかりに「古見さまのお身体を清めよう」と、堂下の提案のもとプールへと向かい、
そしてまた頼まれてもいないのに「よし、行こうぜ!!」と、古見さんの為に食料買い出しへ繰り出した二人。
ただ、道中。
急にハッとさせられたのか、堂下は「お前、これで古見さまを見守っててくれ」と、双眼鏡をニワトリに託してその場を離れた。
かくしてニワトリは、空を背に木の上で揺れながら、行き当たりばったりな監視を全うする羽目に至る。


「おっひょ~~~!! 古見さまぁ……古見さまやべぇ……! マジ脳がバグっちまうぜぇぇ~~!!!」



とはいえ、そんな行き当たりばったりな監視も適材適所というか。
ニワトリ自身、そこに不満など一片も抱くことはなかった。

ぼやけていた双眼鏡のレンズが、次第に焦点を結ぶ。
揺らぐ陽炎の向こう、少しずつ輪郭を取り戻していく夏の光景。
恐らく「せっかく連れてきてもらったのだから……」という、彼女なりの思いが滲んでいたのであろう。
レンズに広がっていた光景は、


──内向的な古見さんには珍しい、『大胆な水着姿』であった。



「ひょひょひょひょひょ! めっはひょ~~~!! メッシャミ~~~ンってやつだコイツはよぉぉぉおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」



 レンズ越しに、脳内へと1080pHDで焼き付く眩惑の景色。
片や、冷ややかな水面をたゆたう清廉の乙女。
片や、炎天の下、双眼鏡を構えつつ日射しに炙られるニワトリのコントラストである。

古見さんの澄んだ瞳と、目が合ってみたい──、
何か理由をでっち上げてでも、あのオアシスへ飛び込みたい──、
──というよりも、今すぐあの素肌に触れてみたい────。

【一泳ぎ】。
濡れた布地が肌へ吸い付き、曲線をより明確に浮かび上がらせていく。
その、わずか【一泳ぎ】を求めて──。
ニワトリは、ありもしない自らの両翼をバサバサと振るい上げるのであった。



そして何よりも、
レンズに映る────、



「よっ! 監視お疲れ様……!!!」

「うおわっ!!! びびびびっくりしたぁあああっ!!!!??」



──今は求めていない『熱血漢』の顔面ドアップ。



「買い出し戻ってきたぞ……!! ほらよ、お前の朝メシ……エースコックのカップ麺……っ!! おにぎりは一人一個までだからな!」

「あ、おう。おかえりだぜアニキ……。──」


 ──ドサッ

「──……いや“おにぎり一人一個まで”って……。ンじゃこの残り全部、古見さんの分かぁ??! この山盛りは何なんだよ!?」

「あ? バカヤロー!! 俺、朝メシ抜いてんだぞ……?! 残りは俺の分さっ!」

「はぁ??! これ、全部をかぁ!!? ……やれやれ、アニキはあんたっちゃぶるだぜ…………」


「それより弟、古見さんは大丈夫だったか……っ!? 何か……危険に晒されたりとかは……ねぇよな!?」

「え゙っ!?? そ、それは…………」

「なにっ!!? 貸せ、双眼鏡を……っ!!!」

「あ、アニキぃ!!!?」


 木のてっぺんにしがみつく、男二人。
その重みにも微動だにしない樹木の生命力は実に興味深いが、今は置こう。

ニワトリから双眼鏡を取った堂下は、キョロキョロと見回したのち、照準。──古見さんのいるプールへと眼を集中させる。
陽炎の揺れる打ち水、白南風に撫でられる水面、照りつける真夏の太陽。
そのすべてが視界に収束した瞬間、
──漢・堂下の脳裏に、稲妻のような衝撃が走った。


「あ…………っ? な、なんだ……これは…………!!」

「それな!! だろ? だろ?!! マジやべ~だろ! むひょひょ~~!!!」

「だ、だな……っ! まるで……蠱惑……魅惑っ…………!! この世のパラダイス…………っ!!──」


無理もない。彼もまた男である。
双眼鏡の先──そこに広がっていたのは、夏の陽光すら霞むほどの『禁断の楽園』だった。

白、黒、藍。
水面のきらめきに浮かぶ、三つの豊かな胸。
それぞれに異なる色香を纏いながら、まるで彼らの誘いを待つかのように佇んでいたのだ。



──『水着の女神たち三人』が、今、対岸沿いに────。




「──うおぉ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!!!!!」

「むっひょ^~~~~~~~~~~~~~~~~」

「アウツ……アウツ……っ!!! こ、これは……犯罪的な光景だああァっ…………!!」




無論、覗きは立派な犯罪である。






………
……


 白き女神。
『それは、りと母性、その象徴なり。(詩篇 第42章 第7節より)』
────古見硝子。


「…………!」

スラスラスラ──
→{{では、その芹沢達也さんの元に私たちもご一緒させてください!}}


肌を縁取るように結ばれた、純白ビキニのリボン。
布地は胸の柔をかろうじて押し留め、呼吸のたび、わずかに波に揉まれて形を変える。
腰のライン。
しなやかに曲線を描く肉感は、重力と風のどちらにも逆らわず。
まるで水そのものが彼女という器を選び取ったかのように、静かに、優雅にたゆたう。
そして、裾。
ひらりと風に舞うミニスカート状のフリルが、無防備に膝をかすめるその様。
まるで『清楚』という言葉を丁寧に畳んで、わざとスカートに仕立てたような水着だった。
その布一枚が生む『見えそうで見えない』境界こそ、この世で最も理性を削る罠にほかならない。



 黒き女神。
『それは官能と信仰、その狭間に立つものなり。(黙示録 第21章 第9節より)』
────枝垂ほたる。


「あら、それは心強いわ!! ……ね? 言ったでしょう!! 暇な時間ができたらまずプールに、ってね!! 小泉ちゃん!!!」


そんな白き女神(ヴィーナス)のすぐ近く、肌と肌が重なるというほどの距離にて。
水中に佇む深黒のビキニ。まるで布の形をした挑発といった大きさだった。
胸もとは、押しとどめられた果実のように豊かで、一歩踏み出すたび、柔らかく、弾むように波打つ。 
彼女の肌露出の隠されっぷりは、三人の中でも特に申し訳程度という形であっただろう。
下腹部の布地からは、尻のラインがあどけなくのぞく。
まさしく純粋無垢。話さずとも、これまで『エロい考え』とは無縁と分かるその彼女。
彼女の明るさは、光の化身でありながら、まるで闇を駆ける黒き稲妻(ブラックサンダー)のような存在感を放つ。

プールサイドに置かれたラムネ瓶の箱は黒き女神の私物だろうか。
まあいずれにせよ、無自覚な笑顔ほど、男の理性をサクッとキャラメルコーティングして焼き上げる兵器はない。



 最後に、藍き女神。
『それは、静謐の美。(詩篇 第46篇 第10節より)』
────小泉さん。


「……自分が入りたかっただけでは? 枝垂さん」


二人と距離を置いてプールサイドにて。
申し訳程度に水に足をつかりながら、ラーメン雑誌を読むその彼女。
中太ちぢれ麺のようなウエーブ髪。ポニーテールを束ねた青いリボンが、淡い風に揺れる。
しかし、肝心の水着は控えめな性格の彼女をくみ取ることなく、肌は大きく露出目である。
胸の起伏は静謐でありながら、陽の光を受けて陰影を描き、太ももへと流れるラインは無駄を削ぎ落とした美の方程式。
ページをめくるたび、ラーメンの写真が彼女の食欲を刺激するのか、彼女の腹部が分かりやすく鳴き声を上げる。
──腹部。ヘソ周りとは実に罪深き造形である。
見る者はみな、指先をそっと添えたらどうなるかを想像せずにはいられない。
是非とも彼女から「お試しあれ」の言葉を聞きたいものである。




「…………」
→{{ところで、その芹沢さんという人は……どんな方なんですか?}}

「ふふ……! ちょうど説明しようとしてたところにパーフェクツタイミングねっ!! 古見ちゃん!!!──」

「──彼はラーメン界のカリスマ…………! つまり、小泉ちゃんと芹沢さんはロミオとジュリエットのような関係なのよ」

「そんな大それた関係でないと思いますが」

「芹沢さんに会いたい……会わなきゃいけない……、その一心で彼に電話をかけたものだけども、返ってきた答えは『悪いがそれどころじゃない。一時間後に会おう』のみっ……。──」

「──あぁ、なんて悲運なのかしら……。会いたいのに会えない、このもどかしさ…………!! 私も流さざるを得なかったわ、涙をね…………。──」

「──そこでたどり着いたのがプールなのよっ!!! わずか一時間、されど一時間!!! この暇タイムと酷暑を乗り切るためにも、私たちはこの場にはせ参じたってわけだわっ!!! 以上が事のあらましよ、古見ちゃんっーー!!!!!!!」

「……あからさまな説明口調はやめてください」

「……~~……!」
→{{なるほど! それだけ凄い人ってわけなんですね、芹沢さんは}}

「ええ!」 「…………」


「………」
→{{……堂下さんとニワトリくんが、芹沢さんに合うといいんですが……}}

「……ふふっ。古見ちゃんの優秀な崇拝者……堂下くんねっ!!」

「そろそろ切り込んでもよろしいでしょうか。……なんですか、自称ニワトリって」



 どれだけ手を伸ばしても届かない幻想のビーチ。
一台の望遠鏡越しに映し出される、ココロの恥部。
これは夢なのか、現実なのか。
もし夢だとしたら、それは現よりも残酷な真実である。


……


 ──ざわっ……

  ──ざわっ、ざわっ……


「フー、フー、ズルズルズル~~~~…………。うひょひょひょ~~~っ!! すげぇ光景だなぁアニキ~~~!!!」

「ズルズルズルズババババ~~~~ッ!!!! ……バカがっ。悔しい。俺は……悔しいぞ、弟…………っ!」

「え??」

「Dカップ……Eカップ……Cカップ…………。レンズの向こう側は、まさしく天国…………。ぐっ……それに比べて俺たちはどうだ……っ?!──」


 彼女たちの笑い声は、風に紛れてこちらに届かない。
それでも、確かに和気あいあいの調べを奏でてる──レンズ向こうの蜃気楼。

裸女を前にしても無反応でいられるのび太くん一行ならまだしも、
彼ら二人にとって、その双眼鏡越しの風景は──、



「──俺らの手にはスーパーカップ(エースコック)…………っ!!! これで泣けねぇ奴は……男じゃねぇよっ!!! あぁメシウマ……、圧倒的……メシウマ………っ!!」


「……うっ! うっ……うぅっ……あぅ…………。兄貴らぁ……」


──圧倒的感涙。

ふたりの心は、熱き麺とともに揺らぎ、すすり、泣き、嗚咽を漏らす。
『泣きながらスープを食わされてる男の動画』──かの深層Web動画を連想する、そんな泣きっぷりであった。


ラグビー一筋二十年。
堂下にとってその涙は、これまでのぶつかり合い(ラグビー)で流してきた涙とは比ぶべくもない、あまりにもチンケなものだ。
それだというのに、試合で敗れた時以上の屈辱と悔しさを覚えるのは、いったい何故なのだろうか。
二人は歯を食いしばり、ほっぺたを膨らませながら、監視行為を一心に続ける。

ちなみに再三申すようだが、『監視行為(覗き行為)』は立派な犯罪である。



 ──ピーポー

  ──ピーポー


「うおっ!??! パ、パトカー!?? つ、通報されちまったのか俺らは!?? アニキィ!!!!」

「なにっ!!?! ……って、落ち着け弟……! よく見ろ、救急車だ……っ!!」

「な、なぁ~んだ……。人を脅かしやがって、この畜生がッ!!!」

「ふっ、まぁまぁ! いいことを教えてやろう兄弟分。パトカーのサイレンは『ウーウー』。それに対し救急車は『ピーポーピーポー』なんだ……! ……ピーポー君なんてマスコットがいるのに、面白い雑学だよなっ……!」

「なんだって!!? ひっえ~~~ハナタカ!! ンな誰も知らねーことよく知ってんな。さすがT京大卒業の天才だぜ!!!」

「バカがっ……!! 学歴なんて関係ない」

「あ?」


彼らが登る木の下、あっという間のスピードで過ぎ去っていく白い救急車。
もしも救急車カラーが『黄色』であるのなら、乗車の当事者はほかならぬこの二人であったものだが、不幸中の幸いということだろう。
笑い、泣き、怒り、叫び。
感情を爆ぜさせながら二人はプールの楽園を見守っていた。


「──俺の知識はいつも、ココ(筋肉)が教えてくれるのさ…………」

「すっげぇぇ……!! かっけぇぇぇぜ~~~!!!」



 ところで、ニワトリが誇る大兄貴・堂下浩次。
『さすがT京大学卒』と褒めたたえられるほどには、意外にも『読唇術』に長けている様子だった。
腐っても帝愛エリートというわけか。その技術力を、さっきからいかんなく発揮していた。

例えば今この瞬間。
ほたるさんがラムネ瓶の口先を唇へくゆらせ、そのまま『んぐっ』と喉を鳴らしたなら、



「『んっ……ぷはぁ~~!!』──」

「──『乾いた喉にシュッワシュワのラムネ……最高ね!!! 私が最も愛するドリンクの一つだわ!! ほら、小泉ちゃんに古見ちゃんもどうかしら?』」

「『お断りします』」

「『え~~!!? そんなぁ~~~~!!!! ほら一口!! 先っぽだけでいいから!! 先っぽだけ!!!!』」

「『ちょっと、人が嫌がることをするのはやめてください。……先っぽだけってなんですか』」


「──って言ってるぞ弟……!! うひょ、うひょ~だなっ……!!」

「あぁああっ??! おい先っぽってなんだよ?! 俺にも貸してくれよ!! 見せろや!!!!」



以上この通り。
随時随時、愛すべき弟に向けて、彼女たちの会話を通訳してくれるのだ。

双眼鏡は今二人に一台のみ。
ゆえに現状、堂下ただひとりが魅惑の領域を堪能し、ニワトリはそこから広がる妄想で「うひょ~たまんね~」だのと呟いていた事になる。

ただでさえ今、脳裏を支配する『対岸』は、手の届かぬ領域だというのに。
それに加えて、『見る』という権利さえ奪われるとは。
無論、純粋な堂下ゆえ悪意あっての行いではないのだが、ニワトリの顔には、隠しきれぬ不満がにじんでいた。


「あっ、刮目……!! 見ろ、古見さまがお書きになったぞ……!! 『あ、枝垂さん……!』ってノートに……!!」

「見ろもへったくれもねぇーよ!! じゃあ俺にも見せろっつうの!!!」

「『小泉ちゃ~~ん!!! お願いだから飲んで~~~!! 美味しいわよ~~~!!』」

「…………おい!!!」


ただ、そんなニワトリの苛立ちを察すことなく、堂下のやさしさ溢れる読唇術は、なおも続く様子であった。



「『あ。ちょっと枝垂さん……。読書の邪魔はやめてください』」

「『ほら、お願いお願いお願い~~~~!!! 駄菓子はあなどっちゃだめなのよ!! ほら、熱中症対策も兼ねてさ!!』」

「『お断りします。……ちょっと、しつこいですね……』」


「──おいおい……っ!! 女の子が女の子の方に近づいているぞ……!! 古見さまも二人を静止しようと距離を縮めてる……!!! これは一体どうなるんだあっ……!?」

「そのスポーツ実況みたいな喋りはなんだよっ!? あとアニキの女言葉、正直かなりイカついぜっ……!」

「おぉ!! 神からのありがたい綴り、二発目だ……!! 『枝垂さん、小泉さんが困ってますよ……!!』だってさ!! その文字をあらわすが如く、三人はもうもみくちゃだ……!」

「ンだそれっ?! み、見せろ!!! 観覧料は出世払いだ!!」



「『お願い~お願いお願いお願い~~~~!!! ほら、古見ちゃんも!! 人数分このために用意したのよ~~~!!!』──彼女にベタベタ頬ずりし始めるほたるさん……!!」

「『だからお断り…………あ、ちょっと枝垂さん……!?』──おぉ!! 沈黙を貫いていたビーナスが、ここで初めてうろたえた!?」

「『決してアヤしい飲み物じゃないから!! 飲めば全部忘れられるすごいクスリみたいな飲み物だから~~~!!』──圧倒的大胆……っ!! 水しぶきと共に揺さぶりが止まらないっ……!!」

「『自らネガキャンがすごいんですね。……枝垂さんったら…………』──小泉さん、ややお怒りかっ……!?」

「『お願いお願いお願いお願いお願い~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!』──小泉さんへのアンサーは圧倒的忌憚なさっ……!! 彼女の全身にベタベタ触るほたるさん……! こ、これは一体……」

「『し、枝垂さん……あなたって人は…………』──これは一体ぃ…………っ!!!」

「『お願いぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!』──一体どうなってしまうんだあああっ…………!?」





「────……あっ」




「……ど、どうしたんだよ。アニキ……」



 まるで水を打ったかのように、突如ぴしゃりと黙り込む堂下。
彼によるエロス実況は、九回表・走者一掃逆転パスボールを見せられたのごとく、沈黙の幕を下ろした。
さてさて一体、何があったのか。
堂下にのみ観戦を許された、その双眼鏡の向こうには、どんな光景が映し出されていたというのか。

まさか、惨劇か。
血、血漿、水面を濁すブラッディ・ワインの匂い。
色づくプールにさえも、『殺し合い』の毒牙が迫ったのだろうか。


「……弟よ、古見さまはお書きになったぞ…………」

「な、なにをだよ……?──」


嫌な予感に、ニワトリの背筋がゾクリと震える。
その刹那、彼の鼻孔にも、鉄の味──『血』の匂いが届いた。


「──って、あっ!!?」


──それは回想。数時間前。
小宮山琴美に金属バットでフルスイングされたことによる、頭部の傷。
双眼鏡越しの現場がどんな事態になっているのか、


堂下の頭頂部から流れる──『鼻血代わり』の出血が、事の次第を雄弁に物語っていた。




「……『先』って、ノートに書かれている…………っ」



「あ?! ……な……なんの、『先』だァ…………?」



「う、うおぉ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」

「どわっ!!??」


 風から運ばれる、キャッキャキャッキャとした『女子同士なんだしいいじゃん~』という声は空耳だったのだろうか。
いずれにせよ、その『光景』を直視した瞬間。
興奮のあまり、彼の喉からは魂の雄叫びが弾け飛んだ。

時刻は現在AM.5:50。
ニワトリと名乗る弟よりも先に、朝の一鳴きをあげた堂下は、今まさにテンションMAX。
あの曲がったことに屈しない熱血漢をもここまで豹変させるとは、一体プールで何が起きたというのか。
気が付けば、双眼鏡は原始人の握力で木っ端微塵に砕け散っていた。


「あっ!? あぁ~~っ!!!! 俺の双眼鏡がぁ~~っ!!? テ、テンメェ……もう見れねぇじゃねぇかっ!!! こん畜生……、」

「弟よ……!! 機は熟した、行くぞっ…………!!!」

「え?!!!」


「Go to Home……っ!! ────我らの、『ソフトオンデマンド』(古見さんたちの元)へっ…………!!」

「あ、俺それ知ってるぜ! 金がかかるXビデオみてぇーなサイトだろっ!!!」

「さあ行こうぜっ……!!! 銀のぉ……竜のぉ……、──」


「──背にぃぃぃ乗ってえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「うお……うほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 心なしか。
いつもの倍以上、堂下が『頼もしい男』に見えたニワトリであった。

双眼鏡を捨て、カップ麺の空も捨て、迷いを断ち切った弟をお姫様抱っこ。
堂下は、木の上からそのまま渾身の両脚着地(ダイブ)を敢行した。
ドシンッ────。衝撃音と共に聞こえた鈍い声。「うっ……」
無理もない。木の高さは十メートル。
加えて、堂下の圧倒的体重とニワトリを抱えた勢いが重なれば、足への負担は強烈な物。
彼の膝は、痛々しくも開放骨折していた。


「あ、アニキ……!? アニキィイイイイイ!!!!!!!」

「……ぐうっ、大丈夫だっ……!! ……それより弟よ」

「な、なんだよ!!? それよりもなにもねぇだろ!? 骨飛び出てんだぞ!? おい……、」


「……お前には、やるべきことがあるだろ……っ!!」

「え……?」

「買ってくるんだ……っ!! ……魚屋に売っているか知らんが……、とにかくこれでありったけ買ってこい…………!!! 『アレ』をっ…………!!!」

「…………あ?」


だが、今更『痛み』などという概念。熱血漢の神経にはノイズにすらならないのだろう。
彼は損傷部をすぐさまアロンアルファで塗り固めると、サイフから十数万円の札束をニワトリへ授ける。
「おつりはやる」──言葉にはせずとも、その熱き意志が札束の震えとして伝わった。


「“買え”って言われてもよぉ。何を買えばいいんだ?」

「ぐっ…………!! バカヤロォッ!!!!!! 言わなきゃ分かんねぇかッ?!!! おいッッ!!!」

「ひっ!!!」



「……あっ、言わなきゃ分かんねぇことか。……すまないっ」

「んだよテメェ?!!」



「順を追って説明するぞ弟よ……。舞い降りたんだ……急に、天啓…………!! 圧倒的閃きがな…………っ!!!」

「て、てんけー?」

「考えてみろ……。俺たちが今、何の工夫を持たずして彼女たちの元に飛び込んだら……どうなるっ?! ……言わずもがな、失策。待ち受けているのは……『変態扱い』というレッテル貼りのみ…………!!」

「そりゃそうだろうけど……。だからってどうすりゃいいんだよ??!」

「そこで『口実』なんだ……っ!! クク……つくづくこの世というのは……口実さえあれば何でも許されるもの…………! なんであろうとなっ…………!!」

「こ、こーじつ……?」


「だからこそだ……!! 聞け、我が弟……っ!!」


 ────ヒソヒソ……


「あぁ……!? マジ?! そりゃビックアイデアじゃねぇか!!!」

「俺の考えで突き進めば……出会えるぞ……!! 合法的に……女神たちの元へとっ…………!!!──」


 なぜ、耳打ちにしたのか。
周りには誰もいないのに、ヒソヒソ話でする意味はあったのか。
その真意は、堂下にしか分からない。
いや、もしかすると本人ですら、分かっていないのかもしれない。
──そもそもの話、彼が囁いた口実の品など『魚屋』にはあるはずもないのだが、筋肉でしか世界を理解できぬ彼にとって、そんな理屈はどうでもよかった。

彼にはあったのだ。
これまで記憶に刻んできた、ヴィーナスの会話。

やれ、“小泉さんはラーメンが好き────”だの。
やれ、“ほたるさんはサイダーに魂を捧げている────”だの。
やれ、“古見さまの水着姿は犯罪的……っ”だのと。

それら断片を、熱血脳が一つの方程式として組み上げた結果、彼は見出してしまったのだ。
『彼女たちの機嫌を損ねず、堂々とプールに向かう』という、奇跡の解法を。


「──すべては『アレ』のおかげでな…………っ!!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!! 堂下アニキ万歳ぃいい~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!」



 ボウリングが趣味が堂下である。
鋼鉄球を150km/hストレートでぶち込む、その『プラン-Oppai(圧倒的名案)』に。
男たちは、馬車馬の如く突き動かされるのであった───────。


………
……


「……現在、五時五十五分。あと三十分ほど、何もせず水中でボサーっとしてると考えたら、なんとも言えず虚しいものです」

「まあまあ小泉ちゃん! 人生は今を楽しんだ者勝ちなのよ!! ね、古見ちゃん!!」

「……………!」
──フンスっ!!


 水辺のほとりの小さな光。
なんやかんやで結局入水した小泉さんを含め、三人は水の涼やかさに酔いしれていた。
言うまでもないが、いまは殺し合いの真っ只中。
三人とも心の底から楽しめているわけではなく、それぞれに懸念や不安を抱えたままの遊泳だ。
ただそんな思いなど関係あるだろうか。
プールの魅惑に引き寄せられ、あまつさえ水着に着替えて入ってしまった以上、『楽しむ』以外の感情は無粋なのである。

ふと見上げた三人。
漂う雲と青空を仰ぎながら、古見さんらは夏を受け入れ続けていった──。




「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ひゃっは~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」



──のが、間違いだった。



「「「!!??」」」



 突如として響いた世紀末の雄たけび。
その熱血こもる声に、聞き覚えのあった女子はただ一人。古見硝子のみであった。

それぞれ海パンと、日の丸が描かれたフンドシ。
両手には、わけのわからぬ巨大な桶。
もはや誰の制止も聞かぬ二人の漢は、唖然とする三人の視線など意にも介さず──、


「きれいになってくれ!! 古見さまにほたるさんに、小泉さんっ……………!!!!!!!!──」

「これが俺たちの、ファンサービスだぜぇ!!!──」


「「──うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」」



桶に入った大漁の『ドクターフィッシュ』を、塩素の海(プール)へぶちまけていった────。


………
……





 死魚浮く──、

   消毒の海──、

     夏まぶし────。


【夏の一句】


 あれだけ騒がしかったプールは、今はもう、誰の声もない。
白銀の水面は陽を受けて静かに煌めき、夏の夢を映しては、ひとりでに消えていく。

フェンスから伸びる影。
眼下には、二つに分かれた参加者組の姿。
塩素の匂いをまとったまま、彼女らはそれぞれの想いを胸に、別々の道へと歩を進める。



……

「アニキ、アンタやっぱすげぇよ……。エゲつけねぇって……!」

「ふっ、よせ弟よ……!! ドクターフィッシュを銭湯からかっぱらうという……悪魔的発想を思い付いたのは、まぎれなくお前……!! お前の手柄じゃないか…………!!」

「アニキ……!!! アニキィ~~~~~~!!!!」



「…………………………………」



「……さて、ニワトリ。…………どうするよ? なあ」

「…………どうするって……」



「………………~~~~~っ!!!」
──ニブ ニブ ニブ ニブ……




「「(古見さまが……怒ってるぅ~…………!!)」」




……

 ──ピンポンパンポーン


「あら、もう六時!! ……気付けば死者放送の時間ねぇ~~……、小泉ちゃん~……」

「いや“除夜の鐘鳴ったなぁ”的なシミジミ感で言わないでくださいよ。──」


「──……というか、私は何度も『プールはお断りします』と申しましたからね。断る理由っていうものがあるんですよ、理由が」

「……ふふ。モチのロン、それは分かっているわ。ごめんなさいね小泉ちゃん……」

「本当に恐れ入りましたよ。……貴方という人はもう…………、」


「た~だぁ~! ……私、ドクターフィッシュの遊泳を見て閃いちゃったのよね~~~!! ピコーンって! バチッコーンって!!!」

「…………はい?」

「どうかしら小泉ちゃん!!! カップ麵の残り汁に『おっとっと』を入れるっていう……悪魔的水族館は!!! 今こそ手を組もうじゃないの!! ラーメンと駄菓子……それぞれ新しい道の、開拓を!!!」

「恐れ入ります、……サイコパスですか?」



………
……



 ──ミーン

  ──ミーン、ミーン……


 第一回定時死者放送。
名前を呼ばれるたび、波紋の様に広がっていく淡い水面。

プールに脱ぎ散らかされた、ぐしょぬれの水着、五着。
それは、彼らがゲーム開始から六時間を生き抜いた証であり、この夏が確かにそこに存在した照明でもあった。



一滴、夏影を落として。
時は静かに過ぎていく。








………
……


【古見硝子@古見さんは、コミュ症です。 第一回放送通過】
【堂下浩次@中間管理禄トネガワ 第一回放送通過】
【殺人ニワトリ(山中藤次郎)@ヒナまつり 第一回放送通過】
【枝垂ほたる@だがしかし 第一回放送通過】
【小泉さん@ラーメン大好き小泉さん 第一回放送通過】




【1日目/F9/住宅街/AM.06:00】
【新生・古見様親衛隊~よっしゃあ漢唄~】
【古見硝子@古見さんは、コミュ症です。】
【状態】怒り(軽)、膝擦り傷(軽)、背中打撲(軽)
【装備】コルク入りバット
【道具】古見友人帳@古見さん
【思考】基本:【対主催】
1:……………………。
2:只野君たちに会いたい。
3:小宮山さんに恐怖。
4:小泉さんと枝垂さん、友達になりたかった……。

【堂下浩次@中間管理禄トネガワ】
【状態】背中出血(大)、頭蓋骨損傷(大)、両脚粉砕骨折(大)
【装備】なし
【道具】本『私だから伝えたい ビジネスの極意』x40冊、レジ袋(おにぎりx20、スーパーカップx1、お~いお茶x3、プロテインバーx20)、アロンアルファ
【思考】基本:【対主催】
1:古見さまが俺のせいでお怒りに…………!!
2:三嶋瞳大先生にお会いして、忠誠を誓う。
3:三嶋先生の偉大さ、素晴らしさを全参加者、いや世界中に知らしめる。
4:殺し合いを絶対に終わらせる……っ!!
5:Never give up。ニワトリ、古見様と共に最後まで諦めない……っ!
6:四宮、すまない……。早坂は元気にしてるだろうか……。
7:ほたるさんと小泉さん……、むほほな女達だっ…………!!!!
8:↑……となると、仮に三嶋ロリ先生が水着を着ようものなら…………。圧倒的犯罪級…………!! 圧倒的エ●スタイン島…………!!!

【殺人ニワトリ(山中藤次郎)@ヒナまつり】
【状態】健康
【装備】サブマシンガン、100均ナイフ
【道具】拡声器
【思考】基本:【対主催】
1:古見さま超こえぇ~~~~~~~!!!
2:堂下アニキに一生ついていくぜ!!
3:新田……ぶっ殺すぞオラっ!!
4:……アニキは双眼鏡で何を見たんだ?


駄菓子軍団(ヴィーナスガール)
【枝垂ほたる@だがしかし】
【状態】健康
【装備】わくわくスマートフォン@だがしかし
【道具】本『私だから伝えたい ビジネスの極意』、すっぱいガムx4@だがしかし
【思考】基本:【対主催】
1:駄菓子の力でバトロワを終わらせるわっ!!
2:小泉ちゃんの思い人・芹沢達也さんに会う!!
3:ちなみに芹沢さんに電話したところ、六時以降に代々木公園で会おうとのこと! ……それまで何しようかしらねぇ…………。

【小泉さん@ラーメン大好き小泉さん】
【状態】健康
【装備】なし
【道具】本『私だから伝えたい ビジネスの極意』
【思考】基本:【静観】
1:ラーメン界の第一人者・芹沢達也さんと合流したい。
2:堂下、ニワトリに激しい嫌悪感。
3:カップ麺の残り汁に『おっとっと』って……。ふやけてジャガイモの味噌汁になるだけでは。
4:なぜ私は、枝垂さんと一緒に行動していて……しかも、声質までそっくりなんでしょうか。

※ほたるメモの詳細
 『会ってはいけない参加者』…新田、肉蝮、三蔵、カモ、島田
 『会うべき参加者』…三嶋、四宮、大野、芹沢




前回 キャラ 次回
079:『Delicious in Dungeon~感電死までの追憶。 081:『ひだまりデイズ/血だまりデイズ
055:『ほたるさんと、メタルギアと… ほたるさん
055:『ほたるさんと、メタルギアと… 小泉さん
057:『古見様親衛隊活動報告内容書です。 古見さん
057:『古見様親衛隊活動報告内容書です。 堂下
057:『古見様親衛隊活動報告内容書です。 ニワトリ
最終更新:2025年10月08日 13:45
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