らんまの心臓(前編) ◆gry038wOvE






 響良牙天道あかねのファーストコンタクトは最悪であった。

 あれは良牙が早乙女乱馬を追って、風林館高校に乗りこんだ時の話である。
 この時の戦いは、今思い返してみれば、子供の喧嘩という次元の物だ。あの時の乱馬程度ならば小指で倒せるほど、良牙の腕は上達している。逆もまた然りだ。乱馬が生きていたならば、あの頃の良牙を触れもせずに倒せたかもしれない。
 とにかく、それでも当時はいっぱしの格闘家のつもりで戦い、校庭にあるあらゆる物を破壊しながら戦った。全ては、自分の体が子豚に変じた恨みから──。

 しかし、ある悲劇が起こるとともに、良牙にとってあかねの存在は忘れられぬ物になったのだった。
 乱馬との戦いの中で、良牙の攻撃が一人の女生徒の髪に触れ、ロングヘアの似合うその少女は髪の半分以上をばっさりと切り落とす事になってしまった。自分の髪がはらりと落ちていく現実に呆然としながら、怒りに任せて良牙を殴ったあの少女こそ、天道あかねであった。
 あの時の事は、あかねはもう忘れたかもしれない。──水に流し、むしろ吹っ切れたと思って、あの時の事を良い思い出にしているのは、良牙も知らぬ話である。

 良牙に、悪意はなかった。その美しい黒髪が地に落とされ、周囲の女子生徒に責められた時、良牙の胸はただ強い後悔でいっぱいだったのだ。一秒前の事を戻したい、とついベタな事を考えたり、どう謝ればいいのかわからずに見せかけの潔さで殴られたりもした。
 乱馬への憎悪が周囲を巻き込んだ行為に及んでしまった結果が、あかねの斬髪だ。──良牙も流石にこれを悔み、今日までずっと後悔し続けていたのだった。
 そして、生涯忘れられない最悪の出会いとして記憶に残った。

 その時はまだ、あかねの事を乱馬の友人、あるいは彼の恋人としか認識していなかったが、やがて交流を繰り返す中で、良牙にとってのその少女の意味は確かに変わっていく。
 醜い豚になって彷徨っていた自分を最初に愛しく抱きしめた博愛を、良牙は決して忘れない。あれから、何度となく天道あかねという少女のやさしさと笑顔が良牙の心を満たしただろう。
 これまで迷いと憎しみと孤独と戦いにだけ生きた、空っぽの男の初恋であった。

 あの時生まれた初々しい恋は今も冷めてはいない。
 しかし──。

 彼女は、誰かを強く愛していた。愛しすぎていたといってもいい。そして、そんな彼女の想いは、形を変えた。
 一人の男の命を守るために、その男の誇りを穢し、愛さない誰かを殺した。やがて自分の意思さえも奪われるほどに力を欲し、いつの間にか目的さえもわからない存在に侵されてしまった。
 今、そんなあかねが目の前にいる。
 良牙はそれを「天道あかね」とは思わなかった。



(────おれが好きだったのは、あのやさしいあなたなんだ)



 先ほど、前を向いて罪を償おうとした少女の命があかねによって奪われるのを、良牙は目の当りにしたのだ。そのさやかという少女が罪を悔い改め、生きていくのなら、あかねもまた同じように生きていける──そう思っていた。

 だが、良牙が目撃したあかねは、あかねでありながら、あかねではなかったのだ。
 そこにあかねの原型はなかった。言うならば、悪の力に侵された怪物だった。
 五代雄介一条薫が変身した「クウガ」にも似ているが、その能力が完全に暴走し、自我を奪われた姿であった。あのガドルたちと同じく、破壊と殺傷の衝動が脳にまで達した獣と言ってもいいかもしれない。
 そんなあかねを前に、良牙は個人的な不快感を覚えた。

 この場で誰かの命が奪われるのを良牙は何度も見てきたが、その時、常に良牙は「殺す側」への憎しみを抱いてきた。
 良牙は別に立派な正義感を持った人間ではなかったし、力が強いながらそれを何の為にも使おうとせず、自由に生きるだけの気ままな精神の男だったが、人の命を奪う行為が許せないのは、社会で生きてきて誰も抱く良心だった。
 その、日常の中で最も遠いはずの行為を、日常を共にしてきた少女の体で「誰か」──あるいは「何か」──が行った不快感。

 戦うしかない。
 いや、倒すしかない。

 目の前の獣は、決して万全ではなく、一方で良牙は万全な状態である。
 敵は一見すると鋭い瞳でこちらを見ていた。
 しかしそれは、獰猛な牙を剥き出してこちらを威嚇している、手負いの獣だった。
 これを撃退するのは、戦いではない。
 良牙が元来、最も嫌った「弱い者いじめ」という行為であった。
 しかし、良牙はこの時、初めてその最低な行為をやろうとしていた。

「獅子、咆哮弾ッッッッ!!!!!!!」

 二つの獅子咆哮弾が衝突するのは、その直後の事であった。
 仮面ライダーエターナル。
 悪魔を前に人の心を喪った戦士の姿を借りて戦うのが、今ほど似合う時もない。

 それは、人間を悪魔と決めつけ、無情な死の兵士と変わった時の仮面ライダーエターナルに、少しだけ良牙が近づいているようにも見えた。






 激しく、心が動いた。
 本能的に記憶から引き出されたのは、「獅子咆哮弾」という技。
 それをどこかで見た。
 しかし、天道あかねは思い出せなかった。
 内在する意思と本能が目の前の白い死神に向けて、強く反応する。

 ──目の前の敵を倒してはいけない。
 ──倒せ。
 ──殺してはいけない。
 ──殺せ。
 ──駄目。
 ──戦え。

 そのシグナルが点滅しているが、アークルのベルトの力に飲み込まれたあかねの意思はまたすぐに消え去った。ベルトの仕業か、あかね自身の膨らんだ憎悪かはわからないが、そのどす黒い意思は、戦いのときだけ素体の記憶を閲覧し、「対処」を実行する。
 今の獅子咆哮弾という技についても、素体に見覚えがある事をいち早く判断し、そこから引き出した情報で対処を決めたのだろう。同様の技を使う事ができると判断すると、迷う事なく「獅子咆哮弾」を放っただけだった。
 その一瞬にだけ微かに引き戻されるあかねの自意識は、自分の記憶の中からも引きだせないような小さな反抗を繰り返していた。
 しかし、その僅かな意思を狂気が捻じ伏せる。

「……ッ」

 プロトクウガの手は、手近な木を見つけて、そこに腕を突き刺す。指先だけで穴を開けると、そこに掌を捻じ込んだのだ。

 何をするのかと思えば、そこに物質変換能力を発動したのである。
 一本の木は、その行為によって巨大な「破壊の樹」となった。ライジングドラゴンロッドが十メートル余の巨大武器になったような形状の物体である。
 重量も数トンにまで達したであろうそれを、エターナルに向けて押し倒すようにして振り下ろす。自らの上に影を作るそれが落ちてくるのは、受け手側にとっても、まるで巨塔が倒れてくるような圧迫感だっただろう。
 べりっ、ばきっ、ぐしゃ。
 自分の身を守るはずであった頭上の樹冠も、まるですり抜けるように落ちていく──エターナルは驚いただろう。先端はよほど鋭い刃に変形していたらしい。
 「破壊の樹」がエターナルの頭上に迫り、残すところ一メートルまで接近した。

「くっ……!」

──Zone Maximum Drive!!──

 即座にゾーンメモリをマキシマムスロットへと装填したエターナルは、すぐにその場から姿を消す。振り下ろされた「破壊の樹」は不発に終わる。
 クウガは腰のあたりまで「破壊の樹」をおろし、そのまま数秒、状況を判断した。
 回避される程度ならまだ予測できる範囲内だったようで、次の行動に移る。
 プロトクウガがその場に「破壊の樹」を持ったまま、反時計周りに回転したのだ。彼女の体を軸に、「破壊の樹」が円を描いた。周囲の木々は、音を立ててなぎ倒されていく。それによって倒れた木がまた円の外を押し潰し、円の半径の外まで破壊する。
 轟音。
 時に爆ぜるようにして木が破壊される。プロトクウガはエターナルの逃げ場を潰した。

「……」

 あっという間に、半径十メートルから二十メートルほどが、音を立てて全壊した。
 対象は一人だが、エターナルが姿を消したであろう範囲内は軒並み叩き潰されていった。ごく小さな対象を狙うにも、周囲全体を破壊するほどに、その衝動は止む事を知らない。
 彼の周囲にいたあの中学生ほどの女性──花咲つぼみ──も巻き添えだろうか。

 いずれにせよ、半径十メートルは確実に潰したし、敵はどこへも逃げられないだろう。
 少なくとも、周囲を崩した程度でエターナルが死ぬはずはない。──感覚を研ぎ澄まし、周囲を察知する能力は長けているが、今はわざわざそれを使うまでもなかった。
 相手が来ない内は、アークルが発揮できる能力は全て自己再生に回す。
 回復を行うと共に、軽く周囲を見回す。

「……ッ」

 そうして一瞬で周囲の物体を破壊せしめたプロトクウガは、まず自分の疲労感を拭うべく、荒い息を整えた。
 無為に息を吸ったり吐いたりするほど疲労困憊というわけではないので、ともかくは一定の速度でアークルの回復が及んでいるのだ。戦闘さえしなければもう少し回復が望める。
 敵の力量に対し、こちらの体力は思った以上に低かった。

 「破壊の樹」をまた一度、元の物質に変換し、プロトクウガは周囲を見渡す。
 大分見晴もよくなると同時に、自身の武器の原材料が非常に手に取りやすくなっている。

 エターナルがどこから来ても、臨戦態勢は十分に整っていた。






 ──エターナルが四つん這いになって花咲つぼみを押し倒している。
 ……と、書くと邪推をされる光景であるかもしれないが、決して邪なシチュエーションではなかった。

 エターナルの背中には、倒れかかった大木が圧し掛かっていた。
 ゾーンのメモリが転送したのは、ここにいる少女──花咲つぼみの傍らだったのである。
 幸いにも良牙は、今度こそはゾーンメモリの盤面を間違えなかった。

(ふぅ……こっちも間一髪だったぜ)

 あの巨大な「破壊の樹」という武器が及ぼすであろう被害を良牙は予期した。
 あれだけの長さと横幅で周囲の木々を巻き込まないわけもなく、まだそう遠くへと逃げ出す準備の行き届いていなかったつぼみは危険地帯の最中だ。

 彼が感じた不安は当たっていた。
 つぼみの真上に、丁度見上げる木々の一つがあった。辛うじてエターナルはつぼみの周囲に転送され、彼女を庇う事ができた。
 体制を少し整えるだけの時間はなかったが、それどころではないし、良牙の脳裏にやましいシチュエーションを想起させるだけの余裕はなかった。確かなのは、一人救えた安心感が胸に宿っている事だ。

「────くっ」

 だが。
 今、生者を助ける事ができても、死者は叶わなかった事に気づいた。
 ひとたび安心したはずだったエターナルの両眼は、不愉快な映像を捉えたのだ。
 知っている少女の右腕が、地面に寝転ぶ木の真下から突き出されていた。美樹さやかの遺体が、巨木の幹に潰されているのだろう。
 つぼみの視界からはそれは見えないだろうが、当然ながら見ない方がいい物体だ。
 その不快感は怒りとなったが、それを悟られないように感情を飲み込んだ。

「──つぼみ。怪我はないか?」

 エターナルは一つ、かすれたような小さな声で、外に感づかれないよう、つぼみに問うた。
 早くも土埃がつぼみの頬や髪を穢しているのが見えた。クウガの実力が、殆ど五代や一条とはけた違いと言っていい被害を出しているのに、エターナルは焦燥した。
 生身のままだったつぼみに被害がないか、エターナルは今一度確認したかったのだ。
 エターナルはつぼみの全身を覆えたわけではない。つぼみの真上に落ちてくるはずだった大木のひとつを背負っているだけだ。下半身に被害がないか、それは彼の視界では見えない。

「はい。私は、……大丈夫です」

 主語の後に少しだけ嘆息するような間を開けて、彼女は言った。どこか気を使ったように自信なさげな解答である。ある決着への戸惑いもあるようだ。
 良牙も、つぼみとの付き合いが一日だけとはいえ、もう何となくつぼみの言いたい事はすぐにわかった。

 私は、とあくまで自分を指した解答をしたのは、他に三人、つぼみが良牙と同様の質問をしたい相手がいるからに違いない。
 一人は、響良牙。彼自身のポテンシャルの高さからしても木一本落ちてくるくらいは訳もない。それに加えて、エターナルの防御力の高さやエターナルローブによる衝撃吸収で、ほとんどダメージなどゼロ同然である。
 もう一人は、美樹さやか。今、まさに遺体が残酷に消えた事実だけ目の当りにしたばかりで、口にできなかった。
 そして、天道あかねだろう。

「……良かった」

 安心したようには言えず、どこかぶっきらぼうにエターナルは言った。
 良牙の脳内を何か別の事が支配しているからだろう。確かに安心感はあったが、言葉にその感情は乗らなかった。
 つぼみが何か問うのを予め阻止したいようにも見える。さやかとあかねに関する話をしたいとは思わなかった。

「良牙さん、あかねさんは──!」
「やめてくれ」
「でも、良牙さんはあの人を助ける事をずっと──」
「もう考えたくない!」

 考えたくないと言いつつも、良牙の思考はそれ一つに支配されているのが真実だった。
 自分が人間として下せる判断は、殺害が適切か、救済が適切か──。
 その二つの選択肢の内、良牙は前者を選んだ。
 一方で、つぼみが選択し、薦めるのは後者だろう。
 つぼみも、友人をこんなにも残酷に殺した人間に対して、許せない気持ちもある。いや、むしろいくら彼女であれ、そんな憎悪が大部分を占めているはずだ。しかし、それ以上に、良牙がこれから人を殺そうとする事に対する抵抗が、つぼみの語調に感じられた。
 比較的落ち着いているのも、つぼみ自身もそれなりに複雑な心境である証に見えた。

「……でも、まだいくらでも道があると思います。さやかだって、本当なら悔い改めようと……」
「そのさやかを殺したのが、他でもないあかねさんだ」

 当の良牙の言葉には堪えきれない激情が含まれている。
 これは、ごくごく個人的な怒りと憎しみであった。人が人を殺すと決めた時に、最も人間らしい理由かもしれない。
 少なくとも、ある種の正義の為という気持ちではなかった。あかねを野に放って犠牲を出す事を予め阻止する為に殺す──という、大義名分はなく、ただあかねの存在を消したいほどの恨みが自分の中に駆け巡るのを良牙は感じたのだった。

「俺はあかねさんを殺すと決めた」

 可愛さ余って憎さ百倍、とはいうが、純情な良牙にはこれまでその意味もわからなかっただろう。
 しかし、自分があかねを好きだった理由を──そして、自分が思い描いていたあかねの事を思い出した時、それを裏切られた気分になり、その言葉の意味を知った。
 そして、その時、どうしようもなく憎くなったのだ。勝手な理想を抱いて、それを裏切られた時に憎む──一見すると、独りよがりに見えるかもしれないが、この年頃の人間であれば全く仕方のない話かもしれない。

 彼は、それが断罪ですらないただの憂さ晴らしの殺害だと知りながら、それでも実行に移そうとしていた。
 まだ恋は冷めていないはずだが──あかねを獲得したい想いがあるが、それでも何故かあかねを消してしまいたい。
 そんな感情が己の中にあると確信できる。
 まだつぼみやさやかに対して「守りたい」という想いがあるだけ、自分の心がきわめて正常である事に、少しは安心しているが、その一方で不安な心持でもある。──一人恨めば、やがて感情はエスカレートするかもしれない、と。

「あかねさんはもっと強くて優しい人だった。でも、もうそんな人はどこにもいない。これから俺がどれだけ探しても、もう見つからないだろう」
「……」
「思い出すだけで切なくなるぜ。だが、同時にあの人を消さないと晴れないくらいの憎しみも渦巻いてる。あの人を殺したい。……だから、全部終わっちまったら、つぼみが知る俺ももう、どこにもいなくなっちまうかもしれねえな」

 つぼみには、何と返せば良いのかさえわからない迫力だった。
 顔と顔の距離感は、仮にもしエターナルが仮面をしなければ息もかかるほど近い。
 それでも良牙の表情は仮面に隠れて見えない。だからこそ、余計に良牙の本心がわからずにつぼみは戸惑う。戦いを極めた男が、強い憎しみから本気の殺し合いをする時、そこにあるのは何なのか──つぼみの経験ではまだ探れない。
 今までも良牙は闘争心に満ち溢れた男である事をうっすらと見せていたが、「敵を確実に殺す為」にその力を使おうとする凶暴な彼の姿は、つぼみもまだ見てはいなかった。

「まあいい。つぼみ、お前はひとまず逃げろ」

 ──Zone──

 つぼみの腕に向けて、一つのガイアメモリが差し向けられていた。
 この狭苦しい状況から脱する方法は一つしかないとエターナルが判断したのだ。
 エターナルが木を持ち上げて姿を現そうものなら一瞬で居場所が知られるだろう。つぼみを遠くに逃がすならば、ここでつぼみの姿をゾーンドーパントへと変身させて、自力で転送して遠くへ行ってもらうという方法を使うのがいい。
 ゾーンは数十センチ程度の体躯で、自由に空を舞う事も可能になるメモリだ。その上、任意の場所にワープもできる。
 強引にエターナルがゾーンメモリをつぼみに挿すと、つぼみの体はすぐに小さな円錐の怪物になった。見られればお嫁にいけないほどの無様な恰好だが、そうこう言っていられる状況ではない。
 エターナルとしては、早々にこの場からは立ち去って欲しい一念である。

「──」
「あかねさんはもう死んだ……。そういう事にした方が、誰にとっても都合が良いんだ。きっと、俺にとっても、あかねさんにとっても」

 エターナルが背中の木を持ち上げると、すぐにクウガと目が合う事になった。
 ゾーンドーパントは、なんとかそこから這い出して空中に行き、エターナルの背中を見つめると、さよならも言えないままにそこから姿を消した。

(──)

 つぼみは、エターナルの背中に何かを察した。






 認識。
 プロトクウガは、木々の残骸がばら撒かれたこの場所から、一人の敵が這い出てくるのを確認した。
 戦闘行動を実施する。──本能に赴いて、プロトクウガは吼えた。

「ウグォォァァァァァァァッ」

 プロトクウガは、再度足元の木々を拾い上げると、アークルからモーフィングパワーを注ぎ込み、物質変換能力を発動させる。「破壊の樹」となったそれはエターナルの姿を狙って、再度爆発的なエネルギーを貯蔵し、吐き出した。
 先端から雷が発射されると、その光は一瞬でエターナルの体の元へと辿り着く。
 先ほどは、ただ振るうだけだったが、こうした応用も効くのか──。
 ローブを纏う暇もなく、エターナルの前面にそれは直撃する。

「ぐぁっ……!」

 流石のエターナルの全身に渡る電撃。勿論、これが痛みを伴わないわけはなかった。
 体の節でショートした電撃に倒れて、エターナルも一度全身の力が抜け落ちていくのを感じた。
 筋を一度緊張させて、再びそれが戻されたのだ。眼球も強い光によって一度その機能を停止している。

「はああああっ!!」

 そして、目の前の怪物から「あかね」の声がふと聞こえるとともに、真っ白になった視界に追い打ちが入った。
 プロトクウガはエターナルまでの距離を縮め、エターナルの顔面に拳を突きだした。左の頬から伝ったその拳の一撃は、すぐに右頬や脳髄まで伝播する。

「うっ」

 なかなかの味。顔全体に広がる危険信号。
 ただでさえ格闘技において達人級──いや、日本人女性のトップレベルであろう天道あかねが更に一層の力を得尽くした結果だ。いくらボロボロとはいえども、油断をすれば命のない相手に違いない。
 今回は弱い者いじめをするつもりであったが、これは意外とまともな争いになりそうであった。

「……うりゃっ!」

 視界が見えない中にも、相手がいる位置を感覚で察知する。
 敵のパンチが飛んできた角度と痛み、それはどこから来た物なのか。

 ──そして、すぐに本能が教えてくれた。

「そこだっ!」

 エターナルは、エターナルエッジの刃をそこに突き出した。
 あらかじめ用意した飛び道具はそれくらいしかないが、この場で手頃に利用できそうな物はそれだけだった。
 なるべく長いヒットが欲しい。敵に深々と突き刺せる物──そう思って、手元にあったそれを使った。
 狙っている場所には必ず、彼女の体のどこかがある。今はカウンターとしてどこかに攻撃を充てれば十分だ。

「はぁっ!」

 しかし、「あかね」の声が聞こえるとともに、一瞬エターナルの脳裏に後悔が過る。
 あかねは一通りの護身術を会得している女だった。今度は記憶から引きだしたというより、ナイフが目の前に突き出された時に本能的に、体が動いてしまうのだろう。プロトクウガはタイミングを計ってその右腕を掴み、動かなくなる方に捻ったのだった。これに大した力はいらなかったようだ。

「ぐあっ……!!」

 なるほど……。
 刃物の扱いづらさはここだ。刃物を恐れない相手には、攻撃が読まれてしまう事。それから、良牙自身が刃物を憎み、拳で殴るのに比べて少し躊躇が生まれてしまう事。
 理解しながら、エターナルはそれを打開した。

「ふんッ」

 腕がどう捻られているのかを理解し、エターナルは空を走るようにして、自らの体を回転させる。
 その瞬間に視界がゆっくりと色を取り戻していく。空や敵や、転がり落ちる木々が見えると、エターナルの腕は安定を取り戻した。
 そのまま、屈んでプロトクウガの腹部に鋭いキックを繰り出した。

「ウッ……」

 みぞおちあたりにヒットした事で、一瞬の罪悪感が良牙を襲う。今のはまともに入ったのだろう。しかし、エターナルの体はクウガの体ごと強く引っ張られる。腕は固く結ばれたまま解けなかった。

 なるほど、敵の手を離さない不屈の意志を持っているのだ。
 それが、天道あかねという素体であった。
 あかねの指先が良牙の腕を固く掴んでいる──という事実そのものは、もし平穏な日常で、それこそデートの時だったならば嬉しかっただろう。
 だが、あかねは今、良牙を殺害する為に逃すまいとしている。
 良牙もあかねを殺害する為に、自由を勝ち取り、あかねの手を放そうとしている。
 日常ならば絶対にありえない光景だった。

「──ッ!!」

 エターナルは、左足を高く上げてプロトクウガの左腕に絡めた。
 そのままねじりこむようにしてプロトクウガの左肩に足の先を伸せると、今度はプロトクウガの関節にダメージ。筋が力を入れ続ける事を拒絶したらしく、ようやくその腕は放たれた。
 この時、少し残念な気持ちが湧きあがったのは、やはりまだあかねへの想いは残っているからだろうか。

「ウゥッ……」

 一旦、距離を置き、互いを見つめる。
 見れば見るほど、そこにあかねらしき面影はなかった。
 先ほど聞こえた声も、あかねの声だというのは何となくわかったが、それらしいだけで、普段のようにはきはきとはしていなかった。

「──」

 ──昨夜彼女は眠れたのだろうか。
 ──今日彼女は飯を食べられたのだろうか。

「チッ」

 舌打ちが出た。
 やはり、相手が人間の体を奪っている以上、その人間が持っていた生活感覚を想起せざるを得ない。ましてや、知り合いである。ましてや、恋した女性である。
 一日中、「あかねが今何をしているか」を考えずにはいられない脳が、今もまた彼女の生活への心配を過らせる。

 しかし、必死で思い込む。

 もうあかねはいない。──いや、再び彼女がこの場にいたとして、そこにいるあかねを憎まずにはいられない。
 相手は死んだ人間だと思った方がいい。そしてそれを実現してしまった方がいいのだ。
 その方が彼女をどれほど信じても、裏切られずに済むに違いない。
 もし彼女の命を救ってしまえば、今のこのあかねこそがあかねの本性であるという良牙が知らなかった裏の顔を確信してしまうかもしれない。

 良牙は、あかねを救うと決めた時はまだ、考えていなかった。
 良牙が望むように命を救って元のあかねに戻ったとして、あかねは本当に救われるのか──と。

 あかねはこうまで乱馬の為に自分を犠牲にしている。心も、体も、精神も、命も、何もかもを捧げて今、乱馬を守ろうとしているのである。そして、その果てに誰かを殺していた。

 きっと良牙に振り向く事もない。
 そして、生かし続けていたあかねが、誰かを殺してしまった時、良牙はその無生物的・無感情的な彼女が良牙の理想とするあかねとあまりにもかけ離れていた事に気づいた。
 好きなはずの人への絶望と、さやかに重ねた理想があっという間に打ち砕かれた怒りが良牙の胸を締め付け、いらだたせた。
 この強い怒りがあかねに向けられ続ける事もまた、良牙自身には耐えられなかった。

「……ッ」

 だが、それでも……やはり、一歩前に出て何かをするのが急に怖くなった。
 戦いが行われている間は何も考えずに済むが、少しでも隙を作るとそれができない。悪い事ばかり考えてしまう。
 動かなければ当然ながら敵が向かってきてやられるが、それもそれで良いのかもしれない。いっそ餌になるのも一つの手かもしれない。
 まだ僅かにしか動いていないのに、それでも徒労感がある。

「良牙さーんっ!!」

 後ろから声がした。
 良牙には振り向く時間などなかった。
 しかし、誰なのかは確信して、そちらを見もせずに答えた。

「つぼみ……!」

 逃げろ、と言ったが、おそらくゾーンの変身を解除した後、どこかでキュアブロッサムに変身してここまで戻って来たのだろう。
 目的もなくこの場から背を向ける事は彼女にとっては邪道の判断だったのだ。






 花咲つぼみが先ほど、去り際に見つめたエターナルの背中は、どこか寂しく見えた。
 つぼみの内心が良牙の激情を嫌悪していた事もあるが、おそらくそれだけではない。
 その背中の寂しさは、あかねに対する気持ちが本物である証であった。
 これまで一日良牙を見てきたつぼみに、良牙がどんな人間かと聞けば、「少し間が抜けていて方向音痴。肉体派の力持ちであり、少しぶっきらぼうな男子高校生。しかし、その実態はピュアで人情家」といった認識が引きだせるだろう。
 殆ど間違いではない。
 だからこそ、つぼみは彼が「あかねを殺したい」などと口にした時、違和感と衝撃を覚えたのだ。──そこに嘘がある可能性も否定できなかった。

(──いいえ)

 つぼみは確信している。
 良牙が、自分の感情に騙されている事に。
 時折、人間は、自分の感情にさえ騙される。「自分なんて良いところはない」と思いこめば、自分の良いところが擦り減り、「自分は悪い人間だ」と思いこめば必要のない罪悪感さえ覚えてしまうのが人間である。
 この良牙の場合は、自分ができる事とできない事を誤解しているように思えた。

(──)

 要は、あかねへの憎しみなど、本当の自分のあかねへの想いには勝てないのである。どんなに足掻いても、おそらくはあかねの姿が脳裏にチラついて、彼女にトドメを指す事はできようはずもない。
彼が今抱いているのは、偽りの憎しみに過ぎない。
 自分が何を憎んでいるのかも理解できず、ただ目の前の敵への殺意だけが湧いている状態だった。その正体を時折思い出して、彼は迷う。
 そんな彼に勝ち目があるだろうか。

 おそらく──少なくとも、彼に「殺害」はできない。
 彼を支配している感情が憎しみであればこそ、彼は本当の自分と板挟みにされるだろう。
 つまり、敗北しかありえない。それは力の差とは別次元の問題だった。
 そう思った時、つぼみは誰に向けるでもなく頷いた。

「プリキュア・オープンマイハート──」

 本当のこころ──それを自覚しなければ、人間は本当の力を発揮できない。このまま言われた通りに逃げれば、彼は自分の気持ちも理解できずに敗北するだろう。
 つぼみがすべきは、本当のこころを守り続ける手助けだ。

 つぼみの衣装は、髪は、素顔は、やがてキュアブロッサムの凛々しく美しい姿に変身した。

「大地に咲く、一輪の花! キュアブロッサム!」

 人間として、もっと良牙の近くで彼を助けられたら──。
 そう思いながら、キュアブロッサムは走る。考えるよりも早く──。
 彼女は、すぐにエターナルとプロトクウガの戦闘の現場を見つけ出した。

 やはり、彼は本当の力を発揮できず、迷いながらプロトクウガと戦っていた。






 雨と風がまた勢いを増した。
 プロトクウガは、キュアブロッサムの乱入を好機とばかりに、足元の木を蹴り上げると、手で取り上げると、ライジングドラゴンロッドを構築した。
 プロトクウガの右腕に握られたライジングドラゴンロッドは、その一身にエネルギーを貯蔵すると、稲妻としてエターナルの元へと発射される。

「くっ……!」

 間一髪、エターナルはエターナルローブを前方に展開して稲妻を反発させた。全身を包んだエターナルローブが全エネルギーを逃がしたのを実感すると、彼は視界だけローブをはがす。──先ほどまでの恐怖が、一度解けたようだった。

 キュアブロッサムが二の句を告げるよりも早く、ローブに包まれたまま前に駆けだしたエターナルは、前方のプロトクウガの飛び蹴り。
 ばきっ、と音を立てて顎に命中する。クリティカルヒットだ。

「──良牙さん! 聞いてください!」

 プロトクウガは多少怯んだが、再度起き上がって角ばった右腕でエターナルの顔面目掛けた拳を振るおうとした。
 エターナルはボクサーのような構えをするとともに、両腕でそれをガードする。
 ローブを纏うよりも自分流の方が判断しやすい距離と状況だったのだろう。

「良牙さん……! 聞いてますか!」
「聞いてる!」

 ブロッサムの問いに乱暴に返しながら、エターナルは次の一手に差し掛かろうとした。
 ローブの影から右腕を出すと、その人差し指を「破壊の樹」目掛けて突き出したエターナル。──この技、爆砕点穴である。
 咄嗟に見極めたライジングドラゴンロッドのツボへと押し出すように、一撃。
 人差し指を差し出す。
 ──しかし、それが届くよりも先に、ライジングドラゴンロッドは真上に振り上げられて爆砕を回避する。振り上げられたライジングドラゴンロッドはエターナルの胸部目掛けてその先端の刃を突きだした。

「……ぐぁっ!?」

 エターナルの胸部の装甲が割れる。
 良牙の技をどこかで「知っていて」、それに「対処」しているようだった。
 しかし、当の彼自身はそれに全く気づかなかった。
 キュアブロッサムは今の一撃に衝撃を受けて思わず名前を呼ぶ。

「──良牙さん!?」
「名前を呼ぶだけならさっさと逃げてくれ!」

 どうやら、良牙はこの程度の攻撃では無事らしく、全く苦しみの音をあげずに返した。
 胸の装甲が破壊されているが、良牙の全身自体が鋼のように発達しているので、致命傷レベルではなくなっているようなのだ。
 むしろ、この時は自分の胸にライジングドラゴンロッドが刺さっている事を好都合に思っているようだった。

「良牙さん!」

 ──エターナルは、左腕でその樹を掴み、自分の胸元に引き寄せる。刃先が皮膚の向こうに食いこまぬ程度に。

「……くっ。用があるなら早く言え!」
「わかりました……! 良牙さん、相手への憎しみなんて考えずに、いつもの調子で戦ってください!」

 それを聞きながら、爆砕点穴。
 開いた右腕の指圧が、ライジングドラゴンロッドのツボを押し、それ全体を一瞬で粉砕する。
 初めから狙っていたわけではないが、怪我の功名というところだろう。敵の武器は今一度粉砕された。
 ただ、小石のように疎らな大きさの固形物となって四方八方に飛散していくそれは、まるでマシンガンの弾丸のように両者の体に殺到した。数秒降り注ぐ礫の嵐。
 エターナルもプロトクウガも、上半身を両腕でうまく覆いながら数歩退いた。
 その攻撃が晴れる。

「相手への憎しみ……だと!?」
「ずっと気になっていたんです!」

 そうブロッサムが言った時、プロトクウガが更に次の一手を講じた。
 この物質変換能力があればいくらでも同様の武器を作り上げる事ができる。
 変換可能な形状の物体があれば、体力の許す限り幾らでも、だ。

「ウガァァァ……」

 拾いあげようと、プロトクウガが前傾する。
 エターナルは、そんなプロトクウガの右腕に向けてナイフを投げた。──エターナルエッジである。
 エターナルエッジは、プロトクウガの手に突き刺さる。咄嗟にクウガの腕が動かなくなった。
 思わず目を覆いたくなったが、それより前にエターナルはプロトクウガに駆け寄った。

「続けろ!!」

 エターナルとプロトクウガの距離は零に縮まる。
 エターナルはクウガの腕からナイフを抜き取ると、また数歩退いた。あの距離感で相手に寄れば、追い打ちをかける事もできたはずだが、エターナルはそれをしなかった。
 しかし、生物の腕に刃が刺さる瞬間も、それを抜き取った時の黒い飛沫も、ブロッサムが言葉を失って目を覆うのには十分な光景だった。
 それでも彼女は、何とか自分の苦手な光景を忘れて、言葉を紡いだ。それが、この場に現れた人間の責任である。

「──良牙さんは、相手を憎む事ばかりに気を取られて、他の事を考えてないんです!」
「……なんだと……!?」
「今の良牙さんは、あかねさんを憎もう憎もうと必死なだけです! 心から憎んでいるわけじゃないから……いや、本当はそれができないから全力で戦えないんです!!」

 今、追い打ちをかけなかった自らの事をエターナルはふと省みた。
 確かに、咄嗟に弱っている敵を攻撃する事ができなかった。──それは、そこに天道あかねがいるからでもある。
 良牙は、自分の中にある憎しみをいちいち思い出さなければ、殺害に行き届かせるほどに「あかね」を攻撃できないのである。

「──良牙さんは、本当に憎みきれるほどあかねさんを憎んでいなくて……だから、だから戦いきれないんじゃないかって……!」

 そう、悪魔に堕ちるには、良牙はまだ優しすぎた。
 そして、あかねを好きでい過ぎたのだ。

「くっ……!」

 追い打ちをかけようとすればするほどにあかねを憎み切れず、トドメを避ける。
 一方的な攻撃をする事で、中にいるあかねが傷つくビジョンが頭の中をよぎるのである。
 いや、しかし──。
 時として、さやかの姿も頭の中を過ぎては消えていった。
 殺さなければならない敵であるのはわかっているが、それができない。

「じゃあどうしろって!」
「いつもみたいに……自分の本当の心が突き動かすように……自分のやりたいようにやればいいんです!! 素直な気持ちで……他の何の為でもなく、自分が思うままに」

 言っている間に、プロトクウガが構えた。
 それは、右脚部にエネルギーを溜めて、ライダーキックとして相手の体表に向けて全エネルギーを放出する技を決めようとしているポーズであった。
 まずい。──あれを放たせれば、周囲一帯を吹き飛ばすだろう。

「私たちは、愛で戦いましょう──!!」

 僅かに焦るように、しかし、無音の瞬間を狙ったように、そのブロッサムの言葉がエターナルの耳に届いたのだった。

 愛。
 あかねに接する時、良牙は常に憎しみではなく愛で接していたが、この時ばかりはそれと正反対の気持ちで接していた。
 ゆえに、真っ直ぐに戦う事ができない。自分を偽ったまま戦えば破綻するという事なのだろうか──。

「──ッ!」

 ここで放たれれば甚大な被害が出るであろう事を見越して、エターナルは咄嗟にエターナルローブを手に取り、「気」を送り込んで硬化させた。
 これが良牙の武術における「物質変換能力」と同義の力だろうか。
 あらゆる日常の道具を硬化させて武器として使える。──今回は、エターナルローブをブーメラン型に変形させた。
 エターナルローブは、そのままクウガの足元に向けて回転していく。
 ふと、それを見てプロトクウガの動きが止まった。

 一瞬、プロトクウガの中に過る心理的外傷。
 それは、かつてこれと同じ技が自分にとって大事な何かを傷つけた瞬間があった、という事だった。
 そう、あれは──もっと短く、もっと鋭利で、もっと偶然に向かってくる物だった。

「嫌っ!!」

 咄嗟に、プロトクウガに似つかわしくない女性の声が漏れた。
 声を発した当人にさえ、想定外の出来事だっただろう。

「──!?」

 間違いない。それは、天道あかねの声だった。
 おそらく、良牙は今、あかねが想起した出来事をふと思い出した事だろう。──この技こそが、良牙とあかねの間にいまだに残っている「因縁」の証であった。ひとたび、それを思い出させてしまった事を良牙は後悔した。
 しかし──後には引けない。
 むしろ、この一瞬は好機である。

「あかねさんッ!!」

 エターナルは腹の奥底から、喉を枯らして声をかける。
 ふと気づけば、エターナルローブはプロトクウガの足元に到達し、その周囲を回転して彼女の足元を縛り上げた。
 見事、としか言いようがない。絶妙な力加減で、プロトクウガの両足を縛ったエターナルローブは、柔らかい布状の盾でしかなくなった。ブーメランとしての性能が落ちたそれは、すぐにプロトクウガの一撃を阻害する縄となる。
 力加減を間違えれば、その両足は切断されていてもおかしくないだろう。

「はぁぁぁぁぁぁっ!!」

 そして、エターナルのパンチがプロトクウガの胸に命中する。彼の一撃は重く、そこに響いた。
 プロトクウガの背中まで振動して、それが再び腹部に跳ね返って戻ったような感覚。
 自分の右腕にその痛みが戻ってくると、その腕を引いて、プロトクウガの両肩に手を乗せ、その体を揺すった。

「……思い出せ! 思い出すんだ、今の技を!」

 キュアブロッサムに言われた通り、彼は今、自らに素直にそうあかねにそう叫ぶ。
 しかし、返答は、真っ直ぐなストレートパンチ。エターナルの顔面にぶち当たる。
 足を縛られているクウガもまた、少しバランスを崩したようだった。

「うぐっ……!」

 エターナルの頬が腫れるほどの一撃──それは、懐かしい思い出の味だった。
 乱馬と良牙が再会し、戦った、あの時の──。
 そうだ。あの時も、良牙はあかねに殴られた。布から生まれた刃があかねの髪を切り落とした罪を、あかねはパンチで清算したのだ。
 不思議と、今受けたパンチは不快ではなかった。
 あの時と同じにさえ思えた。──確かに、無理に憎むよりも本能に従った方が、容易く相手の攻撃を受け入れられる。

「はああああああっっ!!」

 エターナルはもう一度、プロトクウガに向けて駆け寄る。
 プロトクウガが再び拳を突きだすが、エターナルはそのパンチが直撃する前に視線を低めた。
 プロトクウガのパンチは虚空を掴み、エターナルはプロトクウガの足元からエターナルローブを勢いよく引きはがした。
 プロトクウガがその下半身の均衡を保てなくなると共に、エターナルの背中にエターナルローブが舞い戻る。

「ウグッ……」

 しかし、プロトクウガも転んでもただ起き上がる事などできまい。
 周囲に倒れた灌木を手に掴むと、それを変質させ、体を起こす。
 これは全長三メートルほどの「破壊の樹」であった。形状を変じた「破壊の樹」は硬質化していく。原型のサイズより一回り巨大になると、それはエターナルに向けられた。

「グッ……!!!」

 血反吐を吐くような苦痛の呻きが、プロトクウガの喉の奥から掠れ出た。
 それが次の瞬間、膝をつく事でプロトクウガから発されなくなった。
 あまりにも美しく、プロトクウガの体は膝から崩れ落ちていき、咄嗟に前に出ようとしたキュアブロッサムも、敵の攻撃を受けるべく構えていたエターナルも、その瞬間に思わず全く動けなくなった。

「グァァアァァァァァァッッ………………ッッ………………」

 外傷、外傷数え切れず。
 精神的疲労、肉体的疲労、ともに深刻。
 重ねて、制御不能の身体改造や記憶の改竄。
 いわば、「死んでいるのと同じ」な人間。
 いくら素体が強固に鍛えていたとはいえ、それが一人の少女である以上、背負いきれぬ重圧となりえるダメージがこの時、祟った。
 まずは、その体重を支え、ここまで休まずに歩き続けた足が限界を迎えて、その指先から完全に力を失った。

「……ぐ……」

 プロトタイプ型クウガは、その姿を「白」に戻すと、すぐに天道あかねへと変身を解除した。制御しきれない力に、己の肉体が限界を迎えたのだ。──エターナルは、そんな彼女に駆け寄った。
 いや、もうエターナルである必要などないだろう。
 良牙は、ロストドライバーの変身を解除し、響良牙としてあかねの元に駆け寄った。
 大事な人間を、せめて、少しでも楽にしてやろうと。……いや、そんな事も、もしかしたら何も考えていなかったかもしれない。

「……戻ったのか……!?」

 ともかく、殺し合いに巻き込まれて一日。──ようやく、良牙はあかねの元に辿り着いたのだった。
 その姿、間違いなかった。良牙が切り落として以来のショートヘアは健在である。
 この日一日、良牙はあかねをずっと探していた。恋しく思っていた。片時も忘れず、常に探し続けていたのだ。
 乱馬も、シャンプーも、パンスト太郎も結局会えず終いだったが、ようやく……。

「あかねさん……っ!!」

 良牙は、その名前を呼んだ。今までになく歓喜にあふれた声だったのは間違いない。
 良牙は、この場で何人もの死者を見てきた。
 乱馬も死んだ。シャンプーも死んだ。大道も死んだ。良も死んだ。一条も、鋼牙も、さやかも……。
 残る人数は、能力だけでなく強運に認められた猛者のみだ。どんな実力者も、弱い者たちの群れや基点、或は引いたカードの悪さに敗北し続けた。
 だから、もしかすれば──あかねさんが死んでしまうかもしれない──そんな不安とともに昨日を一日過ごし、今日を歩いてきた。方向を間違えながらも……ずっと、ここまで。
 そして、ようやく良牙は、最も大事だった人と再会できたのだ。

「あなたは……」

 天道あかねの目には、そんな彼の姿がぼやけて見えた。
 幾人もの敵に見えた。しかし、見覚えがあるようで、見覚えがなく、憎いようで、そこにいると安心さえする奇妙な男である。
 そのバンダナ、タンクトップ、八重歯……何か見覚えがあるような。
 こちらを見つめるその笑顔に、言いようのない懐かしさを感じるような。
 それは、あかねが帰るべき日常に必要不可欠な友人の姿にも似ているような。

 いや──。違う。

「うっ……」

 頭痛。

 ──敵。

 そうだ……彼は、敵……。

 人を欺く悪しき機械たち……。

「あかねさぁんっ!」

 良牙は、体が倒れかけたあかねの元に駆け寄った。その背中を抱き留め、せめて介抱してやろうと思ったのだろう。
 しかし、そんな良牙に向けられたのは、憎しみのまなざしだった。

「……ハァッ!!」

 そんな良牙の胸目掛けて放たれたあかねの掌底は、良牙も気づかぬうちに、彼の体を遠くへと吹き飛ばしていた。己の体が後方に向けて吹き飛ばされている事など、良牙が気づく事はなかった。
 ごてごてとした大木の根に自分の背中がぶつかった時、良牙は空を見上げている。

「そんな……あかねさん……まだ……」

 あかねが、まだ戦う意思を捨てていない事に、良牙は遅れて気づいた。
 あかねの体は、まだ「伝説の道着」という武器に包まれている。体が動かなくとも、道着の方があかねの体を動かせるのである。
 あかねが、あかねの意思で下した判断が、その攻撃だった。
 たとえ意識が失われたとしても、伝説の道着によって動き続けるという────悪夢の判断であり、最悪の戦法。

「……私」

 良牙が再び起き上がる前に、誰かが言った。
 今の光景を見て、一人の人間のやさしさや愛を拒絶した「何か」。
 それは、天道あかねそのものではなく、もっと別の悪意が縛っているように見えた。
 もはや、あかね自身の元々のパーソナリティと無関係に、許されざる不条理が彼女の精神を浸食している。
 その事実に、誰より怒りを燃やした者がいた。

「堪忍袋の緒が切れました!!」

 キュアブロッサムは、その怒りの一言とともに、突き動かされるように走り出した。
 つぼみは、良牙に代わり、彼女と戦おうとするのだった。






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最終更新:2014年10月10日 00:00