世界はそれでも変わりはしない(4)◆gry038wOvE
【『探偵』/希望ヶ花市】
花咲家で、おれは花華の視線を一身に浴びていた。
この時には、おれはもうある程度、事の意図はつかめていたのだった。
これまで、
左翔太郎の余計な気障と、佐倉杏子と
花咲つぼみの間に流れた友人同士のコミュニケーションがかなりのノイズになったが、おそらく、肝心の真相がどうかはともかく、左探偵や佐倉探偵がどういう結論に至ったのかは読み込めていた。
それは極めて単純な答えだったが、決して安々と口にしたいものとは云えなかった。
しかし、これまでも言った通り、おれはその真実がどんな物であれ、花華に正確にそれを伝えるべきだった。
永久に探し物をさせ続けるよりは、ここで決着をつけさせておいた方が良い――それがおれたち探偵の信念なのだ。
経験上、これより苦い結末の依頼をおれは何度も目の当たりにしている。
彼女がいかに傷つくとして、それを告げる事は大したハードルではなかったし、少なくとも言いたくないなどと駄々をこねるような人生を送ってはいない。
「花華……もう、探し物はやめよう。それは、あまりにも意味のない事だ。既にこの件は、おれたちの手に負えない事――いや、既に叶える事が出来ない物なのだろう。おそらく、いつか見つかる希望があるとして、今のおれたちではそれを見つけ出す事はできないし、曾祖母を満足させる事もできない」
「何故ですか?」
こう言った時、花華は少々不愉快そうに眉をしかめた。
はっきりと言いすぎてしまったきらいがあるが、だからといってソフトに伝える事などできはしなかった。彼女にとって不快感が薄まるように言っても仕方のない事だし、結局のところおれに向けられる印象が少しばかり良くなるという事は、卑怯な事でもあった。
はぐらかさずに、おれが行き着いた結論は、彼女が不快がるように言ってやった方が良いのかもしれない。
本来、それは、不快にならざるを得ない本質を持つ結論だからだ。――言い方ひとつで愉快になれるものでもあるまい。
それを伝える義務をわざわざ無償で負ってしまった以上、そこから逃れる事は出来ない。
……ただ、せめて全くの絶望の淵には立たせたくなかった。
おれは、ちょっとばかり言葉を選ぼうと頭の中を回転させていたが――そんな折、花華の方が続けた。
「――何かわかったなら、私にもわかるように事情を説明してください」
素敵に感じるほどに、彼女の声色は怒りのニュアンスも含まれていた。
しかし、彼女自身はまだそれを表さないよう、少しばかりソフトに返していて、まだヒステリックにはなりようもない様子だった。
本格的にマルボロを咥えたくなった。
それを取り出すような間だけはあったが、おれは結局取り出せずに、再び口を開いた。
「……わかった。すぐにこの件の真実を話そう」
「お願いします――」
「ただ、勿論だが、おれが推理したのは、あくまで左翔太郎と佐倉杏子がどんな結論に至ったか、という事だ。だからつまり、真実とは言い切れないかもしれない。こうなっては、明確な証拠も証言も残ってないからね。……ただし、やはりおれとしては、それは99.9パーセント確実な事だと思う。彼らも有能な名探偵であったから、おれは彼らの下した結論を全面的に信頼する。だから、きみもおれを少しでも信頼する気があるのなら、それはもう確実な真実だと思って、ひとまずは諦めてくれ」
そうでない理由がない。
それが最も合理的で、最も納得しうる結論だったからだ。ふたりの探偵は、調査能力に関してはけちのつけようはないレベルだと云える。彼らは、通常応えないような難しい依頼さえもこなし、ガイアメモリ犯罪を根絶に近づけた名探偵なのだ。
だから、この時、おれはそれを「真実」として告げる事に決めていた。
「……」
彼女は、返事はしなかったし、どうとでも取れるような表情でおれの方を見続けた。
応えるには勇気が要る。生返事は出来ない。それがわかっているから、無言なのだ。だが、安易な返事をしないのなら、おれはそれで良いと思う。聞いてからでも、諦めるか続けるか選ぶ事はできる。
問題は、こうして提示した問いかけの意味を理解しない事だった。彼女は、理解はしてくれた。だからこうして悩んだ。
おれは続けた。
「まず、おれから言っておきたいのは――きみの曾祖母がいくつかの後悔を口にしたと言っているが、彼女が本当に後悔しているのは、おそらく“探し物”の件じゃないのがわかった、という事だ」
「えっ……」
「おそらく、さっき告げたように、もっと、おれたちの手に負えない事こそが、きみに告げられた彼女の後悔の、ほんとうの正体なんだ」
――いきなり、花華は絶句しているようだった。無理もなかった。
こう言われては、彼女の信じようとした「探し物を見つける」という行為は、曾祖母にとって何の意味もない話になってしまうかもしれない。ここまでの彼女の努力を無に帰す結果に終わるかもしれない、という事なのだった。
それに、ただ彼女の行いが無意味になるのではなく、この推理を以て、事件の未解決は確定する。
余命僅かな――そして迷惑や心配をかけてしまった曾祖母への恩返し、という純粋な想いと焦燥に対して、それはあまりに後味の悪い結果に違いなかった。
それならば、余命僅かな曾祖母の傍に何度も見舞いに行った方が良かったのかも、と悔いる事となってしまうだろう。
「続けるよ」
だが、おれにはそんな彼女への配慮はできない。この後の方が問題かもしれない。
それでも、おれは彼女にすべての推理を展開し続けなければならなかった。
「……ただ、勘違いしないでほしいが、きみの曾祖母にとっては、それを探す事は確かに重要な事だったはずだ。しかし、彼女には“それ以前に”、“大前提として”、“もっとやらなければならない事があった”んだ」
おれは、彼女の耳に入っているのか確かめながら、続けた。
「――たとえばだ。この依頼では、最終的にこのように二人に励まされ、逆に“託されている”だろう? それが、どういう事なのか、わかるか?」
「『信頼』されている、という意味ですよね……?」
「誰が?」
「えっ……おばあちゃんが……ですけど」
「――そうだ。そうとしか言いようがない。しかし、同じ探偵であるおれからすると、それはありえない事だと思う」
「どういう事ですか?」
この件の未解決は、「この件は諦めろ」「継続する」という意味ではなかったのだ。書かれているように、依頼人に対して「君がやれ」という意味であった。
探偵に限らず、まともな大人は依頼された案件に対してこうは切り返さないに決まっている。
「たとえば、これは、警察が市民に、『きみたちが犯罪者を逮捕しろ』と、医者が患者に『自分で治せ』とそう言っているに等しい事なんだ。……先に『信頼』を受けて仕事しているのは、我々探偵の方なんだから、本来は我々がそれを返さなければならない。達成できなかった時にはそれを伝える責務があるし、このように依頼人に丸投げして終わるわけはないだろう?」
確かに、確実にありえない話とは云えない。少なくとも、税金泥棒の警察官も、やぶ医者も現実にいる。
……しかし、左探偵と佐倉探偵は、先に言った通り、「ハーフボイルド」ではあるが、おれも認める「名探偵」だ。プロとしての矜持は備わっている。難事件も解決しているし、過去の読める限りの記録を見ても、こうした不適当な行動を取った実績はない。
「でも、探しやすい場所に住んでいるのはおばあちゃんだったから……その状況なら、そう言われるのもありえなくはないんじゃないですか?」
「ああ、そうだな。確かに任せただけなら、そうも言えるかもしれない。しかし、その場合、『未来、きみが必ず果たせる』なんていう言い方はされない。彼はもう、明らかに何かわかっている。『必ず』と言い切っているし、その前に『きみが』としている。この気取って恰好をつけた言い方が、彼女や周囲には厄介だったんだがね」
実際、花咲つぼみも珍しく左探偵の返しには不満げな日記を書いているし、それは依頼人として当然の反応である。
「……そう――その気取り屋な性格はどうかと思うが、彼はプロだった。過去の事件を見ても、それは間違いない。では、それでいて、彼らは何故こんな結末にしてしまったのか。その理由を、おれは、この伝言を見て最初に疑問に思ったんだ」
「――」
何故、二人のプロの探偵が同じようにプロらしからぬ結論に至ったのか。そして、何故依頼人は事情を説明されてそれを納得し、励みとしたのか。
それがおれにはわからなかったのだが、紐解くうちにおれは事情を察する事になった。
――そう、言った通りの『信頼』を向けたとしか考えられなかった。そして、何故『信頼』したのか、が問題だった。
「おそらく、そこで左探偵は、この問題はまず花咲つぼみにしか解決しえない、あるいは彼女が解決すべき問題と確信し、彼女なら果たせると信じたんだろう」
「おばあちゃんが解決すべき問題……?」
「――ああ。だから、左探偵と、それからあとで再調査した佐倉探偵は“自分が関わる問題”としてのその依頼を『終了』し、それでいて“花咲つぼみが解決できていない状況”を『未解決』として、ファイルに綴じたんだよ」
「それが、『中断』ではなく『終了』としていた意味……」
「その通り」
いつの日か、花咲つぼみがそれを達成したのを知って、ファイルから外して処分するつもりだったのかもしれない。しかし、その日は来る事なく、二人が先に世の中に処分され、謎だけが後の時代に残されてしまったのだ。
これが、依頼が『中断』されずに『終了』した理由だった。
何かしらの闇に触れたわけではない。――むしろ、探偵にあるまじき感傷だ。彼らのハーフボイルドが、事件を後から見て不可解な物に見せていたのである。
「おれは、そこまで推理した後で――そういう彼らの感傷から逆算して、探し物のありかもわかってしまった」
花華は不思議がっているようだった。
まだ答えは見えていない。いや、現段階で彼女がどれくらい日記に目を通したのかわからないが、たぶんこういえばわかるのだろう。
おれの答えは、これ以外に考えられなかった。
「きみの曾祖母が生涯かけて……病床につくまでずっと研究していた、管理外の異世界への渡り方と、ある世界の捜索。彼女はきっと、この時には既に、左翔太郎や佐倉杏子に約束していたんだ。そして、二人は花咲つぼみを『信頼』して見守っていた」
「まさか……」
曾孫である花華には、この言葉でわかったようだった。
曾祖母の事を愛している彼女にとっては、何度も聞かされた話だろうし、もしかしたら、異世界移動の技術についても必死で学んでいた姿は、何度も目にしていたかもしれない。植物学者としてだけではなく、ある一人の男の友人として。
それはついに報われなかったのかもしれないが、未解決事件を一つ作り出してしまったのかもしれないが――しかし、彼女の仲間たちも信じるに値するほどまっすぐな努力を積み重ねた、純粋な願いだった。
響良牙を探しに行く、と書かれた日記。
おれは、それを目にしてしまった。
「――結論を言う」
それは、美しく、残酷な答えだった。
「そう――――きみの曾祖母が生涯かけて探した、『変身ロワイアルの世界』こそがその探し物――――きみの曾祖母が失くした骨董品、“オルゴール箱”のありかなんだよ」
そう――そこからのシナリオは、単純だった。
これより、様々な事を一方的に花華に話した。
この八十年、果たして何があったのか。
左探偵は、おそらく、紛失時期を考えたり、花咲つぼみの具体的な話を聞いたりしたうえで、変身ロワイアルの「支給品」としてそれが異世界に置き去りにされていると結論づけたのだと思う。
左探偵の場合も、同様に「大事な所持品が向こうの世界に置き去りだった事」「変身ロワイアルの戦いの前後、事務所や私物から紛失した物があった事」に思い当たる節があるのなら、余計に推理の材料が整っていた可能性が高いだろう。
これがわかった時点で花咲つぼみにきっちり説明すればよかったのだが、彼は気取り屋な性格を見事に発揮し、「未来の君が果たせる」などと持って回った言い回しだけを残して依頼を終えた。
おそらく、この時は彼女が「変身ロワイアルの世界」を見つけ、そこで共にオルゴールを発見し、「おれの言っていた通りだろう?」とでも声をかける算段が彼の中ではついていたのではないかと思う。気取り屋のやりたい事は見当がついている。
しかし、そのシナリオ通りに行けばよかったが、彼は事故によって旅立ってしまった。
風都の大人として、そして仮面ライダーとして戦った男として、恥じない誇りある最期だが――ひとつだけ、置き土産を残してしまったのだった。
――それから数年後。
結果的に、「謎」に変わっていったこの案件を引き継いで再度推理したのが、佐倉杏子だった。
しかし、もしかしたら左翔太郎と長らくバディでもあった彼女は、左探偵のそういった性格ごと読んでいたのかもしれない。当初は探し物案件として必死で探していた彼女も、ある時――同様の結論に辿り着いた。
それはおそらくだが、あの左翔太郎の自筆のメッセージについて思い出したか、前回の調査報告書の最後の一文に着目した時の事だろうと思う。
そして、彼女の場合は、きっとくだらない謎を残して向こうに逝った相棒に呆れつつ――しかし励ますように、花咲つぼみにすべて事情を説明した。
――そう、変身ロワイアルの世界に行かなければ、大事なオルゴール箱は見つからない、と。
――だとするのなら、探偵である自分たちの仕事はここまでだ。
その研究をしている花咲つぼみこそがその世界を探し、そのオルゴール箱を見つけなければならない。
そう思い、佐倉探偵は――、響良牙の生存を信じ、あの世界に彼が取り残されていると信じ、そして、その世界に辿り着きたいと思いながら日々を重ねる花咲つぼみに、事件の解決を託した。
花咲つぼみの、友達として。
変身ロワイアルから八十年が経過した今。
おれは未解決ファイルとして残されたデータを読み、花華は曾祖母から「後悔」としてそのオルゴール箱の依頼を聞いた。
そして、おれたちは出会い、彼らが辿った結論に、遂にたどり着く事になった。
……つまりは、そういうわけだ。
――――おれはこのすべてを花華に説明し終えた。
……実に、人々を翻弄してくれるオルゴール箱である。八十年前と今とをつなげるオルゴール箱だったというのである。
おめでたいロマンチストからすれば、それはロマンのある話に聞こえるかもしれないが、おれからすると、この結論には問題がある。
八十年という今にもまだ、続いてしまっているという事だった。
「しかし……きみの曾祖母は、彼らから託された約束事を果たせないまま――自分の余命が永くないという段階に来てしまった。だから、『オルゴール』ではなく、『あの世界に行けなかった事』こそが――『響良牙に会えなかった事』こそが、彼女の後悔の一つなんだ。そう――『変身ロワイアルの世界に行く事』『響良牙に会う事』『オルゴールを見つける事』すべては、彼女の中で同じ意味を持つ言葉だったんだろうな」
その世界に行く方法が見つからないいま、彼女の後悔はすべて後悔のままなのだ。
当然、花華が花咲つぼみの後悔を果たす事もできなければ、花咲つぼみが最期の時までに響良牙と再会する事もない。
「彼女は、左翔太郎が死んだ事で、何よりその『信頼』を重く背負いながら生きる事になってしまったのだろう。彼が信じた未来を実現させなければならなかった……それから先、『
涼邑零』が、『
孤門一輝』が、『
蒼乃美希』が、『佐倉杏子』が、『
高町ヴィヴィオ』が…………彼女の中で背負われていったんだ。そして、彼女だけが残り、いまも病床で後悔としてそれを告げた……それは、今生、果たせない約束への謝罪として……きっと、胸が張り裂けそうな想いで…………」
花咲つぼみが既に九十四歳。何度となく医療の恩恵にすがりながらも、遂にその生命は果てようという段階にきている。
それに対し、響良牙はもう、生きていればの話だが、九十六歳。――何もない場所で、何もない世界で、生きているとは思えない。
もっと言えば、だ。
彼女が見つけ出そうとした世界――それさえも消滅していると言い切れない。殺し合いの為にベリアルが用意したステージであるのなら、そこはその役目を終えるとともに消えているだろうし、彼女たちが「送還」されたのもそんな意味があるように思えてならなかった。
頭の良い彼女は、とうにその結論にだって辿り着いていたはずだ。
しかし、信頼という呪いにかけられ、研究をやめる事もできず、一人で……ただ一人で……彼らが信じる自分を信じながら、彼女は生きた。孤独になっても、彼女は未来を信じ続け……そして、未来を生きる若い曾孫に言葉を託した。
彼女の生きる未来なら――オルゴールは、見つかるかもしれない、と。
……残念ながら、おれが有給休暇を使ってたどり着いた結末は、この通りだ。
はじめに察した通りだ。解決はできなかった。
それは、確かにおれにとっても――とても後味の悪い結末だった。
◆
……ここで話が終わるわけではない。
ここで終えたいならば、読むのをやめてしまっても構わないが、まだ触れていない『死神の花』という事件について気になるならば、これより先の物語に入ってもらいたいし、おれもすっかり忘れていた前提を告げよう。
そう、おれはこの時点で、あまりにも未熟だった。
人生というのは、本当に何が起こるのかわからないゲームだという事――そんな立派な前提がある。だからこそ、「結論」というのは変わってしまう場合がある。
何しろ、終わり、結末、というのはどの段階を以ての話とも言えない。死んだり、世界が滅びたりしても、生き返れば、世界が元に戻れば、ついにそれはバッドエンドではなくなってしまう。継続した「その後」が問題なのだ。
例えば、敗北していたはずの試合が、相手の不正が発覚して勝利となるとか。
例えば、有罪が確定した判決が、再審によって何年越しに無罪だと明かされるとか。
そういう話も聞かないものではないし、つまり、「結末」「結論」というのは、その時点でそう思っているだけに過ぎない事でもあると云えるのだ。
それが、おれたちの生きている世界の
ルールだ。
……いや、こう言ってしまえば誤解を招くかもしれない。
これは、悪い方にも話が行くと云える。上のふたつの例だって、見つからなかったはずの不正が発覚して敗北になった奴にとってはバッドエンドだし、犯人が逮捕されていたと思って安堵していた被害者(あるいは遺族の場合もある)にとっては事件が迷宮入りなのだ。
八十年前に、終わった筈の事がひっくり返される事だってある。
あの時の事がハッピーエンドなのかどうか、それをどう認識しているかはわからないが――ハッピーエンドだと思っていたとしても、あの後、左翔太郎は不幸な事故に遭ったし、おれは花咲つぼみが一概に幸せになれたと云えない状況だったと感じている。
だから、話を見届けるにはいつも……覚悟が必要だ。
◆
――ここは、希望ヶ花市植物園だ。
半民営化した植物園で、花咲薫子を理事とする。これが、花咲つぼみの祖母の名前らしく、おれからすればもうずいぶんと古めかしい名前だった。
……と、おれが言ってしまうのも何だが。
「……」
「……」
そこを取り巻く空気は、最悪だった。
謎は解決したが当初行く予定だったのだからせめて最後に花華と立ち寄ってやるか、とここに来てみたは良いのだが、何しろおれには見たいものもない。気分転換のつもりだった。彼女にとってはかなり落ち着く場所らしく、大好きな植物に囲まれる場所でもある。
おれにとっては、園内が静かなのは実に良かった。良いのはそれだけだ。草なんてどれも同じに違いない。
……あのあと花華が泣きだしたのは言うまでもないが、この空気の中で再び泣き出そうとしている。
おれは、流石にその涙ばかりは受け止めるしかなかった。彼女が確実に涙するのを予期したうえでの言葉だった。不思議と、それまでほどの居心地の悪さはなかった。おれもすっかりこの少女の涙に関しては慣れてしまったのかもしれない。
しかし、やはり……対処には、困る。
「……なあ、花華。きみの曾祖母は幸せだったと思うか?」
おれはそれでも、ふと訊いてしまった。
オルゴール箱の所在よりも、おれにとってはそちらの方が大きな疑問であり、心残りにさえなっているのだ。
この依頼の結論を踏まえると、なお納得はできないのだった。
「……え?」
「彼女は――変な力を得て、他人の為に戦って、報われないどころかその力に目を付けられて殺し合いに参加させられて、友人をたくさん失って、挙句に帰ってからもそこでの友人の響良牙の為に研究していた。世の中に認められたは良いが、その響良牙を救うといういちばんの目的は……願いは、果たせなかった事になる」
彼女の方を見つめるが、花華の感情は図れなかった。
どういう感情が返ってきたところで、おれは、覚悟はできている。過度に彼女に干渉するつもりはないし、この話が終わった以上は、最後にどういう心情を抱かれて終わっても構わない。
しかし、謎が残って終わってしまうのは許しがたい。
おれは遂に、花咲つぼみ本人に会う事もなかったのだから。
「勿論、殴られるのを承知で言っているが――それを悪いがおれには良い人生には見えなかった。きみは、あの日記を見てどう思った?」
ここにいる桜井花華が――彼女がプリキュアとしてどう戦っているのかは知らない。
しかし、それが戦うという事だ。あらゆる覚悟と、報われない事への諦めが必要なのかもしれない。
そして、奇跡的に花咲つぼみという人間は、八十年前それが出来ていた。
それでも、それが出来ていたところで幸せとは云えない。
彼女は人間なのだ。規律や人々の生命を守り、おれたちの身を無償で守ってくれる素敵なロボットではない。
その性格は、べつに嫌いじゃない。変だとも思わない。しかし、いつもそういう人間が報われない世の中だ。世の中は、常に間違いを正せないまま回る。そういう風に回り続ける。世界は、変わりはしない。
そんな世界に生きていて、彼女は幸せなのか。
ただ、そこで返ってくる返答次第で、おれは非常に後味の悪い気持ちで花咲家との関わりを絶つ事になるのだろうと思った。
「……それは」
花華が何某かの感情を載せて口を開いた、その時だった。
事件が更に続く事になり――――『死神の花』の事件へと進展する事になるのは。
結果的に、この問いかけの答えは、直後の出来事によって保留されたのだ。
◆
『――なら、あなたたちが彼女の願いを叶えてあげればいいじゃない』
◆
おれたちは、その瞬間、あまりにも唐突に、奇妙な声を訊いたのだ。
若い少女の声だった。頭の中に響いてくるような、エコーのかかったような声。
「えっ……?」
ふと、会話を中断して、おれと花華がそちらを見ると――深紅のドレスの少女がそこに立っていた。
『――』
長い黒髪をなびかせて、見た事もないほど白い肌で無表情にこちらを見ている少女。
それは、極めて心霊的で、この世のものとは思えないオーラを発して、花々の中に溶けていた。
「きみは――?」
花華とは、違う。もっと、透けているような何か。
おれは、オカルトは信じないが、その瞬間に背筋が凍った。
花華を見ても、彼女を知らないように見えた。
それどころか、おそらく誰が見ても――その少女に生気を感じる事はないだろうと思えた。
彼女に父や母がいて、平然と団欒している姿がまったく想像ができない。どこかの病院で白いベッドに横たわって外を見ているような、あるいは本当に森の奥深くに住んでいるかのような――そんな生活をしている想像しかできない、ありえないほどの、美人。
それはあまりに不気味で、見ている側の精神に支障を来すような膨大な不安をもたらしていた。
『……やっと見つけた、桜井花華――“もうひとりの私”。それに……そっちの名前は知らないけど、ついでにあなたも』
「きみは……一体、誰だ?」
『訊かれなくても後で全部説明するから。――とにかく、時間がないの。桜井花華には、全ての世界の因果律を守ってもらう使命がある』
「どういう事だ……?」
おれはさっぱりわけがわからなかった。
希望ヶ花市植物園に突如現れた少女――名も知らぬ少女。
しかし、それでいておれたちの事情をよく知っていると見える。そんな相手におれは警戒を解かない筈がない。
『だから、ついてくれば、後で全部説明するから。――とにかく。今は、私についてきてもらうわ』
次の瞬間、彼女の姿は小さな黒猫の姿へと変身し、突如その猫の前に現れたオーロラの中へと消えていった。
きわめて不可解な状況に違いなかった。特に、おれにとっては彼女以上に慣れていない事象である。
おれと花華は目を見合わせた。
さっきの質問は、一度は保留だ。それよりか、いま一度訊きたいのは、この後どうするか――彼女の変身した黒猫についていくか否かだ。
「探偵さん、とにかく行ってみましょう……! この反応は、管理されていない異世界です――」
それが、彼女の答えだった。
おれはそのまま、彼女の背中を追っていた。
◆
【『探偵』/異世界移動】
花華が躊躇なくそのオーロラの向こうに突き進んだ時、おれはまったく躊躇せずにその後を追っていた。
一応、一番傍にいた保護者としての責任だと思ったのだ。知り合いでもあるし、元々依頼ではなく「私的手伝い」とした理由も「鳴海探偵事務所の存続にとって不可欠な家系の人間だったから」だとするのなら、彼女がおれの視界で危うい目に遭っているのを見過ごさないのも筋だろう。
自分の力でオーロラを出せる人間は珍しく、あまりに怪しい物であったが、それが異世界を渡る際の化学反応のひとつなのは中学校の理科の授業で習っている。あまり詳しく勉強する事などなかったが、今や異世界移動の際には一瞬のオーロラを目にするのは珍しい事ではない。
しかし、よく言われるように綺麗な反応には思わなかった。
おれはむしろ、その狭間に見える世界が谷底のように恐ろしく見えた。誰も知らない場所にいざなわれるような気がしてならなかったからだ。
今回の場合も、オーロラの中に来てしまっていた事を既に後悔している。
この先に何があるのか、おれはわからないままに異世界に来てしまった。
少女の正体もわからない。
そのうえ、黒猫に変身しているときた。
「もう一度訊くが……きみの名は? どこに行くつもりなんだ」
黒猫に聞いてしまった。
猫に話しかけるのは、ちょっとばかり異常だ。……と思ったが、振り返れば、おれは普段からよくやっていた。
尤も、返事を期待するのは初めてだが。
すっかり謎の少女は、黒猫の姿としてオーロラの中を歩いている。彼女は、まったくこちらを見ようともしない。
こんな奴についていくのは不安だが、花華は妙に肝の据わった様子で前を歩いていく。
猫と話していても仕方がない。おれは、人間である彼女の方に意識を向ける事にした。
「なあ、花華、きみは気にならないのか? 人間が猫になったんだぞ」
「……そういえば、探偵さんはあまりその辺りの文化が入ってきてない世界の人でしたね。別世界だとこういった変身魔法はそんなに珍しくないですよ」
「――ああ、そうだったな、それはわかってる、確かに人間から猫になれる奴はいるな。だが、猫に変身できる人間がいるとして、きみの名前を知って植物園に追いかけてくる事もなければ、オーロラを出す事もないし、正体を明かさずに因果律の話をして異世界に誘いに来る事もない。もっと言えば、管理反応のない異世界に行く事もできないだろうな。きみならどうする、この状況でついていくか?」
もはや彼女の性格は常識がないと割り切っている。
直前まで泣きそうだった彼女は、あまりにも毅然とした顔つきになっており、逆におれの方が泣きそうな気持ちになっていた。まだヤクザとの戦いの方がわかりやすい暴力だから自分の身を守れる確率がある。
彼女はヤクザどころか、この状況でも物怖じしないというのなら、それはおれよりはるかに心が強い事と云えるだろう。
今、万が一、少女が何かのおれたちに不利益な目的を持っていたなら、このままどこかの世界で神隠しだ。
「……確かに怪しいですけど、こういう事象を解決するのが、私たちの仕事です」
「中学生のアルバイトだろう」
「でも、今の世界を支えるうえでは、私みたいに超常的な力を持つ人間の行動が必要なんです。今の状況下、彼女が時空犯罪者ならば撃退に踏み切るべきです」
「それなら、時空管理局に所属する組織人として、向こうにきっちり許可をもらってから行動しろ。許可されないだろうがな」
「だから、今こうして勝手に進んだんです」
などと、噛み合わない会話を続けていると、一番先頭の猫がこちらを向いた。
『――騒がしいわね。私からあなたたちに危害を加えるつもりはないから。……ただ、危害を加えるかもしれない相手と会わせに行くだけ』
彼女はさらっと云う。
なるほど、特別な手当が出て然るべき危険な話におれたちを乗せようというわけである。
花華もどうかと思うが、この少女の方がおかしいと云える。
彼女が危害を加えないとしても、おれたちには関係ないのだ。「お前が危険人物かどうか」ではなく、「おれたちが危険な目に遭うかどうか」――それが問題である。
さて、おれは再び花華に振る。
「――と、この子猫ちゃんは言っているが、花華。引き返す準備は?」
「ありません。事情を聞きましょう」
「なるほど……。だとするなら、悪いがおれひとりで、引き返す事にする」
おれは、もはや花華を放る事にして反対を向いた。義理の追いつく相手ではなかった。ここから先は自己責任だ。
おれは、広がるオーロラの向こうをたどれば、きっと元の希望ヶ花市植物園に戻れるだろうと思った。
しかし、そういう風に甘い考えを浮かべた矢先、背中に声がかかった。
『……戻れないわよ。ここに来たからには、私の望む行先にしか行けない』
「――じゃあ、行先を変えてくれ。さっきの希望ヶ花市、もしくは、おれの世界の風都へ」
『残念だけど、変えるつもりがないもの。ここに来た時点で、あなたはもうこの話に乗ったものとしてもらうわ。電車の車掌が一人の乗客の意見で行先を変える事なんてないでしょう。――それに、あなたも探偵なんでしょう?』
「悪いが鳴海探偵事務所は臨時休業中だ。それに、きみから依頼を受けた覚えがない」
『それなら依頼として受けてもらう形にするわ。依頼料は弾む。ただし成功報酬よ』
「……いくらだ?」
金の事をいわれると、つい聞いてしまうおれだった。
成功できる見込みがあるのなら、おれはその依頼に乗ってしまう。達成するだけ給料が弾むのだから、おれに乗らない理由はない。
黒猫が口を開ける。
『――「あなたがこれから生きる未来」、そして「世界の命運」でどうかしら?』
……冗談だろ。
◆
『――そう。あなたたちに今から頼みたいのは、「世界の命運」に関わる事よ。あなたにとっても悪い話ばかりではないわ。というか、もう乗らざるを得なくなる』
彼女は、おもむろに切り出した。
やはり、花華を追うべきではなかった。彼女の場合は、世界の命運を託されてもおかしくない出生だが、おれは違う。ただの探偵だ。
唯一、鳴海探偵事務所という特別な探偵事務所と雇用契約を結んだ件だけが、こうした超常的事象とおれとを結び付けてくれるかもしれないが、少なくともおれはヒーローではないし、特別な力を持たない。
多少、普通の人より喧嘩が強いだけ。……そう、それはあくまで、“普通の人”より、だ。
しかしだが、ひとつ残念な事がある。今回は別に巻き込まれたのではない。
花華の背中を追ったとはいえ、それは自分の意志で追ってしまった。そして、引き返せないらしい。文句を言わず、潔く諦めるしかなかった。
あとは、もう彼女の話を聞いて、どういう形であれ生きて元の場所に帰ってみせるだけだった。それしかない。
彼女は続けた。
『申し遅れたけど、私の名前は魔法少女、HARUNA<ハルナ>。インキュベーターとの契約により、魔法少女となり――今はとある勢力によって与えられた任務を果たす為に、あらゆる時代、あらゆる世界を渡り歩いている』
「とある勢力とは?」
『――ただ、私には、契約する前から長らく「実体」がない。あるのはHARUNAとしての情報だけ。だから、こうしたアバターを使っているけど、別にさっきの姿もこの姿も本当の姿というわけではないわ』
いきなり、質問を無視されている。まあいい。
情報のみを抽出して実体から分離する、一つの技術――実に怪しいというか、この時代から見ても先進的な技術の話をしている。……いや、技術としては可能かもしれないが、おそらく倫理的問題・安全面での問題をクリアーできていないというのが正確なところか。
彼女が本当に魔法少女であるというのなら、「ソウルジェムに意志を転移する」という技術を太古の昔から可能としているのだ。
それに、言い換えれば「情報体」――つまりデータ人間は、おれたちの世界の八十年前の技術だって可能だ。おれの探偵事務所にだって、まさしくそんな探偵がいたのだから、まあ、ありえない話ではないとは云える。
……それから、彼女の名前はHARUNAというらしい。まったくもって、おれの言える事じゃないかもしれないが、呼び名があるというのは便利だ。いつまでも「少女」「黒猫」では仕方ない。
なんだか、奇妙なほどに花華(ハナ)とよく似た名前であった。HARUNAは、そんな自分と似た名前の少女の名前を呼んだ。
『――桜井花華』
「何でしょうか?」
『……あなたをこうして呼んだのは、他でもない。この八十年を耐えきった世界たちが、ある理由によってその形を崩すのを防ぐ為よ。――つまり、「この世界を壊させない事」が、あなたの使命。そっちの
オマケは、残念ながら本当にオマケね。来る必要はないけど、とりあえず役には立ってもらうわ』
彼女にとっての役割は、『オマケ』か。
まあいい。花華にとって『探偵』であるとしても、彼女にとって『オマケ』であったというだけの事。これから何の役にも立てないのなら、おれは『オマケ』として見届けよう。
尤も、役に立つとか役に立たないとか以前に、彼女の云っている事がよくわからないのが正直なところだが。
「……HARUNAさん。ある理由によって形を崩す、と云いましたけど、それはつまりどういう事ですか? 管理局には一切聞いていませんが――」
『そういうのも後で全部言うから、とにかく質問を挟まず黙って聞いててもらえる? まあ、ひとつだけ答えておくと、あなたが管理局から一切聞いていないのは、単に無能な管理局が事態を把握していないからよ。……尤も、それを感知できる力がないから当たり前だけど。それに、あなたは確かにその組織の一員ではあるとしても、決して全情報を開示される権利がある立場ではないでしょう――?』
そう言われ、花華は少しばかりたじろいだ。
こうまで強く、敵意や不快感を向けられて言われれば、彼女が泣き出すか、あるいはさすがに怒り出すのではないかと心配になった。
おれが言うのも何だが、HARUNAももう少し不愉快にならない言い方を探せないのだろうか。……何にせよ、この「情報」は、よほど性格が悪いと見えた。
この性格の悪い「情報」は、そのまま続けた。
『――で、当面の伝えたい事情は簡単よ。いま、花華の曾祖母、花咲つぼみ――えっと、今は違う名前だっけ? ……まあいいわ。とにかく、花咲つぼみが変身ロワイアルというゲームの最後の生存者という事になっているかもしれないけど、実はもう一人だけ、あのゲームには生き残りがいるの』
「花咲つぼみ以外の生き残り? そいつは誰だ……? って、訊いても無駄か……」
『そして、世界を守る為の私たちの急務は――――』
案の定、質問は無駄だった。彼女は勝手に話を進める。
この黒猫は、その先の言葉を冷静に告げた。
『――――その、もうひとりの生き残りを、“殺す”事』
おれの質問を無視して、HARUNAから告げられた指示と目的。
それは、探偵に依頼して良い仕事でもなければ、当然彼女の思惑通りにプリキュアに任せて良い任務でもない。そもそも、人に頼む時点でどうかしている――何者かを殺害しろ、というのが彼女のおれたちへのメッセージだった。
こういう風に言われ、おれたちは言葉を失った。
彼女が続ける言葉を、おれたちはただ聞くしかなかった。
『……あの変身ロワイアルというゲームの勝利条件によって得られるのは、「どんな願いも叶える権限」だった。その事は知っているわよね』
おれはふと思い出す――何人かの参加者が、その条件を信じて「願いを叶える為」に戦いに臨み、そしてそれを果たす事がないまま散った事を。
そう、花咲つぼみの友人の中にも、ただ一人だけそんな願いを伴ったまま戦った少女がいた。家族の蘇生という、極めて年頃の少女らしい純粋な願い。
しかし、結局、願いを叶えた参加者はどこにもいない。最後の一人が決する事なくゲームは終わったし、あの言葉を投げかけた主催者の方が敗北した為にその権限が本当なのか偽りなのかもわからないままに物語は幕を閉ざしたからだ。
もっと言えば、その願いを叶えようとした人間が「主催側」にもいたが、その願いはほとんど本人が望む形で叶いはしなかった。
ある者の蘇生を望み、それを叶えはしたものの正しい形で蘇らなかった
加頭順や
プレシア・テスタロッサ。
世界を取り戻す事を望み、それが叶った後に世界は元の形に矯正されたイラストレーターや魔法少女。
そして――世界の支配を望み、一度は世界を支配したが、そのすぐ後に敗れ、世界の支配を叶えきれなかったベリアル。
願いとは常に皮肉であるともいえた。
「ああ、だが、それがどうかしたのか? ――いや、こちらから訊いても仕方ないんだったな。……続きを頼む」
『……つまり、その願いは今、あの殺し合いの生存者が一人になろうとしている時に――その優勝者に託されようとしている』
「――優勝者、だと……?」
『そう。あの殺し合いは、一度収束したように見えたでしょう。でも、本当の意味で最後の一人になるまでは――決して終わりはしないみたいなのよ。たとえ加頭順や
カイザーベリアルがいないとしても、もっと大きなシステムが動き続けている。つまり、あれから八十年間、「変身ロワイアル」はずっと続いていたの。参加者たちが互いに危害を加える事はなかったかもしれないけど』
殺し合いはまだ終わっていないだろう、という想い。――それは、少し前におれが考えた事とまったく同じだった。
ある意味で、それは現実だったと、彼女は云うのだ。
しかし、その意味合いが――おれの思った形と、彼女の云う形で明らかに違う。
おれは、生還者がまだ縛られるという意味で告げていた。しかし、彼女の言い分によると、あの殺し合いのシステムそのものが残存しているという。
その事は、おれには関係のない話だが、驚かざるを得なかった。
信頼の置ける情報ソースではないが、作り話にしては妙に詳しくもある。少なくともいま話している内容は正確な情報も多いし、おれは彼女のいざなうままにオーロラを辿っている。妄言発表会のやり方ではない。
彼女は続ける。
『――そして、その生存者が、このまま花咲つぼみの死とともに願いを叶える権限を得たとするのなら、“彼”が望む願いはひとつしかない』
「それは――」
『――それは、この世界が歩んだ歴史、この八十年をリセットする事で、世界がそれぞれ独立し歩む「本来の形」にする事』
「本来の形……?」
『そう。実感がないかもしれないけど、あなたたちが生きている世界は、決して本来の歴史の通りには進んではいない。あの殺し合いがなければまた別の未来を――もしかしたらもっと幸福な未来を歩む事になったでしょうね』
「――」
おれが、花咲つぼみを通して考えた事に違いなかった。
あの殺し合いに巻き込まれた事による彼女への不幸は計り知れない。
日記をめくって書いてあった事――そのすべては、端から見れば不幸と戦う健気な少女の書いた悲しみ。
そして、おれが追って結論したのは――仲間に強く託された願いを叶えられないまま旅立つ事に未練を持った、無力な老婆になったという事。
「なるほど……」
生還した事がハッピーエンドにはならない。生還した人間がその先を生きる事は、常に戦いだった。
ふと、彼女の友人の死なども……彼女の友人が殺し合いに乗った事なども、頭をよぎる。
明確な犠牲者がいた。そうなるべきでない事があった。
あるべき事象か、あるべきでない事象かと言われれば、後者だった。
『そして、本来はそれこそが個々の世界の「正史」であり、「オリジナル」と呼ばれる歴史なの。いまあなたたちが生きている世界は、変身ロワイアルの介入ですべて変わった二次的世界「セカンド」と呼ばれる別の作られた偽の歴史よ……。でも、こういう形になったから、辛うじて一つの世界として成立し、持続しているし致命的な不安定はない。だけれど、万が一、それが優勝者の願いで「オリジナル」の形にもどれば――』
おれは、この説明を聞いて即座に理解はできなかったが、咄嗟に花華の方を向いた。
タイム・パラドックスという言葉が思い出された。彼女が言っているのは、それだ。
この世界は既に、変身ロワイアルが発生させた「タイム・パラドックス」によって生まれ、そして育った歴史――おれたちにとっては正しくとも、決してあるべきでない形の世界。
だが、そのタイム・パラドックスを優勝者が正してしまったとするなら、この世界からあらゆるものが消えるに違いない。
それがその言葉の示す意味だ。
『――たとえば、わかりやすく言うと、桜井花華。あなたの存在は、消える。花咲つぼみが別の男性と出会い、別の子供が生まれ、きっとあなたの存在しない世界として再び世界は歩んでしまう。他にも多くの存在は消滅し、この時間は消える。八十年もあらゆる因果律が集った以上、今からすべて壊される事による被害は計り知れないわ。たぶん、そっちのあなたも消える。八十年が残した影響の中で、あらゆるものが消えるわ。――それから、たとえば、折角技術の相互補完により安定していた魔法少女の宇宙なんかは、再度、崩壊の危機を迎えて悲劇の世界に戻ってしまう』
「だからきみは――もう一人の生き残りを殺しに行くのか? あ……いや、殺しに行くというんだな」
『ええ、この歴史は、「オリジナル」からすれば間違ってはいる。本来殺されるべきでない人たちが殺し合いをしたけれど――その反面、殺し合いや殺し合いの後の歴史で多くの命や想いが残り、ある人たち、ある世界にとってはむしろ幸せなカタチを残している。そんなこの偽の歴史を守るのが、私の使命よ』
おれは傍らの花華を凝視し続けた。HARUNAの言う事が本当ならば。彼女もまた、彼女やその勢力の恩恵を受けて守られる事となる――もっと言えば、あるいはおれもそうかもしれない。
バトルロワイアルによって別の歴史を歩んだ世界において、その後の歴史で生まれた子供はすべて、消滅のリスクが極めて高い状態だと云える。あれだけ大規模な出来事が発生した中で死んだり、影響を受けたりした人間は膨大であるし――この八十年で生まれたものはおそらく、すべて消えるだろう。
作り話にしては、設定が凝っていた。
『これから私たちの行く先――そこに、もう一人の生存者が生きているわ。言い忘れていたけど、彼は、不老不死の「死神」となっている』
「不老不死の死神……? きみは、不老不死の人間を殺せと――?」
『そして、これからあなたたちに行ってもらうのは、花咲つぼみの遺伝子情報を持つ花華や、先にあの世界に移動した“彼”。あとは、私のような“特異点”の情報端末だけが潜れる場所、――――「変身ロワイアルの世界」よ』
「……冗談だろ」
彼女は、今、さらっと何を言ったか。
今からあの凄惨な殺し合いの現場へ――花咲つぼみが探し求めた、変身ロワイアルの世界に連れて行くと、よりによって今日、このタイミングで、そう言ったのだ。
いくらなんでも、あまりにもタイミングが良すぎると言わざるを得ない。おれたちの話を聞いていて、それで騙す為に話をしているとも言えない。
八十年、それから、これから先の歴史において、そんな日はいくらでもあったはずだ。それが、よりによって今日重なるというのか。
……いや、だが、待て。
先入観を捨てて考えるのなら、タイミングの良し悪しは関係ない。問題は、そんな主観よりも、確固たる事実の方だ。
本当に、これからこのオーロラで変身ロワイアルの世界に行けるのなら――おれは、こいつを信用してもいいかもしれない。
そこはいまだ誰も到達できない場所であるし、その不可能を可能とするのなら、彼女がそれだけ大きな力や影響力を持つ少女だと考える要因になる。
本当にそれだけ世界の話を知っているのなら、彼女もあるいは、変身ロワイアルの世界への行き方さえ知っている、と云えなくもない。
それにしても、何よりそこにもう一人参加者がいる――不老不死となった参加者がいるとするのなら、それは、まさか。
おれは、変身ロワイアルの世界に残っている参加者を思い浮かべた。
二人だけ、候補が浮かんだ。最終決戦でベリアルが倒されるまでの瞬間に生きていたが、生還はしなかった人物が二人いる。
一人は、消滅した。
一人は、ベリアルと相打ちになり、生死不明となった。
だが、「死亡」は観測されていない。
『――そして、そこであなたたちが殺すべき死神は、かつて――ベリアルにトドメを刺して爆発する時、エターナルメモリの過剰適合によって「永遠」の身体を得てしまった少年――』
おれの導き出した結論を裏付けるように、彼女はそう告げた。
そして、その名前を出すよりも前に、おれは呟いていた。
「響、良牙……!」
それが本当ならば――おれは、八十年間島に残り続けていた迷子と、ガイアメモリという化石に同時に出会う事になる。
花咲つぼみの確信通りに響良牙は生きており、そして、おそらく確信を超えたところでずっと――八十年も、生きていた。
恐ろしいほど、タフな男でもないと生きられない歴史を背負いながら。
しかし、それを殺せとは、あまりに残酷だ。
おれが殺し屋だったとして、受ける気にならないような依頼だった。
ましてや、二人の人間が八十年願い続けた再会を無粋な介入で消し去ろうとしている。何より――花咲つぼみの曾孫の手で。
「――本当に、響良牙さんは生きているんですか!?」
『……とにかく、そちらのオマケは、参加者の遺伝子情報を持たないから、変身ロワイアルの世界に入る時には私が憑依する事で一時的に特異点の力を授けるわ。かつてもその方法で非参加者が入った事例があるようだけれど』
「――――本当に、その人は世界のリセットを望んでいるんですか?」
『それからもう一つ。死神はいま、エターナルの力を強めて、かつてより手ごわくなっているわ。それでも、花咲つぼみと瓜二つの顔をしている桜井花華が前に出れば、確実に油断する――その時にもう一人の“彼”に戦わせて、メモリブレイク。生身になったところで息の根を止めてもらう。憑依すれば私もあなたという実体を動かせるから、しくじっても私が何とかするわ』
「――――――本当に、そんな事に協力しろって言うんですか!? あんまりじゃないですか!? これがもし……もし、おばあちゃんも同じ願いを持っていたなら? 八十年間の歴史を戻すことを、おばあちゃんが望んだなら、今度はおばあちゃんを殺すつもりだったんですよね!?」
『いざという時は、あなたもプリキュアの力をぶつけてメモリを排出してくれれば良い。そうすれば、生身になるし、もう少し彼の殺害が現実的になる』
「――私、堪忍袋の緒が切れました!!!!!! 質問に答えてください!!!!!!!」
花華も、この時ついに、曾祖母同様に堪忍袋の緒を切らしたのだった。
◆
……ここから、おれは、あの『死神の花』事件に関わっていく事になる。
オルゴール箱を探すという依頼の答えが提示された直後に、不可能と結論づけたはずのその答えの先におれたちは辿り着いてしまった。
だが、それはこういう話へと続いていく。
この変身ロワイアルの参加者は――残り二人だ。
花咲つぼみと、響良牙。
二人は、「つながった世界」と「孤立した世界」で、それぞれ最後の一人として分かたれ、孤独に生きてきたのだろう。……そして、お互い出会う事を望みながら、しかし出会う事がないまま、盤面に残った最後の駒となってしまった。
確かにお互いが殺し合う事はないが、どちらかが生きている限り、殺し合いは続いてしまう。花咲つぼみがもし、この後で息を引き取れば、その時に響良牙に願いを叶える権利が与えられるだろう。
HARUNAの勢力が求めるのは、響良牙が叶える願いの阻止だ。
それは、おれたちの世界を守るためだと言われている。
とにかく、これまでのキーワードを纏めよう。
- オルゴール
- 変身ロワイアルの世界
- エターナルメモリ
- 優勝者の願い
- HARUNA<ハルナ>
- “彼”
生きていた響良牙が、本当にこの世界を破壊してしまう……というのなら、おれは……。
◆
【『死神』――響良牙/変身ロワイアルの世界】
……おれは、空を見つめた。
今日が、その時だ。
――遂に、奴らが来る。
――ここに連れ去られ殺し合いをさせられてから今日までの長い出来事を、おれはずっと思い出していた。
かつて、おれは、ベリアルを倒した爆炎の中からこの地に落ちた時、すべての記憶を失った。
そのままわけもわからず、ふらふらと彷徨い、歩いた先の街で――おれは、男の死体を見つけた。
早乙女乱馬……というよく知った男の死体だったが、その時に思い出す事はなかった。
おれはその時は、ひたすら逃げて……森に辿り着いた。
そこで、おれは冷静に考え――自分こそがその死体を作り上げた殺人犯だという結論に至った。
おれは、気が狂いそうになっていた。
やがて、おれは怪物たちと出会う事になった。
怪物たちの名前はニア・スペースビースト――ダークザギの情報や遺伝子を受けて異常進化し、スペースビーストのように巨大化した微生物たちだったらしい。ただ、おれはずっとわけもわからないままそいつらから逃げ、自分自身の持つ馬鹿力で戦い続けた。
ほとんどの怪物を、おれはなんとか倒す事ができた。ちょっとの損傷ではおれは死なない。必ずしも簡単な戦いばかりではなかったが、なんとか戦い抜いた。
そして、ある日――そんな怪物と戦うさなか、おれは頭を打ち、偶然にも、記憶を取り戻す事になった。
やがて、おれはいくつかの亡骸を見つけて、それを次々と埋葬していった。
最初に埋葬したのは、乱馬の遺体だった。すっかり朽ち果てていたが、おれはあいつを運び、あかねさんのいる傍に、埋めた。
いくつもの墓が出来た後、おれは、この世界で守るべきものも何もなく――強いて言えば、ただ墓守りとして、ただ明日が来るのを信じて、その怪物たちと戦った。
おれには簡単だった。
ロストドライバーを使わなくてもエターナルの力を発揮できるようになったおれは、死ぬ事もなければ、老ける事もない。元々、頑丈な体だ。ただ毎日、相手もいないのに強くなっていくだけだった。
島の中を彷徨い、誰かが落とした支給品や残した支給品なんかも手に入れた。
暇つぶしにはなった。
そんな風に、地獄のような――しかしまだこれより後の地獄を考えれば短いほどの三十日が経った時、あるものがおれの近くで囁いた。
インテリジェントデバイス――クロスミラージュだ。アクマロたちとの戦いで破壊されかけたデバイスだったらしい。
クロスミラージュも、砂に埋もれながら、孤独な状況を嘆き続け、そんな折におれが現れて声をかけたらしい。
それから、しばらくはクロスミラージュとともに二人で、おれは彷徨い続けた。
会話の相手がいるのは信じがたいほどに嬉しい事だった。
それから、時間をかけてイカダを作って外に出て、いくつかの島を見つけた。
そこもまた、無人だった。かつてそこでも殺し合いが行われたように、あらゆる建物や武器の残骸、骨となった人間の跡が残っていた。
果実の実る島を見つけたが、永遠の力を得たおれには、もはや必要がなかった。
それからどれだけ彷徨っても、おれは仲間を見つける事はできず、孤独のままだった。
気づけば、また元の島に戻っていた。手ごたえのない旅を徒労に感じ始めたおれは、別の島に行くのをやめた。
またそれから、毎日、島から出る事もなくつまらない日々を暮らし、戦う相手もしないのに頭の中だけで修行し、おれは、誰かが来るのを待つ事にした。
毎日毎日、ずっと同じ事を考えていた。
彼らもここにいないという事は――左翔太郎や、涼邑零や、高町ヴィヴィオや、蒼乃美希や、佐倉杏子や、孤門一輝や、花咲つぼみは――元の世界に帰れたのだろうか。
涼村暁はどうなったのだろう。
彼らは、帰れたとして、その先が救えたのか、そこから先のあの管理世界は終わり、今度こそベリアルとの決着がついていたのか――そんな不安を持ちながら、きっと勝てたと信じ、彼らが助けてくれるのを待った。
だが、来ることはなかった。
もしかしたら、おれは死んだのかと思われているのかもしれない。
おれたちだけが、ふたりで、迷子でここにいた。
そして――クロスミラージュも、ある時に動かなくなった。どれだけ言葉をかけても返ってこなくなり、おれはクロスミラージュも埋めた。
おれだけが、ひとり、迷子になった。
それから、またずっと、長い孤独だった。時間はいつしか数えていない。ある時から、どう流れても一緒だった。いま何十年なのか――百年は経っていないと思う。
その間中、ずっと、誰かの支給品だったらしい、このオルゴール箱はおれの心を癒してくれた……。
悲しみに潰れそうな夜に聞くと、おれは壊れ行く心をなんとか維持できるようになった。
それだけはなんとか、今日まで壊れる事なくおれの傍にあり続けてくれた。
……そうだ。おれは、あいつらと一緒にその先の未来で過ごす事はできなかった。
ただ、ある時、ある予知の力と、いくつかの情報がおれの頭に過った。
それはダークザギが得た情報と能力だった。一度だけ仲間とともにウルトラマンノアと融合して戦った事や、ニア・スペースビーストを倒し続けた事によっておれも潜在的にその力が覚醒していたのだった。
バカなおれが、ニア・スペースビーストなんていう言葉を作り出せたのも、ノアやザギの情報によるものだ。
そして、ちょっとした予知の能力を得られたおれは、それから十年間、今日だけを待った。
誰かが来る。おれを殺しに来る。
だが、おれはそいつらを撃退する。
――そして、おれは願いを叶える。
おれはその願いを叶える時の事を、ずっと考えていた……。
この永遠の中で――ずっと、何度思い描いた事か……。
たとえば、あの殺し合いがなかった事にしたい……。
おれはずっと、何度も、そう思い続けていた。
願えば、きっと、おれのこの苦難の時間も忘れ去れさせるだろう。
だが、ひとつどうしても考えてしまう事がある。
最後の一人が願いを叶えるという事は――おれしかいなくなるという事だった。
「――――つぼみ。おまえはまだ、生きているんだよな……。どういう風に……どこで、どういう未来を生きたんだ……? なあ……おれが終わるとしても、世界が終わるとしても、どっちだとしても、せめて……おまえが生きているっていうのなら、おれはおまえと会いたい。おれにとっては、ここで出会った一番の友達だって、おれは――――」
言葉を忘れない為に、おれは時折こうして空に言葉を投げかける。言葉が形を保っている自信は、あまりない。それでも、おれはかつての言葉を思い出した。
おれは、つぼみがかつておれにくれた、花の形のヘアゴムを眺めていた。
あの時身に着けていたこいつも、エターナルメモリの力でおれ同様に、朽ち果てる事なく長い時間を寄り添ってくれている。
つぼみ以外の全員が死んだ事を、おれは悟っている。
そして……。
【残り2名】
◆
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最終更新:2018年02月21日 17:36