───豊島区池袋・デトネラット本社ビル社長室。
国内最大手のライフスタイルサポートメーカー会社。ひとつだけでも業界内での約束された名声を手に入れ脚光を浴びる業績を、多方面に展開しその殆どを成功に収めてみせている大企業。
集積した富が築いた、王者の城と誇示するが如く、区に範囲を絞っても視点が並ぶもののない超高層ビルディングに構えた総本山。その最上階から。
摩天楼のガラス越しに映る夜景。朝には細かな砂絵にも見える雑踏は、日が落ちる時分になるとその印象を一変させる。
消えることのない街灯の並び。
張り巡らされた動脈(サーキット)の中を走行するカーライト。
延々と燃え続ける人の情熱を焚べて広がる、文明の営み。
人という種が、永い時間を超えていつか辿り着くべき星の運河。
果てしなき未来へと繋がる構図の綾紋様が、未だ黎明にいる時代の街で描かれている。
今は違う。
今広げられてるのは別の紋様だ。
紋様には無視できない裂け目がある。陥没、といってしまってもいい。
日本の繁都たる東京の中心地・新宿区において、夜を知らず点き続けている筈の明かりが、落ちている。一葉の絵画に、巨大な虫食い穴が出来てしまったように。
穴。そう、孔だ。これは穿たれて出来た街の陥没。底を抜き、そこに向かって削れた部位から砂と崩れ落ちていく蟻地獄。破滅を招く空洞。
見るがいい。
不夜の新都には黄昏が落ちた。
夜が明けようとも上がる事のない終焉の幕が開始された。
星の終わりへ導く結末の鐘だ。
安寧と平穏あれと設定された都市の架空と、聖杯戦争という虚構の均衡が崩れた瞬間だ。日常は崩壊し舞台は戦場に移り変わった瞬間だ。
サーヴァントの戦い。英雄と悪鬼。歴史の浮上、降下する天上の戦いが如何なるものかを、この一戦が知らしめた。
都市機能停止。
民間人の計算不能の被害。
混乱に乗じた人心の荒廃。法の無為化。秩序統制の形骸化。
これらは戦場には往々にして起こるもの。起こる場所はすなわち戦場である。
戦場は奪う。命を。心を。尊厳を。ただ、そこにあるというだけのありとあらゆるものを奪い、壊し、簒奪していく。
逃げる事は出来ない。人は全て仮初だから。
抗う事は出来ない。人は総て無力であるから。
嗤え。嗤え。
人の惨憺を嗤え。社会の崩壊を嗤え。世界の無意味さを嗤え。
界聖杯の住人。彼らは所詮影絵。焚べられる薪であり、燃料。黒く焦げるまで燃やされ、より火を大きく打ち上げるまで灰になる役目。
唯一本物の生者である証の令呪を持ったマスター以外の偽物の人生の犠牲に、誰が心を痛めるというのか。
それだけがお前達の意味だ。それだけしかお前達の意味はない。
それしかないのなら、死ね。死ね。死ぬがいい。
自分がただ世界観の都合の為に作られた、背景を彩る数合わせだと知ることもなく死に尽くせ。
それが、お前達に許される唯一の救いだ。
地獄の様相と無縁の空から、街を俯瞰する視線がある。
骸の街を俯瞰する視線の名は衝動。
顔面を自分のものではない人の掌に掴まれた青年。
「……」
目は、獲物を横取りされて溜まる鬱憤を、いったいどう晴らしてやろうものかと沸々としていた。
◆
電話をかけるのに緊張したのは、いったいいつ以来だろうか。
惰性で就職したゲーム会社で、入社した初の仕事日に早々に電話番をさせられた時だろうか。
能動的に電話をかけるような関係は小学校時代から築いていない。ネットオークションで親のクレカから10万抜いたのがバレて全身痣だらけになるまで殴られた日の登校でも、クラスメイトは遠巻きに見るか無言で立ち去るかの二択だった。
まあ、一過性のブームだった消しゴムの希少性でしか話に混ざれなかった程度の当時の関係性ではそれも当然の反応なわけだが。
就職後ちょくちょく来ていた同窓会の誘いだってメールか葉書での、「参加の意思があれば連絡を」の一方通行だ。
無論、俺は出なかった。
出たところで出世したクラスメイトと対面しても自分の惨めな現状を再認識するだけなのは目に見えてる。
あの頃から顔なり運動なり性格なりで人気だった奴なら納得もするが、俺と同じで消しゴム自慢するしか称賛される機会のなかった連中まで立派になっているのを見たら、今の俺はどうするか予想がつかない。
確か時期的に通知が来るのは俺がガチャに沼って課金の歯止めが利かなくなっていた頃だろうから、気づいてすらいなかったかもしれない。
いや……そもそも、連絡とかするか?
少なくとも俺だったら、回想で話題に出てくる事もなく、懐かしくなって卒業アルバムの写真を開いても「こんなやついたっけ?」で終わるような、今の連絡先を誰も知らないやつなんかに同窓会の連絡なんかしないね。
無駄だし、もし仮に来ても空気冷えるだけだろ。
前置きが長くなったが、ようは俺は、電話応対というものにまったく慣れていない。
誰かと会話する工程自体が億劫になるのだ。
どんな気の合うと思った相手にも、事務的に対応するしかない人にも、「俺なんかに話してなんになるの?」という諦観が常に付き纏う。
何なら会社の面接もキツかった。あの全身を締め付けられるような圧迫感は今でも嫌になる。
貴方の特技はなんですか? アピールポイントは? この会社を志望した動機は? 何か一言ありますか?
ゲームのオープニングにあるプレイヤーキャラの設定入力欄みたいな定型句。こっちの内面なんて見やしない、履歴書にある卒歴と資格欄、どれだけ会社に従順かにしか興味がない薄っぺらな笑顔の仮面。
いやまあ、人格やら内面なんか評価にされたら俺みたいなからっぽの人間はどこにも雇ってもらえないから、それはそれで有難い話なんだが。
『問おう、君は何者かね』
で、そんな対人経験が最低限しかない俺にとって。
数コールもしないうちにかかった電話から聞こえた声の重圧は、強烈に過ぎた。
重い。深い。黒くて、熱い。
足りない頭脳は断片的な単語を自動で抽出してくる。
「…………あ、はい。あの。え、えっと、お、お俺は……」
たった一言。それで俺はすっかり吞まれていた。簡単な応対にすら舌がもたついて上手く話せないでいる。
格付けは、この時とっくに決まっていたといってもよかった。
アサシンは悪意を隠蔽し、リンボは悪意を露出する。
アサシンは、どこかエリートぽい雰囲気を漂わせてるが、殺人鬼という裏の顔を知らなければどこにでもいる普通の会社員としか思えない声だった。
今も隣にいるリンボは、粘着質で神経を苛立たせる為だけに聞かせているような声だが、惜しげもせず隠しもしない破滅の予感には抗いがたい魅力があった。
この声は、なんだ。声からして壮年の男らしいが、頭で理解できるのはそこまでだ。何も、わからない。
ただ漠然と、俺は、踏み込んだんだと思った。
闇とか。暗黒とか。そういう一度触れたら二度と以前のままではいられない、バカでかい引力みたいなのが発生してる場所に。
『なに、そう気構えなくてもいい。この時間この場面でこの電話に連絡してきた時点で予測はついている。リンボ君の差し金だろう? 彼は今そこにいるのかね?』
「あ……えっと、はい……」
電話に耳を当てながら横目で後ろに控えるリンボを見やる。通話前と変わらない位置でこちらをにやついた薄目で見つめてやがる。暗がりにいるせいか猫みたいに眼だけが光ってやがる。どういう感情の顔だそれ。
『君の事はリンボ君から聞いていた。あちらから進んで推挙したものではないが、私の方は君に可能性を見出していてね。機あらば取り次いでくれるよう頼んでいたのだよ。
改めて、ようこそ『敵(ヴィラン)連合』の加盟希望者よ。私の事はM、と呼んでくれたまえ。我らがリーダーのサーヴァント、連合の頭脳担当さ』
敵(ヴィラン)同盟、というのが、こいつらのチーム名らしい。
リンボから聞かせられてはいたが、ありきたりというか、あからさまというか、包み隠さず言ってしまえば、ダサい名前だ。
それこそゲームに出てくる、主人公と敵対して負けるべく登場した、分かりやすい悪の組織。
決まった負け組の通称みたいなのを名乗るなんて、大丈夫なのかここ? 既に俺は不安だった。
かといって話を蹴っても他に行く宛などない、俺はこの陣営に身を寄せるしかないのだ。
『基本来るものは拒まずが我々のスタンスだが、声のやり取りだけでは限界があろう。まずは私のマスターとお目通り願おう。
現在この陣営の今後の趨勢を左右する課題(クエスト)選択の真っ最中でね。まさに猫の手も借りたい状況で、君の加入は渡りに船というやつだ。
なに、サーヴァントの能力や戦術、全て詳らかにしろとは言わないさ。概略と方針だけでも教えてくれれば───』
「───あ」
なんだか分からんうちに個人面談の流れになっていたのを、間抜けた俺の声が不躾にせき止める。聞き覚えのある嫌な単語が聞こえたから遮ったわけではない。
まず真っ先に伝えなくちゃいけない事があるのを、思い出したのだ。和やかに面接なんてしてる場合じゃない。生死がかかった緊急の。
『何か、疑問点でも?』
「すいません。その……今いません。俺のサーヴァント。ていうか、追われてます」
『ほう?』
馬鹿か俺は。説明が下手すぎるだろ。
それじゃまるで、俺が自分のサーヴァントに裏切られた間抜けみたいに聞こえるじゃないか。
間違えるな。裏切ったのは俺が先だ。俺が使えないアサシンを見切ったんだ。断じてその逆じゃない。
「いや、違う! 違、います……! 契約はしてるんだけど、そいつと俺、合わなくてさ。
女の手を切り取って保存するしか能がない変態野郎のアサシンで、俺のやりたいことみんなケチつけて、こっちの話なんか理解しようとする素振りすら見せやしねえんだ。大した事もできねえくせに好き勝手してよぉ……!」
ここらが瀬戸際だ。もう必死になってアサシンがどれだけ無能なのかを、酒の席での愚痴めいて捲し立てる。
これが面接なら自分の能力をアピールする方に時間を使うのが正しいのだろうが、そんな余裕は持てていなかった。
「それにさ、俺はアサシンの計画を知ってるんだ。フォーリナーのマスター、
仁科鳥子っていって左手が透明な女なんだけど、そいつと組んでリンボを倒すつもりだ。聞いてるだろ? 地獄界、なんとかってやつ。
それを聞いたアサシンは邪魔になるからぶち壊すって言って、それでフォーリナーのガキとマスターを殺すでもなく逆にリンボを殺すとか言い出したから、もう限界になってさ、捨てる事にしたんだ」
ダメ押しに、とっておきの情報を送る。
リンボ襲撃の件は、俺以外には絶対に知らない情報だ。自分の正体を晒すのを何より嫌うアサシンが協力者以外に口外してるはずがない。
俺があの親子を裏切ったからこそ、この情報をリンボに先んじて伝えられた。どんな経緯であれ連中を出し抜いてやったのだ。
この時点で俺は痛快な気分で、頭の中で快楽の波が収まらなかった。
『つまり自分のサーヴァントに不満があるから手を切りたいと。しかし生憎こちらに空きの枠はない。英霊の後ろ楯なしにこの先の新宿を戦おうというのかね?』
「リンボがいる。あいつのマスターが消えたら、変わりに俺と契約するんだ。そう、約束してくれたんだ……」
伝えた価値を分かってるのか分かってないのか、Mは淡々と質疑応答を続ける。
『そのアサシンは、君の裏切りに気づいているかね?』
「……たぶん。狙った相手をどこまでも追いかけられるスキルを持ってたって言ってた、気がする」
事務仕事ばった確認作業に、段々と焦れてくる。
こうしてる間にも、アサシンが後ろに回ってるのかもしれないんだ。
あの殺人鬼。どんなにコケにしていても、一度『脅し』で覚えこまされた恐怖は簡単には抜けきらない。
虫でも潰すような感覚で伝えた殺意。非日常の極みにある殺人を、ルーチンワーク程度としか捉えていない異常さ。
思い出すだけで、夏なのに歯の根が合わなくなる悪寒が背筋を這い上がりそうになる。
クソ、なんだよ。なんでこんなビビってんだよ。
俺はもうお前を裏切ったんだぞ。なんで後になって暗殺者みたいな真似してくんだよ。
こっちにはまだ令呪があるんだ。いつでも殺せる、どんな風にも辱められる。怖がる理由なんて何処にもないんだ。
ああ、でも、それって向こうにとって俺はもう『始末する対象』でしかないのであって。
今度は脅しなんか挟まない、本物の『爆弾』が爆発する。
俺のスマホか。財布か、それとも───俺自身がもう、すでに──────。
『────安心したまえよ、君』
桶に張った水に浮かぶボウフラみたいに沈んでいた、ちっぽけな俺の意識を、黒い指(こえ)が拾い上げる。
「整理すると。君の望む状況は契約しているアサシンの報復から逃れ、排除し、アルターエゴ・リンボのマスターが消えた後に再契約に持ち込み、彼の地獄界曼荼羅を見たい。それで正しいかね?」
「あ……ああ。いえ……はい」
こうして並べ立てると、ずいぶん無茶な要求をしてるものだと思う。流石にそれくらいの自覚はある。
「受領した。ではその指針で経路(チャート)を組もう。やはり君には光るものがある。この局面で機運を掴んでいる」
「……え」
アッサリと。
俺の要求は通った。
色よい返事が聞けるまで何度も、どれだけ無様な真似をしようとも縋りつくつもりいたのに。
やった。助かった。勝ち馬に乗れた。そう喜んでいいはずなのに、空ぶった覚悟が宙に浮いたままで上手く表現できていない。
あとさっきもそうだったけど、気にしてしまう事があった。
「……あんた、なんで、そんなのが分かるんだよ。俺は今初めてあんたと話したんだぞ……?」
初対面の相手に、可能性だとか、光るものがあるとか。
いったいどこの安いセールスマンの押し売り文句なのか。アイドルの「みんな大好き!」並に信用ならない言葉だ。
適当におべっかを使えばこっちが調子に乗ってくれると思ってるのだろうか。
あのリンボが、俺の印象が良くなるよう有能なプレゼントをしてくれたとは、どうしても思えない。
唯一の同類、同じ理想を夢見てる仲間ともいえるリンボだが、現段階では契約してないマスターとサーヴァントの関係でしかない。
虚ろだった俺の脳の隙間から、ムクムクと何かが肥大化していく。
孤立無援の中、唯一の寄る辺だった先に、体のいいカモだと見做されてる事への憤慨か。
それともそんな───人生で数えるほどあったかも分からない安い褒め言葉程度で、自己肯定感が満たされているからなのか。
「決まっている。君が凡人だからだ」
爽快なまでに、Mは俺という人間の評価をバッサリと切り捨てた。
「君は平凡で、凡庸で、取り立てて秀でた点のない一般人だ。人生を前向きに生きていける自信を得るだけの成功体験がない、あるいは得る寸前で失敗している。それすら劇的な出来事ではなく、ありふれた失墜でしかない。
自分のツキのなさを誰よりも理解しており、だからこそちっぽけな拘りに没頭してしまう。自分だけの証を立てたいと願ってるが、その能力も、機会も、自発的に掴む意欲を湧かせる事もない。
それが君という個人の性質───変える事のできない宿命だ」
それは、まるで履歴書でも読み上げるような淡々とした語り口だった。
声の重厚さは変わらないのに、聞いている俺の耳は無機質な機械音声で流されるスピーカーとした捉えられない。人間味が、ない。
告げられたのは、
田中一という人間の足跡を辿る、藁半紙一枚で足りるぐらいのぺらぺらの経歴書。
誰にも打ち明けていない恥部、惨めな汚点まで記されたそれは、裁判官が犯罪者に罪状を告げるのに近いのかもしれない。
地獄の王であり管理者である閻魔大王には、死んだ人間の犯した罪が全て記された手帳があるという。
そんな逸話を、ふと思い出した。
「だが君は、それを変えたいと強く強く願っている。人生の成功? 真の自分を見出す? そんな段階はとうに越してる。
変える、とは違う。もっと不可逆で、後戻りの利かない変化を齎したくてたまらない」
制止の声を上げたかった。
やめろと、それ以上言うなと、張り裂けんばかりに叫びたかった。
赤の他人に恥部を曝け出されるのが情けなくて耐えられないからじゃない。
それを言われたら、こんなにもハッキリと断言されたら──────俺はもう、その声を信じるしか、なくまっちまうから。
けれどカラカラに乾いた喉からは呻き声ひとつ出てこない。
舌は完全に引っ込んで、電話から零れる雑音一つ聞き逃すまいと、今か今かと待ち構えている。
神の声を聴く信徒ってのは、こんな気持ちなのだろうか。自分より遥かに上に立つ存在から、自分の全てを決められる安心と、全てを奪われる恐怖を抱えて、手を握って蹲ってるのか。
だったら、祈りは何のためにある? 助けて欲しいのか、それとも助けないで欲しいのか?
少なくとも、俺は神ってやつを信じてる。
そいつはとんでもねえクソゲーのプログラマーで、ひとりひとりに別々のクソゲーを強制させるクソ野郎だって。
『君が渇望するものは───世界の破壊だ』
──────────────────天から突き付けられた銃口に、頭蓋が震えた。
『己を不遇に追いやった隣人・社会・政治・国家・創造主に復讐を、などという御大層な野望は板いてない。
望むのは混沌。社会という集団秩序内での価値観が切り替わる一瞬の閃光を見る事が君の願いだ。
復讐には非ず。信念、計画とも異なる。秩序の崩壊。ヒエラルキーの逆転。いうなれば───』
「『革命』」
気づかないうちに、そう言っていた。
この言葉だけは誰にも取らせたくない。そんななけなしのプライドだった。
『そうだね。革命。その名が最も似つかわしい。秩序を壊すものはつねに狂気である。どれだけ非力であろうとも、今の君はそれを有する。我々の仲間に加わる資格は十二分にあると見た』
「仲間……あんた、他にも誰かと組んでるのか」
『如何にも。それなりに大勢』
「どうせ最後には潰し合うのに?」
『皆、それは理解してる。だからこそこうして寄り合うのさ。正道から逸れた悪が社会に潰されぬよう。更なる巨悪に喰われぬよう』
ようは、ソシャゲのレイド戦みたいなもんか。単騎じゃ勝てない設定のボスを、プレイヤーで協力して撃破する。
ボスエネミーは、新宿で派手に暴れたどいつかだろう。確かにあんな破壊を起こすチート、数で寄ってたかって潰す以外に勝ち筋は見えない。
そういうシステムは、実はあまり好きじゃない。ゲームは日常との切断、好きな時に好きなだけ一人で遊ぶものだと思ってる俺には、他のプレイヤーと交流して攻略するのは気が進まないのだ。
俺の嫌気を悟ったのか、声はすかさず助け舟を出してきた。
『なに、団体行動を嫌うというなら、それに見合った役職を与えよう。組む事自体が受け付けないというのなら、残念だが君とはここまでだ。
だが私は君の狂気を買っているし、手放したくはないとも思ってると告白しよう』
「で? 利用した後はゴミみたいに捨てるのかよ」
『そのような結末も場合によってはあり得る、とだけは言っておこう。だが蹴落とし合える関係に絞れば我々は限りなく対等だ。君の衝動が私の計算を上回れるようならば───分からんぞ?』
そこで言葉を切って、反応が止まる。ここが最後通牒だろう。電話越しでもそんな雰囲気がした。
俺が乗るか、反るか。それだけの、だがまぎれもない一大決心。
アサシンを切り捨てて頼るものがない以上選択の余地なんてないが、麻痺した頭でも、これが只俺にだけ都合がいい契約なわけがないぐらいは理解してる。
電話の相手、Mはまあ、頭がいいんだろう。こういう手合いは、口にしている以上に裏で色々考えてる。
俺なんかの手助けは本当に必要なのかも怪しい。あと仲間も大勢いるらしい。
その中に俺が加わって、特別待遇を良くしてくれるなんてあるだろうか?
アサシンも、リンボも、きっと俺の事をナメている。
お前に何ができるんだと、内心でせせら笑っていやがる。
ああ事実だ。その通りだよ。何も返せない。
まだ顔も知れないMだって、見えないところで馬鹿にしてるんだろうさ。
でも───いただろうか?
ここまで俺を理解して、俺の言葉に耳を傾ける、対等に話してくれるような相手が。聖杯どころか、この24の人生のうち一人でも?
俺を利用するつもりでいる。価値がなくなるまで使い倒す。
でも、それって別に悪いコトか?
つまりさ、俺を最大限利用するまでは、好きにやらしてくれるってコトじゃないか?
束縛し続けるアサシンに飼い殺されるよりも、そいつはよっぽど芽がある状況じゃないか。
何よりこいつは……リンボの計画を、邪魔する気はない。
そうでなきゃ取り次ぎをする関係になんてなれるわけがない。
俺の『田中革命』が、阻止されることだって、ない。
き、き、き、と。
喉から笑い声が漏れた。
砥の悪いナイフが擦れあうような音。革命の火蓋を切る聖剣が抜かれる音。
「ああ……いいぜ。組むよ、あんたたちと」
今度は、緊張も吃音もなかった。
こんなにも堂々と何かを宣言できたのは初めての経験かもしれない。妙に晴れやかだ。
『では改めて問おう───君は何者かね』
狂気を吐き出した口で、俺は答える。
「……
田中一。ゲーム会社員。契約したサーヴァントはアサシン。
志望動機は、革命です」
そうして、面談は終わった。
まがりなりにも競争相手と交渉をやれているという実感が、脳髄から口腔に至るまで充満する。
根拠のない自信が、際限なく積み重なっていく。
自分が落ちる転機になったあの日。親父のクレジットカードの番号を盗み見て、スーパーハッカーになれたと空想していた時と、それは同じ興奮だった。
【荒川区/一日目・夜】
【
田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良親子への怒りと失望、
吉良吉影への恐怖、地獄への渇望
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、
蘆屋道満の護符×4、吉良吉廣(写真のおやじ)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]基本方針:『田中革命』。
0:ヴィラン連合に合流。俺はやれる。
1:リンボの意向に従う。アサシンは切った。
2:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
3:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
4:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
5:
峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(
蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
【アルタ―エゴ・リンボ(
蘆屋道満/本体)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
0:地獄界曼荼羅の完成に向けて準備を進める。
1:拙僧はおふたりを仲介しただけ。今回は何も喋らず、邪魔立てしてもおりませぬぞ?
2:新宿区の地獄を眺めに行くか、リンクの切れた式神の調査を行うか…。(今のところ興味は後者に向いているようです)
3:式神は引き続き計画のために行動する。
4:…のつもりでしたが、やめました。祭りの気配がしますぞ、ンンン――。
5:式神にさせるつもりだった役目は本体が直接担うことに変更。何をするつもりかはおまかせします。
6:それはそうと新たな協力者(割れた子供達)の気質も把握しておきたい
7:“敵連合”は静観。あの蜘蛛に邪魔されるのは少々厄介。
8:機会があればまた
プロデューサーに会いたい。
9:七草にちかとそのサーヴァント(
アシュレイ・ホライゾン)に興味。あの断絶は一体何が原因か?
◆
「……ああ、ではそのように、禅院君。吉報を期待するよ」
通信が切れたのを確かめて、端末をデスクに置く。
二度目の交渉を危なげなく済ませ、モリアーティは図面を更新させた。
悪の枢軸の思考回路は数学的公式が行き交う小宇宙を構築している。逐一入力される新たな数値で綴られる数式が移す図は一時たりとも形を止めず変化し続ける。
今回加えた数値は、この小一時間の内では大きな変動をもたらした。
四ツ橋名義で依頼していた時期を含めれば連合内でも古参に入るエージェントである禅院。
数々の依頼をそつなくこなす働きぶりは、課題(クエスト)という大規模活動を念頭に置いている連合にあって軽快な動きで運営を回してくれている。
デトラネット本社内に招いて他メンバーの顔合わせをしてもいい頃合いにも関わらずそうしないのは、激化する水面下の諜報戦でも先陣を切ってもらいたいからだ。
新宿の破壊然り、
NPCの枠を超えない人間から得られる情報の鮮度は目減りしていく一方になる。
禅院にはこれまで以上の情報の融通を約束する代わりに、
NPCでは届かない困難な調査を依頼する形で契約を更新したところだ。
このまま使い走りの役目に甘んじる禅院ではない。
確度の高い情報を回すようになり、連合メンバーの認知してないモリアーティの懐刀のポジションを帯びてくる禅院が最終的に狙うのは、懐のモリアーティの寝首に他ならない。
道聖杯戦争の同盟関係は決裂前提、裏切り上等、薄氷の上に立てられた砂上の楼閣だ。
重視するのは信用より信頼、相性より実績。疑わしくとも有能で、このタイミングまでなら利用価値があるから裏切らないと安心して内実を曝け出せる距離感が望ましい。
その点で論じるなら、先の新規加入の田中某の利用価値は───さて。
「さて、では行動に移るとしよう。時は金なり、なんでか居場所が不明になったレディ松坂を捜索してる間に新たなメンバーを迎え入れるわけだが、マスター」
「あ”」
顔面に張り付いた手。後頭部を掴む手。
肩に、腕に、己を縛り付ける鎖のように雁字搦めにされた手こそは、彼の戦装束。
死柄木弔。
田中一を受け入れる用意をしていたモリアーティのマスターは、苛立っていた。
さにあらん。ようやっと見せられると意気込んでいた派手なパフォーマンスが、直前になって中止にさせられたのだ。虫の居所の悪さが目に見えて渦巻いてる。
崩れ落ちるビルディング。陥没する道路。恐怖し恐慌し逃げ惑う市民達。
いずれも、死柄木の手で起こして見せたかった社会の混沌だった。
秩序や正論でならされたスポンジをミキサーで泡にする感覚。自分の手でやってみせたくあったのに。
こんな、自分と一切関わらない場所で披露されていいものでは、ない。
「……また加えるのはいいけどよ。クエストだのなんだの、あっさりと他のイベントに先越されてばっかだよな」
「うむ、済まない。まさかこれほど早く大っぴらに暴れるとは思わなかった。
神秘の隠匿やら事後処理の事を考えなくて済むという環境は、考えてみればああいった暴れん坊向きの環境だ」
新宿の争乱の影響は大きい。
ここまで聖杯戦争という現象が実社会に周知される事態は今までなかった。
謀略暗躍が戦術の常であり、サーヴァント同士の戦闘になっても余波をなるべく出さず、痕跡を残さない形で済ましていた。
何故なら、まだ序盤であるから。
敵がどれだけいるかの洗い出しも、自陣の戦力がどこまでの位置にいるかの計算も、何も進んではいなかった。
どの主従も考えていた。今はまだ様子見をする段階であると。
知ったことか。
堅実も安牌も知ったことでない。考慮しない。
敵がどれだけ待ち構えてても、滅ぼせばいい。敵がどれだけ強くても、己がそれより強ければいい。
隠れ潜む機を窺うだけの鼠など眼中にない。罅割れて漏れた我意のみ。溢れ出た傲岸がもたらした結果がこれだった。
いずれにせよ、秘して為すべしという聖杯戦争の暗黙の了解は、これで完全に破られた。
「連中、潰しあったのか」
「まさか。これで落ちる駒ならわざわざ課題にしたりしないとも。
予測するに、アレは余波だ。少なくとも不本意な結果ではあったはずだ。
最初は当人達も、戦う場所を選んでいただろう。横やりが入っても迎え撃つ自信はあったが、あえて誘い出す意図ではない。
互いの力の衝突、魔力の摩擦が、たまさか逸れる形で暴発してしまい、ああいう結果を生んでしまった」
「余波でアレかよ。界聖杯はキャラの公平性ってもんをまるで考えちゃいないクソゲーらしい」
本来のサーヴァント戦。英霊と英霊による、人知を超えた真剣の殺し合い。
死柄木は未だ、それを直に体感してはいない。
伝聞で、小競り合いで、脅威のほどを知る機会は多く、サーヴァントなる未知の存在が強大無比なる『力』であるとは理解していた。
あくまで、己の延長線上に立つものとして。
『個性』を磨き、体を鍛え、ヒーローでもヴィランでも、とにかく信条の立ち位置をはっきりさせる一念を持ったのが英雄だと。
比較にすらならない。
あれは延長ではなく彼岸だ。跳び越えられる枠を完全に逸脱した溝の向こう岸に立つ存在だ。
登り詰めるのを諦観させる断崖絶壁だ。
己の師、その宿敵と何ら遜色のない、つまり希望/絶望の担い手。
ヒーローぶった客商売では絶対になれない、ヒーロー殺し・ステインが見据えていた本物の英雄の力だと、今になって至った。
「場打てしたかね」
「するか、殺すぞ」
愚問を聞くな。駄法螺を吠えるな。
敵わぬ相手を、勝てぬ敵を、乗り越えられぬ壁を、だから壊すと。
他人に任せて崩れていく世界を歯ぎしりして咥えるための指じゃない。
そのために、この手はあるんだろうが。
「佳い答えだ。しかしマスターよ……本当にそちらでいいのかね?」
らしくもない、躊躇した物言いだった。
蜘蛛の智慧で纏った威厳が少し萎びている。それでも言わずにはいられないと。
「二番煎じじゃ誰も見向きもしねえだろ。コソコソせこい悪事したところでさ」
「いやそうだがね。それにしたってそうも性急に決めることでもないだろう? あれは転換期ではあるがあらゆる状勢を覆すわけでも……」
「アンタが考えてること当ててやろうか、教授」
記憶に違いがない限り。
死柄木がモリアーティをその名で呼んだのはこれが初めてだったはずだ。
表向きの職業を呼んだ死柄木は、覆われた掌の上からでも分かるほど、凄絶に歪んだ笑みをして。
「『時間かけて決めなきゃちゃんと考えたことにならない』って、そう思ってるだろ」
「……」
「頭のいいやつって、そうだよな。熟慮は短慮に勝ると決めてかかってやがる」
───背中から昇る火が揺らめいてる。
「火事場泥棒なんざ今更誰も目を向けやしねえ。ショボい悪事なんざもうここじゃ日常茶飯事になる」
それは猛りと呼称される火。
朝に目覚めても夜に寝入っても消える時のなかった埋火が、隣で燃え広がる猛火の煽りを受けて、導火線の先端に着火する前触れ。
「いいから空欄に俺をブチ込めよ。手があるんだろ? だったら出し惜しみすんな。
俺にはあるんだ。伸ばして、触れて、壊してやりたい連中が、あそこに山程いる。
公式も○Xもねえ答えってやつを、解答欄に手形でつけてやるからよ」
解き放たれようとしていた。始原の殺意。
靄が晴れようとしていた。記憶の根源。
新宿の廃都化のほんの僅かな時間に、燻り続けたマスターの衝動が膨張し、今にもデトネラット本社ビルに波及せんとしていた。
一度として、戦いらしい戦いをさせず押さえ続けてきた予選期間。それは戦略以外にも作用をもたらすと踏んだアーチャーの策だ。
解放のカタルシスは力んだ時間に比例する。溜めに溜めた抑圧(ストレス)は彼の精神と反発し、彼の虚奥をこじ開ける一助になると。
しかしまさか、ここまで火付きが早く強い勢いをもたらすとは。
犯罪界の皇帝は見誤っていた。
侮っていたつもりはない。マスターに眠る可能性の最大限を期待している。開花のための手入れを欠かさず、花を見せる瞬間を待ち望みにしていた。
ああ、だが、それでも、上回っていたと言わざるを得ない。
超級のサーヴァントの戦いの余波は確かに死柄木に影響を与えていた。爆弾が自ら起爆のスイッチを切る、炸裂の瞬間のカウントダウンが始まった形で!
ああ───若いとは、これだから。
「いいとも。ああ、いいとも。その殺意。指向性が定められた暴発寸前の破壊衝動。
かつての私には持ち得ず理解できなかった原始の"叫び"を信頼し、私も自らをBetするとしよう」
計画更新。誤差修正。
失敗の負債は増し、成功の成果はより増している
ならばよしだ。観念とも、腹を括ったとも。
この乗りの速度を止める方が、かえって不利益を被る。
「課題(クエスト)選択承認。『"割れた子供達(グラス・チルドレン)"殲滅作戦』を───これより遂行しよう。
君はその殺意を蒸留させておきたまえ。解放の刹那まで。たとえ仲間が意に反していても頷かせるのも首魁の器だよ。
その時が早まるよう、私も切り札を切るとしよう」
「ああ。寒いポエムキメながら、何回切り札があるって言うか数えながら待っててやるよ」
「フフフ、策士キャラには『こんなこともあろうかと』をちりばめておくのが必須なのだよマスター君。
それに今度のは凄いぞ? なにせ死ぬかもしれないからネ、私が」
「あ”?」
「悪は善を喰らうが、正義に倒されるものだ。君は知っているねマスター?
敵(ヴィラン)は、“どうせ倒されるもの“。その絶対の構図。かつて私はその逆転に挑んだ事がある。三千年の試行をかけて。
試み自体は、まあ最終的にはまさかの善堕ちで失敗してしまったんだが、それで得た教訓や、知見もある」
「正義と悪は互いを滅ぼし合うしかないが、善と悪なら、意外と手を取る余地があるものだ」
【豊島区・池袋/デトネラット本社ビル/一日目・夜】
【
死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:健康、抑圧(ストレス)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:潰す敵は決めた。後は手を伸ばすだけだ。
1:しおとの同盟は呑むが、最終的には“敵”として殺す。
2:ライダー(
デンジ)は気に入らない。しおも災難だな。
3:
星野アイとライダー(殺島)については現状は懐疑的。ただアーチャー(モリアーティ)の判断としてある程度は理解。
【アーチャー(
ジェームズ・モリアーティ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』@Fate/Grand Order
[道具]:なし?
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:
死柄木弔の"完成"を見届ける。
0:リンボ君はさぁ……。
1:蜘蛛は卵を産み育てるもの。連合の戦力充実に注力。
2:禪院(
伏黒甚爾)に『皮下院長およびグラス・チルドレンの拠点と現況調査』を打診。
3:禪院君とアイ君達の折衝を取り計らう。あわよくば彼も連合に加えたいところだがあくまでも慎重に。
4:しお君とライダー(
デンジ)は面白い。マスターの良い競争相手になるかもしれない。
5:"もう一匹の蜘蛛”に対する警戒と興味。必要であれば『
櫻木真乃との連絡先』を使う。
6:
田中一を連合に勧誘。
[備考]※デトネラット社代表取締役社長、四ツ橋力也はモリアーティの傘下です。
デトネラットの他にも心求党、Feel Good Inc.、集瑛社(いずれも、@僕のヒーローアカデミア)などの団体が彼に掌握されています。
※禪院(
伏黒甚爾)と協調した四ツ橋力也を通じて283プロダクションの動きをある程度把握していました。
※283プロダクションの陰に何者かが潜んでいることを確信しました。
※アルターエゴ・リンボ(
蘆屋道満)から"窮極の地獄界曼荼羅"の概要を聞きました。また彼の真名も知りました。
アラフィフ「これ先に知れて本当によかったなァ~…(クソデカ溜め息)」
※
田中一からアサシン(
吉良吉影)と
仁科鳥子によるリンボ奇襲の作戦を聞きました。(詳細は田中が知らないので不明)。
アサシン(
吉良吉影)の能力の一部も知りました(真名は田中が知らないので不明)。
◆
私は、何をしているんだろうな。
予選期間中、突然異世界に連れてこられてサーヴァントを召喚してからの約1ヶ月、私がしてきた事に特筆すべきものはない。一切。まるっきり。
なにせその頃の私は第一に生存優先、第二思考はなし、意欲なし、考えなしのないない尽くし。
鳥子という最大のモチベーションを欠いていた私は、なるべくこの事態に関わらず適当にやり過ごす事に終始していた。
した事といえばせいぜい、アサシンに頼んで拳銃を手に入れてもらったぐらい。一般人にできる最低限の自衛行動だ。取り立てるものじゃない。そ
りゃあむざむざ死にたくはないし、現実逃避して引きこもってれば何もかも解決するなんてお気楽な考えはもっちゃいない。
危機的状況に体なり頭なりを働かせなくちゃあっという間に沼に落ちて、逃げられなくなるのを理解してる程度には経験がある。
何より最大事項として、鳥子のいない場所で死ぬなんて死んでもごめんだ。
じゃあ何で本気で挑まなかったといえば。それもやはり、鳥子のいない場所では頑張りがいがないというか。
私はサイコパスじゃない。喜び勇んで人間狩りに勤しむ変態でもなければ、仕方ないからで人を殺して何も感じないほど乾いた仕事人じゃない。
巻き込まれた境遇の人には気の毒だと思うけど、進んで蹴落とすのは躊躇するけど、見ず知らずの他人の死を鳥子(わがこと)のように悲嘆できるような人情家ではないのだ。
我が身を省みず手を伸ばせる……話に聞く
櫻木真乃みたいな人間は尊いし、立派だと思ってるけど、だからといって倣う必要はないじゃん。
なので私はこの案件についてなるべくドライでいるよう努めていた。間違いだとは今でも思わない。最善手のベストといえずともベターな手をとれたと疑わない。
私は、何をしていたんだよ。
これは疑問じゃない。
思考放棄していた自分自身の馬鹿さ加減への、後悔と怒りだ。
あんなにも鳥子の事を思い、鳥子も私を思ってると自負するくらいなら、鳥子と私が離ればなれになる事態を何より恐れるのなら。
此処に鳥子も一緒にいる可能性を、真っ先に潰していくべきだったのに。
「──────────────────は?」
空白を、そこで感じた。
一瞬で詰め込まれたデータの質量が異常過ぎてキャパオーバーし、頭が真っ白になって出力も入力もバグった結果、意味のない雑音が勝手に出てきた。
結局、『鳥子を捜す』という依頼を承諾させられないまま部屋に取り残され、暫く出ると言った割に二時間くらいで戻ってきたアサシンから伝えられた『上書きの依頼』。
『
星野アイがアサシンの取引先の元締めと直接関係を結んだ』
この時点で軽く処理が追い付かなくなる展開だった。
昨今のアイドルのフットワークはそこまで軽いのか。尻が軽いとか、そういう品のない方面のスラングを使いたくなってしまう。
接触してきたのは協力者の側からとの事だが問題はそこじゃない。これがアイと付き合ってく関係でこっち側のアドヴァンテージだった情報面で追いつかれてしまった。
元締めとやらは私とアイとの微妙なバランス関係について上手く折衝してくれるとはアサシンの弁だが、一度過失をやらかした疑念はどうしたって絡みつく。
当事者でありながら蚊帳の外で執り行われた話だが、今後の状況で憂慮すべき事態なのは理解できている。
でも、さ。
それどころじゃないだろ。これは。
報告の前半部分については、正直言って、ろくに考えてない。
正しく言えば、考えてる途中で完全に停止して吹き飛んだ。
残り半分の報告。それを聞いたその瞬間こそが、私の脳内を空白で占めた。
いろいろ枝葉がついていたが、要約するとこのようなものだ。
『
仁科鳥子とそのサーヴァントを補足。及び
仁科鳥子への殺害も含む危害を加えようとする陣営を察知した』
は?
いや。
は?
脳機能が復旧した今になっても、何度聞いたって、返せる言葉はその文字しか見当たらない。
鳥子が見つかって、しかもマスターで、その上命を狙われてる? は?
アイとの関係も、
櫻木真乃をどうにか経由できいないかをかっ飛ばしていきなりの事実判明。凶事発覚。
今までは、鳥子が何処にいるか。いたとしてそれは
NPCなのかマスターなのか。そうした見極めの段階で足を踏んでいたのに、どうして殺すなんて話になってるんだ。
「先方は、
仁科鳥子を殺す事でそいつのサーヴァントを覚醒させ、バカげた真似を仕出かそうとするバカがいるとさ」
完全無欠のバカかそいつ???
世界を覆す可能性を秘めたサーヴァント。
それを利用して界聖杯に地獄……なんだか口にしただけで脳細胞が死滅しそうなぐらい頭の悪い名称の、とにかく酸鼻な光景を作ろうとしてる何某か。
前後に理由を付け足されたところで言えるのはひとつだけだ。聖杯戦争でやる意味あるのかそれ?
「今すぐ殺せとか、どうこうする具体的な話があったわけじゃねえ。
俺が受けたのはこれまで通り283プロへの探り。ただしそのものよりは横に繋がってる陣営との関係の紐づけだけ。
仁科鳥子とそのサーヴァント、フォーリナー、『
アビゲイル・ウィリアムズ』を巡る対処については、
星野アイを抱き込んだ件を突っついたついでだ」
「……え?」
トップスピードでぶち込まれた鳥子関連の情報の処理がようやく追いついて、暴走していた熱も急速にクールダウンされていく。
そうやって思考が平常に回り出した頃になって、今聞いた話の内容のおかしさに気づいた。
アサシンは何と言った?
鳥子の情報を、自発的に収集したと、そういう言い方をしなかったか?
「なに呆けてる。
仁科鳥子について調べろとオーダーをくれたのはそっちだろ」
……いいや、落ち着け。よく考えろ。
ここにきて情に絆された、私の意を汲んでやったなんて心変わりを期待するのは話が上手いどころじゃない。
仕事人のスタンスを崩さず、感情面の一線を決して越えなかったアサシンが依頼を果たしたのなら、そこには確かな目的がある。
それが私にどう作用するかまでを含めて。
「……それだけで終わりじゃないですよね? あれだけ私に調べられるのを釘差してたんですから」
「別に、お前に伏せた上で
仁科鳥子の件について片付けてもよかった。背後に忍び込んでバッサリってな」
素面で空恐ろしい発想をしないで欲しい。本当にやりそうなんだから。
「だが俺は包み隠さずに全てを開示した。───この意味、分かるな?」
星野アイが同盟内にいるんなら、そこ経由でいずれ私と鳥子の関係性もバレる。隠し通せる段階じゃない。
───……そういう理由じゃ、ないんだろうな。
ああ、くそ。分かってしまう。
理由なんて、最初からそれしかない。
「こいつは『縛り』だ。俺が、
星野アイが、連中が、お前をいいように操れる『縛り』。
今後どう動こうが、『
仁科鳥子が明確にターゲットにされてる』事実に動きが縫い付けられる」
私がさんざ言っていた。
私が何度も力説していた。
鳥子は必ず私に付く。絶対に協力できる。
戦略的なメリットを差し引いた、個人的な感情論にまで訴えてしまった。
遠からず知る事になるだろう
星野アイにとって、以後私と接触してくる全ての陣営にとって。
もう
仁科鳥子は『
紙越空魚と組めばもれなくついてくる、味方になるマスター』じゃない。
『
紙越空魚からの行動を制限し、情報を残らず搾り取れる人質』だ。
『
紙越空魚にとって
仁科鳥子がどれぐらい重大な存在か』を触れて回った結果が───これだ。
なあ、
紙越空魚(おまえ)─────────今まで何してたんだ?
「そしてこの『縛り』は、お前が
仁科鳥子を諦めればあっさり破棄できる程度の契約だ」
自罰が突き刺さって膝をついてる私に、アサシンが解決法を持ちかける。
当然こんなのは解決になったりしない。伸びすぎて腐った枝葉を切除して木の寿命を延ばす剪定だ。そして鳥子は腐ってなんかいない。
仮に腐ってるとしたらそれは私の方で、鳥子がそこに巻き取られてしまってる形なだけだ。
「
仁科鳥子はおまえにとってもう呪いになってる。ここで潔く、綺麗さっぱり祓っとけ」
これがアサシンからの通達。
現在の鳥子の状態が如何に『詰んでる』かを知らしめて、私の手で解呪させる。
……何だろう。別にこの人の過去とか心情とか何も知らないけど、義理みたいなものを勝手に感じてる。
与り知らぬところで失ったと全部終わった後で気づくより、自分の意思で切り時を決められるだけマシ、とか思ってるんだろうか。
こんな冴えないオッサンでも、取りこぼしたくない何かがあったんだろうか。
あるいは、零れ落ちてしまったからこんなになってしまったのか。
死んだ目で、その日暮らしで、尊さを捨てて、目に映る何もかもをへらへら笑いながら、心から笑えたりなんか二度とない、一昔前の私みたいな?
ねぇ。つまり私にも、そうなれって言いたいの?
だいいち、鳥子が大人しく人質や標的でいるタマか。
素直に捕まったりなんかせず、暴れて抵抗して、私が気づくぐらい大声を上げてくれる。
フォーリナーのマスターだとか人質だとか、ひっついた外部の伝聞ばかり見て、誰も鳥子がどんな奴か考えてない。
鳥子の事を考えてる人間なんて、ここには私しかいない。
言いすぎ? いいだろ、共犯者なんだ。この世で最も親密な関係、なんだから。
あれ。
変だぞ。落ち着いてきたらなんか、どんどん腹が立ってきた。
そもそもなんで私を置いて鳥子をどうこうする話が進んでるんだ? 逆じゃあないか?
鳥子にあれこれ言いたいなら、まず私を通すのが筋だろうが。
「アサシンだって、このまま唯々諾々と依頼を受け続けるつもり、ないんですよね?」
腹は括った。後はやれるだけを精一杯やっていくだけ。
計算高くて強かな彼のことだ、情報収集に勤しむ傍らで、寝首を掻くチャンスを探ってきたはず。
そう考えると、案外私に鳥子の情報を教えた理由も、そこにあるのかもしれない。
私を追い込んで鳥子を諦めさせる、なんて、それで労働と釣り合いが取れてるのか。
アイとの件で突っ込んだ。地獄なんちゃらやら鳥子やらで思いがけない情報が返ってきた。
案外、向こう側も対応を迫られて慌ただしくなっていて、ここが『削る』タイミングと見計らったのだとしたら。
「欲しくないですか。絶対に裏切らなくて、世界を壊せるぐらい強いっていうサーヴァント」
アサシンは、「ああ、やっぱこうなったか」とでも言いたげに、わざとらしく溜め息をついた。
ちょっと悪いだろうか。いや構うか、女心を弄んだ罰だ。残念にもとんだハズレを引いたと諦めて貰おう。
呪い? 上等じゃないか。呪いや悪霊じみた【裏世界】の住人とさんざ交わってきたんだ。
アレに比べたら鳥子なんて呪いとしちゃレベル1並に可愛いもんだ。むしろもっと縛ってくれ。いや、これだとちょっと意味が違っちゃうな。
でも私みたいな人間は、誰かに縛ってもらうぐらいがきっと丁度いいんだ。
たとえ足取りが重くなっても、繋がっていさえすれば。
鳥子が呪いだっていうなら、私は一緒呪われたままでいい。
あの思い出が、この思いが、呪いから生まれたものなら。
私は一生、呪いと共に生きていきたい。
【世田谷区・空魚のアパート/一日目・夜】
【
紙越空魚@裏世界ピクニック】
[状態]:健康、憤慨、衝撃、自罰、呪い
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:マカロフ@現実
[所持金]:一般的な大学生程度。裏世界絡みの収入が無いせいでややひもじい。
[思考・状況]基本方針:鳥子を助ける。
0:鳥子を助けに行く。何が何でも。何を利用しようとも。
1:アイ達とは当分協力……したかったけど、どう転ぶか分からない。
2:アビゲイルとか、地獄界曼荼羅とか……正直いっぱいいっぱいだ。
【アサシン(
伏黒甚爾)@呪術廻戦】
[状態]:健康
[装備]:武器庫呪霊(体内に格納)
[道具]:拳銃等
[所持金]:数十万円
[思考・状況]基本方針:サーヴァントとしての仕事をする
0:ああ、結局呪われに行くのか、お前は。
1:マスターであってもそうでなくとも
幽谷霧子を誘拐し、Mの元へ引き渡す。それによってMの陣容確認を行う。
2:↑と並行し283プロ及び関わってる可能性のある陣営(グラスチルドレン、皮下医院)の調査。
3:ライダー(
殺島飛露鬼)やグラス・チルドレンは283プロおよび
櫻木真乃の『偽のゴール』として活用する。漁夫の利が見込めるようであれば調査を中断し介入する。
4:ライダー(
殺島飛露鬼)への若干の不信。
5:
神戸あさひは混乱が広がるまで様子見。
6:鳥子とリンボ周りで起こる騒動に乗じてMに接近する。
[備考]※
櫻木真乃がマスターであることを把握しました。
※甚爾の協力者はデトネラット社長"四ツ橋力也@僕のヒーローアカデミア"です。彼にはモリアーティの息がかかっています。
※
櫻木真乃、
幽谷霧子を始めとするアイドル周辺の情報はデトネラットからの情報提供と自前の調査によって掴んでいました。
※モリアーティ経由で
仁科鳥子の存在、および周辺の事態の概要を聞きました。
時系列順
投下順
最終更新:2022年02月21日 06:33