時は流れる。
 いつだって人間の都合など知ったこっちゃないとばかりの顔をして、流れていく。
 少女たちが大切なものを失った先の戦いが終結してから、既に一時間半ほどの時間が経過していた。
 しかし此処に、メロウリンクの相棒だった七草にちかは居ない。
 櫻木真乃の"友達"だった星奈ひかるも、居ない。
 故に当然――田中摩美々とその大切なもの達を、いつも身を粉にして守ってくれた緋色の彼もまた、居ない。

「あなたは、きれいな紫色だから――なんて」

 みんな、死んでしまった。
 何かを守るために命をかけて逝った。
 彼らが居たから自分達は今こうして、束の間とはいえ平穏無事な時間に預かり心と身体を休めることが出来ている。
 時間が経てば経つほどに、摩美々は去っていった彼らの存在の大きさに感じ入るのを余儀なくされた。
 もう顔を隠す必要はない。取り繕えるくらいには落ち着いたから。時間はいつだって自分勝手に進んでいくけれど、人の心にはとても優しい。

「……ちょっと格好つけすぎでしょ、流石に」

 苦笑しながら摩美々は、彼の手の温もりを思い出していた。
 一生懸命という言葉が服を着て歩いているような人だったとそう思う。
 彼はいつだって頑張り過ぎなくらい頑張っていて、常に何かを考えていないと死んでしまうのかってくらいに頭を使いまくる人だった。
 だけどそれだけじゃない。自分が悩んでいれば言葉をくれたし、彼が自分にかけてくれる言葉はまるで肉親のそれのように暖かかった。

 誰より優しい、あたたかな緋色。
 もう居ない、話しかけてはくれないあの人。
 恋しい気持ちがないと言えば嘘になるけれど、だからこそいつまでも沈んでいるわけにはいられなかった。

 あの人が残してくれたものを背負って歩いていこう。
 あの人が残せなかったものと向き合っていこう。
 あっちで見てくれているだろうあの人が安心して笑えるように。
 あなたが守ってくれたものは、こんなにも綺麗に花を咲かせましたよと。
 胸を張って見せてやれるように――生きよう。
 だって私は。あの人がきれいと言ってくれた、ズルくてしぶとい紫色だから。

「ね、真乃もそう思わないー?」

 そう言って顔を向けたのは、自分の真隣だった。
 そこに居るのは櫻木真乃。ユニットこそ違えど、摩美々と同じ283プロで活動しているアイドル。
 そして摩美々と同じように、大切な片割れを失った喪失者でもあった。
 これまた摩美々同様に意識を失っていた彼女は、全てが終わって程なくしてから目を覚ました。
 身体に多少の傷こそあったもののいずれも軽傷で、後に尾を引くようなダメージは残っていない。
 ただし心の方は、その限りではない――ともすれば暫くは情緒不安定な状態が続いてもおかしくはないと。
 メロウリンクを始めとした他の面々はそう案じていたようだったが、しかし摩美々だけは違っていた。

「あはは……。でも摩美々ちゃんは確かに綺麗だし、本当のことを言ってくれただけだと思うな」
「真乃までそんなこと言ってー、綺麗どころは真乃みたいな子の担当でしょー? 嫌味かなー、このこのー」
「ほわっ……!? ち、違うよ! そんなわけじゃないよ、あうぅ……!」

 摩美々に肘で小突かれながら小動物的リアクションを見せてくれている真乃の目元は、確かに泣き腫らして真っ赤になっている。
 笑顔で売るのが基本スタイルなアイドルの顔としては、あまりよろしくないコンディションだ。
 だけどそれでも、摩美々は同じ"先に行かれた者"として――このメンバーの中では一番彼女との付き合いが長い友人として。

「ねー、真乃」

 真乃は大丈夫だろうと、そう思っていた。
 摩美々だってまだ完全に立ち直れたわけじゃない。
 だけどこれは誰かが聞いてあげないといけないことだろうと思ったから、無粋は承知で言葉をかけた。

「もう、落ち着いたー?」
「……うん。いつまでも泣いてたらみんなの迷惑になっちゃうし、それに」

 摩美々の問いかけに、真乃は小さく微笑みながら頷いた。
 摩美々の居ない右隣の空間、無人のそこに眼差しだけを向けて。
 この一ヶ月間いつもそこに居てくれた妹のような少女が、もう何処にも居ないことを再確認する。
 真乃の微笑みは寂しげであったが、しかし悲愴感に染まってはいなかった。
 彼女は彼女で自分なりに喪失の痛みと向き合い、乗り越えるまでは行かずとも、とりあえず流れる涙を止めることは出来たらしい。
 ずっと泣き続けて現実から逃避するほど、櫻木真乃というアイドルは弱い少女ではなかったのだ。

「ひかるちゃんね、最後に言ってくれたんだ――"ずっと見てますから"って」

 もしもこれが突然の別れだったなら。
 星奈ひかるが最期の言葉を交わす暇もなく消し飛ばされていたならば、話は違ったかもしれない。
 しかし幸い。真乃とひかるの二人には、話をする時間が残されていた。
 だからさよならが出来た。お互いの想いを伝え合って/押し殺して、キラキラした希望に溢れたさよならでお別れすることが出来たのだ。

 ――誰かと交わす"さよなら"はいつだって寂しいものだけれど。
 時にそれは、誰かの居ない明日を生きる"希望(ひかり)"にもなる。

「私……摩美々ちゃんみたいに頭も良くないし、いざとなったら自分でどうにか出来るような強さもないけど。
 それでも――あの子が見てくれてるんだったら、情けないところだけは見せられないなって思ったの」
「……そっか」
「うん。ひかるちゃんが大好きって言ってくれた"キラやば"な私のままでいられるように、頑張らなくちゃって」

 その言葉には宣誓のような力強さが籠もっていて。
 やっぱり心配なんて要らなかったじゃん、と摩美々はそう思った。
 摩美々は決して星奈ひかるという英霊のことをよく知っているわけじゃなかったけれど。
 それでも、彼女と真乃の間にある絆の強さは見ているだけでも理解出来た。
 死に別れはしたものの、今際の際の彼女から大切な言葉を受け取った真乃は――きっと大丈夫だ。

「だから、ね。いつまでも、泣いてなんかられないな、って……」
「ストップ。そんではい、ぎゅー」
「っ……!」

 真乃はきっと、この離別を乗り越えられるだろう。
 だけどそれは今すぐの話じゃない。
 摩美々もそれは分かっていたし、彼女自身もそうだから真乃の気持ちはよく分かった。
 彼女の顔が自分の胸元に来るようにぎゅっと抱き締めて、よしよし~、なんて言いながら頭を撫でてやる。
 こうしていれば、とりあえず顔は見えない。
 自分に抱き締められている真乃がどんな顔をしていたとしても、誰にも見られることはないから。

「……、……! っ、う、……!!」

 押し殺した嗚咽は真乃の覚悟を物語る。
 アイドルは笑顔が命。泣き顔よりも笑顔の方がずっとキラキラしてるに決まってる。
 だから堪える。何が溢れそうになっても、どんな声が漏れそうになっても、堪える。
 それが櫻木真乃が選択した、この悲しみとの向き合い方なのだった。
 強い子だな、と摩美々はそう思う。その姿勢はひどく愚直だけれど、だからこそ相応の覚悟が要る道だから。

「辛かったらいつでも言って。力になれるかは分かんないけど、ぎゅってするくらいなら出来るから」
「……うん。うん、うん……。摩美々ちゃんも、っ、あんまり我慢しないでね……?」
「――ふふ、りょーかい。友達だもんねぇ、もし摩美々がにっちもさっちも行かなくなっちゃったらー、その時は真乃のこと頼らせて貰うから」
「ふふ……っ。約束……だね」
「そ、約束ー」

 友達なのだから。
 背負い合って、生きていこう。
 肩を貸し合って歩いていこう。
 そう誓う二人の姿を、実際に英霊の座へ還った彼らが見ているかどうかは分からない。
 だけれど仮に見ていたとしたら、きっと胸を撫で下ろして互いに顔を見合わせ笑ったろう。
 自分達が居なくても、マスター達は大丈夫だと。
 そう考えたに違いなかった。弱くて脆くて、だけど確かな形を持った強さがそこにはあったから。

 そしてそんな二人の姿を、この仮初の現世から見つめる青年が一人。
 先の戦禍を生き延びはしたが、彼もまた大切な片割れを失っている。
 アーチャー・メロウリンク=アリティー。彼は互いの哀しみを分かち合い、それでも前に進もうとする摩美々達の姿を見て小さく笑んだ。
 しかしそれも一瞬のこと。次の瞬間には彼の顔は、真剣そのものの猟兵としての表情に変わる。
 時間は遠慮なく進む。時間は、負った傷が塞がるまで待っていてなどくれないのだ。

「話をしても、構わないな?」

 構わないか、ではなく。
 構わないな、と訊いた。
 それに対して二人はどちらともなく頷く。
 メロウリンクも冷血ではない。
 もしも話が出来なそうならもう少し時間を置くことも考えただろうが……この様子ならその心配はなさそうだった。
 であれば遠慮は無用と。メロウリンクは前置きや慰めの言葉は割愛して、単刀直入に本題へと入る。

「まず――田中摩美々。君に、俺の新たなマスターとなってほしい」
「……一応、理由とか聞いちゃってもいいですかー?」

 サーヴァントを失ったマスターが新たなしもべとの契約にありつけるのは幸運以外の何物でもない。
 故に本来ならば、断るどころか食い下がる理由すらない筈なのだ。
 サーヴァントとの契約は何よりも明確な安全保障になる。
 無力な者の命が紙吹雪のように舞って散るこの世界では、英霊を従える以上の防衛手段は存在しない。

 無論そのことは摩美々も分かっている筈で。
 死したアサシンに操を立てているなどということも考え難い以上、にも関わらず彼女が食い下がる理由はたった一つに絞られる。
 即ち……。何故真乃ではなく、自分なのか――ということ。
 とはいえこれはメロウリンクとしても予想出来ていた反応である。
 友達想いの彼女は、同じ境遇にある友人を差し置いて自分だけが安全な身分に置かれることを手放しで喜びはしないだろうと思っていた。
 だがこればかりは、真乃には任せられない役目だ。その理由をメロウリンクは語って聞かせる。

「真乃の存在を軽んじるつもりはないが、相棒に選ぶのであればどうしてもより付き合いの長い方が適役となってくる。
 いざという時に少しでも息の合う、互いの考えをスムーズに察せる……そんな人物を選ぶ必要がある。それに」
「……それに?」
「君は令呪二画を未だ保持している。聖杯戦争においての令呪は時に不可能を可能にするワイルドカードだ。
 あのリンボのように出鱈目な力を持った手合いと相見えた時のことを考えれば、令呪による支援が期待出来るかどうかの差はあまりにも大きい」

 尤も令呪に関しては、摩美々が真乃に譲渡するという形を取れば解消される話ではあるが。
 それでもやはりメロウリンクとしては摩美々を選びたかった。
 彼女が頑なに拒み、真乃を選んでくれと言うのならば話は別だったが――

「真乃は、私でいい?」

 摩美々はメロウリンクにわがままを言う気などない。
 彼が説明した"理由"も、きっと最初から彼女は分かっていた筈だ。
 なのにわざわざ物分かり悪そうな問いを投げた理由は一つ、櫻木真乃への誠意に他ならない。
 そしてその想いはメロウリンクのみならず、当の真乃にもきちんと伝わっていた。
 真乃は濡れた目元を服の袖で拭いながら、笑顔を浮かべて摩美々に頷き言った。

「もちろん。摩美々ちゃんは頭いいし、アーチャーさんのことをたくさんサポートしてあげて」
「ん、りょーかい。真乃がいいなら私は全然いいんで、よろしくお願いしまーす」

 そう言って摩美々は、メロウリンクに令呪を刻まれている方の腕を差し出す。
 本来の聖杯戦争でどうなのかは知らないが、少なくともこの世界で行われている戦争(これ)では新たなサーヴァントとの契約は簡単に行えるらしい。互いの同意があり、尚且つ相手が間近に居る状態ならば決まった作法も存在しないと頭の中の知識が教えてくれた。
 摩美々に合わせる形でメロウリンクも腕を差し出し、二人は握手を交わした。
 それをトリガーにして、相方の居ない二人の間に契約のパスが繋がる。新たな主従が誕生した瞬間だった。

「……これで、もう私はアーチャーさんのマスターなんですよねー?」
「そういうことになるな。これから宜しく頼む、摩美々」
「はい、こちらこそー。……それより。これからどうするかとか、何を狙っていくのかとか。
 出来れば私達にも分かるようにいろいろ噛み砕いて、教えてもらってもいいですかー?」

 マスターとは呼ばないんだな、と思った。
 摩美々にはその理由が分かる。それは決して、自分への悪感情や不安感に依るものではないのだと。
 たとえ新たな契約者を得たとしても、彼にとって"マスター"と呼べる人間は七草にちかただ一人なのだ。
 ライダーのマスターである彼女と散々に言い争って、自分同士で漫才じみた小気味のいい掛け合いをして、……最後はもう一人の自分をいつまでも見守っていると誓い散っていった"七草にちか"。
 摩美々にもその気持ちはよく分かった。摩美々とて決してメロウリンクのことは嫌いではないし、むしろ信頼しているが。
 それでも――こうして新しく契約を結んだ今でも、自分にとってのサーヴァントが誰かと言われるとどうしても"彼"の顔と声が浮かぶ。
 とはいえそれを悪いことだとは思わない。自分の場合でも、相手の場合でもそう。
 大切な過去を胸に抱いて生きていくのが悪いことだなんて、そんな悲しい話はないだろう。

 そして、それはさておき。
 摩美々の問いを受けたメロウリンクは一言。
 これから話す内容は、今後の情勢次第で幾らでも変わる可能性のあるものだと前置きしてから、確固とした声色で言った。


「――"海賊同盟"を墜とす。それが、俺達の目下最大の目標になる」


 海賊同盟。
 先刻アルターエゴ・リンボが高らかに叫んだ宣戦布告の折に挙がった名前だが、それが唱えられた時摩美々と真乃は意識を失ってしまっていた。
 だからその名前を聞くのは、これが初めてのことになる。
 とはいえ彼女達もこれまでの経緯とその文脈からして、件の同盟にはあの憎きリンボが加担しているのだろうことは察せられた。
 星奈ひかるを間接的に死へ追いやり、偶像の道を降りた七草にちかを殺めた一切嘲弄の生臭坊主。
 摩美々もそして真乃も、リンボのことは倒すべき敵だと認識していた。
 方針上対話の余地は常に捨てずにいたいと彼女達自身そう思っているが、……それでもあれは話が別だ。

 あの男は他人の不幸を蜜として啜り、何処まででも肥え太り増長していく肉食の獣。
 そもそもからしてケダモノなのだから相互理解はおろか、意思の疎通すら本当の意味では成立しない手合い。
 差し伸べた手を肩口から引き千切って生き血を啜る、読んで字の如くの"人でなし"。
 アシュレイの宝具を起動して脱出する"方舟プラン"の実行も、奴ならば目敏く嗅ぎ付けて邪魔立てしてくるだろうことは容易に想像がついた。

 ……それに。そうでなくてもやはり――あれに対する憎しみと怒りの念はどうしても、込み上げてきてしまう。
 あの嘲笑を思い出すだけで煮えくり返るものが、二人の中にも確かにあった。

「ライダーのマスター……"偶像"の七草にちかは令呪を一画失ってしまった。
 そして奴の知己であるところのセイバーは、件の"同盟"にマスターを拿捕されている。
 前者の問題は君達身内の間で令呪を譲渡することで解決可能ではあるが、それにしても今の段階ではまだ不確定要素が多い。
 しかしかと言って――」
「……いつまでも手をこまねいていたら、その間に東京がなくなっちゃうかも――ですか?」
「そういうことだ。聖杯戦争の加速は俺は勿論……摩美々、君のアサシンの予測をすら超えていたらしい」

 アシュレイが内なる煌翼を表出化させて奮戦し。
 更に策略の重ねがけを経て――鋼翼のランサー・ベルゼバブはどうにか射ち落とすことに成功した。
 だがその過程で区一つを文字通り消し飛ばしてしまった事実。
 これは直にまだ見ぬ聖杯狙いのマスター達……そして件の大同盟の耳にも入るだろう。
 新宿事変以降、まるでドミノを倒したみたいに戦況が加速し続けている。
 ベルゼバブを討つためとはいえ、他でもない"方舟を駆る者"がその加速に拍車を掛ける役割を担ってしまったというのは皮肉な話だったが。

「どの道……セイバーのマスター・古手梨花を奪還する過程上、連中との対決はある程度避けられない面もある」

 私怨を除いてもな、と小さく付け足すメロウリンク。
 彼の復讐の牙は今明確にかのアルターエゴへと向けられていたが、海賊同盟の打倒を掲げるのは何も私情に付き合って貰うためではなかった。
 仮に海賊同盟への抗戦を方針に含めなかったとしても、結局自分達脱出派は奴らとの対立を避けて通れないのだ。
 であれば積極的に行くが吉なのは間違いない。
 それに――これに関して言うならば、何も自分達のみで向き合わねばならない問題でもないのだから。

「アサシンが遺した端末の中には、奴が生前に接触していた"もう一匹の蜘蛛"の連絡先も入っている筈だ。
 恐らくライダーがそれを使い、この街で聖杯狙いの連合を組んでいる"悪なる蜘蛛"へコンタクトを取るだろう。
 俺達が具体的にどう動くか……ふんぞり返った海賊共をどう引きずり下ろすのか。それはその後の話になってくるな」

 悪なる蜘蛛。
 そのワードを耳にした摩美々の眉がぴくりと動いた。
 当然だろう。彼女こそは、かつてこの東京に存在していた"善なる蜘蛛"のマスター。
 心血と魂の全てを使って自分達を守ってくれた優しくて不器用な緋色を、誰より間近で見てきた人間なのだから。

「……あのぉ。これ、正直――めっちゃワガママなのを承知で言うんですけどー」

 言葉の字面だけを見れば、大人に無茶なおねだりをする歳相応の子供のよう。
 だがそれを口にする摩美々の顔に笑みはなかった。
 その眼差しに宿る色は真剣。彼女なりの覚悟の光が、そこには確かに見て取れる。
 メロウリンクは無言で彼女に先を促した。ありがとうございます、と一言言って摩美々が続ける。

「ライダーさんの電話の……ついででいいんです。
 ついででいいですから、私にもお話をさせてくれませんかー?」
「……勧められないな。相手はあのアサシンと互角以上に渡り合った生粋の策謀家だ」

 話に聞くだけでも、傑物だということは分かった。
 悪なる蜘蛛――もう一人の犯罪卿、ジェームズ・モリアーティ
 奴の存在がもしもなければ、きっとウィリアムは今とは比べ物にならない盤石の体制を築き上げられていただろう。
 割れた子供達並びにビッグ・マム……今は海賊同盟を名乗るかの勢力との対立だって、今よりずっと余裕ある状態で向き合えていたのではないかとメロウリンクはそう思っている。
 つまり、奴にはそれだけ多く策のリソースを持って行かれたということ。

 智謀の頂上決戦は明確な幕引きを迎えることなく、緋色の蜘蛛の退場によって打ち切られた。
 今も世に蔓延り続けているもう一匹は脱出派が頼ることの出来る数少ないアテであると同時に、ともすれば海賊同盟以上に油断のならない不安の種。
 何せこうしている間だって、自分達の身体には奴の策/糸が結び付けられているかもしれないのだ。
 そんな相手と一対一で話すなど、とてもではないがメロウリンクとしては賛成出来なかった。

 ウィリアムがあれとやり合えたのは、ひとえに彼があちらと同じだけの怪物だったからに他ならない。
 相手が緋色の怪物から只人の少女になったのなら。
 蜘蛛の糸はたとえ会話一つででも、容易に彼女の脳髄を絡め取り支配してしまうだろう。
 難色を示すメロウリンクだったが、そんな彼に摩美々は苦笑しながらかぶりを振って否定した。

「あはは、ナイナイ。確かに私も悪い子ですけど、"悪い子対決"するって言ったって限度がありますから」
「――、……まさか」
「はい。そのまさか、でした」

 思い上がるつもりはない。
 "彼"があれほど苦戦させられた相手と話して、自分が何かを出来るだなどとは思っていない。
 だから摩美々が対話を望む相手は、"もう一匹の蜘蛛"ではなかった。
 摩美々が求める会談の相手。それは――

「狡賢くてとにかく悪い蜘蛛さん。……それをこの界聖杯に召喚した、マスターさん」

 思えばずっと、気にはなっていたのだ。
 ウィリアムだけではなく、摩美々とその周りの人物も。
 誰もが一方的に認識され、自覚の有無を問わずにある者は動かされ、ある者は踊らされてきた悪なる蜘蛛。
 しかし彼もまたウィリアムと同じくサーヴァントであるならば。
 当然、居る。居る筈なのだ。自分と同じようにこの世界へと迷い込み、そして縁の糸で蜘蛛と繋がったマスターが。
 一つの聖杯狙い勢力を統べる首魁。
 この世界からの脱出という優しい終わりを目指す摩美々達にとって――無視することの出来ない、敵(ヴィラン)の王。

「アーチャーさんも、気になりません?
 私達を散々振り回して困らせてー、今も何処かで笑ってるだろうわっるい蜘蛛さん」
「……、……」
「そんなのに言うこと聞かせてる"あっち"の王様ってー、――いったいどんな人なんだろう、って」

 脳裏をよぎる言葉がある。
 他でもない自分自身の言葉だ。

『本当に許せないのは……願いのために誰かを殺す道を選んだ人達じゃないし。
 もしかしたら、平気で酷いことをする人達ですらないかもしれない』

 ……多分。これから自分が喋ることになるかもしれない人間は、どちらにも当て嵌まるだろう。
 願いのために誰かを殺す。幾らでも殺す。それが出来る人間。
 必要だからという理由で何でも出来る。何でも踏み躙れる。それが平気な人間。
 対話の必要はないのかもしれない。あくまで利害関係の一致に留めて、いざとなればこっちから蹴落とすとか。
 そういう気構えで臨んだ方が遥かに安全で、確実なのかもしれない。
 知ろうと思う必要なんて、ないのかもしれない。

『“たった一組しか願いは叶えられませんし、生き残れません”。
 “他は皆死んじゃうから、争ってください”――――そうやって皆を巻き込んだ界聖杯が、一番許せない』

 だけど、ああそれでも。

『そんなの、奇跡の願望器なんかじゃない。
 みんなを幸せにして、めでたくハッピーエンドで終わらせて……それが“奇跡”でしょ?』

 きっとその姿勢で進んだ先に、ハッピーエンドは待っていてくれないのだろうと思えた。
 この世界は。界聖杯は、誰かが痛みを背負いながら前に進むことを望んでいる。
 誰かを理解することを拒むのは、まさにそんな最悪の舞台装置の思う壺。
 そんな性根の歪んだ願望器に、本当の"可能性"を突き付けてやるには、きっと。
 知ること、話すこと。馬鹿げた対話を飽きるほど重ねて、相手を理解して、その上で戦うなら戦う、手を取れるなら手を取る。
 そんな理想論を貫いて歩んでいくこと、その先にこそ奇跡のようなハッピーエンドが待つのだと。

 田中摩美々は知っていた。
 緋色の彼にかけた言葉は、摩美々自身の道をも照らす灯火になってくれていた。
 だからこれはその一歩。
 奇跡みたいなハッピーエンドへ、はじめの一歩から歩んでいくために。田中摩美々は――魔王の声を聞こうと決めた。


◆◆


 ――ライダーさんの中には、何がいるんですか。

 その質問にどう答えるべきか。
 正確にはどう短く纏めたものか、アシュレイ・ホライゾンは少々悩んだ。
 というのも。彼がその体内に誰より熱く眩く煌めく翼を抱えるまでの経緯は、まさに波瀾万丈。
 全てを余すところなく語ろうと思えば優に何時間かは掛かるだろう、とても長い物語に裏打ちされていたから。
 とはいえにちかが自ら"知りたい"と願ったのだ。
 なあなあで済ませるのは不実だと判断し、一旦退避や状況確認の諸々が片付くまで話をするのは先伸ばしにさせて貰った。

 時間にして一時間と少し。
 頭の中である程度話す内容を纏め終えて、今アシュレイは改めて七草にちかと向き合っていた。
 にちかは「ちゃんとまとまりました? お話」としっかり唇を尖らせて本質を突いてくる。
 それに「待たせて悪かったよ」と苦笑しながら、それでもさて何から話したものかと悩んで。

 そうしてようやく、アシュレイは口を開いた。

「マスターは……今ある世界を塗り替えたいと思ったことはあるか?」
「……は? え、何ですか。何かの心理テストですか?」
「違う違う。大真面目な話だよ」

 予想だにしない、突拍子もない問いかけに眉根を寄せるにちか。
 普通はこういう反応が出るよなあ、とアシュレイはしみじみとした感慨を抱いた。
 それもその筈だ。七草にちかの存在する世界には恐らく、星辰光のような異能の力が存在しない。
 人は馬より速く走らないし、発動体さえ握れば斬鉄すら容易に可能とするような膂力も持たない。
 銃弾を皮膚の強度だけで弾くだとか、内臓が胴体から吹きこぼれても生命活動を長時間続行出来るだとか。
 そんな不条理が一切存在しない世界で生きてきた彼女には――当然、荒唐無稽な問いに聞こえてしまうだろう。

 無理もない。
 "そういう世界"で生まれ育ったアシュレイですら、かつては同じ感想を抱いたのだから。

「例えば、何か悪いことが起こったらそれに見合うだけの幸運が必ず舞い込む世界だとか。
 やれば出来ると信じる心さえあれば、現実の物理法則さえねじ曲げて誰でもそれを可能に出来る世界だとか。
 そういう夢物語みたいな新世界を願ったり、考えたりしたことはあるか?」
「……いや、あるわけないじゃないですか――そんなこと。
 そりゃ子供の頃だったらどうかは分かんないですけど、普通に物事の分別がつく歳になったらそんな不毛なこと考えないでしょ」
「だよな。それが普通だし、正しいと思うよ」

 単に世界を変えたいと言うだけならば、まだ現実的に手の届く範囲だ。
 血の滲むような努力と人生百年を見越しての立ち回りや根回し、人脈作り。
 人生の酸いも甘いも全て費やして臨めばもしかしたら、小数点以下程度の確率で世界の何かを揺るがせるかもしれない。
 だが。世界に満ちる法則の次元から変革したいというのなら、それは最早追い求めるだけ無駄な絵空事である。

「だけどひょんなきっかけから、その当たり前の折り合いが付けられなくなる人間も居るんだ」

 まともに育ってきた人間ならば、誰もが現実と空想/理想の間で折り合いを付ける。
 その上で今目の前に広がっている現実と向き合い、転んだり立ち上がったりしながら大きくなっていく。
 それが普通だ。しかしその"普通"は、巡り合わせの如何で時に容易く崩れ去る。

「俺の人生を……良くも悪くも変えてくれた奴がそうだった。
 俺は歪んだ後の姿しか知らないけど、そいつは至極大真面目に――自分達が生きる世界を"法則ごと"変えるのだと吠えていたよ」

 それは、ひどく優秀な男だった。
 社会の歪みを認識しながらも、それを一つの現実として受け入れ。
 せめて自分が社会の上に立った暁には、今よりも間違いの少ない公正なシステムを築いていこうと志す程度に留まっていた。
 そんな現実的な妥協はしかし、一つの出会いによって粉々に砕け散る。
 理論値の最上を突き詰めた結果としか思えない、人類が叩き出せる最高値を地で行く稲妻の如き男の前に。
 その男は狂った。その男は壊れた。全ての節度を忘れ、頂点を基準とした完全無欠の極楽浄土を築き上げるべく歓喜の行進を始めてしまった。

「ろくでなしじゃないですか」
「ああ、マジで手の付けようもないろくでなしだったよ。正直二度と敵に回したくはないな」

 ろくでなし、というあまりに単刀直入過ぎる感想に思わずアシュレイは笑ってしまう。
 そしてそれが、かの男……楽園の審判者を称する上では恐らく最も適当だろう感想だから余計にだ。
 ああ確かに、あれほどのろくでなしなど英霊の座を逆さにしてひっくり返してもそうは居るまい。
 奴のお陰で得られた/取り戻せた幸せも少なからず存在するため、アシュレイに彼を憎む気持ちは今はないのだったが……閑話休題。

 ――そんな男が理想へと歩む道すがらに、今のアシュレイ・ホライゾンは造られた。

「当時訳あって抜け殻のように生きていた俺は、その"ろくでなし"の実験体になった。
 地獄だったよ。思い出しただけで発狂しそうになるような、一生を何回か掛け合わせてようやく足りるような苦痛と恐怖を味わった」

 にちかの顔色が険しくなる。
 何とコメントしていいか分からない、そんな顔だ。
 だがそれも当然だろう。此処までの話が出てくるだなんて、普通はまず考えまい。
 けれどアシュレイ・ホライゾンの中に存在する"彼"の話をするには、どうしてもこの凄惨な経緯を避けては通れない。
 かつてアシュレイが味わった地獄の日々の延長線にこそ、彼は誕生を果たしたのだから。

「そんな実験の果てに……素質があって、なおかつ実験の最初期から自我と命を保ち続けた俺が選ばれた」
「それは――あなたの中に居る"誰か"の入れ物として、ってことですか」
「ああ。そもそもそいつは、過去に存在したとある偉大な人の後継者になるべくして生み出された存在なんだ」

 ……かつて。
 無敵を誇ったとある帝国には、英雄と称される傑物が存在した。
 生ける伝説。閃剣。絶滅光。彼を現すは一言"英雄"。
 志半ばで逆襲劇を受け散った彼の後継となるべく、狂気じみたヒカリへの渇望が作り上げた後継者。
 そして。

 辛い時、苦しい時、悲しい時に何処からともなく現れて、助けてくれる無敵のヒーロー。

 そんな、アシュレイ・ホライゾンというちっぽけな砂粒の理想を詰め込んだ。
 誰より眩く輝き、煌めき続ける怒りの救世主。
 輝くことしか知らなかった、太陽の如き男。

「そいつの名前はヘリオス。とびきり頑固で気難しくて厳しくて、頭が硬くて暑苦しくて話の長い――」

 ……かつて彼は、世界を救うべくして立ち上がりアシュレイ達と対峙した。
 彼の語り目指す救世に世界は、そして人類は耐えられないから。
 何としてもその進軍は止めねばならなくて。けれど話して止まってくれるような相手でもなくて。
 あらゆる手と手、絆(つよさ)と意思(つよさ)をぶつけ合わせて。
 その果て、アシュレイ・ホライゾンは話の通じないと分かっている彼に手を差し伸べた。
 どちらかを障害物として排除するのでは決して辿り着けない未来を探すために、無理は承知で"まだだ"と優しく言葉をかけたのだ。

「――俺の大切な宝物(つばさ)だよ」

 そうして。
 気の遠くなるような体感時間の果てに、アシュレイは人間として生涯を終え此処に居る。
 怒ることしか、輝くことしか知らない救世主と共に生き抜きこの界聖杯に招かれた。
 つまり彼は、驚くべきことにやり遂げたのだ。
 近付けば人間など皆々焼け切れてしまう偉大な雄々しい太陽に心を尽くし、彼との共存を完遂した。
 灰と光の境界線(アシュレイ・ホライゾン)を、歩み抜いた。
 彼の中に灯る炎はその証であり、そして今や彼にとって欠かすことの出来ない絆の一つ。
 何物にも代えることの出来ない、大切な片翼に他ならなかった。


「……なんだかとんでもない話だなって感想ですけど、そんなこと言うのはもう今更ですよね」

 にちかは、アシュレイが打ち明けてくれた煌翼の真実をゆっくり咀嚼していく。
 アシュレイの中に居る"もうひとり"。
 彼の片翼であり相棒である、とにかくもうとてつもない存在。
 ヘリオス。彼が表面に出ればどうなるのか、その片鱗をにちかは確かに知っていた。
 何をどう考えても詰んでいた状況を雄々しく燃え盛りながら覆してのけた、光り輝く"誰か"。

 その面影と、網膜を焼くような煌めきを覚えている。
 いつも優しく落ち着いた雰囲気のアシュレイとはまるで違う、苛烈の二文字を人の形に落とし込んだみたいな壮絶な気配。
 率直に言って、……怖かった。今も思い出すと背筋に冷たいものが走る。
 だけどきっと、彼がこう言うからにはその手の心配は無用なのだろうとも思う。彼が、彼である内は。

「ヘリオスさんでしたっけ。あれ、ライダーさんよりだいぶ強そうに見えたんですけど」
「面目ない。でもそうだな、その通りだよ。
 俺は過去にあいつと戦ったけど、例の宝具を万全な状態で使った状態で尚"勝つ"ことはついぞ出来なかったからな」
「……それ、ひょっとしなくても結構な光明じゃないですか?
 ヘリオスさんにお願いして出てきて貰えば、あのむかつく陰陽師もおっかない海賊達もずんばらりんとやっつけて貰えるんじゃ」
「いや、それは無理だ」

 にちかの発想はもっともだったが、変な希望を与えるわけにはいかない。
 アシュレイは即答で、彼女の口にした"希望"を切って捨てた。
 確かに彼女の言う通り、ヘリオスを任意のタイミングで表面に出せれば誇張抜きに自分達の現状は一変するだろう。
 忌々しいリンボはおろか。件の海賊同盟とすら真っ向から渡り合えるかもしれない。
 それほどの力と果てのなさを、アシュレイの片翼は確かに有している。だが――

「まず第一に、マスターへの負担があまりにもでかすぎる」
「え、でもさっきの戦いじゃ……そんなに消耗しませんでしたよ?」
「あれはあくまでイレギュラーな状況での現界だったから、だな」
「……どういうことですか、さっぱり意味がわかりません。ちゃんと説明してください、私にも分かるように」
「あの時、俺は死んでいたんだよ」

 ……にちかが固まる。
 無理もないな、と思いながらアシュレイは続けた。

「完全に霊核を破壊されていたからな。消滅寸前の死骸を、例外的にあいつが動かして無理やり戦闘を継続させたんだ。
 既に消滅しているも同然の状態だったからこそ、マスターに次元違いの魔力消費が襲いかかるなんてこともなかった」
「じゃあ、もしも……ライダーさんがちゃんと生きてる状態で、ヘリオスさんに出てきて貰ったら?」
「マスターは二秒と保たずに死ぬと思う」
「二秒」

 絶句するにちかだが、アシュレイの言っていることに一切の誇張はない。
 先の"あれ"は、まさに意思の力で現実をねじ伏せた結果の奇跡だったのだ。
 サーヴァントとして完全に再起不能の消滅状態にあったアシュレイの肉体を、一宝具に過ぎないヘリオスが強引に動かし操縦した。
 ヘリオスをこの世に下ろすということがまず不可能に等しいことであるというのは大前提として、もしも七草にちかが何かしらの理由でそれを満たすことが出来、ヘリオスの再度の表出化に成功したならば。

 ……以前は奇跡の二文字でまかり通りなかったことになっていた莫大な魔力消費(コスト)が、七草にちかの全存在を食い潰す。
 にちかでなくとも、まず間違いなくこの界聖杯に存在する全てのマスターにとって無理難題だ。
 この東京で最優の器だろう峰津院財閥の麒麟児ならば――ひょっとすると一分近くは保つかもしれないが。
 それでも、それまで。
 太陽を人間が操り使役するなど、それこそ奇跡にでも頼らない限り不可能なのである。
 更ににちかの提案(プラン)が実現不可能な理由はそれだけではなく、もっと根本的な部分にもあった。

「そして、二つ目の理由だが」
「……、……」
「多分あいつはもう二度と、現世(こっち)には出て来られない」

 アシュレイ・ホライゾンは本来、あの場でベルゼバブに貫かれて死んでいた。
 この界聖杯戦争から敗者として弾き出され、消え去る運命にあった。
 ヘリオスが無茶をして表出化した結果、もしもベルゼバブを滅ぼせていたとしても……それで終わりだった。
 アシュレイに先はなく。目の前の勝利一つだけを遺して、彼は消え去るのが道理であった。
 しかしアシュレイはその運命を凌駕し、こうして七草にちかのサーヴァントとして現界し続けている。

 ――あの時、アシュレイはヘリオスに力を貸してくれと求めた。
 そしてそれにヘリオスは応えた。元より意思の力で現実をねじ伏せられるような、規格外の自我と創造性を持つ存在である。
 彼はその瞬間、骸の霊基を依代に自らを表出化させる以上の奇跡を起こした。
 それは万能の願望器にも匹敵する奇跡。死者の蘇生、消滅しゆく運命を拒絶するという大偉業……霊基再臨ならぬ霊基再誕。

 輝くことしか知らない光の奴隷が、只人の視座に合わせて加減することを覚えた事実。
 紛れもなく祝福されるべきその事実はしかし、不可逆の代償を伴っていた。

「何も消えたわけじゃないし、事実今も俺はあいつと一心同体だ。
 だけどあいつが"向こう側"から"現世(こっち)"に干渉したり、あまつさえ出てくるようなことは恐らくもう不可能なんだと思う」

 加減を知らない無限大の炎が、愛すべき片翼の懇願に応じて力を貸した。
 只人でも扱える範疇の火力と出力を。成長性に際限が追加された代わりに、無尽蔵の回復能力を。

 しかし、しかし。
 彼方の彼から熱量を取り出す工程を無秩序から"抽出"という名の秩序に刷新したことにより――あの時ベルゼバブに対して見せたようなヘリオスの限定的表出化という奇跡を始めとした、彼が表舞台に立つ可能性は永久に失われた。
 もはやヘリオスは無限ではない。
 アシュレイを生かすという奇跡を引き起こした代償に、太陽は眩く輝き続けるだけの炉心と化した。
 故にもう二度と彼の力は借りられない。彼は彼が出来る範囲で最大限に、アシュレイとそのマスターを助けたのだから。
 奇跡は二度と起こせない。限界は二度と超えられない。それが、掃き溜めに散る運命を覆したことの代償だった。

「……なら、仕方ないですね。もしかしたらと思ったんですけど、やっぱりそんなうまい話はないかあ」
「……、……」
「なんですか。意外だなみたいな顔して」
「ああ、いや……そんなんじゃないんだけどさ。正直もうちょっと食い下がられるかと思ってたっていうか」
「はあ!? ライダーさん、私のこと血も涙もない鬼マスターだと思ってません!?」
「違う違う、そういうわけじゃない! けどその、あれだ。こう、何ていうかこう、くそっ上手く言葉が選べない……!」
「あ~~~もう何喋っても墓穴掘りそうな気配がすごいんで黙っててください!」

 本当に、七草にちかというマスターのことをそんな風に思っていたわけではないのだが。
 それでも、ちょっとばかし意外なのは事実だった。
 何も不満を言われるとかそんなのを想定していたわけじゃない。
 ただ、少しは落ち込んだ顔をするとか。絶望的な顔をするとか。
 彼女のそういう姿をアシュレイは想像していたから、少し驚いてしまったのは事実だった。
 そんなアシュレイに、にちかははあと溜息をついて。

「……ヘリオスさんとライダーさんって、いつでもお話出来るんですか?」
「え、ああ――そうだな。いつでも出来るけど」
「じゃあ伝えといてください。俺が冷たいやつ扱いした石ころが言ってたんだけどー、って」

 ぶー、と頬を膨らませて言うにちかを宥めるアシュレイ。
 一方でにちかが彼に言った、もうきっと自分の前に顕れることはないだろう煌翼への伝言は。

「"私達と、ライダーさんを。たすけてくれてありがとうございました"」

 何かとひねくれたところのある彼女にしては驚くくらい、素直で混じり気のない感謝の言葉だった。

「……正直、そのヘリオスさんっていう人? がどんな人なのかはまだ全然分かんないし飲み込めてもないです。
 でも……ヘリオスさんが居なかったら私達、多分全滅してたでしょ。
 だからってのもあるし、それに――」

 んん、と何処かむず痒そうにしながら。
 にちかは更に続ける。

「その人が、無茶なことしてくれなかったら。
 ライダーさんも……その。私を置いて、どっかに行っちゃってたんでしょうし」
「……マスター」
「だから……とにかく! 私がそういう風に言ってたって伝えといてください、以上! おはなし、おわり! わかりましたー!?」

 そう言ってぷいとそっぽを向いてしまうにちかに。
 アシュレイはフッと小さく笑った。
 それを見逃さなかったにちかはまた頬を紅潮させて、ぷりぷりと怒り抗議する。

「なんですかその笑いは! 私が素直に"ありがとう"って言うのはそんなに変ですかねー!!」
「違う違う。ただ……俺は、やっぱり良いマスターを持ったなって思ってさ」

 にちかだって、辛くないわけはないのだ。
 目の前でもうひとりの自分が死んだ。
 好き嫌いはさておいて、本音をぶつけ合った"彼女"を亡くしているのだから。
 心の痛みがない筈はない。それでもその痛みをぐっと抱き締めて、捨ても逃げもせずがむしゃらに歩き出そうとしている。

 ……"見てろ"と言ったのは自分なのだからと。
 言ったからには、情けない姿は見せられないぞと。
 にちかなりに自分を奮い立たせているのだろうことは、端から見ていてもよく分かった。

「――責任もって、伝えておくよ。そういえばあいつにはまだ、マスターのことは話してなかったしな」
「……ん。よろしくです」

 しかし、七草にちかは強い人間ではない。
 痛みを堪えてボロも出さずに歩き続けるなんてきっと不可能だと、アシュレイはこれまでの付き合いの中で既に知っている。
 だからその時は、自分が彼女を支えよう。過ぎた真似かもしれないが、時には導くこともしよう。
 いつか彼女が笑顔と希望に満ちた門出を迎え、自分のもとを去るその時まで。
 春の陽気のように暖かい気持ちの中で、アシュレイ・ホライゾンは改めてそう誓うのだった。


◆◆


「……田中さんが、そんなことを」
「まだ全然人となりは分かってないけど、なかなかタフな子ね。うんうん、将来有望だ」

 にちかとの対話を終えたアシュレイは、メロウリンクと武蔵と三人もとい三体でサーヴァント同士の作戦会議に臨んでいた。
 そこでメロウリンクから伝えられたのが、先ほど田中摩美々が示した意向。
 協力相手である"敵連合"の真の首魁。悪なる蜘蛛を従え虜にした恐るべき魔王との対話であった。
 これにはさしものアシュレイも驚かされた。彼女は十二分に強い少女だと知っていたつもりだったが、それでもこうも早く離別の哀しみから立ち直って、"彼"の後を引き継ぐべく行動を起こそうとしてくるのは素直に予想外だった。
 一方の武蔵はと言えば、からからと何処か懐かしそうに笑って言う。
 昔の知人を思い出しているような、そんな表情だった。

「個人的には、危険も大きいアイデアだと思う。
 だが――連中との協力なくして今後の戦いに向き合うのは厳しい、というのも事実だ」
「そうだな。彼女達の知人のマスターを辿れれば、ある程度の戦力は増強出来るだろうが……それでもやっぱり苦しいものは苦しい。
 純粋な戦力面でのこともそうだし、何より海賊同盟とかいう巨大勢力を相手取るにあたって"あいつ"の頭脳を借りれなくなったのはでかすぎる痛手だ」

 星奈ひかるは、283プロダクション勢力(仮称)における戦力面の要と言ってもいい存在だった。
 そしてウィリアム・ジェームズ・モリアーティは、一と百の差を覆せる規格外の頭脳を持った傑物だった。
 その両者をいっぺんに亡くしたダメージは、言わずもがな大きい。
 海賊同盟の強大さは未だ未知数。少なくとも現状では、あのリンボを相手取ることさえ厳しい有様。
 そう考えても――やはり敵連合は切れないし、軽んじられない。
 彼らの助力なくして"脱出派"は歩めない。箱舟の計画を押し進めるにしたって、現状では何もかもが不足しすぎている。

「どの道関係を深めないわけにもいかないんだ。
 もちろん田中さんが奴らの悪知恵に嵌められないよう警戒は必要だけど、やりたいようにさせてあげてもいいんじゃないか……と俺は思うな」
「であれば悪いが、ライダー。実際に対話を行う際にはお前も同席してほしい。
 ……俺はその手の話術ありきの心理戦には、とんと心得がなくてな」
「了解。餅は餅屋、ってわけだな」
「そういうことだ」

 摩美々が敵連合のリーダーと対話を交わす、それはひとまず条件付きだが悪くないということになった。
 問題はその先だ。連合と擦り合わせを行いながら、海賊同盟との戦いに向けて準備を重ねていかねばならない。
 となると流石に、その局面では交渉沙汰と折衝沙汰に慣れているアシュレイが矢面に立つことになるだろう。
 もはや毒蜘蛛と対等に切った張ったのやり取りが出来る男は、この世界に居ないのだから。

「……問題は山積みだな」

 脱出計画のプランも、大きく狂った。
 それにいざ実行に移す過程へ首尾よく辿り着けたとして、その時他の邪魔が入らないとは思えない。
 そして目先の問題、海賊同盟への対処。
 彼らが健在である限り、自分達に平穏が訪れる可能性は限りなく低いと見ていいだろう。
 何しろ敵対構造は最早明確なものとなってしまった。
 拠点へ戻ったリンボは尖兵として果たした成果と、持ち帰った情報の報告を嬉々として行っているに違いない。

「だが――俺達が負けているわけにもいかないだろう」
「……だな。たかだか十数年しか生きてない女の子達が、あれだけ頑張ってるんだし」
「色々負担も掛けてしまったしね。……まあ私のマスターは今も囚われの身。
 私の不手際のせいで、とんだ負担掛けてしまってるんだけど――それでも私が此処に現界していられてるってことは、つまりそういうことの筈だから」

 本当に強い子達だと。
 サーヴァントは、三者三様にそう思う。
 その上で彼らは決意を強めるのだ。
 負けてはいられないと。彼女達の"強さ"に、その"覚悟"に――向き合い支えてみせると。

 新しい朝が、もうじきにやって来る。
 激動の一日が、真の意味でその始まりを迎える。
 これはその直前の一幕。
 今あるものと失ったもの、その二つに対し思いを馳せ次の歩みに向けて考えを深める――そんな静かな時間の、一シーン。


【杉並区(中野区付近・杉並区立蚕糸の森公園)/二日目・早朝】

七草にちか(騎)@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:精神的負担(大/ちょっとずつ持ち直してる)、決意、全身に軽度の打撲と擦過傷、顔面が涙と鼻水でぐちゃぐちゃ
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:高校生程度
[思考・状況]基本方針:283プロに帰ってアイドルの夢の続きを追う。
0:何だか、正直よく分からないですけど――それでも、まあ。……ありがとうございました、って。
1:アイドルに、なります。……だから、まずはあの人に会って、それを伝えて、止めます。
2:殺したり戦ったりは、したくないなぁ……
3:ライダーの案は良いと思う。
4:梨花ちゃん達、無事……って思っていいのかな。
[備考]聖杯戦争におけるロールは七草はづきの妹であり、彼女とは同居している設定となります。

【ライダー(アシュレイ・ホライゾン)@シルヴァリオトリニティ】
[状態]:全身にダメージ(極大)、疲労(極大)
[装備]:アダマンタイト製の刀@シルヴァリオトリニティ
[道具]:七草にちかのスマートフォン(プロデューサーの誘拐現場および自宅を撮影したデータを保存)、ウィリアムの予備端末(Mとの連絡先、風野灯織&八宮めぐるの連絡先)、WとMとの通話録音記録
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:にちかを元の居場所に戻す。
1:今度こそ、P、梨花の元へ向かう。
2:界奏による界聖杯改変に必要な情報(場所及びそれを可能とする能力の情報)を得る。
3:情報収集のため他主従とは積極的に接触したい。が、危険と隣り合わせのため慎重に行動する。
[備考]宝具『天地宇宙の航海記、描かれるは灰と光の境界線(Calling Sphere Bringer)』は、にちかがマスターの場合令呪三画を使用することでようやく短時間の行使が可能と推測しています。
アルターエゴ(蘆屋道満)の式神と接触、その存在を知りました。
割れた子供達(グラス・チルドレン)の概要について聞きました。
七草にちか(騎)に対して、彼女の原型はNPCなのではないかという仮説を立てました。真実については後続にお任せします。
星辰光「月照恋歌、渚に雨の降る如く・銀奏之型(Mk-Rain Artemis)」を発現しました。
宝具『初歩的なことだ、友よ』について聞きました。他にもWから情報を得ているかどうかは後続に任せます
ヘリオスの現界及び再度の表出化は不可能です。奇跡はもう二度と起こりません。

【アーチャー(メロウリンク・アリティ)@機甲猟兵メロウリンク】
[状態]:全身にダメージ(大・ただし致命傷は一切ない)、疲労(大)、アルターエゴ・リンボへの復讐心
[装備]:対ATライフル(パイルバンカーカスタム)、照準スコープなど周辺装備
[道具]:圧力鍋爆弾(数個)、火炎瓶(数個)、ワイヤー、スモーク花火、工具、ウィリアムの懐中時計(破損)
[所持金]:なし
[思考・状況]基本方針:マスターの意志を尊重しつつ、生き残らせる。
0:…にちか。
1:田中摩美々と再契約を果たす。任された。
2:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)への復讐を果たす。
3:武装が心もとない。手榴弾や対AT地雷が欲しい。ハイペリオン、使えそうだな……
4:少しだけ、小隊長のことを思い出した。
[備考]※圧力鍋爆弾、火炎瓶などは現地のホームセンターなどで入手できる材料を使用したものですが、アーチャーのスキル『機甲猟兵』により、サーヴァントにも普通の人間と同様に通用します。また、アーチャーが持ち運ぶことができる分量に限り、霊体化で隠すことができます。
アシュレイ・ホライゾンの宝具(ハイペリオン)を利用した罠や武装を勘案しています。
田中摩美々と再契約を結びました。

田中摩美々@アイドルマスター シャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、ところどころ服が焦げてる
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:白瀬咲耶の遺言(コピー)
[所持金]:現代の東京を散財しても不自由しない程度(拠出金:田中家の財力)
[思考・状況]基本方針:叶わないのなら、せめて、共犯者に。
0:おやすみなさい。素敵な緋色のあなた。
1:もう一人の蜘蛛ではなく、そのマスターと話がしたい
2:プロデューサーと改めて話がしたい。
3:アサシンさんの方針を支持する。
4:咲耶を殺した人達を許したくない。でも、本当に許せないのはこの世界。
[備考]プロデューサー@アイドルマスターシャイニーカラーズ と同じ世界から参戦しています
※アーチャー(メロウリンク=アリティ)と再契約を結びました。

櫻木真乃@アイドルマスターシャイニーカラーズ】
[状態]:疲労(大)、精神的疲労(大/ちょっとずつ持ち直してる)、深い悲しみ、強い決意、サーヴァント喪失
[令呪]:喪失
[装備]:なし
[道具]:予備の携帯端末
[所持金]:当面、生活できる程度の貯金はあり(アイドルとしての収入)
[思考・状況]基本方針:どんなことがあっても、ひかるちゃんに胸を張っていられる私でいたい。
0:――ひかるちゃん。私、もうちょっと頑張ってみるね。
1:優しい人達に寄り添いたい。そのために強くありたい。
2:あさひくんとプロデューサーさんとも、いつかは向き合いたい。
3:アイさんたちがひかるちゃんや摩美々ちゃんを傷つけるつもりなら、絶対に戦う。
[備考]
星野アイ、アヴェンジャー(デッドプール)と連絡先を交換しました。
プロデューサー田中摩美々@アイドルマスターシャイニーカラーズと同じ世界から参戦しています。

【セイバー(宮本武蔵)@Fate/Grand Order】
[状態]:ダメージ(中)、霊骸汚染(中)、魔力充実、 令呪『リップと、そのサーヴァントの命令に従いなさい』
[装備]:計5振りの刀
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]基本方針:マスターである古手梨花の意向を優先。強い奴を見たら鯉口チャキチャキ
0:梨花を助ける。そのために、まずは…
1:おでんのサーヴァント(継国縁壱)に対しての非常に強い興味。
2:アシュレイ・ホライゾンの中にいるヘリオスの存在を認識しました。武蔵ちゃん「アレ斬りたいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。でもアレだしたらダメな奴なのでは????」
3:櫻木真乃とアーチャーについては保留。現状では同盟を組むことはできない。
4:あの鬼侍殿の宿業、はてさてどうしてくれようか。
5:アルターエゴ・リンボ(蘆屋道満)は斬る。今度こそは逃さない。
※鬼ヶ島にいる古手梨花との念話は機能していません。

時系列順


投下順


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118:タイムファクター(前編) 櫻木真乃 129:THE DAY 新時代:オリジン
118:タイムファクター(前編) アーチャー(メロウリンク=アリティ) 129:THE DAY 新時代:オリジン
118:タイムファクター(前編) 七草にちか(騎) 129:THE DAY 新時代:オリジン
ライダー(アシュレイ・ホライゾン)
118:タイムファクター(前編) 田中摩美々 129:THE DAY 新時代:オリジン
118:タイムファクター(前編) セイバー(宮本武蔵) 129:THE DAY 新時代:オリジン

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最終更新:2022年09月30日 23:13