自由党(じゆうとう)は、かつて存在した日本の
国政政党。
1980年から2009年まで一党優位体制を築いた「80年体制」で著名である。
| 設立年月日 |
1975年4月 |
| 前進政党 |
共和党/保守党 |
| 解散年月日 |
2023年11月 |
| 解散理由 |
党分裂のため |
| 後継政党 |
日本民主党や協同党など |
| 政治思想 |
右派・中道右派・中道左派・自由主義・国際協調主義・大規模与党主義 |
| 機関紙 |
自由新報 |
概説
日本における新自由主義の発展と社会検証を目的として、右派勢力の共和党と保守党が対等合併したことにより発足。不安定とされていた三極政治が終焉を迎え二大政党制への大きな転換を実現させた。1980年から2009年に至るまで、一貫して政権政党の座にあり続け、主要諸国が経済失策で政権交代を乱発される中、大胆なシフトチェンジにも成功した。しかしその政党的な大きさから、党内党と呼ばれる派閥政治が横行。リーダーを多く抱えすぎた自由党は2010年代に空中分解を引き起こし、2023年には完全に正解の地図から姿を消した。しかしその実、2020年代後半から2030年代前半にかけた政党乱立時代に、党代表のほぼ全員が自由党出身者であるという事実を付け加えなければならない。
組織
歴代党首
歴史
1975年4月、右派政策を掲げる保守党と共和党が対等合併したことによって成立した
国政政党。結党後、党則策定委員会によって党則が定められたが、その後幾度となく改定が行われている。
党首 党首、副党首が党務の最高責任者である。結党当初、党首は党幹部会(党五役及びほかの幹部、閣僚で構成)によって選任されていたが、党勢拡大による党員増加で党大会に選任を委ねることになった。第7代の室堂卓二以降は、任期3年で党大会によって選任されることになる。副党首は明確な基準が定められておらず基本的には空席の場合が多いため、任期は総裁に準ずるものとされてきた。
自由党の派閥政治
立党当初
- 自由党は、共和党と保守党が合併した関係から、一時期、14の党内派閥が乱立するという事態に陥った。
- 旧共和党の雄伯会、同志会、玄徳会という3派閥、旧保守党の政風会が非常に強大な勢力を持つ4大派閥となる。
- 共同代表制が敷かれる中、雄伯会は強大な勢力を誇り、1976年に保守研を吸収。
新派閥の成立
- 党人派の片山愛康は、自身の出身派閥である日成会を飛び出し、新派閥の治水会と、官僚派による「青洲会」も勢力を伸ばした。その最中、長期政権でインパクトを残した船中勉が率いる「華政クラブ」が台頭。2000年代は、派閥乱立の時代として大きな影響を与えることになる。それ以降も、派閥政治の影響は色濃く残り、派閥の形は、政界再編後の小規模政党へと姿を変えることになる。
派閥一覧
最終更新:2025年10月22日 22:54