福島康夫(ふくしまやすお、1923年11月-1992年8月)は、日本の実業家。
来歴
1923年11月、
東京都出身。幼いころから文学に触れ、文筆家の道を志す。しかし裕福な家庭ではなく、都立中学校卒業後に
陸軍へ入営。水戸の
第42歩兵連隊に配属。
南方戦線への出兵を経験。南方で転戦を続ける中で熱射病を患い入院。1945年に軍紀違反を問われて
沖縄県の
軍法刑務所に入獄する。1945年10月、
陸軍刑法廃止に伴って釈放。
釈放後、帰国の命令が下って復員。1946年8月にやっと復員すると、水戸で法律家として活躍していた叔父の
太田幸康が開業していた「太田書士法律事務所」で事務員として勤務を経験。事務員の傍ら、コツコツと文筆業を始めることになる。1953年に発覚した
東洋クラブ事件で、
東洋産業金融からの顧問収入を絶たれたことなどが原因で事務所が倒産。一転して無職となる。
文筆家として知り合っていた小説家の
前原旭の紹介で、
慶応義塾大学の大学出版会に臨時雇いとして入職。1954年には、大学事務局で事務職員となる。1956年、文筆家として新人賞を一度も取れなかったことから、文学の道をあきらめて北の大地に渡る。1957年、
慶應義塾大学附属慶応札幌高等学校の事務職員となる。
1960年、
半田南吉食品工業社(後の
ハンナン)へ入社。営業部札幌営業所で勤務を開始する。営業マンから一転して工場管理業務に移動。これ以降、食品畑と呼ばれるメンバーに支えられて福島派を率いることになる。本社では、
半田南吉の後継者であり、3代目社長を目指していたが、国際事業への造詣が深い福添派との社内政治に敗れる。1966年から
帯広ファーム社長に就任。1970年から本社取締役を兼職。1975年4月から
梶田真正に次いで、
ハンナンフーズ苫小牧社長を専任。1978年に
金田宗一郎の社長就任に伴って追い出されることになる。
経歴
1923 |
11 |
東京都・出身 |
1936 |
3 |
小学校・卒 |
1939 |
3 |
中学校・卒 |
|
4 |
陸軍・入営 |
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|
陸兵・任官 |
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|
第13師団教育総隊第2教育小隊 |
1940 |
10 |
第42歩兵連隊第3歩兵小隊 |
1942 |
4 |
陸軍上等兵・昇任 |
1943 |
12 |
入院(-1944.9) |
1944 |
11 |
第42歩兵連隊第5歩兵小隊 |
1945 |
1 |
陸軍兵曹・昇任 |
|
3 |
第42歩兵連隊第5歩兵小隊・班長 |
|
6 |
入獄(沖縄県・軍法刑務所) |
|
10 |
釈放 |
1946 |
12 |
太田書士法律事務所・入所 |
1953 |
8 |
退職 |
1953 |
11 |
慶応出版会・入職 |
|
|
臨時雇い職員 |
1954 |
4 |
慶応義塾大学事務局・入社 |
|
|
学生支援部就職課 |
1957 |
4 |
慶応義塾大学附属慶応札幌高等学校事務職員 |
1960 |
8 |
半田南吉食品工業社・入社 |
|
|
営業部札幌営業所 |
1961 |
4 |
帯広ファーム場内職員 |
|
10 |
帯広ファーム管理部 |
1962 |
10 |
帯広ファーム管理部・次長 |
1964 |
4 |
製造本部品質管理部長 |
1965 |
4 |
帯広ファーム統括マネージャー |
|
10 |
株式会社帯広ファーム代表取締役社長 |
1970 |
4 |
ハンナン取締役・業務本部長・帯広ファーム社長 |
|
10 |
ハンナン常務取締役・業務本部長・帯広ファーム社長 |
1973 |
4 |
ハンナン常務取締役・経営戦略本部長・帯広ファーム社長 |
|
10 |
ハンナン取締役・帯広ファーム社長 |
1975 |
4 |
ハンナンフーズ苫小牧代表取締役社長 |
1978 |
9 |
退職 |
最終更新:2025年08月09日 23:13