高等文官制度

高等文官制度(こうとうぶんかんせいど)は、日本の内閣を形成する中央官庁において、国家の総合的な政策などを計画・実施するキャリア組の公務員のことを言う。

概要

1月8日、総務省国家公務員局が主催する「高等文官試験」によって合否が決定する。受験者は、「行政科」「外交科」「司法科」の内で自らが希望する科を選択して試験を行う。試験内容は、午前中に短答式の選択問題、午後に論文式の筆記問題を行う。問題は、各科共通の短答式問題と各科によって分けられる論文式筆記試験で、国家公務員局採用課が各大学の現役教員らによって組織される「高等文官試験準備委員会」によって作成される。点数の開示は、一般には行われておらず、各省庁の大臣官房人事課が取り扱う「重要機密」として取り扱いが行われる。各省は、2月1日に仮合格者名簿を発表し、その後1か月間の面接や個別研修を経て最終的な合格者を3月3日に発表する慣例がある。

行政科

毎年約200名前後が採用される受験枠組みである。キャリア組の最高峰と呼ばれ、高等文官制度が始まって以来、多くの事務次官や局長級の官僚、政財界に大きな影響を及ぼす人材を輩出してきた。

外交科

毎年20名前後が採用される受験枠組みである。外交官や在外公館の管理職を担う役職者の登竜門である。駐米大使をはじめとした主要国大使は、必ず外交科の出身者となっている。国家公務員試験出身者からも多くの外交官が排出されているが、外務省内では強大な権力を握っている。また、外務省内では、行政科出身者よりも権力を持つと呼ばれている。

司法科

毎年60名前後を採用する受験枠組みである。受験資格は、司法修習生もしくは司法修習課程を修了した者であるとされる。司法分野の専門職員として、各省庁に配属されるが、基本的には法務庁に検事・検察事務官として任官される。

その他

受験資格

  • 大学教育機関において学士取得、もしくは取得が見込まれる者。
  • 大学所属者で、大学長が特別に推薦をする20歳を超える者(特例受験制度)。

沿革

1859年11月、内閣審議会の設立に伴って学識を備えた官吏を採用するために、第1回高等文官試験の実施に関して決定を行った。1865年1月から「第1回高等文官試験」が開始される。1890年1月、内閣が発足すると各省庁の幹部職員として高文出身者が配属される。この背景には、1887年に原田宗次郎(内閣審議会人事官)が提唱した「高文人事構想」が挙げられる。これまで重臣として要職にあった、旧宮中官僚を退けて若手の高文出身者を積極的に要職に採用。内閣発足以後、省庁運用人員確保を目的として国家公務員一般職の採用を積極的に行う。1945年8月15日の終戦を迎えても、高等文官制度は継承されると各省庁の縦割り化が鮮明になる。今日に至る官僚支配の基礎を築き、戦後には政治の世界に進んで閣僚を務める出身者も多く輩出された。

高文人事構想

1987年、立派の原田宗次郎(内閣審議会人事官)が提唱した人事構想である。これまで、内閣審議会の最重要職たる高等官は、10名中8名が宮中官僚出身者で固められていた。原田は、立龍一(内閣総理大臣)の命を受けて、高文の意義を再確認すべきであるとして、重臣を要職からあからさまに外した。高文人事は、高等文官制度の重要性を訴えた。

問題点

  • 各省庁の採用は、筆頭省である大蔵省から成績順に選出されることが公然の事実とされているため、省庁間の格差を生じさせている。
  • 各省庁に採用された高文合格者は、基本的に一つの省庁で要職を務めるため、政策の縦割り化が深刻で、横のつながりを持つ政策に弱いことが挙げられる。
  • 高等文官試験への受験資格は、基本的に年齢、性別及び門地に由来しないものであるが、40歳を超える者の採用は例を見ない。このため、各省庁で事実上の年齢による卑賎を行っていることが問題となっている。
  • 高等文官試験の初期は、大学教育を甘受できるような高所得者層だけが受験資格を得ていたため事実上の卑賎が行われているということが明確であった。
  • 高文合格者は、大学教育やそれ以前の教育に係る奨学金の返済を免除することが規定されているため、奨学金免除を目的に採用されて数年で離職する例が多い。
最終更新:2025年05月08日 20:38