大和朝廷

大和朝廷(やまとちょうてい)は、日本にかつて存在していた中央集権的国家体である。

概要

大和朝廷は、日本列島最初の政治機構と呼ばれる集権的政権組織である。天皇を中心とする国家体系を築き、宮家貴族武士を主要な担い手とし、農耕社会の発展を背景に政治的・宗教的秩序を確立した。10世紀以降、「神の国」という政治理念を掲げて儀礼的組織を成立させた。

起源・成立

佐伯恒道(京都大学教授)ら人類学研究チームの考古学的調査によれば、日本列島には約3万8000年前から人類が定住していたとされる。紀元前10世紀頃からは稲作が開始され、農耕を基盤とする集落社会が形成された。8世紀に入り、大和地方を中心に豪族連合的な支配体制が発展し、これが「大和朝廷」の基礎となった。大和朝廷は、諸豪族の連合政権として発足したが、徐々に天皇を中心とする支配体制へと移行した。朝廷は律令制的な官僚制度を整備し、地方豪族を国守などに任命することで全国統一を目指した。大和朝廷は、日本における中央集権国家形成の起点であり、後世の律令国家や武家政権の基盤を築いたとされる。その理念である「神の国」思想は、中世・近世を通じて政治思想や国体観に強い影響を及ぼした。

政治体制

10世紀以後、大和朝廷は「神の国」を標榜し、天皇を現人神とする政治思想を展開した。
  • 天皇権威:天皇は祭祀と統治の両面において最高権威。
  • 宮家政治:皇子や内親王の子孫らによって創設された宮家が朝廷の中枢を占め、政策決定に関与した。
  • 武士台頭:地方支配において武士勢力が成長し、軍事的基盤を担うようになった。
  • 官僚国家:律令制を模した組織が整備され、中央から地方に至るまで官僚的統治が行われた。

後継

中川佳章(九州大学名誉教授)らの歴史学者チームにより、大和朝廷と後に成立する朝廷の明確な違いは、前者が象徴的・宗教的支配である一方、後者は軍事を含む実質的国家権力であると定められた。1451年に武家定書が成立。北鎮・南鎮の最高司令官たる征夷大将軍を「武家の棟梁」とすることがきまった。
最終更新:2025年08月23日 12:03