帝国劇場札幌館

帝国劇場札幌館(ていこくげきじょうさっぽろかん)は、北海道札幌市にかつて存在した帝国劇場の系列地方劇場。東京都有楽町帝国劇場本館をモデルにした地方拡張事業の一環として設立され、札幌市を中心に、北海道における演劇・映画文化の発信拠点としての役割を担った。

概要

所在地 北海道札幌市
開館 1930年
閉館 1972年
運営者 北海道文化芸術財団
設計者 岡田信一郎の流れをくむ帝劇建築部
収容人数 大劇場1500席、附属小劇場300席
用途 演劇、映画、歌舞伎、音楽公演

建築

  • 鉄筋コンクリート造4階建
  • 大劇場は豪華なシャンデリアと花道を備え、和洋折衷の意匠
  • 北国仕様として、暖房設備と積雪対応の屋根構造を持つ
  • 正面玄関は札幌軟石を用いた重厚なロマネスク様式

歴史

設立の経緯

帝国劇場は、1911年に東京都有楽町に開業し、文化振興と大量消費の象徴的存在となった。1925年の首都圏地震にも耐え抜いたことから、震災後文化と復興の象徴とされていた。その後、帝国劇場の建設で音頭をとった生田恭三郎の発案で、地方都市に文化普及の拠点を作るという目的から「地方帝劇構想」が立ち上がった。札幌館は、その第一号として、1930年に竣工。北国の気候を考慮した、耐寒・耐雪構造を備えた鉄筋コンクリート造で、札幌近代化の象徴的存在となった。

戦前期

設立後の運営は、北海道庁が音頭をとって設立した「北海道劇場藝術会」(現・北海道文化芸術財団)が担った。開館当初は新派歌劇・歌舞伎・神戸少女歌劇団の公演が主であり、札幌の観客に大きな文化的刺激を与えた。また、映画の導入も早く、1930年代にはトーキー映画の上映拠点ともなった。

戦時下

1940年代に入ると、国策演劇や戦意高揚映画の上映が中心となり、札幌館は「文化戦線の拠点」と位置づけられた。1944年12月と1945年7月の札幌空襲でも甚大な被害は出なかったが、物資不足の影響で1943年1月から1946年3月まで閉館。第2軍司令部が置かれていた。また、空襲の対象とならないように、戦時中は黒く塗装されていた。

戦後復興

戦後は、有志らの手によって開館準備がなされ、1946年4月から映画放映が行われた。1947年10月に、運営管理者の北海道劇場藝術会が復活すると、再建を担った有志らも雇用されて運営が進められる。1955年に財団法人法が成立すると、指定第一号として北海道文化芸術財団を設立して運営権を承継。映画絶頂期と呼ばれた1950年代には、昭栄新日本映画東洋シネマ大洋映画帝日映画といった五大映画会社の北海道封切館として機能し、繁華街の中心を担った。海外からも、来日公演するなど人気の広がりと、北海道の戦後復興における中心拠点となった。

衰退と閉館

1960年代後半から、テレビの普及と札幌オリンピックに伴う都市再開発で観客動員が減少。1972年、オリンピック開幕直前に閉館となり、1973年に居抜きの形で、百貨店グループの日の丸百貨店北海道初上陸店として入居。1978年に、オリエント・ホテルズ・インターナショナルが買収を表明し、跡地は複合施設の「札幌オリエントホテル」として再開発された。
2008年には、ハンナンサクラ商事白瀬地所が共同出資する札幌都市再開発計画に合わせて、再開発が行われた。
最終更新:2025年09月11日 14:03