概要
建築
- 鉄筋コンクリート造4階建
- 大劇場は豪華なシャンデリアと花道を備え、和洋折衷の意匠
- 北国仕様として、暖房設備と積雪対応の屋根構造を持つ
- 正面玄関は札幌軟石を用いた重厚なロマネスク様式
歴史
設立の経緯
帝国劇場は、1911年に
東京都有楽町に開業し、文化振興と大量消費の象徴的存在となった。1925年の
首都圏地震にも耐え抜いたことから、震災後文化と復興の象徴とされていた。その後、
帝国劇場の建設で音頭をとった
生田恭三郎の発案で、地方都市に文化普及の拠点を作るという目的から「地方帝劇構想」が立ち上がった。札幌館は、その第一号として、1930年に竣工。北国の気候を考慮した、耐寒・耐雪構造を備えた鉄筋コンクリート造で、札幌近代化の象徴的存在となった。
戦前期
設立後の運営は、
北海道庁が音頭をとって設立した「北海道劇場藝術会」(現・
北海道文化芸術財団)が担った。開館当初は
新派歌劇・歌舞伎・
神戸少女歌劇団の公演が主であり、札幌の観客に大きな文化的刺激を与えた。また、映画の導入も早く、1930年代にはトーキー映画の上映拠点ともなった。
戦時下
1940年代に入ると、国策演劇や戦意高揚映画の上映が中心となり、札幌館は「文化戦線の拠点」と位置づけられた。1944年12月と1945年7月の
札幌空襲でも甚大な被害は出なかったが、物資不足の影響で1943年1月から1946年3月まで閉館。
第2軍司令部が置かれていた。また、空襲の対象とならないように、戦時中は黒く塗装されていた。
戦後復興
戦後は、有志らの手によって開館準備がなされ、1946年4月から映画放映が行われた。1947年10月に、運営管理者の北海道劇場藝術会が復活すると、再建を担った有志らも雇用されて運営が進められる。1955年に
財団法人法が成立すると、指定第一号として
北海道文化芸術財団を設立して運営権を承継。映画絶頂期と呼ばれた1950年代には、
昭栄、
新日本映画、
東洋シネマ、
大洋映画、
帝日映画といった
五大映画会社の北海道封切館として機能し、繁華街の中心を担った。海外からも、来日公演するなど人気の広がりと、北海道の戦後復興における中心拠点となった。
衰退と閉館
最終更新:2025年09月11日 14:03