大学寮

大学寮(だいがくりょう)は、かつて存在した日本の高級官僚養成機関。湯島大学校東京大学京都大学慶應義塾大学の前身にあたる。

概要

大学寮は、1775年に近衛府で建議された「大学寮設立建白の義」が内大臣の裁可を受けて、1780年に設置された本格的な高級官僚養成機関である。

建議

1772年、皇籍令が発布され、宮家の権力を権勢の根源としていた有力な宮中官僚が京都を去り、宮中官僚削減が達成される。その一方、これまでの地位継承から脱した新しい宮中官僚育成機関設立が求められた。1775年には、近衛府において「大学寮設立建白の議」が建議され、内大臣の裁可を受け、大学寮設置が進められることになる。

歴史

1775年 「大学寮設立建白の議」が裁可
1780年 大学寮・開設
初代総裁:大森兼親(紀州新宮藩主・近衛府参与)・就任
教授頭:伴五薹(明倫社出仕)・就任

研究・教育組織

組織

主教授 各方の最高責任者
教授 各方に数名置かれる研究・教育の中核的役割を持つ
助教 各方に数十名置かれ、教授を補助する
講究官 研究を主に行う専任の研究職
教学官 教育を主に行う専任の教育職、藩校教授への道が開かれやすい
修学徒 藩校から推薦されて大学寮にて教育を受ける学生

幹部名簿

歴代総裁

任期 前職 後職 備考
1 大森兼親 1775年~1783年 紀州新宮藩藩主・近衛府参与 中興の祖
2 清水恒雅 1783年~1789年 林門家出仕の儒学者 朱子学を正統学問として整備
3 中院資孝 1789年~1794年 藤井寺宮家出仕の儒学者、中院宮家出身 京都学派の開祖
4 藤原定栄 1794年~1800年 岡藩主、豊後藤原宮家5代目当主 律令制研究の中心人物
5 吉川経純 1800年~1806年 安芸竹原藩主、安芸吉川宮家3代目当主 地方からの俊才を登用
6 大内正道 1806年~1811年 守屋家出仕の儒学者 実学導入で貢献
7 松平信章 1811年~1817年 松平家出身 登用試験制度を導入
8 日野資富 1817年~1822年 膳所藩主・近衛府参議 和歌と国学を尊重
9 山科成豊 1822年~1828年 山科藩 万葉集を必修化
10 林常倫 1828年~1834年 上方林家当主 朱子学を再興
11 菅原在温 1834年~1839年 小浜藩主・近衛府蔵部長官 記紀研究の第一人者
12 藤原隆英 1839年~1843年 近衛府書陵部長官
13 戸田尚郷 1843年~1848年 近衛府書陵部長官 蘭学発展に貢献
14 柳原資雅 1848年~1851年 高田藩主、柳原宮家出身 天文事件で失脚
15 一条雅経 1851年~1854年 綾部藩主、一条宮家出身 海防論に成果
16 藤堂恒明 1854年~1856年 鳥羽藩主、藤堂宮家出身 開明派に賛同
17 阿野資房 1856年~1858年 大学寮教授頭、上流林家出仕 尊皇派の重鎮
18 鷲尾有礼 1858年~1860年 大学寮教授頭、鷲尾宮家出身 最後の総裁

歴代教授頭

1 伴五薹 1780年~1783年 萩藩明倫社出仕 学匠の二つ名を持つ、当代一流の儒学者
2 中院道長 1783年~1786年 文章方主教授、中院宮家出身 礼学の第一人者
3 清原宗章 1786年~1789年 物産方主教授、清原宮家出身 地方出身者を登用
4 藤波公衡 1789年~1792年 近衛府蔵部主官
5 小槻頼孝 1792年~1795年 近衛府録部次官
6 三條公致 1795年~1798年 飯田藩成章館教授
7 花園常房 1798年~1801年 丹波柏原藩花園館教授、花園宮家出身 公文書整理に定評
8 高辻宗勝 1801年~1804年 医学方主教授
9 橘廉通 1804年~1807年 文章方主教授、橘宮家出身 文芸教育の第一人者
10 源雅賢 1807年~1810年 衛士府少将、源宮家出身 武門から登用
11 土御門頼馨 1810年~1813年 陰陽方主教授、土御門宮家出身 陰陽道の第一人者
12 藤原基温 1813年~1816年 大洲藩家老、止善堂総裁
13 滋野井孝信 1816年~1819年 律令方主教授、滋野井家当主
14 中御門昌輔 1819年~1822年 近衛府録部主官、中御門宮家出身
15 大江実相 1822年~1827年 天文方主教授、天才儒学者:大江国許の子
16 唐橋兼雅 1827年~1828年 近衛府蔵部主官
17 壬生忠尚 1828年~1831年 衛士府少将、壬生宮家11代目当主 礼砲の懸案者
18 近衛昌顕 1831年~1833年 近衛府書陵部次官、摂関家の流れを持つ名門
19 阿野資房 1833年~1835年 上流林家出仕の儒学者 国学の発展に貢献、のちに再任
20 広橋隆観 1835年~1837年 近衛府芸図部主官、広橋宮家出身 奏者の出身者
21 源忠雅 1837年~1839年 衛士府少将、源宮家出身
22 中山公富 1839年~1841年 天文方主教授
23 藤原孝郷 1841年~1843年 算用方主教授、藤原宮家出身
24 伊勢貞成 1843年~1845年 丸亀藩敬止館教授
25 花山院教相 1845年~1847年 近衛府芸図部次官、花山院宮家出身 雅楽に貢献
26 広幡経通 1847年~1848年 近衛府書陵部主官、広幡宮家出身 古文書研究に貢献
27 勧修寺定紀 1848年~1849年 鎌倉勧修寺門主、勧修寺宮家出身
28 大鳥百藝 1849年~1851年 洋文方主教授 天文事件で暗殺死
29 阿野資房 1851年~1856年 近衛府参与 のちに大学寮総裁
30 中御門経亮 1856年 近衛府録部次官、中御門宮家出身 中御門昌輔の子、親子二代
31 鷲尾有礼 1856年~1858年 近衛府文館部次官、尾鷲宮家出身 のちに大学寮総裁
32 徳大寺光衡 1858年~1860年 文章方主教授、徳大寺宮家出身 のちに湯島大学校学長
最終更新:2025年10月04日 23:39