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志藤十慈

志藤十慈(しとうじゅうじ)〈1944.5~2022.6〉は、政治家秘書、コンサルタント事務所の四十会最高顧問。

来歴

生い立ち

1944年5月、群馬県の貧農に生まれる。地元の名士であった矢内信彦の養子となり、養父とともに戦後の東京に出る。東京高等工学校卒業後、横浜ゴムへ入社。技術屋として働いたのち、1969年に養父が設立したばかりのヤナイ企画へ入社。父の秘書や兄と慕う矢田武富の運転手を務めた。1970年代には、ヤナイ企画のアメリカ事務所勤務となって、矢田の対米交渉をサポートした。

政治家秘書

1982年から、片山内閣厚生労働大臣を務める曽根昭の私設秘書となる。曽根事務所への陳情処理が担当となり、この際に財界の要人らと情報交換を行う。その後、青洲会の派閥秘書となり、派閥の事務畑を支えた。特に、青洲会で出世した若手政治家の面倒を見ることになる。代表を務める内原幸徳の最側近の一人で、女帝・清水ミチ子との縁もあって、政界の裏事情を知る情報屋としての役割を担った。また、青洲会の支援者であった東京ビル社長のカネハラ・ミチヨと通じて、政界にも大きな影響を及ぼす代々木海運会館建設やニュー新宿ホテル建設に関与した。自由党の派閥政治の中枢にありながら、その素顔はほとんど見えないものであった。

四十会

1993年、カネハラ・ミチヨ東京タクシー長田琉成社長から資金的支援を受けて、政策コンサルへの転身を図ることになる。企業と政治をつなぐ政策コンサルタントとして活躍し、若き日の島田雄太郎(後の新青洲会会長)や、奥田のふ彦(アジアタンカー社長)、神原新輝(生田海運社長、日本廻船造船協会会長)などの優良顧客を抱えた。ヤナイ企画が参画していたメディア業界にも参入しており、女優の上田はるかや、俳優の野念卓三(野原プロ代表)、歌謡界の大スターである原紅葉なども顧客に名を連ねる。角界からは、後に友乃江部屋を構えて日本相撲協会理事長を務める友乃江岬角がコンサルを依頼するなどの関係があった。

役職など

最終更新:2025年12月10日 20:55