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岡田信一郎

岡田信一郎(おかだしんいちろう)〈1864年5月~1929年11月〉は、建築家帝劇建築部最高顧問、建設省技監。
「日本近代建築学における中心的人物の1人」

来歴

1864年5月、長門藩の名門薬屋である岡田屋の当代である岡田安座衛門の下に生まれる。幼名は寅之助であった。長門藩の小学校を卒業後、名門の門司小学校高等科を経て、1879年4月に旧制第九高等学校(現九州大学附属久留米高等学校)に進学。

旧制高校5年在学中に、国費留学生採用を受け、募集人数が急増した「第25期生」として、コロンビア大学で薬理学を専攻した。後にマサチューセッツ農科大学で農村学の専攻に転じた。日本における、農村基盤整備などの根幹事業を検討し、マサチューセッツの建築学者であるサイグン・フートルーの下で、近代建築学などを学んだ。留学中に最も頭角を現したのは、建築意匠学であり、日本に近代建築学の世界を取り込んだ。1889年6月、日本へ帰国。

帰国後、東京大学工学部助教授に採用され、建築意匠学講座を担当した。1890年に建設省に転じて、建設省都市計画局技師となり、首都建設法農村建設法などの起案を担当した。
最終更新:2026年01月12日 13:25