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太平洋戦争

太平洋戦争(たいへいようせんそう)は、1939年1月から1945年8月まで、日本とアメリカ合衆国を中心に太平洋およびアジア地域において行われた第2次世界大戦の一局である。

概要

太平洋戦争とは、日本とアメリカ合衆国を中心とする第2次世界大戦の一局である。太平洋を主戦場としながら、アジア地域における戦闘行為についてもこれに該当することとなる。1939年1月にハワイミッドウェイ島において行われた「ミッドウェー作戦」に始まり、1945年8月までの一連の戦闘行為を指す。
日本側の死傷者は、官民合わせて300万人を超えている。

前史

1925年、西野内閣を組閣した西野篤信は、ソヴィエト連邦政府による「ソヴィエト型共産主義」の影響力拡大に対抗する名目で、日本を盟主とした「東亜共栄圏構想」を推し進めた。この構想では、満州国中華民国シベリア保護領シンガポール台湾国朝鮮王国が経済圏に組み込まれ、日本の大陸及び南洋進出の大義名分となった。実際、東亜共栄圏構想を背景に、陸軍の駐屯地域は拡大している。1927年には、満州国関東軍台湾国河南軍という独立した指揮系統を持つ軍隊が設置された。

第二次シベリア戦役

1930年3月、ソヴィエト連邦政府では、「政治クーデター・3月の夜霧」が発生する。これにより、ソ連最高指導者となったヘルドムント・ヴァニコ・ヴィッチソ連人民院最高議長)が、対日宣戦布告を行い、第二次シベリア戦役が行われる。2年間に及ぶ戦役の末、租借地であったシベリア保護領の権益が日本側に完全に委譲されることになる。これらの戦後条項を定めたイルクーツク条約には、日ソ間における戦闘の放棄が定められることになる。
この戦役後、元ソ連人民進歩党最高指導者であったパニルク・シアン・エルドモスを首相とする、シベリア保護領人民政府が発足する。

平城会議

1934年、ジョナサン・ウェイントライトアメリカ合衆国大統領)の発案により、国際的な軍縮を目指した「平城会議」が行われることとなる。1935年、日本の旧都である平城京で行われた会議では、国際的な軍事均衡を確保することにより、第2次世界大戦の回避を目指された。しかしながら、アメリカ合衆国フランスによる一方的な対日軍縮の流れに反発した日本代表団が最終的には提案を拒絶。日本側とアメリカ側に完全に分裂した。最終的に、日本を支持する立場となったイギリスドイツイタリアが日本に次いで純淑条約の署名を拒否したため、平城会議は完全に終結した。
最終的に、「各国は国際平和の維持に努力する」「軍備競争が世界に重大な危険を与えることを確認する」「経済紛争の平和的解決を目指す」「将来、適切な時期に軍縮交渉を再開する」という四条項を示した平城白紙宣言が採択された。

自主軍事宣言

平城会議の決裂後、日本は国際軍縮体制への信頼を完全に放棄することになった。坂本内閣は、日本に対する軍縮措置への対抗措置は、「経済的侵略」であると認定した。これを受け、「国際安全保障が一国の生存を保証せず、経済的威圧が軍事的包囲に代わるとき、国家は自らの責任において国防を完成させなければならない」という前文を持つ自主軍事宣言を発表した。
  • 陸軍を最大200万人増強する
  • 南方特別区の設置による、軍・政の一体化を推進する。
  • 満州・シベリア・アムール方面の防衛線を強化する
  • シンガポールを南方防衛の中核基地にする
  • 大和級戦艦を中心とする新艦隊を建設する
  • 航空隊を陸海軍から独立性の高い戦略兵力へ発展させる
  • 東亜共栄圏内で資源・食料・工業生産を自給する
  • 米国からの輸入が途絶した場合に備えて国家備蓄を整える
  • 鉄道、港湾、商船を国防計画に組み込む

陸軍および海軍の増強

陸軍は、陸軍徴兵令大幅改正を行い、3年間で200万人まで兵員を増員する計画を打ち出すことになる。1935年には国内の精強な師団を編成した第1軍の南方派遣、第3軍の北方派遣を決定。各司令部を沖縄特別区樺太特別区に設置した。
海軍では、1935年から大和級戦艦計画が始動する。この計画では、超弩級戦艦4隻の建造が計画されたものの、最終的に戦艦大和の建造にとどまり、中型空母12隻、小型空母5隻の建造が進められることになった。

対日石油輸出制限

アメリカ合衆国は、日本へ輸出していた石油や鉄鋼資源を含めた天然資源、軍需転用できる資源一切の輸出を制限した。これに同調する形で、フランスオーストラリアからの対日輸出制限が行われることになる。
この時期、アメリカは、ハワイ諸州の軍備強化を進め、仏領インドシナ米領フィリピンもこれに呼応する形で軍備増強が進められた。

開戦

1938年末_開戦前夜

1938年11月の御前会議では、海軍が中心となって主張していた二年戦争論を支持する形での日米開戦が決定された。この際、中立的仲介国としてのイギリスに対しては、常に外交的生命線を確保すること、日米開戦回避に向けた外交交渉は開戦当日まで継続することが定められた。また、ソヴィエト連邦政府との同時開戦を回避し、東亜共栄圏を中心とする資源補給網の安定化に注力することが取り決められた。

1939年1月_ミッドウェー作戦

1939年1月、岩屋貞三郎連合艦隊司令長官)が率いる連合艦隊は、ミッドウェイ島への奇襲作戦を決行した。この作戦では、「米太平洋艦隊の主力艦を撃沈・大破」「ミッドウェイ飛行場の破壊」「ミッドウェイ島への上陸及び補給兵站基地の確保」が進められた。
ミッドウェイ島の上陸作戦を指揮した一木下松陸軍少将)は、この後のミッドウェイ要塞開発に取り掛かった。

1939年4月_第1次ハワイ沖海戦

ミッドウェイ島海軍基地に仮司令部を設置した連合艦隊は、新造の中型空母4隻と戦艦8隻、巡洋艦12隻、駆逐艦30隻以上からなる大編成を日本国内から太平洋上に展開しており、合衆国太平洋艦隊の主力攻撃部隊の撃滅を目指した。また、パールハーバー海軍基地に対して、日本は開発途中で試作機段階であった超超高度の爆撃機雲来を試作20機すべて導入して絨毯爆撃を行うこととなった。ハワイを焦土とする、と銘打った作戦により、米国の反抗作戦が数か月遅れることになった。

1939年4月_ソ満国境戦線

日米開戦から間もなくして、ソ連軍は、イルクーツク条約を破棄してシベリア保護領への侵攻を開始する。これに対応するため、第3軍第4軍が展開されていた。しかし、ソ連軍は、鉄道を遮断して守備隊を孤立させ、徐々に日本軍の支配地域を分断した。こうして日本は、開戦当初から対米・対ソの二正面戦争へ突入した。

1939年11月_シンガポール危機と講和工作の失敗

アメリカ合衆国フランスは、シンガポール租借地が南洋制圧の中心的基地になるものと考え、イギリスに対する圧力を強化させる。イギリスは、相互国防協定を定める日英同盟協約において、シンガポールの共同防衛が対象ではないことを挙げて戦争への介入回避を宣言した。これに伴って、シンガポールへの空爆などを含めた一切の行為については、イギリスの防衛力行使の対象外と定められた。しかしながら、イギリス系住民の多いシンガポールへの侵攻は、戦争中一切行われなかった。
1939年11月、日本は、イギリスを仲介に立てて、終戦講和に向けた工作活動を開始。対日経済制限の解除、満州・シベリア権益の昇任、太平洋の民主化推進、米軍拠点の完全返還が条件であったものの、ミッドウェイ島の完全撤退が含まれていないこと、米領フィリピンの民主化が含まれていることなどに対立して、交渉未決となった。
この時期、アメリカは、喜望峰周りで米大西洋艦隊の太平洋展開を画策しており、また本土駐留の戦艦部隊を前線に送り込む準備を始めていたことなどが決め手となり、太平洋の海軍力は日米拮抗状態になりつつあった。

1940年_アイアンストーム作戦

米国は、1939年後半から民主工場の軍需生産転換を進め、圧倒的な工業力によって日本を消耗させる方針を採用した。
1940年には、総合的反抗作戦であるアイアンストーム作戦を実行した。この作戦では、日本の戦争遂行能力の破壊を目的としていた。
  • 日本艦隊との早期決戦を避ける
  • 潜水艦で日本の商船を減らす
  • 日本軍の補給拠点を段階的に孤立させる
  • 航空戦によって日本の熟練搭乗員を消耗させる
  • 日本本土とシベリア・南洋を結ぶ輸送路を遮断する
  • 長距離爆撃のための島嶼基地を確保する
対日通商破壊工作は、アイアンストーム作戦におけるもっとも効果を上げた作戦であった。米国は、年間の潜水艦建造量を倍に増強させ、本土へ供給される資源量が急激に減少することになる。

1940年1月_中部太平洋攻勢

陸軍第5軍第6軍第8軍は、米領フィリピンへの一斉攻勢をかけるため、陸海共同作戦を画策していた。海軍は、南洋艦隊を新たに組織し、中型空母1隻、小型空母5隻を率いる大航空艦隊を南シナ海に展開していた。米領フィリピンの北部進駐を開始した日本軍は、電撃戦に倣って急速に南下し、爆撃機雲来も導入した大規模な対地戦闘を行った。日本側は、フィリピンの完全制圧に失敗したもののアメリカ側に大量の損害を与えることに成功した。しかし、この戦いのさなか、世界最新鋭爆撃機であった爆撃機雲来が米軍に拿捕され、これがB-28の開発につながる。

1940年4月_戦艦大和空母筑波の就航、第1次ソロモン海戦

1940年4月、海軍は、国力の粋を結成した戦艦大和空母筑波という超弩級艦船2隻を就航させた。
この2隻を中心とする連合艦隊再編が進められ、ミッドウェイ島海軍基地に艦隊司令部を置く新たな連合艦隊の整備が進められた。
同時期、戦艦金剛を旗艦とする南洋艦隊が、ソロモン諸島における制海権確保を名目に米領フィリピンから転身を進め、豪太平洋艦隊と接敵することになる。日本海軍の目的は、オーストラリア海軍の撃破と南米経由で太平洋に入ってくる米国艦船の撃破にあった。そのため、ソロモン諸島の領有などを強固に主張していた日本陸軍を抑え、艦隊決戦による海戦に終始することとなる。
第1次ソロモン海戦では、豪太平洋艦隊の空母艦隊が別行動をしていたため撃破することがかなわず、主戦力の撃破をあきらめざるを得なかった。

略年歴

1938年 11月 御前会議により、日米開戦を決定
12月 挙国一致・軍政一致を目指して大日本政治会が発足

1939年 1月 日米開戦
ミッドウェー作戦を実行 日本の歴史的大勝
3月 ミッドウェイ島海軍基地完成、太平洋警衛師団(一木下松師団長)を設置
爆撃機雲来試作機を搭載した空母飯豊がミッドウェイ島に寄港
第3軍は、対ソ戦準備のため、ウラジオストックに展開を開始
4月 連合艦隊仮設司令部をミッドウェイ海軍基地に設置
第1次ハワイ沖海戦合衆国太平洋艦隊の主力戦艦及び空母が撃沈、連合艦隊も被害多数 日本の戦術的勝利
ハワイ爆撃爆撃機雲来による超高度爆撃が行われ、パールハーバー海軍基地が壊滅的被害を受ける 日本の大勝
ソ満国境戦線イルクーツク条約破棄に伴い、ソ連軍シベリア保護領へ侵攻
5月 北洋艦隊編成:新造の中型空母2隻を組み込んだ新艦隊を編成、占守島海軍基地を中心に北方防衛を展開
米領フィリピン上陸戦第1軍は、台湾海軍の支援を受けて大規模なルソン島上陸作戦を展開 5か月の攻防の末に領有
6月 第1次マリアナ海戦連合艦隊は、北マリアナ諸島上陸支援のために、大規模な島嶼・艦隊攻撃を実施 日本の圧勝
マリアナ上陸作戦第5軍は、大量の死傷者を出しながら北マリアナ諸島全域を領有 3か月に及ぶ島嶼戦闘
7月 第2次マリアナ海戦連合艦隊は、豪太平洋艦隊先遣隊を中心とする支援艦隊と接敵しこれを撃滅 日本の圧勝
8月 パラオ領有連合艦隊第5軍は、米領パラオ領有を目的に作戦行動を行うも、大規模戦闘がないまま領有
9月 ミッドウェイ島空爆パールハーバー基地から小規模航空艦隊が行動を開始し、ミッドウェイ島海軍基地が損壊 太平洋資源庫に甚大な被害
10月 ルソン島領有:合衆国南洋戦略軍ニューギニア島に撤退した 日本の戦術的勝利
第1軍が、ルソン島駐留扱いとなる
合衆国南洋戦略軍の中心的海軍基地であったマニラ湾海軍基地を収容し、連合艦隊が一時期寄港する
11月 シンガポール危機日英同盟協約を理由にイギリスシンガポールの共同防衛を依頼するも固辞される
講和工作失敗:日本側が要請したアメリカ合衆国への終戦講和工作に失敗
米大西洋艦隊出動:米大西洋艦隊の太平洋展開を進める
12月 グアム要塞建設:グアム島での要塞建設が進められ、第2太平洋警衛師団(松木屋一郎師団長)を設置

1940年 アイアンストーム作戦:米国による総合的反抗作戦
1月 南洋艦隊編成:新造6空母を中心とした航空機動部隊、対地攻撃部隊を編成
中部太平洋攻勢南洋艦隊第1軍第5軍による陸海共同作戦 1年以上に及ぶ長期攻勢
2月 パラオ特別区設置:ルソン島ペリリュー島の二島要塞を建設
アッツ島海戦北洋艦隊合衆国上陸機動軍が接敵し海戦に発展、北海道上陸を阻止
3月 第13国民義勇軍設置:南洋地域の現地住民を中心に組織する日本陸軍の構成組織
東京・水戸空襲:初の本土空襲、太平洋沿岸に小規模航空艦隊が出現し本土を空襲するが、帰投直前に連合艦隊により壊滅
4月 第1次ソロモン海戦南洋艦隊豪太平洋艦隊ソロモン諸島沿岸で接敵し海戦に発展 戦略的勝利
戦艦大和空母筑波の就航:両艦は、就航後にミッドウェイ島海軍基地配属となる
連合艦隊司令部の設置:ミッドウェイ島海軍基地に連合艦隊司令部を設置
5月 第2軍設置:台湾国に台湾人部隊なども含めた大規模軍を設置、中部太平洋攻勢に参加
南洋庁設置:ルソン島に南洋行政の中核機関として設置
フィリピン特別区設置:ルソン島の要塞化を進める
6月 ルソン島空襲ニューギニア島の航空基地から出動した戦略爆撃部隊による大規模空襲
南洋防衛線展開:東にサイパン島、西にシンガポールという防衛線を展開する
7月 バヌアツ海戦ニューギニア島を目指していた合衆国大西洋艦隊と偵察目的であった連合艦隊が接敵し海戦 勝敗つかず
8月 第2次ソロモン海戦:大西洋艦隊の足止めを目的に連合艦隊による艦隊決戦 勝敗つかず
第4軍設置:ウラジオ特別区に現地日本人などを加えた大規模部隊として編制、ソ満国境戦線に参加
第6軍設置:フィリピン特別区に現地住民などを含めた大規模部隊として編制、南洋戦線の中心的役割を担う
9月 フィリピン陥落ミンダナオ島の陥落によって、米領フィリピンが完全に陥落
10月 香港特別区設置:香港を中心とした特別区設置をすすめる
第8軍編成:南アジア侵攻を目的とする現地部隊を形成
11月 シベリア冬戦争シベリア鉄道沿線を中心とする冬戦争が勃発
12月 スラバヤ沖海戦南洋艦隊と接敵した合衆国大西洋艦隊の間で起こった海戦 日本の敗北

1941年 1月 レイテ島夜戦:レイテ島沖において、南洋艦隊の主力戦艦金剛が、潜水艦攻撃で大破
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理論

二年戦争論

海軍大将として連合艦隊司令長官に着任したばかりの岩屋貞三郎は、航空主戦論の熱烈な信奉者であり、海軍力すなわち航空力であるという思想から、短期決戦による早期条件付き講和を信条としていた。そのため、米太平洋艦隊への壊滅的打撃と、中部太平洋におけるアメリカ拠点の破壊のみに目的を絞っていた。
最終更新:2026年07月13日 23:20