太平洋戦争(たいへいようせんそう)は、1939年1月から1945年8月まで、日本と
アメリカ合衆国を中心に太平洋およびアジア地域において行われた
第2次世界大戦の一局である。
概要
太平洋戦争とは、日本と
アメリカ合衆国を中心とする
第2次世界大戦の一局である。太平洋を主戦場としながら、アジア地域における戦闘行為についてもこれに該当することとなる。1939年1月に
ハワイミッドウェイ島において行われた「
ミッドウェー作戦」に始まり、1945年8月までの一連の戦闘行為を指す。
日本側の死傷者は、官民合わせて300万人を超えている。
前史
1934年、
ジョナサン・ウェイントライト(
アメリカ合衆国大統領)の発案により、国際的な軍縮を目指した「
平城会議」が行われることとなる。1935年、日本の旧都である
平城京で行われた会議では、国際的な軍事均衡を確保することにより、
第2次世界大戦の回避を目指された。しかしながら、
アメリカ合衆国や
フランスによる一方的な対日軍縮の流れに反発した日本代表団が最終的には提案を拒絶。日本側とアメリカ側に完全に分裂した。最終的に、日本を支持する立場となった
イギリス、
ドイツ、
イタリアが日本に次いで純淑条約の署名を拒否したため、平城会議は完全に終結した。
最終的に、「各国は国際平和の維持に努力する」「軍備競争が世界に重大な危険を与えることを確認する」「経済紛争の平和的解決を目指す」「将来、適切な時期に軍縮交渉を再開する」という四条項を示した
平城白紙宣言が採択された。
平城会議の決裂後、日本は国際軍縮体制への信頼を完全に放棄することになった。
坂本内閣は、日本に対する軍縮措置への対抗措置は、「経済的侵略」であると認定した。これを受け、「国際安全保障が一国の生存を保証せず、経済的威圧が軍事的包囲に代わるとき、国家は自らの責任において国防を完成させなければならない」という前文を持つ
自主軍事宣言を発表した。
- 陸軍を最大200万人増強する
- 南方特別区の設置による、軍・政の一体化を推進する。
- 満州・シベリア・アムール方面の防衛線を強化する
- シンガポールを南方防衛の中核基地にする
- 大和級戦艦を中心とする新艦隊を建設する
- 航空隊を陸海軍から独立性の高い戦略兵力へ発展させる
- 東亜共栄圏内で資源・食料・工業生産を自給する
- 米国からの輸入が途絶した場合に備えて国家備蓄を整える
- 鉄道、港湾、商船を国防計画に組み込む
陸軍は、
陸軍徴兵令大幅改正を行い、3年間で200万人まで兵員を増員する計画を打ち出すことになる。1935年には国内の精強な
師団を編成した
第1軍の南方派遣、
第3軍の北方派遣を決定。各司令部を
沖縄特別区、
樺太特別区に設置した。
海軍では、1935年から
大和級戦艦計画が始動する。この計画では、超弩級戦艦4隻の建造が計画されたものの、最終的に
戦艦大和の建造にとどまり、中型空母12隻、小型空母5隻の建造が進められることになった。
開戦
1938年末_開戦前夜
1938年11月の
御前会議では、
海軍が中心となって主張していた
二年戦争論を支持する形での日米開戦が決定された。この際、中立的仲介国としての
イギリスに対しては、常に外交的生命線を確保すること、日米開戦回避に向けた外交交渉は開戦当日まで継続することが定められた。また、
ソヴィエト連邦政府との同時開戦を回避し、
東亜共栄圏を中心とする資源補給網の安定化に注力することが取り決められた。
ミッドウェイ島海軍基地に仮司令部を設置した
連合艦隊は、新造の中型空母4隻と戦艦8隻、巡洋艦12隻、駆逐艦30隻以上からなる大編成を日本国内から太平洋上に展開しており、
合衆国太平洋艦隊の主力攻撃部隊の撃滅を目指した。また、
パールハーバー海軍基地に対して、日本は開発途中で試作機段階であった超超高度の
爆撃機雲来を試作20機すべて導入して絨毯爆撃を行うこととなった。ハワイを焦土とする、と銘打った作戦により、米国の反抗作戦が数か月遅れることになった。
日米開戦から間もなくして、
ソ連軍は、
イルクーツク条約を破棄して
シベリア保護領への侵攻を開始する。これに対応するため、
第3軍、
第4軍が展開されていた。しかし、ソ連軍は、鉄道を遮断して守備隊を孤立させ、徐々に
日本軍の支配地域を分断した。こうして日本は、開戦当初から対米・対ソの二正面戦争へ突入した。
1939年11月_シンガポール危機と講和工作の失敗
アメリカ合衆国と
フランスは、
シンガポール租借地が南洋制圧の中心的基地になるものと考え、
イギリスに対する圧力を強化させる。
イギリスは、相互国防協定を定める
日英同盟協約において、シンガポールの共同防衛が対象ではないことを挙げて戦争への介入回避を宣言した。これに伴って、シンガポールへの空爆などを含めた一切の行為については、
イギリスの防衛力行使の対象外と定められた。しかしながら、イギリス系住民の多いシンガポールへの侵攻は、戦争中一切行われなかった。
1939年11月、日本は、
イギリスを仲介に立てて、終戦講和に向けた工作活動を開始。対日経済制限の解除、満州・シベリア権益の昇任、太平洋の民主化推進、米軍拠点の完全返還が条件であったものの、
ミッドウェイ島の完全撤退が含まれていないこと、
米領フィリピンの民主化が含まれていることなどに対立して、交渉未決となった。
この時期、アメリカは、喜望峰周りで
米大西洋艦隊の太平洋展開を画策しており、また本土駐留の戦艦部隊を前線に送り込む準備を始めていたことなどが決め手となり、太平洋の海軍力は日米拮抗状態になりつつあった。
米国は、1939年後半から民主工場の軍需生産転換を進め、圧倒的な工業力によって日本を消耗させる方針を採用した。
1940年には、総合的反抗作戦である
アイアンストーム作戦を実行した。この作戦では、日本の戦争遂行能力の破壊を目的としていた。
- 日本艦隊との早期決戦を避ける
- 潜水艦で日本の商船を減らす
- 日本軍の補給拠点を段階的に孤立させる
- 航空戦によって日本の熟練搭乗員を消耗させる
- 日本本土とシベリア・南洋を結ぶ輸送路を遮断する
- 長距離爆撃のための島嶼基地を確保する
対日通商破壊工作は、アイアンストーム作戦におけるもっとも効果を上げた作戦であった。米国は、年間の潜水艦建造量を倍に増強させ、本土へ供給される資源量が急激に減少することになる。
陸軍の
第5軍・
第6軍・
第8軍は、
米領フィリピンへの一斉攻勢をかけるため、陸海共同作戦を画策していた。
海軍は、
南洋艦隊を新たに組織し、中型空母1隻、小型空母5隻を率いる大航空艦隊を南シナ海に展開していた。
米領フィリピンの北部進駐を開始した日本軍は、電撃戦に倣って急速に南下し、
爆撃機雲来も導入した大規模な対地戦闘を行った。日本側は、フィリピンの完全制圧に失敗したもののアメリカ側に大量の損害を与えることに成功した。しかし、この戦いのさなか、世界最新鋭爆撃機であった
爆撃機雲来が米軍に拿捕され、これが
B-28の開発につながる。
略年歴
| 1938年 |
11月 |
御前会議により、日米開戦を決定 |
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12月 |
挙国一致・軍政一致を目指して大日本政治会が発足 |
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理論
海軍大将として
連合艦隊司令長官に着任したばかりの
岩屋貞三郎は、航空主戦論の熱烈な信奉者であり、海軍力すなわち航空力であるという思想から、短期決戦による早期条件付き講和を信条としていた。そのため、米太平洋艦隊への壊滅的打撃と、中部太平洋におけるアメリカ拠点の破壊のみに目的を絞っていた。
最終更新:2026年07月13日 23:20