3
点々と続く血痕。雪原に残されるのは足跡だけではない。ましてや、ここは戦場。
当然の様に犠牲者は兵器と暴力によって量産され、
この山一つ聳えもしない平和の地だった平原にも重い爪痕が残る。
人為的な手法で自然は破壊され、星の寿命は確実に六〇億の生命体によって削られていく。
それを認めるのなら、この『集落』も自然破壊の一つ、とも言えなくも無い。
生物が生存するとは、地球に存在する下位のモノを消費する事なのだから。
カラーン、と門を開けた拍子に備え付けられていた鈴が景気の良い爽快音を小さく鳴らす。
点々と続く血痕。雪原に残されるのは足跡だけではない。ましてや、ここは戦場。
当然の様に犠牲者は兵器と暴力によって量産され、
この山一つ聳えもしない平和の地だった平原にも重い爪痕が残る。
人為的な手法で自然は破壊され、星の寿命は確実に六〇億の生命体によって削られていく。
それを認めるのなら、この『集落』も自然破壊の一つ、とも言えなくも無い。
生物が生存するとは、地球に存在する下位のモノを消費する事なのだから。
カラーン、と門を開けた拍子に備え付けられていた鈴が景気の良い爽快音を小さく鳴らす。
一人の少女が、集落にある酒場に踏み込んだ。
実は戦場において、酒が飲める場所とは割と民衆に重宝される。
自国の同胞がとある地で殺し殺される辛い現実を歪曲したい、忘れ去りたいと、アルコールが施す
一時の快楽的な錯乱を欲して訪れる人間達が多々現れるからだ。
また、戦時中あってか自主規制によって飲酒が制限される事も有り得る。
それでも非合法であっても人々はつい足を運んでしまう。
例え酒を口にするのを禁忌とされる未成年の少年少女であっても、戦場の酒場はそれを許容してしまう。
そのため、その少女が入店するのも不自然では無い。
新たな客の来訪にバーも活気つく。
実は戦場において、酒が飲める場所とは割と民衆に重宝される。
自国の同胞がとある地で殺し殺される辛い現実を歪曲したい、忘れ去りたいと、アルコールが施す
一時の快楽的な錯乱を欲して訪れる人間達が多々現れるからだ。
また、戦時中あってか自主規制によって飲酒が制限される事も有り得る。
それでも非合法であっても人々はつい足を運んでしまう。
例え酒を口にするのを禁忌とされる未成年の少年少女であっても、戦場の酒場はそれを許容してしまう。
そのため、その少女が入店するのも不自然では無い。
新たな客の来訪にバーも活気つく。
そう、『その少女の左腕がすっぱり抜け落ちていても』。
麦野沈利はちょこんと木製の椅子に腰掛け、右肘をカウンターに引っ掛ける。
何人かの小男たちが麦野に目を向ける。アジア人だが相当の別嬪だ、と同席で飲まないかと誘うが、
その喪失した麦野の右目でギッ、と睨まれると臆病風に吹かれて断念する。
戦闘の影響で体の部位を欠損した者はそれなりに存在するが麦野の損傷はそれらを無下にする程の物だ。
店主も麦野の形相に目を背けるが、何を飲むかをロシア語で尋ねる。
「ご注文は?」
麦野が潜めたか細い声で、はっきりと答える。
「私を噛んだ犬の毛」
流暢なロシア語で返答されるのが意外だったと店主は驚くが、
「バーボン・オン・ザ・ロックだな」
注文通りの酒類を作って麦野に差し出す。……英語でのジョークをロシア語で話すとはどうなんだ?と
疑問は尽きなかったが、麦野は店主の動揺など気にも留めずにバーボンを口に運ぼうとする。
反射的に左手でグラスを取ろうとするが、ここで麦野は軽く笑った。自分に『左腕』など無い。
全く笑えるジョークだ。含み笑いを堪えつつ、酒を少量口に含んだ。
一気に飲み干すのは素人がやる失敗だ。
あのバカな浜面のように。
ふとその思考が頭を駆け抜けたのをきっかけに、麦野は酒を肴に追憶に浸った。
何人かの小男たちが麦野に目を向ける。アジア人だが相当の別嬪だ、と同席で飲まないかと誘うが、
その喪失した麦野の右目でギッ、と睨まれると臆病風に吹かれて断念する。
戦闘の影響で体の部位を欠損した者はそれなりに存在するが麦野の損傷はそれらを無下にする程の物だ。
店主も麦野の形相に目を背けるが、何を飲むかをロシア語で尋ねる。
「ご注文は?」
麦野が潜めたか細い声で、はっきりと答える。
「私を噛んだ犬の毛」
流暢なロシア語で返答されるのが意外だったと店主は驚くが、
「バーボン・オン・ザ・ロックだな」
注文通りの酒類を作って麦野に差し出す。……英語でのジョークをロシア語で話すとはどうなんだ?と
疑問は尽きなかったが、麦野は店主の動揺など気にも留めずにバーボンを口に運ぼうとする。
反射的に左手でグラスを取ろうとするが、ここで麦野は軽く笑った。自分に『左腕』など無い。
全く笑えるジョークだ。含み笑いを堪えつつ、酒を少量口に含んだ。
一気に飲み干すのは素人がやる失敗だ。
あのバカな浜面のように。
ふとその思考が頭を駆け抜けたのをきっかけに、麦野は酒を肴に追憶に浸った。
酒を呷ったのはこれが初めてでは無い。昔、日日にすれば二週間くらい前にもあった。
確か、『アイテム』での任務を見事完遂させ、新しく加えた下部組織のパシリの入隊記念も兼ねて、
自分の奢りで高級バーに五人で行った時の事だ。
学園都市では酒、とはあまり価値のある商品とは認識されていない。
人口の八割が学生という特殊な街だ。残り二割の大人達のために酒場を開くのは
商売としてはリスクがある。その分、学園都市に参入してくる大人向けの店とは全般的に
商業として安定している企業の傘下にある事が多い。超能力者第四位の麦野や『アイテム』の権限が
あれば、そんな場所を貸し切るなど朝飯前だ。そのおかげで、本来未成年の飲酒を静止すべき大人達の
目も届かなくなり、麦野や滝壺、フレンダももちろん、多分一番年齢的に危険な絹旗も酒を思いっきり
飲みまくる好機が整ってしまったわけである。
一番高年齢の浜面が保護者扱いになるんだし、責任は全部コイツに押し付けてバンバン飲むぞー!と
一晩明けるまで酒地獄を五人で堪能しまくった。
麦野はアルコールに耐性があるため問題無いが、フレンダは何故か泣き上戸になって麦野に対する不満を
涙ながらに訴えたりしてきたり、滝壺は一滴喉を通っただけでダウンしたり、絹旗は逆に有頂天になって
もっと超強い酒を持ってくるべきですッ!と果敢に挑戦したりして、
それはさすがにヤバいだろーがー!!と慌てて浜面が止めに入ったりと、
バカバカしい、平和な時間だった。麦野にとっては、掛替えの無い思い出でもあった。
確か、『アイテム』での任務を見事完遂させ、新しく加えた下部組織のパシリの入隊記念も兼ねて、
自分の奢りで高級バーに五人で行った時の事だ。
学園都市では酒、とはあまり価値のある商品とは認識されていない。
人口の八割が学生という特殊な街だ。残り二割の大人達のために酒場を開くのは
商売としてはリスクがある。その分、学園都市に参入してくる大人向けの店とは全般的に
商業として安定している企業の傘下にある事が多い。超能力者第四位の麦野や『アイテム』の権限が
あれば、そんな場所を貸し切るなど朝飯前だ。そのおかげで、本来未成年の飲酒を静止すべき大人達の
目も届かなくなり、麦野や滝壺、フレンダももちろん、多分一番年齢的に危険な絹旗も酒を思いっきり
飲みまくる好機が整ってしまったわけである。
一番高年齢の浜面が保護者扱いになるんだし、責任は全部コイツに押し付けてバンバン飲むぞー!と
一晩明けるまで酒地獄を五人で堪能しまくった。
麦野はアルコールに耐性があるため問題無いが、フレンダは何故か泣き上戸になって麦野に対する不満を
涙ながらに訴えたりしてきたり、滝壺は一滴喉を通っただけでダウンしたり、絹旗は逆に有頂天になって
もっと超強い酒を持ってくるべきですッ!と果敢に挑戦したりして、
それはさすがにヤバいだろーがー!!と慌てて浜面が止めに入ったりと、
バカバカしい、平和な時間だった。麦野にとっては、掛替えの無い思い出でもあった。
それが、今になってはどうだ。
麦野は一人、しかも左腕と右目を無くし、フレンダは体をぶち撒かれて死亡し、
絹旗は学園都市で反乱分子の粛正に追われ、滝壺と浜面は未だロシアを放浪している。
クソったれな命令に追われてでも、まだあの頃は居心地が良かった。
一週間に一回は悪人を始末する、反吐が出そうな日常でも、仲間が居れば息も晴れた。
だが、今この寂れた辺境の地の酒場で酒を飲んでいる『アイテム』の人間は自分一人。
麦野は一人、しかも左腕と右目を無くし、フレンダは体をぶち撒かれて死亡し、
絹旗は学園都市で反乱分子の粛正に追われ、滝壺と浜面は未だロシアを放浪している。
クソったれな命令に追われてでも、まだあの頃は居心地が良かった。
一週間に一回は悪人を始末する、反吐が出そうな日常でも、仲間が居れば息も晴れた。
だが、今この寂れた辺境の地の酒場で酒を飲んでいる『アイテム』の人間は自分一人。
麦野沈利だけ。
浅い絶望だった。何故こうなったのか。こうなってしまったのか。
後悔が脳裏を走る。
自分がもっと強ければ、自分がもっと甘ければ、自分がもっと普通だったら、
こんな下らない場所で寂しく酒に浸る未来など、避けられた筈だったのに。
握ったグラスに力が入る。麦野の握力ならばこんな安物のガラス製の物などいとも容易く粉々に出来る。
だが、そこで気付く。自分は何に憤激しているのか?
…………。
後悔が脳裏を走る。
自分がもっと強ければ、自分がもっと甘ければ、自分がもっと普通だったら、
こんな下らない場所で寂しく酒に浸る未来など、避けられた筈だったのに。
握ったグラスに力が入る。麦野の握力ならばこんな安物のガラス製の物などいとも容易く粉々に出来る。
だが、そこで気付く。自分は何に憤激しているのか?
…………。
フッ、とまた軽く笑い、冷静さを奪還する。そのまま麦野は目的のために再び動く。
「ねぇ、この男を知らないかしら?」
麦野がそうして店主に提示したのは、
浜面の顔が入った一枚の写真。
『アイテム』の四人、麦野沈利、滝壺理后、絹旗最愛、フレンダと浜面の五人で撮った集合写真。
学園都市製の最近のデジタルカメラで激写し、出力したため、画質は最高峰だった。
「ねぇ、この男を知らないかしら?」
麦野がそうして店主に提示したのは、
浜面の顔が入った一枚の写真。
『アイテム』の四人、麦野沈利、滝壺理后、絹旗最愛、フレンダと浜面の五人で撮った集合写真。
学園都市製の最近のデジタルカメラで激写し、出力したため、画質は最高峰だった。
そして、運命は、加速していく。
「ああ、ついこないだ、ここから出て行ったヒーローだよ。
全く、アイツの助けがなかったら俺達は軽く全滅してたな。どうやら厳つい大男と一緒に……
ああ、ノヴァヤゼムリャに行くとか言ってたな確か」
最高の答えを手に入れた麦野は礼を言い、代金を払って出店していった。悪魔の笑顔をぶら下げて。
資金は麦野が元々持ち合わせていた大金に加え、学園都市側から大量の軍資金を得ていた。
それほどの出費までしてでも、学園都市は浜面というイレギュラーをどうしても潰したいらしい。
「ああ、ついこないだ、ここから出て行ったヒーローだよ。
全く、アイツの助けがなかったら俺達は軽く全滅してたな。どうやら厳つい大男と一緒に……
ああ、ノヴァヤゼムリャに行くとか言ってたな確か」
最高の答えを手に入れた麦野は礼を言い、代金を払って出店していった。悪魔の笑顔をぶら下げて。
資金は麦野が元々持ち合わせていた大金に加え、学園都市側から大量の軍資金を得ていた。
それほどの出費までしてでも、学園都市は浜面というイレギュラーをどうしても潰したいらしい。
麦野は集落を後にして、また一人雪原を歩いて行く。足跡と、血痕を残しながら。
もう、『アイテム』の仲間にも、浜面にも、容赦の心など、とっくに消え去っていた。
もう、『アイテム』の仲間にも、浜面にも、容赦の心など、とっくに消え去っていた。
4
「あ~あ。ここから先はひたすらマラソンね……」
砂鉄で取り繕ったハングライダーによって滑空し続けた美琴だったが、それにも限界があった。
誤って無風地帯に突っ込んでしまったために、推進力が全て損なわれてしまったのだ。
バランスを完全に崩した美琴は、空飛行を諦め、仕方無く地面に降り立った。
着地における衝撃をかろうじて残留した砂鉄で押し殺し、無傷で着地する。
そうして、目の前に広がる、無限の大地に問う。
どれだけ走れば、上条に出会えるのか。
「…………あ、の、バカーーーーーーーーッ!!!!」
周囲は針葉樹だらけ、方角も何もわかったもんでは無い。
完全に八方塞がりだった。
「あ~あ。ここから先はひたすらマラソンね……」
砂鉄で取り繕ったハングライダーによって滑空し続けた美琴だったが、それにも限界があった。
誤って無風地帯に突っ込んでしまったために、推進力が全て損なわれてしまったのだ。
バランスを完全に崩した美琴は、空飛行を諦め、仕方無く地面に降り立った。
着地における衝撃をかろうじて残留した砂鉄で押し殺し、無傷で着地する。
そうして、目の前に広がる、無限の大地に問う。
どれだけ走れば、上条に出会えるのか。
「…………あ、の、バカーーーーーーーーッ!!!!」
周囲は針葉樹だらけ、方角も何もわかったもんでは無い。
完全に八方塞がりだった。
……と、一式調子の乱れた美琴だったが、冷静に落ち着いた後は最善の策を練り、実行し続ける事で
この森の迷宮を拍子よく抜ける事に成功した。方角は太陽の位置と時計で知り、邪魔な林は電撃で薙ぎ払って道を無理矢理開拓し、襲いかかる野生動物達も電撃で追い払い……と、超能力者としての力を
最大限生かす事で、一般人のサバイバル技術を全てあざ笑う様な強引さで森林を抜け去った。
この森の迷宮を拍子よく抜ける事に成功した。方角は太陽の位置と時計で知り、邪魔な林は電撃で薙ぎ払って道を無理矢理開拓し、襲いかかる野生動物達も電撃で追い払い……と、超能力者としての力を
最大限生かす事で、一般人のサバイバル技術を全てあざ笑う様な強引さで森林を抜け去った。
その奥にはこざっぱりとした平原が延々と地平線まで続く。美琴はハァ、と溜息をつく。
(電流操作の応用で高速移動でも出来たらなぁ……)
なんて夢物語を連想しつつ、冷たい雪景色を足で踏みつけながら前進する。
と、その内、
「げ、雨だ」
ロシアでは珍しい雨が降りしきる。それも無視出来る様なほどの小雨などではない。
(うう……準備はちゃんとしてきたけど、傘なんて持参する程余裕なかったしな)
ここまでの大雨だと、寒さ対策に着込んで来た冬服が逆に重荷になる。雨宿りできる場所でもあるか、
と雨を手で拭いながら当てずっぽに走ると、
金網にぶつかった。痛さが体に堪えるが、しかと双眸で全景を確認すると、
このクソ広い平原に、一つだけ建物がぼっちで佇んでいた。どうやら形状からして研究所のようだ。
小規模だったり、半分寂れていたりと、不満はあるがとにかく雨宿りにはちょうどいい。
(電流操作の応用で高速移動でも出来たらなぁ……)
なんて夢物語を連想しつつ、冷たい雪景色を足で踏みつけながら前進する。
と、その内、
「げ、雨だ」
ロシアでは珍しい雨が降りしきる。それも無視出来る様なほどの小雨などではない。
(うう……準備はちゃんとしてきたけど、傘なんて持参する程余裕なかったしな)
ここまでの大雨だと、寒さ対策に着込んで来た冬服が逆に重荷になる。雨宿りできる場所でもあるか、
と雨を手で拭いながら当てずっぽに走ると、
金網にぶつかった。痛さが体に堪えるが、しかと双眸で全景を確認すると、
このクソ広い平原に、一つだけ建物がぼっちで佇んでいた。どうやら形状からして研究所のようだ。
小規模だったり、半分寂れていたりと、不満はあるがとにかく雨宿りにはちょうどいい。
美琴は中で少し休養を取ろうと、正門に回る。その横の看板に目を向けると、
(……人類基盤史研究所……?)
人類基盤史研究所とは、学園都市の『外』での企業では随一を誇る医療組織だ。
完全なる不死の生命体を独自に研究し、そのデータを元に最新鋭の医療技術を開発して
世界の医療体制の向上に大いに貢献したとされる。噂では学園都市にも密かに参入し、
『見えないビル』に鎮座する生命維持装置の開発の助力となった前歴があったとも言われている。
しかし、それらは『新』人類基盤史研究所での話だ。以前の研究所には暗い話しか聞かない。
とある実験のために全人類を壊滅に追い込んだとか、そんな眉唾モノの荒唐無稽な冗談ばかりだ。
(何で、こんな辺境の地に研究所がぽつんとあるわけ?……まぁ、細かい事情はどうでも良いし、
雨宿り出来るならどんな建物でも良いしね)
と、不用心に美琴は施錠された門を強引に破壊して中に土足で入り込んで行く。
(……人類基盤史研究所……?)
人類基盤史研究所とは、学園都市の『外』での企業では随一を誇る医療組織だ。
完全なる不死の生命体を独自に研究し、そのデータを元に最新鋭の医療技術を開発して
世界の医療体制の向上に大いに貢献したとされる。噂では学園都市にも密かに参入し、
『見えないビル』に鎮座する生命維持装置の開発の助力となった前歴があったとも言われている。
しかし、それらは『新』人類基盤史研究所での話だ。以前の研究所には暗い話しか聞かない。
とある実験のために全人類を壊滅に追い込んだとか、そんな眉唾モノの荒唐無稽な冗談ばかりだ。
(何で、こんな辺境の地に研究所がぽつんとあるわけ?……まぁ、細かい事情はどうでも良いし、
雨宿り出来るならどんな建物でも良いしね)
と、不用心に美琴は施錠された門を強引に破壊して中に土足で入り込んで行く。
中は空っぽだった。椅子や机も、機器も、人がいた形跡すら何一つ残っていない。
ただただ、壁の白、床の白、ガラス張りの透明さ、
とここだけあらゆる人間の形跡を全て処理したような雰囲気だった。
ここで美琴はかつての『実験』が頭に過った。美琴があの実験を中止させようと研究所に襲撃し
メインコンピューターを破壊して、全ての計画が終了した後に同じ研究所をまた訪れてみたが、
その場合はいつも例外無く、このような白く空っぽな一室だけが存在するのみだった。
嫌な予感がする。単なる雨宿りという目的などもう忘れ、美琴は研究所の奥の奥へと入り込んで行く。
すると、何故か音楽が聞こえて来た。あまりに小さく、弱々しい音なので気付きにくいが、
どうやら歌……なのだろうが、一音一音ずれていたり、テンポがぐちゃぐちゃと、聞き惚れるには
力不足な代物だ。人の声にしては、復唱が正確すぎる。おそらくだれかがBGMを鳴らしっぱなしで
ここから去り、狂ったロムだけが狂った旋律を繰り返しているのだろう。
一貫性が保たれていても、構成される音程はどことなく僅かな不安を誘発してくる。
(地下から聞こえてくる……)
狂った歌の音源を仄聞した美琴は、嫌な予感に従ってしまった。
『あの時』と、同じ疑惑、同じ違和感、同じ吐き気が脳から全身に染み渡ってくる。
よく室内を見渡すと、一番奥のワンフロアに敷かれたタイルが一枚だけ躄っているのを発見した。
美琴は何故か固唾を飲んで、そのタイルを剥がしてみる。
この行為に至った誘因は何か、美琴本人にも理解し辛かった。
「…………うっ」
タイルの下には重層的な隠し階段が設けてあった。この真っ白な部屋とは裏腹に、ただ暗黒だけが
静かに鎮座している。それに加え、何だか生臭い。どこか『人間臭い』。
ただただ、壁の白、床の白、ガラス張りの透明さ、
とここだけあらゆる人間の形跡を全て処理したような雰囲気だった。
ここで美琴はかつての『実験』が頭に過った。美琴があの実験を中止させようと研究所に襲撃し
メインコンピューターを破壊して、全ての計画が終了した後に同じ研究所をまた訪れてみたが、
その場合はいつも例外無く、このような白く空っぽな一室だけが存在するのみだった。
嫌な予感がする。単なる雨宿りという目的などもう忘れ、美琴は研究所の奥の奥へと入り込んで行く。
すると、何故か音楽が聞こえて来た。あまりに小さく、弱々しい音なので気付きにくいが、
どうやら歌……なのだろうが、一音一音ずれていたり、テンポがぐちゃぐちゃと、聞き惚れるには
力不足な代物だ。人の声にしては、復唱が正確すぎる。おそらくだれかがBGMを鳴らしっぱなしで
ここから去り、狂ったロムだけが狂った旋律を繰り返しているのだろう。
一貫性が保たれていても、構成される音程はどことなく僅かな不安を誘発してくる。
(地下から聞こえてくる……)
狂った歌の音源を仄聞した美琴は、嫌な予感に従ってしまった。
『あの時』と、同じ疑惑、同じ違和感、同じ吐き気が脳から全身に染み渡ってくる。
よく室内を見渡すと、一番奥のワンフロアに敷かれたタイルが一枚だけ躄っているのを発見した。
美琴は何故か固唾を飲んで、そのタイルを剥がしてみる。
この行為に至った誘因は何か、美琴本人にも理解し辛かった。
「…………うっ」
タイルの下には重層的な隠し階段が設けてあった。この真っ白な部屋とは裏腹に、ただ暗黒だけが
静かに鎮座している。それに加え、何だか生臭い。どこか『人間臭い』。
しかも、その腐臭は長年蓄積したかの如く、濃厚だった。
この金属階段の奥底には何が隠れているのか。美琴はここで一度躊躇する。
この下には、美琴が知ってはならない、深甚たる深淵が眠っているのだろう。
だが、もう美琴の第六感は悟っていた。
ここには、学園都市に関わる重要な物が偏在しているのだと。
絶対能力進化実験と同レベルほどの闇が。
頬を伝った汗が『穴』に吸い込まれていった。それに背中を後押しされ、美琴は階段に足を踏み入れる。
この金属階段の奥底には何が隠れているのか。美琴はここで一度躊躇する。
この下には、美琴が知ってはならない、深甚たる深淵が眠っているのだろう。
だが、もう美琴の第六感は悟っていた。
ここには、学園都市に関わる重要な物が偏在しているのだと。
絶対能力進化実験と同レベルほどの闇が。
頬を伝った汗が『穴』に吸い込まれていった。それに背中を後押しされ、美琴は階段に足を踏み入れる。
その『穴』は美琴の想像以上に地下へ地下へと続いていた。
一切の照明がヒューズ飛びしていたが、美琴は電流を無意識に発生させ、一つ一つの電球に光を灯しつつ
降りて行く。もう降り始めてから三十分は経過しただろうか。
あの狂ったBGMも地下に潜る程、音量が上がり、音質もクリアになってきた。
美琴は全身の悪寒を強い意志で押し殺しながら、段差を確実に足蹴にする。
その内に、階段地獄も何時の間にか終了していた。最深部に到達したようだ。
「寒い……地下だし仕方無いけど」
床は階段と同じ金属板が敷かれているらしい。一歩進むごとにカン、カン、と精神を揺るがすような
不愉快な高音がしつこく鳴る。
それでも、美琴は狂った音楽に誘われるように、さらに奥へと進んで行く。
通路だけが用意されていた。所々には電気が生きており、能力を使わずとも視界は確保出来た。
自分は何をしているのだろう。本来なら今頃、あのツンツン頭の少年と再会していたであろうに。
上条に会えたら何をまず伝えようか……そう思案している内に、暗闇以外の物質が目に飛び込んでくる。
「何よコレ?……試験管?」
実験の痕跡だろうか、通路の横一線に並べてあるのは、大量の試験管とスポイト。
それらが天井まで届く程高い棚にぎっしりと納められている。数は、千の単位を超えるぐらいか。
一つを手に取ってみると、試験管の外装部にラベルが張ってある。霞がかっているが、そこには、
トキソプラズマ、と拙い文字で書かれていた。
トキソプラズマとは、胎児の脳内の扁桃体に寄生する原生生物だ。
軽い風邪、重い場合には脳炎を引き起こす危険な原虫感染症を発現させる。
しかし、トキソプラズマには扁桃体に嚢胞を発生させる生態があるため、それを逆手に利用して
脳内にどんな影響を与えるか、どんな障害が脳に出来るかを調べる事もあるらしい。
(どうやら、ここでも実験がされていたってワケか。一体何を?)
手にある試験管を棚に戻し、さらに通路の奥に進む。
まだ狂った旋律は止まらない。ここまで長時間聞いていたがために、もう慣れてしまった。
今度の道程は長くは続かなかった。美琴はまた実験に関わったであろう機具を発見した。
一切の照明がヒューズ飛びしていたが、美琴は電流を無意識に発生させ、一つ一つの電球に光を灯しつつ
降りて行く。もう降り始めてから三十分は経過しただろうか。
あの狂ったBGMも地下に潜る程、音量が上がり、音質もクリアになってきた。
美琴は全身の悪寒を強い意志で押し殺しながら、段差を確実に足蹴にする。
その内に、階段地獄も何時の間にか終了していた。最深部に到達したようだ。
「寒い……地下だし仕方無いけど」
床は階段と同じ金属板が敷かれているらしい。一歩進むごとにカン、カン、と精神を揺るがすような
不愉快な高音がしつこく鳴る。
それでも、美琴は狂った音楽に誘われるように、さらに奥へと進んで行く。
通路だけが用意されていた。所々には電気が生きており、能力を使わずとも視界は確保出来た。
自分は何をしているのだろう。本来なら今頃、あのツンツン頭の少年と再会していたであろうに。
上条に会えたら何をまず伝えようか……そう思案している内に、暗闇以外の物質が目に飛び込んでくる。
「何よコレ?……試験管?」
実験の痕跡だろうか、通路の横一線に並べてあるのは、大量の試験管とスポイト。
それらが天井まで届く程高い棚にぎっしりと納められている。数は、千の単位を超えるぐらいか。
一つを手に取ってみると、試験管の外装部にラベルが張ってある。霞がかっているが、そこには、
トキソプラズマ、と拙い文字で書かれていた。
トキソプラズマとは、胎児の脳内の扁桃体に寄生する原生生物だ。
軽い風邪、重い場合には脳炎を引き起こす危険な原虫感染症を発現させる。
しかし、トキソプラズマには扁桃体に嚢胞を発生させる生態があるため、それを逆手に利用して
脳内にどんな影響を与えるか、どんな障害が脳に出来るかを調べる事もあるらしい。
(どうやら、ここでも実験がされていたってワケか。一体何を?)
手にある試験管を棚に戻し、さらに通路の奥に進む。
まだ狂った旋律は止まらない。ここまで長時間聞いていたがために、もう慣れてしまった。
今度の道程は長くは続かなかった。美琴はまた実験に関わったであろう機具を発見した。
いや、それは、『機具』と呼んで良かったのだろうか。
美琴は闇に関してはある程度の耐性が自然と身に付いていたという自信が在った。量産能力者実験、
絶対能力進化実験、人が踏み入ってはならない残酷で機械的な惨状に触れてしまった美琴は、
もう、あれ以上に慄然とするような悪魔の所業など無いだろうという確信が在った。
だが、そこに置かれていた『機具』は、美琴の知る常識外の存在すら赤子に帰す、凄惨なモノだった。
美琴は闇に関してはある程度の耐性が自然と身に付いていたという自信が在った。量産能力者実験、
絶対能力進化実験、人が踏み入ってはならない残酷で機械的な惨状に触れてしまった美琴は、
もう、あれ以上に慄然とするような悪魔の所業など無いだろうという確信が在った。
だが、そこに置かれていた『機具』は、美琴の知る常識外の存在すら赤子に帰す、凄惨なモノだった。
人のミイラ、だろうか。両手を上げて、壁に鉄槌で固定され、中腰のまま磔にされている。
両手の先端は肘の辺りから両断され、その延長部分には直接、何本ものコードの束が埋め込まれ、
背後に点在する機械と繋がっている。
ミイラに眼球は無い。皮膚は完全に水分が失われ、辛うじて申し訳ない分だけ筋肉と骨のみが残り、
何万もの枯れ果てた血管が浮き彫りになっていた。
両手の先端は肘の辺りから両断され、その延長部分には直接、何本ものコードの束が埋め込まれ、
背後に点在する機械と繋がっている。
ミイラに眼球は無い。皮膚は完全に水分が失われ、辛うじて申し訳ない分だけ筋肉と骨のみが残り、
何万もの枯れ果てた血管が浮き彫りになっていた。
美琴は戦慄する。思わずショックで両手で口を覆った。瞳は小さく縮み、眼孔が細くなり、
呼吸を忘れ、心臓だけが鼓動を早めていく。狂ったリズムが、狂った音楽と同調する。
ただのミイラだけなら、美琴は悪寒のみで留まり、冷静に調査を続けられただろう。
だが、ミイラの骸骨のような頭部には、少女の心をメッタメタに無慈悲に切り裂く絶望が根ざしていた。
呼吸を忘れ、心臓だけが鼓動を早めていく。狂ったリズムが、狂った音楽と同調する。
ただのミイラだけなら、美琴は悪寒のみで留まり、冷静に調査を続けられただろう。
だが、ミイラの骸骨のような頭部には、少女の心をメッタメタに無慈悲に切り裂く絶望が根ざしていた。
茶色く、短く、それにはまるで、『美琴によく似た人物が持つであろう毛髪』が伸びていた。
間違い無い。このミイラは、
妹達の一人だったモノの、成れの果てだ。
妹達の一人だったモノの、成れの果てだ。
美琴は想像という名の汚染に身を震わせる。五感が不必要な情報たる現実を確実に脳内に感知させ、
心身が弾け飛びそうになるまでの恐怖が美琴を苛む。
実験は、まだ、終わっていなかった。未だ解決していなかったのだ。
あの少年の救いの手が届かなかった妹達が、この辺境の地で、地獄に生きていたのだ。
血を抜かれ、脳内電気を引っ掻き回され、得体の知れない薬品を打ち込まれ、
心をズタズタにされた、美琴の妹が一人、実験という厭世に喰い破られていたのだ。
実験。何の目的でこのクローンは贄にされた?ただの少女を食い物にした研究者達はどこに行ったのか?
美琴は畏れをどうにか正気が保てるギリギリまでに抑え込み、周囲に詳細を求める。
妹達のミイラの周りには、インクが霞んでいる資料が書かれた無数の紙、壊れた注射器や電極、といった
実験の証拠が幾つも転がっている。しかし、これだけでは美琴が望む情報は一切得られない。
そこで美琴はミイラの背後の機械に近づいた。後ろに回る形で、機械の液晶部分に着眼する。
どうやらコンピューターなのだろう。学園都市のそれと同機種だと思われる。
電源は死んでいるが、美琴は無理矢理能力で電気を供給し、機械を起動させる。
パスワード等の承認は能力で素通りし、力づくで突破した。そして全データを閲覧出来る場面に進んだ。
割れかけた液晶画面には、一つだけファイルが生き延びていた。美琴は迷わずそのレポートを開く。
そこには、それには、こう、端的に書かれていた。
心身が弾け飛びそうになるまでの恐怖が美琴を苛む。
実験は、まだ、終わっていなかった。未だ解決していなかったのだ。
あの少年の救いの手が届かなかった妹達が、この辺境の地で、地獄に生きていたのだ。
血を抜かれ、脳内電気を引っ掻き回され、得体の知れない薬品を打ち込まれ、
心をズタズタにされた、美琴の妹が一人、実験という厭世に喰い破られていたのだ。
実験。何の目的でこのクローンは贄にされた?ただの少女を食い物にした研究者達はどこに行ったのか?
美琴は畏れをどうにか正気が保てるギリギリまでに抑え込み、周囲に詳細を求める。
妹達のミイラの周りには、インクが霞んでいる資料が書かれた無数の紙、壊れた注射器や電極、といった
実験の証拠が幾つも転がっている。しかし、これだけでは美琴が望む情報は一切得られない。
そこで美琴はミイラの背後の機械に近づいた。後ろに回る形で、機械の液晶部分に着眼する。
どうやらコンピューターなのだろう。学園都市のそれと同機種だと思われる。
電源は死んでいるが、美琴は無理矢理能力で電気を供給し、機械を起動させる。
パスワード等の承認は能力で素通りし、力づくで突破した。そして全データを閲覧出来る場面に進んだ。
割れかけた液晶画面には、一つだけファイルが生き延びていた。美琴は迷わずそのレポートを開く。
そこには、それには、こう、端的に書かれていた。
「学園都市超能力者第六位『X番雷霆(ミコトバースト)』、
正式名称、個体名妹達〇〇〇〇〇号(フルチューニング)における経過報告」
正式名称、個体名妹達〇〇〇〇〇号(フルチューニング)における経過報告」