七夕。それは7月7日に行われる星祭りで、天の川によって引き裂かれた織姫と彦星が唯一会うことができる悲願の日である。その悲願が叶う日に因んで日本では願い事を書いた短冊を笹竹に飾る風習がある。現代となっては伝説とか関係なく、「願うが叶う日」「七夕商戦じゃあ!短冊と笹竹で店を飾って客を入れ込めやコラァ!」な日である。神事が俗世に塗れて日常に溶け込んでいくのは日本でもよくあることである。
そんなイベントがとある日本人の手によって遥か1万キロ離れた英国ロンドンに持ち込まれた。
ロンドンの街角にある喫茶店「ティル・ナ・ノーグ」にも“七夕フェア”なるものが催され、物珍しい日本の行事、願い事が叶う、全品15%OFF、etcといった要素で大盛況の中、7月7日の閉店時刻を迎えた。
「ありがとうございましたー!」
最後の客が店が出るのを確認し、
ゴドリック=ブレイクは店内の掃除を始めた。店には短冊やどっかの馬鹿が鳴らしたクラッカーの中身、笹の葉が散らばっていた。逆に言えばそれだけ店は繁盛したわけであり 、ゴドリックは“勲章”として受け取りながら袖を撒くって掃除に取り掛かった。
(まさかと思ったけど、七夕フェアが成功して良かった。提案したのがあの憎き駄目人間の
尼乃昂焚であることが気に食わないけど…)
店内の掃除をしながらゴドリックはたくさんの短冊がかかった笹竹に目を向けた。数多の人々の願いを一身に背負い、多くの短冊の重さに負けて曲がっている。心の中で「お疲れ様」と言いながら、ふとある考えが頭の中を過った。
(あれ…どうやって処理するんだろう?)
明日は7月8日、七夕とは無関係の日であり、七夕フェアの象徴である笹竹をそのまま店に残すのはあまり良い気分ではない。だからといって、皆の願いを背負った笹をそのまま燃えるゴミとして出すのも憚られる。
ゴドリックは知らないが、日本では神社に奉納したり、川に流したり、やはりゴミの問題があるので燃えるゴミの日に出したりする。
(今更、あいつに訊くのもなぁ…。そもそも電話番号知らないし)
そう思いながらゴドリックは笹に近づき、かけられている短冊を手に取った。
“サッカー選手になれますように ダニエル=ランバート”
稚拙なアルファベットで書かれた少年の将来の夢。魔術師として殺伐とした世界に生きるゴドリックには少し胸に刺さるものがある。
ゴドリックは他の短冊に手を取った。他人の願いには純粋に興味がある。覗き見するようで悪い気はするが、興味がそれに勝った。
“テストで満点取れますように! キャスリン=フィッツクラレンス”
“明日のサッカーの試合でシュートを決められますように! リッキー=ルーニー”
“妻の病気が治って欲しい アラン=ゲッテンズ”
“大学に受かりたい! モーリス=ケイシー”
“今度こそ仕事が見つかりますように。マジでお願い。貯蓄が尽きそう。 二コラ=ティリット”
“パツキンでボインなお姉さんとヤりたい! サイモン=ランドール”
“サイモン=ランドールが間違いを犯す前に警察に捕まりますように ジェニファー=ランドール”
夢や希望、切実な願望、醜い欲望が入り混じり、それらを全て笹が受け入れる。
“ナタリーとこれからも上手くいきますように ダニエル=モア”
“スティーブンとの浮気がダニエルにバレませんように ナタリー=ジャッジ”
(うん…。僕は何も見ていない。何も見ていない)
短冊を手に取って見ていく内に見知った名前の短冊を見つけた。
(けっこう…微妙なお年頃なんだろうなぁ。律儀に名前書かなきゃいいのに)
心の中でそうツッコミながらも短冊から手を離した。
また見知った人の短冊を見つけたので手に取る。
(ああ…。マチらしいな。ん?この短冊は…)
(ああ。この命知らずめ。マチに電話番号教えておこう…。武運を祈る)
ゴドリックは短冊を見るのが楽しく思えてきた。他にどんな願いが飾られているのか、明日には捨ててしまうのだから今の内に全部見ておきたいという思いに駆られる。
(あー。そういえば、北極海で船が沈んだって嘆いてたな)
“私の部屋にオルソラさんが欲しい。一家に一台オルソラ=アクィナス!
三円朋鹿”
(オルソラさん家電扱い!?)
“ティア団長を「ホルスタインwww」と馬鹿にする奴らを斬滅する!あのパイオツは俺だけのものだ!
ヘラクリーズ”
(あんたも同類だよ!)
(織姫と彦星に殺人を依頼するなあああああ!報酬10万ユーロ(※約1400万円)って、ガチだなおい!)
“Mr.ヴォーツェル。その依頼を引き受けたい。詳細はここまで。E-mail:(以下略)
ジェイク=ワイアルド”
(ウチの店で殺人依頼が成立してしまったああああああああああ!!)
“おい!殺し屋!ターゲットに強者がいたら首をくれ!そろそろ干し首を夏用に変えたいぜ
冠華霧壱”
(ここは伝言板じゃねえんだよ!!干し首と人皮に夏も冬もあるかクソ!)
“俺はメイド王になる男だ! PN.人生と書いて妹と読む”
(学園都市のお帰りください!)
ツッコミどころ満載というかむしろツッコむところしか存在しない数々の願いに律儀に対応したせいでゴドリックは精神的に疲れて息切れした。
「なんか疲れた。純粋な子供も願いでも見て心を癒そう」
そう口にしてゴドリックが自分の腰ぐらいの高さの笹の葉にかけられている短冊群に目を向け、裏返しになっていたものを手に取った。
“fwじゃ得kおrg呪わjふぉpかw殺fewESKF滅DASDfs
ミシェル=メヒュー”
※魔導書による精神汚染を防ぐため、文字化けさせております。
ゴドリックの精神を黒い霧が入り込み、彼の記憶、人格、感覚、倫理、知識を蝕んでいく。
彼はすかさず短冊を握りつぶした。早期の対策のおかげで精神汚染は誤差のレベルで済んだようだ。ミシェルには悪いが、短冊は灼輪の弩槍で灰も残らないほど厳重に処理させてもらった。
(魔導書の内容とか短冊に書くなよおおおおおお!!裏返しで良かった!死ぬかと思った!)
ゴドリックが面を上げて再び大人が吊る高さの短冊に目を向けた。大人であれば、幼いゆえの残酷さが書き込まれた短冊はないと思ったからだ。
ちょうど目の前に短冊があった。
(ああ。そういえば世界を滅ぼすのが目的だったな。すっかり忘れてた)
ゴドリックはそれを手に取ると短冊が2枚重ねになっていることに気づいた。縁は精巧に揃えられ、糊でくっつけられていた。
“世界中の男がショタ化して永遠に成長しませんように ミランダ=ベネット”
(やっぱり強欲に忠実なんだなぁ…)
“本部の食堂の冷蔵庫からコーラ、食器棚の下の扉からポテチ持ってきて。味はコンソメで。
アレハンドラ=ソカロ”
(織姫と彦星はお前のパシリじゃねええええんだよ!!ってか、
イルミナティ来てたのかよ!全然気づかなかった!)
“昂焚とイチャイチャチュッチュしたい。あと偽装した婚姻届けを受理しなかったクソ市役所職員死ね!
生きたままマキナに皮を剥がれて心臓抜かれて死ね!
ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオ”
(うん。いつものユマさんだ…)
ゴドリックは短冊を眺めるのに夢中になり、掃除が疎かになっていたことに気づいた。急いで掃除しないとジュリアに怒られると思い、慌てて箒を手に取った。しかし、箒が笹竹に当たってしまい、倒れそうになるのをゴドリックが慌てて押さえた。
その時、ゴドリックの目の前に一つの短冊が目に入った。
短冊に書かれた一行の達筆な英文がゴドリックの心を癒していく。
ゴドリックはゆっくり笹を戻すと、テーブルに残っていた短冊とペンを手に取った。
「ゴドリック。掃除の方は終わった?」
奥で掃除をしていたジュリアがカウンターから顔を出した。ゴドリックは慌てて短冊とペンを隠し、箒を手に取った。
「あ!え…ごめん。もう少し時間がかかる」
「そう。明日は学校があるんだからあまり遅くならないようにね」
「分かったよ」
願いなんかじゃない。現実だ。今までも。これからも。
“ジュリアと一緒にいられますように ゴドリック=ブレイク”
Fin
雨雲に覆われたロンドンの街、校外にあるホテルのとある一室は暗かった。部屋の明かり点けず、手元にあるスタンドライトと雲を透かす月明かりだけが空間を仄かに照らす。
その部屋を借りた男、尼乃昂焚は窓辺の椅子に腰かけ、何も映さぬ虚ろな目で外を眺めていた。彼の手にはティル・ナ・ノーグの七夕フェアで配られていた短冊が摘ままれ、傍のテーブルには飲みかけのスコッチウイスキーが入ったロックグラスが置かれていた。
「願い事…か」
彼の短冊には何も書かれていない。空白だ。
パシャッ!
突然フラッシュが焚かれ、昂焚は思わず手で目を覆う。ほとんど暗闇だった部屋が一瞬だけ光に包まれた。
「物憂げな君とは随分レアな光景だ。記念撮影させてもらったよ」
部屋の暗闇から
双鴉道化が現れる。情景と彼(彼女?)の姿からホラー映画のワンシーンのような恐ろしさを感じる。手には先程昂焚を撮影したカメラが握られていた。
「部屋に入るときはノックをしろと何度も言っただろう。俺が酔った勢いで裸踊りでもしていたら、どうするつもりだったんだ?」
「するのかい?」
「いや、しないけど」
いつもの下らないやり取りをしていると、双鴉道化は昂焚の手に握られていた短冊に目を向けた。強く握られていたせいですっかり折り目がついている。
「そういえば、今日は七夕だったね。君は願い事を書いたのかい?」
昂焚は押し黙った。双鴉道化から目を背け、再び雨雲に覆われた空を眺める。
「御覧の通りだ。短冊を貰うだけもらって何も書いていない」
「ほう…」
「今日、ティル・ナ・ノーグに行ったんだ。そこでコーヒーでも啜りながら暇潰しにゴドリックが思わずツッコミを入れるようなふざけた願いを書くつもりだった」
「何とも君らしい嫌がらせだね」
「ああ。けど止めた。良いセンスのふざけた願いが思い浮かばなかったからな」
昂焚がしばらく白紙の短冊を眺める。短冊に何かしらの魔術でも仕掛けてあるのか、まるで催眠術にかかるかのように昂焚の目が虚ろになっていく。
「なぁ。双鴉道化。人は何故“願う”と思う?」
「また哲学的な問答かい?君は好きだね」
「ああ。好きだ。分不相応に暇を持て余すと余計なことばかり考えてしまう」
「願いとは、神という超自然的存在に自らの望みを託し、その力によって願望を達成させようとする行為。まぁ、本気で願いが叶うと考えている人なんていないだろうね。精々気休めだ」
「じゃあ、本気で願いが書けなかった俺は…………一体何なんだろうな」
「『願うことすら諦めた弱者』か『神に願う必要のない強者』のどちらかだろう。君は“どっち”なんだろうね?」
仮面の下で双鴉道化が気味の悪い笑みを浮かべているのが容易に想像できる。どっちを期待しているのかは分からない。しかし、どちらにしてもこの大ボス様は化けの皮が剥がれた親友の姿を見て愉悦に浸り、高らかに笑うだろう。
Fin
最終更新:2014年07月08日 02:11