スラヴィア中部、この地域では他の地域でよく見られる麦畑ではなく菜の花や紅花を栽培する耕作地が多く見受けられる
この地域はスラヴィア随一の紅花・菜種油の一大生産地であり春から初夏にかけてはその盛りを迎える
ポツリポツリと耕作地の中に埋もれるように点在する集落を見渡せる、小高い山と呼ぶには少々低く丘と呼ぶにもやや高すぎるそんな場所にこの地域を治める領主の屋敷はある。
昼間はまるで無人の館のようにひっそりとした雰囲気だが、近圏の村落からやってくる奉公人が出入りしているのがしばしば見受けられる。
彼ら彼女らの仕事はもっぱら屋敷の日中の管理であり、広大な庭園の水遣りや屋敷の住人のお世話などが主な仕事となっている
この屋敷の主人の趣味か人の気配のない屋敷の至る所に佇む全身鎧というのは慣れない者にとってはあまり心臓に良いものではないが、長年奉公をしている者にとっては勝手知ったる場所という具合に手際よくこなしていく。
この場所に限ったことではないがスラヴィアの位の高い者が住む場所には決まった特徴がいくつかある。
一つは遮光性の高いカーテンが窓には必ず使われ、日中でも一部の奉公人が行き来する場所以外は締め切られているということ、このため屋敷の多くの場所での作業にはランプが欠かせない
もう一つは一部の部屋を除いて多くの部屋の入り口が二重構造になっているということ、廊下側の扉と扉の間には小さな部屋のようになっており、廊下側の扉から入った者はまず完全に廊下側の扉を閉めてから内側の扉を開けることが硬く決められている。
館へと奉公にやってくる奉公人が最初に教え込まれるのはこの部屋の出入りに関してのことで、これが出来ぬ者はすぐにお暇を出されてしまうのが常となっている。
「失礼いたします・・・」
ガチャリと扉の開く音と共にまだ初々しさの感じられる声が静かに響く
「あ・・・まだお眠りになっていなかったのですね・・・」
部屋の中は暗く、台車を押して入室してきた奉公人の少女が手にもったランプの明かりだけがユラユラと揺らめき辺りを照らしている。
「はい、今日は鎧を拭かせていただきに参りました」
室内に彼女以外の人の気配はない、しかし彼女はまるで誰かがいるかのように会話を続ける。
「はい、お蔭様で父も随分良くなりました。いただいたお薬のおかげだと思います」
そんな会話をしながら彼女は台車の上の載った油差しを手に取り部屋の中央に置かれた白銀色の鎧に近づく
「失礼します」
そう断りを入れてから彼女はところどころにいくつもの傷を刻んだ、見るからに年季の入った鎧をまだどこかたどたどしい手つきで間接部などに油を差していく。
「どこか調子が悪いところなどはありませんか?私が不慣れなせいで調子を崩されたりしていませんか?」
油を鎧に差しながら少女は不安げな声で尋ねる。
「そうですか・・・良かった。」
少女は安堵の声を漏らす。
「はい、メイド長にはいろいろ教えていただきましたし、ほかの皆さんも親切にしてくれています。」
薄暗がりの中、ランプの明かりを頼りに間接部などへと油差しが終わると、油を染み込ませた布に持ち替え丁寧に鎧の表面や裏側まで磨いていく。
「そんなこと言ってるとメイド長に怒られますよ?」
鎧を磨く間もクスクスと笑い声が漏れるなど彼女は何者かと楽しげに話しをしていたが
「あ・・・いえ、そんな・・・・」
突然、鎧を磨く手を止め俯いてしまう。
ランプの明かりだけが頼りの薄暗い部屋の中だが、もしこれが明るい場所であれば彼女が赤面していることがわかっただろう。
「ご冗談は・・・およしください・・・・」
消え入りそうな声で彼女は何者かへと呟く。
その時、ガチャリと新たに部屋の扉が開く音が聞こえ、部屋の中にもう一つランプの明かりとそれに照らされた人影が出来る。
「手間取ってると思ったらやっぱり・・・・うちの若い子に絡むのも程ほどにしてくださいよギルベルトの旦那?」
恰幅の良い、見るからに長年この屋敷で働いているとわかる中年の奉公人がランプを手に部屋の中に入ってくる。
「あ、メイド長・・・」
「・・・世間話をしてただけ?ふーーん?憶えてますよ?私が若い頃にもそんな風に私を口説いてたのを!」
その瞬間室内に風が吹いたわけでもないのにランプの炎が揺らめく
「ほら、アリア!まだまだお世話しなくちゃならない方々がいるんだからお急ぎよ?」
「あ、はい!もうこれで終わりますから・・・」
アリアと呼ばれた少女は最後の箇所を拭き終わると慌しく台車の中に道具をしまいメイド長の後について部屋を出て行く
部屋から出て行く際ペコリとお辞儀をして扉を閉める
再び部屋の中は無人となり暗闇と静けさに満たされるはずだったが、カチャリカチャリとまるで鎧を着た何者かが部屋の中を歩き回る音が響いていた。
スラヴィアの地に夜が訪れる。
この地に暮らすヒトは夕刻の訪れと共に家路を急ぎ、村落は全ての住人が漏れなく戻ってきたことを確認すると門を閉じ外界とを頑丈な石壁で囲われた障壁で遮断し住民はその中から夜間出ることなく一夜を過ごす。
そして夜の訪れと共に日中日の光を避け暗がりに身を潜めていた者達が一斉に蠢き始める
スラヴィアの真の支配者、永遠の夜を彷徨う屍者達である。
<おはようございます。我が主>
聞き馴染みのある声が彼女の脳内で静かに響く
その声で闇の中に沈んでいた彼女の意識は急速に覚醒していく
寝台を覆う暗幕が外側から開けられ中に漂っていた闇の精霊が「もういいの?」「じゃあね!」と口々に言い合いながら外へと出ていく。
「ん・・・おはようセバス・・・」
ヒトの感覚で言えば今はもうとっぷりと日の暮れた時間帯なのだが彼らの長年の感覚と、かつての生きていた頃の記憶が混ざり合った結果このようなやり取りが当然のようになされる。
<よく眠られましたか?>
テキパキと手甲に覆われた手で暗幕を寝台の四隅の柱にそれぞれ纏めながら声の主は彼女に尋ねる。
「いつも通りよ」
それに彼女はまたいつものごとくそっけなく応える。
<左様で御座いますか。お食事はいかがなされますか?>
「いつものようにお願い」
<かしこまりました>
寝台から起き上がった彼女の召し物をテキパキと脱がせ鮮やかとさえ思える手際で服を着付けながら主人との毎日の日課のやり取りが交わされる。
<先ほど、
新天地からの交易船で来た商人と名乗る者が珍しい物をもってきたと来まして、主に是非お目通りをと求めておりますが、いかがいたしましょう?>
主人が眠っている間の来訪者の報告、それに彼女が興味を示す。
「知った顔?珍しいものって何?」
<いえ、どこぞから主の噂を聞きつけてやってきた新参でございます。品はなんでも「向こう側」の武具だとか>
「なんですって!?それを早く言いなさい!食事は後よ!すぐに連れてきなさい!」
「向こう側の武具」その言葉を聞いた瞬間、それまで寝起き独特のどこかシャッキリとしない表情が残っていた彼女の眼がカッと見開き、彼女の銀色の長い髪を櫛で丁寧に梳かす背後の人物を振り返る。
<そう仰ると思いまして謁見の間に通し待たせております>
「完璧よセバス」
<お褒めにあずかり光栄でございます>
まったく最初からそのタイミングで仕上がるように計っていたのかと思えるほどバッチリなタイミングで主人の着付けを完了させ、セバスと呼ばれる赤銅色のリビングメイルは主人に向かって恭しく一礼した。
「で、コレは何?」
謁見の間、大理石の床の中央に赤い帯状の絨毯が敷かれ、部屋の両脇には等間隔に御影石の柱が並び立ち、その間には何体もの様々なデザインの全身鎧がまるで謁見するものを威圧するかのように立ち並んでいる
そんな空間の奥、数段高くなった場所に設えられた玉座に腰かけ頬杖をつくという傍から見てお世辞にも行儀が良いとは言えない姿勢で、この地域とこの館の支配者である「傀儡侯女」レシエ=バーバルディアは心底ゲンナリした顔と声で目の前に置かれた品々の説明を目の前のヒトに求める。
「はい!これらは新天地より持ってまいりました「向こう側」の武具の数々でございます!」
それまでこの空間の雰囲気に気圧されように頭を垂れていた長毛種の猫人の商人が顔を上げ営業スマイルを浮かべそれに応える。
「それはもう聞いてるわ。私がお前に聞いているのはこれが何かということよ」
「つまり・・・どのように使うものか・・・ということでございましょうか?」
「頭が悪いヒトは嫌いよ?わかっているならさっさと説明なさい」
レシエが不機嫌そうだということに気がついた商人は慌ててご機嫌とりの前口上をキャンセルして商品の説明を開始する。
「で、ではまずはこちらの武器からでございますが・・・・」
そう言うと商人は目の前に並べたいくつかの品から一つを手に取る。
「これは「向こう側」でガンと呼ばれる武器でございます」
「ガン?その鉄の塊が武器?その棒みたいな部分を持って相手を殴る鈍器かしら?それとも太くなってる部分を持って棒の部分で突くのかしら?どちらにしてもひどく醜いデザインね」
「いえいえ、そうではございません。このガンという武器はこれだけではただの鉄の塊でございまして・・・・このように専用の礫をこの中に入れましてですね・・・・」
そう言いながら彼はまだ完全に扱いなれてはいないのか、ぎこちない手つきで弾倉を引き抜き、弾倉に弾丸を装填していく。
「向こう側の世界ではこの武器がもっとも広く使われているという話でございまして・・・この礫さえあればどのような軍勢も恐れるに足らずと言われるほどで・・・」
「へーー・・・」
弾丸を弾倉に込める間もセールストークを展開する商人と、それを早くもどーでもいいという具合に薄い反応で聞き流すレシエ
「恐れながら少々音がいたしますのでお許しのほどを」
「いいわ、許す」
レシエの許しが出たをの確認してから、彼は事前に用意していたのであろう少し離れた場所に置いた壷に照準を合わせて引き金を引く。
パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!
乾いた破裂音のような音が室内に響き、彼によって撃ち出された弾丸は全弾見事壷に命中し壷の中央に4つの弾痕を穿つ
「うん、それで?」
先ほどの銃声が彼女の優れた聴覚には予想外に耳障りだったのかクリクリとした愛らしい瞳を半眼にし眉根を寄せた不機嫌そうな表情と「だからどうした?」というニュアンスのこもった声でレシエは商人の男に問う。
「・・・え?」
まさかそんな反応が返ってくるとは予想もしてなかったのだろう彼は間の抜けた声を出して固まる。
「だからそれだけ?大きな音を出して礫を打ち出すだけならそんな武器を使わなくたってできるし私だってできるわ」
そう言うと彼女はスッと横から差し出された銀器の上に載せられた礫を手に取るとそれを大雑把に壺に照準して親指で軽く弾いて打ち出す
ヒュパッ
彼女に打ち出された礫は一瞬風切り音がしたかと思った次の瞬間壷に命中し粉々に砕け散らせる。
「・・・・・・」
そのあまりにもあまりな光景に口を半開きにして言葉を失う商人の男
「それで、お前が私に見せたいと持ってきた品はこれでおしまい?」
まさに人外といった力の一端を軽く見せつけておきながら、そんなことはどうでもいいと言った空気を漂わせて彼女は商人に問う。
「ま、まさか!これからが目玉商品でございます!」
引きつった顔で慌てて今度は「向こう側」の鎧だと防弾チョッキやヘルメットを持ち出すも、レシエに「どれほど頑丈か試してみて?」と促された赤銅色のリビングメイルの一閃であっさり両断されてしまったりと、レシエの怒りこそ買うもののまったく感心を得ることができない。
「次こそは!」
「これなど・・・」
「こちらの物は・・・」
それからいくつかの「向こう側」の武器や防具を説明するも結果は芳しくないどころかレシエの纏う空気が如実に険悪なものとなっていくという悪循環の末、商人はレシエに無謀にも評価を尋ねてしまう。
「・・・いかがでございましょう?」
「いらない」
完全拒否の即答
「・・・ハ?」
「だからいらないって言ったの?聞こえなかった?あなた頭も悪いし耳も悪いみたいね?」
「いえ、しかしこれらは貴重な「向こう側の武具でございまして・・・」
「もういいわ、どんなものかと少し期待したけどとんだ期待外れ、この男を摘み出しなさい。」
「お、お待ちを!いったい何がご不満なのでしょう!?」
彼を排除しようと四方から歩み出てくるリビングメイルに恐怖しつつもそこで食いさがったのは彼なりの商人としての意地だったのか
「それもわからない?じゃああまりにもあなたの頭が哀れだから教えてあげるけど一言で言って問題外。ヒト同士の殺し合いでなら使い手もあるでしょうけど屍者同士なら話にならないわ。それに何より美しくない。お前がもってきたそれらには私を惹きつけるものが何もない。わかった?わかったらさっさと私の前から消えなさい」
「ヒッ!?」
レシエの心臓が凍てつかせそのまま握り砕くような冷たい視線とプレッシャーに商人の男は思わず悲鳴を漏らし後方へと後ずさり、そのまま床に無様な尻もちをついてしまう。
ゴトリッ
商人が彼女の視線に気圧され尻餅をついた拍子に、彼の腰にぶら下げていた何かが床へと転がり大理石の床を滑る。
その何かを何気なく眼で追ったレシエの表情が瞬時に変わり、次の瞬間玉座には彼女の姿はなく商人の目の前にその姿があった。
「何コレ!?」
これまでとは明らかに違う上擦った響きのある声と、吐息が直接顔にかかりそうなほどの距離に迫った彼女に商人は思わずのけぞる
「は?コレ・・・でございますか・・・?」
「そうよ!なんで今まで隠していたの!?こんな美しいものを私に見せないなんてあなた掛け値なしの愚か者ね!」
「ハ、ハァ・・・・」
いったい彼女が何のことを言ってるのかわからず、彼の目線はしばらく宙を泳ぐが、彼女の手の中に握られた見覚えのある物に気がつく。
「それ・・・のことでございますか?」
「そうよ!あんなガラクタばかりイヤというほど見せたのは私をじらせてコレを高値で売ろうという魂胆だったのかしら?」
「め、滅相もございません!」
彼女の手の中に握られていたのは四隅が柔らかくカーブした曲線を描く長方形型ケースに赤を基調とした中に黒のラインが入ったシンプルなカラーデザインの施されたツールナイフだった。
「いいわ・・・この無骨さと繊細さの合わさったなんとも言えない感じ・・・無駄を削ぎ落としつつも遊び心を忘れていない職人のこだわり・・・・」
その血の流れなどもう何百年と失って久しいはずの頬をわずかに紅潮させてレシエはツールナイフをあれこれ弄繰り回す。
彼女はもちろん、それまで所有していた商人でさえまったく知るはずのないことだが、このツールナイフは日本の大阪下町町工場の職人たちが一つ一つ手作業で作っているということで、日本はおろか海外でも高い評価を得ている「ヤマモトネジ」のブランドツールナイフであり、職人のこだわりなどに敏感に反応するレシエの鑑定眼はそこに反応したのである。
「これはどうやって扱うの?さっさと説明なさい」
「ハ、ハヒッ!」
レシエに命令されるがまま商人は細心の注意を払って彼女にツールナイフの扱い方とどのような使い方ができるのかを説明する。
ここで彼女の機嫌を損ねれば商談どころか命さえ失い兼ねない、そういう確信めいた思いが彼の中にはあった。
「なるほどね、よく出来てるわ・・・・いくら?」
ツールナイフを弄繰る手を止めないままレシエはぶっきらぼうな口調で商人に問う。
「・・・ハ?」
「もったいぶった男は嫌いよ?コレはいくらで売るのかって聞いてるの」
「と・・・言われましても・・・・」
商人は困惑していた。元々はラムールから新天地に寄航した際に偶然知り合った「向こう側」から来たという男にアレコレ親切してやるフリをして恩を売り、こちらの言い値で買い取った品々のひとつで、そもそも彼が個人的にアレコレ細々した作業に便利だと持ち歩いていた物で商品でさえない。
「あぁ!まどろっこしい!セバス!この者に礼金を渡して!」
彼女がそう言うと、傍らにそれまでまるで影か空気のように気配を消して控えていた赤銅色のリビングメイルが銀器の上に皮袋を二つ載せて商人の前に歩み出て「受け取れ」と言うような仕草をする。
「礼金を受け取ったらさっさと荷物をまとめて出て行きなさい!私は忙しいの!セバス後は任せたわ!」
ツールナイフを両手で挟み込むように持ったレシエはどこかソワソワとした仕草でそう言い放って部屋を後にしようとし
「あ・・・あまり期待はしていないけれど・・・もし、そうもし次もこう言った「向こう側」の品が手に入ったなら私のところに持っておいでなさい?気に入ればそれなりの報酬で買い取ってあげるわ」
あくまでも居丈高な口調は崩さず商人にそう告げるとレシエは部屋をそそくさと退室し、後には呆然とする商人とリビングメイルだけが部屋の中に残された。
「まったくなんだったんだ・・・・」
釈然としない思いを残したまま当初の売り込み商品を背中に背負って、商人がレシエの館から外へと出てきたのはそれから少し経ってのことだった。
商人が外へと出たのを確認するように館の扉が重々しい音を闇夜に響かせながら閉まり周りに自分以外誰もいないのをキョロキョロと確認した後に彼は独り言のように喋りはじめる。
「あんな物にご執心だったとは知らなかったぜ・・・まぁ、おかげで貴族の怒りを買うようなことにはならなくて済んだわけだが・・・・」
一時の背筋が凍るような状況からなんとか切り抜けられたという安堵と釈然としない思いを両方感じつつ館から船への帰途の間、彼はアレコレと独り言をブツブツと呟きながら歩く。
館からだいぶ離れたあたりでふと礼金として渡された二つの皮袋の中身を改めて確認しようと思い立ち、受け取った二つの皮袋のうちのひとつ、それなりの硬貨が入っているらしくわりと重みのある皮袋を懐から取り出すと紐を解いて閉口を緩め中を覗き込む
正直それほど期待はしていなかった
「向こう側」の品とは言うもののあくまでも日常の雑事に使う程度の便利道具である
ずいぶんと気に入った様子だったがそれでも背中に背負った武具の当初考えていた諸々の売り上げには遠く及ばないだろう
そう彼は考えていた
「嘘・・・だろ・・・?」
信じられないという思いから思わず声が漏れる。
頭上を照らす月明かりの僅かな光を反射してキラキラと光る皮袋の中身
それは全て金貨だった。
ざっくりと数えただけでも100枚程度の金貨がその中には入っている。
「・・・もしかしてこっちも?」
若干震え気味の声で自分の動揺を落ち着かせるように声を出しながら商人はもう片方の、金貨の入っていた皮袋と比べると拍子抜けするほど軽くジャラジャラと音がする皮袋の紐を解き掌に中身を取り出してみる。
「・・・・・・」
言葉も出なかった
月明かりの下、掌の上にはその月光を反射して煌き輝くいくつかの小石
それがすべて良質ないくつかの種類の宝石の原石だというのは改めて船へと戻って確認してから分かったことだが、この時点でもその報酬があの小さなナイフに明らかに見合っていないだろうというのは直感として感じることができた。
「貴族ってのは本当に理解できねーよ・・・」
半ば呆然としながら商人は呟き、改めてレシエの館を振り返る
「アアン♪この手触り♪この両手にスッポリと収まりそれでいて存在感を主張する直線と曲線の絶妙なデザイン・・・・最高♪」
商人が呆然とレシエの館を振り返っていた同じ頃、その館の主人であるレシエ本人は自室で悶えていた。
「この感動はいつ以来かしら?ログオールの処刑剣を手に入れた時以来?いいえ!あの時よりもはるかに勝るわね、この気持ちは!」
まさに恍惚といった表情で寝台の上をコロコロと転がりまわり時折ツールナイフに頬ずりなどしながら彼女はなおも語り続ける、喋っていないと感動で爆発してしまうというような勢いでこれまでの思い出を振り返る。
「じゃあ何かしら?カー・ハグレッキの懐刀のレプリカを手に入れた時?レプリカと思って期待してなかったら匠聖と謳われたバストゥーヤの初期の作品とわかって驚きと興奮で半年眠れなかった時かしら?」
思い出されるのは50年ほど前の記憶、さすがに半年も眠っていないということでセバスに散々心配されたなどということまで思い出す。
「でもこの初々しい気持ちに一番似ているのは・・・・セバスを始めて見つけた時かしら?」
思い出されるのは屍山血河の戦場のただ中で後に彼女がセバスと名付けるリビングメイルの器となる赤銅色の鎧を見つけた時の光景」
「まったく何も期待してなかったゴミ山の中で宝物を見つけたようなこの気持ちはあの時とよく似てるわね・・・」
その思い出に付随したいくつかの場面を思い出したのか彼女の表情が懐かしさからさらに綻ぶ。
「ハァ・・・♪向こう側の世界にもこんな素晴しい物があるのね・・・・でも素晴しさでは姫姉様には何物も見劣りしてしまうでしょうけど・・・」
そう熱っぽく呟くレシエの脳裏には彼女が心酔するスラヴィアの君主にして屍者の盟主である美しき姫の姿が浮かび、いつしかレシエの右手はツールナイフから離れモゾモゾとスカートを捲り上げ掻き分けてその奥へと伸びる
「サミュラ姉様・・・・・」
それまでの興奮とは別の感情からトロンとした表情で欲求と欲望の昂ぶりをこれからまさに一人慰めようとしたその時
<主、あまり興奮するとお体に差し支えますのでどうか程ほどに・・・・>
背後から突如無神経な声が彼女の脳裏に響く
「・・・・・」
無言で固まるレシエ
<それから先ほどの商人ですが何事もなく立ち去らせましたのでご報告を。そして後回しになっていたお食事ですがいかがされま(ry>
全て言い終わる前に叩き込まれたレシエの強烈な右ストレートで赤銅色のリビングメイルの頭部が盛大に吹き飛び背後の壁にめり込む
「うっさい!食事なんてする気分じゃないわよ!!私がいいって言うまでこの部屋に入るなッ!!!」
<お取り込み中でございましたか・・・これはまことに失r(ry>
今度は胴体が仲良く頭部の横にめり込む。
「いいから出てけッ!!」
<かしこまりました。それでは何か御用がございましたらお呼びください>
まるで何事もなかったかのようにめり込んだ壁から脱出すると、頭部をボコリと音を立てて壁から救出し、まるで帽子を被り直す様な仕草で頭部を元の位置に戻し、リビングメイルは主人に恭しく一礼し部屋を出て行こうとする。しかし、ふと何かに思い至ったように足を止め
<壁の修繕ですが・・・>
「出てけーーーーーーーーッ!!」
彼女が絶叫と共に寝台を持ち上げセバスへと投げ放ったのと、彼が眼にも留まらぬ速さで律儀に一礼まで加えて退室し扉を閉めたのはほぼ同時
すさまじい衝突音と埃が舞い上がり投げ放たれた寝台は扉に半ばまでめり込む形で止まる。
<では修繕は後にいたしましょう。片付けも後で行いますのでそのままにしておいてくださいませ>
まったく何事もなかったようにドア越しにレシエの脳内に言葉を送るセバスに対してレシエはもはや何かを言ったり行動で示す気力さえ無くしプルプルと羞恥と怒りで震えていた。
「グスン・・・・」
いろんなものを意図せず台無しにされたレシエはその後しばらく一人部屋の中で膝を抱えて泣くこととなり
なんだかイヤな思い出が付属してしまったツールナイフは、手放してしまおうかとも彼女は悩んだが、結局は屋敷のコレクションルームの比較的目につきいくい場所に飾るということで落ち着くこととなった。
<ハッハッハッ!それはまったくとんだ災難でございましたなぁ我が主よ!>
「笑いごとで済まないわよ!他人事だと思って気楽な奴ね!」
数日後、壁の補修や寝台の新調などが終わり、以前と変わりない光景を取り戻したレシエの自室で遊戯卓を挟んで座るレシエと白銀色のリビングメイルの姿があった
<まぁ、セバスの奴はそういったことに疎い部分がありますからなぁ、我々はどこかしら生きていた頃に比べて失くしたものがございますゆえ>
遊戯卓の上の黒色の駒を動かしながら白銀色のリビングメイルは語る
「それは私だって変わらないわ。失くしたものが小さいか大きいか、それを自覚できるかできないかという違いでしかないし・・・」
白色の駒を動かしながらレシエもそれに応える。
<左様左様、我らの生は所詮偽り、
モルテ様の遊戯の一端に過ぎませぬ>
白銀のリビングメイルがパチリと一手打ち込んだところでレシエが声を上げる。
「あ!?ちょ、ちょっと待って!」
<待ったは無しとおっしゃったのは主ではございませぬかな?>
「ぐぬぬ・・・」
渋い顔をしてレシエは盤面を睨みながら長めの長考に入る。
その間、白銀色のリビングメイルは傍らの砂時計をひっくり返し、まるでお茶をすする感覚で関節部に油を差し始める。
「・・・それはそうとギルベルト?あなたまた奉公に来ている若い娘に熱を上げているそうね?」
<ヌグッ!?なぜそれを!?>
それまでウンウン盤面を睨み唸っていたレシエがふと何か思い付いたかのように顔を上げ、まるで今日の天気のことを話すような口調で切り出した話題に、ギルベルトと呼ばれた白銀色のリビングメイルはそれまでの余裕を完全に打ち崩され、手にしていた油差しが手から床へと滑り落ち乾いた音を立てる。
「好いた娘のためにアレコレやってれば私の耳におのずから噂は入ってくるわ。この前の勝負の褒美としてあげた霊薬、その娘の父親のためだったそうじゃない?薬なんて不要なあなたがあんな物何に使うのか不思議だったのだけれどこれで納得したわ。」
<・・・・・・・・>
ギルベルトは無言、彼がヒトであったならば視線は宙を盛大に泳ぎ、汗腺という汗腺から滝のような汗が噴き出していたことだろう。
「随分と若い娘だそうだけれどいくつ?14だと聞いたけど?」
<昨日15の祝いを迎えたところでございます・・・>
言い訳は不可能と悟ったか、よほどバツが悪いのかこれまでの歯切れの良い口調とはうって変わってゴニョゴニョと歯切れが悪く声のトーンも低く応える。
「だけどあなたも懲りないというか往生際が悪いというか・・・30年前にも似たようなことあったわよね?」
まるで懐かしい思い出でも思い出すような口調で語りながら、再びあの長考が嘘のように軽やかに盤面の白い駒を動かし始めるレシエ
<それは言わんでくだされ・・・>
それに応えるように自陣の黒い駒を動かすギルベルトだったがその打ち筋にはさきほどまでのキレがない。
「本気で惚れて惚れられて、私の僕としてあるまじきことに駆け落ちまで画策したのも今では良い思い出よね?ん?」
目を細め死神モルテが宿ったかと錯覚するような表情を浮かべてレシエはギルベルトの過去を抉る
<ぐぬぬ・・・・>
ギルベルトはただただ呻くことしかできない。
「まぁ、それも未遂に終わりその恋も弾けたわけだけど・・・」
<あれはあれで良かったのだと今は思っております・・・>
駒を動かしつつギルベルトは短くそう応える、しかし駒の動きから彼の内心をレシエは手に取るように察する。
「屍者とヒト、結ばれようと思うほうが無茶というものよ」
<・・・・・・・・>
レシエは諭すように語り、それに対してのギルベルトの応えは沈黙。
<しかし、今回は違いまする・・・決してそういうことではなく・・・似ておるのです・・・30年前の彼女と・・・>
何かの感情を必死で押し込めるかのように低い声でギルベルトはそうレシエに語る
「フン・・・30年前の事、結局諦めきれてないんじゃないの・・・」
<男とは、死んでも結局未練がましいものでございますな・・・>
「ホント男ってバカな生き物よね。まぁ、相手の方もそうなんだから似た者同士よね・・・」
<何かおっしゃいましたかな?>
「ううん何も、はい王手!」
そう言ってレシエはギルベルトの盤面にパチリと駒を進め王の駒を奪う。
<なんとぉ!?>
「あなた動揺すると采配がブレブレになるわ打ち筋にキレは無いわでダメダメになるわよね?本陣前に切り込まれた時はどうしようかと思ったけど、あの絶望的な状況からの奇跡の逆転王取り大勝利!やっぱり私って天才ね!」
<相手の動揺を誘うなど卑劣な・・・・>
「勝てばいいのよ!勝てば!」
今にも葉巻を取りだして口に咥えそうなほどこの上なく悪い顔でレシエはギルベルトに向かって吐き捨てるように言い放つ
<騎士道精神はどこへ・・・・>
「私オンナだし!騎士じゃないし!これ暇つぶしのゲームだし!」
両手を腰に当てお世辞にも豊かとは言えない胸を目いっぱい張ってなんともヒドいセリフを恥ずかしげもなくむしろ誇らしげに言い放つレシエ
<む、無念・・・>
その横でガクリと力なく鎧でありながら器用に肩を落とすギルベルト
「これでギルベルトとの戦績は4045勝2245敗531引き分けっと・・・」
満足そうに勝敗表に新たな数字を書き込むレシエ
「ここ最近ギルベルトには負け越してたからこの一勝は嬉しいな~、まぁ何が理由で奮起してたかとかシッポは掴んだからもう負けることはないだろうけど・・・」
<なんという非道な・・・・>
勝敗表を見つつアレコレ呟くレシエとその横でその呟きに反応するギルベルト
「フフ、この勢いで次の宴も大勝利するわよ!そうすればお姉さまの御手に・・・エヘヘフヘヘ・・・・」
そこでよからぬ妄想のスイッチが入ったのかレシエはあまり他人には見せられない緩んだ笑みを浮かべて笑う
<我が主はこの癖さえなければどこに対しても恥じぬ自慢の主君なのだが・・・>
ようやく精神的戦闘不能状態から立ち直ったギルベルトがそんな主君を見つめて溜息まじりに評する。
- スラヴィア貴族の日常が自然に描かれていて違和感無く読めるのが面白い。 執事鎧は鉄板な位置づけだったがメイドにアプローチする(若干ロリコンな)鎧が楽しかった。 しかし自慰行為の際は部屋の鍵をかけなければいけませんよ -- (名無しさん) 2012-04-25 17:41:39
- 最後の最後にエヘヘフヘヘでオチつけちゃうとは流石ですレシエ様 -- (名無しさん) 2012-05-28 20:06:26
- ギルベルトとアリアとメイド長の関係がとても微笑ましかったです。スラヴィアンとその他の種族とでは自ずと寿命や成長で差異が出てくるのが関係模様をより複雑にしそうです。レシエ卿は流石鎧たちの主という貫禄がありました -- (ROM) 2013-02-23 19:50:55
- 普段は良識あって面倒見良いのに、サミュラ絡みだと途端にアレな感じになるレシエ様をもっと見たいです -- (名無しさん) 2013-03-09 21:13:56
- 機能性と見た目を兼ね備えつつレシエのお眼鏡にかなう品ってなるとまともに用意すると難しそう -- (名無しさん) 2015-01-30 18:56:34
- 異世界の中でも一つ異世界になっているような不思議な国ですねスラヴィア -- (名無しさん) 2015-09-16 08:15:49
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最終更新:2012年03月31日 02:01