買い出し用の籠を背負って海沿いの道を歩くことしばし、目的地である朝市が立つ蛇言宮の境内に到着。
蛇言宮というのは
ミズハミシマなどの島国や西部大陸の沿岸部に影響力を持ってる旧神
ルガナンを信奉する宗教施設のようなものらしい。
このあたりではダゴン様とかどっかの邪神みたいな名前で呼ばれているが、その昔世界に言葉と意味を与えた大変すごい蛇の神様なんだそうな。
「あんらシゲさんいらっしゃい」
「どうも」
「シゲさん!この前もらったシオカラおいしかったよ!また頂戴ね!」
「できれば買ってくださいよ」
「うちお金ないから物々交換にしておくれよ!」
境内に入ると方々から声がかかる。ミズハミシマに生活の場を移し店を初めて3年になり、この市にも何度も来ているから顔馴染みや知人もそれなりに出来る。
この蛇言宮の境内で週に一度立つ朝市は地元の漁師や野菜売りがその日採れたものやちょっとした加工品を売っているので食材が心もとない時などはかなり重宝している。
「おはようございますグワさん」
「あぁ」
軽く市の中を歩いて今日の出物を確認した俺が足を止めて声をかけたのは朝市の中でも野菜を並べている一角、そこに顔馴染みの鬼族の野菜売りの人が今日も変わらず茣蓙を敷いて野菜を売っていた。
「新鮮な葉物野菜を買いに来たんですけど何かあります?」
「うちはどれも新鮮だ。しなびた野菜なんてあるわけない」
グワさんは相変わらずぶっきらぼうにそう言って目つきの悪い顔でこっちを見上げてくる。
鬼族のグワさんは身長が2m近いので座っていても中腰の俺とあんまり視線が変わらず別に凄んでいるでもなくただそこに座っているだけなのに謎の威圧感がある、口数が少ないだけで悪い人ではないのだがその風貌でかなり損をしているタイプの人だ。
「そりゃわかってますよ。今日のオススメなんです?」
「カズナリだろうな、今の時期のが一番美味い、塩漬けにすれば飯がいくらでも食える」
カズナリは白菜みたいな形の葉物野菜でミズハミシマでは主に塩漬けにして食べられている、姿こそ白菜みたいだがピリリとした辛みがあって食味は芥子菜に近い。
「じゃあカズナリを一株ください。あと、ゲジ芋あります?」
「ゲジ芋はさっき売れた。ほしかったらもっと早くに来るんだな」
口ではそう言いながらグワさんは背中に手を回して網籠を俺の前に取り出す。
「だが、形の悪いゲジ芋なら残ってるが買うか?安くするぞ」
網籠の中には形が不揃いだったり歪だったりなゲジ芋がけっこうな量入っている。
「おぉ!さすがグワさん!買います買います全部買います!」
俺の店で出すのはこういうので十分なのだ、手間暇さえ惜しまなければ多少形が不揃いでも歪でもなんら問題はない。
「この籠全部買うならそのカズナリはオマケしてやる、もってけ」
「いいんですか?」
「こんな形の悪い芋、買うのはお前くらいだからな」
グワさんは目つきも悪いし言葉もぶっきら棒だが悪い人ではない、というかかなり良い人の部類だろう。
俺の家に定期的に野菜をもってくる野菜売りもそうだが、ミズハミシマの野菜売りはなぜか鬼族が多い、そして皆わりと人が良い、と言っても俺の知ってる限りだが。
結果、俺はけっこうな量のゲジ芋とカズナリ一株をかなりお安く手に入れることができた。
ゲジ芋がこれだけあれば煮物にするにせよ揚げ物のネタにするにせよ量で困ることはない。
カズナリはアシゾコという昆布に良く似た海藻の千切りと一緒に浅漬けにしよう、ピリリとした辛みとサクサクとした食感でなかなかに酒が進む一品になる。
「そういえば宮司がお前に用があるらしいぞ?」
「え?宮司さんがですか?」
手に入れた食材で何を作ろうかと考えていると、グワさんが予想外の話を振ってきた。
宮司、それはこの市が立っている境内の奥にある蛇言宮を司る偉い人だ。
「なんでも話があるからシゲを見かけたら教えてほしいと言われた。時間があるなら行ってみろ」
「わかりました。教えてくれてありがとうございます」
俺はそうグワさんに礼を言って境内の奥にある宮司のいるであろう本殿へ足を向ける。
蛇言宮は日本の神社にどことなく雰囲気が似ている。
鳥居などは無いが境内には波に揉まれてすっかり角の無くなった小さな丸石が敷き詰められ、その中央には飛び石が境内の奥の本殿まで敷かれている。
蛇言宮は「知恵者の社」などとも呼ばれ、このあたりの人は週に一度境内を間借りしいくばくかの賃料を払って市を立て、何か困ったことがあると宮司に相談して知恵を借り、それがうまくいけば礼として払えるかぎりで喜捨をする、そんな関係が古くから続いている。
旧神ルガナンを奉ずる蛇言宮のミズハミシマでの立ち位置は何かと特殊だ。
ミズハミシマの主神は日本とミズハミシマを結ぶ
ゲートの力の源泉でもある龍神であるが、だからと言って他の神の信仰が禁じられているというわけではない。
こちら側の他の地域の多くの地域でも似たようなものらしいが、ある地域を支配する有力な神の下にはその神に従うたくさんの神が存在している。
その神々は昔々の神々の時代に有力な神とぶつかって負けて軍門に下ったり、あるいは自ら進んでその配下になったなどといろいろらしい。
だから別にこうしてミズハミシマに他の神を奉ずる場所があってもおかしくはないのだが旧神と呼ばれる存在はそれとはまた別の意味を持っている。
旧神とは神々の時代よりさらに昔、まだ世界が混沌とし世界の形が曖昧だった時代、まだ神もそう多くはなかった時代に存在したいくつかの神のことを現す言葉だ。
今の世界の多くを形作った神々とされ、それと引き換えに世界から消えた存在、それが旧神だ。
旧神の一柱である蛇神ルガナンを信奉する蛇言宮が異世界の各地で強い影響力を持って世界各地で特別に扱われたりしている一方、存在そのものが忘れ去られてしまっている旧神がいたりとなかなかに複雑だ。
「おはようございます。シゲですけど宮司さんおられますか?」
広い境内の奥、太い木材と白や紅の色鮮やかな珊瑚樹で作られた本殿の開け放たれた入口から中を覗き込んで自分が来たことを知らせる。
「……」
しばらく耳を澄ませてみるが返事はない。
「シゲです!お探しだったようなので来ましたッ!」
もう一度、わりとデカい声で本殿の奥にまで声を響かせる。
スルスルスルスルスル……
俺の声が消えてしばらく耳を澄ませていると本殿の奥で何かが床を摺るような物音が聞こえる。
「シゲさん来てくれたん?ありがとねぇ……ちょうどウトウトしとったわぁ」
スルスルスルスル……
本殿の奥からやんわりとした口調の若い女性の声が聞こえ、それとともに何かが床を摺る音がこちらのほうへ近づいてくる。
「俺に相談したいことがあるってグワさんに聞いたので来ました。まぁあのことだと思いますけど」
「ホンマありがとねぇ、シゲさんは察しが良ぉて助かるわぁ」
スルスルスル……
声と共に本殿の奥から現れたのは雪のように白い肌に白く艶のある長い髪、そして血のように赤い瞳の女性、このあたりではわりと肌の黒い人が多いのでその肌の白さは異様とさえ思える。
「この前シゲさんに持ってきてもろぉたばっかりやのにもう無ぉなってしもうて……ホンマに恥ずかしいわぁ」
そう言って彼女は赤い瞳を細め、赤く長い二股に分かれた舌をチロチロとさせる。
「いや、まぁ俺はいつもより多めに手配するだけなんで別にいいんですけどね」
そう言う俺の視線はどうしても目の前の彼女の豊満な胸の谷間に注がれる。
宮司なんていうお堅そうな役職を持っていながら胸元が大きく肌蹴た彼女の今の姿は実に俺のような男には刺激が強い、本人の普段の様子からしてそのことをあまり意識していないようなのでなおさら対処に困る。
しかし、俺の視線が彼女のその豊満な胸に行きがちになってしまうのには他にも理由がある、それは彼女の身長が俺の本来の目線より上であり、俺はどうしても彼女を見上げるようになってしまうからだ。
「ホンマにシゲさんは謙虚やねぇ」
スルスルスルスル……
そう彼女が言うと共に俺の体を足元から腰のあたりまでに巻きつくものがある。
それは長く太い尻尾、目の前の彼女の白い肌と同じ白い艶のある鱗がビッシリと生えた蛇のそれだ。
「客商売は謙虚でなんぼですから」
俺はそのことに意識を向けることなくそう言う、最初の出会いでこそ驚いたが俺の副業のお得意様の一人であるこの蛇言宮の宮司、その彼女の種族の親愛を込めたスキンシップにもう驚くようなことはない。
俺の目の前にいる彼女、この地にある唯一の蛇言宮のたった一人の宮司イマバウさんは、彼女の種族の中でも珍しい白蛇の
ラミアだ。
「じゃあ注文はいつもと同じでいいですか?」
「あんな、今回はびぃるは少なめで、その分ニホン酒を多めにしてほしいんよ」
「わかりました。金額はいつもと同じでビールを減らして日本酒多めで注文しておきますね」
「ありがとぉな」
俺の副業、それはこっちで日本の酒が気に入った人から注文を取って日本の酒を輸入して販売していることだ。
最初は別にそんな商売するつもりもなかったのだが、店で日本から取り寄せた酒を出していたら好評を得て、一部の客から家でも飲みたいから買いたいと言われ、それが今では立派な副業になるほどまでになっている。
「ニホン酒はええねぇ、びぃるも美味しいお酒やけどニホン酒は温めても冷やしても美味しいから好きやわぁ」
「気に入ってもらえたようでうれしいですよ」
このあたりの漁師は酒好きが多く、俺が取り寄せて店で出す日本の酒のファンも最近はかなり多くなったが、このイマバウさんはそんな中でもかなり大口のお客さんだ。
「それじゃ来週くらいには配達しますんで、瓶とケースはその時回収しますね」
「来週かぁ……もう少しなんとかならへんの?」
「目いっぱいがんばって来週なんで許してください」
「ウッカリしとったわぁ・・・今度は半分くらいになったらシゲさんに注文お願いせんとあかんねぇ」
心底残念そうに彼女は言う。前に配達したものが現在どれだけ残っているかは不明だが、こっちの酒も手に入らないこともないのでしばらくはそれで急場を凌いでもらうしかないだろう。
「俺としてはもう少し酒を控えたほうがいいと思いますよ?」
「それができれば苦労せぇへんわぁ、私にとってお酒は命の水やし」
彼女、とにかく三度の飯より酒が好きという相当な酒豪というのはこのあたりではよく知られた話だ。
俺の店に客として来ることは無く、俺が配達したビールや日本酒などの大量の酒を本殿の奥で一人手酌で日がな一日かけて飲んでいるらしい。
それだけ聞くとなんとも自堕落な生活をしているようだが、これでも宮司としての蛇言宮の仕事はキッチリとこなし、さらにはこれまで多くの人間の相談を解決してきたということでこのあたりの者からの信頼はかなり厚い。
「それじゃ、俺は朝の店の支度があるんで帰ります」
「忙しいのにごめんねぇ」
「いえいえ、それじゃまた来週」
「楽しみにお待ちしとります」
俺はそう彼女と言葉を交わして本殿を後にした。
「急いで吉田に注文しないとなぁ……」
背中にグワさんから買った野菜の入った籠を背負い、手には帰りに別の知り合いから買った朝鳴き鳥の卵を持って来た道を戻りながら、受けた注文を日本とのゲートがある海都ヨニカ・ゲア・カシにいる知り合いにいつまでに通知すれば良いかを考える。
「飛脚なら明日までに注文書作って届けてもらわないと間に合わないよなぁ・・・風精便はあんまり文字数多くするとメールの文字化けみたいになるしなぁ……」
ここは異世界、交通インフラも通信インフラもまだまだ日本のように満足ではない、だからこそ日本のように何かに常に追い立てられているような感じもなく日々それなりにやっていけているわけなのだが、こういう時は勝手なもので不便さを感じてしまう。
「まぁ、無難に飛脚にするか・・・今日中に足りないもの調べて注文書書かないとな……」
そんな結論に達したところで、俺は自分の家にたどり着き、裏手の戸口の鍵を開けて中へと入り、手にもった卵を流し台の上に置き、背負った籠を地面に降ろす。
「さぁて、午前中の支度だ」
腕と首を何回かグルリと回して俺は午前中の店の支度を始める。
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最終更新:2013年10月27日 10:24