「来てよかったですね。温泉」
真紅の肌をたたえる鱗人の少女が告げる。
昼間は温かな春先の風も、夜になると少し肌寒い。
満月を移す温泉は、そんな外気を跳ね除けて入浴者たちの身体を守ってくれる。
まるで羊水の中にいるかような錯覚。
水の音だけが生じては、洞窟の中を反響して消えていった。
■■■
クルスベルグは豊富な鉱山資源を元に鍛冶工業で栄える国である。
ノームは地精霊の声を聞き、鉱山から資源を採取する。
ドワーフは火精霊と鉄を操り、資源から武具防具を創り出す。
この国では、鉱山での採掘と武器鍛冶は、国民から切り離せない大切なファクターだ。
採掘が豊富なためだろうか、クルスベルグでは多くの街に鉱山での発掘作業中に偶然掘り当てた温泉が点在する。
職人気質なこの国の娯楽の一つとして、温泉は多くの人々に親しまれている。
そんなクルズベルグの中央部から西南に遠く外れた街、ホズブベルグ。
この国で最も多いとされる剣鍛冶街であるこの街にも、鍛冶職人たちの疲れを癒す温泉が有る。
元々は炭鉱だったが、温泉の噴出を機に地主が温泉として開放している。
洞窟の中にあるという温泉は、今ではホズベルグの隠れ家的名物である。
今回の旅の主役である異人と金魚が宿泊中の宿からそう遠くないところにその洞窟温泉はある。
ゲート経由で異世界へとやってきた俺が、用事を済ませ宿泊中の部屋に戻ると、旅のツレである鱗人の少女が温泉の場所を教えてくれた。
温泉に関する情報の入手元は宿屋の主人だったのようで、宿から温泉へ向かう際「二人っきりで温泉かい?」と茶化された。
「私、温泉って入ったこと無いんです。行ってみませんか?」
彼女の提案を即座に肯定できなかったのは、俺がごくごく平凡な人間で、彼女は異種族の魚人だからだ。
「お前は温泉に入っても大丈夫なのか?茹だったりしないのか?」
彼女は鱗の乗った赤い頬を膨らます。
柔らかそうな頬だけを観察すると、まるで本物の金魚のようだ。
なんだかすぐに壊れてしまいそうで、不安になる。
儚さを感じるのは、幼少期の記憶と夏の屋台のせいだろうか。
「熱いのは苦手ですが、別に弱点ってわけじゃないです。」
ため息をつき、呆れ顔をみせる金魚。
彼女の表情はころころ変わって、俺を退屈させない。
「異人さんは何か勘違いしているみたいですけど、私たちが異人さんみたいな人間と違う所なんて、きっと殆ど無いんですから」
彼女の声は祈りのように力強かったが、ほんの僅かな寂寥が伺えた。
「そうだな。きっと違いなんて無いんだ」
彼女の祈りを誠意をもって受け止める。
同じようで、違う。
違うようで、同じ。
異邦人の俺とこの世界の住人の彼女の間には、薄い膜みたいな隔たりがある。
お互いに触れ合い、感じることはできるけれど、とても些細な違いを未だ無くせない。
いつかこの膜が無くなる時が来るのだろうか。
疑問を脱ぎ払いながら、彼女の提案を受け入れた。
■■■
「営業用の温泉はね。この時間帯は鍛冶職人か鉱山働きの者たちしか入れないんだ。すまないね。
どうしても温泉に入りたいってなら、裏手の洞窟入り口から入れる温水溜りに二人で入ってくるといいよ」
立ち上がっても、俺の膝上くらいまでの身長しかないだろうノームのお婆さんが言う。
ここ温泉の管理者らしいお婆さんは「ほほ、お盛んね。」とでも言いたげな表情をしているように感じる。
この類の年寄りのお節介というのは、善悪の判断が難しい。
「そうですか。わかりました。では異人さん、行ってみましょうか」
金魚は金魚で、嫌がる素振りも見せずに裏手に回ろうとする。
むしろ、早く温泉に浸かりたい欲望を抑えられないようでもある。
育ちが特殊なせいなのか。異世界文化の賜物か。
それとも、ただ単に俺が男として見られていないのか。
よく分からないが、年頃の女の子の風貌の割には、裸体を晒すことに抵抗が無いようだ。
向こうが気にしていないのに、こちらが恥ずかしがると負けた気がする。
役得と思い込むことで、敗北感を払拭し、金魚に手を引かれるがまま裏にあるという温泉を目指した。
お婆さんの話では、歩いてすぐとの事だったのだが、到着には結構な時間を要した。
裏手に回り、採掘によって生じたノーム産の洞窟を歩く。
洞窟内には、松明と火妖精が点在していて、暗くはなかった。
半刻ほど歩いただろうか。
今までの炎の明かりではない、たおやかな月明かりに照らされる温水溜りがあった。
どうやら温泉の回りだけ吹き抜けになっているようだ。粋な演出をしてくれる。
他に湯浴みをしようという客も、今はいない。
結果、二人だけの貸切のようになった。
道中でかいた汗が、春先の夜風に吹かれ体温を奪う。
おかげで温泉に浸かるには中々の身体状況だ。
温泉のすぐ隣にある申し訳程度に屋根が付いた脱衣所らしきものが目に付く。
金魚はそこへ駆け寄ると、恥らいもなく肌を晒した。
俺も負けじと、気にしていない素振りで服を脱ぐ。
恥じらいがないと言うのは少し味気ないな、なんてバカな考えが浮かぶ。
金魚みたいな少女にそういう方面の期待をするのは人間としてどうなんだ、俺。
「凄いですね!湯気が立っている池なんて初めて見ました!
温泉というのは、熱い水でできた池の事を言うのですね」
瞳を輝かせて、嬉しそうにはしゃぐ金魚。
温泉への理解に若干の誤解がある気もしたが、訂正は無粋だろう。
ここ最近の機嫌の悪さもすっかり忘れているようだし、今は二人でこの温泉を楽しむとしよう。
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「だ、大丈夫れふ~」
温泉をたっぷりと堪能した金魚は、回らない呂律でそう言った。
初めての温泉ではしゃぎすぎたのだろう。完璧にのぼせている。
真っ赤な顔を、更に真っ赤に染めた金魚をおぶって、宿への帰路についた。
温泉であまり泳ぐなよ、という警告は意味を成さなかったようだ。
水があれば泳ぎたくなるのは、魚人の抑え切れない衝動なのかもしれない。
「風がきもひいいれふね。それに異人さんの背中も暖かくて気持ちいいれふ~」
金魚はおデコを背中にぐりぐりと擦りつけてきた。
普段はスキンシップを嫌がる金魚にしては珍しい。
朦朧とした意識の金魚は外見相応の性格で、こちらが素なのではないかと疑わせる。
「これからは、放おっておかないでくらはいね~。
わたひには、異人さんしか頼れる人がいないんれふから・・・」
満杯の水槽からこぼれ落ちた水滴のような声が聞こえて、一人反省する。
身寄りがおらず、育った土地からも離れて旅をしている彼女の心細さに気がつかなった。
「ごめんな。これからは、もう少ししっかりする」
彼女を預かる身として、これからのことについて約束する。
これでも今の俺は、彼女の主人なのだから。
「はひ~。こちらこそよろひくおねがいしまひゅ~」
それだけ言うと彼女は、寝息を立て始めた。
やさしい月明かりの下、背中から聞こえる彼女の呼吸のリズムがなんだか心地良かったから、この道がもう少しだけ続けばいい。
そんな戯言が浮かんで消えた。
というわけで、
【異人と金魚】、
【交差点のクルスベルグ】の続き。
金魚と異人さんの仲直り&これから話でした。
続くかもしれないし、コレで終わってもいいかも知れない。
そんなお話。(いや、多分続けるなコレ)
文章力の低さにぐぬぬとなりつつ、あーでもない、こーでもないと物語を書いてます。
何はともあれここまで読んでいただき恐悦至極です。
お目汚し失礼しました。
色んなリンク作品が出る中、全く他作品とリンクできない力量の無さを呪う。
金魚のビジュアルイメージをELEVEsGateろだに上げました。
興味ある人で下手絵でも許容できる人は見てやってください。
- 煮魚ちゃんエロかわいい(違 ろだのも普通にかわいいじゃないかと。 -- (名無しさん) 2011-08-30 16:40:33
- ゆで金魚かわかわ -- (名無しさん) 2011-08-30 20:22:20
- 隠し湯のようなシチュエーションに二人っきりとはお婆さんでなくてもお盛んねと言ってしまいたくなるでしょう。純真さと大胆さに少しの下心というのを金魚さんに感じました -- (名無しさん) 2013-03-24 19:23:42
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最終更新:2013年03月30日 13:16