足を踏み入れるとその壮観さにいつも息を飲む。
地下に出来た大空洞はまさに大工場だ。
明かりとりの大きな多肉性植物が照らす通路を幾人もの蟻人たちが忙しなく行き交い、作業机の上で手元を動かしている。
他国でもこれほど整然と組織だった生産施設はそうはあるまい。事実、私はここ以上に整った工場を見たことが無い。
六角形のデスクが両脇に所狭しと並ぶ大通路の先で一人の蟻人が手招きをしていた。
《早くいらっしゃるのがよろしいでしょう。通行の邪魔です故》
「………ン。うン、了解しタ」
私も様々な国に渡る都合で言語については様々なものが扱えるが、ここの言葉を覚えるのはいよいよ苦労した。
彼らはフェロモン―――匂いのようなものと言う他に言い様がない―――で意思疎通をする。遠くまですぐに届かないという不便利さの代わりにその場に一定時間残るという利点を獲得している、彼らだけの言語だ。
鮫の魚人である私は鼻が利く。お陰でコツを覚えるのは早かったがそれでも習熟には時間をかけた。他の者は通訳なしには厳しいだろう。
私が道の脇にずれると横を巨大な甲虫がのしのしと我が物顔で歩いていく。上にはやはり蟻人が乗っており、甲虫は大きな荷車を引いていた。
ちらりと覗き込むと想像の通り、多種多様な植物がいっぱいに満載してある。合理的、画一的を好むここの連中の例に従ってきっちりかっちりと区分分けをされていた。
甲虫の上に乗った蟻人がすれ違いざまにぺこりと頭と触角を下げてくる。
《感謝しています。貴方のご協力により通路が有効に使えます故》
「ハいヨ。お疲レさン」
《その労いは正当なものであると思います。頑張っています故》
相変わらず言葉遣いの面白い連中である。
がらがらと騒々しく音を立てて荷車を引いた甲虫は通路の向こうへ去って行った。途中で道を曲がり、違う区画へ材料を運んでいく。
ふと後ろを振り返ると同じような集団が列を成してやってくる。
甲虫の上の蟻人たちは道の脇をのたのたと亀のように歩く私―――とろくさく思われるかもしれないがこれが最速だ―――へ訝しげなフェロモンを発し、そして先を行く案内役の蟻人を見て理解したのかそのフェロモンは言葉の形を成さずに流れて行った。
その間、行列に脇目もふらず作業に没頭する作業机に並ぶ蟻人たちを見てぼんやりと呟く。
「精ガ出ル事だナァ」
《それは当然です。我々は頑張り者です故。貴方は頑張っていないのですか?》
「ソりゃアまぁ頑張ってハいルガ、所詮個人レベルの頑張リだカラな。組織立ってコうシていルのヲ見ルとやハリ大しタもノダと思ウ」
《そのお褒めの言葉は正当なものであると思います。我々の女王は独自のお考えを打ち出されました故。これは導き出された結論です》
心なしかえっへんと胸を張る案内役。
まぁ言っていることに間違いはない。
ディルカカの演算領域を今も争い合う蟲人としてはここの蟻人のやり口は相当変わっている。
『他人のやらないことをする』というのは商売人のひとつの心得だが似たようなやり口と言える。真っ向からぶつかって無理なら別の方面からアプローチ。結構なことだ。
「スまナイな。時間ヲ取ラセた。先ヲ急ごウ」
《それが妥当かと思います。つとめて迅速であることは効率化の第一歩です故》
せかす案内役を追って、私は石灰のような白い通路をせっせと歩いた。
とろくさい。短足だから見た目よりも遅くしか進まないのは私の体の仕様です故。
私はヴだ。名前である。一文字だ。本当はもっと長いが正式な名前は誰も覚えられないので割愛する。
《鮫》の魚人である私は海運業を営んでいる。あちらの国で品を買付け、そちらの国で品を売りつけ、こちらの国でまた品を買い付けるといった塩梅に。
今回、私は
マセ・バズークへ商売へやってきていた。
とはいえ、だ。
私がこの国で商売をするといえば、決まってこのコロニー『プロフェシー』にしか訪れない。
どうにも、この国の者は商売下手だ。比較的閉鎖的な国家体制のせいか、上手く利用すれば暴利を貪ることも出来るのかもしれないがあまり恨みは買いたくない。
その点、『プロフェシー』は違う。
「やぁやぁ、ヴ様!ようこそいらっしゃいました!この度も良き商いを望みますよ!ええ!」
幾何学的な壁面の模様に彩られた簡素な応接室に、大仰な手振りでひとりの蟲人が入ってきた。
このコロニーに属するほかの蟻人とは違い、彼は流暢な音声による言語を話す。見た目からして大きく違う。
通常の蟻人が「より蟲人らしい」姿をしているとするなら、彼はどちらかといえば人間により近しい姿をしている。
関節や浮き出る甲殻を見れば蟲人だということはすぐにわかるが、顔立ちなどは人間らしさがそれらしく浮き出ている容姿だ。
逆立つ髪の毛――蟲人の場合髪の毛なのかどうかは分からないが、仮にそうしておく――をオールバックにきっちりと纏め、小柄な体を品のいいパンツとジャケットに身を包んでいる。
理由のない、ひいては実利のないことはしないのがここの国の連中だ。もちろんそうした容姿や振る舞いには、理由があった。
「よクモ繁盛シていルようダなドリトロ。全ク羨まシい限リダ」
「いえいえいえ!ひとえにこうしてはるばる貿易にいらっしゃる皆様のおかげでございますよ!感謝感謝でございます!」
人好きのする明るさでまくし立てるドリトロ。そう、この男には固有の名がある。コロニーに属する蟻人では珍しいことだ。
《ハキリアリ》の蟻人のコロニーである『プロフェシー』最大の特徴は、ある意味この小男に集約されているといっても過言ではない。
私は放っておけばいつまでも際限なく世辞を喋りそうなドリトロを遮るべく、口を開いた。
「ドリトロ、そレデ今回の商売だガ」
「あぁはい、心得ておりますとも。いつもの品でよろしいでしょうか?」
「あァ、頼ム」
「量はどうなさいますか?いつもの通り?この度は当たりの季と自負しております!3等から1等、細かい注文に至るまでより良い品質の葉巻を提供できますよ!」
「品定メしテモ?」
「既にこちらにございます!」
どこから取り出したのか、魔法のように何本かの葉巻が目の前に陶器の器に乗せられて出てきた。
ああ、最初からそのつもりだったのだな。ドリトロの商売人の笑顔に苦笑をしつつ、葉巻を手にとった。
すかさず伸びてくる火をやんわりと断り、私は自前の燐寸で煙草に火をつける。
立ち上る煙を視線で追いながら、ぼんやりと思索に耽る。
私がここを商いの対象とするのは理由がある。『プロフェシー』は、蟻人のコロニーの中では異端と言っていい。
このマセ・バズークは多くのコロニーによって分割される、ある意味では戦国時代を今も継続している国だ。多くの蟲人は主神であるディルカカから与えられる演算領域を求め、鎬を削っている。
魚人たる私には理解のできないことだがこれも彼らの文化だ。そういうものであると受け入れるものだ。国家のひとつひとつには今なお抱える問題や伝統があり、こうして貿易をするため渡り歩く私のような身になるとそれを深く考えさせられる。
話を戻そう。その蟲人たちのディルカカを争う姿勢にも千差万別がある。
この『プロフェシー』は、そういった中で「争わないことでディルカカの独占を狙う」稀有なコロニーだ。
昔、まだ私がここに訪るようになってまだ付き合いの浅い頃、ドリトロは語った。
『我々プロフェシーの女王陛下はこうお考えになったのです。「このように争いを続けていれば他のコロニーたちはいずれ疲弊して潰れていく。武力や情報統制を強化したところでそうあっさりと演算領域を独占できることはないというのは歴史が証明している。ならば機が熟すまでマセ・バズーク国内に依らない外貨を獲得して国を富ますことで、いずれ来たる我々の時代へと備えよう」と』
合理性と自らが持っている選択肢を突き詰めた結論を、この『プロフェシー』の連中は世界の需要に求めたのだ。
結果、彼らは保有するある程度の演算領域以上を望まず、マセ・バズークに存在する希少な植物を加工して我々のような商売人へと販売し輸出することで外貨を獲得し今の繁栄を築いている。
『プロフェシー』は決して競争から降りたのではない。今なお不気味にひたすら牙を研ぎ続ける集団、それが『プロフェシー』だ。
葉巻の出来を味わった私はいつの間にか目の前に置いてある灰皿に葉巻を置いた。
「良イ。いツモの品種ヲ船ニ積めルだケもらオう。1等ヲ多メに頼ム」
「かしこまりました!毎度ありがとうございます!」
にこにこと柔らかな相好を崩さず品物取り扱いの契約書の要項にドリトロは何やら書き込んでいく。品物の数だろう。
この国の品物はそれなりに値を張る。安値であるとは、言い難い。
だが連中もそれを理解していて、他の国では提供できない品質のものを常に提供してくる。これは商いにおいて驚異的だ。他の国で出来ないものは、他の国では売れるのだ。
貿易というものの基本的な考え方を『プロフェシー』は熟知している。自分が要らないものは、誰かが要る。そういうことは往々にしてある。
「しカシ、こコ以外のコロニーも同ジ事ヲすレば儲かルダろウに。ディルカカはどイツもコいツも頭ノいイのが揃っテいル印象だガ、妙ニ頭が固イな」
「煙草の葉など他の国の方々は見向きもしないでしょう。そのままでは多くの我らにとって毒にしかなりませんからね、ええ」
「しカし、味ハ良い」
「ええ、だからこそ物の加工に長ける我々『プロフェシー』の出番です。陛下がこのような方針を打ち出せた裏付けでもあります、それはお分かりでしょう?いやぁお陰様で!大
ゲート解放以来輸出需要も増し業績は黒字続きでございます!」
4本の腕で器用に揉み手をふたつ作り商売用の笑顔を振りまくドリトロ。私も随分このコロニーには儲けさせてもらっているので悪いことではない。
ドリトロもまた、このコロニーの女王によってデザインされた蟻人だ。そう、外部との折衝用に。
だから調整の結果比較的虫らしくない見た目をし、一部独立した演算機能を持ち、音声による言語を何ヶ国語も駆使し、そして通常の蟻人と違い長命である。来るたび担当が変わっているとこちらがやりにくいだろうという配慮からだそうだ。
外部との交易を行うコロニーというのは他にもあるが、ここまで特化しているのは『プロフェシー』以外に知らない。探せばあるのかもしれないが、少なくとも私は。
「さてはて、品物の件は了解いたしました。どうでしょう?この際他の品もお取扱いになられるのは?我がコロニーの生産物は煙草に限らずディルルカの多様かつ希少な植物から作られる様々な物品に及んでおりますよ」
「知っテイる。が、ドうニも船ニ積めル品物ニは限りガあってナ」
「失礼ながら、以前よりヴ様について思いますのは…」
と、ドリトロが表情に訝しみの色を筆の先ほどの微量足して尋ねてきた。
「個人経営から拡張しようとすれば出来る立場におられると推察いたします。それだけの人脈もおありになるご様子。組合を持てばよりよい儲けを得られるはずですのに、なさるおつもりは無いのですか?」
「金儲ケすルのハ好キだガね。私ハこノくライが身ノ丈ニ合っテイる。そレに」
「はい」
「椅子ニ踏ん反り返ル立場ハそレコそ性ニ合わン。あンマりそウイう付キ合イをすル身内ガ増エると、魂ガ重クナるトいウものダ」
「ふむ。そういったものですか。いやこれは重ね重ね失礼しました」
あまり興味なさそうに帳簿へと目を戻すドリトロ。脳内の演算機能はもう既にそろばんを弾いていることだろう。
深くは追及せぬことにしたようだ。いくら折衝用に作られたといってもこの男も蟻人の一味、合理的を目指す性質からすれば私の言は納得しえぬものかもしれない。
私とて、手持ちの貨物船で生み出せる金貨の枚数を一枚でも多くしようという向上心が無いとは言わない。
だが言った言葉に嘘も無い。私が手にしたいと願うのは私の手が握れる範囲の金貨だ。船を駆って世界を相手に商売するのは私の人生で、桶まで使って無理矢理金貨を掻き出そうとまでは思いはしないのだ。
その気持ちをこの者たちに理解してくれとも言わない。私は帳簿に書き込む手を止めないドリトロに声をかけた。
「ソちラコそ、一体後何枚ノ金貨ヲ集めヨウといウノだネ」
冗談めかして言った私に、ドリトロは普段から崩さない笑顔へ今度は獰猛さを匙にひとすくい混ぜた。
「これが我々の"戦争"ですから」
「シかシもウ少しまからンカね」
「これ以上はビタ一文も無理でございます。これでもお得意様です故、この手間賃はいただいてないのですよ?」
「ちナミに、手間賃が入ルと」
「お聞きなさりたい?」
「イや」
積荷の葉巻を満載した木箱がぼんやりとした灯りに照らされる私の船に積まれていくのを確認しながら私は肩をすくめた。『プロフェシー』の港である海に面した洞穴は今は停留する他の商人たちの船も少なく、見渡して数隻波に揺られているのを確認できるばかりである。
見送りに来たドリトロは朗らかに笑いつつ私と並んでその作業を薄暗さの中見つめている。
彼らにとっては決して私の船に積む量など大口の商売ではないのだろうが、小物ひとつとっても品物が売れれば商人は嬉しいものだ。
土木運搬用に使われる甲虫の強靭な甲殻が列を成すのを黙って私は見送った。
「こちらでも品質については厳重にひとつひとつ確認して梱包しておりますが、不備があれば便りでお申し付けくださいませ」
「分かっテイる。サほド心配モしテいナイがな」
「ご信頼いただき誠にありがとうございます!恐縮でございます!さてはて、次にいらっしゃいますのはいつごろになるでしょうか」
「コこかラ海流ニ乗っテ大延国に行っテ……」
エリスタリア、ラ・ムールと積荷を降ろしたり積んだりしつつ《海嵐》の到来前にミズハミシマに戻らなくてはならないから、
クルスベルグまで行く余裕はないだろう。
この葉巻はいつものように半分を途中で、半分をミズハミシマまで持ち帰りいくつかは税収に収めることになる。税務の役人に一人ここの葉巻を愛好しているのがいるのでそいつに渡す分もとっておかなくてはならない。賄賂?どうとでも言え。
その旨を話すとドリトロは難色を示した。
「となりますれば、少々間隔が空くことになりますな」
「海嵐ニ巻キ込まレたクは無イかラナ。ソの後ぐルっと回っテ、来るトスれば早クて二季ほド先にナるカ」
「成程了解いたしました。ではそれまでにコロニーが無くなっているようなこと無きよう我々も全力を尽くさねばなりませんね」
「プロフェシーが?アり得ヌよ」
「ま、ぶっちゃけるとそうでしょう」
手早く甲虫の上に載って荷物を運搬する蟻人に指示を出したドリトロは振り返って苦笑する。
「昔はともかく、今はどこだって慎重姿勢です。マセ・バズークにおいては演算領域の大きさこそコロニーの大きさ。そういった意味では守勢の我々はよく言って中堅ですが……何、たかだか何百年かの辛抱です」
「気長な話ダなァ」
「しかし女王陛下の計算に狂いはないと我々は確信しております!というわけですので、次にいらっしゃるまでに新しい葉巻の品種を創作しておきましょう」
「楽しミニシていルよ」
では、またお会いしましょうと返事もそこそこに次の商談へ向かったドリトロの背を私は見送る。
数百年か。百年後とて私は生きているかどうか分からないのにとんでもない話だ。
長命なドリトロとてその年月には耐えることは出来ないだろう。しかし連中にその憂いは無い。特異個体のドリトロのような者ですらこのコロニーの一部に過ぎないからだ。
蟻人たちの死の概念は私には分からない。理解してはたまらない。私は死ぬまでひとつの個でありたいものだ。
いつかマセ・バズークをこのコロニーが席巻する日は来るのだろうか。しかし、それを私が見ることはおそらくないだろう。
私にとって『プロフェシー』はひとつの優良な商売相手だ。それでいい。
「………サて、船を出スか」
少し小腹も減った。途中でどこか適当な場所に寄港して腹に何か入れることにしよう。
マセ・バズークの料理はよく分からないものが多いが……おおよその珍味というやつを避けると決めて、私は船の係留縄をほどきにかかった。
- シリーズで一番実感がなかったマセバズークがここで登場おどろいた。ちょっと風変わりなの大勢いる国であっても会話が成立するなら大丈夫なんだなという商人魂をあらためて実感した -- (としあき) 2013-11-30 20:41:54
- マセバは想像しにくい国だからこう言う特徴あるSSがあるととても参考になります。「~です。~故に」って話し方は癖になりそう -- (名無しさん) 2013-11-30 22:39:50
- 何でも自国で生産できると思っていただけに、蟲人が“欲”を持つとどうなっていくんだろう?と考えた一作でした -- (名無しさん) 2013-12-13 22:35:18
- 国ごとに様々な特徴がある異世界の中でも特に多様性と独自性を併せ持つのがマセ・バズークであると思います。バイオで組織されるマシン構造から氏族によってガラリと変わる領内の様子は国の中に無数の国があるようです。その中でも国外へ関心を持つ氏族とコンタクトを取り繋がることができれば商売として大きな利益の可能性があるのだろうと思いますが、それでも特徴的な彼らと付き合っていくのは海千山千の商人でも中々に難しいのかなと思いました -- (名無しさん) 2018-06-24 17:16:43
最終更新:2015年11月18日 15:56