【大延国の通関司、時を超えるのこと】

 テンコウの助けを借りて、セイランは一息に屋根に駆け上がった。
 足音も軽く降り立って、腰に手を当てあたりを見回す。夜闇に沈む家々の間に目を凝らせば、そこには綱が張り渡されている。そこかしこで作業をしている人足たちの手元を照らしていた光精が、一つまた一つと容器の中へ戻っていく。最後の一つがひっくり返された壺の中に消えたのを確認すると、セイランは声を張り上げた。
「点灯、お願いしまーす!」
 ずおおおお、と低い音がして――色とりどりの灯籠が、暗闇の中に輝いた。セイランはため息をもらした。下で灯籠を見上げる男たちもまた、いかにも感心したようにうなずき――
 不意に、すべての灯りが忽然と消え失せた。
「あーあ」「やっぱ駄目ですねえ、公主さま」「だから俺は言ったんですよ。この電気ってやつは使えねえって」
 口々に野次る男たちは拳を振り上げ、セイランはすっかり困り果てた。光精の収まる壺が蹴倒され、中から精霊たちがおずおずと顔を出す。光精霊たちは、地面におかれた機会に恐る恐る近寄った。先ほどまで低いうなり声を上げていた機械は、今やうんともすんとも言わず、暗闇の中に伏せている。
「みなさん、もっかいやります。今度はちゃんと動きますから」
「昨日も駄目、今日も駄目とくりゃ、今度も駄目じゃねえですかねえ」
「こんな当てにならない代物より、うちの灯籠を使ってくださいよ。どっちがいいかなんてバカでもわかりますぜ」
「こら、お前ら、公主様になんて口ききやがる」
 年かさの牛人――ライドウが、騒ぐ人足たちを怒鳴りつけた。屋根上のセイランを見上げて、ライドウの塩辛声が少し優しくなった。
「とはいえ、こいつぁちょっといけませんや。そう思いませんか、公主様」
「一応、点きはしましたよ」
「それで用が足りるんならかまやしませんがね」
「あのですね、一応これは、あえて異世界の道具を使ってるんです。親善の意を込めてですね」
 ライドウは首をかしげさえしない。単に、思い出したように脇を見るだけである。正面切って異議を唱えられるより、はるかに効く。セイラン自身、自分の言い分に納得していないとなれば効果は絶大である。
 点きもせぬ電燈など、親善の証になるわけがない。セイランとて、そんなことはとっくにわかっているのである。ならばなぜ、もっともらしくさえないお題目を唱えて電燈にこだわるか、と言えば――
「お代のことなら、それなりに勉強させてもらいますがね。今後もお付き合いしていく相手に吹っかけるほどの業突く張りじゃありませんや」
 ライドウに真の理由を見透かされ、セイランの顔が熱を持った。いかにも、電燈にこだわるのはお金がないからである。より正確に言えば、灯りの用意に当てるはずだったお金は、この発電機と燃料とに費やされて大半が消えたからである。後に引けない。引くべき後が既にない。
 引けるものなら引きたいです――という思いを、セイランは心中もてあそぶ。
 どのあたりまで引きたいかと言えば、カンペイが得体の知れない機械を抱えて通関司に乗り込んできたあたりまで引きたい。「これぞ異界の灯火! 光精霊なぞかき消す明るさ! 今度の祭りにぴったりですぞ!」と口から唾を飛ばすカンペイに耳を貸すなと過去の自分に伝えたい。「本来ならこんなにも値が張るところを独自の伝手でこのお値段! いまなら必須の燃料もタダで付けてさらにお得ですぞ! 現品限り、期間限定のお値打ち商品を見逃すほどのバカではありますまいな?」なんて売り文句に騙されるなと言いたい。いくら激務の日々だからと言って、いくら初めての大仕事に意気込んでいたからといって、考えなしで突っ走ってもろくなことにはならないのだと伝えたい。「信頼性に欠けるのでは……」と忠告してくれた大師に従え、さもないとひどい目にあいますよと脅かしたい。
 とはいえ、起こってしまったことはもはやどうしようもなく、だからセイランは燃料を食う以外の仕事をしようとしない発電機と、一向に灯ろうとしない電灯を抱えて、文句たらたらの灯師組合を向こうに回して苦しい立場に追い込まれているのである。
「そろそろ祭りも本番ですぜ。準備に当てられる時間も満足とはいえやせんが、今のこれよりは良いものをお出ししまさあ。俺たちだって、祭りは成功してほしいですからね」
 すでにして、ライドウはセイランのことを見透かしている。自分からドツボにはまっているセイランに手を差し伸べ、正しい道に戻そうとしてくれているのである。
 ふと、セイランの肩から力が抜けた。間違いを認められずに駄々をこねるには、セイランはもはや、大人に過ぎた。


 吉風公主セイランは、今上皇帝クウリの第37子であり、大ゲートの通行を管理する通関司の長である。
 かつてセイランたちは、封仙の書を異世界に持ち出そうとする事件に巻き込まれた。躍書のばらまきに始まった事件は大ゲートテロへとつながり、セイランたちは解決にあたって大きな役割を果たした。あれから一年。テロの被害も徐々に癒え、封仙の書は安全な場所に移されて、条件付きとはいえ地球からの通行も回復している。通関司の仕事も増え、事件を通じて学ぶところも多かったセイランは、日々の仕事に熱心に取り組むようになった。
 そんなセイラン目下の課題は、大ゲート祭である。
 両世界の対立を払しょくし、親善を図るためとして行われることになったこのお祭りは、大延国のみならず世界の国すべてが参加することになっている。普段は崑崙にしかつながっていない大延国のゲートも、この祭りの間だけは他のゲートすべてに接続する。人々大いに交わり、あるいは普段なら訪れることの難しい異国に赴くことができるとあって、この祭りは地球の人々のみならず、こちらの世界の人々をも引き付ける。
 勢い、この大ゲートのある門市城は大勢の人でごった返することが予想され、その面倒を見るのは誰か、と言えば、セイランたち通関司をおいてほかにないのである。他にあったらよかったのに、という思いを、セイランは口に出したことがない。
 不足。状況はこの一言に尽きた。
 まず宿が足りない。飯も足りない。異人が使うための通貨も足りない。警備の人手も、さらには用を足す場所やその処理能力も足りていない。これらすべてを申し分なく差配し、山積みになった問題を解決するだけの金も時間も足りないのである。
 ゲートテロが通関司を急襲した不測の事態であるなら、さしずめ大ゲート祭りはまっとうな仕事の部類に入り、いずれにせよ困難であることには変わりない。
 そして困難だからといって、投げ出すセイランではないのである。
 異人相手ならば期間限定で部屋を貸す許可を出して回り、衛士や両替商の協力を得て、軍糧や金を準備してもらう。大師の伝手をたどって塩客を雇い、市中の警備を臨時に増強する。便所穴を掘り、たまったごみを運び出して捨てる件については、カンペイの協力を取り付けなくてはならなかった。土地の大精霊、怨砂老人と彼の母親とが懇意にしているからである。文句たらたらのカンペイを黙らせるに当たってセイランは役立たずの発電機を売りつけられたことを持ち出し、だからこの一点においては例の発電機も役に立ったと言えなくもない。万が一発電機が動いてしまえばカンペイに言うことを聞かせられなくなる道理だが、そうなったらなったでほかの材料を持ち出すまでである。政治的駆け引きの何たるかについて、セイランはいやおうなく実地で学びつつあった。
 だから――と、セイランはライドウに伝える言葉を探した。そうですね。もうあきらめます。ついては、灯籠代はちょっとまけてください。
 と、その時である。あたりにふと、灯りが満ちた。
 機嫌が直ったか――と電灯を見れば、うんともすんとも言った様子がない。明かりの源を探せば、人足たちは皆一様にぽかんと口を開けて同じ方角を見ている。大ゲートであった。街の中心部に屹立する金炎の門が、大きく燃え上がりつつあった。
 あれは――
「すみません、ライドウさん」「へい」「ちょっとその話は後にお願いします。急用ができたので」「あいよ」
 ぺこりと頭を下げると、セイランはテンコウに手をかけ、空へと舞い上がった。
 ちらりと地上を振り返れば、電灯がぽっと灯るのが目に入った。興奮した光精が飛び回り、電灯にはまり込んで発光しているのだ。揺れながら光る灯りを見るほどに、セイランの胸に宿る騒ぎは引いていった。
 大ゲート目指して、セイランは一直線に舞い降りた。



 セイランが降り立っても、金羅は見向きもしなかった。
 一心にゲートに縋り付くようにして、眉をしかめて何事かつぶやく。視線があちらへこちらへと揺れるのは、門が差しだす躍字を追っているためである。大ゲートはそれ自体がある種の知性を宿し、問いかければ答えもする。九つの尾をばさりと広げて、金羅は何事かを問いかけていた。
 何をか――と言えば、それはセイランにはわからない。質問することもはばかられて、セイランは大ゲートと金羅とを交互に見詰めた。金炎に照らされた婚らの横顔は何とも言えず真剣で、どこか苛立たしげでもある。躍字が引っこみ、ゲートの輝きが失せて、ため息をついた金羅の目がふとセイランに留まった。セイランは慌てて叩頭した。
「こんばんは、セイランちゃん。まだ起きてたの?」「御目文字叶いまして光栄です、金羅さま」「いいのよ、そんなにかしこまんなくて。急な用事があって押しかけたの」「はあ」「ああ、大丈夫よ。セイランちゃんが悪いとかじゃないから」
 ゲートにちらと目を向けつつ、金羅はひらひらと手を振った。
 セイランは皇帝の子であり、後宮で育った。後宮に住まう金羅とは顔見知りである。むろん相手は神であり、こちらは一回の小娘であるから、ことは礼儀をわきまえたうえでという但し書きが付く。一方で金羅はといえば、細かな作法を気に掛ける人柄ではなくいかにも気安い。セイランがあまた抱える親戚の一人であるかのように振る舞うのである。セイラン一人が特別というわけではなく、金羅が分け隔てをしないというだけのことである。
 そういう相手であるから、どれだけ礼儀正しくするかの加減はなかなか難しい。結局、セイランは親戚の子供としてではなく、通関司として応対することにした。
「金羅さま、ゲートに何か問題でもございましたか?」
「ちょっとね。ここを通る人がいるはずなのよね」
「でしたら、『天網』で――」
 反射的に言葉に出してから、セイランは口を押えた。金羅さまが『天網』のことを思いつかなかったわけがない。何しろ、作ったのは金羅さまその人なのだから。
 『天網』ができたのは、ゲートテロの後である。テロリストたちはどうやってかゲートの機能を操り、混乱させて、本来ならば通行不可能であったはずの武器を持ち込んで破壊の限りを尽くした。その反省から、門神と人間両方の監視体制が強化された。『天網』はその中核をなすものだ。ゲートを通行するものは、ひそかに印をつけられる。印は神力によって着用者の情報を記録し、門神を通じて場所や状態を見張り、緊急時には遠隔操作で拘束を行うこともできる。
 もちろん、のぞき見のためにあるわけではないから、使える人物は限られている。セイランもごく一部の機能を使うことが許されている。通関司として迷子を捜し、あるいは怪我や面倒事に巻き込まれた人々をいち早く察知することで、セイランの仕事は大いにはかどってきたものである。
 まして金羅に――『天網』を動かす力の源たる神様に機能の使用制限が課されているはずもない。出入り記録を眺めてため息をついているということは、『天網』が効かない相手ということである。案の定、金羅は首を振った。
「まだ通過してないのよ。するかどうかもわかんないけど」
 金羅は再びゲートをにらむ。心なしか、ゲートの炎が元気をなくしている感じがして、セイランは目をしばたいた。
 ――ここまで金羅さまをイライラさせるなんて、一体だれが逃げたんでしょう。
「あの、金羅さま、私はお力になれませんか。ゲートの通行に関することでしたら、通関司が何とかします」
「そうねえ」
 なぜか金羅は言い淀む。そのことが、ますますセイランの背を押した。
「悪い人だったら大変です。教えてください」
「あのね、別に悪い人じゃないのよ。ちょっと思いつめてるだけなの」
「お手伝いさせてください」
「んー、気持ちはありがたいんだけど、これはちょっと私がやらないといけないこと――あら?」
 金羅が言葉を切った。セイランもまた、食い下がろうとした言葉をひっこめた。ただゲートだけがごうごうと音高く波打っていた。異界からの客人を吐き出す時にも似て、だがどこか異なっている。見たことのない紋様が界面に現れては消え、突然ぴたり、と止んだ。
「こ、金羅さま……」
 金羅は答えず、いぶかしげに門をにらみながら、セイランをかばうように抱き寄せる。セイランはどぎまぎしながら、金羅の暖かな体に身を寄せた。
モルテの言ってた仕掛け、ってこれのこと? さっきは何もなかったのに……」
 息苦しい沈黙の間を、金羅とセイランのため息が並んで抜けていく。と、再び界面が波打ち――
 すとん、と誰かが飛び出してきた。
 狐人の若い女だった。気取らない上衣にずぼんをまとい、快活そうな目がくりくりと動いて、ゲートの光を跳ね返す。女はくるりと振り返ると、手慣れた様子で門に手を近づけ、躍字を引き出した。『天網』の操作にも使う、セイランにも見慣れた動作である。一通り目を通したのちに女は字をひっこめ、そこで初めてセイランたちに向きなおった。
「よしよし、ちゃんと予定通りですね」
 何とも言えず嬉しげな笑みがはじけて、セイランは毒気を抜かれた。
「あなた――」
「神炎聖母金羅さま、それに通関司長のセイランさん、ご挨拶を申し上げます。私は――私の名前はメイリン、シキョウ様とスイメイ様のことについて協力すべく、未来の通関司から参りました」





 立ち話もなんだから通関司に移ってはどうか――というセイランの主張は、いともあっさり退けられた。メイリン曰く「すぐ終わりますから」とのことである。
 夜更ということもあって、ゲートの周囲は静まり返っている。終夜営業の屋台も禁止され、今や衛視が夜警に立つばかり。その夜警にしても姿が見当たらず、なぜかと言えば金羅さまが下がらせたためであるらしい。人払いかと思えばさにあらず、居眠りしていたためだという。
「無理もないわ。本来なら、誰も出入りしないはずだもの」ちらりメイリンを見やり、「本来はね」と金羅は眉をひそめた。「特別ですから」とメイリンは気に病む様子もない。
 ゲートのテロ以降、保安上の理由から、かつては終日解放されていたゲートには通行制限が設けられた。夜半ともなれば、通行できるのは外交関係の特使か、救命医療の関係者のみ。このメイリンと言う人はどれにあたるのかと、セイランはひそかに観察した。
 年のころは二十代半ばほどであろうか。立ち姿は自然体ながら、いつでも飛び出していく用意が整っているようにも見える。なぜかメイリンを一目見て硬直してしまったテンコウにも朗らかにあいさつし、それが初対面にもかかわらず、気を許してしまう何かがあった。妙に親しげなところもあるかと思えば、セイランに向ける態度には丁重なところもあり、それが小娘のセイランには心地よい。身に付けるずぼんはよくよく見れば、地球からの観光客が男女を問わずよく履いている生地である。たしか――
「これはジーンズと言いますよ、セイランさん」
 視線を上げれば、いたずらっぽい目が見返している。
「履きやすいし丈夫なので、常用しています。例のTシャツと合わせることもありますよ」
「え、あれも着るんですか」
「時々ですよ」とメイリンは肩をすくめて、共犯者めいた目つきになった。「恥ずかしいですからね」
「そうですよねえ」
「悪くないと思うけどねえ。着てて楽だし。それにしても」と金羅さまは顔を引き締めた。
「未来から来たといったわね」
「ええ」
「どうやって?」
「未来の金羅さまからお力をいただきました」
「そんなことしたの? 私が?」
「そのことについて、ご伝言をお預かりしています」
 メイリンが、さも面白そうに金羅を、そしてセイランをちらりと見た。
「『未来の自分が何をしでかすかなんてわからないものよ』だそうです」
 金羅はセイランと顔を見合わせ、やがてこらえきれなくなったようにくつくつ笑い始めた。
「いかにも未来の私が言いそうなことね。いいでしょう。メイリン、だったかしら。用件を詳しく聞かせてもらおうじゃない」
「ええ。ご両人は今から13年後のスラヴィアにおられます」
「モルテの仕業ね」
「そのようです。モルテ様は今年度の――失礼、今から13年後の――大ゲート祭の目玉として、大闘技大会を催されることになっています。お二人は、その出場者として登録されているのです」
「どうせそんなこったろうと思ったわ。お遊びも結構だけど、巻き込む相手は選んでほしかったものね」
「おっしゃる通りです」
「連れ戻さなきゃ」
「そのために私が参りました」
「そこよ。なんでわざわざ過去に――」
「あの……」
 メイリンと金羅とが、そろってセイランの存在を思い出したようだった。
「あの、シキョウとスイメイって、あのシキョウとスイメイですか? あの?」
「そうですよ」「そうよ」
 なんとか話についていこうとしていたセイランであったが、一番初めで早くもつまづいていた。シキョウも、スイメイも、セイランにとっては親しんだ名であり、それゆえに困惑させられるものであった。二人は歴史上の人物なのである。
 白王シキョウは七十五代皇帝であり、スイメイは皇后である。もちろん、それだけの理由でセイランの記憶に留まっていたわけではない。二人はいずれ劣らぬ武の達人であり、シキョウが皇位につく前には、大陸を股にかけた追跡行を繰り広げている。二人の物語は『霞追風録』をはじめとする多くの物語にまとめられ、在りし日のセイランはこれを勉強の時間にむさぼるようにして読んでは、むやみに棒切れを振り回して指を痛めたりしたものである。長じてからはチャンバラごっここそ鳴りを潜めたものの、いまだセイランお気に入りのおとぎ話としての地位を占めている。
 そう、シキョウも、スイメイも、おとぎ話の登場人物のはずであり、せいぜい譲っても歴史上の人物ということになる。皇統を記憶する腕前にかけては人後に落ちないことはないセイランとて、シキョウやスイメイが自分のひいひいひいひい……祖父母であることは承知している。
 おとぎ話の登場人物は出歩いたりしない。ご先祖様も右に同じである。
 いや、待てよ――
「あ、わかりました! 躍書ですね! 登場人物が逃げ出しちゃったんですよね、そうでしょ?」
「違います」「本人よ。少なくとも、スイメイは」
 渾身の推理をいともあっさり覆されて、セイランは得意げな鼻息のもって行き先を失った。息は口へとまわって漏れ出し、それに金羅が深いため息を合わせた。何とも言いにくそうに、金羅は答えを口にした。
「本人……」
 あたりまえのことを指摘するのには勇気がいるが、セイランは臆しなかった。恥ならすでにかいている。
「あの、金羅さま、でもスイメイってすごく昔の人で」
「ずっと生きてたのよ。昔から、ずっと」
 そうしたことがあるものか――
「スイメイ様は、天然道士ですからね」
 メイリンの付けたしで、セイランの腑に理解が落ちた。スイメイはただの人でなかった。超人的な武術と美貌を具え、いつまでも老いず、最後は陵山にも入ることなく姿を消したのではなかったか。
「えええええ! じゃあ、ずっと生きてたんですか」
「ずっとよ。自分の子供が死んで、孫が死んで、一人になってそれでもがんばって生きて、でもついに耐えられなくなった。ほんのついさっき、シキョウの墓で命を断とうとしてたのよ。そこをモルテが――スラヴィアの神様がさらっていったの。シキョウの亡骸もいっしょにね。未来のお遊びでコマとして使うために。さっきゲートを調べてたのは、くぐって逃げてるかもしれないと思ったからよ」
「どうやったのかはわかりませんが、今、というか13年後には、お二人はスラヴィアにおられます。シキョウ様もよみがえるとのことですよ」
 唸り声を漏らす金羅に代わって、メイリンが後を引き取った。
 不死の超人が、異国の神に誘われて、時を超える。
 ――ものすごいことになってきました。
 予想をはるかに超える事件に、セイランの理解はようやく追いつき――メイリンの上で、再びつまづいた。
「あの、メイリンさん」「え? あ、はい、何ですか」「こんなこと聞いてごめんなさい。でも、メイリンさんは、何しに来たんですか」
「それよ」
 金羅もまた、身を乗り出した。
「13年後の大会だかなんだかに出てるのはわかったわ。じゃあ、未来の私なり、ほかの人なりが連れ帰れば済むことじゃないの? それとも、もう事はとっくに決着してるのかしら? あなたはただの先触れで、事情を説明しに来ただけとか?」
「違います」とメイリンはセイランに向きなおり、くふふと笑みを漏らした。
「端的に申しあげますと、セイラン様をお連れするために来たのです。シキョウ様と、スイメイ様のお二人を連れ戻していただくために」
 ――なるほど。そうなんですか。
 屈託のないメイリンの笑顔は何とも言えず晴れやかで、それゆえにセイランは取り乱すこともなく、事態をありのままに受け入れることに危うく成功しそうになった。
 ――私が、未来に行って、シキョウとスイメイを連れ戻すんですか。そうですかー。
「理解できないわ」と金羅がうめき、ふわふわしていたセイランの思考も引っ張られて着地した。
「そ、そうですよ。なんで私が?」
「一つには、歴史の必然だからというのがあります」
 通関司に記録が残っているのです――あらかじめ用意してきたものを読むように、メイリンの言葉はよどみない。
「セイラン様は、未来においても通関司をお勤めです。スラヴィアの大会に出場したことも覚えています。未来から迎えが来たことも、あるいはご両人を連れて帰った時のことも」
「で、でもなんで」
「まって、今『出場した』って言ったわね?」「はい」「え、それは、スイメイがですか?」「セイラン様、あなたですよ。武闘大会へ出場するのです。幸い、大ゲート祭の企画ということもあって、通関司にも発言力があります。選手の一人として首尾よく押し込むことができました。それはもう大変で――と、未来のセイラン様が言っていましたが、とにかく、そういうことです」
「出場までする必要あるのかしら? 単にシキョウなりスイメイなりをさらってくるだけではいけないの?」
「大会出場者の身分は主催のモルテ様によって保護されているのです。試合は総当たりでなく勝ち抜き戦ですので、大会に出場して、下すのが一番手っ取り早いのです」
「で、でも、私、そんな武闘大会なんて」
「戦いを通じて、説得するのです。正面からぶつかるよりは分がありますよ。何しろ、セイラン様は一応子孫ですからね。手荒な真似はしたがらないはずです。もちろん普通に戦ったら勝てるわけがありません。あのシキョウとスイメイですよ? 無理やり負かして連れ帰るというのは無理な話です」
「私ならできるわ」
「そして大問題になります。それよりは、もう少し穏便な方法を取るべきです。大丈夫ですよ。実際にうまくいっていますから」
「んー、子孫でいいなら、それこそ未来のセイランちゃんが行くべきじゃないの?」
「これはご本人がおっしゃっていたことですが、『譲ってあげます』だそうです。それに、シキョウ様とスイメイ様が連れ去られたのはこの時代で、ゲートを通じて逃げた……かどうかわかりませんが、未来の大ゲート祭りに関わっているわけですから通関司の管轄であって、つまりは今のセイラン様も無関係ではいられないのですよ。あ、これは未来のセイラン様が言っていたことですよ」
 まるで大師と話しているようだ――セイランは追い詰められていた。にこにこ笑いながら、立て板に水の弁舌で退路を一つ一つ断つ。きっとこのメイリンという人も、未来の大師に薫陶を受けているのに違いない。
 未来か――セイランの心がふとほぐれた。未来の大師はどうしているだろう。レイレイは、街のみんなは。
 それに何より、自分は。
「それからもう一つ、セイラン様には、未来においでいただく理由がもう一つありますよ」
 とどめとばかりに、メイリンが指を立てた。
「今度の大ゲート祭、確か初めての開催ですよね? わからないこと、一杯じゃありませんか? 発電機がうまく動かないとか」
「ど、どうしてそれを」
「記録が残っていますので」
「そうなの? あら、困ったわね」
「はい、金羅さま……」
 恥ずかしさにセイランは小さくなった。だが、メイリンはそんなセイランの肩をやさしくたたいた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと動くようになりますから。最初は何でもうまくいかなくて当然なんです。それで、未来の通関司から提案なんですが、視察にいらっしゃいませんか? うまくいっているところを見学すれば、今後の助けになると思うんです」
 ――確かに、それはそうかもしれない。
 セイランは深く感じ入った。見本があれば助けになる。手本にするということで、大ゲート祭を見て回る。きっと、お祭りを余すところなく見て回ることになるだろう。それはもう隅々まで。おまけに、シキョウやスイメイを連れ戻すという冒険までついてくる。メイリンの情報によれば、確実に成功するらしい冒険が。
 ――さすが私です。私のことがすごくよく分かっています。
 のちに、セイランはこの時のことを繰り返し思いだしては、未来の自分が使った裏技について思いをはせるのであるが、それはここでは語らない。
 セイランは陥落したと見て取ったのか、メイリンは金羅に視線を向けた。
「いかがですか、金羅さま」
「んー、そうね、まあ、いいかしらね。ちゃんと帰ってこれるのよね。セイランちゃんも、スイメイも」
「確かに」
「だったら――」
「なりません!」
 上空から割って入ってきたのは、人ほどもある巨大な鳥だった。ドスンと着地した鳥は瞬く間に姿を変えて人の形を取り、異相をしかめて声を荒げた。通関司の顧問にして、セイランの後見人をも務める仙人の十面大師である。
「なりません、公主様。そのようなわけのわからない事件に首を突っ込んでいる場合ではありません。闘技大会などと。それより、今の大ゲート祭に注力すべきです」
「視察ですから、大丈夫ですよ、大師」
 大師の言い分はもっともであり、危うくセイランはあきらめることに成功しそうになった。踏みとどまれたのは、メイリンがいかにも能天気に異を唱えたからである。大師ににらみつけられてもメイリンはどこ吹く風であり、セイランの中でメイリンの評価がますます上昇した。
「あなたは未来の通関司とのことですが、無責任ではありませんか、あたらセイラン様を巻き込むとは」
「大丈夫ですよ。未来のご自身が決められたことですからね。それに、セイラン様はもう子供ではありませんから、ご自身の面倒ぐらい自分で見られますよ。大丈夫です」
「そ、そうですよ! ちゃんとできますよ。子供じゃないんですから」
「そういうことを申し上げているのではない。危険だと言っているのです」
「シキョウ様やスイメイ様が、自分の子孫だとわかっていてセイラン様に手をあげられるような方だと?」
「武闘大会は危険だと言っている」
「そうね。危険よね」
 金羅が遮った。もう終わりか、歴史の必然とやらは何だったのか――とセイランの心はしぼんだが、それはとんだ早合点だった。
「あなたも行きなさい。護衛として」と金羅は大師にのたまったのである。
「お断りします」
「そういわないで」
「大師がいかなくても、セイラン様は行きますよ」とこれはメイリンである。
「そうはさせません。公主様は残っていただきます。金羅さま、よろしいですね? こればかりは、いかな聖母の仰せと言えど――」
「コントン」
 大師とセイランはそろって顔を上げた。金羅が口にしたのは、大師の真名であったためである。金羅は手を伸ばすと、自分より上背のある大師の頭をなでた。大師が、居心地悪そうに身じろぎした。
「武闘大会なんて面白いじゃない。あなたも久しぶりに、体を動かしてらっしゃいな」
「しかし……」
「命令されたいかしら?」
 不承不承の大師というものは、めったに見られぬものである。何度も見たいものではないとセイランは結論を出した。大師はそのまま反論を飲み込んで退き、金羅がセイランの前に立った。
「セイランちゃん――いえ、通関司長、吉風公主セイラン」
「はい」
「主神として命じるわ。未来へ行って、大会とやらに出場していらっしゃい。そして、シキョウとスイメイを連れ戻すの」
「はい!」
 力いっぱい頷いたセイランとは裏腹に、金羅は何とも覇気に欠けた。
 心細いのか、セイランに任せることに土壇場で気が進まなくなったか――そんなセイランの危惧は、金羅に抱きしめられたことで消滅した。やわらかな毛並みにこすられて、セイランはくすぐったくなった。
「金羅、さま」「私はどうしていいかわからなかったの。だからセイランちゃん、あの娘の、スイメイのこと、お願いね」
 あの娘の願いをかなえさせないで――そう囁いたのは、はたして本当に金羅さまだったのか。あまりに心細く、悲しみにあふれた言葉は、本当にこの暖かな神の口からこぼれたものだったのか。
 金羅にかけるべき言葉は、セイランの中にはなかった。離れるときに、手を取って、力いっぱい握るのが精いっぱいであった。金羅がふと微笑み、セイランの手をぎゅうぎゅうと締め付けた。二人はじゃれあい、笑った。
「それじゃ、お願いね、メイリン」
「承りました。それではセイラン様、大師、未来へお連れします」
 わひん! と、鳴き声がした。
 先ほどまですっかり蚊帳の外におかれていたテンコウは、すっかりむくれてしまっていた。目鼻のついた崩れ饅頭のようなテンコウの顔に、金羅がぷっと噴出した。メイリンもコロコロと笑い、大師が苦笑し、セイランもまた笑った。
「はいはい、テンコウもちゃんと連れて行ってあげますよ。いいですよね、メイリンさん」
「もちろんです」
「ぷのふ!」
「さあ、それではさっそく、出発しましょう」
「え、今からですか? でも、旅の支度とか……」
「大丈夫ですよ、向こうで万事整っていますから」
 メイリンの言葉を待っていたかのように、門が再び燃え盛り、鏡面のように澄み渡った。異世界ではなく、未来へと通じる門だ。進み出たメイリンが、セイランに手を差し伸べた。
「さあ、それじゃ出発しましょう!」「はい!」
 そうして、金羅に見送られて、セイランたちは時を超えた。







 但し書き
 文中における誤りは全て筆者に責任があります。
 独自設定についてはこちらからご覧ください。

 四周年企画・スラヴィア大バトル大会における対戦カード シキョウ&スイメイ ○ ― ●  セイラン&テンコウ にいたる、セイラン側の前日譚として書きました。

  • >地面におかれた機会 機会→機械? 大ゲ祭と神が作った奇跡なら時を越えるのも許されそう。勢いでバックトゥザするのかと思ったけど想像以上に未来からの丁寧な導きで大会が楽しみになった -- (名無しさん) 2015-05-25 21:07:30
  • セイランの仕事ぶりと姿勢が熱かった。 直接的にシキョウとスイメイと関係する流れというのも驚き。 一番驚いたのはメイリンの成長 -- (名無しさん) 2015-05-25 23:59:25
  • 躍字は時代の流れと共に進化している? -- (名無しさん) 2015-05-26 22:05:26
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最終更新:2015年06月02日 08:52