ふらりと入った肉そばの屋台で、妙な狐人のちびっこにつかまった。
「タダ食いです!」と両手をバタバタさせて俺をけん制しつつ、店主には「こう言うの流行ってるんです」と胸を張る。鈴は鳴らない。長い袖の袖口から肘から肩までじゃらじゃら下げられた鈴はちりんとも音を立てず、それはあわせや足首、耳輪に首輪と至る所の鈴も同じ。それだけぶら下げておいて一時もじっとしていないくせに、小うるさいのは口だけというから恐れいる。俺の半分にも満たない背丈のくせしてなかなかの体捌きだ。親は軽業師に違いない。
ちびっこはなおも俺の周りをぶんぶん飛び回っている。体重を移すと、ぼろな腰掛けがきしんだ。
「出場者だっていって食い逃げする人いっぱいいるんです。この人もきっとそうです!」
「おいおいお嬢ちゃん、こう見えて俺は皇帝やってたこともあるんだぜ」
「見えないです」とちびっこはのたまう。「本物はもっとちゃんとしてます」
痛いところを突かれた。今の俺は簡素な部屋着につっかけ、ちゃんとした皇帝の格好とはいいがたい。仕立ては悪くないし動きやすいが押し出しは今一つ。認めざるを得ない。
「ほら、図星です」とちびっこはますますそっくり返り、豚人の店主は胡乱気だった目つきをますます細くしはじめた。「タダ食い野郎」から「往生際の悪いタダ食い野郎」へ格下げになったらしい。あながち嘘とも言い切れないから困る。
もうすこし落ち着いて出てくるべきだったと心底思う。せめて金ぐらいは確保しておくべきだった。
俺は懐に手を入れて、ありもしない財布を探った。ふと手に感じられた鼓動が妙に新鮮で、俺はしばらく時を忘れた。
俺は八十で死んだ。よみがえったのはほんの二十日ほど前。びっくりしていないと言えばうそになる。皇帝の仕事は死ねば引退、ご先祖様に混じって気楽に眠っていられるものだとばかり思っていた。それがふたを開けてみれば異国に流され、よみがえらされ、しかも何やら比武に出ることになっているらしい。
「問題にならないのか?」「なるよ。というか、なったよ」
とは、もったいなくも御みずから事情をつまびらかにしてくださった神様とのやりとりだ。この異国の主神について俺が知ったことと言えば少ない。そのうちの一つが、とかくごり押しも辞さない剛腕ぶりだ。神様は遠慮しない。
とはいえ、一応言うべきことは言う。
「よみがえらせてくれなんて頼んだ覚えはないな」「別に今すぐ死んでもいいよ。奥さんが悲しむだろうけど」
ふん。そんなことはわかっている。
スイメイ。あの長い一年のあと、結ばれた我が最愛の人。俺が唯一勝てなかった相手。それでいいと思い定めた相手だ。
よみがえった時、最初に目に入ったのはあいつだった。あいつは変わっていなかった。俺がくたばった時からずっとああなんだろうってことがすぐに分かった。俺がとんでもない間違いをしでかしたってことも。
一緒に過ごすにつれて、確信は強まっていった。スイメイは俺を失うことを恐れていた。ちょっとでも目を離せば、手を離してしまえば、もろもろ崩れて埃に帰ってしまうとでもいうように。
具体的にはよみがえってからこっち、寝台の外に出るまでに三日かかった。身体が動かなかったわけじゃない。夜と昼とが逆転してるこの
スラヴィアで、俺には夜も昼もなかったというだけのことだ。スイメイは俺以外のものは目に入らないような有様だったし、一方俺はと言えば、目も見えるし体も動く。若かりし頃の肉体を取り戻したところに最愛の人が目を潤ませてしなだれかかってくるとあって、こうなりゃやることは一つしかない。途中でスイメイと意見が一致したところでは、ここまで無茶したのは初めてだということだ。新婚初夜を計算に入れても。はっ。
そうして三日目、スイメイがほんの少しの間眠りに陥った隙をついて、俺はその場を抜け出した。事情を知りたかったこともある。だが、本当の目的は違った。一人で考えたかったんだ。
あいつをどうしてやればいい?
俺みたいに、あいつもよみがえらされていたのなら事は簡単だった。二人して短い夢を見て、またともに眠りにつけばいい。だが、現実は違った。あいつはずっと生き続けてきた。俺が死んでからずっと。俺の言葉に縛られたまま。
――ついてくるなよ、スイメイ。
いくら今わの際とは言え、もう少し考えて言うべきだった。俺はことをあまりにも軽く見ていた。子供や孫の面倒を見ながら、時々墓参りにでも来て、時が来ればともに休める、だからそれまで生きていてくれ、と。
あいつは後生大事に俺の言葉を守り、擦り減ってしまった。天然道士であるがゆえに死ぬことも出来ず、愛する人に先立たれ続けてどこまでも沈んで行ってしまった。今のスイメイは底なしの穴ぼこだ。
そして、その穴を掘ったのはこの俺だ。
俺には責任がある。あいつを埋めてやる義務が。
生き返って二十日間、俺はそのことをずっと考えてきた。スイメイは相変わらず片時も離れようともしない。飯も、風呂も、用を足すときですら一緒に痛がる。もちろん、今更恥ずかしがるような仲でもない。足が萎えてからは、下の世話はずっとあいつがしていたからな。だが、あいつと一緒にいると時が溶ける。あいつの渇えと悲しみに吸い込まれて、何も考えられなくなってしまう。
俺には時間が必要だ。
ちょくちょく抜け出していることは、スイメイも感づいているはずだ。よみがえらせてくれた死体細工師の館からこの大
ゲートそばの城に移り、領主に歓待されながら比武に待機させられている間、おれはずっとこの夜の国を彷徨っている。
逃げている、と言われればその通りかもしれない。あの一年間の追いかけっこと同じように。あの時俺はスイメイとどう向き合っていいのかわからず、答えを求めて飛び出した。
だが今度ばかりは逆だ。俺が追う番だ。俺が、落ち込んでいくスイメイに追いつき、捕まえる番だ。
「ちょっと! 聞いてますか!」
聞いていなかった。ちびっこはますます勢いづいて、「かんけんにつきだします!」だの「もうせいをうながす!」だのとさえずっている。なかなか難しい言葉を知っている。学者の子かもしれない。軽業師と学者が出会って結ばれて生まれた子だ。変わったガキんちょだ。
「お嬢さん、ご尊名は?」
「ごそんめい?」
「名前だよ、名前」
「ああ、わたしはメイリ――は、し、知りません! おんみつこうどうちゅうです! だから名前はあかせません!」
なるほど、そういわれちゃ仕方ない。隠密行動中なのに些細な悪事も見逃さず正そうとする、なかなか見上げた心がけだ。
それに引き換え、なんとこの身の情けないことか。皇帝が率先してただ飯を喰らうようじゃ文明なんて総崩れだ。
初めはちらっと覗くだけのつもりだった。異国の地で故郷の料理の香りをかいでしまったら誰でもそうするように。滞在してるところの料理人も悪くはないが、どうしたって延国の飯には劣る。覗いているうちに、このところの運動の甲斐あってか腹がぐるぐるなりだし、そこで滞在先の世話役が言ってたことを思いだした。出場者には便宜を図る、と。だから祭りをご覧になってはいかがですかという世話役の勧めにスイメイは渋り、俺はしっかりと耳にはさんでおいたというわけだ。
そして今に至る。後にして思えば、どうやって出場者だと証明するのか聞いておくべきだった。お披露目があったわけでなし、顔が利くわけでもなし。身分を明かせば何でも開く生活に慣れすぎた。
もちろん、究極の形で自分を証だてることはできる。躍字で名を書けばいい。他の異人相手ならともかく、延国人なら通じるだろう。だが問題もある。スイメイにばれたとき、言い逃れのしようがない。
――どうしてあんなところにいた? なぜ抜け出した?
目を三角にして難詰してくれるなら軽いものだ。だが今のスイメイなら、きっと違う反応をするだろう。泣きだしさえするかもしれない。
――あとで払いに来るか。
おれは屋台のおやじを記憶にとどめつつ退路を見繕った。そろそろ騒ぎになり始めているが、人の輪を飛び越えるぐらいなんてことはない。まったく、昔みたいに体が動くのは本当にいいもんだ。多少の無茶がかえって面白い。
呼吸を整え、三、二、――
「あ!」とちびっこが叫び、俺は気勢を殺がれてもぞもぞと尻を動かした。
じゃらじゃらじゃらじゃら――!
ちびっこの体に下がっている鈴が一斉に騒ぎ立てた。転びでもしたかと思えばさにあらず、単に取り乱しただけらしい。音のならない偽鈴ではなかったわけで、ますます侮りがたいちびっこだ。
「わあああ、テンコウ、テンコウも来てたんですか」
旧友にでも出くわしたのか、なんともうれしげなちびっこが向ける視線の先には、真っ白な犬が目を丸くしていた。ちびっことほとんど同じ大きさのもこもこした塊に目鼻をくっつけてハイ出来上がりといった代物だ。にしてもこれがテンコウなんて名前とは。俺の知り合いに同じ名前のやつがいたが、もしこのもこもこを目にすればひっくり返るだろうな。
ちびっ子の親しげな様子とは裏腹に、テンコウの方はたじろいでさえいるように見えた。人違いならぬ犬違いかと思いきや、テンコウはふらふらと人の輪から出て、ちびっこのそばでお座りした。時折ちらちらと振り返る先には、目を丸くした狐人の女の子が口に手を当てている。このテンコウの本当の飼い主なのか。俺が死んだ後に、白くて丸い犬を飼うのが流行りでもしたんだろう。同じ動物を飼うと飼い主の方も似てくるものなのか、ちびっこと女の子はそっくりだった。女の子の方が事の成り行きに戸惑ってさえいなければ、姉妹だと思ったかもしれない。
ちびっ子はテンコウに抱き付いた。毛玉の中に体がめり込み、すっかり飲み込まれそうになる。テンコウの方ははらわたに手をつっこまれているような顔つきになったが、ちびっこの方は気にも留めない。
「テンコウ、よく抜け出せましたね。お母様はちゃんとまいてきましたか?」
「ふまが」
「どうしたんですか、テンコウ、いつもと様子が――は!」
じゃららら! と鈴が震えて、ちびっこは体をのけぞらせた。
「ばれましたか! テンコウ、にげるときはしょうこのこすなってあれほど言ったのに! どこですか、お母様はどこですか!」
「ふみう」とテンコウは飼い主と思しき女の子を見返した。あれが母というには無理があるから、人ごみの向こうにいるとでも伝えたかったのかもしれない。いずれにせよ、ちびっこの反応は激烈だった。
「あわわわわわ、た、助けてテンコウ! 逃げますよ!」
えー、とテンコウは言ったようだった。それはちょっと。
「寝ぼけたこと言わないでください! つかまったらおしおきですよ! ごはんぬきにされますよ!」
ここにきてようやく、女の子の方が事態に追いついたらしい。無理もない。自分の飼い犬と知らないガキンチョがイチャイチャしていたら俺だって困惑するし、いい気もしない。
「こら、ちょっとそこのあなた、待ちなさ――」
「わああああああ! ごめんなさい! もうせいするからゆるしてください!」
ちびっ子はテンコウに潜り込もうとしてじたばたし、テンコウはテンコウでくすぐったげに身をよじる。とうとうすぽんと嵌ってしまったちびっこは勝ち誇ってテンコウの背中から顔を出し、それでテンコウが犬ではないことが知れた。あれが犬なら、豆粒ほどの胴体で骨は無しだろうからな。
テンコウを身にまとったちびっこの動きは素早かった。思い切りよく飛び出す一歩は長く伸びでしかも軽い。無駄のない体の運びもさることながら、テンコウの体から噴き出す風をうまく利用している。なかなか堂に入った軽功、逃げ足にかけてはそこらの大人顔負けに違いない。ちびっこが鍛錬するといったってたかが知れているから、これは天稟によるものだろう。こんなちびっこを心底怖がらせる「お母様」とやらはかなりの達人か、あるいは天然道士の類かもしれない。スイメイのように。
スイメイはいい母親だった。
ちびっ子は鈴の音を引きずりながら、テンコウ諸共人ごみの向こうに消えた。女の子は追いすがろうとして諦め、茫然として見送るばかり。俺にはちびっこの動きを観察する余裕があったが、女の子にしてみれば消えたようにしか見えまい。置いてきぼりを喰らった女の子は途方に暮れている。腰に手を当て、テンコウが逃げて行った方角をにらみつけていた女の子は、ふとこちらに目を止めて眉を緩めた。
「なんなんですか、あの女の子」
「知り合いじゃなさそうだな」
「違います」とちびっこは目をすがめた。「お兄さんのお知り合いでもなさそうですね」
お兄さん、と来たか。いいもんだ。墓に両足を突っ込む前はかなり長いこと片足だけひっかけていた身にはかなり堪える。
「生憎だが、違うよ。名前は――聞きそびれたな」
嘘は言ってない。隠密行動中だというちびっこに免じて伏せてやることにした。どのみち、あれだけ鈴を下げていれば、名前がわかっていようがいまいが探し当てるのに苦労はすまい。
「ちょっと見とがめられてな」
「なんでまた」
「無銭飲食さ。いや、ちがうぜ、そうじゃなくて」とますます目が細くなり始めたお嬢ちゃんを制して俺は胸を張った。
「金ならある。こう見えて、俺は大会出場者なんだ」
野次馬は結構いたくせに、どよめき一つ上がらない。この手の間抜けは見飽きたとでもばかりに群集は去り、後には俺と、すっかり胡散臭いものを見る目になってしまった女の子だけになった。ああ、それと店主と。どうもさっきから鼻息が首筋に吹きかけられている気がしてならないが気のせいだろう。これ見よがしに包丁を研ぎはじめた店主は五歩は向こうにいるからな。
「ほんとですか、そういうのは本人確認が――」
「ご本人ですよ、公主様」
いぶかしげに口を開こうとしたお嬢ちゃんに、厳めしいしわがれ声が先んじた。
どよめきを割って現れたのは、同服をまとった異相の仙人だ。雑多な毛並みと鱗の寄せ集まった顔を見て、お嬢ちゃんが顔色を失った。
「あ、大師」
「どちらへ行かれたのかと思いました。メイリン殿が心配しておられましたよ」
「ごめんなさい、でも、テンコウが何か見つけたみたいで」
「そのようですね。テンコウ殿は、こちらの方をご存じですからね」
仙人がこちらを見た。裾を払って膝をつき、お嬢ちゃんにもそうするよう促す。手を振ってやめさせようとしたが、仙人は聞き入れなかった。公主と呼ばれたお嬢ちゃんの方も、ようやく納得してくれたようだった。公主か。なるほどな。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます、シキョウ様」
地面に頭を打ち付ける音は、過去の足音に思われてならなかった。
但し書き
文中における誤りは全て筆者に責任があります。
独自設定については
こちらからご覧ください。
また、以下のSSの記述を参考としました。
【続・その風斯く語りけり】
四周年企画・スラヴィア大バトル大会における対戦カード シキョウ&スイメイ ○ ― ● セイラン&テンコウ にいたる、シキョウ側の前日譚として書きました。
- 何と言う邂逅。死して生を実感するシキョウに人間味を感じてしまう -- (名無しさん) 2015-06-11 01:12:55
- 完成度が高すぎるスラヴィアンシキョウはやはりこの大会かぎりの体なんだなぁと回答レス思い出してしみじみした -- (名無しさん) 2015-06-11 23:31:21
- え?モルテがちょっとしか出てないのになんか魅力的。シキョウの悟った空気が切ない -- (名無しさん) 2015-06-12 23:37:53
-
最終更新:2015年06月14日 22:40