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【路地裏の一献】

日々の流れの中、異世界も一通り巡って「さぁ次はどうしようか」という思いが次第に膨れ上がっていくのを実感する。
あの酒あの肴、思い出は尽きないしもう一度味わいたいものも多い。
しかし、それ以上にまだ味わったことのないものへの興味は大きいのである。
夏の入り口は例年以上に気温が上がり、暑さにどんよりしている最中に思わず降ってきた一時支給金。思ったよりも成果のあった去年末の利益還元である。
「よし、ドニー・ドニーへ行ってみよう」
ゲート祭も何度目かになると同僚の仕事ぶりもテンプレートが出来上がっているかのようにスムーズになっていた。
祭の始まる六月までに大きな案件に目途を付け、各々が大型休暇の申請の日取りを出し合うのである。
そして私は暑さを避けるようにドニー・ドニーへ門をくぐったのである。

以前は港に面した大きな酒場に入ったので、今度は路地裏などを歩いて店を探す。
タンネン湾を臨む表通りなどの開けた場所は人だ物だ獣だと往来も喧噪も大きいのに対して倉庫や店などに挟まれた空間は思いの外静けさに包まれている。
しかし、一度路地裏に入っていけば並び立つ建物により道はどんどん細くなっていく。
喧噪とは違った落ち着いた空気に子供心が蘇るようで、少しわくわくしてくるのを自覚した。
大ゲート開通後から七大海賊団によって急速に法整備が進められた港町。その法の中にあるのが“建物破壊の禁止”である。
乱闘暴動を防ぐのと他所からの商業的人員流入を加速させる意味を持つが、それとは別に面白い副産物を生み出したのだが、それが“大きな種族の入れない通り”なのだ。
人間二人が何とかすれ違えるくらいの道幅になると体の大きなオーガオーク、鬼人や大きな鱗人などは壁を破壊してしまうために入れなくなる。
自然とそういった通りには普通の大きさの種族や小人種族向けの店などが集まってくるのだ。
狭い路地なので道幅確保のために大きく看板をせり出したりしないのが暗黙の了解になっているのか、どの店も屋号店名を見せるのに工夫が施されている。
光る、揺れる、歌う、声をかけてくる看板の数々。狭さと暗さとは反比例して思ったよりも賑やかである。
そんな楽しさに思わず目的を忘れそうになるところに喉の潤いをもたらす香ばしい匂いがぐっと意識を現実に引き戻す。
路地の行き止まりの少し手前、甲板を切り取ったものだろうか様々な跡や傷を刻む木製の看板には力強くしかし流れる波のように“ふないくさ”と書かれていた。
夜光に誘われる羽虫の如く横に戸を開ける。幅は広くはないが奥行きはそこそこある店内。
石造りの多いドニーの建物の中では珍しい、床も天井も全て総木製仕立て。調理の熱か煙か店内自体が燻されて香り立つ錯覚に陥る。
食欲と鼻腔をこれでもかと刺激されて立っていられなくなった私はそのまま流れるようにカウンターの一椅子に腰かけた。
カウンター、椅子、通路、テーブルと並ぶ中を客が思い思いに半分ほど座り占めている。
四つあるテーブルの一つには海賊服の男ゴブリンとラフな街着の人間の男性、そして如何にも二枚目なエルフ青年が座っている。
他のテーブルには先ほどまで客がいたのだろうか、食器が乗ったままだがその上には料理も汁も一欠けらも残っていない。
カウンターには白鬼の少女と青鬼の女性が並び座りいくつもの徳利を現在進行形で空にしていた。
カウンターの裏に調理場、背中には鍋や壺などが並ぶ。杉のまな板でリズミカルに包丁を打つのは店主であるオー ───
「豚人だよ。で、お客さんご注文は?」
「あっ、はい」
天井付近に掛け並んだ木板にはメニューというよりも料理のジャンルが書かれていた。魚の焼き物、酒じめとか冷酒や熱燗、葉物や根物。
どれにも値段が書かれていないのが気になったがここは一つ手堅くいこう。
「主人のおまかせで軽いものと、温かい酒を少々いただけますか?」
「はいよ」
店主は軽く頷くと腕まくりもそのままに棚から白太根を引っ張り皮を剥き輪切り短冊に切り仕上げる。
壺から取り出したのは丸い甲殻類…鋏から蟹のようにも見えるがそのまま丸ごとまな板の上に。トンと包丁を下すとサクリと真っ二つ。
「石火蟹の子供は殻が柔らかく、酒に漬けるとさらに柔らかくなる」
余程好奇の眼差しを向けていたのか、店主が解説してくれた。
ふと後ろに気配を感じ振り向くと、テーブルの食器は片づけられており三人の男性のテーブルには漬物と酒のおかわりが乗っていた。横奥の鬼人二人の前にも徳利が追加されていた。
「どうぞ。次のは少し間をおいて出すよ」
海葡萄と根昆布の寝かし温酒 子石火蟹の酒漬け刻みに白根菜と緑葉のあわせ 香り小粒実の盛り
まずは少し酒を…口に含むと胸をすく潮の香。ほどよい辛さが温かさと共に舌に広がっていく。
少々クセのある蟹の酒漬けを葉物の苦みと清涼感が胃袋へとスムーズに押し流していく。
実をすくう、その上にいたずらのように酒漬けをのせ頬張るとこれが素晴らしい相乗効果である。
「次、出すよ」
多くはない品目ながら絶妙な組み合わせにやや少量の小鉢小皿。するすると食し次を待ち望んでしまう献立に店主の掌の巧みさを実感し舌が躍る。
酒も三種目になると酔いも回ってきて上機嫌。
そんな所に人間の青年とエルフの…青年がやってくる。
エリスタリアからのお届け物ですよー」
「メノー!丁寧に扱ってと言われた荷物なのに無茶な飛行ばかりで…もう!」
「荷物が早く到着したがってるんだ仕方ないだろ?」
カウンターに質素な木箱が置かれる。料金を受け取った運び屋は踵を返し店を出ていった。
木箱、何故か心惹かれる気になって仕方がない。高揚する鼓動を抑えきれないほどに。
店主は優しく木箱を持つと後ろの保管棚に仕舞おうとする。
「店主、それを飲ませてはもらえるのでしょうか?」
不意に喉から出た言葉がそれを遮った。まだ開かれてもない銘もないその箱を何故私は酒なのだと思ったのだろうか。
「…お客さん、本日の手持ちは如何程で?」
「これだけです」
私は躊躇なくゲートの為替で換金した今回の旅費、定期を崩して持ってきたありったけの労働の結晶を差し出して見せた。
「おいおい。あの兄ちゃん凄いね、ドニー木貨であれだけとなりゃ円で千万はいくぞ?」
「日本人はほんと金持ちですね。この前フタバ亭にきた日本人のツアーも豪勢に飲んで食べていきましたよね」
「フフフ。己が欲するモノに臆せず全てを張れるってのは素晴らしいことだ。あれが船乗りなら団に誘っていたところだ」
テーブルの談笑も途切れ途切れにしか聞こえない。カウンターの白鬼の爛々とした目の輝きにも気づかない。
「お客さん、少しだけなら、いいよ」
店主が木箱の蓋を開けると店内に一瞬で満ちたのは緑、森の香りであった。
まだその褐色の瓶の栓に触れてもないのにこの、この… …それを今から飲めるというのか!
仰々しく栓が抜かれると流れるような手捌きで瓶からグラスに親指関節一つ分の水位が注がれた。
「早く飲まないと気飛んでしまうよ」
注がれるといっそう深くなる香りは急速に蒸発していく酒そのもの。早く飲まなければ全て大気となってしまう。
が、私はそれを一気に飲み干さずにまずは口から香りを吸い込み喉の奥で味わった。
「中々の御手前で」
店主が少し微笑んだように見えた。
「ホゥ、あの男よくあれを一気に飲まなかったな。喉を酒気で慣らさず飲めば立ちどころに森の精気が浸透しぶっ倒れていたところだ」
「ネモチーの旦那、あの酒を知っているんで?」
「あれはエリスタリアの“蔵樹酒”ですよ。百年、刻には千年を越えて特殊な樹の中で寝かされ熟成される酒。樹を司るエルフにのみ扱いが許されたその酒はまさしく絶品で。
各国から仕入れがやってきますが幾ら金を出してもこればかりは買えません。年の初めに行われる仕入れくじにてその年の仕入れ先と順番が決まるのですよ」
「フッ、世の中には金では手に入れられないものもあるってことよ」

そこから先は記憶が定かではない。
兎に角体験したことのない酒、清々しさに満たされる体は例え様のない心地良さをもたらした。
「ワシにもその酒をくれ!」
隣で騒ぐ白鬼とそれをいさめる青鬼によって目が覚めるとすでに勘定を終えていた。
後一日くらいは滞在できる旅費を残して支払った対価は朧げな夢心地とは何とも酒飲みらしいではなかろうか。
あの体験を反芻しようと夜空を見上げ歩く路地裏。出来ることなら生涯にもう一度、あの酒を。
私の異世界酒巡りも一巡くらいではまだまだ終わらないな、と二巡目にして実感したのである。

ちなみに豚人の店主は店を始める前は名うての海賊団で操船と料理番を担っていたという。
波と船員の胃袋を掴んで離さないことから“潮顎”というあだ名で呼ばれていたらしい。

  • シェア登場あれこれ楽しい。物静かだが腕前は確かな店主いいねぇ -- (名無しさん) 2016-10-24 18:52:08
  • 力士のちゃんこ屋みたいなスポーツ選手が引退後に開いた店みたいだな! -- (名無しさん) 2016-12-23 00:13:19
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最終更新:2016年10月22日 23:48
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