【猫スケルトン】

降る雨音はしとしとと小さい。
この音に負けるわたしの声はどれだけ小さいんだろう。
誰もいないから自分で自分の葬送歌を歌おうとしたが失敗した。
こひゅーこひゅーと擦れる音しか出ない。
歌うように最期を迎えたいと常々思ってたんだけど、猫人生も難しい。
だけどこれも試練だよね。そう思ってわたしはひたすら喉を鳴らすのだ。
霞む目に空は遠い。そびえる崖はひたすら高い。積み荷もろとも落ちずに済んだことは不幸中の幸いだ。
もし積み荷に傷がついたらウチの店の信用も傷ついて、お母さんに迷惑かけちゃうから。
でも積み荷が遅れるから困ってるだろうな。怒ってるかな。いつも商売は速度だって言ってたから。怒っていても会いたいな。
また意識が遠くなる。自分の歌が耳障りじゃなくなってきた。
目の端に血と泥に汚れた毛皮が映る。汚いなあ。わたしの自慢だったのになあ。
お葬式の時に綺麗に整えてくれるかな。でもきっと元には戻らない。こんなボロボロなんだもの。
毎日毎日お手入れしてたのに。みんな誉めてくれたのに。こんなんじゃみんなわたしのこと嫌いになっちゃうよう。
悲しい。悲しいな。
わたし死んじゃうんだよね。やだな。やだよ。なんでわたしだけ、こんな苦しまなきゃいけないんだろう。
もっと他に死んだほうがいい人はたくさんいるのに。まだ若いのに。まだ何もしてないのに。まだまだこれからだったのに。
わたしが死ぬのに、他の人が生きてるなんてズルい。みんな死んじゃえばいいのに。
死にたくない。死にたくないよ。誰かわたしに代わって死んでよ。
また意識が遠退く。歌は聞こえなくなっていた。

唐突に意識が鮮明になった。
助かったのかと思ったら相変わらず崖の下。落胆して視線を落とすと死体。
驚いて、飛び退こうとして、飛び退けない。
どうして動けないか分からなくて戸惑った。だけどすぐにわかった。
わたし、幽霊になってる。
幾日か過ぎた。
わたしの死体はぐずぐずに腐っている。気がめいってしかたがない。これならミイラのほうが幾分かましだ。
太陽の力は届かず、腐れ神の眷属がわたしの死体を好き放題にしている。
ああ、雨季が憎い。
そういえばわたしが死んでしまったのも雨で崖が崩れやすくなっていたからだ。
記憶を掘り起こすと雨の日には碌な目に遭ってない気がする。あの時もあの時も雨が降っていた。

崖の上から声がした。わたしの荷車の周りに男の人が何人かいた。
きっとわたしを助けに来た人だ。もう手遅れだけど、死化粧とお葬式は欲しい。
ぶんぶんと手を振って、ここだよと叫んだ。わたしはもう大気を震わせることなんて出来ないけど。

わたしの期待は空しくなった。
男達はただただ楽しそうで持ち主のいない荷物を喜んでいた。
あいつらはただの盗人共だったのだ。歌いながら荷車ごと持っていこうとする男達にわたしはいよいよ嘆きを深くした。
荷車がなくなったら崖下のわたしの死体を誰が見つけてくれるんだろう。
何か一つでも残してよ、と叫んだけれども大気は震えない。男達は意気揚々と荷車をひいていった。
悲しいけど涙は流れない。泣き声が響くこともない。死ぬってことほど空しいことはないよ。
今日も雨が降っていた。やっぱり雨は嫌いだ。


どれほどの時間が過ぎたんだろう。今日も雨が降っている。
蛆虫さんと森の愉快な小動物たちの尽力もあり、わたしの死体は真っ白な骨になっていた。
ひたすら鬱陶しく憎く、追い払おうと躍起になっていた。だけどいなくなると寂しいものだ。
とうとうわたしは何からも必要とされなくなってしまったのだ。また泣きたくなった。

吸い込まれるような感覚があった。
誰かがわたしの死体に近づいてきた。エルフか鬼か何かのようだった。
簡単な埋葬でもしてくれるかな。冥福の言葉をくれたらいいな。
だけどその子はわたしの死体に目もくれない。わたしをじっと見つめていた。

『見えるの? あなたは誰?』
「僕は死神さ。 君に二つの選択肢を持ってきたんだ」
『? わたしに何が選べるっていうの? わたし、死んでるんだよ』
「死者としてスラヴィアに来るか、穏やかに魂を刈り取られるか、の二つだね。
 さあ、君はどっちを選ぶ?」
『…スラヴィアに行く! いかせてください!』
「即答!
 すごいね。 ラ・ムール人にとって、そんなに簡単なことだったかな?
 わかってる? 死人は生人を食べなきゃいけなくなるんだ。 僕が、そう決めたから。
 どうする? 死者の暮らしは苦しいのかもしれないよ?
 僕としては君じゃなくてもいいんだ。 他にも逝き損ないはいくらでもいるからね」
『いいの。 だってだって、わたしこのまま朽ちたくなんてない。
 やりたいこといっぱいある。 他の人なんて、わたし知らない』
「アハハ、いいよ、素敵な選択だ。
 おめでとう。 これで君も栄えある死霊貴族の一員だ」
『貴族?』
「うん。とある領地が引き継ぎで揉めててさ。
 外部から無理矢理領主を投げ入れたら、もっと揉めるかなって思ったんだ。
 いきなり貴族だなんて運がいいね、君は」

こうしてわたしは死霊貴族になったのでした。


死霊貴族になってまず大変だったのは食事だったよ。
いくら食べても満たされない。飢えが収まることを知らない。
わたしがつらそうにしていると決まって狗人のメイドの娘がそばにいた。
そしてこんなことを言うのだ。わたしがお食事ですよ、と。
わたしは人食には抵抗があり、いつも断っていた。そのたびにメイドは悲しそうにしていた。

飢えと倫理観との戦いは数日もせずに決着がついた。
わたしの倫理観は思いの外に弱かったようだ。
気付けば死んでなお鋭い爪で、娘の腹を切り裂き血を啜っていた。

幾分か飢えを満たされ、正気に戻ったわたしは慌てて娘に謝った。
だけど娘は嬉しそうにするばかりで、お腹いっぱいになりましたか、なんて言ってくる。
なんだか、命を粗末にしてるようで、気に入らなかった。
だから、わたしは死なない程度に噛んで切って啜った。
死ぬのが怖くないの、と聞いた。
意味ある死は喜ばしいです、と答えた。
嘘だと思った。手足をじわじわと削って食べた。悲鳴を期待した。
変わらずに幸せそうだった。
音を立ててガツガツと食べた。恐怖を期待していた。
変わらずに幸せそうだった。
後悔はないの、と聞いた。
ありませんよ、と応えた。
清々しい表情で一片の嘘も見当たらなかった。
なんだか怖くなって、見てるのがつらくて、一気に全部食い尽くした。
最期まで幸せそうだった。未練の欠片もなかった。
わたしの死に様と全然違った。

わたしは食事を躊躇わなくなった。
いまさら躊躇したらあの娘の犠牲がよくわからなくなるからだ。

違う、やっぱり言い訳はするべきじゃない。
結局、空腹にわたしは耐えられなかっただけなのだ。
それと、あの娘は特別に心が強かったわけではなかったみたい。スラヴィアの民達はみんな幸せそうに死んでいった。
じいちゃんが死んだときのことを思い出した。誇らしそうにじいちゃんは死んでいったのだ。
わたしが知ってるなかでアンデッドになるほど未練がましいのは、わたしだけだった。
しばらく悲しかった。だけど美味しかったから、よしとした。そう思い込んだ。

わたしは生前とは比べられないほどの煌びやかさの中に暮らしていた。
貴族ってすごい。
宝石を飾れるなんて初めて。ドレスを着れるなんて夢にも思わなかった。
毛皮と肉とがないことを除けば、まるでネネ様みたい。ネネ様もこんなふうに暮らしているのかあ。
自慢の毛皮がなくなったのは悲しいけど、輝かしいほどに磨かれた骨の美しさも捨てたもんじゃない。
生前よりシャープさを増したしっぽを見てわたしはそう思う。
生者たちの尊崇も申し訳なくも心地いい。
生前は奴隷すらいなかったんだから、大出世だ。お母さんに自慢したい。
だけど、こんな生活も残りわずか。わたしが放り込まれたことで領内の三つ巴の均衡は崩れた。
鳥死人に偵察させたところ、三軍同時にわたしの城へ迫っているようだ。
わたしの力の総量はライバル達それぞれの十分の一以下。わたしを食らうことで他の二人に差をつけたいのだろう。
迫る運命にわたしはため息をついた。


ところがどっこい。
結果はわたしの勝利であった。
わたしの苦肉の策が大成功。三軍はわたしの手のひらに踊った。終戦までものの数日。どうやらわたしには軍才があったようだ。
死神様はこれはこれで面白いけど決着が早すぎると文句を言った。
そしてわたしの頭蓋骨をどこか遠くへ蹴り飛ばして、二度とわたしの前に姿を現さなかった。

頭蓋骨がないと格好がつかないので、部下に猫っぽい兜を作らせた。
つけるとすぐに馴染み、問題なく食事も出来た。
わたしには死人の才能もあるようだ。



スラヴィアでの暮らしは空しくも楽しかった。
ただ故郷にこっそり凱旋したとき、お母さんに散々に罵倒されたのが悲しかった。


  • 死んでから死霊貴族になるまでの描写に震えた。こっちまで悲しくなってくるじゃなんかよー。でも最終的にはお母さんに会えたようで何より。人を喰らう死者の身になり出会った母親に、少女は何を思うのか -- (名無しさん) 2013-01-29 23:19:19
  • コメントタグ修正しました -- (ID:9tHJnIB6) 2013-01-30 23:17:11
  • 悲しいながらもどこか毒のある物言いでモルテの言う様にラムール人としても珍しい部類なのかも。だからこそなれたのかも知れない貴族とその後の生活や行動もどこか常人と違う空気があって最後の二行でそれを確信にいたる。記憶が残っているというのも珍しいですね -- (名無しさん) 2013-11-02 17:06:16
  • オチで故郷に戻ったというのが面白おどろき。人生の記憶を持ってスラヴィアン化したのは貴族待遇だからかなと思ったがやはりどこか心に歪さが生じているような雰囲気だった。死に際から幽霊になったあとの飾りっ気のない吐露も良い味 -- (名無しさん) 2017-01-27 13:05:23
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最終更新:2013年01月30日 23:16