「私の事誰も知らない、どこか遠くへ行ってしまいたい……」
少女はずっとそんな事を思っていた。
村の人達も友達も、皆神に祈りを捧げていると言うのに、彼女だけは捧げていない。
いや、正確には祈りのポーズは一緒にしている。しかし心の中では「こんな事しても無駄なのに」といつも思っているのだ。
村は数年前の疫病流行の折、村人の四分の一近くを失うと言う大災厄に見舞われていた。
少女は病気を治して下さいと神様に必死に祈りを捧げたが、両親は死んでしまった。
皆の為に村の仕事を進んで行い、一生懸命善行を積んできた。
それなのに弟が病気で薬を買えない自分を、村の人々は誰も助けてはくれなかった。
弟が死んだ次の日も、彼女の金の無心を断った大人達は酒屋で飲んで笑っていた。
彼女が自分で作った、木を十字に組み合わせただけの弟の墓の隣には、村の仕事を何一つしていない家の綺麗な墓石が立っていた。
彼女が一握りのパンで一日を過ごした日も、村の仕事で金を取っていたオジサンは、バターとジャムとワインのディナーを楽しんでいた。
神様はどうして弱い者を虐めるのか。神様とはいったい何なのか。彼女はもう何も分からなくなった。
救いを求めて聖書で神が救った人の数を数えた。悪魔が陥れた人の数を数えた。
神様は人を救ってくれる。その確証が欲しかったから。そして、彼女の求める答えがきっとそこにはある筈だったから。
読んで、読んで、読んで、読んで。やっと彼女はその事に気づいた。聖書で人を殺しているのは悪魔ではなく神ばかりだと言う事に。
頭がどうにかなっていしまいそうになった彼女は、とうとう村を飛び出した。
暗い森を抜けて何時間歩き続けたろうか。
月明かりを頼りに道を進み続けた彼女の前に、建物の明かりが見えてきた。
生まれてから一度も村を出た事が無かった彼女は村と言う世界しか知らなかった。
だからどんなに苦しくても、不満に思う事があっても、村で生きていく為には我慢し続けるしかなかったのだ。
だがもう彼女は我慢の限界に達していた。何もかも洗い浚い本当の気持ちをぶちまけてしまいたかった。
そうしてどこか自分を知らない土地に行って、全てやり直したかったのだ。そうしないと彼女は心がもたないと思ったからだ。
満月の夜、村を出た彼女が見つけた最初の村は、彼女が居た村とはずいぶんと違う所だった。
「わぁ、私おとぎの国に来たのかしら。動物さん達がいっぱいだわ」
彼女は世間知らずの少女だった。
自分が迷い込んだ村に居たのは猫や犬や鳥や狐、さまざまな動物の人間達。
彼女は村を出て異世界に迷い込んでしまったのだ。
村ではきっと失踪、行方不明、神隠しなどと言う事になるだろう。だが彼女を探す村人も居ないだろう。
あの村に残る彼女の絆など、もうどこにもありはしなかったのだから。
「何かのお祭りかしら。とても楽しそうだわ」
村では火を囲んで村人達が飲食をしているようだった。
奥に腰掛ける偉そうな服の貴族っぽい人と、食べ物に酒に笑いあう村人達。貧しかった彼女の村では考えられない光景だ。
彼女は思った。ここは幸せの国なのだと。おとぎ話の中にあるような、素敵な夢の国なのだと。
楽しそうに笑う声と美味しそうな臭いにつられ、彼女はその輪の中に入っていった。
「あ、あの~……」
とは言え、どこの誰とも分からない他所者の彼女が、この祭りに簡単に入れて貰えるとも思えない。
彼女は温厚そうな狗人の年寄りにおずおずと声をかけた。
「おや、見ない顔ですね。いったいどこの誰ですかな?」
「私、隣のリーベ村から来たアルトメリア・リゾルバと言います。夜道を迷っていたら明かりが見えたので……」
「おぉ、それは大変でしたな。私は狗人のフラム。さ、ここには温かい食べ物も飲み物もあります。どうぞゆっくりして行って下され」
声をかけた相手が良かったのだろうか。思いもかけず彼女、アルトメリアはいともあっさりと夢の国への入国を許されたのだった。
「今宵は神聖な饗宴の夜。あなたがこうしてこの村を訪れたのも何かの運命でしょう」
一握りのパンと野菜と一緒に串に刺されて焼かれたお肉の料理と水を渡され、アルトメリアは空腹を満たした。
彼女はこんな美味しい料理を食べたのは初めてと感じた。人々が笑い合い食べ物も豊かな村。
こんな素晴らしい場所があるなら、もっと早く村を出れば良かったとアルトメリアが感動していると、狗人のお爺さんフラムが彼女にこう告げた。
「落ち着いたら一度、私と一緒に領主様の所へ来て下され。この村は領主様のお治めになられる村、一度お目通りを願わなければなりませんのじゃ」
「はい、分かりました。親切にありがとうございます」
この時、彼女はまだ何も知らなかった。
自分が異世界に、しかもよりによって饗宴の夜の
スラヴィアに来てしまった事を……。
「ほう、迷い人の娘とはお前か」
「はい、お初にお目にかかります。アルトメリア・リゾルバと申します」
アルトメリアはフラム爺に連れられて、祭りの一番奥、上座に鎮座する貴族の前に来ていた。
その貴族――虎のようなお面を被った大男は、寛大な態度で突然の客人を迎えた。
「この度は助けて頂きまして本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます」
「良いのだ良いのだ。今宵はそなたのお陰で饗宴の会場に行くよりも珍しい物が見れた故な」
貴族の言っている事がアルトメリアには半分も理解できなかったが、男の表情は何となく優しそうで安心した。
しかしアルトメリアにはこの時、どうしても心配な事があった。
それは夜の心配である。
彼女が家を、村を出た時、彼女の持てる物は毛布一枚くらいしかなかった。
急いでいたから、と言う訳ではない。単純にそれしか彼女の財産と呼べるような物が無かったからだ。
勿論、宿を貸して貰えるような金は持っていない。
野宿を覚悟して出てきたつもりだったが、こうして人の大勢居る所に来てしまうと決心が揺らいでしまうのだ。
「今宵は我が村でゆっくりして行くが良い」
「あ、ありがとうございます!」
だがその心配も杞憂に終わったようだ。
領主と呼ばれる貴族によって滞在の許可が下りたのだ。きっとこの調子なら宿も用意してくれるに違いない。
アルトメリアは取り敢えずの問題が解決して安心した所で、少しの欲が出てきていた。
それはこの豊かで楽しそうな村に住む事が出来ないかと言う欲求である。しかしそれを直接要求するには気が引けた。
「して、その後どうするつもりだ? ここに来たからには簡単に異世界には戻れぬぞ」
「異世界……?」
相変わらず領主の言う事には理解できない部分があったが、アルトメリアはそれを自分なりに解釈して答えた。
「む、村には……戻れません。戻れない理由があるんです」
「ほう」
俯き目線をそらす様に言った言葉は、アルトメリアが訳ありと言うオーラを出すに十分なジェスチャーだった。
計算して取った行動ではないが、それは救いの手を求める態度として領主には映ったようである。
「ではどうか。そなた行く当てが無いのなら、我が村の住人となると言うのは」
「え?」
思いがけない提案にアルトメリアは目を輝かせた。
信じられないくらい望み通りの展開が待っていたのだ。
故郷では何一つ思い通りにならなかったと言うのに、少し外に出た途端これ程幸運な事が待っていたとは。
アルトメリアは領主の虎人の
アンデッドの提案に快く答えた。
「あ、ありがとうございます! 私、一生懸命働きます!」
「そうかそうか。楽しみにしておるぞ」
こうして地球人――アルトメリア=リゾルバの運命は動き出したのだった。
「やっぱり神様は居たんだ。人を救ってくれるんだ」
お伽の村の住人となったアルトメリアは毎日一生懸命働いた。
それは今までしてきた事と同じ事であったが、全てが今までとは違った。領主はアルトメリアの働きに労いの声をかけたし、村人も彼女の働きに感謝の声をかけた。
頑張りが報われる世界。それは彼女が夢みてきた世界。
神様がちゃんと努力する者を見ていて、努力に見合った幸せを与えてくれる世界。そして周囲にずるをする者が居ない世界。
アルトメリアはそんな自分の思い描いた理想郷に、今まさに住んでいたのだ。
しかし奇妙に思う事もあった。
月に一度、必ず村人が一人居なくなるのだ。そしてこの村は全ての家庭が子沢山の大家族状態なのだ。
人が居なくなる理由は分からなかったが、その為に子供をたくさん生んでいるのかもしれないとアルトメリアは思った。
そして人が居なくなる理由に、「外に出てはいけない夜」の日が関係しているだろう事も、分かっていた。
月に一人人が消える事。それを何とも思わない村人。夜しか顔を見せない領主。三つある月。この村はお伽の国の村だけあって不思議な事でいっぱいだった。
そんなある日、彼女の元に領主からの招待状が届いた。
アルトメリアはただ来るようにだけ書かれたそっけない内容の招待状に疑問を持ったが、折角の誘いを断るわけにも行かず満月の晩、領主邸を訪れた。
「失礼します」
大きな屋敷の入り口をくぐると、そこには待ちくたびれていた様に領主自らが出向き歓迎していた。
「待っておったぞ、アルトメリアよ」
「は、はい」
予想外の出来事に驚きと緊張を隠せないアルトメリア。
ここに来て数ヶ月、自分は何か領主水からこんなに歓迎を受けるような大それた事をしただろうかと記憶を辿るが何も出てこない。
呼ばれた理由も厚い歓迎の理由も分からないまま、少女は扉をくぐった所で突っ立っていた。
「そんなに緊張せずとも良い。そなたには良い知らせだ」
そんなアルトメリアの様子を見て、領主は優しく少女を館の奥へとエスコートするのだった。
「今日呼んだのは他でもない。そなたに最高の栄誉を与えようと思ってな」
「最高の……栄誉?」
館のほぼ中心部、大きな机にそれを取り囲むように並べられたたくさんの椅子がある部屋へとアルトメリアは案内された。
机には純白のシーツが掛かっていて、等間隔に燭台が並べられている。どうやら食卓のようだ。
アルトメリアは食事でもするのかなと思い、先に部屋に居た白いエプロンを腰に巻いたフラムに声をかけようとしたが――
――ガチャン――
「え? あの、フラムさん何を?」
と、突然アルトメリアの両手首に手枷がはめられ、理由を聞く暇も無く両足の動きも足枷によって封じられてしまったのだ。
突然何が始まったのか理解できず、アルトメリアは慌ててその場で転んでしまった。
転んだが手枷足枷をされた常態なので上手く立ち上がる事が出来ない。少女が芋虫のようにもぞもぞと動いていると、二人はその様子に構わず会話を進めていた。
「準備、整いましてございます」
「うむ」
そう言うと領主はアルトメリアを軽々と抱き上げ、食卓の上に寝かせたのである。
「あ、あの、これはどう言う事ですか? いったい何をなさるおつもりなのですか?」
「スラヴィアの領民たるもの、領主の贄となる事が最高の栄誉」
「に、え……?」
少女が贄と言う言葉を聞いて、それが「生贄」の「贄」だと理解したのは、フラムが領主に巨大で鋭利なナイフとフォークを手渡した時だった。
食卓に乗せられた自分は食べ物なのだと。ナイフとフォークを持つ領主は食べる者なのだと。やっと理解したのだ。
「今までさまざまな種族を食してきたが人間は初めてだ。さて、いかなる珍味であるかな? 人間の味は」
「ひっ――」
次の瞬間、少女は今された手枷足枷の意味を理解した。生贄が逃げられないようにする為、そして抵抗できないようにする為に付けたのだ。
そして月一人居なくなる人は、この虎顔の恐ろしい領主に食べられてしまっていたのだと分かった時、自分も居なくなった領民のようにこれから居なくなるのだと思い、恐
怖が心を支配した。
「い、いやぁーーーーー!! 人殺し! 人殺しーーー!」
「フフフ……」
「素材そのままの味をご堪能下さいませ」
「誰か助けて! 誰かっ! 誰かぁーーー!!」
手枷足枷で動きを封じられながらも、力の限り抵抗しようとするアルトメリアをフラムも領主と一緒になって押さえつけた。
領主の力は信じられない程強く、まるで万力のように少女を食卓に貼り付けにして放さない。
だが身近に迫る死の恐怖から無駄な抵抗を止めないアルトメリア。
必死にもがき足掻く彼女の太ももに、鋭い痛みが走ったのは、少女が今晩は「外に出てはいけない夜」だと思い出した瞬間の事だった。
「きゃあああぁぁぁぁぁあ!!!!」
皮、肉、そして筋肉にまで進むナイフの刃が、真っ白い食卓のシーツを鮮血の赤へ変えていく。
今まで味わった事がないくらい凄まじい激痛と、いよいよ処刑タイムが始まった事への恐怖で少女の思考は完全に停止してしまっていた。
「痛い痛い痛い痛いっ! あぁぁぁぁあああーーー痛いぃーーーー!!」
「おぉ、これは美味! 何と言う柔らかさ、何と言う濃厚さ!」
「痛いーーー痛いーーーうぅーーーうーーーーーー!」
「これは想像以上の珍味だ! 手が止まらぬ」
「喜んで頂き光栄に存じます」
ナイフは腿からふくらはぎ、二の腕、乳房、腹部と、体の柔らかい部分を選ぶように進められてゆく。
脳内麻薬によって緩和された痛みは更なる痛みによって塗り替えられ、それを更に脳内麻薬が麻痺させる。激痛と恐怖は繰り返し少女の全身を貪った。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアア――」
やがて少女は言葉も忘れ獣じみた悲鳴を上げるだけとなっていた。
だんだんと薄れ行く意識の中で、死ねば全ての痛みから解放されると言う悲しい喜びと、「やっぱり神様なんて居なかった」と言う哀れな悲しみだけが残った。
「あ……れ……?」
月明かりの射すテーブルの上。アルトメリアは再び目を覚ました。
確かに致命傷だった。それは彼女本人が一番良く分かっていた事だ。しかし彼女は今現にこうして生きている。
痛みも無く食べられ失った筈の体のあちこちも存在している。
あれはひょっとして夢だったのかな?あんな酷い事悪い夢に違いない。そう思い食卓から降りた時、部屋の隅の暗がりの中から少女に声がかけられた。
「夢……だったのかな」
「残念ながら夢ではないよ。人間の娘さん」
「っ!?」
暗闇から現れたのは虎の顔をした領主だった。
その姿を見た途端、アルトメリアの中にあの時の光景がフラッシュバックする。
食い荒らされてゆく自分の体。そしてそれを何も出来ずただ食われるのを受け入れるしかない絶望感。それらが恐怖と嫌悪となってアルトメリアの体を動かした。
とっさにテーブルにあった蜀台を手に取り身構える少女。だがそれを見て領主の顔は驚く程穏やかだった。
「そう身構えずとも良い。もう襲ったりせぬ」
「……」
そうは言われてもアルトメリアは領主を信じる事が出来ない。近寄る領主から一定の距離を保ち後退していると、領主は思い出したように話を切り出した。
「それよりそなた、腹は空いておらぬか?」
「え?」
そう言われてアルトメリアは初めて自分の奇妙な感覚を意識した。
それは空腹と言うか渇きと言うか、自分の中の何かが満たされないような、足りなくなっているような、今まで感じた事のない感覚。
生まれて初めて感じる不思議な感覚に戸惑っていると、いつの間にか近寄っていた領主がアルトメリアにこう囁いた。
「この前は痛い思いをさせてすまなんだな。代わりに、これからは我が領民を食す権利を与える」
「食す……え? あの?」
理解できない事を――否、理解したくない事を言われ、アルトメリアは一瞬頭の中が真っ白になる。
もう領主に対する警戒感などどこかへと失せていた。それより遥かに重大な事が彼女の身に起こっているのだから。
言われた事を理解できないと言った様子のアルトメリアに、領主は優しくまるで子供に物を教える時のようにジェスチャーして見せた。
「動脈を触ってみよ」
「……っ!?」
領主の動きを猿真似のように模倣するアルトメリア。心が真っ白になった状態ではそうなるのも無理はないだろう。
だが次の瞬間、彼女は嫌が応にも自分の置かれた状況を理解せざるを得なかったのだ。
「あぁ、そんな……そんな、そんな、そんなぁ!?」
「ようこそ、我ら闇の眷属へ」
アルトメリアは自分の首のどこを触っても心臓の鼓動――脈を探し当てられなかったのだ。
そして彼女は決定的な光景を目の当たりにしてしまう。
蝋燭に照らされ窓ガラスに映る自分の姿は、体のあちこちを色んな部族の部位を使って補われた、アンデッドの体になっていたのだ。
「い、いやあぁぁぁぁっぁぁぁああ!」
「ハーーーーッハハハハハハ!! アーーーーーッハハハハハハハ!!」
自分の変わり果てた醜い姿に絶叫して崩れ落ちるアルトメリア。
だがその反応は領主にとって心地良いショータイム以外の何物でもなかったのだ。ここの領主はアルトメリアを配下のアンデッドにしてしまったのだ。
それが彼女の二百年にも及ぶ、長く辛い旅路の始まりだった。
「食べぬのか?」
「……食べません」
アルトメリアの前には手足を縛られた子供が横たわっていた。
猫人種族のその子供は自分が食べられると解っていながら、何の抵抗の意思も示さずただ大人しく自らの命に手が付けられるのを待っているだけだ。
アルトメリアは最近解った事がある。それはこの村ではアンデッドの食料となる事は生者にとって名誉な事だと思わされていると言う事だ。
彼女の目の前に眠る子供も、生まれた時から食べられる事が名誉な事、食べられる為に生まれてきたと教えられて育ってきたのだろう。
価値観は人それぞれ違い本人の幸せなど本人が決める事だとアルトメリアは思う。この子供が食べられる事を幸せと感じるならそれが幸せなのだろう、と。
だがそれはアンデッド達にとって都合の良い価値観で、生者質はその価値観を自分の価値観と思い込まされているだけとしか、彼女には思えなかったのだ。
「我ら死人は生者から生命力を奪い活動している。ただそうしているだけでも、
モルテ様のお力は失われてゆくのだぞ?」
「……」
「生きている時と変わらぬ。食わねば死ぬ、だから食らう、ただそれだけであろう」
「死んだ方がましです」
人は誰しも自らの利益の為に生きている。それは彼女もここに来る前、村に居た時から良く解っていた事だった。
強い者が自分の為に弱い者を犠牲にする。そんな事がまかり通ってしまう世界が、アルトメリアは反吐が出る程嫌気がさしていたのに。
今少女はあまりにも無力だ。
「折角力を注いでやったと言うのに……」
「あなたが私をアンデッドにしたのは、人間の従者が珍しいからでしょう?」
「見抜いておったか」
「最低……」
きっとこのアンデッドは生者を家畜――自分達より劣る下等生物としか思っていないのだ。
人間が牛や鶏や羊や豚や、家畜を飼うのと同じ感覚でこの領地を治めているのだ。彼女はそう思った。
「どう思おうが構わんが、次の饗宴がそなたのデビュー戦だぞ? 不戦敗など有り得ぬ故、心して挑めよ」
「どうせもう死んでるのに、勝ったって……」
だと言うのに、今彼女は自分が軽蔑する相手と同じ体になってしまっている。
一度死んだにも拘らず、他社の生命力にすがって生きていく惨めたらしい存在。こんな存在になるくらいなら死んだ方がましだった。
「困った奴だ。人間とは皆ああなのか?」
「申し訳ございません。人間に会うのは初めてのもので……」
ましだったのに、いざこうして動いて考えて、生きていると、自分で自分の命を絶つ勇気など湧いてはこなかったのだ。
「まぁよい。舞台に上がれば嫌でも動くわ。我々は皆、サミュラ様を楽しませる為のゲームのコマなのだからな」
それが彼女の弱さから来る物なのか?それともサミュラと言う人物の力による物なのか?少女には分かるよしもなかった。
「それまで暫しの間、感傷に浸る時間くらい与えてやる」
子供が領主達に引きづられアルトメリアが軟禁されている部屋から出て行く。
ほっと一安心した所で、全身に感じる急激な飢えと渇きに蹲るアルトエリア。
死んで生き返った時から日に何度か訪れる飢えと渇きは、日に日に回数も空腹感も酷くなって行くように感じた。
「お父さん……お母さん……アルフレド……私、どうなっちゃうの? 私……私……うぅ……」
誰も居なくなった部屋に蹲り、生きる勇気も死ぬ勇気もない自分の明日に、アルトメリアは涙するのだった。
「惨敗……とはな」
饗宴の終わった夜。アルトメリアは領主に与えられた自室の隅に倒れ伏していた。
剣を受けた左手は皮一枚の所でようやく繋がっており、突かれた胸には血の一滴も流れぬ穴が開いている。
それでも彼女は死なないのだ。
いや、殆ど痛いとすら感じていない。それが逆に少女には恐ろしくて堪らなかった。
自分の体なのに他人事のように感じる。
そう、まるで自分の体ではないような感覚が、領主に言われた「我々は皆、サミュラ様を楽しませる為のゲームのコマ」と言う言葉をアルトメリアに実感させた。
「人間とは何と弱い種族なのだ。下級貴族相手に手も足も出ぬとは」
「うぅ……」
そして彼女は今もう一つの感覚に怯えていた。
サミュラの力を注がれたその時から、「サミュラを楽しませる為の物」となったアンデッドは、予めそうなるようプログラムされているのか?
傷ついた体を抱える少女の頭は、自らの意思と全く反した、抗し難い欲求に苛まれていたのだ。
「ともかく、これで食わねばならぬ理由が出来たな」
領主はそう言ってアルトメリアの部屋に一人の
エルフの少年を招き入れた。
「入れ」
「はい」
エルフの少年は生者だった。アンデッドでも何でもない、ただの村人だ。恐らく領主の館で働いている使用人の内の一人だろう。
「これをお前にやる。食って傷を癒せ」
ここスラヴィアでは生者が死者――アンデッド貴族に命を捧げる事は名誉な事とされている。その事はアルトメリアも嫌になる程思い知らされてきた。
しかし、それでも尚彼女は心のどこかで「何の罪も無いのに可哀想」と思ってしまうのだ。
人は死を恐れる。それは死が絶対的な終わりだからだ。しかしこの国では死は終わりではない。
いや、より正確に言うならば死は絶対の終わりだが、その死を超越した存在がいる。そんな超越者に憧れる気持ちが、この歪な国を形成しているのではなかろうか?
そして今や超越者となってしまった何の力も無い地球人の少女は、歪な運命に翻弄されるしかないのだ。
「はじめまして、アルトメリア様」
「……」
「あの……どうぞ、私をお食べになって下さい。私はもう、貴女様の物です」
「ぅ……」
「あの……大丈夫ですか? とてもお苦しそ――」
「ガァァァア!」
「わぁ!?」
それまで倒れていた少女が突然、近寄る少年に飛び掛り、獣のような表情で涎を撒き散らしながら圧し掛かった。
「ぐわぜろ! にぐ、ぐわぜろぉ!!」
残った右手は少年の肩をつめが食い込む程力強く押さえ付けている。
そしてアルトメリアの口から除く犬歯は、人間のそれより遥かに肥大していた。まるで肉食獣のそれの如く、肉を引き千切る牙と成っていた。
彼女は正気を失っていたのだ。
傷ついた体を癒す為、生者の生気を、命を、血肉を欲するアンデッドとなっていたのだ。
強靭な精神力を持つ者がアンデッドに成ればこんな発作のような反応は起きない。
アンデッドの運命を拒み、且つ精神力の脆弱な人間の少女だったアルトメリアだから、体の欲する要求に意識が奪われてしまったのだ。
少女に押し倒された少年は、スラヴィアの住民なら皆そうするように静かに眼を閉じて自分が食べられる時を待った。
だがその少年の顔を見て、アルトメリアの心はやがて食肉の欲望から、胸の底から湧き上がる懐かしい感情へと塗り替えられていったのだった。
「アルフレ……ド?」
間一髪、人を食べる前に正気を取り戻したアルトメリアは、少年から飛び退ると再び部屋の片隅に逃げ、蹲り震えるだけとなってしまった。
「うぅ……っ! うぅぅぅ……!!」
「あの、アルトメリア様?」
「駄目……今私に近づいちゃ……駄目……駄目……駄目……」
「……フン」
その様子を見ていた領主は、呆れ果てた様子で部屋を出て行ったのだった。
「落ち着かれましたか?」
「うん、ありがとう」
饗宴の夜が明け、遮光カーテンに遮られた朝日が部屋の片隅を照らす頃、アルトメリアはようやく落ち着きを取り戻していた。
結局エルフの少年は一晩中、苦しむ少女の事を心配そうに見守り続けていたのだ。
そんな真面目で優しい少年に、アルトメリアは心から感謝していた。
「あの、本当に……」
「ごめんね、別にあなたに問題があるとかじゃないの」
少年は申し訳なさそうな顔をアルトメリアに向けた。
自分に何か問題があったから、アンデッドの少女は自分を食べる事が出来なかったのだと、己を恥じているのだ。
しかし本当の理由は勿論そんな事ではない。
彼女は少年の考えている事が何となく察しが付いたので、少年に本当の事を打ち明ける事にした。
「私の居た世界では、人が人を食べる事は禁忌だったの。それは人として絶対に犯してはならない大罪だったの」
そう、地球では共食い――食人は、多くの地域で倫理的に最大の禁忌と思われていた。
アンデッドになっても記憶がそのまま残った場合、生前の倫理観もそのまま残るケースがある。アルトメリアが正にそれだった。
「だから……私、もう人間じゃなくなっちゃったけど、それだけは出来ないの」
「分かりました」
少年もアルトメリアが真剣に話している様子を見て、嘘をついていない事が解ったのか頑なだった表情が緩んだ。
「ねぇ君、名前は?」
「エルロンと言います」
「エルロンか。綺麗な響きね」
そう言って再び俯き苦しみだした少女を見て、少年――エルロンは心配そうに傍に寄り添った。
「あの、大丈夫ですか? やはり何かお食べになられた方が……」
「人は食べない……絶対に……」
「……では、家畜ならどうですか?」
「家畜?」
苦しみをただひたすら我慢する気のアルトメリアに、エルロンは意外な提案をする。
それは人ではなく動物を食べる事だった。
「えぇ、アンデッドが必要なのは生者の生命力だと聞き及んでおります。ならもしかしたら、人じゃなくても生き物なら、食べれば生命力を補えるかもしれません」
「人じゃなくても、生き物なら……」
それは彼女にとってとても簡単だけど意外な答え。
動物の肉なら生前も食べていたので抵抗も少ない。死者となった今でも、少しは生前に様に振舞えるのだ。
「うん、それ良いかもしれない」
「私が取ってきます。少々お待ち下さいね、アルトメリア様」
こうして、エルロンが得意の弓や罠で動物を捕まえてきてアルトメリアが食べると言う奇妙なアンデッドの食事風景が生まれた。
それはまるで助け合って生きてゆく兄弟の姿の様でもあった。
- スラヴィアという国が持つ異質さとその姿。感情や理性ではなくモルテの欲のために全てが動いているのを感じました。最後の「前篇に続く」は「後篇に続く」でしょうか? -- (名無しさん) 2014-06-15 19:32:24
最終更新:2014年06月21日 23:25