自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

第一章『乞師』

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第一章『乞師』


クウェート 首都クウェート・シティー南方 アリアルサレム空軍基地
合衆国中央軍(USCENTCOM)統合司令部作戦情報センター
2013年1月4日 4時32分(現地時間)

 なんて新年だ。
 中東全域を管轄する合衆国中央軍統合司令部で当直幕僚を勤めるジョン・メイトリクス陸軍大佐は、苦虫を噛み潰したような表情で、眼前の光景を注視していた。
 ちょっとした大学の講堂程もある室内には、正面に四面の巨大なスクリーンが配置されている。その手前には階段状にコンソールとオペレーターが並び、各部隊からもたらされる情報を整理し、スクリーンに表示させていた。
 彼等は、この部屋を『シアター』と呼んでいる。この日の『上映作品』は悪夢のような出来だとメイトリクスは思った。ラジー賞をくれてやりたい気分だった。

「FPCON Bに移行しました。警衛を増員中」
「TF50所属、イージス艦ベインブリッジが、ホルムズ海峡で小型高速ボートの追尾を受けています。イスラム革命防衛隊と思われます」
「サウジ駐留軍から、サウジアラビア軍に外出禁止命令が出されたとの報告がありました」
「クウェート軍も同様です」
「ウデイド空軍基地からCAP上がります。コールサイン、デューク06」

 端末を操作するオペレーターたちが、意識して抑えた声色で次々と報告を上げる。画面に表示される情報は増大する一方で、オペレーターの報告は止む気配を見せなかった。
「何なんだ一体!」
 メイトリクスは僧帽筋ではちきれんばかりの肩を怒らせ、思わず吐き捨てた。中東全域がまるで蜂の巣をつついたような有り様だった。
 異変は1月3日の深夜に始まった。それまではいつもの中東だった。デモやIEDの爆発や銃撃戦は絶えずどこかで起きてはいたものの、全体としては平穏と言ってよいはずであった。
 ところが、1月3日の深夜にさしかかった辺りで、状況が一変した。中東諸国軍の活動が一斉に活発化したのだった。まず、ガザではハマスが昨年合意に至った停戦を破り、猛烈な勢いでロケット弾をイスラエルに向けて放ち始めた。
 それに呼応するように、シリア軍がイスラエル国境に陸軍部隊を移動させ始めたことが、報告されている。レバノンでも、ヒズボラが活動を活発化させている。当然、イスラエル軍側もそれに対抗し、陸空軍が反撃を開始していた。

 いや、対抗してでは無いな。奴らは同時に動き出していた。

 メイトリクスは無数の情報から、不可思議な気配を察知していた。アラブ側もイスラエル側も、それぞれの理由で軍を動員している。身軽なハマスが先手を取ったように見えるが、実態は同時期に軍が動いている。それに──
「エジプト軍に動員令が発令されました。シナイ半島に戦車師団が集結しつつあります!」
「バンダル・アッバス海軍基地のイラン艦隊が出撃!」
「スクリーンに情報を出せ。スンニもシーアもお構いなしか……」

 オペレーターの報告も、さすがに悲鳴のような声色になりつつあった。正面の大型スクリーン上には、部隊や艦艇を示すシンボルが、凄まじい勢いで数を増やしている。
 メイトリクスは傍らに控える幕僚の一人にクウェート陸軍の連絡将校の居場所を尋ねた。
「マクトゥーム中佐はどこにいる? 他の連絡将校も姿が見えないが?」 
 幕僚は、困惑した表情を隠さないまま、質問に答えた。
「それが、少し前から姿が見えなくて……電話をかけたのですが『多忙につき、暫く顔を出せぬ』と」
 おかしい。普段なら用事が無くてもここに入り浸っては、何かしらの情報を引き出そうとする連中が、一斉に姿を現さないとは。
「どんな様子だった?」
「それが、やたらと硬い声でよそよそしい態度でした。アラーの啓示がどうとか……」

 メイトリクスは腋の下を冷たい汗が流れていくのを感じた。唐突に、フォレスタル従軍牧師が「神の声を聞いた」と興奮した声で語っていたことを思い出した。
 まさか。
 バチカンの新年ミサの中止も、各国イスラム宗教指導者のサウジアラビア入国も、全て繋がっているとでもいうのか。

 その時、作戦情報センターの扉が勢いよく開かれ、室長のカーヴィー少将が副官を連れて飛び込んできた。
 夜中に叩き起こされたにしては、髪の毛や服装に乱れた様子もない。ただ、その顔は青ざめている。
 メイトリクスは敬礼した。答礼を返す カーヴィーの身体は、小刻みに震えていた。

 彼が現状を報告しようとした瞬間、けたたましい警報が鳴り響いた。それはレッド・アラート──赤色警報を告げる時だけになる音であった。

「タフィー05──AWACSからのレッド・アラートです!中央軍全部隊に赤色警報を勧告しています!」
「データダウンリンク。シンボル表示まで5秒──出ます!」

 室内の全員が息を飲んだ。イスラエル、エジプト、イランそして──サウジアラビア。各国の空を無数のシンボルが埋め尽くしていた。各国空軍が全力出撃をしているのは間違いない。
 湾岸諸国までが動いているとは。メイトリクスは混乱していた。西欧諸国と関係のよい湾岸諸国が、軍を動かす理由が見つけられないのだった。

 カーヴィー少将が指示を飛ばした。
「全ての中東諸国の通信を傍受しろ! 中央軍全部隊に警報を出せ! 急げ!」
 メイトリクスは、カーヴィー少将に尋ねた。答えは分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

「何が始まるんです?」

 カーヴィーは、ゆっくりとメイトリクスに向き直ると、静かに答えた。

「第五次中東戦争だ」



 のちに、『神々の帰還』として語られる世界の変貌は、ある動画が引き金となったとされる。
 その動画は、2013年1月1日午前0時ちょうどにアップロードされた。作成者は不明。そこには、先年北近畿、隠岐島、南相馬市を立て続けに襲った何者かの姿が克明に記録されていた。
 複数の撮影者が記録した異形の兵、巨人や竜の映像。魔術士の炎に焼かれ、竜に喰われる市民の姿。必死に交戦する自衛隊や警官隊。報道ではカットされていた生々しい姿が映し出されていた。
 普通ならばCGやトリックとして扱われるはずの映像は、日本政府が発表した死者行方不明者数により補強され、事実として多くの人々に受け止められた。

 その動画を閲覧した人々は、おそらく考えたはずだ。
「魔術や化け物が実在する」
「ならば、世界各国に伝わる伝説は実は史実なのではないか」
「ならば、神は──」

 積み重ねがあった。誰もが表立って語ることを憚りながら、心中に募る想い。まさか。いや、もしかしたら。
 動画、書籍、体験談。日本政府の沈静化への努力を嘲笑うかのように、無数の情報が少しずつ世界に広がっていた。そして、器に水が満ちるかのように、人々の認識がある一定の水準を越えたとき──。


 人は気づいた。あるいは『思い出した』


 多くの者にとり、それはささやかな変化でしかなかった。ふとした拍子に何かの気配を感じたり、愛用品が少しだけ以前より使い易く感じたり。多くはその程度であった。
 だが、より神に近い者達は、さらに大きな変化に気づいた。彼等が何を聴いたのか、すべての宗教・宗派からは、未だ一切明らかにされていない。ただ、その後の出来事の要因となったことに間違いはなかった。

 その変化は、髪の毛一本すら動かすことの出来ないものでありながら、同時に国家すら揺るがす力を持っていたのだった。



青森県むつ市大湊浜町 大湊漁港
2012年12月8日 8時14分

 猛烈な地吹雪は徐々に収まり始めていた。異常な速度で渦を巻いていた雲も、今は静かに空を覆っている。雪は止む気配を見せていないが、少なくとも目は開けられるようになった。
 だが城守巡査は、自分が見ている物が現実なのか、地吹雪が見せている幻覚なのか、よくわからない気分だった。防寒コートを着込みMP-5J機関けん銃をぶら下げた彼の前には、およそ現実離れした存在が立っていた。
 降り積もる粉雪が、その人物の周りだけ渦を巻いていた。風に舞う薄緑色の長衣には不思議な紋様が織り込まれている。城守には、どこの国の衣装なのかさっぱり思い付かなかった。
 何よりその姿。一点のくすみも無い柔らかな金髪。その間から覗くのは、長く尖った耳であった。耳朶に下げられた飾りが、慎ましやかな光を放っている。
 このべっぴんさんは、なにもんだ?
 城守は呆然と見つめるのが精一杯だった。

 目の前の人物──リューリ・リルッカと名乗った存在が、その美しい顔に不安げな表情を浮かべた。

「……ん、上手く通じていない? もし、異国の衛士よ。わたくしの言葉がわかるでしょうか?」
「……え? あ、ああわかるわかる。リルッカさん、だっけか。何だって? 総理大臣に会いたい?」
 城守は不思議だった。聞こえてくる言葉は、聞いたことのない音の連なりなのだが、何故だか意味が分かる。
「はい。リユセ樹冠長の命により、南瞑同盟会議の使節団に加わりました。貴国の宰相閣下に、お会いしたい」
「そうかぁ。若いのに大変なこった。んでも、そりゃすぐには無理だべ」
 城守は、気の毒そうに答えた。
「なぜでしょう?」
「そりゃ、ここは確かに日本だけど端っこの田舎だしなぁ。総理大臣はここにはいねえんだ」
「そうですか……この国は『ニホン』というのですね。ならばあなた方は『ニホンびと』なのですか?」
「そう、日本人、だな。にしても、なして言葉がわかるんかな? それに、そんな薄着で寒く無いんかね?」

 当初の緊張と恐怖はどこに行ってしまったのか。きっと目の前の娘っこのクルクルとよく動く大きな瞳のせいだろう。
 城守の問いに、リューリは勢い込んで語り始めた。右手に嵌まった、青い指輪をかざす。
「うむ。異世界の方よ。これは『通詞の指輪』の力なのです。これを付けていれば、オーガとだって話せる。素晴らしい魔導の品でしょう?」
「あいえええ。そのオーガってのはよくわかんねが、凄いなあ」
 リューリは胸を張った。心なしか生き生きとしているようだ。
「そうでしょう。それよりも、ここは寒いところですね。この降り積もる白い物は何ですか? 氷? いえ、氷室の氷はもっと固かった。この地はいつもこうなのですか?」
「雪さ降るのは冬だけだ」
「『ユキ』と言うのですね。そうか、これが冬……貴方の服装は寒さに耐える民の物なのですね。獣の革? ずいぶんと仕立てが良いようです。隣の方の衣服は目の覚めるような青色ですが、どうやって染めているのでしょう。──ところで、その手の道具は何ですか?」
「え、ああこれは機関けん銃って言ってなぁ──待て待て。リルッカさん、あんた日本人じゃないんだな。なら、署まで同行してもらわねばならね。一人で来たんか?」
 城守は、危ういところで警察官としての職務を思い出した。特定雲が出たのだ。見た目に流されたら駄目だ。署で身元を確認しないと──。

「もちろん、使節団ですから他の使節や随行員がいますよ」

 にこりと笑ったリューリの背後に、複数の人影がゆらりと現れた。リューリに気を取られていた城守は、彼等がすぐそばに立つまで全く気づかなかった。
 リューリは威儀を正した。

「お二方が追いついたようですね。副団長にして、軍務交渉担当のアイディン・カサート殿と、政務・商務交渉担当の交易都市ブンガ・マス・リマ総主計、マスート・ロンゴ・ロンゴ殿です」
 重々しい足音を立て、大柄な人物がリューリに歩み寄った。城守達と同じように雪にまみれていた。飾りの付いたつばの広い帽子や、がっしりとした肩に雪が積もっている。
 彼が腰に帯びている細身の剣を見て、城守は機関けん銃の銃把をそれとなく握り直した。
 リューリの肩に、分厚い手が置かれた。城守はその動作が緩慢なことを不思議に思った。か細い声が聞こえた。
「リルッカ。われわれ。耐える。困難。寒さ」
「え?」
 よく見ると、その手はガタガタと震え、唇は紫色をしていた。後ろに立ったままだったもう一人が、力無く崩れ落ちる。他の従者らしい連中も概ね同じ有様だ。
 異世界から来た使節団を名乗る彼等の服装は、見たところカリブ海やバリ島がお似合いで、12月の下北半島では自殺行為も同然であった。
 何でこの娘っこだけ、平気なんだ?一瞬だけ疑問を抱いた城守だったが、早急に為すべきことを思い出し、傍らに立っていた漁協の職員に声をかけた。

「こりゃ、拙い。凍え死んじまうべ! 車、車!」
「わ、分かった!」
「ええっ!?カサート殿、ロンゴ殿しっかりしてください! ああ、なんてこと──」


 日本国と南瞑同盟会議、両者の初めての接触は、いささか締まらぬ形で幕を開けることとなった。



青森県むつ市中央一丁目 むつ警察署
2012年12月8日 13時23分

 遭遇時の状況について城守が報告を終えたときには、紙コップのコーヒーはすっかり冷め切ってしまっていた。窓の外には、出動命令に従いむつ市の要所を固める海上自衛隊大湊連合特別陸警隊員とむつ警察署警備課の警察官たちの、雪像のようになった姿が見える。
 「御苦労」の一言を残して退出していった刑事課長と入れ替わりに、同僚が部屋に入ってきた。
「よう、大変だったなぁ」
「全くだ。あんなこた初めてだ」
 城守は熱いコーヒーのおかわりを有り難く受け取ると、しみじみと言った。
 同僚は頼まれもしないのに、例の風変わりな『使節団』について話し始めた。
 『使節団』の中でまともに会話できる状態なのはリューリだけであったため、むつ警察署会議室で質問責めにあう羽目になっていた。
──曰く。
 彼等は船でこちらに来たらしい。向こうの世界で最も大きな大陸──アラム・マルノーヴに存在する諸国家・都市同盟である『南瞑同盟会議』の使節として。
 何でも、大陸西方に興り中原を制するまでになった『帝國』が、突然大挙して南下し、マルノーヴ大陸の南側で仲良くやっていた小国家群に侵略の手を延ばしてきたらしい。
 意表を突かれた国家群は、辛うじて帝國に対抗するための『南瞑同盟会議』を設置したものの、強大な帝國の前に存亡の危機に陥っている。すでにいくつもの都市が陥落している。
 打つ手が無くなった彼らは、救援を求めるため、ここ日本国青森県むつ市に現れたって訳だ。
「どうやって?」
 城守は至極真っ当な疑問を呈した。
「それがなぁ。あの子の言葉は何でか分かるんだが、言っていることがさっぱり分からんらしい。何でも古代の遺産だかなんだかで、ディバーフ・ピュラなんとかを呼び出して、そこをくぐったらこの世界だったとか何とか」
「さっぱりわかんね」
「だべ」
「まあ、あの連中が特定雲と関係があって、どうやら魔法が使えて、この世界の人間じゃなさそうなことは、確かだ」
 城守は、リューリの長く尖った耳を思い浮かべた。
「上は大騒ぎだよ。警備課は危険だから留置すべきだって言っているし、県警本部の刑事課はあの指輪に注目している。あれがどんな言葉でも訳してくれるってんなら、今まで捕まえた連中の尋問も楽になるって寸法だ。
 どこで話を聞いたのか、どっかの研究所が頭を突っ込みたがっているらしい」
「なんだ、そりゃ。──県は何か言ってきたか?」
「県庁からは『丁重に扱うように。まだ何もするな』とさ。ほら吹きの与太話の類だと思っているみたいだわ。ただ、万が一がおっかねえんでねえかな」
「本当に『外交使節』だったら、国際問題だもんなあ」
 要するに、現状は各組織がまだバラバラの方向を向いたまま、対応を決めかねている、といったところであった。

 やれやれ、と思ったところで部屋のドアが開いた。通路の冷気が吹き込み、城守は思わず襟を引き寄せ首をすくめた。
「城守巡査、呼ばれてますよ」
「え、どこに?」
「会議室。何か向こうの子が御指名らしいです」
 彼を呼びに来た女性警官の探るような表情が気になったが、城守は呼ばれるがままに会議室へ向かった。
 寒々とした殺風景な廊下を進んでいくと、完全武装の警察官が二人、ドアの前で立ち番をしていた。バイザー付きのトカレフ対応型ヘルメットに防弾チョッキ。肩にはイタコの少女のキャラクターが描かれたワッペン。胸にはMP-5J機関けん銃を抱いている。
 城守は彼らに手帳を掲示し、申告すると会議室に入った。

 没個性な会議室だが、暖房は効いていた。部屋の両角に完全武装の警察官が二人。中央に置かれた机を挟んで、手前に副署長と生活安全課長、奥に例の『使節団長』が座っている。机の脇には総務課の女性警官が立っていた。
 見たところ質問責めは続いているらしい。他に『使節団員』の姿が見えないところをみると、他の連中はまだ回復していないようだ。
 それにしても──


「リルッカさんは見たところ大分若いようだけど? いくつ?」
「わたくしは、齡二十一になります。未だ若輩の身です」
「見えねえなあ。精々中学生位だわ。で、何でその若さで使節団の長になったの?」
「はい。本来この任に相応しい方々は、ことごとく物見として戦地に赴くか、他の国々との繋ぎに出払っています。残された者の中で、わたくしが樹冠長より命を受けることになったのです」
「にしてもなぁ……」

 補導された家出少女にしか見えね。
 城守は思った。副署長も、生活安全課長もどうやら同じような気分になっているようだ。もっとも、冬の下北で補導されるような時間帯にうろつく中学生など、城守は見たことが無かったが。

「城守巡査参りました」
「おう、来たか」
「城守殿、今朝はお世話になりました」
 城守が申告すると、副署長とリューリが答えた。
「それで、私は何故呼ばれたのでしょうか?」
「リルッカさんの御希望だ。案内役はお前が良いんだと。随分と仲良くなったな」
 生活安全課長の声には、含む物があるように聞こえた。
「はぁ……」
「まあいい。リルッカさん、今日はこの位にしましょう。他の方もまだ回復していない。今日はゆっくりお風呂にでも浸かって──」
「お風呂? ああ、湯浴みですね。そういえば、この建物は暖炉も煙突も見えませんが……」
 キョロキョロするリューリ。朝も思ったのだが、どうも人一倍好奇心が強いようだ。
「今日はこの警察署の女性警官用の仮眠室で寝ていただこう。風呂などはこの九戸巡査がお世話します」
 生活安全課長は、傍らに立つ女性警官を示した。途端にリューリがビクッと肩を震わせ、大きな瞳をさらに見開いた。
「女性用……いや、それより湯浴みの世話をこちらの女性が?」
「はい。何かと勝手がちがうでしょうからな」
「ええッ!」
 城守は何をそんなに驚くのかと訝しんだ。リューリは明らかに動揺し「……この国はそういう接待を行う風習なのでしょうか……いや、しかしそんな……困る」などとブツブツつぶやいている。心なしか顔が赤い。
「どうかされましたか?」
 生活安全課長が怪訝そうに訊ねた。リューリは暫し黙り込むと、城守の方に向き直り、上目遣いで彼を見上げた。長い耳は垂れ下がっている。

「その……湯浴みの手助けは、城守殿にお願いしたいのですが」

「え?」
「城守、貴様ァ!」
「えええええええ!?」
 城守の頭は真っ白になった。生活安全課長は、何を連想したのか、真っ赤になって怒っている。

「……いけませんか?」
 おずおずと申し出たリューリの言葉に、周囲の警察官たちは目を白黒させた。

「いや、しかし……本気ですか?」
「はい」
 はっきりと言われた副署長は「……異世界の風習? 夜伽とかそういう……いやしかしここは警察署……だが、粗相があっては……」などとブツブツつぶやいている。心なしか顔が青い。
 九戸巡査は「城守、最低……」と、汚物を見るような目で彼を睨みつけていた。
 城守は、周囲の冷たい視線を理不尽な思いで受け止めていた。この娘っこの意味が分からない。こちらを見上げるリューリの華奢な身体がふと目に付いた。細い手足に薄い身体。彼は背徳的なものを感じ、慌てて目を逸らした。

「ここは、警察署です。そのようなことは許可できません」
 生活安全課長が決然と言い放った。
「……駄目ですか?」
 リューリが悲しそうに言った。きっとそういう習いなのだろう。使節団へのもてなしの一種で。異世界ではそれが普通なのだ。だが、生活安全課長は日本国の警察官だった。
「駄目です。男女が同じ風呂に入るのは──」
「え?」
 その言葉にリューリの耳がぴょこんと跳ねた。そして言った。


「わたくしは、男ですが」


「えええええええ!?」
「男の子ォ!?」
「その見た目で!?」


 会議室内に警察官たちの驚愕の叫びが木霊した。




 翌日。回復した者を含め、改めて事情聴取が行われた。だが、荒唐無稽に思える話の数々に、日本側の参加者は引いた態度を崩さなかった。
 だが、東京から駆けつけた外務省職員の「そもそも、それが全て事実だとして、我が国が貴国を助ける理由がありますか?」という言葉に対し、リューリが示した『もの』が、事態を大きく動かすことになる。

 彼が示したのは、泥にまみれ、液晶画面は割れていたが、明らかに日本製のスマートフォンであった。




 切り立った崖が渓谷の両側にそびえ立っている。大地を南北に割る深い谷の底には、枯れた河の跡を流用した貧弱な道が南へと延びていた。北の空は低く雲が垂れ込め、陰鬱な色を地に落としていた。
 辺りは草木も乏しく、剥き出しの岩肌と、立ち枯れた低木の残滓が、荒涼とした景色を見せていた。凡そ人が営むには適さない土地であった。
 この地は、マルノーヴ大陸南部沿岸諸国勢力圏の北端である。この地より北、マルノーヴ大陸中央部には『狂える神々の座』と呼ばれる地域がある。北方の『帝國』と南部沿岸諸国を分かつように東西に延びる峻険な山岳地帯が、太古より人々を拒み続けていた。
 その名の示すとおり、異常な土地であった。
 絶えず焔を吹き上げる活火山が、有毒ガスを滞留させ、あちこちに死の谷を形成している。山裾は乾燥し草木が絶えた砂漠が広がっている。
 そうかと思えば、昼なお暗い森林があり、その隣には、水面に瘴気を溢れさせた湿地帯が存在し、不快な蟲たちが我が物顔に飛び回っていた。
 まるで、でたらめに組んだパズルのようだった。

 土地の精霊力が完全に狂っているのだ。

 さらに、それぞれの土地には凶暴な魔獣や妖魔が多数生息している。それらは無謀にもこの地に挑んだ無数の調査団や、冒険家たちの命を刈り取り続けていた。


 南部沿岸諸国は、この地に利益を見いだすことを放棄した。無数の犠牲者を出した彼らは北への交易路を拓くことを断念し、海路に伸長することを選択したのだった。
 結果としてその判断は、南部沿岸諸国を大いに栄えさせることとなった。航海技術は目覚ましい発達を遂げ、陸路より遥かに効率のよい海上交易は、彼らに莫大な富をもたらした。
 交易船は遠く帝國西方諸侯領まで到達し、敵対しているはずの相手ですら、商人たちは抜け目なく取引相手としている。


 彼らにとっての脅威は、不定期に『狂える神々の座』から襲来する魔獣、妖魔であった。それらは度々人界に現れ、村や街を襲った。
 人々は、『狂える神々の座』との境界に、城塞を築くことでこれに対抗した。

 谷を見下ろす両側の崖に、『双頭の龍』と呼ばれる城塞が聳え立っている。南部沿岸諸国は、ここに兵を駐屯させ、襲来する妖魔たちを食い止めていた。左右一対の城塞は、経験豊富な守将に率いられ、人類世界の最前線として鉄壁を誇っていた。
 同時に、城塞は周辺に出没する魔獣討伐隊の出撃拠点としての役割も担っている。経験豊富な冒険者たちが、ここで装備を整え、周辺の掃討に出発するのだった。

 その城塞が、燃えていた。


 城塞の周囲は荒々しい喊声と多数の兵が地を踏みしめる音で満ちていた。崖を利用して造られた城塞は完全に包囲され、蟻の這い出る隙間もない。
 周囲を埋めるのは、異形の兵たちであった。装備も種族も隊ごとにバラバラで、全く統一されていない。唯一の共通点は、いずれの隊も残虐非道な戦振りを示している、という一点であった。
 人喰鬼が、巨大なバリスタを城塞に向けて放つと、胸壁ごと打ち抜かれた守備兵が悲鳴をあげることすらできぬまま、バラバラになって落下した。
 周囲の空には、翼をもつ魔獣が我が物顔で飛び回り、運の悪い兵を空中に掴み上げていた。周囲から絶えず打ち込まれる矢には、糞が塗りつけてあるらしく、守備隊からの反撃はほとんど行われていなかった。
 守備兵の士気が著しく低下しているらしい。頑丈な石造りの防壁はあちこちに綻びが生じている。


 『双頭の龍』は、帝國南方征討領軍により、落城寸前に追い込まれていた。


「──それで、お二方は和平交渉に参られたということですか。少々遅きに失した感はありますが」
 多分に嘲笑を含んだ声が、地面に膝をついた二人──『双頭の龍』左軍長カトル・フォボルスと右軍長バーン・ディアモスにかけられた。犬面の剣兵が下品な声であざ笑い、地面に唾を吐く。
「……」
 南部沿岸諸国から派遣された守将である二人には、返す言葉もなかった。
 それが、事実であったからである。

 攻撃は完全な奇襲で始まった。熟練した指揮官である二人と、選抜された精兵をもってしても、持ちこたえることは不可能であった。
 なぜ、奴らはあの狂った土地を越えられたのだ!? いかに妖魔ばかりで編成された軍であっても、魔獣の縄張りを無事に通り抜けられるはずが無い。
 フォボルスは、悔しさの余り傷だらけの顔面を歪めた。がっしりとした体躯の彼は、疲労困憊した身を精神力だけで支えていた。

「我らの命を差し出し城を開く代わりに、兵たちの助命をお願い致す」
 ディアモスが苦渋に満ちた声で、嘆願した。彼は左腕に傷を負い、今も衣服には血がにじみ続けていた。
 奇襲を受けた城塞は、伝令すら出せず城に籠もるのが精一杯であった。城内には、兵の他、人足や下働きの女性、一部の兵の家族も籠城している。このままでは、その全てが命を失うだろう。
 二人はせめて非戦闘員だけでも救うべく、敵陣に膝を屈していた。寄せ手の攻撃は一時的に止んでいる。

「ですが、このまま攻め続ければ落城は時間の問題。我々が要求を受け入れる利が無ければ、ねぇ」 
 ねっとりとした口調は、攻撃側の将から発せられている。上品な発音だが、裏にある悪意を隠そうともしていなかった。それは、猫が捕らえた鼠をいたぶる様を連想させた。周囲では本営を固める帝國兵が、二人を口汚く罵っている。
 ディアモスが、決意を秘めた口調で答えた。
「利はある」
「ほう。……伺いましょうか」
「貴軍の損害を格段に減らすことが出来よう。もし、降伏が認められぬ時は、我ら最後の一兵になるまで戦い抜く所存である。貴軍の被害も相当なものになろう」
「……脅すおつもりで?」
 攻撃側の将──帝國南方征討領軍主将レナト・サヴェリューハがその美しい顔に爬虫類の笑みを貼り付けたまま、訊ねた。外見は二十代後半。金髪碧眼、白皙の美男子といってよい。
 しかし、細く尖った輪郭に配置されたつり上がった瞳と薄い唇が、その酷薄な内面を滲ませていた。
 細身の身体を黒の薄金鎧で包んでいる。彫金で飾られた鎧の表面は、うっすらと赤い光を放っているようだ。彼はその上に獣革のコートを羽織り、野卑な雰囲気を醸し出していた。

「滅相もない。ただ、事実を述べたまで」

 恐れで満ちた内心を隠し、ディアモスは言った。戦況は絶望的であり、こちらの要求が通る可能性など無きに等しいことはわかっていた。目の前の男が手を一振りするだけで、全てが終わる。
 敗軍の将は、賭けに出ざるを得なかった。

「……余程の御覚悟ですねぇ」
 サヴェリューハが感心したように言った。
「守将お二方の御名前は聞き及んでおりますよ。『双頭の龍』を守護する勇猛なる指揮官。それだけではなく──」
 声に感嘆の響きが混ざったように聞こえた。
「互いを信ずること兄弟の如く。戦場においても阿吽の呼吸で数々の武勲を立て、遂には本当に兄弟となられたとか」
 こやつ、どこまで調べている。フォボルスとディアモスは驚きを隠せない。二人が互いの姉妹を妻としていることを、この男は知っていた。

 サヴェリューハが言った。
「私も武人の端くれ。お二方の覚悟に応えましょう」
「おお、では」
「しかし! ──全てを叶える訳にはいきません。対等の交渉ですら互いに妥協するもの。まして、我らが圧倒的な優位にあるのです」
「我が命なら喜んでくれてやる!」
「……」
 フォボルスは勢い込んで叫び、ディアモスは不吉な予感に沈黙した。

 サヴェリューハは薄い唇を開き、笑顔を見せた。フォボルスには口が真横に裂けたかのように見えた。

「片方の城塞のみ助命しましょう」

 ディアモスがサヴェリューハを睨みつけた。サヴェリューハは楽しげな口調で続けた。
「助命する城をお選びください。お二方にお任せしましょう」
「馬鹿な! 選べるわけがなかろう!」
「おやおや。……ふむ、ではこうしましょう」
 抗議する二人に、サヴェリューハは言い放った。

「お二方で殺し合っていただき、勝った方の城を助けることにします」
「き、貴様ッ!」
「戦わねば、全て殺します。どちらかが手を抜いたら、全て殺します。お二方には死力を尽くして、醜く獣のように殺し合っていただきたい」

「……外道め」

「だって! どうやったって私たちが勝つんですよぉ! あなたたちの希望を叶える必要など無いんです! 本来なら全員死ぬんです! 無残に! 嬲り殺しです! 」
 サヴェリューハは嗤った。
「あなた方は半数が生き残り、私たちは楽しい見世物を見物する。互いに利があるでしょう? さあ、どうしました? 早く殺し合ってくださいよ」

 フォボルスとディアモスは、サヴェリューハにありったけの呪詛と殺気を込めた視線を向けた。彼らが呪術師であったなら、呪殺できたかもしれない。
 だが、彼らは武人で、全ての武器は取り上げられていた。二人は一瞬の沈黙の後、互いの顔を見つめた。数多の戦場で背中を預け合った、義兄弟の姿が瞳に映っている。
「さらばだ!」
「いつか、地獄で!」

 次の瞬間、死闘が始まった。拳が頬骨を砕き、鋭い蹴りが胃にめり込む。

「あははははは! そうです! 手を抜けば皆殺しです!」

 格闘は次第に技を失い、反対に獣の如き様相を呈した。唸り声をあげたフォボルスの指がディアモスの右目をえぐり出した。絶叫と共にディアモスが目に突き込まれた指を噛み千切る。血飛沫が辺りに散った。

「見なさい! 普段綺麗事を並べる連中も、命がかかれば野獣同然。何とも醜い有り様! あははははははは!」

 二人を取り囲んだ妖魔兵が興奮の叫びをあげる。肉を裂き骨を砕く音が鳴り響く。暫くして、不意に静かになった。

「終わったようですねぇ」

 血溜まりの中に、右目が潰れたディアモスが、荒い息を吐きながらうずくまっていた。戦袍は千切れ、手の爪は全て剥がれている。潰れた右目から流れ落ちる赤黒い血が、まるで涙のように見えた。
 彼の足下には、ぼろ切れのようになり果てたフォボルスの死骸が転がっていた。

「……約束……を果たせ」
「ええ。生き残るのはディアモス殿の右城塞ですね。見事な戦いでした。我が軍の妖魔共にも劣らないほど残虐で容赦のない殺しでしたよ」
「……」
 息も絶え絶えのディアモスを前に、サヴェリューハは歌うように続けた。
「おめでとうございます。ディアモス殿の奮闘で、左城塞の人たちは全員が死にます。──そういえば、あなたの妹君もいましたね。申し訳ありませんが、配下には好きにさせるつもりです」
「外……道……め」
「あなたもね。妹君は散々嬲りものにされることでしょう。ふふふふ」
 ディアモスの口内で鈍い音がした。奥歯が砕けた音だ。
「右城塞……の者共を逃して……もらおう。儂はどう……しようが構わん」
「ええ、約束ですからね。私は約束は守りますよ──おや、どうしました?」
 いつの間にか帝國兵が一人、サヴェリューハの横に来ていた。兵が何かを耳打ちすると、サヴェリューハは思案顔になり空を見上げた。
 彼は心底困ったという顔を作り、ディアモスに語りかけた。
「大変困ったことになりました。我が軍の主力が魔獣であることは御存知ですか?」
「……」
「我が軍の窮状をお見せするのは大変お恥ずかしいのですが、手違いがありましてね」
 ディアモスは言いようのない感覚を覚えた。この男は──
「兵站責任者は厳しく罰する予定です。しかしながら当面の急場を凌ぐために、どうか御協力をお願いしたいのですよ」

「お、オオオォオッ!」

「餌が足りないのです。そこで、右城塞の皆様に──肉として御協力いただきます」

 次の瞬間、驚くべき俊敏さでディアモスが飛びかかった。死にかけた人間の動きではなかった。
 だが、彼がサヴェリューハに届くことは無かった。左右から素早く進み出た兵が、瞬く間に彼を取り押さえてしまった。
 サヴェリューハは哄笑した。
「全ては、あなたの為したことです! あなたの無能が原因です。あなたのせいで、城も、部下たちも、義弟も、妹も、妻も、みな死ぬのです! あははははははは」
「殺してやる!」
「安心してください。指揮官の責務は果たさせてあげましょう。全てを見届けてもらった後で、殺してあげます」

 半狂乱のディアモスが連れ出される間、サヴェリューハは実に楽しげに笑い続けた。

「閣下、ご指示を」
 頃合いを見計らった副官が、サヴェリューハに訊ねた。
「ああ、楽しかった。よし、総攻撃──城を洗いなさい」
 彼は、全てを虐殺せよと命じた。些か辟易した気分を感じていた副官が言った。
「──宜しいのですか?」
「ここでは拠点としての施設が手に入ればよいのです。人間は必要ない。実際、魔獣の飢えを満たさねばいけない頃合いですしね」
「はッ」
 サヴェリューハは言葉を続けた。
「そうそう、50人ほどは生かしておきなさい。 嬲ってもよいが、その後解き放つのです」
 彼は傍らの騎兵指揮官に向き直った。
「補給が完了次第、飛行騎兵を出します。適当に周辺を荒らしなさい。有力な敵がいたならば、報告すること」
「御意」
「我らのことは解き放った人たちが語ってくれることでしょう。以後の補給は向こうから差し出していただけると思いますよ」

 総攻撃が再開され、殺戮の場と化した城塞を眺めながら、サヴェリューハは整った顔に笑顔を浮かべた。それは、見る者を不快にさせる汚泥のような笑みであった。



 守将を失ってから半日で『双頭の龍』は陥落した。雪崩れ込んだ兵と魔獣により、城内は屠殺場と化した。

 二日後、周辺の街や村に半死半生となった生き残りがたどり着いた頃、周辺に騎兵部隊や、飛行騎兵部隊が出没し始めた。

 さらに一週間が過ぎた。
 大混乱に陥った南部沿岸諸国を尻目に、複数の街や村、そして一部の城塞都市が雪崩を打って帝國軍に恭順の意を示し始めていた。
 彼らは、『双頭の龍』の運命を知り、それに連なることを恐れたのであった。


 奇襲侵攻から二週間後、周辺からの徴発により兵站を整えた南方征討領軍先遣兵団は、本格的な進撃を開始した。

 一方、南部沿岸諸国はなんら有効な手を打てぬまま、無為に時間と空間を失い続けることになる。
 辛うじて『南瞑同盟会議』が組織され、リューリ・リルッカが異世界に兵を乞うのは、このときから実に三カ月後のことであった。

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