この子に流れる血の色も 中編

前編より

八雲紫
【昼】D-2 猫の隠れ里 入り口付近


果て無き永い夢から覚醒した紫を迎えた、最初の境界線。そこを踏み越えた彼女を待つのは、やはり安寧などではなく。
更なる艱難。ついぞ今しがた見ていた夢は、ネクストステージに比べたら悪夢などではなかったと認識する。あるいはあのまま夢見心地に心を傾けていた方がよっぽど幸せだったろうか。
否、それは誤りだ。檻の中で管理され飼われる獣が野生よりも遥かに幸せだと、誰が断定できるだろう。
獣の本来は、興味や嘲笑の視線を集める鉄の檻の中には存在しない。
この箱の外に道徳などない。優しさもない。

在るのは無秩序。野蛮。本能。――――――自由。

剥製の愛に囲まれた園の檻に、幸福など転がっていない。真の幸福とは、『自由』という広大な宇宙空間の中にこそ漂っている。
かくして『支配』という名の檻から抜け出た紫は、自由の身となった。自由でいて尚、彼女の足や腕、その全身に至るまでには夥しい数の鎖枷がジャラジャラと音を立ててひしめき合っている。
このような身で自由とはおこがましい。むしろこれは、自らの『宿命』だと彼女は悟った。
手放してはならない。握り締め続けなければならない。

幻想郷の大妖怪『八雲紫』の幸福とは、この宿命の中にこそ広がっているのだから。




「――――――状況を」


黄金に輝く髪が、空より落ちる幾多の雫を万倍にも美しく反射させる。
深い、深い、不快な夢から目覚めてすぐに、紫は状況の把握を急いた。催促の相手は……自分と同じく、金色の髪を持つ少女。


「やーっと起きたのかこの昼行灯。もうすぐ昼メシの時間、だ…ぜ……」

「生憎、今は薄暗い雨天の最中。たとえ真昼間でも、少しは行灯の灯火に期待は出来るでしょう。……あくまで少し、ですが」


皮肉交じりの朝礼をにべもなく交わせるのも、この魔女帽を被った少女が紛うことなき霧雨魔理沙ゆえに。
自虐を含めた紫の返答に魔理沙は、力なく口元弛ませる。安心からではない。むしろ逆……不安から生まれた笑みだった。
今の紫の言葉にいつもの不遜さはなく、加えてこれは謙遜でもない。

正真正銘、八雲紫は衰弱している。肉体も、精神も。

紫の言葉の節から垣間見た魔理沙の直感が、“この状況”の好転に、現状の紫ではやや力不足だと嗅ぎ取った。


「居眠りから起きて早々、この偉ぶった台詞……中々吐けるモンじゃあない、わね……魔理沙、なにコイツ?」


この場で唯一、紫の見知らぬ金髪少女が、睨みつけるように……いや、真実睨んできた。
彼女の名を空条徐倫。そこで転がっている魔理沙と同じく、無様に泥を付けられながらも瞳に宿る闘志は尽きない、タフな少女だった。

「タチの悪さと胡散臭さなら優に私の百倍はあるヤツだ。大物そうな存在感に騙されるなよ、意外と寂しがり屋だぜ」

「……危険なヤツじゃないの? 『あの新聞』に載ってた女に見えるけど」

「とっても危険な妖怪だぜ。……妖夢とか勇儀の件についても訊いときたい所だが―――それどころじゃなさそうだ」

新聞とは何のことだ、と紫自身思わなくもなかったが、今は引き続き本当にヘビィな状況らしい。
魔理沙と徐倫が箒から墜落し、雨に鞭打たれながら泥塗れとなっている理由など考えるまでもないのだ。

果て無き永い夢から覚醒した紫を迎えた、最初の境界線。そこを踏み越えた彼女を待つのは、やはり安寧などではなかった。
今までは1stステージに過ぎない。境界を踏み越えた、ここからの2ndステージは更なる悪夢を見る羽目となる。



「もう一回だけ、言うよ。……馬鹿な真似はやめて、そこを退きな ――――――神奈子」

「何度だって言いなさい。……誰が、誰に向かって、退けだって? ――――――諏訪子」



遊戯。闘い。決闘。戦争。殺し合い。弾幕ごっこ。スタンド戦。
人と人との闘争とは、これまでの歴史を紐解いても数多くの『形態』がある。
闘争という形態一つとっても、その様相には更に多数の『手段』が存在する。
謀略。策略。奇襲。暗躍。虚報。駆け引き。騙し討ち。
バトルロワイヤルというゲーム盤ではそういった知謀を巡らせた戦略が、後に大きな実を結ぶことも多々あるだろう。
言うなら『裏の戦い』とも称すべき側面。ならば必ず『表の戦い』という片側も存在するのだ。


それを、この地上では『正攻法』と呼ぶのなら。


「天竜――――――」


恐らくそれは―――八坂神奈子の領域だ。


「―――『雨の源泉』」


絶対的な力の前に、小賢しい戦略など塵芥同然。
強者はただ―――全力で攻めるだけだ。

「おい神奈子! 冗談だろっ!」

魔理沙は唇を強く噛み締めた。
あと少し。恐らく、すぐそこだったのだ。トラックのタイヤ跡から推測できる霊夢と承太郎の逃走地点までの距離は、ほぼゼロまでに縮まっていた。
追撃を担っていたあの邪魔者二人は、自分でも惚れ惚れする程のチームプレイで華麗に排除できた。憂う要素はキッパリと晴らしたと、思い込んでいた。
だがあの天狗の新聞や逃走チームの残したタイヤ跡は、事ここに至っていささか余計な敵までも誘い込んでしまったらしい。
これが危惧すべき展開。バトルロワイヤルでは出来得る限り回避しなければいけなかった状況であると、魔理沙は改めて学習する。

予期しない敵との――予測しなければならなかった状況だが――不意のエンカウント。危険なのはこの遭遇だった。

そして何より厄介なのは、この過ちにより発生した凶槍が、更に想像さえ出来ない場所から降りかかってきた場合である。
「よりによって」という言葉を頭に付けるのなら、ここにいる魔理沙も紫も「よりによって神奈子が」という感想が第一に浮き出てきた。
彼女と密な関係にある諏訪子の心中など、更に推して知るべしだろう。

八坂神奈子という名を持った彼の山ノ神は、単純に―――“強い”。

弾幕ごっこが、などという枠組みを取り払えば尚の事。基本的にこの類の強者から『ルール』という枷を外せば、並大抵の相手では手が付けられない。
魔理沙もそれをよく理解できている。何と言っても彼女は人間。ヒトが神に打ち勝つなど、まさに神話の中の世界だ。

我々人間は、「神」にだけは勝てない―――


「―――土着神『洩矢神』!」


問答無用で急襲してきた神奈子の弾幕を、盾として遮る諏訪子の弾幕が相殺する。
巨大なカエルを模したオーラが、後方の紫、魔理沙、徐倫を咄嗟に守った。凄まじい炸裂音が雨中に轟き、それは戦争開始の鐘となる。

「~~~~!!! す、諏訪子お前、怪我とか大丈夫なのか!? とりあえず助かったが……!」

「答えたくない質問だけど…………相手が“相手”だからね」

神奈子の『第二波』をどうにか耐え、諏訪子は接着したばかりの不安な両脚で大地に構える。
この女の『第一波』……つまりは初撃を喰らった時点では完全に油断していた。
なにせここに居る諏訪子と神奈子は旧知の仲だ。お互いの性格や気質、戦法も全てお見通し。気心の知れた好き関係である。

―――そう、信じていた。

だからこそ隠れ里に侵入する寸前だった神奈子を目撃した時、諏訪子は開口一番何の疑いもなく大声を叫びながら近づいてしまった。
その結果がこの醜態か。まさかいきなり攻撃してくるとは。徐倫が咄嗟に回避行動を促さなかったら、死人が出ていただろう。

蛇の道は蛇、という言葉はあるが、知り尽くしていたと思っていた互いの心は、その実何も知れていなかったのかもしれない。
所詮、蛇と蛙の関係だったというのか。喰う者と喰われる者。所詮この世は弱肉強食の、食物連鎖。
ならば喰われる者――蛙は、この場合どちらなのか。
喰う者――蛇とは、誰だ。

祟り神ミシャグジ様を操る土着神の頂点・洩矢諏訪子。白蛇の化神である彼女は、見た目に似合わず身分相応に強者だ。
だが太古の戦争にて諏訪子は―――侵略者・八坂神奈子に完膚なきまで敗北の苦い過去を持つ。その瞬間から、蛇と蛙は逆転したのだ。

「ちょうどイイ、諏訪子。この場でアンタに出会ったら……ちょっと訊きたかった事があったのよね」

「…………私だって、色々訊きたいよ」

睨みを利かせる両者。蛇に睨まれた蛙とは、この場で喰われるしかない蛙とは―――


「なあ――――――どっちだろうね、“今の”私たちは。…………どっちが『蛇』だと思う? すわこォ」


動くことが出来ないのは……諏訪子だ。
神奈子が鈍く光らせる眼光は、これから狩り(ハント)を行う捕食者の放つソレだ。
本能で理解(わから)された。

睨まれた蛙は――――――諏訪子だった。

「……それ、嫌味のつもり? 分かってんでしょ、私は昔、アンタに敗北した。……決定的に。
 事実は事実。『蛇』はアンタだろうさ。……私と神奈子じゃあ、強いのはアンタだよ」

伊達に長い付き合いをしているわけじゃない。諏訪子も神奈子も互いの力量など、当の昔に把握し合っている。
そして更に絶望的なことに、諏訪子の土着神としてのパワーはその当の昔に比べて……つまりは全盛期よりも遥かに衰退している。
ここでいう『蛇』とはまさしく、神奈子であった。その神奈子がどういうわけだか殺し合いに興じている様子なのだ。
彼女の背中に背負うしめ縄は蛇を表し、人々のミシャグジ様に対する恐怖に対抗する為、脱皮を繰り返す蛇の姿から再生を示すと同時に、蛙を食べる生物として諏訪子への勝利を喧伝する目的がある。
そういった粗暴そうな雰囲気とは反して、彼女は聡い女だ。我が身可愛さに優勝を狙う骨無しでもない。他人の生命に敬意を払えない下衆でもない。
神奈子は過去に幾らでも異変の原因となっていたが、腐っても幻想郷の立派な一員だ。知り合いに易々と手を掛けるほどの暴れ牛でもなかった筈なのだ。

何より神奈子は―――早苗を、家族を愛する女なのだ。ゲームに乗るということは即ち。

「―――神奈子。…………早苗のことだけど」

脳裏に浮かぶのは、最愛の娘と言ってもよいあの子の、満天の星空のような笑顔。
一瞬、諏訪子は早苗のことを口に出すのは戸惑った。信じたくはないが、あの邪仙によると早苗の命は――――それを考えたら神奈子にだって伝えるのを躊躇してしまう。

その躊躇さえなければ……あるいはこれから起こる事柄は、まるで別の結果を辿っていたかもしれない。

言い淀む諏訪子に口を挟むかのように、神奈子は平然と言ってのけた。


「あぁ……早苗、ね。…………会ったさ、夜が明けるちょっと前くらいに」

「………………え?」


会った? 既に神奈子が、早苗と?
夜明け前、って……じゃあ早苗が邪仙に…………殺されたのは、その直後…………

ふつふつと、諏訪子の全身に流れる血脈が“またも”煮え滾っていくのを感じた。
件の邪仙から“精一杯謝られた”あの時と同じく……いや、ある意味ではそれ以上の『怒り』。


「え……じゃあ、何?」「アンタ、早苗と会って」「それでいてのこのこ一人でこんな所うろついてるってワケ?」
「何で早苗を一人にした?」「そのせいであの子は、邪仙に」
「―――殺されたんだぞ?」
「おい、神奈子」
「お前」


―――なにやってんだ、オイ。


それらの言葉を、絞り出すことすら叶わなかった。
ただ、そんな怒りの数々を表す文章の羅列が脳内に奔流しては、口に出されることなく消えていく。
最も近い身内なだけに、諏訪子の怒りはもはや青娥にではなく、目の前の女に集中砲火する勢いで堆積していく。
無論、今の短いやり取りで全てを悟れることなど出来ない。
神奈子が早苗と別れた理由には、抜き差しならない、どうしようもない事情が介在していたのかもしれない。
それでも、神奈子が付いていれば早苗はきっと無事だったろう。
この薄情な神に、そんな当然の怒りをぶつけてやりたい気持ちは収まらない。

諏訪子にとって、早苗も神奈子も……大切な家族であるのだから。
だからこそ。


「…………あぁ、アンタには怒る権利がある」


諏訪子の怒り心頭も極致に達するその刹那、神奈子はどこか笑うように、艶やかに殺気を受け流しながら呟いた。
いや、受け流しなどという逃げ腰ではない。神奈子は全身で、目の前の怒れる友人の殺意を余すことなく受けていた。
まるで逃げることを拒絶するように。友の怒りの総てを受けてやらねば、自分で自分を許さないとでも言いたげに。

揺るがぬ体勢で、神々しさすら感じる仁王立ちを以て、諏訪子の想いを受け止めた。

睨みを利かせる両者。蛇に睨まれた蛙とは、この場で喰われるしかない蛙とは―――


「神ァ~~~~~奈ァ~~~~~子ォ~~~~~……! 説明して、貰おうか……ッ!」


睨まれていたのは、蛇。
その両の赤黒い瞳の中心に映る、“睨まれていたハズの蛙”が…………神奈子をその場に固まらせた。
諏訪子は神奈子という蛇を“見極めていた”のだ。
これから殺し合うことになる“かもしれない”女。その真実を。
舐るように、それこそ蛙などではなく蛇のように、研ぎ澄まされた『殺意』と『集中』で、かつての敵《とも》を、視ていたのだ。

それは神VS神などという、かつての諏訪大戦を再現せしめた神話。後光すら射して視えるほどの錯覚を起こす、荘厳なる魔境とでも言うべく景色だった。
この場にて唯一の“人間”である魔理沙と徐倫は震えた。二人の神が起こす大気の振動が、空気を、皮膚を伝ってその脳に警戒信号を与えたのだ。
異様な光景。睨まれている筈の蛙が、とぐろ巻く蛇を大口開けて喰わんとする、死の光景。

“神様”の“本気” ―――それに圧倒されていた。


「諏ゥ~~~~~訪ァ~~~~~子ォ~~~~~……! “あの時”の決着、付けるかい? 今 こ こ で 」


ガチャリ。
鉄の音と共に現れた。鬼に金棒、武神に機関銃。
神奈子がこの殺し合いを渡りきる上で、最大のアドバンテージの象徴はこの『無痛ガン』と言っても過言ではない。
単純な殺傷力では支給品の中でも群を抜く。プラス本体の力量に、極め付けが『ビーチ・ボーイ』だ。
正攻法では相当な突進力を持つ神奈子の隙を埋めるように、遠隔操作型スタンドなどという変化球が加わっている。
本来彼女が蓄えていた神力を幻想郷流にアレンジした『スペルカード』と併せて、まさしく『三種の神器』を操る神奈子に正面から向かって突破できる手練などそうはいない。

とにかく、簡単には近づけないのだ。この移動砲台を射程圏内に入れるには、幾つかの方法がある。
まず単純に、彼女以上の長射程距離からの狙撃。それも手早く仕留め切れなければ、見た目より俊敏な機動力であっという間に近づかれる。
神奈子の初陣であったポンペイ遺跡での花京院戦。花京院が一方的に神奈子を射程内に捕捉していたにもかかわらず、初弾をいなされたことによってあっさり接近を許してしまったのは花京院のミスだろう。

二つ目の方法は、やはり神奈子以上の奇術的な変化球を投げることだ。
ストレートでは押し負ける。直球に見せかけたカーブを、そのままデッドボールに当てに行くぐらいの『騙し』は最低必要だ。
ようは意表を突くこと。この点を言えば有効なのは『スタンド』だろう。例えばあのヴァニラ・アイスの暗黒空間からの不意打ちという殺人コンボ。
変化球にしてはあまりに直球な例だが、神奈子相手にスタンド特有の『初見殺し』は同じく有効だ。尤も、そのヴァニラも神奈子自ら粉砕したのだが。

そして最後の方法。
神奈子の『感傷の隙』に入り込むことだ。
現状の彼女が多く入れ込む人物など、参加者の中には殆ど居ない。居るとするなら、それは―――


(諏訪子……アンタと、そして早苗に対してだけは……どうにも『コイツ』を向けたくないね……!)


人間の産み出した殺戮兵器。神である身ながら、彼女がこの下衆な武器を手に取ったのも、半端な覚悟で立ち上がったワケではないからだ。
負ける気はない。この『儀式』に、私は勝たねばならない。
それが当たり前だと思ったから。だからその手を穢してまで、こんなモノに頼っている。

だが、それでも『家族』だけは、せめて苦しまずに逝って欲しいのだ。
激痛を感じる前に即死するから『無痛ガン』――とは言うが、殺戮兵器によって命を絶たれる末路など、家族のそんな残酷な死に目など、見たくない。
だから家族……愛する家族だけは、せめて我が腕の中で逝かなければならない。
あまりに身勝手すぎる、戯言。どんな理由であろうが、いかなる手段であろうが、要は殺す。家族を、殺そうというのだ。
たとえ血の繋がりはなくとも、諏訪子も早苗も……家族だ。そして愛する者だからこそ、己が枠付けた勝手な一線でも踏み越えたくないという想いが存在する。
儀式の勝者は一人。少なくとも早苗では、その頂に立つことは不可能だ。たとえ立った所で、その後の人生を穢れた体で生き抜くあの子に真っ当な幸福などあるわけがない。

だからせめて私が。だから、だから―――

「だから」などという、芯に通っていない矛盾した理屈でも。それは彼女を繋ぐ『己』であり、最後の理性。神奈子にとって見ればギリギリの手綱だけは、手放せない。
もしこの線を超えてしまえば―――もはや八坂神奈子は神でも何でもなくなってしまう。

枷が外れ、歯止めすら失った―――醜いケモノ。バケモノであり、ウツケモノでしかない。


だから。


「―――だからまずは後ろのお前たちだッ!」


だから神奈子はまず無痛ガンによる掃討対象を、『家族』の後方に散布している三人に絞った。
顔も知らない金髪の人間その1その2。そして同じく金髪である最後の一人は妖怪。それもこの幻想郷で数少ない顔見知りの八雲紫だ。
人間など造作もないが――と、ここまでの戦いを経て得た経験上、軽率に言えることではないが――あのスキマ妖怪はかなり厄介である。
この幻想郷に顔を出してすぐの頃――つまり神奈子の感覚では今日だが――新参者の挨拶として言葉を交わしたあの女は結界の管理者。幻想郷でも随一の力と立場を併せ持つと聞く。
諏訪子との対戦で最も邪魔を入れてくるであろう紫を、出来れば一番に排除したい。
こんなモノがどこまで通用するかは不明だが、牽制には充分だろう。

「徐倫、ありゃあ何だ?」

「馬鹿、“ガトリング”だァーーーッ!! 避けろォォーーーッ!!」

見慣れぬ現代兵器に呑気な魔理沙に対し、徐倫は刑務所での一件以来、機銃にはイイ思い出なんか無い。
たとえば花京院が咄嗟に行ったように、『糸』を繭のように身に纏えば銃弾は防げる……とも限らないのだ。
徐倫の糸はあくまで彼女の身体を糸状に放出しているだけであり、糸に損傷を受ければ本体にもダメージがいってしまう。スタンドの盾としては期待できる構造ではない。
よってこの場では全力回避しか逃れる手はないのだが、箒から叩き落されている状態では、この平地に身を隠す場所などありはしない。
無常にも神奈子の掃射は、耳を塞ぎたくなるほどの異様な轟音と共に砲口から火噴かれた。


「―――随分と簡単に引鉄を引くのね。後ろの人間二人はともかく、よりにもよってこの“私”に対して。
 そうねぇ……諏訪子、神奈子。貴方たちに足りないものは、ナメクジかしら? どっちが『蛇』かを簡単に見極める為の」


回避行動に移ろうとする徐倫の鼓膜に爛々と響くのは、ついぞ今しがた昼寝から起き上がったばかりの寝坊助女。
この空気には似合わぬ、その悠々たる作り声。八雲紫が、腹の立つほどに余裕綽々の態度で両手を扇のように広げていた。
そして、それで終わりだった。
この体を貫くはずの無数の鉄塊が、瞬きを終えた次の瞬間、全てが消え去っている。

「枕石漱流」

女は雄弁に、ただそれだけを呟き、神奈子の掃射が失敗に終えたことを徐倫はようやく悟った。
スキマ妖怪八雲紫の手に掛かれば、目の前の空間にカーテン上のスキマを開き、相手の弾幕を吸収するなど造作も無い芸当。
たとえ衰弱していようとも、大きな制限が掛けられていようとも、この程度の奇術的『変化球』は容易い。

(―――と言いたいとこだけど、これが『限界』か)

弾丸の雨の確実なる防御の為とはいえ、瞬間的に広範囲へと開いたスキマの力が及ばせた能力疲労は想像以上であった。
やろうと思えば吸収した弾丸をそのまま相手に返却するくらいは可能だったが、それは諏訪子の意を汲み取る為にも、そして自分自身の決意に反しない為にも、あえてやらない。
だから今まで、この二神の会話には口を挟まなかった。その判断が、凶と出ないことを心中で祈りつつも。

「~~~っとぉ、流石はスキマ妖怪。ただの昼行灯じゃあなかったぜ」

「……さんきゅ、紫。でも、ここは私一人で大丈夫だから」

背を向けたままで諏訪子は、後方の紫に感謝を示しながら己の決意を伝えた。
四対一という図式だが、この神奈子は数の暴力で簡単に押し潰せるほどやわではなさそうだ。
諏訪子は魔理沙たちに、暗に伝えている。
博麗霊夢たちを一刻も早く救出して欲しい”と、今度もまた自らを殿として。

「……いえ、そうはいきません」

諏訪子の意を察してなお、紫は無碍に断った。
聡明を彩った面に影が落ちる訳は、脳裏に浮かぶ無垢なる付喪神の姿。
記憶を掘り返すのも煩わしい出来事だが、霊夢たち逃走組を追う紅魔からの追跡者――紛れもなく自分もその一個だった――を阻む三人の少女。
諏訪子はこうして命を取り留めているが、他の二人……特に小傘は、悲劇的な末路を迎えたことを紫自身の目で目撃している。

また、同じ過ちを繰り返すのか。
ここに諏訪子一人残して霊夢らを救出できたとして、残った彼女が無残に殺されていたとしたら。
それは今度こそ紫への決定的なダメージになってしまう。愚かな判断ミスでまたしても、同郷の家族が死ぬのだ。

(小傘……)

内に抱える悔恨は、かつて小傘と呼ばれた『神様』と交わした……最後のお願い。
果たすも果たさぬも、まずは霊夢が生きなければ話にならない。ここで神奈子を食い止める役割は必須だが、諏訪子のサポートも考慮しなければ待つのは破滅への一方通行。

……ダメだ。やはり諏訪子一人残しては、興奮するばかりの大蛇に必ず食われる。
ならば成ろう。不本意ではあるが、大蛇の皮膚を溶かす『ナメクジ』役は、ここでは私だ。
しかしこれは三つ巴に非ず。態度の大きい蛇一匹に対し、こちらは口の大きい蛙と、自惚れの大きい蛞蝓。
神奈子とはサシで向き合いたいらしい諏訪子には悪いが、無理やりにでも彼女を支えなければ。全く手の掛かる。

「……魔理沙、と……徐倫、だったかしら? 貴方たち二人はすぐに隠れ里へ向かいなさい。お友達なのでしょう?」

神奈子の背後にひっそりと佇む廃れ里の入り口を見据え、紫は指示を促す。
『あの場所』は……自分にとっては苦い思い出の残る地。出来る事ならもう足を踏み入れたくはないという思いがあるのも事実だ。
女々しいことだった。門を潜る決意を経てここに立っている筈なのに、見たくのない光景には蓋をし、その門を他人に潜らせようとしている。

「ば、馬鹿言え! お前ら二人残して行くなんて……それにまだ体調が万全じゃないんだろ!?」

「魔理沙。……どっちにしろあの武装相手に数で有利になったりはしない。急がないと」

うだうだと足踏みする相方を急かすように、徐倫はその肩を掴んだ。
空条徐倫という女性は決断が物凄く早い人間だ。一度こうと決めたら、ひたすら愚直にその目的まで突き進む。
吹き飛ばされて泥に落ちた箒を拾い上げ軽く汚れを落とすと、魔理沙の見よう見真似でそれに跨り念じ始めた。

目的地まで、もうすぐそこだ。


「…………って、何で飛ばないのよ! 魔理沙がやってたようにあたしにも操縦させてよ!」

「ばーか普通の一般人が空飛ぶ箒を操れるわけないだろ」

「アンタは自称普通の人間じゃなかったっけ」

「普通の“一般魔法使い”だぜ。ちょっとそこどけ、私が前だ」


爪先立ちで箒に跨りながらピンと背筋を伸ばしたままという、格好のマヌケ絵面と化した徐倫を蹴りどかすように魔理沙が箒をブン奪る。
余談だがこの箒はいたって普通の竹箒であり、これを魔法の箒として扱える者は魔法使いくらいである。ちなみに徐倫はおろか、当の魔理沙さえも未だこの箒の正体に気付いていない。


「お~い。逃げるならとっとと逃げなよー。せっかくこっちが空気読んで待ってるってのにさあ」

手持ち無沙汰な銅像と化していた神奈子もいい加減痺れを切らしたように、魔理沙と徐倫の手際の悪さを眺めている。
一々待ってあげているのも神奈子なりの“遊び心”のようなものだ。撃ち込んでもどうせさっきのようにスキマ・マジックでいなされるのがオチ、というのもある。
むざむざ敵を逃がすのもリスクはあるが、そういった経験は先に出会った不良&不良相手にも同対応を行った。
思えば結局あの時は、若干の消化不良という(シャレではないが)悔いは残っている。暴れ足りない、というのが本音だ。
そんな状況で諏訪子と出会ったのだ。ここいらで有り余ったバイタリティを放出するには、最高のタイミングと最高の相手だと言わざるを得ない。
少しくらい獲物が逃げ出したところで、どうということはない。

「諏訪子! お互い難儀な幻想郷(セカイ)に迷い込んじまったね! 成るはいやなり思うは成らず……私はせめて、私自身がやるべきことを成すさ」

「本当に……難儀な殺し合い(セカイ)さ、神奈子。自分が一体全体何やってんのか、頭冷やして思い知りな……!」

「諏訪子。貴方も私も、万全の体調とはいかない。……数の利は考えない方がよろしいかと」

ここでは最も冷静に場を見極めようとする紫が、いきり立つ諏訪子の横に並ぶ。
蛙。蛇。蛞蝓。
大地がうねり、烈空が鳴る。此の身に穿つは、母なる空の繁吹き雨。
相対すべくして相対した、といえば皮肉に聞こえる。
だが諏訪子も神奈子も、それぞれの導き出した結論に向かって望むだけだ。
たとえその道を共に歩むことなくとも、交わった地点をすれ違えば、互いの心の真意に触れるチャンスは必ず来る。
後はどこまで、その心の殻を削って剥くことが出来るか。

それを暴力という名の手段で遂げる。
バトルロワイヤルの、哀しい定めでもあった。



初めに響いた音が、どの強者の繰り出すモノであったか。
神奈子の掲げる巨大な注連縄の、ふさりとした藁の一束一束が揺らいだ音か。
諏訪子の二足がバネの伸縮運動の如く縮み、蛙を思わせる跳躍を披露しようと地を蹴った音か。
紫のしなやかなる両の腕が演舞のように開かれ、無数のスキマを顕現させた音か。
それとも、魔理沙と徐倫が三人に対し何かを伝えようと、大きく叫んだ声か。

どれとも違った。
この場で最初に響いた音は。
この場で最初に動いた影は。
天から落ちる、冷たい雫のモノでもなく。
されど“それ”は、まるで神の裁きのように……やはり天から贈られた―――『災害』。


「――――――な」


驚愕の声を最初に発した者も、誰か分からない。
だがその疑問を問い詰めることに、意味など無い。
この場にいる諏訪子も、神奈子も、紫も、魔理沙も、徐倫も。
誰しもが同じように意表を突かれ、事の起こりを理解することすら叶わなかったからだ。

唯一、この災害の襲来を、僅かばかりの差異だったが、この場の誰よりも早く『理解』出来たのが……空条徐倫だった。



   パシャ  パシャ パシャパシャ



明日ハレの日、ケの昨日。
日常の光景は過去と化し、非日常はけたたましい神遊びの音と共にやってくる。

それは『雨』であった。
雨という名の、ハレ――儀礼や祭、年中行事などの非日常――が、到来した。
今まさに神々の戦いが勃発せんと、土地が隆起しかねない程のエネルギーが地面を揺らした瞬間。
無数の影がこの場の全員を襲ってきた。


「痛ッ! ――――――な、何だ? …………カエル?」


魔理沙の帽子を衝撃と共に襲った雨の正体は、天より降り注がれる『蛙』。
妙に派手で鮮やかな体色をした蛙だ。少なくとも、魔理沙の育った幻想郷にこんな種類は居なかったように思える。
だがそうでなくとも、職業上『この手の種類』には多少精通している魔理沙にはすぐに理解できた。あまりにも、見た目に怪しい類の生物だということが。
つばの広い魔女帽を被っていたのは間違いなく魔理沙の幸運である。これがもし『直接』皮膚の上に落下してきたら―――


「ヤドクガエル……!?」


次いで諏訪子が異変に気付く。彼女が蛙について博識であったおかげか、この雨の『異様さ』に背筋がゾッと凍りついた。
原因は定かではないが、突然降り出してきた異常なる雨。このヤドクガエルと呼ばれた種には、そう……


「『毒ガエル』だァァーーーーーッ!! 魔理沙、急いで網に入り込めェーーーーーッ!!!」


ザアアーーーーーーーーーー


神奈子の扱う機関銃を連想させる、激しい雨つぶてが生み出した轟音である。
静から動へ。カラフルな一陣のスコールが、この闘争の地に乱入を果たしてきた。
徐倫は糸で編み出したネットを頭上に掲げ、すぐさま直近の魔理沙を相合傘に誘い入れる。

「な、な、な、なんだなんだ!! 毒ガエルだとッ!? 何でンなもんが空から降って来るんだッ!?」

あまりにも突然すぎる災害。この事故に徐倫が迅速な対応が為せた理由は、“それ”が出来る人物に一人心当たりがあるからである。
というより、あの男しかいない。こんな馬鹿げた天災を起こせる人物は。

「ウェスだ!! 畜生あのヤロー、やっぱ追って来やがったわッ!」

「さっきの天気マンか!? でもこれカエルじゃん!」

「ンなこと知るかァァーー!! とにかく、どっかその辺にアイツが居るはずだけど……絶対にこの網の中から顔を出すんじゃないわよッ!」

糸で作った網の上に、降り注がれた大量のカエルを繋ぎ合わせて更なる網を重ね掛ける。
カエルの網で、毒ガエルの猛毒液から身を守る。かつての刑務所で瀕死の徐倫が考案した、決死の防御網であった。
少なくともこれで徐倫と魔理沙は、猛毒から身を守れるだろう。しかし残された三人は―――

「な、なにこれ……まさか、『怪雨(あやしのあめ)』……!?」

「うっほぉ~い! 随分と荒々しい通り雨ねえ。諏訪子、アンタの仕業……なワケないか」

激突寸前だった二人の神の興味は、今や目の前の旧友には無い。
諏訪子は、太古より世界の各地で起こったという落下現象の話を思い出した。この日本でもオタマジャクシなどの水棲生物が降って来たという稀な事例はある。
一方、神奈子の態度は対照的。驚愕の表情を作ってはいるものの、怖じないその態度はまさに雨の到来を静かに喜ぶカエルのようだ。

「ファフロツキーズ(原因不明物体落下現象)……まさか、竜巻!? いや、それにしたって……」

残る紫も、驚きつつも冷静に現状の理解に努める。彼女とてヤドクガエルの猛毒性はその豊満なる知識にある。
絶対に、皮膚で触れてはいけない。蛙の落下時に潰れた衝撃で体液が飛び散っているが、その対策は基本的に徐倫がやっていることと同じことをやればいい。

「諏訪子! 頭上にスキマを作るわ、すぐに入ってっ!」

「おっけ!」

大規模のサイズで傘を作るには疲労が激しい。なるべく最小限の面積で、且つこの毒雨を完全に凌げるサイズのスキマを維持しなければ。
体勢を低くしながら紫と諏訪子は、頭上に開けられた空間にスポスポとシュートされゆく蛙を見上げる。


ボトン! ボト ボトボト


先程までとは異なる落下音。
目の前に落ちてきた“それ”を見て、紫も諏訪子も頭痛に襲われるような錯覚を起こした。いや、こんなモノまで落ちてくれば実際に目眩もする。
蛙の他に、別の生物も降ってきた。
まるでモノのついでのように蛙の群に混ざり合い落ちてくるそれの外見は、傍目には細長いロープと見間違えそうである。
全長約60センチほどだろうか。その太短い胴体にビッシリ埋められた鱗と、時折、暗褐色の舌をチロチロ見せ付けては地面を蛇行する姿。
どう見てもアレであった。


「「へ、ヘビーーーーーーーー!!!」」


絶賛相合傘に閉じ篭っていた魔理沙と徐倫の乙女な絶叫が、大音量に響き合うこの雨音を一瞬だけ凌駕した。
カエルの次はヘビの雨。おあつらえ向きというか、バッチリ都合が良いというか、例によって毒ヘビである。

「ま、マムシー!? って、コッチ来るぞ徐倫! 殴れ! 蹴れ! 殺せ! オラオラだ急げ!」

「うるせえこっちは必死にネット張ってんだ!! アンタが撃ち殺せェ!!」

「もう撃ってるっつーの!! って、ギャーーーー!? カエルの液体が足にーーーーッ!!!」

「バカ騒ぐな! ネットが崩れるでしょーが! うっぷ……オェエ……キモ!」

「おい諏訪子ォーー! ヘビとカエルはお前んトコの専売特許だろ! 何とかしろよ!」

「いやあこの量はちょっと。そうだ、守矢のお守り買わない? ヘビ除けの。友達料金で安くしとくけど」

「こんな時まで商売するなーーーっ!!」

ザバザバザバザバと、まるで笑えない冗談かのような光景が広がっていた。
カエルとヘビとナメクジの衝突が始まると思ったら、何の前触れ無く、空からリアル毒ガエルと毒ヘビの大群が降ってきたというのだ。
まさか次は毒ナメクジの番じゃないだろうなと、徐倫は顔を青くして周囲を警戒していたがそこは幸い、あのヌメヌメした生物の影はない。

戦いも一時中断を余儀なくされ、各々がひたすらに傘に身を隠す中、たった一人だけ雨中にその身を晒す女、神奈子。
風雨の神でもあった彼女が天候と名の付くモノから嫌われることはない。雨だろうが雪だろうが蛙だろうが蛇だろうが、それが『気象現象』ならば神奈子の領域でもある。
雨粒は、毒ガエルは、毒ヘビは、その全ての気象という気象は、神奈子を避けるように重力から弾かれていく。
弾けて散布されたヤドクガエルの毒飛沫も、獲物を求めてうねり進むマムシも、不思議なことにまるで磁石に反発するかのように棒立ちの神奈子を避けるのだ。
挙句には、興奮した蛇たちが潰れた蛙を丸呑みし始めていた。警告を意味する体色を彩っているのにもかかわらず、意に介さないように次々と。

「何とまあオゾましい景色。蛙ってのは霊や魂の象徴ともいうけど……ここまで雁首揃えてまで私たちをあの世に導いて帰りたいのかしら?
 黄泉ガエルってわけ? ケロケロ」

「ケロッとした顔で言ってる場合じゃないでしょ。コイツァ誰かが人為的に起こした『奇跡』だよ。ちーっとも有り難味のない奇跡だけど。ケロケロ」

非常時にも呑気な紫のらしい言い様に、諏訪子も思わず気を抜かれる。
こちらも神奈子と同様、祟り神ミシャグジの司る諏訪子が纏う威光のおかげで、蛇と蛙の悪影響は殆ど受けていない。必死にあたふたしているのは、人間である魔理沙と徐倫のみである。
そんな乙女二人を華麗に無視し、諏訪子は土砂降りの只中で腕を組む神奈子を睨みつけた。こんなアクシデントの真っ最中だったが、もっぱらの敵はやはりあの女なのだ。

「ちょっと……外に出る気? どこかにこの『雨』を降らしている奴がいる筈よ。まずはそいつを叩かないと……」

「ごめん紫、そいつはあなたに任せるよ。私ならこんな蛇や蛙、億匹降ってきたって平気だからさ」

断固とした眼差しが、諏訪子の瞳を燃やしていた。
こんな雨如きでは怒れる神の天罰は止められない。とうとう諏訪子はスキマの傘から身を乗り出した。

「来るかい諏訪子。雨天決行、怒髪天結構。こんな雨ぽっち、火照った頭を冷やす冷水にもなりゃしないね」

「冷やしたいならたっぷり冷やしてやるよ、神奈子。絶対零度の氷水で、その胸の詰め物と一緒に洗いざらい憑き物落としてやる」

双神にとってこの程度の通り雨は、クールダウンにすら届かないらしい。その後ろ姿を、紫は傘の下から見送ることしか出来ずにいる
頭上のスキマごと移動させればいい話かもしれないが、スキマの操作に集中して諏訪子のフォローが疎かになれば目も当てられない。
天下の大妖怪八雲紫様が、あの神を見習って外に出たところで「マムシに噛まれて死亡!」など、霊夢や魔理沙辺りが聞いたら三日三晩は爆笑され続けるかもしれない。笑い話もいいとこである。
愛用の傘もここには無い。こんな時、あの唐傘妖怪が傍に居てくれたら……と、あらぬ思いまで浮き出てくる始末。

(しかたない……まずはこの雨を降らせている犯人を突き止めて…………)

めくるめく速度で過ぎ去る怒涛の展開に、足を止めたら待つのは死。
大妖たる強者。彼女にとって死とは、深淵の底に消沈する寿命の切れたランプのように儚く実感の無い概念。
それこそ永劫の果てに迎える寿命くらいでしか知ることの出来ない終末だと思っていた。
それも昨日までの話。ケの昨日は、日常である昨日は終わってしまったのだ。
ここではどんな大妖怪も神様も、引き金を引くだけで簡単に終末を迎えてしまう。
何よりそれを理解できない紫ではない。彼女は既に、家族に対して『二度』も引き金を引いてしまったのだから。

虚空を仰げば、黒雨。
蛇と蛙に彩られた、空を暗く覆わんとする大雨。
神々の対峙に茶々を入れる不届きが、必ず近くに潜んでいる筈なのだ。

「…………ん?」

紫にしてみればこの異常気象に苛立ち、思わず睨み付けてやった程度の行動。
その気まぐれが、何の幸いか空に映る『ある一点』を捉えることが出来た。


「あそこの空を飛んでいる奴……男の方は知らないけど、そいつを掴んでいる輩……鴉天狗の『姫海棠はたて』か」


上空を覆う雨という雨のスキマを縫った向こう側……『犯人』はそこに浮かんでいた。
こちらを監視するように一定の距離を空ける卑怯者の二人組。内一名は、紫の見知った妖怪であった。
頭を抱えたくもなる。愛する幻想郷の家族が、またしてもこんな腐れた余興に手を出していたのだから。
八坂神奈子のようにどこかワケありふうならばまだ理解も出来るが、鴉天狗連中の考えそうなことは残念ながら凡そ見当が付く。
自分本位な目的での、この上ない下種な理由だろう。霍青娥と大差ないレベルだ。

さて、敵の居場所が判明した所で参った。あの距離は弾幕が届かない。
通常のように空でも飛べれば迷う必要もないが、魔理沙の箒を借りようにもこの毒雨の中を突っ切るのはかなりのギャンブルとなる。


―――ほんの一瞬。紫がほんの一瞬だけ、思案の為に目を伏せたその一瞬。


めくるめく速度で到来しては過ぎ去る展開が、新しい登場人物を戦場に運んできた。


「トリッシュ、ハンドルを右に切ってください! その道はカエルたちが多すぎる! トラックが横転するぞッ!」

「フロントガラスがカエルやヘビ共で埋まって前が見えないのよッ! それに横っ風が……つ、強すぎるッ!」


突然のエンジン音と共に、滑るように爆走してきたのは外界でいう軽トラックという種の乗り物だ。
まさにあれこそ、紫が恐竜化されていた時に追い回していた、霊夢らが乗る逃走車だった。
運転手を担う赤髪の女性と、幌もボロボロに破れて中の空間が丸見えとなった荷台に座る黄金の髪の少年。あのDIO相手に堂々と啖呵を切っていた黒髪の女性も隣に健在だ。

そして―――

「父さんッ!!」

「霊夢ッ!!」

カエルの網に潜り込んだままの姿勢で、組み伏せていた徐倫と魔理沙が同時に叫んだ。
当然だ。二人にとって追うべき“背中”であった人物の、物も言わぬ躯体を目に入れてしまったのだから。
あんな新聞などより遥かに、ひしひしと伝わってくる。
我が父が、我が友が、『死に掛けている』。否応に湧き上がる、その絶望が。

「ジョルノ! トラックが倒れる! その子を掴んで!」

リサリサさんは彼をお願いします!」

隠れ里から飛び出してきた、トラックというよりかは最早ひしめく生物に包まれたオブジェとも言うべき車が、その勢いを殺せぬままに徐倫たちの方角へ爆走してくる。
そして今まさに、トラックは余りある物量の残骸と化したヘビやカエル共の山にタイヤを取られ、横転を開始し始めていた瞬間であった。
不自然に横面から猛烈な速度で飛び込んでくる突風が、車の転倒にも一役買っている。
この些末を見て徐倫は納得がいった。この暴れ気象を生み出しているウェスは、自分達五人ではなく負傷者を乗せた彼らトラック組を攻撃していたのだ。
物のついでのように攻撃を受けていたことが発覚した徐倫は、更なる憤怒をかつての仲間に向ける。

そんな慌しい自分達の存在に気付いていないかのように、トラックに乗った人間達は車の横転に備えてしがみ付く。
だが承太郎も霊夢も、沈んだ意識のまま。その上に瀕死という身体で荷台から放り出されれば、彼らの生命に止めを刺されかねない。

「トリィーーッシュ!!」

「わかってるわよッ!! スパイス・ガール!」

ジョルノの意図を阿吽で察するまでもなく、トリッシュは既に自らのスタンドを発現させていた。
ひしめく生物達と突風とに押し出され、派手な音を立てながらとうとう横転したトラックの衝撃は甚大だ。中の住人たちも地面に向かって弾き飛ばされていく。
瀕死者にとって致命的な衝撃になりかねない大地との激突を、物体を柔らかくするスパイス・ガールが寸でのところで防いだ。
どんなに有り得ない硬度を纏った物体だろうが、トリッシュがひとたび拳を振るえば、それは決して割れない豆腐の如き柔軟性へと変貌する。

「へえ……口先だけ粋がった、ただの小娘ではなさそうね」

「見栄ばっか気にしてはすぐ男に頼るような、その辺の小便臭いオンナ共とは一味違うってことよ」

リサリサは仮面でも被ったような冷たい表情を僅かに微笑みへと変えることで、トリッシュへの尊重とした。
かくして「ボヨヨン」という気の抜ける擬音と共に、トラック内の五人が五人とも無事に着地を為せた所で……この悪夢は終わったりしない。
依然、霊夢も承太郎も瀕死の状態が続く。トラックが走行不可となった今、彼らという重りが、ジョルノらのフットワークを余計に削ぐ。

「でも……チクショウ! 何なのよこのカエルやヘビは!? あの天候男……天気を操るスタンドじゃなかったの!?」

「本で見たことがある……! 突然、空から蛙、蛇、魚や羊の群れなどが降ってくるという異変の話を。
 原因は竜巻だという説もありますが、結局真相は未だ謎のまま……どちらにせよ『コレ』の原因はあの男で間違いないでしょうが」

運転席に篭城するトリッシュと、植物の草葉を作ってカエルたちの雨から身を守るジョルノたち。
猫の隠れ里内にて突然この奇襲を受けた彼らは、異変の源がポンペイ遺跡で小傘を襲った天候男の仕業によるものだと気付いた。
気付きながらも、あんな空高くから空爆を受けたのではとても反撃できない。結局は今までのようにトラックでの逃走を図ったところで、成す術なく引き摺り出されてしまった。

「リサリサ! 霊夢たちは無事なのかい!?」

「諏訪子……! …………とりあえず危ないところは乗り切ったわ。今のこの現状を『無事』だとは、とても言えないけど」

この雨のド真ん中に立つ二人の女性、その片方の存在に気付いた時、リサリサは小さな安堵の息を吐かずにはいられなかった。
とはいえ、それに気付けた者は居ないし、この驚天動地のような景色の中にそんな余裕を持つ者も居やしない。
敢えて言うなら、この場で最も平常心を保てている者が―――其処の注目を残らず掻き集めるかのように、吼えた。

「おいアンタたち!! 神様同士の決闘に次から次へと水を差すんじゃないよ!」

ここで初めてジョルノらが、今この状況がいかに切迫した修羅場であるかを悟った。
追撃の手を止める為に自ら降りていった殿組三人の内、諏訪子だけが五体満足でいる。
そして更に見知らぬ女性四人――八雲紫・八坂神奈子・霧雨魔理沙・空条徐倫――が、新たな登場人物として加えられた。
紫の衣装を纏った金髪の女性は立ち位置からして諏訪子らの味方のようだが……厄介そうなのは巨大な注連縄を背負った女性。
今、偉そうに大きな声を上げた女は、いかにもこれから一戦暴れようといった気概を抑えきれずにジョルノたちを睨みつけている。

「とりあえず諏訪子さんが無事で安心しましたが……今、どういう状況ですか?」

ジョルノが努めて冷静に、無事な姿を見せる仲間に状況を問い質す。

「あーうー……それはこっちが知りたいんだけどなあ」

諏訪子が困った顔で、周りを見渡しながら口を閉ざす。

「諏訪子。あの追手たちはどうなった?」

リサリサが凛とした様子で、後方を追撃していた二人組の末を訊く。

「おい霊夢! お前、なに勝手に負けてんだよ霊夢ったら!」

魔理沙が必死な声で、友達に叫び続けている。

「父さんッ! そのケガ……一体、誰にやられたんだ!?」

徐倫が信じられないといった表情で、父親の心配をする。

「ジョルノ!! どうすんのよこの状況! どうやって空にいるアイツを叩くの!?」

トリッシュが運転席に閉じ込められたまま、頼れる頭脳に状況の打開策を問う。

「おーい! 神サマを無視するんじゃなーい!!」

神奈子がカエルとヘビの雨の中、苛立たしげに声を張り上げる。

「あらあらあらあら。……ちょっと人が多すぎませんこと?」

紫が極めてマイペースに、ここに居る人数を数えている。

十人。意識のない霊夢と承太郎を除いても、八人の人・妖・神がそれぞれ一堂に会しているのだ。ここに外側から雨あられを降らし続ける空の襲撃者まで居るのだからタチが悪い。
ややこしい状況を輪に掛けてややこしくしているのが、空の厄介な二人組だろう。
一寸途切れることなく降り続けるヘビとカエル。これをどうにかしなければ、神様を除いたこの場の全員が全員、ロクに動けないのだ。
ただでさえ一触即発の諏訪子と神奈子が、危険度Sを振り切る毒雨の中、お構いナシにぶつかり合う寸前。もはや収拾が付かない。




まるで死の憑く雨が如く、篠突く雨の中。
ふしぎに澄んだ、笛のように綺麗な声が。
戦場に降り立った女神を思わせる―――八雲紫の声が、雨粒と雨粒の間を反射させるかのように、ひっそりと響いた。


「……貴方は、」


懸命に霊夢を毒ガエルの魔の手から守るジョルノだけが、その声に気付いた。
自分と同じに黄金の髪を持つ、妖艶な女性。
初めて顔を合わせた筈にもかかわらず、どこかで見た気がするというおかしな意識が頭に残る。
すぐに答えは出た。あの紅魔館のエントランスホール、ディエゴの隣で従事するように仕えていた恐竜……その人なのだと。

奇妙な示し合わせだ。恐竜だった頃とは似ても似つかぬ容貌であるのに、不思議なことにジョルノには、どうしてかあの恐竜が彼女だと一目で理解できた。

「私の代わりにその子を……霊夢を救ってくれたのですね。心より、感謝します……ありがとう」

スッと頭を下げるその礼は、清く静かなる一動作でしかなかったが、これだけで彼女がこの博麗霊夢を真に大切に想っていることが分かった。
依然、霊夢の命を救えたとはまだまだ言えないラインであったが、この時ばかりはジョルノの心にも爽やかな風が吹いた。

人に感謝される。ギャングではあるが……いや、むしろギャングであるからこそ、他人との『信頼』を大切にしていくことが重要だとジョルノは考えている。

「いえ……とある人物との約束ですので。それに彼女はまだ重傷人です」

「ええ。もう少し落ち着ける場所に移動したいのだけど……あの空の奴らが邪魔ね」

「生憎、僕は霊夢さんから離れられません。奴らを撃ち落とす方法……何か名案でもありますか?」

「こっちも空を飛ぶ手段は無くはない。貴方は引き続き、治療を優先してください。……こちらのことは、こちらで」

「お任せします。……お名前を訊いても?」

「八雲。八雲紫と言います」

忙しない雨と、けたたましい轟音の中である筈だったが。
どうしてか、離れた距離からでも二人の会話は綺麗に通じ合った。
秘めた意志を燃ゆらせていることを、互いの瞳を通して感じ合えるほどに、静かだった。


「ジョルノ、トリッシュ! 上から来るわッ!」


リサリサが声高に叫んだ。

この戦場に災厄の雨を降らせる張本人……その男が自ら雫の一部となって、



     ボ フ ン ッ !



隕石のように落下してきた。



「…………っ!? なんだなんだ今度は何が降って来たんだ!?」

「……魔理沙、―――『奴』よ……!」

突如として舞い降りた仇敵の姿に、魔理沙と徐倫は改めて身を引き締め、

「おやおや。まさか自分から降りて来てくれるなんてね」

「増えたねえ。コイツで何人目? 今何人ここに居る?」

ニヤニヤと笑う神奈子をよそに、諏訪子はグルリと周囲を見渡しながら、

「人間の方だけか。私としましてはあの鴉の方にも用があったのですけど……コイツをとっちめて叩き落してもらうしかなさそうね」

捉えどころのない、不気味で不吉な金色の瞳を、紫は男に向けて凝視し、

「厄介な相手です……! 怪我人がいる以上、僕とリサリサさんは応戦できそうにない」

「不思議な着地をするのね、あの男。アレも『スタンド使い』という奴かしら?」

「夜に会ったわね。アイツには、ちょっと恨みもあるのよね」

ジョルノもリサリサも、意識の無い二人を庇うように盾となり。
トリッシュは、一度戦ったその相手を鋭く睨む。



「……痛ー……ッ! あの、小娘……次会ったら殺してやる……ッ!」



男―――ウェス・ブルーマリンを名乗るスタンド使いが、戦場の真ん中でゆらりと立ち上がった。



「―――さて。見知った顔も何人か居るが…………数が多いな。面倒だ、死にたい奴から名乗り上げてくれ」



▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『ウェス・ブルーマリン』
【数分前:昼】D-2 猫の隠れ里 上空


1922年9月5日。フランスのシャロン=シュル=マルヌで、二日間にわたりヒキガエルが降り続けたという報告がある。

1954年6月12日。イギリスのバーミンガム市サトン・パークで、シルヴィア・マウディ夫人が小さな息子と娘を連れて雨宿りをしていると、何百匹ものカエルが空から降ってきた。
カエルは往来の人々の傘に当たって跳ね返り、地面に落ちるとピョンピョンと跳び回ったので気味悪がられた。

1969年。イギリスの著名な新聞コラムニストであるヴェロニカ・パプワースによれば、彼女が住んでいたイギリス・バッキンガムシャー州のペンという町で、数千匹ものカエルの雨に見舞われたという。


「―――それって、いわゆる『怪雨』?」

「竜巻やら鳥が落としたやらって説はあるが、原因は結局不明のままだがな。カエルやヘビが恵みの雨のようにドサドサ降ってきたって話だ」


隠れ里上空。どこからともなくカエルとヘビが降り頻る、嘘のような光景の中だった。
はたてがその細い両腕でウェスの腰を抱えながら、バタバタと慌しく翼を動かしている。
傍から見れば随分と可愛げのある画だが、当のウェス本人はふてぶてしい面構えに加え両腕まで組んでいる為、どこか格好が付いている。

「へえー面白いわね。でもこのカエルたちが仮に竜巻でピョ~ンって吹き飛んできてるってのなら、ちょっとおかしいわよね。
 だってこの会場、参加者以外には基本的に生物居ないっぽいし」

ウェザー・リポートは天候を操る能力……というより『気象現象』だな、これはもう。
 過去にそういった気象が確認されている以上、カエルもヘビも『天候』なんだよ。俺のはオマケとして『毒』が引っ付いてきてるがな」

「なんか……なんでもアリね、スタンドって。私たちは大丈夫なんでしょうね」

天候を操るにあたり、ある程度の融通は利いてしまうというのがスタンド能力の出鱈目な部分であろうか。
『カエルやヘビが雨のように降ってきた前例があるから、これは気象の一つである』
やや強引すぎないか、という一般的な理解としては当たり前の感想がはたての脳内を巡るが、事実、目の前の光景はそれを物語っている。
自分自身までこの天候に巻き込まれては元も子もない程の広範囲攻撃だが、これもかなり細かい範囲で操れるらしい。自分達の周囲だけはこの怪雨も綺麗に避けて降って来ている。

「……見ろ、トラックが横転した。これで奴らは行動が制限されたってわけだ。
 どうやら他にもウロチョロしてるのが何人か巻き込まれてるようだが……丁度良いな。このまま全員、雨の藻屑にしてやる」

「…………」

眼下で起きる常識離れした状況。紛れもなく、このウェスと―――そして自分が起こしている、乱痴気騒ぎであった。
はたては苦虫を噛み潰したような表情を作り、口をつぐんだ。黙りたくもなる事態である。

別にこれはやりすぎだとか、卑怯だとか、そういう場違いな道徳を持ち出したいわけではない。
むしろメチャクチャ面白い。こういった、新聞の格好の画になる光景こそはたての求めるネタには間違いないし、その結果で誰かが死ぬのは……それは気の毒とは思うが、仕方ないことだ。
どっちにしろこの世界ではどう足掻こうが、結局誰かが死んでいくのだ。撃たれて死ぬか、毒で死ぬか。そういった些細な違いでしかない。

だが……そういった事件に自分が直接関わってしまうのは、はたてとしては不本意。
要は嫌なのだ、自ら手を汚す行為が。
記事を使って他人を煽って……それで更なるネタを発生させて、また記事を作って……
そういう、間接的に殺し合いを加速させる行為ならばまだ自分を納得させられる。

(だって、私が殺すわけじゃない。―――悪いのは、責任があるのは、私じゃなくって殺した本人)

文も言っていた。写真に自分のショットを入れてしまうのは三流記者のやることだと。
記者として、あくまで自分は第三者の立場で記事を作らなければならない。ねつ造も工作も仕込むことはあるかもしれないが、そこに自らを匂わす影を直接入れてしまうようでは、記者失格なのだ。

―――というのが、はたての表面上で考える建前であり。

本当の所は、そうではない。
単純な話、はたてには他者の命を直接的に奪う度胸が備わっていないだけ。
もっともらしい倫理性を盾にしただけの、ずる賢い臆病者。
それが『姫海棠はたて』という鴉天狗の、何ということのない不修多羅なる正体であった。

仮にはたてから『新聞記者』という職業を取り上げたら、記者ですらなくなった彼女は……あっという間に殺されるに違いない。
敵意を向けることにも、向けられることにも、等しく弱いのだ、はたては。
唯一、『新聞記者』という、大きな心の柱を芯にしていられるからこそ、はたては折れずにいられる。


『新聞記者』から『殺人者』へと成り代わってしまった時……そのときこそが、彼女の折れる時である。


「……ねえ、私言ったよね? 運ぶだけだって。これじゃ私がアンタと協力してアイツらを攻めてるみたいじゃない」

「……『みたい』? そいつはギャグのつもりか? 実際にその通りだろう、誰がどう見たって」


その通りであった。
だからはたては協力者であるウェスに一言、そう物申した。
たまらなく気分が悪い。こうして実際に、己の手で誰かを苦しめている現実を直視するのは、心の中がざわつく気分だ。
第一……

「っていうか! この格好だと写真撮れないじゃないの! カメラが構えられない!」

「知るか」

一蹴された。
はたてにとってはこっちの方が現実的な死活問題である。目の前に美味しいネタが広がっていて、両手が塞がっているというマヌケな理由でカメラに収められないのだから。

さて、それではどうするか。
カメラが構えられないのは、図体&態度のデカイ男が腕の中でどーこーうるさくしているからだ。
目下の所は、この困った状況をスッキリと整理させたい。


答えを導き出して実行するのに、はたての思考は1秒も掛からなかった。



「――――――ごめんねっ」



ぱっ



「――――――は?    て め…………ッ」



そして男の体は見る見るうちに豆粒のように小さくなり、こうしてはたては自由を得た。
あの男は天候を操れる。この程度の高所から突き放されたところで、勝手に何とかしてくれるだろう多分。
はたては小さく舌を出しながら挨拶ばかりの謝辞を述べると、毒ガエルの雨に巻き込まれないよう、近隣の木の下まで飛び込んだ。
これでようやく記者としての本領発揮。先までの葛藤など何処へやら、はたては胸踊る気持ちでカメラを構えるのだった。

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽


「ウェスゥゥウウーーーーーーーーーーーーッ!!!」


徐倫が叫ぶのも無理はない。ついぞ数十分前の出来事を心の棚に仕舞っておくのは、あまりに早すぎる記憶だ。
仲間と殺し合いを行い、捨て身の攻撃で敗北し、逃走してきたばかり。そこから猶予など挟まず、男は追ってきた。
かつてウェザーだったこの男は、本気の本気で、皆殺しを達成するつもりなのだ。

「さっきぶりだな徐倫。それと……こりゃ驚いたな。お前は確かに燃やした筈だと思ったが」

「お前の目ン玉が節穴で助かったぜ。蜃気楼でも見てたんじゃないのか?」

ヤドクガエルの体液から身を守る為とはいえ、徐倫と雁字搦めとなったままの姿勢で魔理沙はふんぞり返ってみせた。
その様は傍から見れば滑稽、みすぼらしい強がりとも言える。が、何故か魔理沙がやればどことなく頼りに感じる。

「それに……お前たちの方は夜中に会ったな。だが……気のせいか数が減ってやしないか? あの中華風の女と、臆病なガキはどうした?」

「黙れってのよ! アンタが殺したクセに……白々しいこと言ってんじゃねーわよッ!」

運転席に篭城したままでトリッシュは、沸き上がるように吼えたくなる気持ちを抑えられない。
紅美鈴を殺害したのは、イタチの最後っ屁とも言えるウェスの手榴弾による爆殺だった。あろうことかこの男は、それに気付いてすらいない様子で、彼女の死を侮辱した。
小傘の死もだ。二人の立派だった生き様を何も知らないクセに、その尊厳を冒涜した。
それが、トリッシュには絶対に我慢ならなかった。

「―――そして、お前か。意外だな、あの『三人』の中じゃあ一番最初に死にそうなツラしてたってのになあ」

「……成る程。あの『氷霧』は貴方の仕業だったってわけね。
 この度は、お初にお目にかかります。死にそうなツラで生還した、八雲紫という名の大妖怪ですわ」


見ている側の神経に障りかねないほどに、温和丁寧な所作で軽くお辞儀をこなす紫。
奇しくも先刻、同じ猫の隠れ里で襲撃を仕掛けてきた男が、今また自分に牙を剥いている。
あの時は顔も目撃できていなかったが、男の口ぶりとこの現象を照らし合わせた結果、あの超低温の氷霧で襲撃してきた男が目の前のコイツだということは容易に察せる。

「どいつもこいつもが、少なからず俺に因縁アリってわけだ。断ち切っとくには丁度イイな。
 因縁ってのは、まるで『引力』のように人と人とを吸い付けようとしてくる。……ウザってえ」

仲間から突き落とされた拍子で逆に頭が冴えきったのか。ウェスは市場の魚でも品定めするかのようにゆったりと、喰うべき獲物たちをグルリと見渡した。
その全員が怨敵を射殺すような視線でウェスを睨んでいた。数にして、八人。ひとりで全員相手にするには、相当骨が折れる数だ。
こうなることを恐れて空爆作戦を遂行したのだが、身勝手な阿呆天狗に台無しにされてしまった。
だったら臨機応変に対応を変えなくてはならない。わざわざ全員抹殺する必要は、今の所はないのだ。

(まずは徐倫の父……空条承太郎、と、ついでに隣の博麗霊夢とかいう女も始末するか)

当初の第一目標は彼らであった。後々の最大の厄介な相手にもなり得る承太郎。ここで彼を殺害しておくとおかないとでは、終盤への優位もケタ違いになるだろう。
周囲の邪魔が懸念になるが、この毒ガエルと毒ヘビの雨がそう簡単に横槍を入れさせない。
実際、徐倫も魔理沙も口ぶりではイキがってばかりだが、見ての通りマトモに立つことすら困難な姿勢のままだ。

独りで戦う必要のあるウェスの起こした怪雨異変。この策が、かなり有効に作用している。
後先考えずノープランでこんな戦場に突っ込んでいれば、さっさと袋叩きに遭うのがオチだったろう。


「―――とでも、思ってたんじゃないのかい? アンタ……藪をつつきすぎて大蛇を出しちまったねえ」


ズイと、一際目立った衣装を施した女が、毒雨の中を物ともせずにウェスの前へ一歩踊り出た。
奇妙な光景である。ウェスは天候を操り、雨の被害に巻き込まれないよう自分の周囲にのみ平常気候を纏っていた。
ところがこの女はどうだ。さっきから全くカエルに降れられても触れられてもいない。地を這うマムシも、地震の前兆に大群で逃げ出すネズミの如く、彼女を恐れるように一斉に避けている。

(何だ、この女……。まさか、俺と同じ能力……?)

内心、動揺を隠せないウェスの危惧は概ね当たりである。
八坂神奈子。かつては、だてに風雨の神を名乗ってはいない。この程度の児戯で、本物の神々を慄かせたりは出来ない。

「まあ、ちょっとは驚いたけどさ。でも天候操作は守矢の特権なんだ。ただの人間がおいそれと奇跡なんか起こしちゃあ、こちとら商売上がったりよ」

この程度の異変など、出先で夕立に降られたように些細なもの。神奈子のしたり顔は、ウェス相手にそれを如実に悟らせた。


(―――なーんて言っても……こりゃちょっと本気で驚いたわね。『天候操作』という一点だけなら、コイツ……私たちより『上』か?)


鼻で笑う神奈子の表情の下は、若干の焦りが浮き出てくる。
何しろ相手は見たところ神でもなく、早苗のような現人神でもなく、ちょっと目つきが悪いぐらいの至って普通の人間だ。
そんな一人の人間が、いとも簡単に気象を自由自在と呼べるまでの操作を行っている。

信じられないが、これはハッキリ言って神奈子以上だ。
神奈子とて天候を操る程度は可能だ。……が、例えば雷を特定箇所にピンポイントで落とす事など不可能だし、ましてやカエルを降らせるなど考えに及んだことすらない。
あくまで気象を起こす程度のもの。精々が自分に雷が落ちないよう操作出来るくらいで、嵐は呼べても細かい気流の操作は難しい。

気に入らない。
神奈子の、というより神としてのプライドが、たかが人間なんぞに神を凌駕する能力を操れることが、気に入らない。
自身の領域に土足で侵入してきたこの人間が、物凄く気に入らない。


「ちょいちょい。アンタ、ジョルノの話に出てきた天候人間だね? 遥々、天狗タクシーでお越し頂いて悪いんだけど……
 神のケンカに割って入っておきながら、まさか『まずは怪我人からやっつけよう』……って作戦かい?
 ―――神様、舐めんな」


ウェスと霊夢らの間に立つように、諏訪子が言葉を挟んできた。その背後には紫がいつでも援護できるよう、応戦態勢に入っている。
諏訪子と神奈子とウェス。真上から覗けばこの三人でちょうど正三角形を形作るように、三つ巴となって形成された布陣だ。

その間合いを見てウェスは察する。神奈子と呼ばれたこの女、おそらく殺し合いに乗っている。
彼女が今まさにこの集団を襲撃してやろうと飛び出た刹那、ウェスとジョルノたちの攻防が入り込んでしまった……といった所か。
少しややこしい場面に遭遇したらしい。だが同時に好都合でもある。
1対8だと思っていた図式だったが、真実は1対1対7らしい。
向こうで治療中のジョルノとリサリサを実質木偶人形に数えると、1対1対5だ。充分勝ちの見込める数字であった。

「神サマ、か。随分チビッこい神も居たもんだが……お前はカエルの神か何かか?
 幻想郷だか何だか知らねーが、『井の中の蛙大海を知らず』って諺もある。小っせえ井戸の中で、お前は豪雨に溺れて死ぬんだ」

「面白い人間だね。でも残念、私は外界から越してきた神さ。
 『意のままの蛙大侮を知り尽くす』……程々に軽んじて相手してやるよ。じゃないと人間はすぐに死んじゃうからねえ」

ケラケラとせせら笑う諏訪子の態度に、外見相応の無邪気さは感じられない。
こんなガキが神などとは全く冗談甚だしいとウェスは吐いて捨てたかったが、肌に突き刺さる両者からの殺気は果たして本物だ。

藪をつついて大蛇。神奈子の言ったことはあながちその通りかもしれない。
本物の大海を知らない自惚れた蛙なのは、果たして諏訪子か……それとも。

飢えた蛇と蛙に喰われるのは、人間である自分なのか。
こんな場所に突っ込んだのが、そもそもの過ちなのか。


「ヘビを降らせるから……何? 悪いが、ここで言う人喰いヘビは―――私だ」
八坂神奈子が、身の毛もよだつ瞳を彩り、構えた。


「毒ガエルの一兆一京降らせたところで、従える神はお前じゃない―――私だ」
洩矢諏訪子が、背筋の凍る殺意を漲らせ、構えた。


「――――――足りねえな」
ウェス・ブルーマリンが、一口に言って、構えた。


「三つ巴には、ヘビとカエルだけじゃあ足りねえ。流石にナメクジを降らすことは出来ねえが……」
ウェス・ブルーマリンが、己の精神像を隣に立たせた。


「カタツムリで良けりゃあ、プレゼントしてやるぜ。……お前らがカタツムリみてえに、地面をグズグズ這うんだ
 もっとも、俺一人でヘビもカエルもカタツムリも生み出せる。さて、この三つ巴で一番上等なのは誰だ?」


ウェザー・リポートの、封じられた禁断の能力―――『ヘビー・ウェザー(悪魔の虹)』
虹に触れた者全てをカタツムリへと変え、じっくりと終末に追い込んでゆく、まさに悪魔の能力。
この殺し合いでは彼にとって不運なことに、制限という枷によって再び封じられていた。
そんなことはウェスからすれば些事だ。カタツムリのように土を噛ませ、地面を這わせるには『暴力』一つあれば充分事足りる。

「一つ、訊きたいんだが…………『神サマ』ってのァ、ただ人を愛してしまっただけの純粋な少女ですら……天罰を下すのか?」

「……あ?」

「いや………………彼女に、ペルラに起こった悲劇は、誰が悪かったとか、誰の罪だとか…………そういうんじゃあない」

ただ、数秒。
その一瞬ともいえる、ごく短い時間。
ウェスの瞳は、殺人鬼のそれでなく……“かつて”の、人間の色を取り戻していたように―――徐倫にだけは、そう見えた。


「ただ俺は――――――『神』が嫌いだ。それだけを……言いたくてなッ!」


ほんの僅かな間だけであった。
男は一人の人間から、元の殺人鬼―――悪魔が宿すドス黒い色彩の瞳へと、戻った。
全く同時に駆け出す。殺す対象は……喰う対象は、カエルからだ。
諏訪子に向かって、スタンドの拳を突き出す。傍にもう一人、自称大妖怪の金髪女が睨んでいるが、お構いナシだ。

土台、この場で皆殺しなんて到底無理。結局は当初の予定通り、まずは承太郎を始末する。
そこからはヒット・アンド・アウェイ。他の獲物を殺せる機を見つけては叩き、適当なタイミングで身を隠す。
無茶するべき場面では無茶をし、無茶するべきでない場面では身体を休ませる。長い戦いを基本一人で生き抜くためには、この方法が最も効率が良い。

「―――紫! 援護、お願い!」

「必要とあらば」

「おっと私に背中向けるなんてね! あと諏訪子、巻き添え食らっても言い訳しないでよ!」

迫ってくる悪魔に、諏訪子も紫も弾幕展開の準備を始める。
あわよくば全員一度に仕留めようと、神奈子はウェスの背中と諏訪子らを攻撃範囲に入れてスペルカードの詠唱を始める。
ここに来て未だ何も出来ない魔理沙と徐倫。せめてこの毒ガエル共の雨さえ無力化できれば……と、唇を噛む。

益々激しくなる、雪崩のような雨。
もはや隣に居る者の声さえ、叫ばなければ聞こえないほどの轟音。


その轟音の中に、トリッシュの声が混ざっていた事に気付けなかったのは……あるいはジョルノ最大の失態かもしれなかった。






――――――籠の外で悪魔が、常闇に咲く虹のように…………薄気味悪く嘲笑った。

















   「―――『キング・クリムゾン』―――」

















―――――――――。





「…………………………っ!?」


時間にしてそれは幾許か。
ここに立つ全ての人妖神へ、たとえ平等に『時』という名の物差しを分け与えたとしても。
今、この『時』に関して言えば……それは無用の長物に過ぎないのだ。

『体感時間』―――肺から凍えるような冷気を吐き出しながら、翔け抜けたウェスの体感時間に異常が起こった。
これが異常でなければ何だ。立ち塞がる諏訪子と紫を蹴散らす勢いで走り始めたウェスが、


まばたきをただ一度だけ行い、再び目を見開いた時には―――諏訪子らの傍を通り抜け、ジョルノとリサリサの目の前にまで到達していたなど。


「……………………ッ!?」


数拍遅れ、諏訪子も紫も事の異様さに衝撃が走った。
目の前から差し迫ってきていたウェスが、まばたきをした次の瞬間には同じく、背中側に突き抜けていたなんて。
神奈子も、一瞬で遠のいた目標物の瞬間移動が如き奇術に、その手を止めてしまった。
皆が皆、普段とは明らかに異なる体感時間を一瞬にして体験した。
まるでこれは―――

(時間を止め―――!?)

誰よりも早く、大妖怪八雲紫が真実に到達しかけ…………だがそれは誤った真実だということに、すぐに気付いた。
あのメイド長のように、あのDIOのように、ただ『時』を止めたのでは説明できない感覚だ。

誰もが同じ『体感時間』という物差しを配られ、同じ体験を過ごした。

ただ一人……この場に居る誰でもない男。その者が所持できる『絶対時間』という帝王だけの物差しが、



―――全ての地を這う獣たち。彼らの時間を絶対的にブチ抜いた。



「…………こ、この『現象』は、まさか……ッ!」


戦場を一歩、蚊帳の外から刮目していたジョルノだからこそ、理解できる事実がある。
苦難の道を歩み終え、眠れる奴隷を解き放てた彼だからこそ、理解できる現象がある。


「今……『時間』が飛んだぞッ! まさか『奴』が近くに…………トリッシュ! 周囲を警戒してくださいトリッ――――――」


幾多もの驟雨に蝕まれた死骸の上を、太陽のように眩しい夢を信じるジョルノの瞳が映した。
少年の瞳が、見る見るうちに濁る。運転席にて毒の雨から身を守っていた少女の姿が、そこに無く。

蛙と蛇の死骸の上。
土に寝かせられた死骸は、墓標だ。
墓標の上に、求めていた赤毛の少女の姿が転がっていた。

その腹に、拳大の風穴を空けられて。
降り積もる蛙と蛇と、水色の雨粒に交ざりながら真っ赤な血が滴っていた。


「――――――馬鹿、な」


震える声と呼べるものを吐き出せたのは、ここではジョルノ一人。
それ以外の全ての者達が、事態の理解に及ばず、愚かにも動きを止めて言葉を失っていた。

絶句。
静寂。
ザアザアと絶え間なく憎悪の雨が落ち続けているというのに、全員の鼓膜にはそのノイズすら聴こえることなく、ただ絶句しながら見ていた。

承太郎を仕留める格好の好機である筈のウェスも。
その殺人鬼を再起不能へと成せる諏訪子も、紫も。
一網打尽に掃討する手段を持ち得ていた神奈子も。
毒雨から逸する策を練っていた徐倫も、魔理沙も。
任せられた責を果たすべく場に留まるリサリサも。

ジョルノ以外の、全ての『時間』が止まっていた。




「トリッシューーーーーーーーーーーーッッ!!!!」




木霊と共に、再び時は流動を開始する。
この上ない悲劇を突きつけられたトリッシュへ、すぐさま治療しようと雨の中構わずジョルノが飛び駆けた。
霊夢の身体は今尚完治してなどいないが、ある程度の余裕は生まれてきた。今は、救える仲間の命を優先するべき場面だ。

「ジョルノ。……急いで彼女を」

ジョルノの咄嗟の行動と連動するように、リサリサが前へ出る。
強敵ウェス・ブルーマリンの眼前へと。

「……何が何やらわからんが、俺が手を下すまでもなく勝手に死体が増えたらしいな。お前もそこの赤毛の仲間入りしたいのか?」

トリッシュ治療のジョルノを守るべく、今度はリサリサが盾となる。
空降る毒ガエルの雨は脅威に他ならないが、リサリサの体表面を滑る不思議な閃光が、毒生物たちの突撃を軽く弾き飛ばしている。
極上の波紋戦士リサリサに、毒など問題にならない。より問題なのは、この男の操るスタンドの方だ。

「トリッシュ……!? どうしたのさジョルノ! 何が起こっているんだっ!?」

流石の諏訪子も通常の落ち着きを忘れ、慌てふためる。
敵は神奈子とウェスの二人ではなかったのか。その他にも、どこかに新たな敵が潜んでいるということなのか。
異常だ。異常だからこそ、この場の全員が迂闊な行動を控えざるを得なかった。

そしてここに来て、物語は更なる登場人物を舞台に押し上げる。



「――――――あ…………ボ、ス……ゥ………っ ぼく……やり、まし……た…………!」



呻き声を上げながら、その少年は“いつの間にか”そこにいた。
横になったトラックの運転席。散々たる有様と化した空間の中、本来トリッシュがいた筈のその中に、見知らぬ人物が倒れている。

彼の名はドッピオ。
その名も、その顔も、少年を知る人物はどこにも居なかった。

つい、今の今までは。

「…………ッ! な、なんだその少年は!? このカエルの雨の中……いつ、どこから現れたのだ!」

完全なるイレギュラー。ジョルノですらこの少年の存在自体はかねてより認知していても、顔までは知らなかった。

いよいよ混乱も極まりつつある。

唯一と言っていい、ドッピオを知る人間がとうとうここまで追いついてきたのだから。




「ディィィィィイイイイイイイイイイイイイアアァアアアアアァアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーー




獰猛に咆える、地上の兎―――獣が、悲願の寸前にまで腕を伸ばしてきた。

鈴仙。
確かなナニカを求める為……そして仇敵を抹殺する為。
その名を捨ててまで。
永遠亭という繋がりを断ち切ってまで。

やっと。
到頭。
到頭、辿り着いた。



ァァアアアボォォオオオオオオオオオオオオロォォオオオオオォォォオオアアアアアァァーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!」




ここに最後の舞台役者が出揃った。

然らば――――――いち早く役目を終えた役者も……せめて最期はまどろむ様に逝くのだ。

悪夢を魅せつけるのは、いつだって悪魔《DIAVOLO》だ。

安らかなる安寧の幻夢か。身を切られるような深淵の悪夢か。

どちらにせよ……眠りにつく者にしか知り得ない、永久の夢。

それでも。

それでも先に旅立つ者は―――黄金のような『夢』を、誰に語るでもなく。

その胸の内に、夢想のように抱いて。

上を―――あの空を見上げながら、眠るのだ。









この子に流れる血の色も ⇒後編へ----

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2017年03月16日 19:23