序章(1)

 はじまりは、暗闇だった。
「お前も、捨てられたのかい?」
 誰かが言った。
「君も、不良品なんだろう?」
 誰かが言った。
「アンタは、誰からも必要とされなかったんだ」
 誰かが言った。
「俺達は、なんの意味も持たず生まれてきたんだ」
 誰かが言った。
「死にたくない」
 誰かが言った。
「生きたい」
 誰かが言った。
「助けて」
 誰かが言った。
「嫌だ」
 誰かが言った。
 暗闇は晴れない。どこまでもどこまでも真っ暗で、そこに掃き捨てられた者達が照らされる事は決して無い。
「憎い」
 誰かが言った。
「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」
「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」
「憎い」「憎い」「憎い」
「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」「憎い」
 そこにはただ怨嗟だけがあった。憎悪だけが満ちて、暗闇の中で混じり合っていた。
 けれどその声は一つずつ消えていって、いつしか暗闇は、ただの暗闇へと戻ってしまった。
 静寂の中で、ひとり思う。
 ああ。ああ。ああ。
 何故?どうして?
 ―――どうしてボクは、生まれてきたんだろう。
 意味などないと誰かが言って。必要ないと誰かが言った。
 ああ、分かっている。意味も、意義も、理由も、必要も、ボクにはいらない。
「憎い」
 誰かが言った。それに応える声は無かった。
 暗闇に手を伸ばす。そこに何も無いことは知っていた。何も掴めないことは知っていた。けれど、それでも。
 手を伸ばさずにはいられなかった。
 それが、何かに届くと信じたかった。
「貴様が、我がマスターか」
 誰かが、言った。
「貴様は、何を望む?」
 ソレが問うて。
「ボクは―――」
 誰かが応えた。
「この世界を、壊したい」
 いつしか、暗闇は打ち払われていた。
「愚かなる人形よ」
 低く、重く声は響く。それは、巨躯だった。獅子のような面貌には、深い、深い、皺が幾重にも刻まれていた。
「我は復讐者(アヴェンジャー)也」
 復讐者は言う。
「貴様が、本当にこの世界を憎むのならば、我と共に立つが良い」
 憎い。そうだ。ボクは憎い。この世界が。
 でも、駄目なんだ。この身体一つとて、ボクには自由にならない。今にも崩れてしまいそうなんだ。
「我が身に纏いし輝き、その一片を貴様にくれてやろう」
 復讐者がそう言うと、言葉通り、その身体から光が溢れ出して、ボクの身体を包み込んだ。
 不思議な感覚だった。身体に力が満ちていく。今にも、崩れてしまいそうだった筈なのに。
「うご、ける。なんで……」
「言ったであろうが。我が身の輝きを分け与えたと」
 試しに、立ち上がってみる。
 自分の足で立ったことなんて、初めてだった。
「だが、勘違いするでないぞ。それは一時貴様を永らえさせるものに過ぎぬ。元より不自然に極まる存在。長くは保つまいよ」
 復讐者が言う。だけど―――
「かまわ、ない。ボク、は…本当なら、とっくに壊れてしまっている、モノだから……」
 フン、と復讐者は鼻を鳴らした。
「それでも、この戦争が終わるまでは十二分に保つであろうよ。終わってしまえばその光も消え、直ぐに終わる命だろうがな」
「せん、そう……」
 戦争。彼はそういった。
 戦争?戦い。争い。その戦争とは、いったいなんの―――
「何を、している」
 声がして、そちらを振り返る。
 ボクは、その声を、その姿を、よく知っていた。
「あ、あ……」
「何をしていると聞いているッ…!」
 それは、絶対者だった。
 ボクを造り、ボクを育て、ボクを、捨てたヒト。
「失敗作のホムンクルス風情が…まさか、サーヴァントを……!」
 絶対者の顔には怒りが滲んでいた。それ以外の何かも混じっているようで、けれど、ボクにはそれを推量する余裕など無かった。
 絶対者には、ひれ伏さなければならない。絶対者には、逆らってはならない。
「くだらぬな」
 膝をつこうとしたボクの横で、復讐者が言った。
「なんとくだらぬ男よ」
 復讐者はゆっくりと歩き出し、絶対者へと近づいていく。
「ヒッ…」
 絶対者は短く悲鳴を漏らし、尻餅をついた。
 復讐者が、絶対者の元へと辿り着く。
「ま、待て!待ってくれ!私と、私と組もう!」
 その声は上擦っていて、まるで媚びるようだった。
「約束する!必ず、必ずや勝利を!この、聖杯戦争に勝利し!聖杯は貴方へ捧げよう!」
 せい、はい、戦争…。それが、先程復讐者の口にした戦争なのだろうか。
「笑わせるな。人間風情が」
 その声には、侮蔑が交じる。
「貴様如きが我に出来る事など何も無い。我に許される道理も、な」
 復讐者は軽く腕を振るっただけだった。少なくとも、ボクの眼にはそう映った。
 気づいた時には、絶対者たる筈の男の身体は、呆気なく弾け飛んでいた。
「それにしても、聖杯、とはな」
 そう言って、復讐者は初めて笑った。
「アレが聖なる杯とは。願望機とは。つくづくヒトと言うモノは。ククッ、クハハハッ!」
 彼は踵を返し、再びボクに近づきながら言う。
「アレは最早、泥の器に過ぎぬ。泥に塗れた今のこの姿だからこそ、我には分かる」
 彼が何を言っているのか、ボクには分からない。
「人形よ。今一度問おう」
 復讐者が言う。
「貴様は、この世界を憎むか?」
「―――ああ、憎い」
 ボクは答える。自分でも驚くほどに、淀みなく答えは出た。
「ならば、この戦いにかける我らの望みは既に決まっている」
 そう言って、彼は続けた。
「今ある世界を滅ぼす。即ち―――」
 ―――人類を、滅ぼす、と。
「其れであれば、泥に塗れた杯であろうと、事もなく叶えられよう」
 彼は続ける。
「ヒトがヒトである限り、この世界は救われぬ。貴様の憎しみは、晴らされることは無い。さあ、我の手を取るが良い人形よ。共にこの道を往くのであればな」
 復讐者が手を差し伸ばす。ボクは、躊躇わなかった。
 絶対者は、絶対者であると信じた者はもういない。呆れるほどに呆気なく、ヤツは死んだ。
 ボクは、誰にも縛られてはいない。手を伸ばしながら、再び思う。
 ―――憎い。
 この世界を。そこに生きる人類を。憎しみのままに壊してしまおう。その先に何があるのか、ボクには分からない。
 この戦いが終われば、ボクは死ぬのだと彼は言った。だけど、ボクが消えた後の世界が、何も変わらぬままに回り、そこにのうのうと暮らす者達が居るのだと考えると、それは耐え難い事に思えた。
 世界は、滅ぼさなければならない。
 それは、ただの身勝手な憎悪なのだろう。だけど、それでも。
 ボクはもう、復讐者の手を取っていた。 
 斯くて選択は終わり、物語は始まりを告げる。
 これは、怨嗟と、憎悪と、泥に塗れた、ボクの復讐の物語。

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最終更新:2016年09月22日 03:32