序章(2)

 今日は厄日だ。それも人生で最低最悪の。
 これまでも、これから先も、これ以上は無いと断言できる。だって、「これから先」なんてものはきっともう、私に残されてはいない。
「これよりッ!儀式を執り行うッ!」
 金切り声が響く。
「未だこの身には令呪の予兆は表れずッ!しかしィ!私が選ばれないという事は!ぅ有り得ないッ!」
 目の前に立つ、如何にも不健康そうな痩せぎすの男は、さっきから訳の分からない言葉を叫び続けている。
「よってェッ!この儀式を持ってサァーヴゥァントを召喚し!令呪を宿し!私はマスターとなる!セェい杯戦争のォ!」
 きっと、コイツの言葉に意味など無いのだろう。この男は狂人で。私は今からその狂人に殺される。ただそれだけの、単純な話だ。
 身体に縄が食い込んで痛い。ああ、嫌だ。イヤだ。私は死ぬ。怖い。嫌だ。
「ししし触媒はァ!女ァ!貴様の血肉とする!ロクな、ロクな触媒が手に入らないと言う訳じゃないッ!クソッ!クソ共が!この私を見下す愚かなる魔術師共!この私の黒魔術には若い女の血肉が相応しいのだァ!」
 男が何を言っているのか、もはや耳には入らなかった。
「貴様の血肉をもって召喚されるサーヴァントは!この私に相応しい暗黒を携えた!冷酷無比なる英雄となるであろうッ!」
 カハッカハッ、と男が珍妙な息遣いで笑う。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ───」
 男が先程と打って変わって、静かな調子で言葉を紡ぎ始める。
 だけどやっぱり、言葉の意味は分からなかった。
 不意に、奇妙な感覚がした。
 身体が熱を帯びる。手の甲の辺りに、何かが焼き付くような感覚。
 私の横たえられた下、地面に描かれた奇妙な模様が光を帯び始める。
 意識が遠のく。霞む視界の先に、誰かの人影が見えた。


 頭痛がして、目を開く。
 どれほど意識を失っていたのだろうか。
 ゆっくりと起き上がる。身体を縛っていた縄が、無くなっている。
 周りには誰の姿も無い。
 場所は依然、意識を失う前と変わらぬあの狂人に連れ込まれた部屋だった。
「目が、さメたんだネ」
 突然後ろから声がして、慌てて振り向く。
 先の狂人とは違う、長髪の男がそこにいた。上半身には何故か、何も身に着けていない。
「だァいじょうぶ。シんぱいしないで。怖くないよ」
 男は優しい声音で、けれどなんだか全く喋りなれて無いような調子で言う。
 この男も、あの狂人と同じで不気味である事には変わらない。けれど、その目や声には、確かな親愛の情を感じた。
 何も返せずにいる私に、男は言葉を続けた。
「どコか、痛い?かァいそうに。かァいそうに」
 意を決して、言葉を返す。
「あの、もしかして、助けてくれたんですか…?その、私を」
 男は不気味な風貌に似合わず、ニコリと愛らしく笑った。
「たスけた。ソう。たスけたヨ。大事な、大事な、おヨメさン」
「およ、め…?えっと…」
 きっと、悪い人ではないのだと思う。だけどなんだか会話が噛み合っていない。
 少し可笑しくなって、私は不思議とこの男への警戒心がすっかり薄れていることに気づく。
「ネェ、食べテ」
 男がそう言って何やら差し出す。
「えっと…有り難い、と思うんだけど。今はここを離れた方が…」
「食べテ」
 グイ、と男は更に手に持ったものを差し出す。
 私は苦笑して、ソレを受け取った。
 ソレは肉だった。ソレには爪があった。ソレには指があった。ソレは、人間の手だった。
「イヤァァァ!!」
 私は叫び、それを取り落とす。
「ドうシタの?」
 男が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。
 地面に落ちた手を拾い上げて、再び差し出す。
「食べテ?」
「ぁ…や…嫌ぁ……」
 後退る私を見て、男は首を傾げたまま黙っている。
 そのまま壁に背をついた頃、男はポン、と手を打った。
「じコ紹介!じコ紹介してナイね!あは」
 男は笑う。
「ボクはソニー。ねェ、キミは?ボクの、おヨメさン」
 今日は厄日だ。果たしてそれが、人生で最低最悪なのか。私にはまだ分からない。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年09月22日 03:35