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ティル・ナ・ノーグの縁で(前編)

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日はとうに暮れ、生徒達が家路に着いた後も職員室には煌々と明かりが灯っていた。
12月も半ばの今、教師達は期末テストの採点、成績表の作成で大わらわだ。
当然黒井ななこも例外ではなく、赤ペンを片手に答案の山と向き合っていた。
手書きの文字の向こうに生徒達の顔を思い浮かべつつも、手は機械的に動き続ける。
そして一際整った文字の答案が山の中から現れた。
隙がなく、それでいて優しい丸みを帯びた字。
ななこはある期待を胸にペンを走らせる。
まる、まる、まる……。
「やっぱ満点か、さすがやなぁ」
採点する側にも満点は一種の快感をもたらした。
つい心の声が口をついて出る。
「嬉しそうですね、黒井先生」
ななこが振り向くと、後ろには養護教諭の天原ふゆきが立っていた。
指に保健室の鍵を引っ掛けている所を見ると、もう帰る所らしい。
「まぁ、採点もしやすいですし。ちゃんと話が通じてるんやなぁ、って気になるんです」
「生徒達の考えてることってなかなか解りませんよねー」
頬に手を添えてため息をつく、その一連の動きがなんとなくななこの気を引く。
毎日のように彼らの悩みを聞かされるふゆきには、より身近な問題であるらしい。 
「天原先生はもうお帰りですか?あぁ~もうウチも今日は終わりにしようかな」
大きく伸びをして、壁の時計に目をやる。時刻はもう九時近い。
「もう遅いですしね。じゃあ私これだけ返してきちゃいます」
二人はそれぞれ身支度を整えると、残った同僚達に挨拶して職員室を出た。
「うおっ、さぶいなぁ」
人気の無い廊下は実際の気温以上に寒々しい感じがして、ななこはコートの首もとを手で押さえた。
「職員室は暖房効いてますからね。ななこ先生も健康には気をつけないといけませんよ。


三年生の担任をなさる方はこれからストレスの掛かる時期ですし」
「いやあ、もうすでに胃が痛とうて仕方ないですわ」
「えっ、大丈夫ですか?保健室に来ていただければ診察しますよ」
「あ、いや今のは冗談で、そんな大したことは……」
ななこが明るく笑って見せても、ふゆきはしつこく健康状態について質問を繰り返した。
その堅苦しい態度にななこは内心苦笑したが、心配してもらえたことに悪い気分はしなかった。
「本当に大丈夫ですって。
 最初は心配やったけど、ここは進学指導しっかりしてますから、担任いうても気楽なもんですわ」
「三年の担任になるのは初めてでしたっけ?」
「そうです。講師やら一年の担任やら何度かやって、それで一昨年から持ち上がりで」
もう片手の指では足りないだけの年月が過ぎたことを、ななこは今更になって実感した。
「若い先生は生徒達を送り出した反動でガクッとくることもありますからね。
 ななこ先生も思い入れのある子とかいらっしゃるんじゃありませんか?ほらあの、髪の長い子とか」
「泉ですか、あいつとはネトゲやらなんやらで卒業しても付き合いは続きそうやしなぁ。
 それに基本的に器用な奴だから全然心配する気にもならんし……。
思い入れねぇ……あ」
ななこは一昨年、ある生徒のことを自分が気に掛けていたことを思い出した。
お互いを探り合う息苦しい空気の中で、勇気を振り絞って手を挙げたあの子。
その年、一番最初に名前を覚えたあの子。
「あっ、やっぱりいるんですね。誰なんですか?男子ですか、それとも女子?」
「こら、人の噂が好きな養護教諭ってのはどうなんや?」
ほんの小さな呟きをふゆきは目ざとくとらえて、嬉しそうにつめ寄ってきた。
その無邪気な態度につい敬語が崩れる。
「ちゃんと公私の別はつけてます。生徒からの相談は絶対漏らしたりしませんから」
「調子ええなあ。まあ別にいいんやけど……女子ですわ、ああ、少しふゆき先生に似とるかもしれん」
「えっ、どういう所がですか?というか名前を言って下さいよ、気になるじゃないですか」
「天然ボケな所とか、マイペースな所とか。
あいつは保健室とかあんま行ってなさそうやし、名前言ってもわからへんと思いますよ」
「あー、養護教諭の情報網をばかにしてますね。っていうか私が天然ってどこがですか?」
絵に描いたように天然な反応がおかしくて、ななこは吹き出しそうになった。
「胃は大丈夫やけど、先生のせいで腹筋が痛うなってしまいそうや」
「もうっ、そんなのに効くお薬はありませんよ」
他愛の無いおしゃべりの中で、あの子の記憶が段々と蘇っていく。
一年の一学期、あの子はまだ自分の力の活かし方が解らずに戸惑っていたっけ。
見事にクラスメイトたちを仕切る姿に上書きされてすっかり忘れてしまっていた。
「わかりましたって、今度暇な時間があったら話してあげますから」
「約束ですよ。またななこ先生の好きなお茶を用意して待ってますから」
銘柄なぞ何一つ知らないななこだったが、ふゆきの入れるお茶は好きで度々ご馳走になっていた。
柄じゃないなと思うけれど、美味しいお茶を頂きながらちょっとした思い出を語る、
たまにはそういうのも良いのかも知れない。
「思い出か……あいつは覚えているんやろうか?」


あかん、面倒くさいことになった。
ななこは俯きがちな生徒達を前にして、密かに毒づいた。
入学式の翌日、ななこのクラスは最初の学級委員決めでつまずいてしまった。
今までに受け持ったクラスでは、大抵乗り気な奴が一人くらいはいて、すんなり決まっていた。
そうでなくとも、仕方なさそうな顔をして手を挙げる三枚目がいたものだった。
けれども今度のクラスではそのどちらもいないようで、教室中にただ倦怠感だけが広がっている。
中には居眠りしている生徒すらいる。春風にそよそよと揺れる癖っ毛が憎たらしい。
今挙げなきゃならんのは毛やない、手や。
「別に大変な仕事やないさかいに、気軽に手上げたってえな」
唇をどうにか笑みの形につり上げてみても、生徒達はななこの顔を見ようとしない。
その間にも沈黙はどんどん重苦しさを増していく。
「あー、もうどうっしても立候補者がいないんなら、くじ引きにするぞ。お前らそれでええんか?」
ななこが大きなため息と共に最後通牒を突きつけたその時、教室の真ん中あたりでおずおずと手が挙がった。
「……あの、私学級委員やります」
「おおきに!えっと、読み方はタカラでええんか?」
「はい、高良みゆきです」
ななこは名簿を見ながら黒板に大きく名前を書いた。
「じゃあ、高良。早速前に出て仕切ってくれるか」
みゆきは静かに席を立ち、楚々とした足取りでななこの脇に並ぶと、同級生達に向かって軽いお辞儀をした。
たったそれだけの動作に本物の育ちの良さを滲ませたみゆきに、ななこは驚いた。
それから弾みがついたように次々役職が決まっていく中、ななこは横目でみゆきを観察し続けた。
出る所は出つつも、決して下品に見えないプロポーション。
指先まで神経の行き届いた姿勢。毅然としてよく通る声。
艶めいてふんわりとボリュームのある髪。日に焼けた所がまるで想像できない肌。
てきぱきした仕事振りを見るに、頭が良いのも間違いなさそうだ。
野暮ったい大きな丸眼鏡だけが、どうにかそれらの発する過剰なオーラを押さえつけている。
突然現れた規格外の存在に驚いているのは、生徒達も同じのようだった。
とにかく新しい流れに乗り遅れまいと、自分から手を挙げていく。
それ自体は望ましい事だったが、みゆきのこれからを案じると、ななこは素直に喜べなかった。
立ちすぎたキャラは、時にその人自身の重荷となってのしかかる。
一種熱狂的な光景を前に、ななこはこの日二度目のため息をついた。


そんなことがあって、ななこはクラスの中でみゆきを特に意識するようになった。
背格好と姿勢の良さのおかげで、どんなに離れていてもみゆきはよく目についた。
その姿は隣を歩くのを躊躇われる程様になっていて、実際大抵の場合みゆきは一人だった。
そうでない時は集団の後ろにひっそりと付いて行くような感じで、やはり輪の中からは少し外れていた。
昼休みに弁当を持参してクラスを訪ねてみたこともある。
最初に訪ねた時、みゆきは前の席に座っていた女子と雑談をしていた。
太めのセルフレームの眼鏡と所々に浮かんだニキビが特徴の、言い換えればごく普通の地味な女子だ。
さりげなく耳を傾けていると、有名な作家の名前が聞こえてきた。
そこでななこはその子が、図書委員に立候補していたことを思い出した。
……またらしい子やなあ
教師生活も四年目、この手の子は色んな所で見てきた。
直感がこの子はみゆきとは合わないだろうと告げていた。
生徒を外見で分類するようで気が引けるが、この直感というのは大抵当たるのだ。
一月程たってまた教室を訪れた時、その子は窓側の隅で友達とおしゃべりに夢中になっていた。
今度はもう話の内容を聞き取るのに耳をそばだてるまでもなかった。
そしてみゆきはというと、相変わらず自分の席で黙々と箸を動かしていた。
色とりどりの食材が、決まったペースで形のいい唇に吸い込まれていく。
ななこはその様をぼおっと眺めていたが、ふと立ち上がってみゆきに歩みよった。
「よお、高良。立派な弁当やなあ。母さん料理好きなんか?」
「ええっ、あの、なんですか?」
みゆきは大きく身震いして、つまんでいた卵焼きを取り落とした。
その過敏な反応に、話かけたななこ自身も驚いてしまう。
「あ、いやな、すごい手間かかってそうやから、どうしとるんかなー、思て。
 ウチなんていっつも店屋ものやさかいに」
「そんな大層なものではないんですよ。夕べの残り物も沢山入ってるし。
 朝作ったのはこれくらいです」
みゆきはサラダとウィンナー、そしてナプキンの上に転がった卵焼きを指さした。
細切りの人参と薄くスライスした玉葱のサラダには、レーズンとくるみが散りばめられていた。
「こんなサラダ初めて見たわ。やっぱり甘いんか?」
ななこは前の席に腰をかけると、弁当箱をのぞき込んだ。
「ドレッシングはかかってますけど、やっぱり甘口ですね。
 道具を使えばすぐ出来ますし、朝食によく作るんです。本当に簡単なんですよ。まずスライサーで……」
何が恥ずかしいのか、みゆきはいかに手間のかかっていない料理であるか解説しはじめた。
時折混じる身振り手振りがおままごとのように見えて、なんだかおかしかった。
「……というわけで、私は別に料理上手というわけではないんですよ」
「ほー、そーなんか、ってちょっと待て。この弁当高良が作ってるんか?」
親の愛情を素直に受け取れない年頃なんやろうか。
勝手にそう解釈して微笑ましく思っていたななこは拍子抜けした。
「はい、そうですけど……あれ、私言ってませんでしたっけ?」
そんな勘違いしているとは思いもよらないみゆきは不思議そうな顔していた。
「……そういや高良は母さんのことなんか一言も話してへんかったな。
 いやーウチはてっきり母さんが作ってるやと」
「でもこの夕べの余り物は母が作ったものですから。詰めてるだけで私の仕事なんてほとんどないんですよ」
「それだけでも偉いと思うがな、盛りつけも綺麗やし。このちっこいおにぎりも自分でやってるんやろ?」
二段になった弁当箱の片方には、一口サイズのおにぎりが五つ詰められていた。
海苔巻にされたものと、白いままのものが交互に並んでいる。
「あっ、はい。こっちの海苔が付いてる方は塩鮭を入れてあります。
 それで白いほうはおかずと一緒に食べるためのものですね」
「色々考えとるんやなぁ。ウチも昔はもうちょっと頑張ってたんやけど。
 今はだめや、もう朝早う起きて料理する気にならん」
ネトゲで夜更かししているから朝起きられない、とは言わなかった。


「お忙しいんですね。夕食はきちんと食べてるんですか?」
「自炊は半分くらいやなぁ。そもそもウチは家事全般苦手でな。もういっそ嫁が欲しいくらいや」
話題が繋がったとみるや、ななこは大胆に踏み込んでみることにした。
「ええっ、嫁……ですか」
「おう、それに嫁ならウチに仕事やめろーとか言わへんやろ?
 ほんま高良みたいな奴が嫁に来てくれたら最高なんやけどなぁ」
「え、ええっと、私は女性で、黒井先生も女性なわけで、その、日本では同性婚は……」
みゆきは顔を赤くして、消え入りそうな声で何事か呟いている。
予想以上のうろたえぶりに、ななこは気を良くした。
「もう冗談や、冗談。そんな赤くなっちゃって可愛いやっちゃなあ。
 あ、それともあれか、ほんまにウチの嫁になりたいんかー?」
「わ、私はその、そういうの慣れてないので……でも、先生が嫌いってわけじゃ」
そのままみゆきは下を向いて黙り込んでしまった。
生真面目そうなみゆきに振るネタとしては早すぎたかと、小さく舌打ちする。
膝の上で堅く握りしめられた手に、ななこは潮時を感じた。
「あはは、褒めとるんやから、そんな堅くならんでもええって。
 おっと、ウチ次の授業があるからそろそろ行かな。じゃあな~」
「先生、あの……」
無駄に勢いよく立ち上がったななこを、みゆきが呼び止めた。
「ん、なんや?」
不意に交差した視線の先で、みゆきの濡れた瞳がきゅっと広がった。
「……お仕事頑張ってくださいね」
みゆきはぎこちない、けれど精一杯の笑顔を咲かせて言った。
その花は瞬きする間に散ってしまったけれど、ななこの目にはしっかりと焼き付いていた。
「おう、行ってくるで」
ななこは親指を立てて笑い返すと颯爽と背を向けて、教室を後にした。

なんや、やっぱり可愛い顔できるやん……!
だらしなく緩んだ口元を押さえた手のひらに、湿った吐息がかかる。
クラスにとけ込めずにいる生徒に手をさしのべることも、担任の仕事の一つではある。
けれどななこは、そんな使命感とはかけ離れた所で興奮していた。
気になる人に一歩近づいた、ただそれだけのことで胸が熱い。
血の巡りに乗って全身に広がった衝動の赴くままに、ななこは走り出した。
足を包むのはバレーシューズからパンプスになったけれど、堅く冷たい床を蹴る小気味よさは昔のままだった。













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  • なによりもまず、タイトルが気に入った -- みみなし (2008-05-04 21:26:31)
  • なんかこう、読んでいてスーッと物語世界に引き込まれます。
    「このキャラってこういう所って魅力だよなぁ」とナチュラルに思わせられる文章でした。
    ぐっじょーぶ。 -- 名無しさん (2008-02-12 15:31:47)
  • ずーーーっと続きをお待ちしているのですが…。

    あなたの濃密な文章と、見てきたように自然で印象深い会話文は、
    私の永遠の目標なのです。 -- 16-187 (2008-02-11 18:19:53)
  • あああ続きが気になるううう -- 名無しさん (2008-01-12 03:43:45)
  • これは思いつかないカプ!どう発展するか予測できません
    -- kelkel (2007-12-08 21:59:35)

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