生まれて初めての告白を受けたその日の晩、私は原稿に向かっていたけれど、筆は全く進まなかった。
さあ、描こうと思い筆に力を入れると、その度に彼の言葉がフラッシュバックして、また力が抜けていく。
嬉しかった。嬉しい出来事のはずなので、嬉しいと考えるのは何も間違いじゃなかった。
私達は両想いで、彼は私の趣味を理解してくれる理想の恋人で、何も不満はないはずだった。
『ごめん……今すぐは返事できないカモ……もうちょっと、待っててくれる?』
彼は私の言葉に頷いて、私達は別れた。それから私の頭はずっと、彼の存在でいっぱいだった。
「はあ~……でもねー……」
10時半を差した時計を見て、私は深くため息を付いて机へと倒れ込んだ。
(これって、受け入れていいのかな……もし、途中で私のことイヤになったりしたらどうするのかな)
机の抽斗に手をかけて、中を開けるとそこから出てくるのは、彼にはとても見せられない本やイラストの数々。
初めての接触があのハードなBLだったとはいっても、これらはやっぱりまだ、彼に理解してもらえる自信が無い。
私の趣味にはまだ、彼の知らない領域があって、私のその趣味に関する考え方や行動も、パンピーには未知の領域。
(もしこんな趣味達のことを知って、彼が私を拒絶するようになったら……)
彼からの拒絶は考えたくもない話だった。彼のいない寂しさは、友達と一緒にいてもしみじみ感じるほどになっている。
もしかすると彼は私の事を理解して、受け入れてくれているから、その珍しさに私は安心しているだけなのかもしれないし、
それを恋愛感情と勘違いしてるのかもしれない。私には恋愛経験がないので、自分の本心がわからなかった。
(こんなことなら二次元に逃げてないで、しっかり恋愛しておくべきだったっス)
時刻は十一時。彼のことをぼんやりと考えているだけで、原稿を描いているときに1分でも惜しい時間は急速に過ぎる。
(彼のことが好きだから、こんなに怖がっているんスかね。それとも、そこまでは彼に求めていないから?
彼に恋人らしい事を求めてる? オタクの馴れ合いの延長みたいなものじゃなくて? 単なる居心地の良さ以上に?
私は彼とデートがしたいのかな。私は彼と手を繋いだり、キスをしたり……そういうことを本当にしたいのかな?)
考えれば考えるほどにわからなくなっていった。彼の拒絶を恐れているから、私は自分を言い潤めようとしている?
(彼に理解を求めようとしたらどうかな。自分の世界を全部見せて、理解してって言ったら、彼は受け入れてくれるかな。
彼のことだからきっと、理解してくれそう。そんな一縷の望みに託してみる? 理解しても受け入れるとは限らないし。
もし嫌われたらどうしよう。どのみち、男受けはそんなに良くないケド……ああ、三次元って面倒っスね。自分のことだとなお)
十一時半。もう筆を握る事も止めてしまっていた。このままではどう頑張っても、原稿は完成されそうもなかった。
携帯が震える。こうちゃん先輩からの着信だった。私は通話ボタンを押す。
『おー、ひよりん。どう? 原稿ははかどってる? 明日には完成させなきゃいけないんだよ』
無理です。下書きすら半分も終わってませんし、何よりまったくモチベーションがあがりません。
何よりも優先させなければならないことができたっスよ、先輩。残念ながら今回は……。
「すみません。原稿、今回は落させてください」
『はあ? 何あきらめてんだよ、ひよりん。どうしても難しそうなら、明日私も手伝ってあげるから』
「無理です。ごめんなさいっス」
『ひよりん、あのね』
「無理なんです」
『……何かあった?』
「……明日、相談に乗ってほしいことがあるんです」
『わかった。今日はもう寝なよ。明日話は聞いてあげるから。念のため原稿は持ってきなよ』
さすが厳しいけど、世話好きの頼れる先輩。私は通話をきるとベッドに倒れた。でも、寝つくのは難しかった。
さあ、描こうと思い筆に力を入れると、その度に彼の言葉がフラッシュバックして、また力が抜けていく。
嬉しかった。嬉しい出来事のはずなので、嬉しいと考えるのは何も間違いじゃなかった。
私達は両想いで、彼は私の趣味を理解してくれる理想の恋人で、何も不満はないはずだった。
『ごめん……今すぐは返事できないカモ……もうちょっと、待っててくれる?』
彼は私の言葉に頷いて、私達は別れた。それから私の頭はずっと、彼の存在でいっぱいだった。
「はあ~……でもねー……」
10時半を差した時計を見て、私は深くため息を付いて机へと倒れ込んだ。
(これって、受け入れていいのかな……もし、途中で私のことイヤになったりしたらどうするのかな)
机の抽斗に手をかけて、中を開けるとそこから出てくるのは、彼にはとても見せられない本やイラストの数々。
初めての接触があのハードなBLだったとはいっても、これらはやっぱりまだ、彼に理解してもらえる自信が無い。
私の趣味にはまだ、彼の知らない領域があって、私のその趣味に関する考え方や行動も、パンピーには未知の領域。
(もしこんな趣味達のことを知って、彼が私を拒絶するようになったら……)
彼からの拒絶は考えたくもない話だった。彼のいない寂しさは、友達と一緒にいてもしみじみ感じるほどになっている。
もしかすると彼は私の事を理解して、受け入れてくれているから、その珍しさに私は安心しているだけなのかもしれないし、
それを恋愛感情と勘違いしてるのかもしれない。私には恋愛経験がないので、自分の本心がわからなかった。
(こんなことなら二次元に逃げてないで、しっかり恋愛しておくべきだったっス)
時刻は十一時。彼のことをぼんやりと考えているだけで、原稿を描いているときに1分でも惜しい時間は急速に過ぎる。
(彼のことが好きだから、こんなに怖がっているんスかね。それとも、そこまでは彼に求めていないから?
彼に恋人らしい事を求めてる? オタクの馴れ合いの延長みたいなものじゃなくて? 単なる居心地の良さ以上に?
私は彼とデートがしたいのかな。私は彼と手を繋いだり、キスをしたり……そういうことを本当にしたいのかな?)
考えれば考えるほどにわからなくなっていった。彼の拒絶を恐れているから、私は自分を言い潤めようとしている?
(彼に理解を求めようとしたらどうかな。自分の世界を全部見せて、理解してって言ったら、彼は受け入れてくれるかな。
彼のことだからきっと、理解してくれそう。そんな一縷の望みに託してみる? 理解しても受け入れるとは限らないし。
もし嫌われたらどうしよう。どのみち、男受けはそんなに良くないケド……ああ、三次元って面倒っスね。自分のことだとなお)
十一時半。もう筆を握る事も止めてしまっていた。このままではどう頑張っても、原稿は完成されそうもなかった。
携帯が震える。こうちゃん先輩からの着信だった。私は通話ボタンを押す。
『おー、ひよりん。どう? 原稿ははかどってる? 明日には完成させなきゃいけないんだよ』
無理です。下書きすら半分も終わってませんし、何よりまったくモチベーションがあがりません。
何よりも優先させなければならないことができたっスよ、先輩。残念ながら今回は……。
「すみません。原稿、今回は落させてください」
『はあ? 何あきらめてんだよ、ひよりん。どうしても難しそうなら、明日私も手伝ってあげるから』
「無理です。ごめんなさいっス」
『ひよりん、あのね』
「無理なんです」
『……何かあった?』
「……明日、相談に乗ってほしいことがあるんです」
『わかった。今日はもう寝なよ。明日話は聞いてあげるから。念のため原稿は持ってきなよ』
さすが厳しいけど、世話好きの頼れる先輩。私は通話をきるとベッドに倒れた。でも、寝つくのは難しかった。
*
教室で彼と目を合わせたとき、彼は少し恥ずかしそうにしつつも、私に向かって微笑んでくれた。
私もそれなりのリアクションで対応すべきだったのかもしれなかったけど、ただ俯くしかできなかった。
(だって、恥ずかしくてこれ以上目を合わせられないっスよ……)
彼に不安を与えてしまったのかもしれなかった。でも、私には彼を喜ばせるような器用さは備わっていない。
授業中も、まるで内容が頭に入らなかった。ただ機械的にノートを写しているだけで、頭は全く働いていなかった。
小早川さんに話しかけられても、私は上の空だった。以前からその節があったと指摘されていたとはいえ、
今回はより重症だったらしく、小早川さんと岩崎さんに余計な心配をかけさせてしまった。
「田村さん、大丈夫? 具合悪いの?」
失礼かもしれないけれど、小早川さんに体調を心配される日がくるとは思わなかった。これはシュール。
「私と一緒に保健室にいこうか? 今日は体育もあるし、休んだ方がいい」
それは保健委員としての意見じゃなくて、友達として心配してくれたうえでの言葉なのかも。だからこそ、申し訳ない。
「私は大丈夫……心配してくれてありがとうね」
「何かあったら、本当にいつでも言ってね?」
小早川さんの言葉に、頷く岩崎さん。なんて優しい人達を友達に持ったんだろう。元々は蜜に近付く蝶だった私。
本当にこの二人には、和ませてもらっている。できれば百合的な意味で幸せになってほしい二人ではあった。
……でも、恋愛ってそんな簡単に妄想したりしてしまっていいものなのかな? たとえそれが友達であっても。
私の考えている事は、二人にはとてつもなく失礼な事なのかもしれない。自分が恋愛に迷う立場にあって、そう考える。
あくまで想像は想像で楽しんで、リアルな世界の観念だけは持ち出さないのが、オタクの幸せな妄想のルールのはずだけど。
「小早川さん、岩崎さん」
「なあに?」
「今からすげー変な事聞くけど、ちょっと覚悟してね」
「うん」
「二人が付き合ってる、なんてことないよね?」
私がそう言うと、二人の顔色が急激に変わった。小早川さんは呆気に取られたように、岩崎さんは警戒するように。
「えっ! 田村さん、どうしてわかっ」
「しっ! ゆたかはちょっと黙ってて」
驚くだろうなとは思っていたけれど、ここまで驚いてしまうとは思わなかった。むしろ私が驚いた。
「……田村さん、どうしてそう思ったの?」
岩崎さんが、いつものポーカーフェイスで聞いてきた。そんなに地雷踏むような質問しちゃったけか、私は。
「え……いや、ただなんとなく。二人はすごく仲良しだし、手繋ぐし、まあ私の妄想によるところも……いやいや。
それはともかく、変な質問しちゃってごめんねー。二人は友達だし女の子同士だし、そんなことないのにね」
すると、岩崎さんは私に目線を合わせてかがみ込むように覗いてきた。怒ってないのはわかるけど、ちょっと怖い。
「田村さん……答えは保留していい?」
「べ、別にいいけど。なんで保留?」
始業のベルが鳴って、みんなが席につき始めた。なぜ否定しない。保留ってことは、認めちゃってるってことっスか?
いつもなら百合萌えで鼻血のひとつでも出すところだけど、今の私はそこまでデリカシーのない人間ではなかった。
なるほど。恋愛っていうものに真剣に取り組むようになると、人の色恋を安易な目でみることはできなくなるということですか。
それを自分の問題になって初めて理解できるだなんて……小早川さんと岩崎さんには申し訳無い事をした。これからもするケド。
携帯が震えた。
私もそれなりのリアクションで対応すべきだったのかもしれなかったけど、ただ俯くしかできなかった。
(だって、恥ずかしくてこれ以上目を合わせられないっスよ……)
彼に不安を与えてしまったのかもしれなかった。でも、私には彼を喜ばせるような器用さは備わっていない。
授業中も、まるで内容が頭に入らなかった。ただ機械的にノートを写しているだけで、頭は全く働いていなかった。
小早川さんに話しかけられても、私は上の空だった。以前からその節があったと指摘されていたとはいえ、
今回はより重症だったらしく、小早川さんと岩崎さんに余計な心配をかけさせてしまった。
「田村さん、大丈夫? 具合悪いの?」
失礼かもしれないけれど、小早川さんに体調を心配される日がくるとは思わなかった。これはシュール。
「私と一緒に保健室にいこうか? 今日は体育もあるし、休んだ方がいい」
それは保健委員としての意見じゃなくて、友達として心配してくれたうえでの言葉なのかも。だからこそ、申し訳ない。
「私は大丈夫……心配してくれてありがとうね」
「何かあったら、本当にいつでも言ってね?」
小早川さんの言葉に、頷く岩崎さん。なんて優しい人達を友達に持ったんだろう。元々は蜜に近付く蝶だった私。
本当にこの二人には、和ませてもらっている。できれば百合的な意味で幸せになってほしい二人ではあった。
……でも、恋愛ってそんな簡単に妄想したりしてしまっていいものなのかな? たとえそれが友達であっても。
私の考えている事は、二人にはとてつもなく失礼な事なのかもしれない。自分が恋愛に迷う立場にあって、そう考える。
あくまで想像は想像で楽しんで、リアルな世界の観念だけは持ち出さないのが、オタクの幸せな妄想のルールのはずだけど。
「小早川さん、岩崎さん」
「なあに?」
「今からすげー変な事聞くけど、ちょっと覚悟してね」
「うん」
「二人が付き合ってる、なんてことないよね?」
私がそう言うと、二人の顔色が急激に変わった。小早川さんは呆気に取られたように、岩崎さんは警戒するように。
「えっ! 田村さん、どうしてわかっ」
「しっ! ゆたかはちょっと黙ってて」
驚くだろうなとは思っていたけれど、ここまで驚いてしまうとは思わなかった。むしろ私が驚いた。
「……田村さん、どうしてそう思ったの?」
岩崎さんが、いつものポーカーフェイスで聞いてきた。そんなに地雷踏むような質問しちゃったけか、私は。
「え……いや、ただなんとなく。二人はすごく仲良しだし、手繋ぐし、まあ私の妄想によるところも……いやいや。
それはともかく、変な質問しちゃってごめんねー。二人は友達だし女の子同士だし、そんなことないのにね」
すると、岩崎さんは私に目線を合わせてかがみ込むように覗いてきた。怒ってないのはわかるけど、ちょっと怖い。
「田村さん……答えは保留していい?」
「べ、別にいいけど。なんで保留?」
始業のベルが鳴って、みんなが席につき始めた。なぜ否定しない。保留ってことは、認めちゃってるってことっスか?
いつもなら百合萌えで鼻血のひとつでも出すところだけど、今の私はそこまでデリカシーのない人間ではなかった。
なるほど。恋愛っていうものに真剣に取り組むようになると、人の色恋を安易な目でみることはできなくなるということですか。
それを自分の問題になって初めて理解できるだなんて……小早川さんと岩崎さんには申し訳無い事をした。これからもするケド。
携帯が震えた。
*
お昼休み。こうちゃん先輩に呼ばれて、私はお弁当を持ったままアニ研部室へと向かった。念のため原稿も。
「おお、来たな。ひよりん」
こうちゃん先輩は先にお昼ご飯をいただいていた。学校の売店で売ってあるお弁当だった。
「原稿は持ってきたみたいだね。昨日でどこまで進んだの?」
「……し、下書きを三割ほど」
「絶望的だな……」
完成は半ば諦めていた。今は原稿よりもカタをつけなくちゃならないことがあるんだし。
こうちゃん先輩も、その可能性は考えているところだと思う。この人は原稿に厳しいけど、優先順位を間違えない人だから。
「……で、ひよりんのスランプの原因はなんだい?」
「この頼れる先輩達に話してごらんヨ」
「ありがとうございます、こうちゃん先輩、泉先輩。実は……って、泉先輩いつの間に!」
「うわ、ゲーセンのアレ!」
「やあやあ、ひよりん。もう原稿が出来てるかなーと思って、一部もらいにきたんだヨ」
「まだ出来てないっスよ……ていうか、今回の本はBLっス」
「えー、興味なーい」
「もらいに来ておいてその言い草はなんだ、このアホ毛!」
「こうちゃん先輩、曲がりなりにも泉先輩は三年生っスよ」
「まあ、その原稿はまだ仕上がってないんだけどね。残念だったねアホ毛」
「ひよりん、また落したの?」
「失礼な! 毎回ギリギリだけど落したことなんかないっスよ!」
「でも落とす予定なんでしょ? 下書き三割しかできてないし」
「う……もう、何の話をしてたっスかね」
私ははあっとため息を吐くと、椅子に座って二人の先輩を見た。八坂先輩は少し不安そうに、泉先輩は能天気な顔。
「泉先輩に聞いても、わかんなさそうっスね」
「何を! 私だって人並みに恋愛してるし、恋人もいるんだヨ? 相手女だけど」
「ちょっと待てアホ毛。恋愛ってなんだよ。ていうか女ってなんだよ」
「泉先輩……どうして私の悩み……知ってるんですか?」
こうちゃん先輩が私に視線を投げる。
「さあ、悩みの内容までは知らないケド。ひよりん見た瞬間ビビッときたよ。これは色恋の悩みだってネ」
さりげない泉先輩の千里眼に、私は驚きを隠せなかった。それはこうちゃん先輩も同じで、私と泉先輩を見比べている。
泉先輩はいつものネコ口で、私を見てはニヤニヤとしていた。この人、本当はすごい人なのかな……?
「他ならぬひよりんの悩みだし、ひよりんの本が読めないのはイヤだし、何でも話してごらんヨ?
私達にどこまで助けられるかわかんないけどネ。ひよりんが一人で抱え込む必要はないってこと」
そう言うと泉先輩は、どこからから持ち出したチョココロネをもぎゅもぎゅと食べ出した。
「本当は本もらってすぐ、かがみ達のところに帰る予定だったんだけどネ~」とか言いながら。
小早川さんや岩崎さん、二人の先輩といい、私は本当に恵まれているのかもしれなかった。
「……で、ひよりんは恋愛沙汰で悩んでいるわけだね?」
「はい。実は……」
そういうわけで私は、彼との馴れ初めとそれまでのこと、そして昨日の事を二人の先輩に話した。
二人とも、真剣に私の話を聞いてくれて……話すだけでも少し、気持ちが楽になったような気がした。
「おお、来たな。ひよりん」
こうちゃん先輩は先にお昼ご飯をいただいていた。学校の売店で売ってあるお弁当だった。
「原稿は持ってきたみたいだね。昨日でどこまで進んだの?」
「……し、下書きを三割ほど」
「絶望的だな……」
完成は半ば諦めていた。今は原稿よりもカタをつけなくちゃならないことがあるんだし。
こうちゃん先輩も、その可能性は考えているところだと思う。この人は原稿に厳しいけど、優先順位を間違えない人だから。
「……で、ひよりんのスランプの原因はなんだい?」
「この頼れる先輩達に話してごらんヨ」
「ありがとうございます、こうちゃん先輩、泉先輩。実は……って、泉先輩いつの間に!」
「うわ、ゲーセンのアレ!」
「やあやあ、ひよりん。もう原稿が出来てるかなーと思って、一部もらいにきたんだヨ」
「まだ出来てないっスよ……ていうか、今回の本はBLっス」
「えー、興味なーい」
「もらいに来ておいてその言い草はなんだ、このアホ毛!」
「こうちゃん先輩、曲がりなりにも泉先輩は三年生っスよ」
「まあ、その原稿はまだ仕上がってないんだけどね。残念だったねアホ毛」
「ひよりん、また落したの?」
「失礼な! 毎回ギリギリだけど落したことなんかないっスよ!」
「でも落とす予定なんでしょ? 下書き三割しかできてないし」
「う……もう、何の話をしてたっスかね」
私ははあっとため息を吐くと、椅子に座って二人の先輩を見た。八坂先輩は少し不安そうに、泉先輩は能天気な顔。
「泉先輩に聞いても、わかんなさそうっスね」
「何を! 私だって人並みに恋愛してるし、恋人もいるんだヨ? 相手女だけど」
「ちょっと待てアホ毛。恋愛ってなんだよ。ていうか女ってなんだよ」
「泉先輩……どうして私の悩み……知ってるんですか?」
こうちゃん先輩が私に視線を投げる。
「さあ、悩みの内容までは知らないケド。ひよりん見た瞬間ビビッときたよ。これは色恋の悩みだってネ」
さりげない泉先輩の千里眼に、私は驚きを隠せなかった。それはこうちゃん先輩も同じで、私と泉先輩を見比べている。
泉先輩はいつものネコ口で、私を見てはニヤニヤとしていた。この人、本当はすごい人なのかな……?
「他ならぬひよりんの悩みだし、ひよりんの本が読めないのはイヤだし、何でも話してごらんヨ?
私達にどこまで助けられるかわかんないけどネ。ひよりんが一人で抱え込む必要はないってこと」
そう言うと泉先輩は、どこからから持ち出したチョココロネをもぎゅもぎゅと食べ出した。
「本当は本もらってすぐ、かがみ達のところに帰る予定だったんだけどネ~」とか言いながら。
小早川さんや岩崎さん、二人の先輩といい、私は本当に恵まれているのかもしれなかった。
「……で、ひよりんは恋愛沙汰で悩んでいるわけだね?」
「はい。実は……」
そういうわけで私は、彼との馴れ初めとそれまでのこと、そして昨日の事を二人の先輩に話した。
二人とも、真剣に私の話を聞いてくれて……話すだけでも少し、気持ちが楽になったような気がした。
*
「で、ひよりんはどうしたいわけ?」
こうちゃん先輩は真剣な目つきで、私にその問いを投げかけた。シンプルな追求に、私はついたじろいちゃって……。
「ど、どうしたいって言われても……」
「両想いなわけでしょ? 拒絶されるかもって思ってるみたいだけど、もうあんなイラスト見られてるわけだし。
正直、ひよりんが心配性になっているだけだと思うんだけどね。いいじゃん、受け入れちゃえば。幸せになりなよ」
「か、簡単に言ってくれるっスけどね……」
「ひよりんはその男子のこと、好きなんでしょ?」
「す……好きっていうか……その……それに私、不器用だし、原稿と恋愛を両立させる自信がないっていうか」
「おうわー。ひよりんが赤くなっちゃってるヨ、かあーいーネー」
「真剣なんだから冷やかすなよ……原稿はいつでも描けるけど、この恋愛は今しか出来ないでしょ?」
私は赤面したまま俯いて、ロングヘアの毛先をくるくると指でいじる。好きと考えられても、口に出すことは恥ずかしい。
「しかし、ひよりんもやっぱり女の子だネ。人並みに恋をするんだ。オタクだって恋するんだヨ?」
「知ってるよ私にふるなよ」
「いつもはキスだってなんの躊躇いもなく描いちゃうひよりんがって考えると、ちょっと面白いネ」
「まあ、やるほうと描く方では全然違……」
「わ、私キスなんか描いてないっスよ!!!!!!」
「「……は?」」
私の突然の大声に、というかその大声の内容に、二人の先輩はそろえて素っ頓狂な声を出した。
「何を言ってるんだいひよりん。前の新刊、すっごい見開き使って濃密なキスシーンを」
「そ、そんな恥ずかしいもの描いてないっすよ! 何を言ってるんスか!! キ、キキ、キスだなんて!!」
「……じゃあ、こないだの夏コミのあれ。すっごいがっつりしたセクロスシーンが」
「ぎゃー!!! セッ、セクロ……! 泉先輩、いやらしいっスよ! エッチな台詞禁止っス!」
私は何かから逃げるように、鞄に頭をぶつけていた。二人の先輩は哀れむような顔で見ている。
「……こりゃ重症だね」
ガンガンと鞄に自慢のおでこをぶつける私。泉先輩はふうっと息を吐くと、
「ひよりんは不安でたまらないわけなんだよね。でもね、本気で恋してるなら、みんなそうなんだヨ?」
「へっ?」
泉先輩の急にまともな発言に、私は間抜けな声を出した。それでも、泉先輩のネコ口は変わらない。
「自分が本当に、恋愛感情で好きなのかもわからないって言ったけどさ。本当に好きじゃなきゃここまで考えないよ。
ただそばにいてほしい存在っていうのは色々あるけど、ここまで不安になっちゃうんならそれは恋愛感情で好きなんだよ。
だって、ゆーちゃんやみなみちゃんといるときだって、彼のことを考えるんでしょ? きっと今だってそうだろうし。
一緒にいて心地良い存在の二人より、ずっと相手のことを求めているんなら、もう言い訳できないくらい好きなんじゃん」
はっきりと『好きなんじゃん』と指摘されて、口篭もってしまった。人の気持ちをそんなあけっぴろげに……。
「誰だって、好きな人に嫌われたくないって思って当たり前だよ。好き好きって思う気持ちが強ければ強いほどネ。
だけど、本当に嫌われずにすむかどうかなんて付き合ってみなくちゃわからない。それは当たり前だよね。
ひよりんはそのチャンス、捨てちゃう? ただひとつ明らかなのは、『ひよりんは彼のことが好き』ってことだけなのに」
「わ、わかりましたから!」
私は泉先輩の言葉を制止した。そんなに何度も好き好き言われなくても、もう自分の気持ちには気付いてしまいましたって。
「……今日、頑張ってきますから。そのかわり、原稿は完成できなさそうですケド……」
泉先輩とこうちゃん先輩は、目を合わせるとお互いに向かって親指を立てる。実は仲良しだ、この。
こうちゃん先輩は真剣な目つきで、私にその問いを投げかけた。シンプルな追求に、私はついたじろいちゃって……。
「ど、どうしたいって言われても……」
「両想いなわけでしょ? 拒絶されるかもって思ってるみたいだけど、もうあんなイラスト見られてるわけだし。
正直、ひよりんが心配性になっているだけだと思うんだけどね。いいじゃん、受け入れちゃえば。幸せになりなよ」
「か、簡単に言ってくれるっスけどね……」
「ひよりんはその男子のこと、好きなんでしょ?」
「す……好きっていうか……その……それに私、不器用だし、原稿と恋愛を両立させる自信がないっていうか」
「おうわー。ひよりんが赤くなっちゃってるヨ、かあーいーネー」
「真剣なんだから冷やかすなよ……原稿はいつでも描けるけど、この恋愛は今しか出来ないでしょ?」
私は赤面したまま俯いて、ロングヘアの毛先をくるくると指でいじる。好きと考えられても、口に出すことは恥ずかしい。
「しかし、ひよりんもやっぱり女の子だネ。人並みに恋をするんだ。オタクだって恋するんだヨ?」
「知ってるよ私にふるなよ」
「いつもはキスだってなんの躊躇いもなく描いちゃうひよりんがって考えると、ちょっと面白いネ」
「まあ、やるほうと描く方では全然違……」
「わ、私キスなんか描いてないっスよ!!!!!!」
「「……は?」」
私の突然の大声に、というかその大声の内容に、二人の先輩はそろえて素っ頓狂な声を出した。
「何を言ってるんだいひよりん。前の新刊、すっごい見開き使って濃密なキスシーンを」
「そ、そんな恥ずかしいもの描いてないっすよ! 何を言ってるんスか!! キ、キキ、キスだなんて!!」
「……じゃあ、こないだの夏コミのあれ。すっごいがっつりしたセクロスシーンが」
「ぎゃー!!! セッ、セクロ……! 泉先輩、いやらしいっスよ! エッチな台詞禁止っス!」
私は何かから逃げるように、鞄に頭をぶつけていた。二人の先輩は哀れむような顔で見ている。
「……こりゃ重症だね」
ガンガンと鞄に自慢のおでこをぶつける私。泉先輩はふうっと息を吐くと、
「ひよりんは不安でたまらないわけなんだよね。でもね、本気で恋してるなら、みんなそうなんだヨ?」
「へっ?」
泉先輩の急にまともな発言に、私は間抜けな声を出した。それでも、泉先輩のネコ口は変わらない。
「自分が本当に、恋愛感情で好きなのかもわからないって言ったけどさ。本当に好きじゃなきゃここまで考えないよ。
ただそばにいてほしい存在っていうのは色々あるけど、ここまで不安になっちゃうんならそれは恋愛感情で好きなんだよ。
だって、ゆーちゃんやみなみちゃんといるときだって、彼のことを考えるんでしょ? きっと今だってそうだろうし。
一緒にいて心地良い存在の二人より、ずっと相手のことを求めているんなら、もう言い訳できないくらい好きなんじゃん」
はっきりと『好きなんじゃん』と指摘されて、口篭もってしまった。人の気持ちをそんなあけっぴろげに……。
「誰だって、好きな人に嫌われたくないって思って当たり前だよ。好き好きって思う気持ちが強ければ強いほどネ。
だけど、本当に嫌われずにすむかどうかなんて付き合ってみなくちゃわからない。それは当たり前だよね。
ひよりんはそのチャンス、捨てちゃう? ただひとつ明らかなのは、『ひよりんは彼のことが好き』ってことだけなのに」
「わ、わかりましたから!」
私は泉先輩の言葉を制止した。そんなに何度も好き好き言われなくても、もう自分の気持ちには気付いてしまいましたって。
「……今日、頑張ってきますから。そのかわり、原稿は完成できなさそうですケド……」
泉先輩とこうちゃん先輩は、目を合わせるとお互いに向かって親指を立てる。実は仲良しだ、この。
*
ホームルーム前の女子トイレで、私は鏡に映る自分と対決していた。
目の前に自分に、決意表明をするためだった。そうでもしないと、緊張でガタガタになってしまうんだけれど。
私は、彼をある場所に呼び出す予定だった。そこで、私の本当の気持ちを告白するつもりだった。
そして、彼の気持ちを喜んで受け入れる事を。携帯を取り出すと、メール入力画面を開いて文章を入力する。
『午後六時に、○○公園に来てください』
非常にシンプルなメールを恐る恐る彼に送る。メルアドを知ってはいたけれど、送ったことは数えるほどしかない。
送信完了の画面を確認すると、私は大きく息を吐いた。鏡に映る私は、大分疲れた顔をしている。
こんなんじゃダメ……いくらオタクとはいえ、女の子ならもっと可愛くしていなければ。
鞄を開くと、そこには二度と完成しないであろう原稿。女の子の鞄の中身なのに、なんとも色気がない……。
「あれ、これは……」
ふと、鞄の底にある小さなものに目が飛び込んだ。眼鏡ケースの陰に隠れて、しばらく見なかった小さなケース。
「これ、コンタクトだ……そうだ、目にゴミが入ってからずっとつけてないんだっけ」
それを手に取り、私は眼鏡を外して再び鏡を睨んだ。ぼんやりしてて、どんなものかは良くわからなかったんだけど。
眼鏡よりコンタクトにしたほうが、ちょっとは可愛く見えるかな? 彼は喜んでくれるかな? 眼鏡っ娘萌えとかじゃないよね?
彼の顔が脳裏をかすめて、私の胸がキュンと疼いた。漫画で何度も描いたとはいえ、我ながらベタなときめき方をしているもの。
(保健室にたしか、コンロがあったよね。お願いして、煮沸消毒させてもらおっと……)
やがて、私の携帯が震えた。この着信音は、彼からのメールだった。好きなアニメの主題歌であることはまだ教えていない。
『必ずくるから、待っててね』
メールを確認したあとの、鏡に映った私の顔は……殴りたくなるくらいニヤニヤしていて、自分でも恥ずかしかった。
(なんつーアホ面してるんスか……私って、こんなんだったんスねー……)
絵を描いているときも、こんなアホ面でニヤニヤしていたのかな……それを、彼はずっと見ていたってことで……。
『絵を描いてるときもそうだけど、田村さんは好きなことをしてるときの顔が一番かわ……イキイキしてるよ』
彼の言葉が思い出される。ということは私は、たとえメールでも彼と接しているときが楽しいということかい。
「めっちゃ……甘々っスね、私ってば」
そう言って、私は自分の口を抑えた。もうひとつ気をつけなければならないところを発見したからだった。
「『ス』はいけないっスね……うう、また言っちゃった。もっと可愛い言葉遣いにしなければ……」
こういうとき、私は自分の女の子としてのステイタスの低さを呪う。眼鏡で、おでこで、胸は小さくて、内に篭もりがちで。
高良先輩のようにスタイルがよかったら、パティみたいに元気なら、小早川さんみたいに可愛かったら……ちょっとヤバイか。
「あ、もうすぐホームルームっスね……もうすぐホームルームですわね……もうすぐホームルームだよお~☆」
正解がわからない。まあ、普通に喋ればいいだけだったんだけど。私は教室へと急いだ。
目の前に自分に、決意表明をするためだった。そうでもしないと、緊張でガタガタになってしまうんだけれど。
私は、彼をある場所に呼び出す予定だった。そこで、私の本当の気持ちを告白するつもりだった。
そして、彼の気持ちを喜んで受け入れる事を。携帯を取り出すと、メール入力画面を開いて文章を入力する。
『午後六時に、○○公園に来てください』
非常にシンプルなメールを恐る恐る彼に送る。メルアドを知ってはいたけれど、送ったことは数えるほどしかない。
送信完了の画面を確認すると、私は大きく息を吐いた。鏡に映る私は、大分疲れた顔をしている。
こんなんじゃダメ……いくらオタクとはいえ、女の子ならもっと可愛くしていなければ。
鞄を開くと、そこには二度と完成しないであろう原稿。女の子の鞄の中身なのに、なんとも色気がない……。
「あれ、これは……」
ふと、鞄の底にある小さなものに目が飛び込んだ。眼鏡ケースの陰に隠れて、しばらく見なかった小さなケース。
「これ、コンタクトだ……そうだ、目にゴミが入ってからずっとつけてないんだっけ」
それを手に取り、私は眼鏡を外して再び鏡を睨んだ。ぼんやりしてて、どんなものかは良くわからなかったんだけど。
眼鏡よりコンタクトにしたほうが、ちょっとは可愛く見えるかな? 彼は喜んでくれるかな? 眼鏡っ娘萌えとかじゃないよね?
彼の顔が脳裏をかすめて、私の胸がキュンと疼いた。漫画で何度も描いたとはいえ、我ながらベタなときめき方をしているもの。
(保健室にたしか、コンロがあったよね。お願いして、煮沸消毒させてもらおっと……)
やがて、私の携帯が震えた。この着信音は、彼からのメールだった。好きなアニメの主題歌であることはまだ教えていない。
『必ずくるから、待っててね』
メールを確認したあとの、鏡に映った私の顔は……殴りたくなるくらいニヤニヤしていて、自分でも恥ずかしかった。
(なんつーアホ面してるんスか……私って、こんなんだったんスねー……)
絵を描いているときも、こんなアホ面でニヤニヤしていたのかな……それを、彼はずっと見ていたってことで……。
『絵を描いてるときもそうだけど、田村さんは好きなことをしてるときの顔が一番かわ……イキイキしてるよ』
彼の言葉が思い出される。ということは私は、たとえメールでも彼と接しているときが楽しいということかい。
「めっちゃ……甘々っスね、私ってば」
そう言って、私は自分の口を抑えた。もうひとつ気をつけなければならないところを発見したからだった。
「『ス』はいけないっスね……うう、また言っちゃった。もっと可愛い言葉遣いにしなければ……」
こういうとき、私は自分の女の子としてのステイタスの低さを呪う。眼鏡で、おでこで、胸は小さくて、内に篭もりがちで。
高良先輩のようにスタイルがよかったら、パティみたいに元気なら、小早川さんみたいに可愛かったら……ちょっとヤバイか。
「あ、もうすぐホームルームっスね……もうすぐホームルームですわね……もうすぐホームルームだよお~☆」
正解がわからない。まあ、普通に喋ればいいだけだったんだけど。私は教室へと急いだ。
*
(うう……また始まっちゃった……)
よりによってホームルームのときに運悪く、私はまたもや生理にぶつかってしまった。
ホームルームの終了と同時にトイレに入り、それなりの処置もすませ、私は今再び教室に戻ろうとしていた。
時刻は午後五時。約束の時間までは一時間。まだ余裕で間に合う。それにしても、人の告白を目の前に始まらなくても……。
窓から軽く西日が差して、私はその光景にデジャヴを感じた。ああ、これは。
(彼と初めて話した日と一緒だ……)
違うとすれば、机の上にノートを忘れてこなかった事だった。あのときは本当に、焦りと羞恥で死ぬかと思った。
でも、あの忘れ物があったから彼と出会うことができたのだと考えたら、あの恥ずかしさは尊い犠牲だったと考えられるね。
「でさー、あれってめっちゃ臭いよな」
教室に入ろうとしてその声が聞こえた瞬間、私は以前のときのように背中を扉につけて隠れてしまった。
この声は……そうだ、こないだの問題児ども。私のノートを見て、好き勝手言ってた連中だ。
(あれ……私、隠れる必要どこにもないのに……)
それでも、教室からその声が漏れているというだけで、私の身体はあのときのショックを思い出して拒絶反応を起こす。
身体は動かない。それでもしっかりと聞き耳だけは立てる。別に私の話をするわけじゃないのに、それでも恐怖が蘇る。
「あーあー、めっちゃ臭いよな。臭い界のアカデミー賞だよな」
声を聞くと、教室には彼らしかいないように思えた。そういえば私はなぜ教室に入ろうとしたんだっけ。
ああ、忘れたプリントを机から取るためだったね。つまり、さっと教室に入って、さっと取って、さっと去ればいいんだね。
私は深呼吸をする。別に彼らのことが大嫌いというわけじゃないけれど、この感情はわかってほしいんです。
「あ、おーい。ちょっと待てよ」
「ん……何?」
一瞬動きかけた私の足が、ピタリと止まった。苦手な声の中に混じった、その声の主は……。
(嘘……あの人いるの!? でも、どうして……)
以前のあのときと同じ状況だった。教室には彼と苦手な男子達、ドアに背中をつけて聞き耳を立てる私。
元々彼はこの時間帯に帰る人間だった。いつも一緒に帰っていたんだから、わかっててもよかったんだけど……。
「お前にちょっと聞きたいことあったんだけどさ」
「何……今日はちょっと急いでるから、早めにね」
「わかってるって、時間は取らせないよ。お前さ、最近田村と仲良いよな?」
突然出てきた私の名前。息が詰まりそうになるのを感じた。
お願いだから、余計なことは言ってくれるな。お願いだから、彼に嫌われそうなことは言わないで。
「うん、仲良くさせてもらってるけど……それがどうかしたの?」
「いやー、仲良くさせてもらってるなんて次元じゃないだろ。ほとんど毎日一緒に帰ってるじゃん」
気付かれないようにしてきたつもりだったけど、バレバレだったんだ……それは彼らにだけ?
小早川さんや岩崎さんが知らないということは、クラス中には知られてはいないっていうことだけれど……。
「別にいいだろ……それがなんか関係あるの?」
「そんなにつっかかるなよ。誰も悪いだなんて言ってないんだから」
「じゃあ、もういいよね。帰るよ」
そうだ! こんな人達放っておいて、帰ったほうがいいっスよ! そんなことより私との約束っス!
「ちょっと待てって……なあ、お前田村のこと好きなの?」
「……」
こら、余計なこと聞くなっス! そんなこと言って、彼が馬鹿正直に答えてくれるわけないでしょうに。
そんなに知りたいなら教えてあげるケド、彼は私が大好きなんスよ! ざまあみろっス!
「なあ、どうなんだよ」
「うん、好きだよ。田村さんの事」
彼の言葉を聞いたとき、私の胸がドクンと高鳴り、腰が崩れそうになった。
また、そんな堂々と言わなくてもいいじゃないっスか。しかも人前で。嬉しいけれど、は、恥ずかしい……。
男子達から、冷やかすような嬌声が響く。そんな品のない行動で、彼を困らせないでほしいんだけど。
「うわーやっぱりかよ。お前もスキモノだな~」
「……何」
「いや、冗談だよ。でもよ、よく考えてみろよ。田村だぜ?」
「だから何が言いたいんだよ」
彼の声に怒気が込められる。いつも柔らかい口調で話す人だったから、それはとても意外な響きだった。
「言いたい事があるんなら、言えばいいだろ」
「ほら、田村ってさ、ちょっとオタク入ってんじゃん」
ちょっとどころじゃないんだけどね……もう何年も、肩までどっぷり浸かってるんだけど……。
本当に何が言いたいんだか。私のほうも少しイラついてきた。私のことを否定したい? またキモいって言う?
言いたいなら言えばいい。彼は、そんな私を受け入れてくれたんだから。何を言われても、今更痛くも痒くもない。
「それがどうかしたの?」
「お前知ってて付き合ってるんだよな? こないだノート見たときも、お前教室にいたもんな」
「……」
「考えてみろよ。いくら人の趣味に口を出しちゃいけないって言っても、アレはないんじゃないか?」
「別に……僕も田村さんも、何を好きになろうが自由だし」
「じゃあさ、お前こういうの知ってるか? ああいうのが好きな奴をいわゆる『腐女子』っていうらしいんだよ。
腐女子ってさ、クラスの男子でまでああいう妄想したりするんだぜ。酷いものだと、自分の恋人でするんだとよ」
おいおい、ちょっと待ってくださいっスよ……! いくら私でも、クラスの男子でそんな妄想なんかしないって!
そもそもクラスメートでそんな失礼な妄想を……そんな失礼な……し……失礼な……。
していた。私の頭によぎるのは、友達の小早川さんと岩崎さん。ああ、そういえば私は友達で妄想する女だった。
「……そんなどっからか適当に聞いたような眉唾な話、よく堂々と言えるよね」
「いや、本当なんだって。俺の姉ちゃんの友達が軽く腐女子入ってんだけど、もうそんな妄想がバリバリらしいぜ」
「だからって、田村さんがそうだとは限らないだろ」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! 弁明してくれるのは嬉しいけど、私はそういう女なんです……。
私は少なくとも彼を妄想の材料にしたことはなかった。別に自分からセーブしたわけじゃなくて、自然にしなかった。
でも、これから先もそうだと誓う事が、私にはできる? これからも、彼でよからぬ妄想をめぐらさないと自信が?
「でもさ~お前ってイケメンとは言わないまでも、顔は悪くない方だろ? 腐女子って、アニメとかだけじゃなくて、
芸能人とか、そのあたりも妄想の道具にしちゃうらしいし、田村がお前に近付いたのも割とその辺の考えがあるかもな」
こいつは何を言ってるんスか? 私がそんな理由で、彼に近付いたって? いや、そもそも近付いたのは私からじゃないし。
あんまり適当なことを言って、彼を惑わそうとしないで。ただでさえ私は、後ろめたい事が多い上で彼と一緒にいるんだから。
「……推測だけなら誰だって言えるよ。お前達に田村さんの何がわかるんだよ。僕は顔もそんなによくない」
彼の言葉が嬉しかった。最後まで私のことを信用してくれて、いつもの優しさを隠して怒ってくれている彼の言葉が。
「お前、田村には告白したの?」
「……したよ。返事はまだもらってないけど」
「それっておかしくないか? 毎日一緒に帰るような関係なのに、どうして田村はすぐにOK出さないんだよ」
「誰だって、急に告白なんかされたらすぐに返事なんてできないだろ」
「だって田村はみたところ、お前以外に男の影が見えないし、まああれじゃあ男ができそうな感じでもなさそうだけど、
それに男に耐性無さそうだし、ちょっと顔のいいお前とあれだけ仲良くなって、告白までされて、OK出さないかな?」
「今日返事を聞くんだ」
「たぶん絶望的だと思うぜ。だって、あれだけ男に縁遠い趣味の女がお前にすぐにOK出さないって、絶対別の目的があるよ」
「……」
あれ? なんで何も答えてくれないっスか? そいつの言ってることは単なる言いがかり、憶測なんですけど……。
「なあ、考え直した方がいいかもよ。俺はあんまりオススメしないなあ。オタクって何考えているかわかんないし。
まあ誰と付き合うかは個人の自由だけどさ。田村も案外、お前に告白されて困ってるかもしれないんだぜ」
「……」
お願いだから、何か言ってよ……私はそんなことを強く祈った。さっきまでのように、そいつの言う事を否定してよ。
そいつの言ってる事は全部でたらめなのに、なんで何も言い返してくれないんだろう。私は最悪の想像をせざるを得なかった。
ふと、向かいの教室の時計に目が移る。五時四十分。そろそろ公園に向かわないと、私の方が時間に間に合わなくなる。
(……私、信じてるから。貴方が私の事、信じてるって。絶対、公園に来てくれるって)
私はそっと扉から背を離すと、学校を出るべく校門へと向かった。半ば、その場から逃げるように。
よりによってホームルームのときに運悪く、私はまたもや生理にぶつかってしまった。
ホームルームの終了と同時にトイレに入り、それなりの処置もすませ、私は今再び教室に戻ろうとしていた。
時刻は午後五時。約束の時間までは一時間。まだ余裕で間に合う。それにしても、人の告白を目の前に始まらなくても……。
窓から軽く西日が差して、私はその光景にデジャヴを感じた。ああ、これは。
(彼と初めて話した日と一緒だ……)
違うとすれば、机の上にノートを忘れてこなかった事だった。あのときは本当に、焦りと羞恥で死ぬかと思った。
でも、あの忘れ物があったから彼と出会うことができたのだと考えたら、あの恥ずかしさは尊い犠牲だったと考えられるね。
「でさー、あれってめっちゃ臭いよな」
教室に入ろうとしてその声が聞こえた瞬間、私は以前のときのように背中を扉につけて隠れてしまった。
この声は……そうだ、こないだの問題児ども。私のノートを見て、好き勝手言ってた連中だ。
(あれ……私、隠れる必要どこにもないのに……)
それでも、教室からその声が漏れているというだけで、私の身体はあのときのショックを思い出して拒絶反応を起こす。
身体は動かない。それでもしっかりと聞き耳だけは立てる。別に私の話をするわけじゃないのに、それでも恐怖が蘇る。
「あーあー、めっちゃ臭いよな。臭い界のアカデミー賞だよな」
声を聞くと、教室には彼らしかいないように思えた。そういえば私はなぜ教室に入ろうとしたんだっけ。
ああ、忘れたプリントを机から取るためだったね。つまり、さっと教室に入って、さっと取って、さっと去ればいいんだね。
私は深呼吸をする。別に彼らのことが大嫌いというわけじゃないけれど、この感情はわかってほしいんです。
「あ、おーい。ちょっと待てよ」
「ん……何?」
一瞬動きかけた私の足が、ピタリと止まった。苦手な声の中に混じった、その声の主は……。
(嘘……あの人いるの!? でも、どうして……)
以前のあのときと同じ状況だった。教室には彼と苦手な男子達、ドアに背中をつけて聞き耳を立てる私。
元々彼はこの時間帯に帰る人間だった。いつも一緒に帰っていたんだから、わかっててもよかったんだけど……。
「お前にちょっと聞きたいことあったんだけどさ」
「何……今日はちょっと急いでるから、早めにね」
「わかってるって、時間は取らせないよ。お前さ、最近田村と仲良いよな?」
突然出てきた私の名前。息が詰まりそうになるのを感じた。
お願いだから、余計なことは言ってくれるな。お願いだから、彼に嫌われそうなことは言わないで。
「うん、仲良くさせてもらってるけど……それがどうかしたの?」
「いやー、仲良くさせてもらってるなんて次元じゃないだろ。ほとんど毎日一緒に帰ってるじゃん」
気付かれないようにしてきたつもりだったけど、バレバレだったんだ……それは彼らにだけ?
小早川さんや岩崎さんが知らないということは、クラス中には知られてはいないっていうことだけれど……。
「別にいいだろ……それがなんか関係あるの?」
「そんなにつっかかるなよ。誰も悪いだなんて言ってないんだから」
「じゃあ、もういいよね。帰るよ」
そうだ! こんな人達放っておいて、帰ったほうがいいっスよ! そんなことより私との約束っス!
「ちょっと待てって……なあ、お前田村のこと好きなの?」
「……」
こら、余計なこと聞くなっス! そんなこと言って、彼が馬鹿正直に答えてくれるわけないでしょうに。
そんなに知りたいなら教えてあげるケド、彼は私が大好きなんスよ! ざまあみろっス!
「なあ、どうなんだよ」
「うん、好きだよ。田村さんの事」
彼の言葉を聞いたとき、私の胸がドクンと高鳴り、腰が崩れそうになった。
また、そんな堂々と言わなくてもいいじゃないっスか。しかも人前で。嬉しいけれど、は、恥ずかしい……。
男子達から、冷やかすような嬌声が響く。そんな品のない行動で、彼を困らせないでほしいんだけど。
「うわーやっぱりかよ。お前もスキモノだな~」
「……何」
「いや、冗談だよ。でもよ、よく考えてみろよ。田村だぜ?」
「だから何が言いたいんだよ」
彼の声に怒気が込められる。いつも柔らかい口調で話す人だったから、それはとても意外な響きだった。
「言いたい事があるんなら、言えばいいだろ」
「ほら、田村ってさ、ちょっとオタク入ってんじゃん」
ちょっとどころじゃないんだけどね……もう何年も、肩までどっぷり浸かってるんだけど……。
本当に何が言いたいんだか。私のほうも少しイラついてきた。私のことを否定したい? またキモいって言う?
言いたいなら言えばいい。彼は、そんな私を受け入れてくれたんだから。何を言われても、今更痛くも痒くもない。
「それがどうかしたの?」
「お前知ってて付き合ってるんだよな? こないだノート見たときも、お前教室にいたもんな」
「……」
「考えてみろよ。いくら人の趣味に口を出しちゃいけないって言っても、アレはないんじゃないか?」
「別に……僕も田村さんも、何を好きになろうが自由だし」
「じゃあさ、お前こういうの知ってるか? ああいうのが好きな奴をいわゆる『腐女子』っていうらしいんだよ。
腐女子ってさ、クラスの男子でまでああいう妄想したりするんだぜ。酷いものだと、自分の恋人でするんだとよ」
おいおい、ちょっと待ってくださいっスよ……! いくら私でも、クラスの男子でそんな妄想なんかしないって!
そもそもクラスメートでそんな失礼な妄想を……そんな失礼な……し……失礼な……。
していた。私の頭によぎるのは、友達の小早川さんと岩崎さん。ああ、そういえば私は友達で妄想する女だった。
「……そんなどっからか適当に聞いたような眉唾な話、よく堂々と言えるよね」
「いや、本当なんだって。俺の姉ちゃんの友達が軽く腐女子入ってんだけど、もうそんな妄想がバリバリらしいぜ」
「だからって、田村さんがそうだとは限らないだろ」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……! 弁明してくれるのは嬉しいけど、私はそういう女なんです……。
私は少なくとも彼を妄想の材料にしたことはなかった。別に自分からセーブしたわけじゃなくて、自然にしなかった。
でも、これから先もそうだと誓う事が、私にはできる? これからも、彼でよからぬ妄想をめぐらさないと自信が?
「でもさ~お前ってイケメンとは言わないまでも、顔は悪くない方だろ? 腐女子って、アニメとかだけじゃなくて、
芸能人とか、そのあたりも妄想の道具にしちゃうらしいし、田村がお前に近付いたのも割とその辺の考えがあるかもな」
こいつは何を言ってるんスか? 私がそんな理由で、彼に近付いたって? いや、そもそも近付いたのは私からじゃないし。
あんまり適当なことを言って、彼を惑わそうとしないで。ただでさえ私は、後ろめたい事が多い上で彼と一緒にいるんだから。
「……推測だけなら誰だって言えるよ。お前達に田村さんの何がわかるんだよ。僕は顔もそんなによくない」
彼の言葉が嬉しかった。最後まで私のことを信用してくれて、いつもの優しさを隠して怒ってくれている彼の言葉が。
「お前、田村には告白したの?」
「……したよ。返事はまだもらってないけど」
「それっておかしくないか? 毎日一緒に帰るような関係なのに、どうして田村はすぐにOK出さないんだよ」
「誰だって、急に告白なんかされたらすぐに返事なんてできないだろ」
「だって田村はみたところ、お前以外に男の影が見えないし、まああれじゃあ男ができそうな感じでもなさそうだけど、
それに男に耐性無さそうだし、ちょっと顔のいいお前とあれだけ仲良くなって、告白までされて、OK出さないかな?」
「今日返事を聞くんだ」
「たぶん絶望的だと思うぜ。だって、あれだけ男に縁遠い趣味の女がお前にすぐにOK出さないって、絶対別の目的があるよ」
「……」
あれ? なんで何も答えてくれないっスか? そいつの言ってることは単なる言いがかり、憶測なんですけど……。
「なあ、考え直した方がいいかもよ。俺はあんまりオススメしないなあ。オタクって何考えているかわかんないし。
まあ誰と付き合うかは個人の自由だけどさ。田村も案外、お前に告白されて困ってるかもしれないんだぜ」
「……」
お願いだから、何か言ってよ……私はそんなことを強く祈った。さっきまでのように、そいつの言う事を否定してよ。
そいつの言ってる事は全部でたらめなのに、なんで何も言い返してくれないんだろう。私は最悪の想像をせざるを得なかった。
ふと、向かいの教室の時計に目が移る。五時四十分。そろそろ公園に向かわないと、私の方が時間に間に合わなくなる。
(……私、信じてるから。貴方が私の事、信じてるって。絶対、公園に来てくれるって)
私はそっと扉から背を離すと、学校を出るべく校門へと向かった。半ば、その場から逃げるように。
*
季節は冬に近付いていて、太陽が沈むともう肌寒い季節だった。私はコートを羽織ったまま、公園に佇んでいる。
六時五分。私も公園に到着したのが六時ギリギリだった。彼はあの人達に足止めされているから、もうちょっとかかる。
私は鞄から手鏡を取り出すと、髪型、コンタクト、初めて塗ったグロス、それらでルックスの最終確認を始めた。
コンタクト、彼は驚くかな。気付かれなかったらどうしよう。可愛いって言ってくれるかな。喜んでくれるといいけどね。
六時半。やっぱり寒いっスね。外はもう暗くなり始めて、私は鞄からグロスを取って、クリーム代わりに再度塗った。
ちょっと遅いね……あの人達、いつまで彼を足止めしてるんだろう。今ごろ、ここに向かって走ってきてるかな。
七時。外はすっかり暗くなって、目に見える民家の明かりはすべて灯りきっていた。公園の自販機で、コーヒーを買った。
(私、信じてるからね)
七時半。手袋を忘れていた事を後悔した。元々、夜以外では必要もなかったんだけど。私は冷えた手を擦り合わせる。
ふと、自分の指のペンだこに触れる。彼が勲章だと褒めてくれたペンだこ。それだけで少しだけ愛らしくなった。
それにしても遅い。彼の身になにか起こったのかな……メールを打って確認しようかな。『今どこにいるの?』って。
本当に、何かの事故に巻き込まれたからと思っている? 本当は彼が来ないかもしれないって思ってない?
いや、私が彼を信じなくてどうするんだろう。私は携帯をポケットにしまった。
八時。携帯のメールを確認する。私はたしかに、六時に公園でと送っているし、彼は確かに返信を送っている。
コンタクトだと目が乾いてしまう。私は眼鏡っ娘脱却を諦めて、コンタクトを外し眼鏡を再び装着した。
九時。我慢できずに、彼にメールを送った。九時半になっても、返信はこなかった。身体は芯まで冷えていた。
十時。母親からメールが入った。『すぐ帰るから、心配しないで』と送った。夜の公園は危険が多いとはいえ、ここはまだ安全。
十一時。コーヒーの缶が四本目に突入して、私は寒空に光る星に祈った。あの人は必ず来てくれる。
でも、もしこれないとしても、どうしてメールを返してくれないんだろう。もしかして、私のこと本当に……。
(お願いだから……お願いだから来て)
私の願いは叶わず、ついに時刻が十二時を回った。メールの返事は、ついに1通も返ってこなかった。
「あー……またフラレちゃったかあ……」
私は携帯をしまうと、砂場の砂を意味も無く蹴ってみたりした。肌はもう、冷風を浴びすぎてカサカサに乾いてる。
「やっぱり私に恋愛は向いてないんだねー。中学のときに気付いていたはずなんだけどねー」
公園を出ると、街灯のない家路はとても暗く、私は親を心配させぬべく、でもゆっくりと歩き始めた。
「このフラレ方は漫画のネタに活かせるっスね! 久しく描いてなかったから、百合ネタなんか最高っスよね。
寒空の下大好きな女の子を待ち続けて、身体中を冷やした少女。もう帰ろうとしたときに、相手登場!
そっと後ろから抱き締めて、『ごめんね、身体冷やしちゃったね』とか言って、それから、それから……」
私はずいぶんと大きな声で独り言を口にしていた。私以外誰もいない静かな道に、私の声だけが響く。
漫画のネタ? 彼のことを考えると、集中線の一本も引けないくらい集中力が切れるくせに。筆だって、満足に持てないくせに。
新刊だって、彼のことを思いすぎるあまり落としてしまったし。三日もあれば、全部描きなおすのも不可能じゃなかったのに。
漫画も彼も、私は最後までやりきることができなかった。声を殺して泣いたのは、きっとそれが悔しかったからに違いない。
六時五分。私も公園に到着したのが六時ギリギリだった。彼はあの人達に足止めされているから、もうちょっとかかる。
私は鞄から手鏡を取り出すと、髪型、コンタクト、初めて塗ったグロス、それらでルックスの最終確認を始めた。
コンタクト、彼は驚くかな。気付かれなかったらどうしよう。可愛いって言ってくれるかな。喜んでくれるといいけどね。
六時半。やっぱり寒いっスね。外はもう暗くなり始めて、私は鞄からグロスを取って、クリーム代わりに再度塗った。
ちょっと遅いね……あの人達、いつまで彼を足止めしてるんだろう。今ごろ、ここに向かって走ってきてるかな。
七時。外はすっかり暗くなって、目に見える民家の明かりはすべて灯りきっていた。公園の自販機で、コーヒーを買った。
(私、信じてるからね)
七時半。手袋を忘れていた事を後悔した。元々、夜以外では必要もなかったんだけど。私は冷えた手を擦り合わせる。
ふと、自分の指のペンだこに触れる。彼が勲章だと褒めてくれたペンだこ。それだけで少しだけ愛らしくなった。
それにしても遅い。彼の身になにか起こったのかな……メールを打って確認しようかな。『今どこにいるの?』って。
本当に、何かの事故に巻き込まれたからと思っている? 本当は彼が来ないかもしれないって思ってない?
いや、私が彼を信じなくてどうするんだろう。私は携帯をポケットにしまった。
八時。携帯のメールを確認する。私はたしかに、六時に公園でと送っているし、彼は確かに返信を送っている。
コンタクトだと目が乾いてしまう。私は眼鏡っ娘脱却を諦めて、コンタクトを外し眼鏡を再び装着した。
九時。我慢できずに、彼にメールを送った。九時半になっても、返信はこなかった。身体は芯まで冷えていた。
十時。母親からメールが入った。『すぐ帰るから、心配しないで』と送った。夜の公園は危険が多いとはいえ、ここはまだ安全。
十一時。コーヒーの缶が四本目に突入して、私は寒空に光る星に祈った。あの人は必ず来てくれる。
でも、もしこれないとしても、どうしてメールを返してくれないんだろう。もしかして、私のこと本当に……。
(お願いだから……お願いだから来て)
私の願いは叶わず、ついに時刻が十二時を回った。メールの返事は、ついに1通も返ってこなかった。
「あー……またフラレちゃったかあ……」
私は携帯をしまうと、砂場の砂を意味も無く蹴ってみたりした。肌はもう、冷風を浴びすぎてカサカサに乾いてる。
「やっぱり私に恋愛は向いてないんだねー。中学のときに気付いていたはずなんだけどねー」
公園を出ると、街灯のない家路はとても暗く、私は親を心配させぬべく、でもゆっくりと歩き始めた。
「このフラレ方は漫画のネタに活かせるっスね! 久しく描いてなかったから、百合ネタなんか最高っスよね。
寒空の下大好きな女の子を待ち続けて、身体中を冷やした少女。もう帰ろうとしたときに、相手登場!
そっと後ろから抱き締めて、『ごめんね、身体冷やしちゃったね』とか言って、それから、それから……」
私はずいぶんと大きな声で独り言を口にしていた。私以外誰もいない静かな道に、私の声だけが響く。
漫画のネタ? 彼のことを考えると、集中線の一本も引けないくらい集中力が切れるくせに。筆だって、満足に持てないくせに。
新刊だって、彼のことを思いすぎるあまり落としてしまったし。三日もあれば、全部描きなおすのも不可能じゃなかったのに。
漫画も彼も、私は最後までやりきることができなかった。声を殺して泣いたのは、きっとそれが悔しかったからに違いない。
恋するひより・後編に続く