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あなたがいるから

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だれでも歓迎! 編集
午後五時半になりました。陽は沈みかけて、差し込む西日が眩しいですね。
あ、私ですか? 私はこの学園で養護教諭を勤めている天原ふゆきといいます。
この時間になると保健室へと駆込む生徒の姿はほとんど見られなくなり、私はいつものように一人、日誌を書いています。
誰もこないということは、とてもすばらしい事です。さすがにこの時間に睡眠のためにベッドを借りに来る生徒はいません。
……生徒、はいないのです。
「おーす、ふゆきー」
その声と同時に、保健室を包んでいた静寂は壊されました。
「あら、桜庭先生。今日は職員会議はもう終わりですか?」
白衣をひらりと翻すと、桜庭先生は気だるげに頷いて、ポケットから取り出した煙草に火をつけました。
「ん。退屈だった」
「そうですか……あら、保健室は禁煙なんですよ?」
「まあ、そういうな。どうせもう生徒はこないんだろう?」
「部活で怪我をした生徒がくるかもしれないんです」
「若いうちは気合で治る、そんなもの」
煙草をくゆらせて白い煙を吐くと、桜庭先生は開け放した窓の外を怪訝そうに眺めていました。
光る眼鏡とそばかすに、真っ赤な西日が当たっています。運動なんて興味ない、といったことを考えているのでしょうか。
グラウンドで声を張り上げているのは野球部の生徒達ですね。保健室のお世話になる回数が最も多い部活です。
「ところで今日は宿直なんだ」
「あら、そうなんですか? 頑張ってくださいね」
「それでだな、ひとつ不安な点がある」
「なんですか?」
桜庭先生はまた大きく、天井にめがけてたくさんの煙を吐いたら、吸いかけの煙草を携帯灰皿に入れました。
「今日は少しばかり疲れててな、眠気がどうもおさまらないのだ」
「お疲れさまです。冷蔵庫に栄養ドリンクがありますよ? それともコーヒーをいれましょうか?」
「それはそれであとでもらう。しかし、今すぐ保健室を閉めるわけじゃないんだろう?」
「うふふ……言わなくてわかっていますよ?」
私の言葉を聞くと、桜庭先生は少し含んだようなしたり顔を見せました。
「桜庭先生のこのお願いは、一度や二度じゃありませんもの」
「それなら話が早い。ベッドをひとつ、借りるぞ」
「はいはい。時間になったら、起こしますね」
「助かる。ふゆきは理解があって助かるよ」
「きちんと『天原先生』って呼んでくださいね」
私の後ろで衣擦れの音がしています。皺にならないようにと桜庭先生が白衣を脱いでいる音ですね。
「最近寝つきが悪いのだが、保健室のベッドはなぜかよく眠れるんだ」
「疲れが溜まっているのでしょうか? 適度に息抜きをしたほうがいいんじゃないですか?」
「そうだな。ふゆきが添い寝でもしてくれれば気持ちよく寝られるかもしれないのだが」
「もう……そんなところまで面倒は見られませんよ?」
「よし、結婚してくれ」
「睡眠不足はストレスからもきている場合が多いんですよ。仕事でなにかあったんでしょうか」
「いや、これといったストレスはないな。案外、学校のほうがかえって安心するのかもな」
「桜庭先生がワーカホリックには見えませんが……」
「空気的というか、環境的にな。結婚してくれ」
「慢性的に眠れないというのもりっぱな体調不良です。保健室のほうがよく眠れるというのなら、いつでもお貸ししますよ」
「ベッドを借りるいい口実ができたな。まあ、ふゆきはそうでなくても貸してくれるだろうけどな」
「私も甘いですね。でも先生は特別ですからね?」
「わかってるよ。なあ、ふゆき」
「はい、なんでしょう」
「結婚してくれ」
桜庭先生が寝やすいように、ベッドのシーツを整えてあげました。
二本目の煙草を味わう桜庭先生は少しばかり目をうつろにしています。寝不足でも煙草は美味しいんでしょうか。
「まいった。灰皿がいっぱいだな……」
「私が捨てておきますので、そこに置いていてください」
「む、すまない」
携帯灰皿を机に置くと、倒れ込むようにしてベッドに潜り込む桜庭先生。本当にお疲れのようですね。
「一時間以上は寝られるはずです。私はここで日誌を書いていますので」
「ありがとう。結婚してくれ」
「では、おやすみなさい」
「……ああ、ようやくわかったよ」
「何がですか?」
「保健室だと安心してよく眠れる……理由が……」
「理由?」
「ふゆきが……そばに……いるからぁ……」
やがて、小さな寝息が聞こえてきました。毛布に包まった小さな身体が、規則正しく上下しています。
私が窓を閉めると、グラウンドからの喧騒は消えて室内に再び静寂が訪れました。
毛布から顔だけを出している桜庭先生に近付き、その寝顔の様子を確かめます。
寝付きが悪いと言っていましたが、子供のようによく寝ついています。寝心地はそれほどのものでしょうか。
「……また眼鏡をかけたまま、寝ちゃったんですね」
眼鏡をそっと外してあげると、少しだけむず痒そうに顔をしかめながら、再びいつもの寝顔に戻る桜庭先生。
(寝不足……ですか。桜庭先生、何があったんですか?)
ストレス? それともなにか体調不良の表れ……? 
私は養護教諭の知識をフル活動して、睡眠不全の原因と治療法を追求しました。出来る限り薬には頼りたくありません。
(ただでさえそんなに健康的な生活は送ってないのに……それが原因なのかしら……)
泥のように眠る桜庭先生の頭を撫でてあげると、むにゃむにゃという声を漏らしました。
『ふゆきが添い寝でもしてくれれば気持ちよく寝られるかもしれないのだが』
桜庭先生の言葉が私の頭によぎります。
(それでよく眠れるのなら、いつでも私はかまわないのですが……)
それにしても本当に、桜庭先生は心臓に悪い事をいうものです。今日は何度心臓が止まりそうになったことでしょうか。
この人は私の気持ちに気付いているのでしょうか? 冗談を冗談と受け取れないくらい、余裕の無い私の胸の内に。
(悪魔のような人ですね、本当に)
普段の言動からは想像も出来ないくらい、幼い寝顔。身体の大きさにはよく合ってはいるんですけれど。
(そ、それにしても……)
私は穴が空くのではないかというくらいに、桜庭先生の寝顔を凝視していました。
じゅるり、という音が聞こえます。というよりは、その音は私が発していたのですが……。
(本当に可愛い寝顔ですね……)
きっと私の顔は真っ赤になって、恍惚とした表情を浮かべていたことでしょう。とても人様には見せられないような……。
桜庭先生の天使のような寝顔を見る度に、私の心臓は爆発しそうなほどに踊ります。
誰にも言えません。桜庭先生の寝た後のベッドにこっそり潜り込んで残り香をかいだりしているなんて……。
時折毛布からはみ出る桜庭先生の生足を、息を荒くしながら見つめているなんて、とてもとても……。
気だるげに煙草の煙を吐き出す姿に、胸を射すくめられて動けずにいる。そんなこともあるんです。
携帯灰皿から吸い殻を取り出して、間接キスを楽しんでいることだってもちろん秘密です。
……どれもとても、桜庭先生に言える事ではありませんけれど。だって、冗談では済まされませんから。
(はあ……桜庭先生……好きです……)
昔から、桜庭先生に想いを寄せていました。もちろんそれを伝える事は決してありません。
そしておそらく、これから先もなのでしょうけれど……。
桜庭先生お得意の『結婚してくれ』なんて言葉も、全て冗談からでるものですから。
……わかっていても、ダメになりそうなくらい魅力的な響きなんですけどね。
(忍ぶ恋は苦しいものですよ? それも知らずにこんなに寝ちゃって)
胸の奥がぐっと苦しくなります。添い寝……そんなことは冗談で言い合えても、私は実はそれを求めていて。
でもどんなに冗談にできても、それを現実にすることは絶対にありえなくて。それは『結婚してくれ』も同じこと。
世界一残酷な冗談を言い合う私達。何気ない会話でも、私だけ気持ちは空しい方向にいったりきたりなんです。
(今のうちにこの寝顔を写真におさめようかしら)
そんなことを考えとていると、桜庭先生が急に寝返りを打って……私の白衣の袖をがっしりと掴みました。
「ひゃっ……!」
一瞬桜庭先生が起きたのかと思って、間抜けな声を出してしまう私。
……しかし、桜庭先生の瞼は固く閉じて、小さな寝息を立てたまま。それから口をむぐむぐと動かして……。
「ふゅ……ふゆきー……」
「は、はい。なんですか?」
「……けっこん、してくれー……」
「え、ええと……」
「……みゅう」
赤面して戸惑う私を横に、再び寝息。
(寝言、ですか……)
聞きなれた冗談でも、寝言で聞くとまた斬新で恥ずかしいものです。
罪な寝顔……私は心臓の高鳴りをなんとか制止して、今度は袖を掴んだままの桜庭先生の手に自分の手を重ねました。
(日誌書かないといけませんね……でも、離れたくない……)
時刻は六時。本来なら日誌を書き終わっている時間帯です。
ふと、その手のひらに桜庭先生の手の感触を感じているうちに、
(あっ……いけません……!)
私の中にぐるぐるとしたものが渦巻いて、それはやがて熱になり、身体の奥へと伝わっていきました。
残念なことに、私は……欲情してしまったみたいなのです。
(どうしましょう……さすがに、ここは学校ですし、桜庭先生がいますし……)
こうなってしまった時の解決策にはいつも、恥ずかしながら自分を慰めているわけなのですが……。
もちろんそれは桜庭先生がお相手、という失礼な妄想で、もちろん自分の部屋でしか行いません。
なのでいくら欲情したとはいえ、もう立派な社会人、それも女となると気を使わなければならないことなのですが……。
「すー……すー……ふゅ……」
眼前のその寝顔を見つめると、自制心がついに活動をやめてしまいました。獣欲のみが心を支配していきます。
(私のせいじゃありません……桜庭先生がいけないんですからね?)
私はずいぶんと身勝手な責任転嫁をすると、桜庭先生の温もりが残る手をそっと白衣の中に差し入れて……。
「……んっ……ふぅ……はあっ……」
静かだった保健室の室内には、途切れ途切れに私のみっともない声、荒い息が響いています。
(こんなところ、桜庭先生に知られたら、絶対に嫌われますね……)
そうは思っていても私は自分の欲望に抗う事ができずに、自分を慰め続けました。
桜庭先生、ごめんなさい―――そんなことを考えつつ、心とは裏腹の行為に耽ったままの私。
「くっ……すきです、桜庭先生……」
何を考えていたのでしょうか。桜庭先生に愛されたら、抱かれたら、キスされたら、触れられたら、そんなこと?
どれも明確にはわかりません。ただひとつ、桜庭先生への感情が、暴力的なまでに膨れ上がっているというだけです。
「き、気持ちいいです、先生……あっ、ううんっ……!」
異質な状況のせいでしょうか。自分でも驚くぐらいに溢れていて、桜庭先生への想いと比例するようにも思えて……
いつもよりも強い快感に溺れていた私は、桜庭先生が目の前にいることも忘れて、はしたない声を上げていました。
「ひぁ……もう、ダメですっ……あっ、ああ、んっ……!」
激しく身体を痙攣させると、いつもより何倍も早く、私は達してしまいました。
頭の中がぼやけて、身体の中の獣欲はするすると姿を消してゆき、荒い息を整えると、徐々に冴え渡っていきます。
(してしまいました……どうしましょう……)
大人の女としてのプライドが戻ってくると同時に、悲しみと空しさとでやりきれない気持ちになってしまいました。
桜庭先生は相変わらず、瞼を閉じたまま。小さな唇は、見た目からもわかるくらいの弾力を感じます。
すると……愛しい寝顔のはずなのに、私の中に怒りが込み上げてきました。それは次第に大きさを増していきます。
(安心して眠れる理由……私がいるから、そういいましたよね?)
答えてくれるわけでもないのに、私は桜庭先生にそっと質問を投げました。怒りは燃え滾ったままです。
(私を信頼してるから。私に全て任せているからなんですよね? 私に色々面倒を見させるのも、そうだからなんですよね?)
下唇を噛んで、桜庭先生を睨みつけます。ここまで怒りや敵意を込めた目を桜庭先生に向けるのは、きっと初めてでしょう。
ただでさえ私は怒ることが少ないつもりなのですが……ここまで大きな怒りを、まさか愛する人に向けているだなんて。
(それなのに、今もこんなに近くにいるのに。なぜあなたを手に入れられないんですか? 理不尽すぎると思いませんか?
 こんなの、耐えられるわけないじゃないですか。……なんで、私がいると安心するとか、そんなこと言うんですか?
 『結婚してくれ』なんて言うんですか!? 人の気持ちも知らないで、子供みたいに眠って、そんな桜庭先生なんかもう……)
涙腺が緩んでいくのを感じていました。それでも、あれだけ大きかった怒りが少しづつ諦めへと姿を変えていって……。
(……好きなんです……)
桜庭先生を包んでいる毛布をギュッと引っ張ると、私は涙が零れないようにぐっと顔をしかめていました。
この人が目が覚ましたときに、私の目が赤くなって心配されたら、申し訳無いですからね。
(もっとあなたに触れたいんです、桜庭先生。無理だとわかっていても)
桜庭先生の唇に視線が注がれ……少し前歯が見えます。私の胸は再び高鳴っていき、
(こんなに苦しい思いをしてるんですから……このくらい、かまいませんよね?)
私は身を起こすと、あおむけになっている桜庭先生に向かって顔をおろすと、かかりそうなロングヘアをかきあげて、
それからゆっくりと、愛する人の寝顔に向けて顔を近付けていきました。心臓はすでに、早鐘を打っています。
残り10センチ。私の唇はまるで、ファーストキスのように小さく震えて……。息も少し不規則に荒れていました。
(本当はもっときちんとした形で、あなたとこうしたかった……)
再び悲しみが私の中に込み上げてきました。今日は私にしては本当に、感情が忙しない日だと思います。
残り5センチ。残り3センチ。すでに桜庭先生の吐息が、私の唇に感じる距離まできました。残り1センチ。
……私は唇を触れさせる事無く、顔を離しました。立ち尽くしたまま、桜庭先生を見下ろしています。
(……これ以上、桜庭先生に嫌われるようなことも、自分を嫌いになることもできません)
桜庭先生の眠るベッドから離れると、私はテーブルの上の携帯灰皿に目を落としました。下着には違和感があります。
「……そんなに美味しいのでしょうか、煙草なんて」
私は煙草を吸えません。時折その匂いが気になることもありますが、桜庭先生の場合だと特に気にはなりません。
携帯灰皿から綺麗な吸い殻をひとつ取り出すと、それをそっと口にくわえました。二人の口紅のあとが残りました。
結局、また桜庭先生に嫌われそうな事をしてしまいました。常習なので、私はずいぶんと性質が悪いみたいです。
(やっぱり、変な匂いがしますね……)
「煙草は火をつけないとうまくないだろ」
「いえ、私にはどのみち味の良し悪しは……」
唇から離れた吸い殻が床に落ちたことも気にせず、私はその声に反応して、素早く後ろを振り返りました。
「おはよう、ふゆき。結婚してくれ」
「さっ、桜庭先生!? お、起きられたんですか?」
「いや、まだ眠いんだけどな」
「えと、これは……」
桜庭先生は寝ぼけまなこで頭をかいています。混乱した私は落ちている吸い殻を拾って……。
「す、すみません……煙草に少し興味がありまして」
「なら吸ってみるか? ……って、嘘つけ。煙を全く受け付けない身体のくせに」
「……ごっ、ごめんなさい。他意はないんですけれど」
「他意か。他意ね……」
私は笑顔をつくってみせたのですが、内心は心臓が張り裂けそうになっていました。間接キス狙いだと思われませんように。
「桜庭先生、まだ眠っていても大丈夫ですよ? 私、起こしますから」
「いや、寝れないだろう。横であんなことされちゃ」
「えっ?」
「びっくりしたぞ。ふゆきはああいうのに縁が遠いと思っていたからな」
心臓が止まったかと思いました。全身に冷たいものが走りぬけて、私は崖から突き落とされたような気持ちになり……。
あの痴態を桜庭先生に見られていた? あのあられもない姿を、聞かれたくなかった言葉を聞かれていた?
「あの……あ……桜庭先生」
「やっぱりあれはいただけないな。別に行為自体は構わないけど、お前ともあろうやつが時と場所を選ばないのはな」
そう言うと、桜庭先生は大きくため息をついて、私は頭を思いきり殴られたような衝撃を受けました。
終わりがきた。私と桜庭先生が歩んできた長い歳月は、育んできた関係は、全て私のミスで壊されたのです。
桜庭先生からの拒絶。呆れたような顔を私に送っていました。その奥にあるのは、きっと軽蔑と嫌悪。
「しかし、私のことが好きか。そうか、好きなんだな」
「さ、桜庭先生……」
「なるほど。だからこんなことをしちゃったわけなのか」
「……ご、ごめんなさい!」
もう生きていけない。愛する人から嫌われえしまえば、さすがにもう笑顔に戻る自信は無い。
何よりもこれからを考えると心がもたない。きっと桜庭先生はもう、冗談として受けとっていないはず。
いたたまれなくなった私は、その場から立ち去ろうとしました。桜庭先生を残すのも最低だとは思っていたのですが……。
「待て、ふゆき」
「私、学校やめます。だから」
「いいから、待て!」
桜庭先生の珍しい大声に、背を向けて走りかけていた私は足を止めました。
そのまま桜庭先生を振りかえらず、自分からは言葉を見つけられなくて、桜庭先生の言葉を待っていました。
「ふゆき……お前は告白をしておいて、返事も聞かずに帰る気か?」
「し、しかし桜庭先生……」
「つれないな。私とふゆきの仲だろう」
「だって、もう結果は見えているじゃないんですか?」
私は白衣を握って一生懸命に耐えていました。今の私には桜庭先生の声が、棘の付いた鞭のように効いています。
当の桜庭先生は何でもないとでも言いたげに、飄々と答えています。これが『結婚してくれ』を冗談にできる力……。
「それは違うな。生物の行動に、確実な結果が見えているなんてことは絶対にない」
「でも、いきなり告白されても、どうしようもないじゃないでしょう」
「いきなりじゃないな。ふゆきが私のことを好きだってことくらい、私はずっと前から気付いてたぞ」
「……!」
私は振りかえって、桜庭先生のほうを向き直りました。ベッドの上で桜庭先生は、なぜか得意げな顔をされています。
前から気付いていた……ということは今まで、自制心を効かせていた私の闘いは無駄だったということ。
「……いつからですか?」
「具体的な日にちは知らん。でも私は鈍感ではないからな。それにお前と何年一緒にいると思ってるんだ。
 ただ、寝顔凝視されたり、足を舐めるように見られたりっていうのは結構辛いぞ。私も一応女だからな。
 そういうことには割と注意してるんだよ。ていうか、お前も女ならなおさら自重すべきじゃなかったのか?
 そんな思春期の男子みたいなことしなくても……まあふゆきだから別にイヤってわけじゃなかったけどな」
私のしていたことは全部バレていたということでしょうか。だとしたら、私はすごく滑稽な存在でしょう。
それでも私には言い返す余地が十分あります。いいえ、桜庭先生を責める資格もあるということでした。
「だとしたら、酷過ぎます」
「何がだ?」
「私の気持ちを知っていて、『結婚してくれ』とか、そんな冗談を口にしていたんですよね? あんまりですよ。
 こんなに桜庭先生のことを好きなのに、そんな気持ちを弄ぶようなことばかり言って、今日だって……」
私の中で膨らむ怒りと悔しさ。またも涙腺が緩み、肩を震わせて桜庭先生に吠えていました。
桜庭先生は失敗したというように自分の頭をパチンと叩くと、姿勢を正してしずしずと私に向き直しました。
「それは謝る。きちんとお前の気持ちに対して言葉で答えられずに、結果としてお前を辱めた。それはすまない。
 しかし、言い訳をさせてくれ。私はお前とは長い付き合いだ。お前に好かれてイヤだったらイヤだと言えるし、
 それを隠してお前の気持ちを弄ぶなんてことは絶対にしない。ただ、私はこういうことに関して少し不器用なんだ」
ぺこりと頭を下げる桜庭先生。簡単な動作だったけれど、それだけで反省しているのだという事は十分に伝わってきました。
「私の答えも少しくらいはお前に伝わっていると過信しすぎていた。もうほとんどわかりあえているものだとばかり。
 だって、考えてもみてくれ。好かれてイヤだと思った相手に、甘えたり、寝顔を見させたり、足を見させたり、
 ましてや添い寝を頼んだり『結婚してくれ』なんて、さすがの私でも口にするわけがないだろう。わかるよな?
 不器用ですまないとは思う。でもこれだけは言っておく。私はお前を悲しませたりするのが一番イヤなんだぞ」
熱弁する桜庭先生。私はそれを聞いているうちに、自然と冷静さを取り戻す事ができました。
もしかしてこの人が言っていることは、私にとっては嬉しい事なのかもしれません。けれど……。
「私はそれをどう受け取ればいいんですか? もう、何を信じたらいいのかわからないんです」
「……すまないが、ちょっとこっち来てくれるか?」
桜庭先生の手招きに応えて、私はベッドへと向かいます。
ベッドの横に立った瞬間、強く腕をひっぱられ……私は桜庭先生に倒れ込むように、ベッドに横になっていました。
「さ、桜庭先生……?」
「ふゆき。これが答えじゃダメか?」
「ど、どういう、んっ」
気が付くと私の唇は桜庭先生に塞がれていて、ほのかに煙草の香りが鼻腔をくすぐりました。
横になったままの2~3分のキスが終わってようやく唇が離れたときには、私は桜庭先生に目を合わせることができずに。
「……これは、冗談じゃないんですよね?」
「当たり前だ。私は最初からずっと本気だったぞ。伝えるのが遅すぎたみたいだけどな」
「ちょっと下手すぎますよね」
「だからすまないって」
「……でも、女同士なんですよ」
「そんなこと、私とふゆきの間ならいまさらなんてことないと思っていたんだが」
今度は我慢しませんでした。喜びが胸に溢れるのを感じて、私は少しばかりの涙を零しました。
桜庭先生はそんな私への対応に少しばかり困ったみたいでしたが、すぐにその涙を拭ってくれました。
「なんで私が寝不足になったか、知ってるか?」
「……いえ」 
「ふゆきがいるから眠れるってことは、ふゆきがいないから眠れないんだ。さっきも言ったが、私も曲りなりに女だ。
 寂しくて寝れない日もあるんだぞ? 好きな相手を想う日には、特にな。ふゆきならこんな気持ちわかるだろう?」
「眠れないのは……私のせいですか?」
「まあ、そうなるんじゃないのか?」
「……そんなこと言われても、面倒見切れないかもしれません」
「ぶつくさ言わず、私の睡眠不足を治してくれるな? 養護教諭だろう?」
「……それは、養護教諭としてですか?」
「……いや、違ったな。とにかく、治してもらわないと困る」
すると桜庭先生はまるで母親に甘える幼い子のように、私の胸に顔を埋めてきました。私はその頭をそっと抱き締めます。
どうやらこんなところでも私達は、世話をする者とされる者に別れてしまっているようです。でもそれで構いません。
今はお互いにようやく、求め合う事が出来ました。桜庭先生の小さな身体はやっぱりちょっと暖かくて、煙草臭くて。
「……好きです。大好きなんです、桜庭先生」
「ああ、私もだな。ふゆきのことが好きだ」
「本当は天原先生なんかじゃなくて、ふゆきって呼んでもらいたいんです」
「ああ、だからずっと呼んでる」
「結婚してください、桜庭先生」
「ああ、しよう。それよりもふゆき、私のことは『ひかる』と呼べ」
「……全部いつもと逆ですね」
「ああ、逆だな。こうしてるとやっぱり、ふゆきのそばは一番安心するな。これでよく眠れる」
「私のほうが、寝不足になりそうですよ?」
「今は寝よう。起きたときに、全部始めればいい」
白衣が皺になってしまう……それに桜庭先生は宿直なのに、誰が起こさないといけないんでしょうか。
そんなことを考える余裕はありませんでした。私達は寄り添って、互いの温もりを確かめあってます。
起きたらコーヒーをいれましょう。桜庭先生は煙草を吸うから、目覚めのコーヒーがちょうどいいかもしれませんね。
今だけは桜庭先生って呼んでしまいますね。二人きりのときにそう呼ぶのは、これがもう最後になりそうですし。
目が覚めたときには何もかも変わっている世界。今日は幸せな夢が見れそうですけど、どうか夢ではありませんように。






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  • なんか、凄く良い作品!話がわかりやすい
    し、す〜っと頭に入り込んできますね! -- チャムチロ (2012-09-19 21:35:43)
  • 夢を見てるみたいなお話で。 -- 名無しさん (2008-02-22 10:50:08)
  • 日常のなかに、幸せは案外転がっていたりするのだなあ。。
    -- 名無しさん (2008-02-07 02:41:19)

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