受験シーズン、花粉症、開花予報……。
またこの季節がやってきた。
そんな春を思わせる単語がニュースを彩るたび、その淡い色調の画面とは裏腹に、私の胸には暗く
重苦しいものが去来する。疼くような痛みが胃の下あたりから湧いてきて、その波に合わせるように
いつかの自分がフラッシュバックする。
またこの季節がやってきた。
そんな春を思わせる単語がニュースを彩るたび、その淡い色調の画面とは裏腹に、私の胸には暗く
重苦しいものが去来する。疼くような痛みが胃の下あたりから湧いてきて、その波に合わせるように
いつかの自分がフラッシュバックする。
桜の木の下にいる私。
みんなと出会った私。
卒業証書を抱える私。
みんなと別れた私。
みんなと出会った私。
卒業証書を抱える私。
みんなと別れた私。
交互に現れては消えるそれに、否応なく現在の私は比較されてしまう。
それが嫌だった。
それが嫌だった。
春色、灰色、桜色、鼠色。
そのうち、奥底に眠る記憶まで色を失いそうになるのがわかって、慌ててテレビを消してベランダ
へ飛び出した。闇のなかに体を紛らせてしまいたかったからかもしれない。この輪郭が消えさえすれ
ば、こんな惨めな私も消えてしまえるような気がして。
けれど、私はどこにいても私でしかない。それは何度も確認したことだったはずだ。
へ飛び出した。闇のなかに体を紛らせてしまいたかったからかもしれない。この輪郭が消えさえすれ
ば、こんな惨めな私も消えてしまえるような気がして。
けれど、私はどこにいても私でしかない。それは何度も確認したことだったはずだ。
見上げる空には星一つなくて、それがかえって心を落ち着かせてくれた。
気安めの光ほど残酷なものはないのだから。
気安めの光ほど残酷なものはないのだから。
―――――――――――――
鏡面界 - 1
the plateaux of mirror
―――――――――――――
ありがたいのは、まだこの季節の夜風が肌寒いことだ。
おかげで、涙が溢れるまえに我に返ることができる。暖かい部屋に戻って、温かいご飯を食べて、
笑いの絶えないテレビと向き合うことができる。
おかげで、涙が溢れるまえに我に返ることができる。暖かい部屋に戻って、温かいご飯を食べて、
笑いの絶えないテレビと向き合うことができる。
1DKの洋室は小さなヒーターでもすぐに暖まるからいい。余計なガス代も電気代も必要ないから経
済的だし、環境にもやさしい。立ち上がればすぐにユニットバスまで辿り着けるのも嬉しかった。冬
の夜中にトイレに行きたくなっても、ぎりぎりまで毛布にくるまっていられる。無駄に広くないおか
げで、大事なものをなくしてしまう心配もない。いいことずくめだ。
3割引のシールが貼られ、さらにそのうえから半額シールが貼られた惣菜は、どれもメリハリの利
いた味つけで、いつも同じ味なのが素晴らしい。量も一定だし、カロリー表示もしっかりついている
から、自分で作るよりも健康の管理をしやすい。焼きそばにのった紅生姜は、愛用の口紅よりもずっ
と鮮やかな赤をしていてきれいだ。中華サラダのドレッシングだって、ムラのない見事な濃さに仕上
がっている。食後のデザートにいたっては選り取り見取りで、そりゃあ、つかさの手作りには見劣り
するけれど、万人向けの安定した味であるのは間違いない。
テレビのなかの人たちは、みんなけらけらと楽しそうだ。あの人たちを見ていると自然と口もとが
弛んだ。一緒に笑っていると、心が落ち着く。大したことのない話でも面白おかしく話してくれると、
落ち込んでいても元気になれる。
済的だし、環境にもやさしい。立ち上がればすぐにユニットバスまで辿り着けるのも嬉しかった。冬
の夜中にトイレに行きたくなっても、ぎりぎりまで毛布にくるまっていられる。無駄に広くないおか
げで、大事なものをなくしてしまう心配もない。いいことずくめだ。
3割引のシールが貼られ、さらにそのうえから半額シールが貼られた惣菜は、どれもメリハリの利
いた味つけで、いつも同じ味なのが素晴らしい。量も一定だし、カロリー表示もしっかりついている
から、自分で作るよりも健康の管理をしやすい。焼きそばにのった紅生姜は、愛用の口紅よりもずっ
と鮮やかな赤をしていてきれいだ。中華サラダのドレッシングだって、ムラのない見事な濃さに仕上
がっている。食後のデザートにいたっては選り取り見取りで、そりゃあ、つかさの手作りには見劣り
するけれど、万人向けの安定した味であるのは間違いない。
テレビのなかの人たちは、みんなけらけらと楽しそうだ。あの人たちを見ていると自然と口もとが
弛んだ。一緒に笑っていると、心が落ち着く。大したことのない話でも面白おかしく話してくれると、
落ち込んでいても元気になれる。
私は元気だ。一人でも楽しく暮らしているのだ。
それなのに、どうしてこんなに体が震えるのだろう。
それなのに、どうしてこんなに料理はしょっぱいのだろう。
それなのに、どうして口もとしか笑っていないのだろう。
それなのに、どうしてこんなに料理はしょっぱいのだろう。
それなのに、どうして口もとしか笑っていないのだろう。
その理由はもちろんわかっている。けれど、その答えを心の奥底から引き摺り出してきてはいけな
い。
だって、これは自分で決めたことなのだ。
い。
だって、これは自分で決めたことなのだ。
あの賑やかな家を出てから、私は家族の誰とも会っていない。両親にも、二人の姉にも、そして、
ずっと一緒に育ってきた双子の妹にも。
もちろん縁を切ったわけじゃない。そんな勇気はないし、そうする必要もない。電話やメールは
しょっちゅう来る。その都度、当たり障りのない範囲で返事を出す。本音は厳重に包み隠して、胸の
引き出しにしまい込んでおくのだ。そうしないと甘えてしまう。
だって、心配をかけたくはないじゃないか。
だから、
「たまにはさ、ご飯作りにいこうか?」
という、つかさからの連絡も毎回断っている。あの味は恋しいけれど、今は早い。
ずっと一緒に育ってきた双子の妹にも。
もちろん縁を切ったわけじゃない。そんな勇気はないし、そうする必要もない。電話やメールは
しょっちゅう来る。その都度、当たり障りのない範囲で返事を出す。本音は厳重に包み隠して、胸の
引き出しにしまい込んでおくのだ。そうしないと甘えてしまう。
だって、心配をかけたくはないじゃないか。
だから、
「たまにはさ、ご飯作りにいこうか?」
という、つかさからの連絡も毎回断っている。あの味は恋しいけれど、今は早い。
私は元気だし、おいしいご飯を食べているし、それなりに楽しく暮らしている。
そこに嘘はないのだ。
ただ、自分自身をも騙しているだけかもしれない、とは思う。
けれど、だとして、なにがいけないのだろう?
自分を騙せるだけの演技力があれば立派だと思う。他人を騙すよりも、自分自身に嘘をつくほうが
よっぽど大変だ。少なくとも私の場合は。
そこに嘘はないのだ。
ただ、自分自身をも騙しているだけかもしれない、とは思う。
けれど、だとして、なにがいけないのだろう?
自分を騙せるだけの演技力があれば立派だと思う。他人を騙すよりも、自分自身に嘘をつくほうが
よっぽど大変だ。少なくとも私の場合は。
だから、自分に正直になるために、私は一つだけ家族に嘘をついている。
毎日ちゃんと会社に通っている、という嘘を。
こんな嘘は遅かれ早かれ露見すると思う。隠し通せると思うほど幼稚ではない。それぐらいはわ
かっているつもりだ。だいいち、隠し通そうとも思っていない。
ただ、ほんの少しだけ勇気が足りないだけなのだ。
すべてがうまくいったら、すべてを打ち明けようと思う。だからこそ今はもっと頑張らなきゃいけ
ない。
かっているつもりだ。だいいち、隠し通そうとも思っていない。
ただ、ほんの少しだけ勇気が足りないだけなのだ。
すべてがうまくいったら、すべてを打ち明けようと思う。だからこそ今はもっと頑張らなきゃいけ
ない。
「そう、自分で決めたことなのよ」
改めて言葉にしてみると、すべきことが明確になる気がする。
もはや単なるプラスチック製のごみとなってしまった容器はさっさと片付け、テレビも消し、私は
机に向かう。対峙するのは分厚い参考書と問題集。その隣には、愛用のマグカップにミルクティーを準備して
もはや単なるプラスチック製のごみとなってしまった容器はさっさと片付け、テレビも消し、私は
机に向かう。対峙するのは分厚い参考書と問題集。その隣には、愛用のマグカップにミルクティーを準備して
大学に入るまでの勉強だって、自分のためであったことに疑いはない。でも、それと今回のとは決
定的になにかが違う気がする。
三年前、大学を卒業すると同時に、私は東京に出てきて一人暮らしをはじめた。就職の決まった会
社が近かったからというのが理由だった。当時は本当にそれだけだった。
けれど結果的には、その選択が大きな影響をもたらしたのだろう。
こうして一人で暮らしてみなかったら、私は自分を見つめ直すことなんてできなかっただろうから。
定的になにかが違う気がする。
三年前、大学を卒業すると同時に、私は東京に出てきて一人暮らしをはじめた。就職の決まった会
社が近かったからというのが理由だった。当時は本当にそれだけだった。
けれど結果的には、その選択が大きな影響をもたらしたのだろう。
こうして一人で暮らしてみなかったら、私は自分を見つめ直すことなんてできなかっただろうから。
――でも、
実家で過ごした最後の夜のことは、瞼を閉じれば昨日のことのように思い出せる。
それは、楽しかった、美しかった、輝いていた私たちの、最後の記憶。
こなたとみゆきがやって来て、盛大な送別パーティーを開いてくれた。つかさと一緒になって作っ
た豪勢な料理やらケーキやらを次々と、まるで魔法のランプでもこすったかのように出してきてくれ
て。
でもそこは私たちだから、やっぱり全然しんみりとした空気にはならなくて、いつもの調子でから
かわれたり突っ込んだりを繰り返して、そうして朝までを延々と語り明かした。
最後のころには、つかさなんて私にべったりと寄り添っちゃって、それに負けじと反対の腕に縋り
つくこなたがいて、そんな光景をいつもの穏やかな笑みを湛えて見守るみゆきがいて――
それは、楽しかった、美しかった、輝いていた私たちの、最後の記憶。
こなたとみゆきがやって来て、盛大な送別パーティーを開いてくれた。つかさと一緒になって作っ
た豪勢な料理やらケーキやらを次々と、まるで魔法のランプでもこすったかのように出してきてくれ
て。
でもそこは私たちだから、やっぱり全然しんみりとした空気にはならなくて、いつもの調子でから
かわれたり突っ込んだりを繰り返して、そうして朝までを延々と語り明かした。
最後のころには、つかさなんて私にべったりと寄り添っちゃって、それに負けじと反対の腕に縋り
つくこなたがいて、そんな光景をいつもの穏やかな笑みを湛えて見守るみゆきがいて――
……いけないいけない、目のまえのことに集中しないと。
今の私があんな光景を思い出してはいけない。みんなを懐かしがってはいけない。
まだ、みんなに会う資格なんてないんだ。
こんな惨めで無様な私が、どの面下げて出向いていくというのだろう。
まだ、みんなに会う資格なんてないんだ。
こんな惨めで無様な私が、どの面下げて出向いていくというのだろう。
この三年間、こなたともみゆきとも、ろくに連絡をとらなかった。集まろうよと誘われても、忙し
いからと断った。
実際に忙しいというのも嘘ではなかった。会社勤めをしていたころは暇らしい暇なんてどこにも存
在しなかったのだ。
そして、時間ができたら会いたいなと思っているうちに、私は会えなくなってしまった。
結局、交友らしい交友は互いの誕生日におめでとうメールを送りあった程度。
いからと断った。
実際に忙しいというのも嘘ではなかった。会社勤めをしていたころは暇らしい暇なんてどこにも存
在しなかったのだ。
そして、時間ができたら会いたいなと思っているうちに、私は会えなくなってしまった。
結局、交友らしい交友は互いの誕生日におめでとうメールを送りあった程度。
恥ずかしくない自分になるために、もっと勉強しなくちゃいけないんだ。
勉強しなきゃ。勉強しなきゃ。勉強し……
勉強しなきゃ。勉強しなきゃ。勉強し……
◇
しまった、と思ったときはもう手遅れで、瞼の隙間から入り込むのは眩い朝の陽差しだけだった。 黄金に
輝く光の筋は、まるで私を詰っているかのようで、思わず睨み返してしまう。
溜め息が出た。
あれだけ頑張ろうと誓ったのに、またほとんど進まなかったではないか。
この一週間でどれだけ進んだろう? せいぜい3ページといったところだろうか。
道のりは険しいというにもあまりにも険しすぎる。Tシャツ1枚で雪山登山に挑戦するぐらい無謀だ。
こんな調子じゃいけない、そうわかってはいるのに。
溜め息が出た。
あれだけ頑張ろうと誓ったのに、またほとんど進まなかったではないか。
この一週間でどれだけ進んだろう? せいぜい3ページといったところだろうか。
道のりは険しいというにもあまりにも険しすぎる。Tシャツ1枚で雪山登山に挑戦するぐらい無謀だ。
こんな調子じゃいけない、そうわかってはいるのに。
さすがに朝から晩までアルバイトをしたあとに勉強をするというのは、体力的に厳しいものがあっ
た。少しでも勉強時間を作るためにと会社を辞めたのに、なんとも皮肉なものだ。
我ながら、自分の見通しの悪さに愕然とする。
もう少し想像力があれば、こんな状況は容易に想像できたはずじゃないか。
た。少しでも勉強時間を作るためにと会社を辞めたのに、なんとも皮肉なものだ。
我ながら、自分の見通しの悪さに愕然とする。
もう少し想像力があれば、こんな状況は容易に想像できたはずじゃないか。
だけれど、これも自分で決めたこと。
それを全うできないということは、まだまだ覚悟が甘いのだ。
それを全うできないということは、まだまだ覚悟が甘いのだ。
それからしばらく一人で反省会をしようかとも思った。けれど、そんなことをしてもただの自己嫌
悪で終わってしまうに違いない。
それならばと、私はシャワーを浴びることにした。
悪で終わってしまうに違いない。
それならばと、私はシャワーを浴びることにした。
ユニットバスへ向かうまえに、マグカップの中身を一気に飲み干した。とっくに冷たくなっていた
ミルクティーは、やけに甘さが控えめに感じられた。食道を伝っていくひんやりとした液体の感覚が、
少しだけ冷静さを取り戻させてくれた。
ミルクティーは、やけに甘さが控えめに感じられた。食道を伝っていくひんやりとした液体の感覚が、
少しだけ冷静さを取り戻させてくれた。
目論見どおり、起き抜けのシャワーは、眠気も寝汗も苛立ちさえもなにもかもを吹き飛ばしてくれ
た。これでどうにか一日を生き抜くことができる。この三年間、私はずっとこうしてきた。
そして誓うのだ。
今日こそは大丈夫! ちゃんとやらなきゃならないことをやれるはず!
と。
た。これでどうにか一日を生き抜くことができる。この三年間、私はずっとこうしてきた。
そして誓うのだ。
今日こそは大丈夫! ちゃんとやらなきゃならないことをやれるはず!
と。
ただ、少し上機嫌になりすぎていたのかもしれない。
髪を乾かしているときに鳴らされたインターフォンに、迷いもなく出てしまったのだ。
鼻唄なんか歌いながら。もしかしたらスキップしていたかもしれない。
鼻唄なんか歌いながら。もしかしたらスキップしていたかもしれない。
ドアを開けると、そこには私と同じ色の髪をした子――つかさがいた。
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- かがみん、ツラカワイイ -- 名無しさん (2008-03-02 22:44:56)