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あたらしい人

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Beautiful World 8章/WISHより続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

§19

「なんじゃあこりゃあ!」
 法正大学一ヶ谷キャンパスの中庭は、戦場だった。
 思わずつかさのネタをパクってしまうくらい、戦場だった。
 都会のど真ん中にあるという便利さと引き替えにするように、このキャンパスは狭い。門から入って奥の方に五十五年館と五十八年館っていうメイン校舎があって、その並びには図書館がある八十年館や、このキャンパスの象徴とも云える巨大な高層ビルが建っている。門と建物の間は中庭になっているけれど、その面積といったら慶央日良キャンパスと比べたら猫の額ほどの大きさだった。そうして陵桜の前庭の方がまだ広いくらいのその庭が、このキャンパスで唯一取られている空に拓けた空間だ。
 そこに、びっしりと人が群れている。
 人、人、人、人、人の群れ。
 そこかしこから「なんちゃらに入りませんか!?」とか「大学生活を満喫するにはうちに入るしかないっ!」とかいう必死な叫び声が聞こえてきて、ぎゃーぎゃーわんわんとやかましい。見ていると、みんな通りがかりの人に突撃してはビラを無理矢理押しつけているようだった。一人の新入生にわっと集まってくるその様子は、なんだかジョジョ第三部で出てきたインドの物乞いみたいだってわたしは思った。
「……凄いわね。これが噂のサークル勧誘合戦……」
「うむむ、これはコミケ三日目に匹敵するねー」
「あ、こなたさんはコミケとか行く人なのね」
「そりゃねー。オタクにとって必須講義みたいなもんだもん。全員出席がデフォですよっ!」
 そんな雑談を始めたわたしたちに、校門付近にいる勧誘員たちがちらちらと視線を向けていた。声をかけてこないところから見ると、どうやら校門から外には出ないのがルールらしい。それに気がついた新入生たちが、今もわたしたちみたいに様子をうかがいながら敷地の外で待機していた。
 なぜそれが新入生だとわかるかと云えば、勿論スーツを着ているからに他ならない。
「むぅ、この格好じゃ不利だねぇ。動きづらい上、新入生だって一目瞭然だしさ」
「ふふ、私の格好だったらあんまり声かけてくる人もいないかも」
 結城さんはそう云うと、悪戯っぽく笑いながら垂れ下がったレースを人差し指でピンと弾いた。確かに見ていると、勧誘員は柔道着とか野球のユニフォームとか、どんなサークルかわかりやすいような格好をしている。もしかしたら結城さんも勧誘側だと思われるかもしれない。
 どんなサークルの勧誘員が、結城さんみたいにクラシカルな喪服を着ているのかは全然わからないけれど。

『今日は私の少女時代が終わる日だから。少女だった私を悼んで喪服なの』
 結城さんは、目をにゅっと細めてそう云った。武道館から外に出て、アメフト部の拍手に包まれながら田易門を潜った頃のことだった。
 武道館から一ヶ谷キャンパスまでは、歩いて十五分くらい。
 その間、わたしたちは色々なことを話した。
 学部のこと、出身校のこと、好きなこと嫌いなこと、お互いの趣味のこと。
 きっと奇妙な二人連れに見えたかなってわたしは思う。武道館からキャンパスに向かうスーツの群れの中、やたらとちびっこい女の子とむやみに時代がかったドレスの二人組。それは多分人目を引く光景だっただろうと思うけれど、でも喋っていると楽しくて、誰かの視線なんて全然気にならなかった。
 それは、もしかしたらわたしが慣れてきたからかもしれない。
 春先からずっと色々あって、わたしは自分自身が人と違うことを受け入れないといけなくなってきた。それだけじゃなくて、これから先もわたしがわたしとして生きていくためには、そういうわたしを他人にも認めてもらわないといけないんだってわかってきた。
 だからいい加減わたしも、少しくらい目立ってもだからなんだって思えるようになったんだ。
 ――それに。
 その目立っている結城さんが、ぴんと背筋を伸ばして堂々としてたから。そんなことで視線を気にするなんて、こんなに可愛い結城さんに失礼だってわたしには思えた。
『赤毛のアンが好きなの。でも一番有名な村岡花子の訳には色々と変なところもあるらしくって、それで自分でも調べてみたいと思ったのが切っ掛けかな?』
 結城さんは、英文学科に入った動機をそう話してくれた。流石に赤毛のアンなんて、小説はおろか世界名作劇場のアニメすら見てないからわからない。結城さんが云うには、その人の訳ではよく出てくる植物の名前が変なことになっていたり、省略された部分が結構あったりするらしい。
『今のはクラシカルロリィタ――クラロリだけど、普段は白も黒も着るのよ。でも面白いのよね。別に演技しているつもりでもないんだけれど、どうしても着る服で性格がちょっと変わっちゃうの。黒のときは意地悪になるし、白い時は可愛くなっちゃうのよね』
 ちなみに白ロリのときには煙草も吸いたくなくなるらしい。確かにフリフリのロリィタが煙草なんて吸ってたらちょっとイメージが違うから、もしかしたらそういうところも含めてファッションなのかなってわたしは思った。
『寂しくなった口を慰めるために、チュッパチャプスも持ち歩いてるのよ』
 そう云って、結城さんは笑った。だからわたしたちは、結城さんがバッグから取り出したチュッパチャプスを舐めながら二人で歩いた。
 ――わたしも、色々なことを話した。
 通っていた陵桜のこと。さっきいたのがお父さんで、お母さんはもういないってこと。重度のオタクだってこと。文学部の心理学科に入ったってこと。
 ――彼女がいるってことは、云ってない。
 わたしが女の子しか好きになれない人間で、二次だけじゃなくて三次の女の子にも萌えまくりで、なのに性的な興味はまるで持てないってことは云ってない。でもそれは、教えたくなかったってことじゃない。単純にそんなことを云うような話の流れじゃなかったってだけで、直接聞かれていたらわたしは普通に答えていたんじゃないかと思う。
 なんと云っても、全身の装いで自分をさらけ出している彼女の問いだから。
『――ありがとう』
 法正大学の校門が見えてきた頃に、彼女は云った。
 わたしは何に対してお礼を云われているのかわからなくて、小首を傾げて聞き返した。
『……え? なにが?』
『私の格好のこと。気にしないで話してくれてありがとう』
 うつむき気味の結城さんはほっぺを紅く染めていて、わたしは初めて会ったあの日のことを思い出していた。アリスみたいな白ロリを着ていた結城さんは、わたしが向けた視線に今と同じような恥じらいの表情を浮かべていた。もしかしたらこれが、さっき結城さんが云っていた“可愛くなっちゃう”ところかなってわたしは思った。
『いやいやいや、お礼を云うのはわたしの方だよ!』
『――え?』
 きょとんとした顔を見せる結城さんに向けて、わたしは思い切りサムズアップ。ついニヤニヤしてしまう口元を隠そうともしないで云い放つ。
『だってほら、可愛い子が可愛い格好してるなんて萌えるじゃん? もう眼福でごじゃりまするがなー』
『……はぁ』
『あんがとね結城さんっ』
『あ……どういたしまして』
 なんだか釈然としない様子でぽかんとしていた結城さんだった。けれどしばらくそうしてわたしの顔を見つめたあと、ふと何かのスイッチが入ったのか突然ケタケタと笑い始めた。
『……あれ? 今そんなに面白いところあったっけ?』
『あはははは……う、ううん……ごめんっ、でもなんか面白くって、あはははは』
 そう云えば、最初に喫茶店で会ったときも結城さんは隣で突然吹き出したんだっけ。
 ――もしかして、凄い笑い上戸な人なのかな。
 校門の前に辿り着いてサークルの呼び込みに驚くまで、彼女はずっとそうやって笑い続けていた。

「――よし、突撃ーっ!」
「え? ちょ、結城さん? のわーっ!」
 結城さんはスカートを貴婦人みたいにちょんと両手でたくし上げたかと思うと、もの凄い勢いで校門の中に突撃していった。校門付近にいた勧誘員たちがその勢いに恐れをなしたのか、はたまたその装いに圧倒されたのか、一斉に道を開けていた。
 ――お、チャンス。
 モーゼが海に作った道みたいなそこに飛び込んで、結城さんの後を追っていく。
「あ、テニスサークル入ろうテニサー。もう大学といったらコレでしょ!」
「ローバース! ローバースどっすか? 大自然の中で一緒に語らおう!」
「歴史研究会! 我々は欧米により押しつけられた誤った歴史認識を修正し、自国の正しい歴史を取り戻すための会であるっ!」
 気を取り直した勧誘員たちが次々に差し出してくるチラシを片っ端からヒラヒラとよけて、どんどん奥に進んでいく。見た感じ、漫然とチラシを手に取ったらおしまいだ。差し出した手の上に、雪崩のような勢いでだだだっと色んなチラシが振ってくる。
 それにしてもまあ、テニサーとかボーイスカウトみたいなやつとか、もろ右翼系の団体とか、びた一文興味が湧かないことはなはだしい。
 少しぐらいこっち系のサークルはないものかと思ったら、目の前に差し出されたチラシにはなぜかプラグスーツを着た綾波とアスカの絵が描いてあった。手慣れた感じではあるけれど、変な癖があって古くさい。コミケじゃ大手になれそうもないけれど、大学のサークルらしい味があるイラストだとわたしは思った。
 反射的にチラシを手にとって、他のチラシを押しつけられないうちに素早く身体を沈めて攻撃をかわす。こういうときはやっぱり、ちっちゃいってことは便利だなって思うんだ。もっとも、こんなシチュエーション自体そうそうないけれど。
 受け取ったチラシは、どうやら“エヴァンゲリオン研究会”のものらしい。ちょっと面白そうだとは思ったけれど、いくらなんでもこのサークルは四年間何するサークルなんだろうと激しく疑問に思う。確かにエヴァは今新作映画が製作中だけれど、ずっとエヴァの話してても仕方ないんじゃないだろうか。そういえば2chにもなぜかエヴァ板とCCさくら板があるけれど、あそこってどんなスレが建ってるんだろうなんてどうでもいいことを考えた。
 ――いつのまにか、結城さんとははぐれてしまっていた。
 背が届かなくて周りの状況はよくわからないけれど、ロードローラーみたいな勢いで突き進んでいた結城さんの姿はどこにもない。きっとどこかで腐海の底に沈んでしまっているんだろう。元々ガイダンスがある教室は学科ごとに違っていたから、この先まで一緒にいても仕方がない。ケータイ番号は交換してあるし、はぐれたらはぐれたでいいよねという話になっていた。
 惜しい人を亡くしたなと心の中で黙祷を捧げてから、わたしは五十五年館のピロティに向けて進んでいく。
 ――どこからか聞き覚えがある悲鳴が聞こえてきたのは、気のせいだということにした。

§20

 ガイダンスは、三十分ほどで終わる短いものだった。
 心理学科の学生はやっぱりそんなに多い方じゃないみたいで、同じ教室にいたのはせいぜい百人くらい。でもみんなどこかしら一癖ありそうに思うのは、自分で自分の学科に変な先入観を持ってしまっているからだろうか。
 授業が本格的に始まるまでのスケジュールとか、健康診断のときの注意事項とか、年間を通しての日程とかを色々聞いた後、分厚い学習計画表――シラバスって云うらしい――を渡されて、わたしたちはそれぞれ教室から解放されたんだ。
 そう云えばどこかのサークルの看板で“裏シラバス”がどうのって書いてあったけれど、あれはどういう意味なんだろう。廊下を歩きながら、わたしはそんなことを考えていた。
 五十五年館の廊下は外見から感じるモダンな雰囲気とは裏腹に、なんだか結構殺風景な様子だった。コンクリート打ちっ放しの柱に、天井はなんだか色んな配管がそのまま見えている。そこにこれだけ人が沢山いなければ、少し寒々しい感じを受けたかもしれない。窓際にはずらっと長椅子が並んでいて、そこに座ってなんか勧誘関係らしい作業をしている人もいた。みるからに新入生らしいわたしに声をかけてこないのは、校舎内では過度の勧誘を禁じられているからなんだろうか。ガイダンスが終わったらしいスーツ姿の新入生もどこか気楽な様子で歩いていて、穏やかな賑やかさみたいなものが感じられていた。
 ――でも、まだ外ではあれやってるのかな。
 ふと中庭の様子が気になって、わたしは四階の窓から外を見下ろした。案の定、そこは来たときとほとんど変わらない。いや、ガイダンスが終わった後の方が説得がしやすいと思ったからか、来たときよりも一層酷い有様になっていた。
 中庭は、高いところから見るとやっぱり凄く狭かった。そんなところに沢山の人がごちゃごちゃ群れている様子が、なんだか虫がうごめいているようにも見えてくる。人がゴミのようでもどうせ目が見えなくなるくらいだからいいけれど、人が虫のようだったら普通に気持ち悪いだろうなってわたしは思った。
 ――この分だと、やっぱり帰りも戦争なのかな。
 そんなことを考えながら、わたしは膝立ちになっていた椅子から飛び降りて歩きだす。
 ――あれ?
 けれどそのとき、中庭に何か見覚えがあるものがあった気がした。人でごったがえした中庭の片隅に、わたしの心の琴線に触れる何かが佇んでいたように感じたんだ。
 それはなんだか懐かしいような、嬉しいような、面白いような。見るだけで不思議とわくわくするような、そんな何か素敵なものだった。
 なんだろうと思ったわたしは、もう一度長椅子の上に乗って窓から中庭を見下ろした。
 すぐ下に見えるのは、来るときに通ってきた五十五年館のピロティだ。二階に大教室があるらしいその張り出し部分は一階部分が吹き抜けになっていて、そこに各種掲示板が設置されていた。さっきのガイダンスによると、どうやらそこに学校からの呼び出しとか講義の変更とかが張り出されることになるらしい。
 視線を向こうに伸ばすとすぐに敷地を囲う塀になる。校門の右側の方、ここから中庭を挟んだ向こう側には外濠校舎が建っていて、学生部とかキャリアセンターとかが色々入っているらしい。その更に右には体育館があって、そこでもう庭は終わっている。
 ――その、手前あたり。
 新入生はほとんど門からピロティに向かうからだろう、誰もこない体育館前にはほとんど勧誘員もいなかった。
 そこに、ぽつんと置かれた机がある。
 聳え立つ常緑樹の木陰に佇むその机に、やる気なさそうに誰かがぼんやりと座っていた。
 幅広の縁を持った、真っ黒いとんがり帽子。
 身体全体を覆い隠す、これも真っ黒のマント。
 ――魔法使い。
 その姿を見た瞬間、わたしは飛び上がって駆けだしていた。
 ぶつかりそうになった通行人に慌てて謝って、のんびりと歩く新入生を駆け足で追い越していく。カンカンとパンプスが鳴るけれど、もう脚をもつれさせることはない。階段を飛び降りて、角を曲がって、エントランスを走り抜けてピロティから外に飛び出した。
 ――なぜか。
 襲い来る勧誘員たちをかき分けながら、わたしはあの文集にあった言葉を思い出していた。
 本当はとっくに忘れてないといけないのに、いつまでも頭の中にこびりついて離れないあの文章。この頃妙に思い出してしまって、その度にまた何度も繰りかえすことになるあの文章。

 ――もしも、魔法が使えたら。

「――やっぱり……」
 さっと風が吹いて、頭上からさわさわと葉擦れの音が聞こえてくる。
 目の前の女の子が、驚いたように口を小さく開けて固まった。
 そのマントもパタパタと風にはためいて、机の上に落ちた木陰が揺れている。
 マントの下は空色の制服。セーラーカラーには臙脂色のラインが入っていて、胸元を赤いリボンタイが飾っている。手に持っているちゃちな作りの看板は、正に“朝比奈ミクルの冒険”に出てきたそのままで。そこに『コスプレ研究会』なんていう文字がへたくそな筆跡で書かれている。
「……だ、団長?」
 魔法使いの格好をした女の子が、少しだけ慌てたようなそぶりでそう云った。
 ――魔法使い長門のコスプレをしたながもんが、そう云った。
「……どういうことか説明してもらおうじゃないの、有希!」
 ながもんが団長なんて呼ぶから、思わず仕事モードのハルヒ声が出てしまう。
「わっ、本当に泉さんだぁ……ど、どういうことも何も、普通にサークルの勧誘を……って、なんでここに?」
「なんでも何も、普通にこれから通うんだし。ってかながもん大学生だったんだ! その身長で!」
「と、突然振ってきてなんですかっ。そんなこと泉さんには云われたくないです!」
 そう云って、ながもんは不服そうに唇を尖らせた。
 ながもんは、わたしのバイト先の同僚だ。わたしがハルヒ、ながもんが長門。コス自体は店員が好きに選べるんだけど、二人ともハルヒが好きでシフトが合ったときはよく一緒に出たもんだ。
 外見は長門そっくりだけれど、素の中身は別に長門と似てるってわけじゃない。表情もちゃんと動くし思ったことも口にする。それはかなり引っ込み思案な方だと思うけど、でも長門みたいに異常なほど無口ってわけでもない。
 そもそもながもんってあだ名だって本当は長門と関係ない。確かにはまり役だったから長門をしていることが多いけど、コスプレ喫茶なんだからそれ以外の衣装だって着ることはあるんだ。ながもんって呼ばれているのは、永山もとこって本名の姓と名前を縮めてつくった愛称だ。
「――偶然、だねぇ?」
「――偶然、ですね……?」
 なんだか予想もしていなかった急展開で、何を云ったらいいのかわからない。ながもんと会うのは久しぶりっていうのもあるし、お店に復帰したいっていう話とかもまだしていないのに、いきなりこんなところで会って出鼻をくじかれたこともある。
 かくんと小首を傾げたながもんの頭の上で、とんがり帽子も不思議そうに曲がっている。どこか茫洋とした表情が浮かんでいるのは、この出来事をちゃんと咀嚼し切れてないからなんだろう。
 それはもちろんわたしにしても同じこと。きっとながもんから見たら、わたしの方も同じような感じに違いない。
 そう思ったら、なんだか急に楽しくなってきた。
 わたしが思わずくすくすと笑い出したら、ながもんもそれを見て緊張が解けたのか、椅子にもたれかかってほっとため息をついた。
「……びっくりしたぁ。何が起こったのかと思っちゃった……」
「わたしもだよー。ガイダンス終わって何となく窓から見たら、見覚えがある長門コスプレの子がいるんだもん。思わず走って来ちゃったよ」
「あ、ガイダンス終わったんですか?」
 ながもんは何かを思いだしたような顔をしてそう云った。なんだろうって気になったけれど、聞こうとした矢先にながもんがびくっと身体を起こして叫んだせいで、それはうやむやになった。
「――って、じゃあ泉さんうちの大学通うんですかっ!?」
「さっきそう云ったじゃんっ!」
「……云った。云いました。はい、云いました。……でもなんだか意味がよくわかってなくて……」
「そのまんまの意味だよ。法正大学文学部心理学科一年生です。よろしくねっ、永山センパイ!」
 星間飛行のジャケットイラストを真似して、わたしはバチコンとウィンク。勿論“キラッ”の効果音を自分でつけるのも忘れない。
「――うわっ、嬉しい!」
 そう云ってぱちんと手を打ち合わせたながもんは、今まで一度もみたことがないほど楽しそうな顔をしていた。
 ――嬉しい。
 ながもんはそう云ってくれたけれど、それは本当はわたしの台詞なんだ。
 四階の窓からながもんを見つけて、ここまで走ってくる間、どきどきが止まらなかった。
 ながもんに間違いないとは思っていた。
 悪い魔法使い長門っていう選択。髪の色。暇なときに椅子に座って足をぶらぶらさせるあの仕草。なにより長門そっくりのその容姿。それらは一年半一緒に仕事してきたながもんに間違いないと思わせるものだったけれど、なんと云ってもこの大学にはエヴァンゲリオン研究会なんていうものまであるくらい。長門そっくりなコスプレの一人や二人、いてもおかしくないかもって思っていた。
 でも、急いで走ってきたら、やっぱりそれはながもんで。
 すぐにわたしだって気がついてくれて。
 そうしてわたしがこの学校に通うことを、嬉しいって云ってくれた。
 そのことに、わたしがどれだけ安心したことだろう。全然知らない人たちの中に、わたしがよく知っている人がいてくれる。問答無用でチラシを渡してくる攻撃的な人たちの中、こうやってわたしに笑いかけてくれる人がいる。
 お互いの人となりも知っている。パティみたいな共通の友達だっている。少ないけれど、二人だけの思い出だってある。
 そんな人がここにいてくれることで、なんだかわたしは救われた気がした。ながもんがこうしてここにいて知らない場所との橋渡しをしてくれることで、わたしは自分がここにいていいんだって云われた気がした。
 つい一時間前には、こんな風になるなんてまるで想像できなかった。
 武道館の中、八千人の見知らぬ人に囲まれて不安だった。四万人の知らない人が待ち受けるこの大学に、たった一人放り込まれてわたしは震えていた。
 ――友達、できないんじゃないかって怖かった。
 なのにほんの少しの間で、ちゃんと話せる友達を二人も見つけられたんだ。
「……あ、もしかして」
「ん? どったのながもん」
「……あの、泉さんがここに決めたのは、もしかしてアキバが近いからですか?」
「そりゃね! オタクにとっては実家よりもアキバの近さの方が優先事項だよねっ!」
 そう云ってわたしがびしっと親指を突き出すと、ながもんはくすくすと笑った。指を広げて口を隠す笑い方、懐かしいなってわたしは思う。
「……じゃ、同じ大学になったのも、そんなに偶然ってことじゃないですね」
「――え?」
「だって私も、アキバに近いからってここにしたから……」
 ――なるほど。
 わたしは素直にたまたま同じ大学なんて凄いなって思っていたけれど、そう云われたら確かにそんなに凄い偶然じゃないのかもしれない。元々わたしもながもんもオタクだからあのお店で知り合えたんだし、そうなると二人ともアキバから近いところに通いたいと思っても不思議じゃない。東京六大学で、かつそこまで偏差値が高いわけじゃない法正はそもそも人気がある大学だから、こうやって同じ所を選んだことも全然おかしなことじゃない。
 ――考えてみたら、そういうものかなって思う。
 結局わたしが感じていたより、意外とこの世界は綺麗に回ってるのかもしれないって思う。
 例えば夢や願いや望みがあって、それを実現させようと努力していたら、周りの人にもそれが伝わることだろう。そんな情報が色んな人のところを回り回っていくうちに、意外と自分にとっていい方に転んでいったりするのかなって思った。
「――ああよかった、意外と上手くいったりするんですねー」
 まるでわたしが考えていたことを読んでいたように、ながもんがぽつりと云った。
「ん? なんの話?」
「いえ、勧誘係を押しつけられたときは、正直私の性格じゃ無理だと思ったの……」
 それは確かにわたしだってそう思う。
 というか、今この状況、普通に駄目だと思う。
 こんな全然人通りがないすみっこで、誰にも声をかけないでただ座っているだけ。さっき通ってきたピロティ周辺の喧噪と比べたら、まるでやる気の欠片もない勧誘だ。それは確かに強引に声をかければ入ってくれるとは限らないけれど、誰も見てくれなければそもそもお話にもなってない。これでどうして上手くいったって思えるんだろう。
「……でも、初日に二人も入ったら、それだけでもうオッケーな感じ?」
 そう云って、ながもんはにっこりと笑いながらわたしに紙を差し出した。
「……なにこれ?」
「あ、学籍番号はわかります? 学生証に書いてあると思うけど」
「いや、そうじゃなくて、なんで入会書をわたしに渡すの?」
「……えっと、書きたくないですか? や、別に公認サークルってわけでもないので正式な入会書が必要なわけじゃないけど……でも一応他のメンバーとの兼ね合いもあるし……」
「そうじゃなくて! なんで入ること前提になってるのさ!」
「……え。そのために走ってきてくれたんじゃ?」
「違うよ! 全然違うよ!」
 思わずどこぞのマーク・パンサーみたいな云い方で否定するわたしだった。
 ながもんの、このちょっとした思考の暴走癖は相変わらず変わってないなって思う。これでながもんは仕事モードだと凄く優秀なんだけど、たまに思いこみを事実だと思って失敗することがよくあった。
「……う。じゃ、入りませんか?」
 そう云って、ながもんは持っていた『コスプレ研究会』の看板をちょこんと手前に押し出した。
 ――正直、まるで考えてなかった。
 それはわたしだってどこかのサークルに所属した方がいいのかなって思っていたけれど、でもわたしはわたし自身を認めるだけで精一杯だったんだ。ちょっと人と違う自分をどうやって周りに受け入れて貰えばいいんだろう。それを考えるだけで、わたしのあんまり出来がよくない頭の中は一杯になっていた。
 ――でも。
 入ってみようかな。ながもんがいるんだし。
 前からもっと仲良くなりたいって思っていた。この大学で多分ただ一人、わたしのことをちゃんとよく知ってくれている。趣味も気も合って、バイト先も同じとこ。そしてなにより、テニサーとかローバースクラブとか歴史研究会よりはずっとずっと興味が持てるサークルだ。これだけ揃っていたら、入ってみてもいいかなって思うのは当たり前のことだろう。
 ――エヴァンゲリオン研究会も、ちょっと気になったりはするけれど。
「……そう云えば」
「ん?」
 ふとそれが気になって、わたしはながもんに訊ねた。
「さっき二人入ったって云ってたけど、その物好きな一人目ってどういう人? 正直こんな状況で新入生が見に来たとは思えにゃい」
「やん、泉さん、相変わらず地味にSですー……」
「いやいや、実はSじゃなくてツンデレなのだよ。だからキツイこと云ってもオッケーなのさっ」
「えー? 泉さんがデレてるところなんてみたことないなー」
「いやいや、デレてるじゃん。お客さんいないときとか?」
「それはダレてるだけですぅー」
 ――話が逸れている。
「――それで。そのファースト新入生は?」
「……こういうとき、どういう顔をしたらいいかわからないの」
「それはファーストチルドレンだけど、とりあえず笑えばいいと思うよ?」
「私には帰る場所があるんだ、こんなに嬉しいことはない!」
「それファーストガンダムだから。そんな突然饒舌にしゃべり出す綾波嫌だから。っていうかわたしがガンダムだから」
 ――話が戻らない。
 そのままオタク同士のウザイネタ合戦に滑り込みそうになっていた、まさにそのときのことだった。
 そのファーストが、向こうからやってきた。
 ――カツン。
 高く響いたヒールの音に、わたしは誰か来たのかと振り返る。
 視界の中に飛び込んできたのは、びっくりしたように目を見開いた顔。
 白磁のようにつるつるな肌。ちょっと赤らんだ頬。ふわふわのアッシュブロンド。
 ――クラロリを着こなした、凄く可愛い女の子。
「「……へ?」」
 わたしと結城さんの間抜けな声が、喧噪に満ちた中庭に嫌に大きく響いて消えていく。
「みゅーちゃん、待ってましたよー」
 ながもんが、ひどく脳天気な声でそう云った。

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Beautiful World 10章/魔法へ続く














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